内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

またしても帰国を諦めるが、「禍福無門、唯人所招」

2021-11-30 23:59:59 | 雑感

 この年末年始には二年ぶりに一時帰国するつもりでいた。しかし、日本政府の昨日の決定を聞いて、諦めることにした。これで夏・冬それぞれ二回続けて帰国を断念したことになる。
 帰ろうと思えば帰れないわけではない。しかし、冬休みはせいぜい三週間しか滞在できない。そのうちの最初の三日を指定宿泊施設に事実上「監禁」され、入国日から起算して十四日間自主隔離が義務とあっては、なんのために帰るのかわからない。
 幸い、是が非でも帰国しなければならないような理由もない。だったら無理をすることもない。それに、少なくとも今月いっぱいは外国人の入国は原則全面的に禁止されるのだから、航空各社、日本行きの便を大幅に減便するであろう。
 状況が好転し、せめて数週間は日本で自由に行動できるようになるまで待とう。それがいつのことになるのか皆目見当もつかない。が、気を揉んでも仕方がない。
 というわけで、この冬休みは、いや、この冬休みも、ストラスブールにとどまり、我が家で暖かくして読書三昧に耽けることにした。読みたい本には事欠かない。来年の学会発表のために読んでおきたい文献もある。「轉禍爲福」とまで言えば言い過ぎだが、「禍福無門、唯人所招」(「災難と幸福とは、みな人の心がけによって生じるものであって、それがやってくるのに決まった入り口はない」〔春秋左氏伝・襄公二十三年〕『角川 新字源』改訂新版)とは言えるのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本への留学の希望を絶たれた学生からの悲痛なメッセージ

2021-11-29 23:59:59 | 雑感

 日本の入国規制が再度強化され、12月1日から外国人の入国は原則すべて禁止された。後期には日本へ留学できることに一縷の望みを託しつつ、この前期は日本の受け入れ大学の遠隔授業を受け続けた学生の一人から、今日昼過ぎ、同様な状況にある学生を代表して、彼女・彼らたち悲痛な叫びを伝えるかなり長いメールが届いた。およそ以下のような内容である。

 自分たちはこの前期、日本の大学の遠隔授業を受け続けましたが、その授業はこちらの時間の真夜中に行われ、結果、生活は昼夜転倒し、慢性的な睡眠不足と倦怠感に悩まされ、先が見えない不安感に苛まれ続けました。「遠隔留学」を続けていったいなんになるのかと自問することも一再ならずありました。それでも状況が好転し、後期だけでも留学できるというわずかな望みが心の支えでした。ところが今日の日本政府の発表で、もう心が折れてしまいました。
 自分たちが日本の大学への留学生として選抜されるために重ねてきた努力はなんだったのだろうか。その当の国から、まるで「ウイルス拡散者」のようにみなされ、一切入国を拒否されるということに深く傷つかざるを得ません。文科省の奨学生だけは入国を認められるのはなぜなのでしょうか。どうしてこのような差別を受けなくてはならないのでしょうか。
 残された学生生活最後の半年をこれからどうやって乗り切ればいいのか、わかりません。今はショックで何も手につきません。
 先生にこんな窮状を訴えてもどうしようもないこともわかっています。でも、どうしても書かずにはいられませんでした。
 佳き一日をお過ごしください。

 留学に備えて学生たちが重ねてきた準備と留学生として選抜されたときの彼女・彼らの喜びを知っているだけに、このメールには心を傷めずにはいられなかった。
 留学は諦めざるを得ないとして、当該の学生たちがストラスブールで後期の単位をすべて取得し無事卒業できるようにあらゆる措置を取るべく、今、学科指導部で話し合っているところである。私も日本への留学生担当責任者としてそれに関与している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パリの独り歩きのおかげでウォーキングの効用に気づく ― 歩くという快楽

