尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ゴダールー映画と革命と愛と

2011年08月29日 00時15分23秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ゴダールの本の話。四方田犬彦「ゴダールと女たち」(講談社現代新書)が発売された。四方田さんの本はずいぶん読んでるけど、これは対象がゴダールということもあって、格別に面白い。「女に逃げられるという天才的才能」なんて、書いてあるよ。そして、昨年、山田宏一さんによる「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」(ワイズ出版、本体2800円)という大部の本が出ている。山田さん本人が撮影したアンナ・カリーナの写真満載の460頁にもなる本で、ゴダールかアンナ・カリーナのファンじゃないと読まないかもしれないけど、僕にはとても素敵なプレゼントのような本だった。まとめて紹介。

 僕がゴダールを初めて見たのは、1970年、中学3年生の時。日劇の地下にあった「日劇文化」で、「アルファヴィル」の初公開に「気狂いピエロ」が併映されていた。この「気狂いピエロ」こそ、脳天直撃フィルムであまりの素晴らしさに心が震えた。さっそく「白い本」を買ってきて、「気狂いピエロ」と大きく表題を書き、詩やら評論やらの真似事をつぶやき始めたのだった。僕にとってその年公開の個人的ベストテン1位はブラジルのグラウベル・ローシャ「アントニオ・ダス・モルテス」だったし、「イージーライダー」「明日に向って撃て!」「M★A★S★H」「ウッドストック」などアメリカの「ニューシネマ」と言われた映画も全部同時代的に見て、ものすごく影響された。でも、ゴダールの「気狂いピエロ」の衝撃が一番大きい

 これを見てなかったら、その後の映画や小説の好みがずいぶん変わったと思う。(ちなみ四方田犬彦「ハイスクール1968」を読むと、新宿文化に若い時から行ってる。三島の「憂国」を上映したり、清水邦夫作、蜷川幸雄演出の舞台をレイトショーでやった映画館である。東京東部の中高生だった自分は新宿文化へ行ったことがない。「日劇文化」でATG映画を見るのが精一杯だった。)その頃のゴダールの影響力の凄さは今では信じられないと思う。そして、映画の革命を成し遂げた若き映画作家ゴダールは、68年の五月革命でカンヌ映画祭を粉砕したあと、「革命の映画」に突き進んだ。作家性さえ「止揚」して、「ジガ・ヴェルトフ集団」と称して「東風」などの映画を撮っていた。(東風というのは中国の文化大革命の中で毛沢東が言った言葉ですよ。)

 だけど、ゴダール映画で、凄い、面白い、わくわくする、刺激的などの評語が当てはまるのは初期作品になると思う。デビュー作の「勝手にしやがれ」は、今でも素晴らしく面白い。この映画は公開前に時間短縮を命じられ、ゴダールは(普通のやり方と違い)各シーンから少しずつ抜き去った。だから展開が判りにくいと当時は非難もされたが、逆にリズムが破格で現代風と若い映画ファンに受けた。今見ても全然古くなく、素晴らしく生き生きした現代に生きるフィルムである。その時の主役がジャン・ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ。セバーグはアメリカの女優だが、のちにブラックパンサーにコミットして大変な人生を歩むことは、四方田さんの本に詳しい。暗然とする。

 ゴダールはその後、デンマーク出身の若きアンナ・カリーナを知り、次作「小さな兵隊」に抜擢。これが上映禁止になりミュージカル「女は女である」を作り、アンナ・カリーナにベルリン映画祭女優賞をもたらした。その間、20歳のアンナに「小さな兵隊」撮影中に求愛して結婚。続く「女と男のいる舗道」「はなればなれに」をアンナ・カリーナ主演で撮る。しかし、両人の個人的関係は破たんしてしまう。まあ、ゴダールとの結婚生活は大変そうだということは、いろいろな証言でよく判る。このころが、山田宏一さんの「わがアンナ・カリーナ時代」になるわけである。しかし、別れた後もカリーナ主演で何本か撮っていて、わが生涯最高のフィルム「気狂いピエロ」もその一本。逃げるベルモンドに謎の女カリーナが、地中海のブルーによく似合う。ミステリアスな展開、パリの夜と地中海の陽光、ヴェトナム戦争などへの風刺、何より、この日常からの脱出願望。愛と死。政治と革命。映像と言語…。何度見ても素晴らしい。

