内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ありのままの自己を以て勝負をするということ

2021-02-28 15:58:12 | 読游摘録

 『武士道』において相良亨が原典資料から切り出してくる武士の姿は名工の手になる彫像のように凛然としている。それは実際にそのような武士たちがいたということを史料に基づいて論証するためというよりも、かくありたき人倫の形として描き出される。そう描き出すことを通じて、常に自己のあり方が問われている。このような態度で貫かれた思想史研究書はきわめて稀である。
 第一章「ありのまま」から一節だけ引用する。他に引きたいところがないのではなく、二つ三つと続けるときりがなくなりそうだから、あえて一箇所だけにする。

将たる者はあなどられているのではあるまいかという意識、あなどられまいとする意識をつきぬけて、ありのままの自己を以て、内の者の前に立つべきなのである。勿論それは気儘に地金のままにという意味ではない。ありのままとは、いわば一つの境地であり、きびしく自己をみがきあげる努力をふまえてはじめてありのままたりうる。人の前を飾り偽ることなく、ひたすら自己自身をきびしくみがき上げつつ、そのありのままの自己を以て勝負をするというのが、ありのままをよしとした戦国武将の姿勢である。(38‐39頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


〈武士的なるもの〉と向き合うことを通じて日本の近代化と己を問い直す

2021-02-27 20:33:57 | 読游摘録

 相良亨は『武士道』の「まえがき」で、「私が本書で試みるのは、「侍」「古武士の風格」「武士的精神」などという表現が指し示しているもの、いいかえれば武士の道徳的気質とも呼ばれるところのものの私なりの解明である」と述べている。つまり、武士たちの現実の生き方とそこに示された倫理的な原則を原典資料から引き出し、それらをそのまま記述することをその目的とはしていない。
 武士の主従のモラル自体には興味を感じないと相良は言明している。それは今日において否定さるべきものだからである。では、それでも武士を問題にするのはなぜか。それは、封建的な主従関係が崩潰しても、受け継がれうるものとしての道徳気質があると考えるからであり、「武士を通して日本人の内面に沈殿したもの」を捉えるためである。この意味での武士気質は過去の遺物ではない。相良自身が「郷愁に似たもの」を感じるものである。
 たとえば、「いいわけをいわぬ」という態度を立派な態度だと相良は言う。しかし、そこに惹かれるものがある以上、その態度は武士の精神構造の全体の中にどのように位置づけられていたのかが問題にされなくてはならない。なぜなら、それを問わずにごく一部だけを見て、それを称賛する「安易なる郷愁」は、武士本来の道徳気質を歪曲することになるだけでなく、無批判な自己肯定に結びつかないともかぎらず、過去に対する態度として甚だ危険だからだ。武士階級の歴史的な実相をつぶさに見れば、肯定し難い面もあり、「郷愁を感ずるが落ち着けない」と相良は率直に認める。「自分のなかに武士につながるものがあることを感ずるが故にそれだけ、私は武士をみすえ、対決しなければならない」と思想史家としての相良は感ずる。
 つまり、相良にとって、武士とはなにかと問うことは、己を問うことにほかならなかった。武士のあり方に郷愁を感じつつ、そこに戻ることはもはやありえないという自覚は、われわれが武士的なものをいかなる深さにおいて克服しえたかという問いをわれわれに突きつける。それはとりもなおさず、「近代化の方向に自らの精神をいかに変革しえたか」と自らに問うことでもある。
 本書の初版が出版されたのは一九六八年、明治百年にあたる年である。相良にとって本書を書くことは、武士的なエートスを出発点として、維新後百年間の近代日本の精神史を己の問題として批判的に検討し直すことにほかならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「サムライ」の虚像を超えて武士の精神に近づくために ― 相良亨『武士道』精読

