BCLとベリカードの楽しみ

海外短波放送や国内放送を聴き、放送局からいただけるベリカードなどを紹介。近頃は、自分が楽しいと思える事柄も書いています。

台湾国際放送 ドイツ語テスト放送 ベリカード 

2020-08-31 | 海外局ベリカード
RTI「台湾国際放送」が、ドイツ語番組を淡水送信所からテスト放送すると言うので、7月に聴いていただいた、ベリカードです。

「RTIドイツ語スタッフ」の写真が使われています。



放送は、7月31日~8月2日までの金・土・日と、2・3・4週目の3日間、計12回にわたって、17:00 UTC~11600kHz、18:00 UTC~7250kHzの1時間番組でした。

7月31日、日本時間では8月1日の午前2時からを聴いてみましたが、受信状態は、そこそこで良好とは言えないものでした。ドイツ語はまったく理解できませんが、ちょうど、李登輝・第4代総統が30日に死去されましたので、ニュースはその項目で占められていました。

深夜ということで、眠気に勝てずに、30分だけの受信になりました。



(午前3時からの7250kHzも別の日に聴いてレポートしましたので、後日、ベリが送られて来るのでしょう)




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JR貨物・電気機関車 吹田機関区・EF200形など

2020-08-30 | エトセトラ
JR貨物の電気機関車の、「撮り鉄」その後です。

暑い毎日が続いていますので、線路を通る機関車をじっと見ることを止めにし、手っ取り早く行こうと、久しぶりに吹田機関区へ出かけてみました。

そこで撮った写真で、東門付近からです。



「EF64-1013」が待機していました。これは初見です。ツートン塗色の機関車で、この日のうちに、1両単独か、何かを牽引して回送になるのでしょう。



しばらくすると、隣にいた「EF65-2086」が、出発していきました。



その横に、代わって「EF210-103」が出てきました。EF64が動き出すのは、まだまだ先のようです。



ちょうど、ディーゼル機関車が入ってきました。「DE10-1743」で、付けられている「岡」のマークから、岡山機関区所属ということがわかりました。



この機関車は、車庫へ。「DE10-1561」と一緒に、車庫の定位置に入っていることが多いです。



「EF510-509」も止まっていました。雨による汚れがきれいに洗われていて、美しいシルバーの車体でした。



西門付近の留置線では、初めて「EF200-2」を見ました。



調べてみると、EF200形は2019年3月で運行を止めたそうで、なるほど、線路上で見たことがありません。



EF200は、EF65やEF66と置き換えるため、1990年に試作機(901)が、1992~1993年に量産機(1~21)が造られました。1,600tの貨物列車を120km/hで牽引出来る性能があり、東海道・山陽本線の長大列車に運用されましたが、沿線の変電設備がその性能に見合う整備が出来なかったことから、製造は21両に留まり、マニアの間では、「クジラ」の愛称で呼ばれたとのことです。

また、「EF200-2」は、2019年11月16日~24日まで「京都鉄道博物館」で、変圧器など大物運搬用貨車「シキ800形」と一緒に特別展示されていたそうです。それ以降は、どこに置かれていたのでしょうか。そして、今後は、廃車解体か静態保存かということになるのか、どうなのでしょうか。



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中国国際放送・日本語放送  Eベリカード

2020-08-29 | 海外局ベリカード
CRI「中国国際放送」の日本語放送を7月に聴いたベリが、メールで送られてきました。

「7月の大雨の後も正常に機能する、三峡ダム・放水時の様子」という、写真になっています。



三峡ダムは、長江(揚子江)中流域の、湖北省宜昌市にある大型重力式コンクリートダムで、洪水調節・発電・水運を目的に1993年に着工、2009年に完成しました。

今年7月、6月からの豪雨により、164 mの最高水位を超えたことで、180mの堤高を越水したり決壊するのでは、と心配されました。もし、決壊した場合は、武漢、南京、上海などの下流域の大都市にも大きな被害をもたらす、と言われています。



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8月下旬の花・実・虫

2020-08-28 | エトセトラ
8月下旬の、庭の花や実や虫の写真です。

まだまだ陽射しは暑いのですが、その中でがんばって咲いています。
「ムクゲ」や、「カンナ」です。



「バラ」も咲いているのですが、多くは、咲き終わっています。



雑草の、「オヒシバ」(雄日芝) です。



実では、「イチジク」や「スダチ」です。



「キンカン」です。実が大きくなっているのに、不思議に、花も咲いています。



「ナンテン」の実は、まだ青いです。



蝶は、「シジミチョウ」です。



「アゲハチョウ」も見かけました。しかし、草花ではなく、石ころだらけの土砂のところです。あちらこちらで、止まっています。水を吸っているのでしょうか。あまり湿っているとは思われない場所ですが。(運動に必要なナトリウムイオンを摂っていると、いう説も)



