「ピエロ」の独り言

四国の山の中、久万町に住む「ピエロ」。人は皆「道化師」です。独り言を掲載します。

中西太し逝去。

2023年05月18日 14時42分40秒 | 訃報

令和5年(2023年)5月18日(木)
【今日の写真】今日の写真は、我が家の庭に植えている「アヤメ」です。以前の地主さんが植えられておられたのでしょう、我が家の周囲のいたるところで拡散し、手入れもしないのですが、尾形光琳の描く「菖蒲図」のように並んで咲いています。
(5/18)


【身近な話】今日は午前中は少し薄日が差していました。「セコひまわり発電」も満充電させることも出来ました。午後からは、厚い雲が出てきたので「パネル」を収納しました。暑さもやや和らぎ過ごしやすい感じがします。お隣の「秋本さん」の改装工事が進んでいます、道路からの導入部を拡張しておられます。そしてバリアフリー工事も進められています。
今日の体重、72.1(-100g)


【話題】5/18(木) 11:30*日刊スポーツ*配信
『“怪童”中西太さん死去、90歳心不全 本塁打王5回、3球団で監督、イチローら育てた名伯楽』
 西鉄ライオンズの黄金期を支えた中西太氏(日刊スポーツ評論家)が、11日午前3時38分、東京都内の自宅で心不全のため死去していたことが18日、分かった。90歳。現役時代は“怪童”と称されたスラッガーで、本塁打王5回、首位打者2回、打点王3回のタイトルを獲得。西鉄、日本ハム、阪神で監督を務めるなど、計8球団を渡り歩き、指導者として若松勉、イチローら名選手を育てた名伯楽だった。すでに通夜・告別式は家族で執り行われた。
“怪童”は静かに天国へと旅立った。希代のスラッガーで、西鉄ライオンズの黄金期を支えた中西さんが11日午前3時38分、都内の自宅で家族に見守られて息を引きとった。4月11日に90歳の“卒寿”を迎えたばかりだったが、ここ数年体調がすぐれず、療養を続けていた。
本人から「最期は自宅で…」というのが強い意向で、亡くなる2、3日前からはベッドに横たわるような状態だった。ここ数年は体調が芳しくなかったが、家族によると「苦しまずに静かな最期でした」ということだった。
高松一(香川)から走攻守の3拍子そろった選手で甲子園で活躍する。1952年(昭27)に西鉄ライオンズ入り、高卒新人ながら開幕スタメンで出場。プロ2年目の53年に本拠地の平和台球場のバックスクリーンを越えた推定飛距離160メートルの特大本塁打は伝説になっていた。


【私的コメント】私とほぼ同年配なのでその活躍を青春時代の思い出とともに残っている記憶があります。同じ四国の出身ということもありなおさら親しみが湧いて応援していました。90歳ですか・・。心よりお悔やみ申し上げます。
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