2021-02-26 13:22:04 | 読游摘録

 フランスの Amazon でも英国の Amazon でも構わないが、全カテゴリーを対象として「Bushidô」と検索エンジンに入力すると、一万件以上ヒットする。書籍に限定しても、千件を超える。その中には直接武士道とは関係ない書籍も含まれるが、新渡戸稲造の『武士道』の英語原文だけでも数十件ヒットするし、それにヨーロッパ諸言語への翻訳を加えれば百件を優に超え、ヨーロッパ言語で書かれた武士道解説書の類になると数百件を数える。表紙を見みるかぎり何ともいかがわしそうな代物も少なくないが、それにしても Bushidô の海外での人気には恐れ入る。「サムライ」は日本が輸出したブランドとしては最も成功したものの一つと言っていいだろう。しかし、そのことは同時に、それだけ誤解も世界中に蔓延していることを意味するだろう。
 新渡戸稲造の『武士道』を真剣に読み、称賛する人たちであっても、いやそうだからこそ、歴史的根拠を欠いた虚像を個人的な祭壇に祭り上げているだけのことも少なくないであろう。新渡戸が「武士道」として理想化した、非歴史的 ― というのが言い過ぎであれば、近代化された ― 「伝統的」倫理観は、実際に武士たちによって生きられた倫理的態度に直接基づくものではないし、それを根拠として構築された思想でもない。相良亨の『武士道』(講談社学術文庫 二〇一〇年 初版 塙書房 一九六八年)の解説で菅野覚明氏は、本書を一読すれば、「新渡戸稲造の『武士道』が、決して武士道そのものを論じた書ではなく、近代人新渡戸その人の道徳思想を述べたものである」ことがわかるだろうと言っている。
 同解説で菅野氏は、「数多くの原典資料の精緻な読解の上に立って、武士的な精神の本質・骨格にまで迫りえた論説となると、明治以降今日に至るまで、ほとんど五指にも満たない。もしかすると、「武士道」の名を冠したまとまった著作としては、本書、すなわち相良亨の『武士道』がその唯一のものであるかもしれない」とまで言っている。
 ところが、その著者である相良亨自身は、「武士的なるもの――武士気質についても、まだ十分に理解したとは思っていない。現在私が理解しえている限りのものの輪郭を、若干の章にわかち、書きまとめてみるという段階である。したがって、本書は試論の域を出ない」と「まえがき」で述べられているのである。
 武士道とは何であるか、という問いは、今もなお私たちの前に突きつけられたままである。とすれば、海外でのサムライ人気は、本来の武士道とはほとんど何の関係もない虚像をめぐる空騒ぎに過ぎない。しかし、それ以前の問題として、私たち日本人自身が武士道あるいは武士の精神についてどこまでわかっているのかと問われれば、私は口ごもり、俯かざるを得ない。
 相良亨は、同じく「まえがき」の中で新渡戸稲造の『武士道』について、「伝統に対する愛情と理解をもった、しかも世の国民道徳論者・武士道論者とはことなり、伝統に対する冷静な批判眼をもった明治の一思想家の発言としてうけとっても十分注目に値する」と敬意を込めて言及している。新渡戸の『武士道』固有の価値を見極めるためにも、まずは相良亨の名著『武士道』を精読することから始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


リモートな現代において独座観念を実践するための具体的行動マニュアルとしての『茶湯一会集』

2021-02-25 12:56:17 | 読游摘録

 昨日の記事で引用した井伊直弼の『茶湯一会集』の独座観念についての箇所を繰り返し読みながら次のようなことを考えた。
 客のもてなしを終えた後、客を見送り、さらにその後の余情を大切にするこうした一連の振る舞いは、リモートな生活を強いられている今こそ、なおのこと必要であり、それぞれその置かれた条件下で工夫されるべきことなのではないか。
 画面上のボタンをクリックした途端、それまでのヴァーチャルな共有空間は一瞬にして雲散霧消し、自分のいつも部屋の中に自分を見出したとき、なんとも言えぬ味気なさを覚えたことがないであろうか。それはまさに「不興千万」であった。
 茶の湯のように主人と客との振る舞い方が細かく規定されているような場合ではなくとも、単に食事に人を招いた場合でも、あるいは一緒にどこかに食事に或いは飲みに行き、しばし楽しみ、どこかで別れ、お互い帰路につくというような場合でさえ、私たちは自ずと「余情残心」を催し、その会食もまた一期一会であったと気づくことはないであろうか。
 地球の反対側にいる相手とだろうが、遠隔的に相対し、歓談し、時を同じくして飲み食いさえもできる「便利さ」が日常化している時代を今生きている私たちは、それと引き換えに、「今日一期一会すみて、ふたたびかへらざる事を観念」する時間を失ってはいないだろうか。
 しかし、遠隔が蔓延する状況下であろうが、独座観念は工夫次第で可能なはずである。田中仙堂氏が『茶の湯名言集』(角川ソフィア文庫 2010年)の中で指摘しているように、井伊直弼の『茶湯一会集』は、独座観念を実践するための「具体的行動マニュアル」であるとすれば、リモートな現代において独座観念を実践するためのヒントをそこから引き出すこともできるのではなかいかと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一期一会と独座観念 ― 当代一流の文化人としての井伊直弼