「アシナガバチ」です。



「シオカラトンボ」(塩辛蜻蛉) もいます。「オオバギボウシ」(大葉偽宝珠)のつぼみに止まっています。



「ムギワラトンボ」(麦藁蜻蛉)です。実は、シオカラトンボのメスで、その体色からムギワラトンボとも呼ばれています。



葉っぱや枯れ茎と間違えそうな、「バッタ」です。



「ショウリョウバッタ?」でしょうか

「ツチバッタ」(イボバッタ) です。どこにいるのか、わからない体色です。



コンクリートの上にもいます。かなり飛ぶことが出来て、プルーシートにも止まっていました。

秋の虫、「キリギリス」の仲間でしょうか。触角がすごく長いです。



「セミ」の姿は、見かけなくなりました。
夜になると、秋の虫の音が、聞こえてきます。





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プラハの風景写真  ヴィノフラディ旧駅舎とその周辺

2020-08-26 | エトセトラ
プラハに住む友人から送られてきた、「プラハの風景写真」で、「ヴィノフラディ (Vinohrady) 旧駅舎とその周辺」の写真を紹介します。

以前 (7月5日) にも、少し取り上げましたが、プラハ本駅から南側の ヴィノフラディ(英語で言えばVineyards=ワイン畑) 山の下を通る、「ヴィノフラディ・トンネル」を抜けたところにあったのが、「ヴィノフラディ旧駅舎」です。

1913年~1940年代に使われていた駅舎で、今は、民間企業の事務所やメガネ店などが入っています。
(手前の道路・ベオグラード (Bělehradská) 通りにトラムが開通したので、廃駅にしたのでしょうか)

道路側から見た建物です。屋根の中央部分に、鉄道マークが残されています。



線路敷地内から見た建物です。表からは見えない裏側なので、落書きだらけです。



旧駅舎の前の線路は、前 (8月7日) に取り上げた、ヴィシェフラド旧駅→ブルタバ川のヴィシェフラド鉄道橋→対岸のスミーホフ (Smichov) 駅へと続く路線です。



写真の列車は、「シティー・エレファント」と呼ばれている、471形2階建ての近郊車両です。



トンネルの出口は、4つあります。(プラハ本駅からの入口側は3つです)



左は1944年完成で、スミーホフ駅方面への複線。中央は1871年完成で、プラハ市南東のヴルショヴィツェ (Vršovice) 方面への複線。右が1989年完成で、南部 (南ボヘミア) のチェスケー・ブジェヨヴィツェ (České Budějovice) 方面で、トンネル中で1本ずつに分けられているようです。

この付近は、貨物列車が止まる、留置線になっているようです。



貨車には、「最高速度は65km/hまで」のような注意が書かれてあります。





旧駅に隣接するベオグラード通りに架かる、線路の高架橋です。トラムが走っています。 



別の小さな橋や橋脚壁は、落書きだらけです。日本と違って、チェコの人々は余り気にならないのでしょう。



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Radio Prague Int. ベリカード 

2020-08-25 | 海外局ベリカード
チェコの、「ラジオ・プラーグ・インターナショナル」の英語インターネット放送を、7月と8月に聴いていただいた、ベリカードです。

7月のは、チェコ第2の都市・ブルノの近くのコジャイ (Kojái) にある、「テレビ送信タワー」の写真になっています。



8月のは、東南部に位置するズリーン州のトポルナー (Topolná) にある、「送信所 (長波?) の電力ライン」の写真になっています。(無線操作センターと送信機マスト間のRF接続線)



あわせて、ブルタバ川に架かる、「カレル橋の夕景」の絵ハガキが同封されていました。




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8月24日は地蔵盆

2020-08-23 | エトセトラ
8月24日は地蔵盆。この地区では、広場の隅に祀られている子供の守り神とされる、お地蔵さん (地蔵菩薩) をお祭りする年行事日です。

毎年、この日には、広場の回りに提灯200ほどを飾りつけ、やってきた子供たちにお菓子を配ったりするほか、盆踊り大会や夜店を開いて、子供と一緒に大人も楽しむ日なのですが、今年はコロナの影響で、イベントは中止です。