2021-11-28 20:06:50 | 雑感

 昨日パリからストラスブールに戻って自宅に帰着したのは午後9時過ぎだった。すぐに体組成計に乗ってみた。体感からも予想できたのだが、BMIは21,2 と最近の数値としてはやや高めだったが、体脂肪率は12,1 まで下がっていた。この数値の変化が意味するのは、以下のようなことではないかと考えた。素人の下手な考えに過ぎないかも知れないが。
 昨日一日で、ストラスブール駅についてから自宅に帰り着くまでの間に歩いた分も含めると20キロ近く歩いて、800キロカロリーほどのカロリー消費があった。普段も毎日同程度のカロリー消費はあるが、それはジョギングによるものであり、毎回相当に汗をかく。この発汗によって筋肉中の水分がかなり失われる。結果として、運動直後に計測すると、BMIは20,5 前後なのに、体脂肪率は14%台のことが多い。つまり、骨格筋率が下がってしまうために、体脂肪率はほとんど下がらないのである。ところが、昨日は、汗はほとんどかかずに、カロリー消費だけは普段のジョギングによる消費とほぼ同等だったから、発汗によって筋肉量を減少させることなしに、脂肪を燃焼させることができたのだと思う。その結果として、体脂肪率がこれまでで一番低い数値まで下がった。
 今日は午前中にジョギングで11キロ走った。その後、一時間半風呂に浸かり、その後少し時間をおいてから体組成計で計測した。BMIは20,5だったが、体脂肪率が個人計測史上最も低い11,9まで下がった。脚部の皮下脂肪率もはじめて10%を切った。
 午後、クリスマスのマルシェが始まった街の中心部まで徒歩と路面電車を使って出かけた。体が弾むように軽く感じられる。歩くことが快楽だと言ってもいいくらい。この感覚を与えてくれる数値を維持するには、上記の素人考えから、ジョギングだけよりも時々ウォーキングを交えたほうがいいのかも知れない、と思った次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小雨降るパリのノスタルジックでセンチメンタルな独り歩き

2021-11-27 23:59:59 | 雑感

 18時43分発の TGV でストラスブールに帰るまでの今日の日中、久しぶりにパリで過ごした。朝、ホテルの窓から空を見上げると、生憎、今にも雨が降り出しそうな曇天。天気予報でも日中は小雨。それでも、ホテルを10時前にチェックアウトし、一日パリを散歩することにした。
 散歩といっても、有名な観光地を見て回るのではなく、2006年から2014年までの8年間暮らした13区のアパートの辺りと当時よく利用した店や散歩した場所を見て回るのが中心だった。ノスタルジックな気分に浸りながらのかなりセンチメンタルな独り歩きである。
 パリ在住中に数百回通ったパリ市営プールは投宿先のホテルから徒歩数分のところにある。リセ・アンリ四世校の裏手に当たる。そのプールの入り口に立ったとき、当時の想い出が一気に蘇ってきて、ちょっとウルッとしてしまった。住んでいたアパートにはプールから徒歩十二、三分かかる。その道を歩いた。こんなにも距離があり、こんなにもいろいろな建物があったかと、驚いた。当時は毎朝のように通っていた道で建物にはあまり注意していなかったからだろう。
 住んでいたアパートがあるスクエアの前に立ったときは、ちょっとほんとうに「やばかった」。感極まってしまった。よく利用した近所のお店はどうなっているだろうと歩き回った。以前と変わらずに営業しているパン屋さんやカフェやワイン屋さんもあれば、所有者が変わって店構えもすっかり変わっているレストランもあった。服の仕立て直しやちょっとした直しを時々頼んでいた二畳ほどの広さの小さな仕立て直し屋さんのお店は健在だった。ベトナム人のマダムがいつものようにひとりで仕事をしているのが外から見える。扉を開けて「覚えていますか」と声を掛けたくなったが、やめた。「どうぞお元気で」とつぶやいて通り過ぎた。
 あちこち歩き回ってさすがに疲れた。雨脚も少し強くなってきた。ルーブル地下のショッピングモールで休憩した。三十分ほどして外に出た。雨は相変わらず。もう長時間歩く気にはなれなかったが、午前中にジベール・ジョゼフで買うのを迷った一冊を別の本屋で買うためにカルティエ・ラタンに戻った。買ったのは、Eugène MinkowskiVers une cosmologie (Éditions des compagnons d’humanité, coll. « Bibliothèque de l’existence », 2021) である。旧版は持っているのだが、この新版には Renaud Barbaras による百頁を超えるミンコフスキーのコスモロジーについての研究論文が巻末に付されており、これを読むために買った。
 夕方には、TGV の発車時刻にはまだ間があったが、ピラミッド駅からメトロ七番線で東駅に移動した。徒歩数分のサン・マルタン運河沿いを少し歩いたあとは、駅のすぐ脇のカフェ・バーで、宵闇迫る駅前を行き交う人たちをぼんやりと眺めながらワインを飲んで発車時刻を待った。
 合計18キロ以上歩き回って疲れているのに(いや、だからこそか)、ワインを飲みすぎたせいだろう、TGVの中ではずっと爆睡していた。目が覚めたのは、ストラスブールまでもう数分のところでだった。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パリ・ナンテール大学第三回日本哲学シンポジウム第二日目