2021-02-24 08:13:09 | 読游摘録

 井伊直弼の名を聞いて、まず何を思い出すだろうか。現在、高校の歴史の授業でどのように教えられているかは知らないが、例えば、山川出版社の『詳説 日本史B』(2012年版)には、「公武合体と尊攘運動」と題された節で、安政の大獄と桜田門外の変に言及されている箇所にその名が見られるだけである。これだけでは、尊王攘夷派に対して強圧政治を断行し、挙げ句に暗殺された大老という悪役の印象しか残らない。参考書類でも、多少前後の経緯が詳しく叙述されている程度で、井伊直弼のネガティブな印象を覆すほどではない。
 しかし、『日本大百科全書』『世界大百科事典』『国史大辞典』などを見ると、多少その印象が変わってくる。
 『日本大百科全書』には、徹底した弾圧を行った理由説明として、「直弼の論理は大政委任を受けた幕府が「臨機の権道」をとるのは当然で、「勅許を待ざる重罪は甘んじて我等壱人に受候決意」(公用方秘録)というにあった。しかし、直弼のこの弾圧政策は、1860年(万延1)3月3日の桜田門外の変として彼の横死を招いたのである。井伊直弼の評価は「不忠の臣」とか「開国の恩人」など、時代によって大きく振幅がある。」
 『世界大百科事典』は、安政の大獄に至る政治的経緯をかなり詳しく叙述し、桜田門外の変に触れた後、「直弼は,国学,古学,兵学,居合,茶道,和歌などにも,すぐれた才能を発揮した。とくに茶道は,石州流を学んでみずから一派を立て,著書に《茶湯一会集》《閑夜茶話》があり,茶道の号を宗観という。また歌集《柳廼四附(やなぎのしずく)》がある」と締め括っている。
 『国史大辞典』には次のような記述がある。「江戸滞在中、『埋木舎の記』を草し、北の御屋敷を埋木舎と名づけ、文武諸芸の修業に励んだ。居合術では奥義をきわめて一派を創立するほどの腕前となり、禅では清凉寺の仙英禅師より悟道の域に達したといわれた。石州流の茶道では、片桐宗猿について奥義をきわめて一派を立て、藩主になってから代表作『茶湯一会集』を著わした。同十三年十一月本居派の国学者長野義言とめぐりあい、義言と師弟の契りを結んで以来、国学の研究に没頭した。」直弼は、文武に優れた知識人としての素養を青年期に十二分に身に付けていたことがわかる。
 井伊直弼が当代一流の茶人であったことは、茶道を知っている人にはよく知られたことであり、茶道を知らない人にもよく知られた「一期一会」という言葉は、『茶湯一会集』(直弼三十歳頃に成立)の冒頭で直弼が初めて使った言葉とされている。この言葉に込められた茶の湯の要諦そのものは直弼のオリジナルではなく(そのことは直弼自身が本文中で認めている)、『山上宗二記』の中の「常の茶の湯なりとも、路地へ入るから立つまで、一期に一度の参会の様に、亭主を執して威づべきなり」に由来する。これを「一期一会」という四字漢語に凝縮したのが井伊直弼である。
 『茶湯一会集』の中の最もよく知られた一節は、しかし、いわゆる独座観念を語っている箇所である。「決して客の帰路見えずとも、取りかた付急くべからず」(帰る客の後ろ姿が見えなくなっても、絶対に片づけを急いではいけない)という名言を含んだ一節は、現在のコロナ禍の渦中で読むとき、一際味わい深い。ゆっくりと原文を読んでみよう。

主客とも余情残心を催し、退出の挨拶終れば、客も露地を出るに、高声に咄さず、静にあと見かへり出で行かば、亭主は猶更のこと、客の見へざるまでも見送るなり。さて、中潜り・猿戸、その外戸障子など、早々〆立などいたすは、不興千万、一日の饗応も無になる事なれば、決して客の帰路見えずとも、取りかた付急くべからず、いかにも心静かに茶席に立ちもどり、此時にじり上りより這り入り、炉前に独坐して、今暫く御咄も有るべきに、もはや何方まで参らるべきや、今日一期一会すみて、ふたたびかへらざる事を観念し、あるいは独服をもいたす事、これ一会の極意の習なり、この時寂寞として、打語らふものとては、釜一口のみにして、外に物なし。誠に自得せざればいたりがたき境界なり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新渡戸稲造『武士道』を現代グローバル社会の中で読み直す