そのため、今日23日、早々とお地蔵さんのところだけ、こぢんまりと飾り付けだけをしました。





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JR貨物・電気機関車の車体の記号

2020-08-21 | エトセトラ
37度の猛暑日が連日続いていますので、この時期の、「撮り鉄」はお休みです。

これまでに撮影したJR貨物・電気機関車の写真を見ていますと、ナンバープレートや所属機関区名のほかに、車体前部 (運転席) の下部には、いろいろな記号が書かれているのに気づきました。

EF65形では、「JR貨物」の銘板のほかに、「1」「SF」「PF」「換算9.5」とあります。



「1」は、車両の前側か後側かを表していて、後ろは「2」になっています。
「SF」「PF」は、ATS (自動列車停止装置)を表わしているようです。貨物列車用のATS車上装置があることを「PF」は表示、「SF」は、停止信号機の場所で列車が停止しない場合は、非常ブレーキがかかる装置があるのを表わすようです。
「換算」は、車両のおおよその重量を知る「換算両数」で、10トンにつき換算1 (両) とのことで、9.5なら95トンになります。
(PはPassenger、旅客(線)、FはFright、貨物(線)の略で、PFはどちらの線路も走行できることを表している? らしい。また、ナンバープレートの地色で、改造車かどうかがわかる、らしい)

EF210形です。



「2」「SF」「PF」「換算10.0」のほか、これは「2020-6 広島車」が書かれてあります。今年6月に広島車両所で全般検査を受けたことが表示されています。
その下には、「手歯止め」という、車輪とレールの間に噛ませる車止めが、常備されています。

EF510形です。「1」「PF」「SF」「Ps」「換算10.0」が書かれてあります。



この中の「Ps」は、最新のATS-Ps形(変周地上子組合せパターン型と言うようです。システムの詳細は知りません)が搭載されていることを、表わしているようです。

過去に発生した列車同士の衝突事故を教訓に、ATSが順次改良されてきていて、鉄道事故防止に役立っているのがわかります。

さて、プラハに住む友人から、チェコ鉄道の列車衝突の写真をいただきましたので、関連で載せました。ATSがあれば、このようなのは防げた事故なのでしょう。




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台湾国際放送 ベリカード 

2020-08-20 | 海外局ベリカード
RTI「台湾国際放送」の英語番組を7月に聴いていただいた、ベリカードです。

台湾銘菓シリーズで、「チャイニーズ・ベーグル」(鹹光餅) の写真が使われています。



台湾北部の、新北市の新莊というところの名物のようで、塩味の菓子パン・鹹光餅は、平安餅とも言うようです。食べることで、その人の安全が守られる、との言い伝えがあるようです。

RTIの英語放送も縮小されていて、昼間12:00の15320kHzはNHK Worldの混信があったりして、聴こえないことが多いです。

それで、深夜1:00からのを聴いてみました。送信はPaochung (褒忠) から、と思っていましたが、ベリによると、Tamsui (淡水) となっています。それなら、もうちょっと聴こえても良さそうと思ったりしますが、何せ日本向けではないので、仕方がありません。



カードは、8月受信用に記入されて、送られてきました。(まま、あることです)





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リーチ・ビヨンドHCJB日本語放送 ベリカード 

2020-08-19 | 海外局ベリカード
オーストラリアから、毎週土・日曜日の朝と夜に放送している、「リーチ・ビヨンド」(Reach Beyond) HCJB日本語放送を聴いていただいた、8月のベリカードです。

ベリの写真は、「山が燃える」というタイトルです。



米国アリゾナ州ツーサン市のビッグホーン渓谷で、落雷による山火事が発生。麓の住民に被害はなかったようです。被害の範囲の鳥瞰図や、尾崎さん宅から撮られた山火事の夜景も、載せられています。

久しぶりに、朝の放送を聴いてみました。たいへん良好でした。
そして、この日の夜の放送も聴いてみましたが、全く聴こえませんでした。これは、トラブルによる停波なのか、出していても (15565kHzの周波数は) 日本にまで飛んでこない伝播状況なのか、わかりませんでした。


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8月中旬の花・虫

2020-08-17 | エトセトラ
8月中旬の、庭の花や虫の写真です。

35度を超える暑い夏に咲いている花は、少ないです。
今は、「ムクゲ」です。



蝶はアゲハやシジミチョウ、蛾、トンボを見かけましたが、うまく撮れませんでした。

この時期いる虫です。
葉っぱや枯れ茎と間違えそうな、「バッタ」です。



「クマゼミ」です。そして、隣の垣根にいた、「クマバチ」です。





ところで、クマゼミやクマバチの「クマ」は、「大きいことや、強いこと」を表す、接頭語的に付けられていますが、なぜ、クマなのでしょうか。大きい、強いと言ったら、ゾウやトラでしょうが、昔の日本にいた最大獣が、クマだったから?  どうなのでしょう。