2021-11-26 23:59:59 | 哲学

 第二日目は、遠隔発表が二つと会場での発表が五つ。昨日に比べると、会場も遠隔もやや参加者が少なく、質疑応答も昨日ほどの盛り上がりには欠けたが、発表そのものはそれぞれになかなかに興味深かった。全体として、今回のシンポジウムはテーマ設定が功を奏したと、自画自賛めくが、言ってよいのではないかと思う。主催者側に一応名を連ねた側としては、無事終えられたことにまずは安堵している。
 発表や質疑応答の中にこれからさらに発展させるべきテーマ、或いはより掘り下げるべき問題も次から次へと出てきて、あらたなシンポジウムを企画するにはアイデアに事欠かない。研究のさらなる展開を望むという一言を閉会の辞として述べた。
 開会プレゼンテーションから閉会の辞まで、二日間の発表と質疑応答はすべて録画されており、後日 YouTube で公開される予定である。
 散会後、パリ市内へと向かう帰路を同じくする数名の参加者と電車の中で歓談する。技術的な故障でダイヤが乱れ、かつ金曜夕刻ということもあり、途中のどの駅でもホームに人が溢れていた。シャトレー・レ・アール駅で他線に乗り換える他の参加者たちと別れ、私はそこで地上に出て、小雨降る夕暮れ時のパリの街中を久しぶりにゆっくりと歩いた。
 パリ近郊在住の友人から、コロナ禍でパリも変わったと聞いた。観光客が集まる地区への打撃は大きく、閉店に追い込まれた店も少なくないという。確かに、シャトレーからノートルダム大聖堂の近くを通り、サン・ミッシェル大通りを歩いていると、金曜夜の人出の多さとグラフィティに覆われたシャッターが降りている店の多さとのコントラストが、カルティエ・ラタンにかつて見たことのない陰影を織り成していた。

 すでにツイッターとフェイスブックには「宣伝」をアップしてあることなのだが、この記事でも、岩波書店の『思想』12月号「追悼 ジャン=リュック・ナンシー」に寄稿した追悼文「ナンシー先生の想い出、そしてその哲学についての断片的覚書」のことに一言触れておきたい。その内容の半分以上はこのブログで折に触れて先生について書いた文章と重なるが、あらたに触れた話もある。先生への感謝の気持をこのように追悼文として発表する機会を恵まれたことを本当にありがたいことだと思っている。書店あるいは図書館などでお手にとって見ていただけると嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パリ・ナンテール大学第三回日本哲学シンポジウム第一日目

2021-11-25 23:59:59 | 哲学

 37分発のTGVでパリに向かう。TGVに乗るのは第一回目の外出禁止令発令の前月昨年2月末以来一年9ヵ月ぶりのこと。同車両内の乗客は7割程度か。私の隣の席は空席のままだった。定刻ピッタリの8時35分、東駅に到着。メトロ7番線でオペラまで移動。RERのA線に乗り換えるためAuber まで地下通路を歩く。2014年6月までパリに8年間住んでいたとき、通勤に利用していたのこのA線だ。当時は新しい車両への移行の途中で、まだ老朽化した車両と半々くらいだった。今はすっかり新車両に入れ替わっているようだ。きれいではあるが、混雑は相変わらず。パリ・ナンテール大学駅で下車。駅を出れば、目の前がキャンパスだ。
 今回のシンポジウム(プログラムはこちら)は、パリ・ナンテール大学哲学部で開催される日本哲学をテーマとしたシンポジウムの第三回目である。2018年、2019年と連続して行われ、2020年も開催が予定されていたが、コロナ禍で延期となり、ようやく今回の開催となった。私も一応主催者の一人に名を連ねてはいるが、実質的にはパリ・ナンテール大学哲学部のティエリー・オケ教授がほとんどひとりで準備してくださった。
 今回は日本からの参加者は遠隔での参加となった。発表者は二日間で14人だが、そのうちの5人はテレビ会議方式での発表である。コロナ禍が落ち着きを見せてから、このようなハイブリッド方式が増えたが、それだけ準備する側には手数が掛かる。現地参加できない発表者にも発表してもらえるという利点は確かにあるが、同じ「場」を共有しているという感覚は得にくいという難点がある。
 今日は、オケ教授による開会プレゼンテーションを含めて7人が発表した。発表そのものもそれぞれに興味深かったが、発表後の質疑応答が活発で、全体として充実した一日だったと言っていいと思う。
 私はオケ教授から頼まれて今日の司会進行役を勤め、最後に発表した。発表そのものもうまくいったが、発表後の反応も活発で、それを通じて私自身考え直すべき点もはっきりさせることができて嬉しく思った。
 シンポジウムの後、パリのカルティエ・ラタンの中心部に位置する Le Bar du Bouillon で参加者たちと会食。十時頃お開きとなる。投宿先のホテルは、そのレストランから徒歩3分のソルボンヌ広場のすぐ近く、パリ・ソルボンヌ大学の真向かいにある Hôtel Cluny Sorbonne という至便のロケーション。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「対馬の人」の「愧死」について