2021-02-23 13:44:40 | 雑感

 先週土曜日、ストラスブールと日本をZOOMで繋いで、『現代思想』一月号に寄稿した拙論の合評会を三人の方に開いていただきました。さまざまに貴重なご意見をいただくことができ幸いでした。皆様、ありがとうございました。と同時に、黄昏ゆく老生の身、これでもう何度目でしょうか、「日暮れて途遠し」とひしひしと感じざるを得なかったことも事実でした。
 合評会といっても、それ以外の話題の雑談の方が長かったのですが、それはそれでとても楽しい会でした。こちらの時間で午後一 時(日本時間で午後九時)開始、お開きになったのは午後六時半(同午前二時半)。皆様、お疲れ様でした。
 その席で、別件としてお三方にお願いしたことが一つありました。それは、来年度の日仏合同ゼミの課題図書についての助言です。というのも、来年度で本ゼミ担当八年目になるのですが、正直、課題図書が種切れになってきていたからです。おかげさまで、私ひとりでは気づけないことをさまざまに示唆していただいてとても参考になりました。図書の選択のみならず、合同ゼミのやり方についてもヒントをいただけたことも幸いでした。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
 その後、おおげさでなく丸一日あれこれ選択に迷った挙句、ようやく決定いたしました。まだ相方のA先生のご承認を得なければ最終決定とはなりませんが、新渡戸稲造の『武士道』を選びました。次点は岡倉天心『茶の本』、第三候補は九鬼周造『「いき」の構造』です。
 『武士道』を選んだ理由は複数あります。それらをここで完全に網羅的に紹介することはできませんが、思いつくままに列挙すれば、以下の通りです。
 まず、故山本博文氏が『現代語訳 武士道』(ちくま新書 2010年)の解説で述べているように、「日本文化論の嚆矢」、「日本的思考の枠組みを外国人に示した優れた日本文化論」「日本人が初めて自分で日本文化の特質を意識化した記念碑的作品」という歴史的価値があること。次に、「欧米流のグローバル・スタンダードへの根源的な批判が含まれていること」(同解説より)。さらに、本書の随所に見られる欧米思想家たちから引用は、比較論的アプローチを可能にし、新渡戸が武士道に託した倫理観をグローバルな観点から検討できること。特に、古代ストア派及び中世騎士道との比較は、倫理に関する問題の普遍化の一つの手がかりになること。本書第十四章「女性の教育と地位」に見られる女性観を批判的に検討することを通じて、現代の女性論を見直す一つの観点が得られること。そして、『武士道』出版以後の新渡戸の三十数年の生涯を視野に入れて『武士道』を読み直すことで、国際平和と女性の社会的地位の向上などのより現代的課題との関連で本書を再評価することも可能になることも選択理由の一つとして書き留めておきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゴッホの書簡の筆跡の美しさに打たれる

2021-02-22 23:59:59 | 読游摘録

 昨日の記事で話題にしたゴッホ書簡全集をここ数日紐解きながら、この大判の書簡集に網羅されている現在特定されているすべてのゴッホ作品のうちの未見の作品のいくつかの素晴らしさに心打たれつつある一方、私が特に驚かされているのは、実寸大の写真版で収録されたゴッホの手紙の筆跡の美しさである。それは私のこれまでの想像を裏切るものだった。どちからと言えば荒々しい筆跡を勝手に想像していたのだが、実際のそれはまったく違っていた。眺めていると、ゴッホがその手紙を書いているときのペンの流麗かつ規則的な動きが感じられる。手書きの書簡のみが伝えることができるものがあることをそれらの写真版はあらためて納得させてくれる。
 例えば、書簡877番の写真版をご覧あれ。こちらのページの上部中央の Search に877と入力すれば当該書簡に移動する。ページ右側の書簡の写真版そのものあるいはその書簡の本文のなかほどのサムネイル表示[sketch A]をクリックすると、書簡の写真版が開く。その右上のプラスをクリックすると書簡が拡大される(この電子版書簡全集、ほんとうによくできている)。
 手紙は手書きが当たり前だった時代はそんなに昔のことではない。私自身、四半世紀前の留学当初は、日本の母や友人・知人への書簡はすべて手書きだった。受け取る手紙ももちろんそうであった。今、メールばかりを毎日書いていて、手書きの手紙を書く習慣はほぼ完全に失ってしまった。便利さと引き換えに何かとても大切なものを無くしてしまったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゴッホ書簡全集決定版 ― これから死ぬまでの愛読書

