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9条安全保障論(連載第7回)

2016-08-05 | 〆9条安全保障論

Ⅳ 過渡的安保体制

一 9条の現在位置

 前回まで、9条が指し示す未来時間軸:未来的非武装世界と過去時間軸:非軍国主義体制という二つの時制に応じた規範内容を検討してきたが、最後に現在時間軸である。現在とは、未来と過去の双方にはさまれたサンドイッチのような時間軸であって、過去を未来へ橋渡しするつなぎの過渡的な時間軸である。本連載の「9条安全保障論」という表題の焦点はここにある。
 この点、9条=非武装平和主義という平面的な把握によりつつ、これを現在的な安全保障政策の障害物と決め付け、排除しようとするのが9条改憲論の常套的思考法であるが、「9条安全保障論」はこれに対抗して、「9条に基づく現在的安全保障論」を展開しようとするところに主眼があるのである。

 その前提として9条の現在位置を再確認しておく必要がある。繰り返しになるが、現在という時間軸は未来と過去の間に挟まれたサンドイッチである。このことを忘れて、平面的な「現実主義」に陥ると、9条排除論と合流することになる。従って、9条の現在位置は、過去の軍国主義を脱しながらも、非武装の未来世界が到来するまでの過渡的時間軸である。このことが、9条安全保障論の出発点となる。
 そこで、9条安全保障論に基づく具体的な施策を縷々列挙する前に、二つの命題を片付けておく必要がある。一つは軍国主義の復活阻止、もう一つは不断の軍縮努力である。

 軍国主義の清算自体はすでに戦後の占領下で終了しているが、その後の復活阻止については相当に疑わしい。元来、日本支配層の間では戦前軍国主義への反省が希薄で、ともすれば戦前の戦争政策は侵略ならず、自衛・解放の使命を帯びていた云々といった正当化の論理が根強く残り、9条に象徴される戦後憲法は戦勝者の押し付けであるとする被害的な受け止めと痛恨の感情が今日まで受け継がれてきている。
 そのため、戦後の歴代保守政権も軍国主義の復活阻止のために意識的な取り組みをしてきたとは言えず、ともすればむしろ栄光の軍国時代を懐古するような復古勢力を取り込みつつ、曖昧な態度を取り続けてきた。そういう延長上に9条を骨抜きにする「解釈改憲」の集団的安保法制や再軍備を明確にする改憲論が準備されている。
 その流れは必ずしも直接に軍国主義そのものを復活させようとするものではないとしても、その前提に軍国主義の復活阻止という軸が置かれていないため、曖昧にぐらついており、新たな形の軍国主義を生み出す危険は大である。
 そういう危険な道に踏み込まないためにも、9条安全保障論は軍国主義の復活阻止から出発する。具体的には、軍国主義における最大のマシンであった軍の復活阻止である。従って、9条安全保障論は再軍備論ではあり得ず、軍とは異なる組織による自衛を構想する。その点、戦後日本の国家武力として定着してきた自衛隊を基本に据えた安全保障論となるが、自衛隊の実質的な軍隊化を防止するための施策も含まれなければならない。

 第二の不断の軍縮努力についても、歴代保守政権は国際社会では核廃絶を理念的に訴えつつも、自らは日米同盟に基づく「核の傘」に収まり、自国の防衛費は増大の一途という自己矛盾を年々深めている。
 9条安全保障論においては、国際社会における軍縮のリーダーシップを発揮することも重要だが、それにとどまらず、自国の自衛力の縮小とそれを可能とする恒久平和へ向けての努力、そのための脱軍事同盟外交の展開が求められる。この点についてはより具体的詳細に検討する必要があるので、最後にもう一度立ち返ってみることにしたい。


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