Side Steps' Today

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八甲田山雪中行軍遭難資料館(青森県青森市)

2024年05月18日 | 畸観綺譚
これまで数十年来のモヤモヤが解消。中学の修学旅行は東北地方というシブいものだったが、記憶が明瞭なのは①帰りのブルートレイン(寝台夜行)と②バスガイド、そして③この行軍遭難資料館にきたこと程度。①帰りのブルトレは2校の貸切状態で連結前半が女子校で後半が我ら男子校。連結部が封鎖されていたので深夜の途中停車駅ホームにて、なんとかそのタイミングで女子校車両に乗り移ろうとホームを駆ける生徒とそれを阻止する先生の壮絶な深夜攻防戦が展開。また、②バスガイドの女性にひたすらアタックし続けるE君(帰京後も手紙を書いていた…)という、ともに鮮烈な性春系の記憶しかないのが情けないが、それ以外で記憶にあるのがココ。しかしもっと民家のような雰囲気であり現在のような立派でなかったと記憶するのだが、今回資料館の方に伺って疑問が氷塊。修学旅行で訪問したのは旧館で斜向かいの位置にあったが、そこは有志が運営していたためにごく小規模で老朽化(明治時代の建造物)も重なったことでこちらに新築したとのこと。逆に資料館の方には修学旅行で来たということ自体が珍妙だったようで「北海道の学校ですか」等質問される。そんなに奇抜な修学旅行だったのだろうか、確かに修学旅行で行軍遭難資料館とは…そういえば高校の修学旅行もエンタメ要素は皆無だった。当時の先生は我らが将来の遭難リスクへの対応や教訓を学ばせるためだったのか? 実はここが記憶に残るのは1枚の写真、それは凍傷のため手術で切断された手足がずらっと並んでいる写真。これが気になっていたが、こちらの端末検索できる資料写真でやっと逢合(端末を叩き続ける怪しいオジさんと化していたがそれほど資料が充実)。記憶とはやや違っていたが確かにコレ。資料館の方曰く、昔は展示していたが今は刺激が強すぎるとのことで端末で検索してみることができるようにしたと。うむ、確かに刺激が強すぎたので数十年来を経て再訪しているのだ(納得)。館内の掲示はどれも興味深いが、謎とされる山口少佐の死を「クロロフォルムによる薬殺が有力」とズバリ掲示しているのも良し。外には犠牲者の幸畑陸軍墓地が広がるが、ここでも階級により墓石サイズが随分異なるのがなんとも生々しい。なお、雪中行軍所属の青森歩兵第5聯隊の正門があるのは県立青森高校。青森高校といえばSing Like Talkingを輩出した県内随一の名門進学校。