2021-11-24 14:23:24 | 読游摘録

 修士の学生の一人に修論のテーマとして、近世日本の日朝外交史に対馬藩が果たした役割を勧めたのは、もう三年近く前のことになる。勧められた本人自身当初からこのテーマに大変興味を持ち、以来よく研究を続け、来年春には修論提出、遅くとも六月中には口頭試問を終えられそうなところまで来ている。
 このテーマを勧めたのは、私自身それにとても関心があるからだった。古代から近代までつねに朝鮮半島との最も近い接点であり、地政学的には大陸に対して国家の最前線に位置し、地理的には日本列島の周縁に位置し、島の地表のほぼ九割は山々からなるというきわめて特徴的な自然環境は、対馬をとても魅力的な学際的研究対象にしている。
 指導教官とはいえ、こちらも対馬についてはまったくの素人であったから、学生と一緒に勉強してきた。それどころか学生から教えられることも少なからずあった。対馬に触れている本が自ずと目に入るようにもなった。宮本常一の『忘れられた日本人』はその中でも大切な一冊だ。対馬研究は宮本自身にとっても最重要な研究テーマの一つだった。
 研究書ではないが、司馬遼太郎の『街道をゆく 13 壱岐・対馬の道』(初出『週刊朝日』1978年2月3日号~8月25日号、 単行本 朝日新聞社刊 1981年)も、私にとってはとても印象深い一冊だ。冒頭の文章「対馬の人」は、司馬が復員後に記者として最初に勤めた京都の小さな新興紙で同僚として出会った対馬出身の友人Aの姿を雄勁簡潔な筆致で活写している。その中で言及されているAの言葉は、一度読んだら忘れられないほど深く私の心に刻印された。司馬はその友人Aをこう評している。

ともかくAの壮んな――しかし内容不明の――志からすれば新聞記者は陋巷に窮死すべきものであった。いやしくも市民的幸福を望む者は愧死すべきだということが、牢固としてあった。かつて明治初年、新聞記者が同時に自由民権運動の闘志であったように、そのころの残映が対馬あたりに残っていたのか、それとも釜山日報の隅にそういう老記者がいて若いころのかれの心を悲壮な色に染め上げてしまったのか、そのあたりのことはよくわからない。

 引用文中に出てくる「愧死」とは、『日本国語大辞典』によれば、「恥ずかしさの余り死ぬこと。また、死ぬほど恥ずかしく思うこと。」厚顔無恥な政治家たちが大手を振って歩き、彼らを忖度することと自己検閲に忙しいマスメディアが幅を利かせる現代日本社会でこの語がほぼ死語と化しているのは偶然ではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『深夜食堂』を讃えて

2021-11-23 23:59:59 | 雑感

 ネットフリックス、アマゾンプライム、GYAO ! などで映画やドラマを毎日のように観ている。映画は二時間ほど拘束される(別に義務ではありませんが)から、比較的暇なときにしか観ないが、一話25分から45分程度のドラマは、一日一話、ほとんど毎日観ている。現在放映中のドラマ、あるいはここ数年間で評価が高かった作品から選ぶことが多い。
 といっても、食指を動かされる作品は限られる。夕食時に観ることが多いから、暴力的なシーンや死体がアップにされる作品、流血シーンがあるものは避ける。その他の基準に照らして自分の嗜好に合うものを探していると、選択肢がどんどん狭まってしまう。好きな役者が出ていても、つまらないものはつまらない。それに、自分でも驚くことがあるのは、かつては面白がって観た作品なのに、今はまったく再び観る気がしなくなっている作品もあることである。そんなふうにあれこれ迷っていると、その日見たい作品がなかなか見つからず、探すのに疲れて、観るのをやめてしまうこともある。
 他方、何度も読み返す愛読書のように繰り返し鑑賞する作品もある。私にとってのそんな作品の代表が『深夜食堂』である。ネットフリックスで五十話全部観ることができる。どの話もすでに少なくとも三、四回は観ている。一話25分程度だが、どの話にもそれぞれに味わいがある。何か懐かしい場所に帰りたい気分のときに観ることが多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