 こういう風に女に逃げられながら、主演に起用して奇跡的にきらめくフィルムを作る。次の女性、アンヌ・ヴィアゼムスキーにも去られたと聞いて、大島渚が言ったのが「女房に逃げられるという一種の才能」という言葉である。四方田さんはそれを手がかりに、ゴダールと関係の深い女性を取り上げ丹念に評していく。この大島渚の言葉は、赤瀬川原平のいわゆる「老人力」みたいなもんだと思うが、大島(小山明子)、吉田喜重(岡田茉利子)、篠田正浩(岩下志麻)と「松竹ヌーベルバーグ」はみんな添い遂げる(?)ことを思うと、洋の東西の違いは大きいか。

 アンヌ・ヴィアゼムスキーは、ロベール・ブレッソン「バルタザール、どこへいく」という映画に素人で出演したところをゴダールにつかまった。わけもわからぬ革命映画(「中国女」)のセリフを棒読みしながら、ゴダールと結婚してしてしまった。年は17違う。(今思うと、むしろ17しか違ってなかったのか。ちなみにアンナ・カリーナとは10歳違う。)アンヌは政治化したゴダールに引き回され、当然結婚は破たんする。アンヌはパゾリーニ他の監督に出演した後、小説家として成功した。実は母方の祖父がフランソワ・モーリヤックで小さい頃から文学的環境に育ったのである。日本でも翻訳が出て、今年来日した。

 この頃のゴダールが作った映画、つまり商業映画をやめて政治プロパガンダ映画に専念していた時代の「ブリティッシュ・サウンズ」「プラウダ」「東風」「イタリアにおける闘争」なども、日本で自主公開みたいにやったときに、ご丁寧にもほとんど見に行った。まあ、はっきり言って、全く面白くない。革命映画が映像の革命ではなく、「言語の優位性」を誇示するだけでは詰まらない。

 ところで、この後ゴダールの隣にアンヌ・マリ・ミエヴィルという協同者が現れ、共同で映画作品を作り始める。しかし、ほとんど論じられることはなかった。この「聡明な批判者」こそが、ゴダールの真の批判者であり、真の協同者であるというのが、四方田さんの本の最大の主眼である。そして、ミエヴィルを「抹殺」している映画史の見直しを図っている。こういう状況をテクスチュアル・ハラスメントと言うらしい。前の二人の10倍近く、すでに40年近くも理想的パートナーであり続けているというのに、誰も論じない。と言うんだけど、「復帰」以後のゴダール作品は、面白いんだろうか?いや、面白いという評価基準は間違ってるかもしれないけど、「パッション」「カルメンという名の女」「右側に気をつけろ」「映画史」「アワー・ミュージック」「ゴダール・ソシアリスム」などなど。うーん、「アワー・ミュージック」はなかなか刺激的で、重要な映画だったかな。「パッション」は今はなき(六本木ヒルズに飲み込まれた)「シネヴィヴァン六本木」の最初の映画だったけど、全然つまらなかった。

 ゴダールの作品は今でも結構やってる。フランスでヌーヴェルヴァーグ(新しい波)という映画が出てきたことは、この何十年かの映画史の中でももっとも重大な出来事ではないか。しかし、当時のフランスでは、「アンチ・ロマン」という小説、「アンチ・テアトル」という演劇があったわけだが、(というかそういう呼び方をした)、ゴダールは言うならば「アンチ・シネマ」というような道を歩いて行ったのかもしれない。だけど「気狂いピエロ」一作あれば、僕はもういいかな。ゴダールを見てない人が読んでも仕方ないかもしれないが、四方田さんの本は芸術と女性というテーマでも読める。まあ、でも四方田犬彦、ゴダールって言うだけで買う人こそに読まれるべき本かもしれないが。ゴダールの初期習作に「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」という短編があるが、思えばゴダールの人生は「女の名はみんなアンヌという」という人生だったことになる。
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