カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ある種の純粋さと衝動が世界を変えるかもしれない   僕たちは世界を変えることは出来ない。

2017-09-16 | 映画

僕たちは世界を変えることは出来ない。/深作健太監督

 原作はノンフェクション作品らしい。最初はそこまで純粋に考えている風では無かった学生が、社会のために本当に何かできることは無いかと考えはじめ、カンボジアでの学校づくりへと組織を作りながら取り組んでいく様を描いた作品。実際に現地に行っての言動や行動は、どこかドキュメンタリー作品のような展開を見せる。基本的には劇映画だが、俳優たちもこの劇中で、何かカンボジアに魅せられていくような事が現実に起こったかのような印象を持つ。いわゆる美談ではある為に一抹の嘘くささのようなものが感じられるが、悪いことでは無いために映画としての純粋な娯楽性は、かえって薄くなってしまったようにも思う。啓蒙作品としては直接的に意義が伝わりやすいのかもしれないが、何かノンフェクションの人たちの純粋さが、演技としての映画の枠を乗り越えてしまったということなのだろうか。そういう意味ではつくり手も俳優も純粋にさせられるような魅力が、カンボジアの現地にあったということなのかもしれない。映画としてはどうなのか、ということは残るが、観る人にとっては良い場合もあるかもしれない。
 もちろん、劇中でもこの行動に批判的な仲間たちも描いている。いわば日本の楽しいサークル活動において、本来的には外国の状況なんて関係が無い。楽しみに水を注すということでは無いが、そういうものについていけない人もいるのが現実だろう。自分たちも本当にどこまで学生の立場でやれるのかというのは未知数だ。戸惑いがあっても、もうやめることなんてできない。それが若さというものかもしれない。さらに現地で通訳の人の話を聞いて、日本の若者だからこそ知らなくてはならないものがあるような気もする。自分たちの体験は小さなものかもしれないが、そのようなものは、やはり少しでも多くの人に伝えるべきことなのではないか。
 ちょっと妙な作品ながら、若者や今や若くない人にも共通の、本来持っているであろう純粋さを描いた作品かもしれない。しかしながらこれを行動に移せる人間は、やはり多くは無い。その少しずつでも変化させうる社会運動は無いかと考えると、可能性としては彼らのような若者に懸けるより無いのではないか。国が豊かになったら必然として背負う責任があるとしたら、このような問題に向き合えるかどうか、ということなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする