Decca Decolaがお嫁入り

やっとこさ入手したDecca Decolaの整備記録

SONY ソリッド ステート 77 (MODEL 7-75) について

2020-11-12 23:56:06 | テレビ

 1960年代のSONY製白黒テレビはすべてTr(トランジスター)を用いていて他社はほとんどが真空管だった時代にSONYは技術革新の先頭を走る企業だった。真空管と比べてTrはまだ実績が少なく高額なテレビジョンに用いるのはリスクを抱えていたと思われるしまた現場で修理調整するエンジニアもまだ少なかったはず。またSONYはTrの優位性を前面に出した広告をしていてテレビ製品はすべて「ソリッドステート◯◯」という名前だった(ソリッドステートとはトランジスターなど半導体のこと、丸の中はブラウン管のサイズを表す数字が入る)。また7inchまでの製品は「マイクロテレビ」の名前も与えられていた。SONY 7-75はソリッドステート77(なぜ2桁なのかは不明)マイクロテレビというくくりだった。資料は少ないのだが先日入手した古書「ポケット型折畳み式 TV配線図集 第10集」に7-75の回路図が掲載されていた。

 当時実家で新たなテレビを購入する際の御用達の電気屋さんのアドバイスは「Tr方式はよろしくありません。真空管式がおすすめです」というもので真空管式「サンヨーカラーテレビ 薔薇」がやってきた。当時大流行した漢字二文字の豪華な家具調テレビで居間の主役の座に収まった。ところがこのテレビはよく故障した。その度に電気屋の親父さんはよばれて長い時間修理していたが当日の完了がままならず日を跨ぐこともあった。Tr方式は故障が少ないと聞いた亡父はトランジスターテレビを選択しなかったことをしきりに残念がっていた。初期のハイブリッド車購入の際にも似たようなことを車屋さんに言われたことがある。新しい方式の良し悪しの見極めは短期間では難しいと思うがシステムの変更でいままで培ってきたスキルが役に立たなくなるとすればどうしても保守的になるのは理解できる。テクノロジーの進歩を客観視して現実とのすり合わせを行い先を見通す事は、、、やめた。現在の自分の立場とあまりにも乖離している。

 「SONY マイクロテレビ ソリッド ステート77」 の当時の広告

  

引用:https://www.pinterest.jp/pin/107945722289652619/                                      引用:https://ameblo.jp/kimokenblog/entry-11928781127.html

 これらには書かれていないが製品の背面に貼ってあるラベルには「MODEL 7-75」とある。「SEVENTY-SEVEN for MEN」「TV for MEN」というキャッチフレーズも時代を感じる。プラスチックボディの色は黒、赤、緑3色があったらしいが緑は見たことがない。

 

 その1

 

ケースは簡単に取り外せるが基板へのアクセスは非常に面倒で前面パネル(底板と兼ねる)に取り付けてあるスピーカー、ボリューム、コネクターをすべて外さないと到達できない(と思うが)。アンテナ線とスピーカーケーブルは切断してようやく分解して並べると

 

すでに段ボール箱に入っていてこのままお蔵入りかと思わせるほどグダグダになる。実際に修理はどうしたのだろうか?電源はケースに固定されているので通電するにはもっとややこしくなる。ただ部品を取り外したおかげで汚かったパネルはマジックリンで丸洗いできてスッキリした。

 回路も5-303あたりと比較してかなり異なる。FBTの高圧整流管も1個で賄っていて全体にTrの数が減ってスッキリしている。VIF段、音声IF段共に1段減っているし各発振回路も2石づつで賄っている。これで大丈夫だったのだろうか?それとも今までのマイクロテレビと用途が変わったのか?(車載を考慮していないのかなど)

 現在の状態はラスターは出るが受信していない。まず分解掃除して回路を把握するまで時間がかかりそうだが状態を悪化させないように気をつけながら行います。電源とSPを繋いで再度電圧を上げてみる。

 

 

幸いに僅かに出画した。IFに入力しても反応がある。ところが少し基板を動かすと途切れてしまいあちこちを叩いて反応を見てみる。Trを揺すったら画像が途切れる、、、ここだ!

 

パターンが切れたのだろうかと裏返してみると、、なんだこの線は! 最初はグレーのジャンパー線に見えたが糸ハンダ。。ここからケースにアースを取ったわけではなさそうでそのほかでもハンダが結構荒れている。

 修理のためのチェックポイントを設けたが外し忘れたものがショートして不具合を引き起こしたらしくこれには呆れた。当時はちゃんと修理できたのだろうか?調べていくと使用Trも回路図と少し異なっていて本当に回路図は7-75かと思わせるほど。一番目立つ相違はFBT周りでX線遮断のカバーは無く空のソケットだけ。

 

ここには高圧整流管の1X2Bが収まるはずだがダイオードに置き換わっていてトランスに巻き付いていたであろうヒーター線も切ってある。7-75後期の製品でこれで本当にブラウン管を除くオールトランジスターになったのか?基板には懐かしいソニー坊やが描かれていて和ませる。回路図を参考に映像ドライブ段にビデオ信号を入れてみると不安定ながら出画する。VIFの信号をパターンを切って遮断し適当な電解コンデンサーを介して信号入力すると

 

まあ一応出力するようになった。これで意を強くしてコンデンサーの交換にかかった。グタグタの作業現場。先述したように基板は荒れていてパターンも変更されているし部品も交換されているようで回路図と一致しない。ジャンパー線やジャンパー抵抗も多く迂闊にも写真を撮り忘れていたので元の状態を見失ってしまってその解決に無駄な時間を費やした。パターンを解析すればいいのだがやはり面倒だし回路図と違うのは前の作業がいい加減だったのかロットの違いなのかよく分からない。いつもは2時間もあれば完了する作業が今日は終わらなかった。7-76の不具合の原因は電解コンデンサー以外だったのでそのあたりも気になる。そして高圧整流管からダイオードへの変更は修理時に改造されたらしいことがわかった。

ところが交換し終わって通電すると画面が以前より不安定になってしまった。コンデンサーの極性を間違ったかと確認するもわからない。しょうがないので回路図と照らし合わせてみる。問題は水平偏向部分のハンダ付けが荒れたあたりなのだがちょっと意味不明なところもあってこれは自分の作業ミスかどうかも自信がなくなってしまった。パターンを切ったり繋いだりしているところもある。考えていても解決しそうにないのでこれは回路図通りに戻す方が早いと考えて丸一日かけて作業した。

  

ついでにハンダの修正や引き出し線の整理も行った。これでようやく安定して出画されるようになった。2枚ある基板の1枚は偏向回路と映像出力回路でもう一枚はVIF,SIFと検波、音声出力回路基板になっている。こちらは不具合は滅多に生じないと判断されたのか修理は非常に困難な位置にある。引き出し線はチューナー、映像出力、電源2本と数本しかなくシールドケースに覆われていたり接着材で固定されているブラックボックス化していて故障の際にはユニットで交換したのかもしれない。取り外してメーカー修理で対応した可能性も考えられる。

 映像と音声入力の端子はコード引き出しにした。

  

 映像音声共に良好。マイクロテレビに日々接していると7inchが大きく見えてこれなら十分実用に耐える気がする。後継機種と思われる「MODEL 7-76」と並べてみた。

  

両者とも7inchなのだがブラウン管横の額縁の幅が広いためか背の低い7-76の方が大きく見える。両者とも足が可動でブラウン管面の角度を調節できる。折角なので出画の比較をしてみた。7-75は新設したAV入力、7-76はアンテナからのRF入力。

 

いきなり画像が歪んで慌てたがこれはFBTが近接してノイズが入ったためでdistanceをとって解決した。写真では分かりづらいが両者は思ったほど変わらない。AV入力が無い古いTVでもしっかり調整すればコンバーターを利用して結構楽しめると思います。私には高周波部分の修理調整技術はないので安易な対処になっている。

 

 写真で見た時は後発の7-76の方が7-75にくらべてスマートで格好良いと思っていたが改めて実物両者を並べてみると幅の狭い7-76のキュートさが際立つ。トールボーイだが幅、奥行きがコンパクトでなかなかのデザインだと再認識した。以前行った7-76の整備がスムーズだったので今回もそのつもりで甘く見ていたのだが回路図が入手できたにもかかわらずかなり難航して時間がかかってしまった(時間がかかるのは毎度だが)。多分回路図がなければ完了できなかったと思います。過去に修理や改造などがされている場合は次のメンテナンスをより難しくする。自分の作業が今後のメンテナンスの邪魔にならないよう改造を加えた場合は内容を添付するようにします。

 

 

 その2

 

 幸いにラスターは出るし外装の欠品はあるが全体的には荒れてない。早速分解してみる。

 

 基板の「ソニー坊や」は居なくなっていた。基板裏面は綺麗、高電圧整流管はちゃんと収まっていたがカバーが見当たらずもともと無いのかもしれない。中のホコリもさほど溜まっておらず掃除して再度組み立てた。こちらはAV入力は設けない事にします。

 適当なアンテナを入手して本体と接合した。最初はエポキシ系の接着剤で固定したがアンテナの伸縮は根元に結構な負荷がかかり失敗、ステンレス用のフラックス、ハンダを使って対応した。

 

  

 5inchテレビと比べてもなかなかの安定感で実用的で使い易かったと思う。美しいボディは存在感があるのに邪魔にならないサイズで正直SONYデザインを少々見くびっていたと反省。

 

 その3

 珍しく黒以外のソリッドステート77がやってきた。アンテナが折れているし画面は光らない。この機種のACコードは今までのSONYオリジナルではなく中継ACコードを差し込むような形態になっている。スピーカーからは受信しているらしい「ザー音」が聞こえる。早速開けてみるが

 

 この金属箱は高圧整流管やフライバックトランスが入っていてはじめてまともな個体を見ることができた。ネオン管も光ってないので水平発振しておらず高圧も出ていないらしい。さてどうしよう、、。

 

 掃除してからしばらくぶりに通電すると自然寛解したらしくちょっとだが画面が出現していてホッとした。ロッドアンテナは大抵は途中から先が破損している。適当なものを購入して手持ちの残骸と合わせて補修していたのだが今回入手の一番先の円板部がうまく外れずに軸が折れてしまった。大抵がネジを切ってあって着脱ができるのだが今回は接着されていたのかもしれない。代替品を探すと棚を固定するためのダボが目に留まり切って穴を開けて接着した(写真)この方法を使えば市販の2mmピアノ線を加工して代替できるかもしれない。

 

基板にはソニーボーヤがいる。ネオンランプが点灯している。2chからビデオ信号を入れるがかなり不鮮明で音声も不明瞭。調整が取れていない。もしくは部品の交換を進めた方が良いのかもしれない。

 

 


日立 FI-5000 について

2020-11-08 11:17:37 | テレビ

  1960年代のSONYのマイクロテレビは世界を席巻したと思うが国内他社も黙って見ていたわけではない。初期では三菱、日立が同様の製品を発表していたしその後ほぼすべての家電メーカーが小型テレビを発売した。

     日立版のマイクロテレビ「FI-5000」1964年

 半年ほど前に入手した日立 FI-5000は年表によると1964年発売なのだが資料を検索してもほとんど発見できなかった。(わずかに1965年1月刊 日立評論に紹介されている(冒頭の写真も)。この論文は家庭用、業務用の日立製品を紹介しているが内容は非常に多岐にわたっていて改めて日立製作所の歴史を感じる。)入手した古書「ポケット型折畳み式 TV配線図集(第10集)」にラッキーにも回路図が載っていた。

 

 それによると1965年7月から1966年5月までにテレビを生産していた日本のメーカーは15社で112機種(その他にもキットを発売していたメーカーもあるかもしれないが網羅されていない)。回路図を見るとほとんどが真空管方式で三洋電機、三菱電機、ナショナル、ビクターは加えてトランジスタ製品がありSONYはトランジスタテレビのみ。三洋電機は真空管式のカラーテレビを販売していた。歴史を調べると国産初のカラーテレビは1957年発売でこれはカラー本放送の3年前。白黒放送は1977年9月30日のNHK教育テレビ放送まで続きその後はすべてカラー放送となる。テレビの普及は1974年にカラーテレビが白黒テレビを初めて追い抜いたのだが1976年には96%となっている。にわかに信じられない速さだが当時のテレビに対する熱量が伝わって来る。ちなみに初めてのハイビジョンテレビは1990年に発表されたSONY製で36型、価格は2,300,000円と現在とは2桁違う。

