内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

今必要なのは偽善的な「教育の継続性」ではなく、世界の新しい見方である ― K先生の『虚空咆哮録』(発禁)より

2020-03-27 19:42:59 | 講義の余白から

 昨日は私個人としては反省の一日でした。が、そんなことはどうでもよろしい。新型コロナウイルス感染爆発による危機的状況はさらに悪化し続けています。フランスでは火曜日に16歳の少女が亡くなりました。若い子たちは重症化しないから大丈夫などと能天気なことはもう言えなくなりました。
 そんな状況ですから、あまりおめでたい話はできません。というか、ありません、そんな話。
 でも、私は、こんな状況だからこそ、「守り」に入るのではなく、「攻め」に出るべきだと考えました。と言うといくらなんでも大げさですが(いつものことです、私の場合、どうかお許しを)、大学教員として自分が直接関わっている学生たちのためにいくらかでも心の支えになるにはどうしたらいいだろうかと考えました。
 正直、こんなときに「教育の継続性 continuité pédagogique」とか嘯いている場合かよ、と思います。学生たちに対して「大丈夫ですよ。授業および教育的サポートは何があっても継続されます」とか大学当局は繰り返していますが、それは嘘ではないにしても、はっきり言って、そんな言説が今ほんとうに大事なのかよと疑問に思います。言うまでもないと思いますが、個々の教員たちの献身的な努力にケチをつけるためにこんなことを言っているのではありません。まったく逆です。
 ただ、今の彼らに必要なのは、「継続性」ではなく、「新しい世界の見方」だと私は考えます。いまだかつて経験したことがないような現在の状況だからこそ、「大丈夫、これまで通り世界は続くよ」ではなく、今までの見方を本気で変えなくてはいけないのではないのだろうか、と学生たちに問いかけるべきだと私は考えています。なぜなら世界の未来を担うのは彼らなのですから。
 私は授業を通じてそういう課題を出すことにしました。そうしたら、これは本当に嬉しいことなのですが、彼らが「乗ってきた」のです。どう彼らが乗って来たかって? それは明日のお楽しみ。