尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「英語」とは何か

2014年04月21日 01時08分00秒 |  〃 (教育問題一般)
 英語、英語というけど、「英語とは何だろうか」。僕はそのことをちゃんと教えてもらったことがない。ここで言っているのは、「人生を成功させるカギである」とか「世界帝国の支配言語である」とか、そういう問題ではない。「英語」という言葉そのものの意味は何かということだ。

 日本の学校では、勉強するときに教科や科目の名前を教えない。そのことが昔から僕には不思議で、特に自分が担当した「日本史」が一番ひどい。教科書の最初の方に、日本列島にクニが出来始め、古代中国の史書には「倭」と呼ばれていたと書いてある。だけど、ではその「倭」がいつ「日本」になったのか、どこにも書いてない。そういう教科書が多かった。最近まで、そのことを意識する人も少なかったのである。今は問題が違うので深入りしないが、きちんと答えられる人は少ないのではないだろうか。

 他にも、なんで「音」は「楽しむ」なのに、「体」は「育てる」で、「美」は「術」なのかも不思議である。絵やスポーツを楽しんではいけないのか。というか、「音楽」の授業も、内容的にはほとんど「音術」をやっているのではないかと思う。「理科」というのも不思議。「科」は「教科」という意味だから、学ぶ中味は「理」ということになる。「数学」は「数を学ぶ」だから、これは一番判りやすい。「理科」も本当は「理学」に変える方がいいのではないか。(「科学」でもいいけど、そうすると「化学」と同音になってしまう。)

 さて、これらの教科名は「学ぶ内容」ということだけど、「国語」と「英語」に関しては「学ぶ内容」というだけではなく、学ぶためのコミュニケーションとしての言語を「教育の対象」としてなんと呼ぶのかという問題となる。今後書くことになるが、「国語」という教科名もおかしなものだと思っている。現実の教育の場では、「三教科」(国数英、または英数国)と呼んで「最重要受験教科」となっている。(前回書いたように、本当は「英語」という教科は存在しないが、「国数外」などという呼び方はしない。)実際にわれわれが最初に「英語」を意識するのは、この「受験に重要な教科」というレベルではないかと思う。つまり、「英語」とは「日本の教育における科目の名前」であり、人によっては会社に入ってからも英会話学校などに通わないといけない「学びの対象」である。

 もちろん「英語」の「英」とは「英吉利」の「英」である。「英吉利」を「イギリス」と読んで、「英語とはイギリス語」というのが、まあ一番一般的な理解だろう。でも、そうすると2つの疑問が起こる。「英語の授業」では「イギリス」よりも「アメリカ合衆国」に触れることが多いということが一つ。また、そもそも「イギリスという国はない」わけで、正確に言えば「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」である。「連合王国」(UK)と略されることが多い。なお、マン島やチャネル諸島のような王室領が存在し、そこは「連合王国」ではないらしい。

 連合王国とは、つまりグレートブリテン島にある「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」とアイルランド島北部の「北アイルランド」の連合ということだけど、この名前になったのは1927年のことである。それまでは「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」で、アイルランド全体が連合の対象だったのである。それは1800年に成立した。それ以前をさらにさかのぼれば「グレートブリテン王国」である。1707年の連合法で、イングランドとスコットランドが連合したわけである。1603年から、イングランド王とスコットランド王は同じで、両国は「同君連合」という関係だった。(エリザベス1世が独身のまま長い治世を終えたことによる。)なお、ウェールズはもっと早くからイングランドに事実上併合されていて、1536年に正式に併合された。

 「イギリス」は戦国時代から江戸時代初期に、日本と貿易関係があった。ウィリアム・アダムズという航海士は徳川家康に仕え、「三浦按針」という名前をもらった。彼が乗ったリーフデ号が難破して豊後に漂着したのは、1600年のことである。この時点では「グレートブリテン王国」は成立していないのだから、南東部のケント州に生まれたアダムズは「イングランド王国」の人ということになる。シェークスピアも「イングランド王国」時代の人である。要するに「イギリス」と言っているものの実際は、大体は「イングランド」であるわけだ。

 スコットランドにもウェールズにも独自の言語があるので、「グレートブリテン語」などというものはない。だから「英語」というものは、もちろん「イングランド語」のことである。というか、“English”には「イングランド人」と「イングランド語」の両方の意味があるわけで、多分中国で最初に「英吉利」と表記した時には、「イングランド人」 の意味だったのだろうと思う。日本でも「英吉利」という書き方を受け入れ、幕末にはもう「英語」と言っている。その時代には、連合王国は産業革命が起こって強大な近代国家になっていて、「七つの海を支配する」と言われた。その連合王国の「事実上の公用語」(連合王国には憲法がないように、公用語という制度もないけれど)が、世界に広まっていく。

 現在、「英語」を母語として使用する話者は、中国語(北京語)に次いで、スペイン語とほぼ並んで世界第二位か第三位である。(資料により様々で、どっちが多いか判らない。)「英語」の話者の7割ぐらいは、「アメリカ合衆国」の人々である。アメリカ映画を見てると、昔のシーンでヨーロッパから来た移民に対しても、現在のシーンでメキシコ等のラテンアメリカ系の移民に対しても、「Englishを話せるか」つまり、”Can you speak English?”と問いただす場面がみられる。一般的に、アメリカ合衆国でも、「自分たちの言語はイングランド語である」と認識しているようだ。

 では、連合王国と合衆国で使用されている言語は同じだろうか。そこには深入りできないが、「同じだけど、文法も発音も慣用句も少しづつ違っている」ということだろう。同根の「スペイン語とポルトガル語」や「チェコ語とスロヴァキア語」と比べて、どう違うだろうか。「北京語」と「広東語」よりは、はるかに似ているのは確かだろうが。日本では、歴史的にも経済的にも文化的にも、連合王国よりも合衆国との関係の方が圧倒的に深い。(連合王国との関係も、西欧諸国の中では一番深いと思うが。)そこで、学校で教える「英語」の中でも、ほぼ合衆国の言葉を習って来たと思う。先生によっては、「イギリスでは、こういう時は違う風に言うんだ」などと教えてくれたりした。(例文はすべて忘れたけど。)

 「イングランド語」を公用語にしている国は、他にもカナダ(ケベック以外)、オーストラリア、ニュー・ジーランド、シンガポール、アフリカ中南部の多くの国(南アフリカ、ガーナ、リベリア、タンザニアなど)、カリブ海の国々(ジャマイカ、トリニダード・トバゴなど)、太平洋の国(パプア・ニューギニア、トンガ、キリバス、ツバルなど)、もういっぱいある。インドのように、州ごとの公用語が多すぎて「連邦準公用語」のイングランド語を用いないと国会の議論ができないという国もある。それぞれで発音や文法が多少違ってくるのではないかと思うが、その事情はもう僕には判らない。

 これをまとめると、「英語」とは、日本の学校では「事実上のアメリカ合衆国の大多数が使用する言語」(公用語という制度はない)のことで、世界的には「広大な英語圏で使用される言語すべて」であり、語義的には「(今は連合王国の一部である)イングランドの言語」ということになる。さて、もう面倒なので「英語」と書くことにするが、日本語とは音韻構造が違うから、発音に苦労するわけである。日本は中国から「漢字」を取り入れたが、やはり文法や発音が違うから、大分苦労した。「カタカナ」や「ひらがな」を作り出したことで、何とか漢字をもとにした言語表記が苦にならないように工夫している。この「発音」や「漢字と英語と日本語の問題」などを続いて考えたい。
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