 ポケット本の回路図は縮小されていて老眼の身にはちょっと辛い。巻頭には「これさえあれば何時でも安心して仕事に当面できます」とあり当時のテレビサービスマンのご苦労がうかがえる。FI-5000は入手時は不動だったがそのまま闇雲に電解コンデンサーの交換を行ったがやはり不動のまま現在に至る。今回回路図が入手できたので改めてメンテナンスを行うことになった。

      

 欠品のツマミはいずれ製作する予定。通電するとラスターは出るがチャンネル切替には反応は薄く受信はしていない様子で音声は出ない。高耐圧のコンデンサーの漏洩試験をするとフィルムコンデンサーは劣化しているようで同容量を注文した。

 

 パーツが揃うまでに電源のコンデンサーは未交換だったので交換しておく。

 

 コンデンサーは日本ケミコン製ですべてに日立のロゴが入っている。当時は納入先のロゴをサービスで入れていたのだろうか?現在小容量のケミコンは1個あたり数円で取引されていると思うが当時はいくらだったのだろう。基板は適当に部品間隔が空いていて部品面にはパーツ番号が記入されているが残念ながら不鮮明。またTP(テストポイント)の端子も出ていてメンテに配慮はされている。しかしパターン面が緑色の保護剤で覆われているのでパターンが判別しにくい。

 コンデンサーを交換したら電源電圧が上がらなくなった。極性を間違ったか?」とチェックするも問題なさそう。そのうち通電しなくなってしまった。外付けのACアダプター。トランスにもロゴが入っていて自社製造か。

 入手時にコンデンサーは交換している。本体とは4ピンコネクターで接続されるがこのコネクターの接触不良が見つかった。次にボリュームに付属している電源スイッチはACトランスの1次側とDC電源のON,OFFの2系統なのだがAC側の抵抗値が異常に高いという不具合が見つかった。

 分解してみるがこの部分はカシメを外さないと到達できず断念する。DC電源は使う予定はないので直結としてAC側を移動して対応した。これでも電圧が上がらない。再度チェックするとリップルフィルターの2SB368が不良になっていて代替品と交換した。以前は動作していたのでどこかで短絡したらしいが原因がわからないので基板を1枚ずつ装着しスライダックで慎重に電圧を上げていったがその他には不具合は見つからなかった。これでチェックポイントからビデオ信号を入力すると

幸いにも出画するようになった。次に音声出力がないことだがVRからSGで信号を入れながらオシロスコープで波形を見ると初段で途切れている。Trが逝ったかと思っていたが触っていると突然出音するようになった。基板のパターンをチェックするも原因を発見できない。

 

ハンダを外してみると足の半田付け不良とわかった。これは珍しいトラブルだが外力でTrがおされて抜けてしまったのかもしれない。VIFトランスに不具合がある関係でビデオ入力のみとして入力配線を行った。

    

 画面の上部がすこし歪んでいるがあまり気にならない。ツマミのコピーと共に次の課題として一旦終了とした。

 

 HITACHI FI-5000はどれくらい製造されたかはわからないが中古市場でも滅多に目にすることはない。シリアルナンバーをみるとこの個体は1966年製造で数百台目と思われる番号だった。SONYのマイクロテレビと比べても製造台数はかなり少なかったと思われる。冒頭にも書いたが当時は真空管テレビ全盛の時代でしかしメーカーとしては次世代のTrへの技術移行が求められた頃かと思う。そのための布石として各社Tr製品を小規模に作り始めた時期かもしれない。FI-5000の全体的な雰囲気は手作り感がありオートメーションでの大量生産といった感じがなく当時のTrラジオや小型のテープレコーダーと共通の雰囲気がある。板金の精度もSONYや三菱製品と比べても町工場的で資金の投入において随分と差があったように感じる。それは開発製造された方々には誠に失礼だが製品の完成度にも影響を与えていている。HITACHIの歴史的な製品という位置付けには重要な製品かと思います。

 

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 追記1

 かつてテレビの修理に携わっていた技術者の方と話す機会があった。安全面の話題でカラーテレビになってからはヒューズ抵抗などを多用して安全面に配慮した製品が現れたがそれまでは保安装置が貧弱で発火の危険があったとのこと。古い製品を開けてみると埃の海(山というより)ということが多くより危険が増していると思う。スイッチを入れたままで放置してはいけないとの事で肝に銘じたいと思います。