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プラハから東京へ

2020-08-16 | BCLアラカルト
「ラジオ・プラハ」の2003年発行のベリカード、「チェコの飛行機シリーズ」からの1枚です。

「レトフ (Letov) Š-16」の写真です。プラハのレトニャニに工場があった、レトフ社で造られました。



1920年代中頃になると、飛行機の性能がかなり上がってきました。Š-16は、長距離偵察用や攻撃用機として開発され、1926年11月に完成したそうです。



この飛行機を使って、チェコスロバキア・プラハから日本の東京までの、長距離飛行がなされました。(実際に使われたのは、ベリカードに写っている機体です)

(翌年、1927年5月には、チャールズ・リンドバーグが、スピリット・オブ・セントルイス号で、ニューヨーク・パリ間5,810kmを33時間29分で飛び、大西洋単独無着陸飛行に成功しました)



そんなことがあってか、同じ年 (昭和2年) の8月8日、午前9時、空軍パイロットのヤロスラブ・スカラ (Jaroslav Skála) (左側) と、整備士のマティ・タウファー (Matěj Taufer) が、プラハ ・クベリ飛行場から日本に向けて飛び立ちました。Š-16は優秀な飛行機だ、との世界に向けたPRを兼ねた理由もあったのかも。

当初の計画では、総飛行距離は11,200 km、8セクションに分け、1日の最短は約800 km~最長は約1,700 km (約9時間半) のフライトでした。Š-16の航続距離は1,045 kmほどでしたが、1,000ℓまで入るタンクを追加していたようです。

ただ、有視界での飛行は、天候や気流に左右されやすいし、当時はまだまだ、「フライング・マシーン」なので、不都合や故障の可能性が大で、パイロットだけでなく、ナビゲーター兼整備メカニックの同乗も必要でした。

モスクワ、オムスク、クラスノヤルスク、チタ、奉天、平壌、大邱、大阪などを経由して、9月4日に、東京 ・所沢飛行場までのフライトに成功しました。



(奉天飛行場での様子と、所沢飛行場に到着した時の写真(=所沢航空発祥記念館所蔵)です)



(日本に到着した2人は大歓迎を受け、(芸者さんを呼んでの宴会?) 当時の東郷平八郎・海軍大将から勲章を授与されました)



その後、9月12日には、プラハに向けて逆ルートで帰国の途につきましたが、途中のクラスノヤルスク付近でクラッシュ。2人は無事でしたが、破損した機体を放棄。尾翼の舵だけは、シベリア鉄道でプラハに運ばれ、現在は、クベリ (Kbely) 航空博物館に展示されています。



この飛行により、スカラ中佐は大佐に、タウファー整備士は、チェコスロバキア航空に勤務しました。



(富士山らしき山の上空を飛んでいる、Š-16の想像イラスト。実際の飛行は9月でしたので、積雪はないでしょう)

(ベリカード以外の画像は、ネットから取ってきたものです。また、別ブログ「ベリカードとBCLの楽しみ」(2018年7月17日) に書いた文章を補足して、大盛りにしたものです)




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ヴィシェフラド鉄道橋の悲劇・1919年

2020-08-15 | エトセトラ
今月8日のブログで、プラハ・ブルタバ川に架かる、「ヴィシェフラド (Vyšehrad) 鉄道橋」(通称名で、正式名称はないようです) の写真を載せましたが、写真を撮った友人が、この橋に関連した古い話を教えてくれましたので、取り上げてみました。


(現在ある橋は、1901年に完成したものです) 

その話は、1919年7月8日に起こった出来事です。
プラハのYMCAで働いていた、アメリカ人・ジェームズ B. マクレアリー (McCreary) 氏(23歳)は、この橋の下を飛行機で飛ぶことを、思いつきました。



彼は、イタリア人パイロットにこの挑戦を依頼。そして、快挙となる瞬間を撮影するために、自らと映画カメラマンら3人がボートに乗り込んで、川の真ん中へ。



午前8時半頃、パイロットはうまく橋をクリアーしましたが、機体は上昇出来ずにそのまま川に。ちょうどそこにいた、彼らのボートに激突しました。マクレアリー氏は死亡し、他の2人とパイロットは軽傷で済んだそうです。



