尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

アラン・レネ「愛して飲んで歌って」

2015年03月25日 21時27分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランスのアラン・レネ監督(1922~2014)の遺作「愛して飲んで歌って」を岩波ホールで上映している。(4月3日まで。)昨年のベルリン映画祭に出品され、アルフレッド・バウアー賞、国際批評家連盟賞を受賞している。去年亡くなった時に「追悼・アラン・レネ」を書いた。監督についての話はそちらに譲るが、そこで近年のレネ映画は「昔の名前で出ています」だと書いている。それでも見に行ってしまったし、まあ遺作だから二度と新作を見られないんだからと思って書いておくことにした。

 この映画は面白いのか。やはり特に面白くもなかったなあと思う。ゴダールの「さらば愛の言葉よ」が3Dで、とにかく新しい映画表現を今でも求めていると思えるのに比べれば、アラン・レネという名前が前衛的な映画マニアに神話的に語られていた時代は遠い。チラシを見ても、アラン・レネ監督遺作とある上に『夜と霧』『二十四時間の情事』『去年マリエンバードで』と3作の名前が書いてある。今でもそれがウリなのである。この映画はイギリスの喜劇作家アラン・エイクボーンの劇を映画化したもので、「フランスのエスプリとイギリスのユーモアの見事な融合」とあるけど、確かに「エスプリ」という感じはする。エイクボーンという人は日本ではあまり上演されないが、鴻上尚史「名セリフ」(ちくま文庫)に出てきていた。そもそもユーモアの質が日本で通じにくい部分があるかもしれない。

 最初にイギリスの地図が出てきて、イングランド北部のヨークの話だとされる。でも登場人物はフランス語しか話さないので、要するにイングランド人の戯曲をフランスで上演しているのと同じである。ほとんど舞台の書き割りのようなセットで、最後に舞台でしたとなるのかと思ったら、それはなかった。でも明らかに現実の家ではなく、舞台装置みたいなところで演技している。(普通の映画の場合、家のセットは「現実の家」に見えるように作られているが、この映画ではドアがカーテンになっているんだから、どう見ても舞台上のセット。カメラの動きなども含め、演劇的なつくりの映画になっている。

 登場人物は3組の男女。最後に娘が出てくるけど、事実上3カップル、6人のみしか出てこない。しかし、最も重要なジョルジュという人物は出てこない。シロウト劇団があり、公演に向けて練習しているというのが表面上の設定。一方、ジョルジュが重病で余命が短いという話を、医師が妻にしてしまいあっという間に友人たちに広まる。劇の出演から一人下りたため、皆はジョルジュに頼むとOKし、結構うまいらしい。このジュルジュは小学校の教師らしいが、どうも女たちはみなジョルジュに惹かれているような…。という話で、ジョルジョは出てこないで、登場人物はみな彼の大きな影のもとにある。

 こういうのは演劇では面白いけど、映画のカメラはどこにでも行けるわけだから、最後にジュルジュを見せて欲しい感じもしてくる。ジュルジュが出てこないところが面白みであるけど、それは一種の「余裕」ある演出で、人生を達観するような視線で語られていく。そういう語りの構造が後期アラン・レネ映画の特徴で、昔のような切羽詰まった問いはない。その意味では、楽しんでみられるが、わざわざ見る意味がどこにあるのかと思う。そういう言い方は、思えばフェリーニや黒澤明の晩年の映画を見た時も感じたことだった。まあ、アラン・レネという名前に特段の思いを持つ人には見る意味があるかなという映画ではないかと思う。
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2 コメント

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映画の日 (PineWood)
2015-04-01 21:46:02
あまり期待しないで見たせいか結構興味深かったみたいだ。確かに演劇セット風あり、ロードムービー風あり、イラスト・コミック調ありで、異化効果満載のアンチ映画かも知れない。トリュフォー監督作品(恋愛日記)では、ないがモテキの主人公は一切登場しない!嫉妬心に悩まされつつ、愛の初心を取り戻すあたりは、シェークスピア劇みたいだ♪ポルトガルの巨匠の(家族の灯り)では無いけれど室内劇と映画への愛のパッションは、年齢とは無関係か?新藤兼人監督の遺作(一枚のハガキ)も戦友や或いは妻への究極の愛のドラマだったですね。
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童心、或いは遊び心 (PineWood)
2015-05-31 04:20:13
異化効果満載とコメントしたが、スクリーンの長方形を意識させるといった方がいいのかも知れない。
イメージフォーラムフェスタでポール・シャリッツ監督という実験映画の作家についてのドキュメント映画を見た。作風はサイキック映像というのか、光の点滅で観客の脳細胞を刺激するー。スクリーンと観客の間にもう一つの空間を作り実体経させる点で3D を先取りしていた。
石田尚志監督のアブストラクト・アニメーション映画或いはビデオ・インスタレーションは、今日まで横浜美術館の企画展で見られるが、スクリーンの変容を意識したオリジナリティがある。何故スクリーンは黄金分割比率なのか…。スクリーンの中の画面が回転し変容する事で(映画とは何なのか)を問う!人間は登場しないのに椅子が独りでに動きだし発火する…。デイズニーのアニメーション映画みたいな不思議なフェテシズム。
朝夕に路上に海水を撒く人の映像を上下に分割されたスクリーンで対比させるー。路上に水で螺旋?を延々と描くという蒸発して後に残らない海水のドローイング行為が、水を撒くという仕事或いは遊びと結合したユーモアとフォト・ジェニックさで迫ってくる。こうなるとエジソン或いはルミエール兄弟の初期サイレント映画にたち戻ったみたいだ。
アラン・レネ監督もフレンチ・コミックの網目模様やポップ・アート風のセットを組んで劇映画が芝居であることを自覚させる。童心というのか実験チャレンジの精神というのか…。
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