研究発表の際の質疑応答の練習としての「シャドーボクシング」

2021-11-22 23:59:59 | 雑感

 シャドーボクシングとは、『デジタル大辞泉』によると、「ボクシングの練習法で、相手がいるものと想定して攻撃や防御をひとりで練習すること」である。スポーツとしてのボクシングには縁がないが、研究発表を準備する段階で私が行っている練習は、「頭脳で行うシャドーボクシング」と呼べるかもしれないとふと思った。
 発表そのものは与えられた時間内に一方的に行うものだが、その後の質疑応答は、場合によっては、攻撃と防御とからなる「格闘技」の様相を呈することがある。だから、そのときに備えてひとりで行う練習はどこかシャドーボクシングに似ていると思うのである。
 相手の出方に対してどう答えるか、考えられるかぎりのケースを想定して、攻撃あるいは防御の仕方を考える。これが結構楽しい。質問という名の攻撃(別に質問者がアグレッシブだというわけではありませんよ)に対して、どう受けて立つかを考えていると、思いもよらずいいアイデアが浮かんでくることがあり、「そうか、こういう展開もありうるのか」と気づかされ、そこから思考が想定外の方向に発展していくこともある。実際の「試合」において、そのような発展練習の成果として、より柔軟な対応が瞬時にできるようになる。
 ただ、調子乗って一方向にのめりこんでしまうと、ガードが下がってしまったり、パンチの精度が落ちたりして、隙ができる。だから、特に防御の基本練習は繰り返し行う。
 とはいえ、それで万全というわけではない。実際には、意想外の「パンチ」を見舞われて劣勢に立たされることもあるし、最悪、「ノックアウト」ということもありうる。それはそれ、現実は厳しいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界を違ったまなざしで見る方法として日本語を自覚的に運用する

2021-11-21 21:39:18 | 哲学

 木曜日の発表の準備は、思っていたより早く、今日の昼過ぎに済んだ。というよりも、済まさざるを得なかった。発表しようと思っていたことの半分で時間切れになることがわかったからである。昨日の記事の末尾で言及した「生物の世界の観察から導き出されたユニークな生命観」とは、今西錦司のそれのことなのだが、たとえちょっと触れるだけにしても時間が足りない。それならいっそ一切言及しないほうがいい。別の機会に譲ることにする。同じく昨日の記事で言及した「日本語について日本語によって固有の術語を用いて表現された言語思想」とは、時枝誠記の言語過程説のことなのだが、こちらだけで三十分は優にかかる。多分、足りないくらいだ。今回のシンポジウムの主旨には時枝の話だけでも十分に叶っていると思う。
 というわけで、今日の午後は書誌的な確認作業に充てた。その書誌的な情報は発表には盛り込まない。当日、万が一質問を受けたら答えるための備えである。発表では、時枝の主体概念については『国語学言論』から多く引用し、そのためのスライドも出来上がっているが、主語ついての時枝の考えに関しては、『日本文法 口語篇・文語篇』(講談社学術文庫 2020年)からの引用もPDFで用意した。例えば、口語篇の次の箇所(第三章 文論 六 文の成分と格)には時枝の考えが簡潔明瞭に示されている。

 国語に於いては、主語は述語に対立するものではなくて、述語の中から抽出されるものであるといふことである。国語の特性として、主語の省略といふことが云はれるが、[…]主語は述語の中に含まれたものとして表現されてゐると考へる方が適切である。必要に応じて、述語の中から主語を抽出して表現するのである。それは述語の表現を、更に詳細に、更に的確にする意図から生まれたものと見るべきである。主語を述語に含めるところにも、それなくしても自明である場合、主語を取出すことが憚られる場合等があるためである。
 述語に対する主語の関係を以上のやうに見て来るならば、主語は、後に述べる述語の連用修飾語とは本質的に相違がないものであることが気付かれるであらう。

 この箇所を読めば、昨日の記事で引用したニーチェの「違ったまなざし」が、日本語の運用において自ずと実現されていることがわかるだろう。そのことを自覚へともたらし、運用を方法的に展開し、「世界の見方を学び直すこと rapprendre à voir le monde」(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』)、それが哲学の仕事である。