川の土手から撮影された、2台目のカメラの映像があります。

(橋のクリアーで止めたので、事故瞬間の場面は撮影されていません。その後は、彼の葬儀の様子を含めた約5分間の無声映画が残っています。彼のアイデアに賛同し、協力した多くの人がいたことがわかります)

https://www.youtube.com/watch?v=zxs20KJ-vGU

ところで、この頃の飛行機は、どんなのだったでしょうか。
「ラジオ・プラハ」の、2013年のベリカードが、「チェコの飛行機シリーズ」でした。その中からです。

1919年4月に初飛行に成功した、「ボヘミア (Bohemia) B-5」の写真です。



第1次世界大戦直後に、初めてチェコスロバキアで設計・製造され、1基のエンジンを積んだ、2人乗りの複葉機です。(橋の飛行には、この型の飛行機が使われたのではないような感じがします)

次回、「チェコの飛行機シリーズ」から、もう1枚のベリによる、別の「素晴らしきヒコーキ野郎」のお話を、書いてみることにします。



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ブログ記事について

2020-08-14 | エトセトラ
いつも、ブログを見ていただき、ありがとうございます。

多くのお店が、お盆のため、お休みです。それで、このブログも昨日はお休みに… ではなく、書くネタが無くなりました。(これまでも、まったくない時はパスしています)

今日も書くネタがなく、何か適当なのはないか… 
ないなぁ…ということで、このブログをネタにして、書くことにしました。

記事は、前日か、当日に書いています。2-3回に分けて載せたい時は、もう少し前から大筋をまとめ、分けて置いています。記事にあわせる写真も、同じように選択して準備しています。

大雑把に、思い浮かんだ文章をそのまま書き上げていますので、アップ前に言い回しを考え、文章を整え、仕上げます。言葉の使い方が適切なのか、そのほか、誤字など内容をチェックし、良ければOK。アップとなります。

この頃は、長い文章が多くなり、あれやこれやチェック個所が増えました。とくに、地名や人名の表記、その地名の場所、出来事なら起きた年などですが、ネットで調べると違った答えが出てきて、どれが正しいのか、迷ってしまうことがあります。

そして、記事にした後でも、翌日やその後に読み返し、あいまいで気になるところや、間違って思っていたことがあれば、ちょっと文章を足したりして、修正しています。写真も入れ替えたり、追加したりすることがあります。

ですので、アップしてすぐより、2-3日ぐらいたってから、読んでいただくのがベターかな、と思っています。ご理解のほどお願いします。




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デジカメが故障 ?

2020-08-12 | エトセトラ
昨日のことです。デジカメが故障 ?

庭の花や虫の画像をパソコンに取り込んだ後、SDカード内のデータを消去しました。出来るだけカード内に溜め込みたくないので、そうすることが多いのです。

次に、SDカードを入れ直して、撮影しようとしたら、「データを保存する必要があります」のようなアラーム表示が出て、? … まあいいかと、OKすると、「時間がかかります」のが出て、そのままに。 『あまりにも時間がかかり過ぎやろ』と裏蓋を空けて、SDカードを出し入れ。そんなことを繰り返していたら、次にスイッチを入れたら、「電源スイッチを入れてください」の表示に。『入れているやろ』です。(このアラームは矛盾しています。電源を入れているから表示されるのであって、切れば表示されないだけです)

どうも、モニター下には正常な画面は出ている感じなのですが、その上に重なるようにあるアラーム画面は消えず、これの繰り返しに。バッテリーかなと少し、動かしてみるも、同様の状態に。(フル充電から多くても100枚ぐらいしか撮っていないし)

デジカメはこれ1台しかなく、たちまち困るので、さっそく量販店に持っていきました。

タイガースのユニフォームを着た、詳しそうな店員さんに診てもらうと、「バッテリーが問題だろう」との診断。一見での、すごい神通力。(ただ、2年半ほどでダメになるものなのか) 店員さんは裏蓋からすべてを取り出し、あれこれ点検。その後、挿入してスイッチを入れてみると、何もなかったように正常に。原因は不明で、どうも何かの接触だったのでは、で一安心。思ったのは、カメラはもはや機械ではなく、電子機器になっていました。

今回、デジカメも、いろいろなアラーム表示が出ることがわかりましたが、それぞれに対処する方法は良くわからず、そんな時は、取り出してバラバラにし、再度挿入する、でしょうか。



(ちなみに、画像はドイチェ・ヴェレからいただいた、長く使っているマウスパッドの上でスマホで撮ったものです)




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