2021-02-21 21:43:17 | 読游摘録

 昨年十二月からやたらと書籍購入費が嵩んでいる。冊数にすると月平均四十冊(電子書籍が七割強)。そんなに読めるわけがない。もっとも全部隅から隅まで読むつもりはそもそもない。授業と研究のための参考資料として購入した本も多い。この三ヶ月、総額がいつになく大きくなったのは、単価の高い書籍を購入したからである。
 今月はここ数年で一番高い買い物をした。ゴッホ美術館が二〇〇九年に刊行した書簡全集(全六巻)の仏語版を買ったのである。定価二〇〇ユーロのところ、FNAC会員特典を利用して五%引きで買った。それにしても日本円にすれば二五〇〇〇円近くになるから安くはない。
 しかしである。この書簡集の驚異的な完成度と品質からすれば、安いと言っていいと思う。それぐらいすごい仕上がりなのだ。そのすごさについては、圀府寺司氏の『ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家』(角川ソフィア文庫 二〇一九年 初版 角川文庫 二〇一〇年)の「おわりに」に詳しく説明されている。その一部を引用する。

ファン・ゴッホ美術館が十五年という気の遠くなるような歳月をかけて準備した決定版の書簡全集である。そのプロジェクトがスタートした時のことはよく覚えている。ファン・ゴッホ美術館が新書簡全集刊行のために専任のスタッフを二人雇ったと館員から聞いた。二人は書簡全集の仕事だけをする専任スタッフである。この二人を美術館は十五年間雇いつづけ、途中からはさらに一人加えて三人になった。刊行の前年、いよいよ来年辺りに刊行できそうだ、という話を聞いて、ファン・ゴッホ美術館に行ったおりに、編集者の一人ハンス・ライテンにその内容を見せてもらった。その完成度の高さに唖然とした。
 作業は手紙の書き起こしの再チェックから始まり、日付の洗い直しももちろん行われた。ファン・ゴッホの手紙にはほとんど日付が書かれていない。そこで消印の他、書かれている内容、当時の天候の記録、当時の郵便配達日数など、ありとあらゆる情報をもとに、日付が特定された。ヨーの編纂した書簡全集については手紙の順序や日付がまちがっていることはかねてから指摘されていて、研究者が逐次修正してきたが、今回の書簡全集では、たとえば未刊行のファン・ゴッホの家族(母親や妹など)の手紙や、友人知人の手紙なども参照している。また、ヨーは書簡を編集するにあたって、存命中の人に配慮して人名の一部をイニシャルで表したり、都合の悪い箇所をとばしたり、場合によってはインクで塗りつぶした形跡すらある。もしかすると、廃棄した手紙もあったかもしれない。新しい書簡全集では、すべて手紙のオリジナルをもとに旧版の誤りを訂正し、紛失した手紙についても、誰宛の手紙が紛失したかすべてリストアップされている。
 書簡中にふれられている文学作品、新聞・雑誌記事、美術作品などもすべて可能な限り洗い出している。これがどれほど気の遠くなるような作業かは、すこしでもやってみたことのある者にはよくわかる。

 説明はまだまだ続くのだがこの辺でやめる。ご興味を持たれた方は圀府寺司氏のこの好著を是非お読みください。
 この書簡全集の完成度の高さだけでも充分に驚倒に値するのだが、同書簡全集のウェッブ版はなんと無料で公開されている(こちらがリンク)。圀府寺氏によると、ゴッホ美術館の書簡全集編纂スタッフは、「ウェッブ版は検索もできて非常に便利だけれど、通読できるようなものではないので、ウェッブ版が宣伝になって書籍版も結果的に売れるとふんでいます」と言っていたらしい。確かにその自負は充分に根拠のあることだと、書籍版を紐解き、その素晴らしさにため息をつきながら納得している次第である。
 「ウェブ版は手紙が書かれた言語(オランダ語、フランス語、英語)と英語翻訳のみ、冊子版はオランダ語版、英語版、フランス語版、中国語版の四種類が出版されている。ウェブ版は専門家にはきわめて便利なツールだ。何よりも検索機能が便利で、たとえば「ひまわり」という言葉で検索すれば、この言葉を含む手紙と註のすべてが数秒以内に表示される。また、書籍版は紙面に限度があるので註もある程度の分量までで止めているが、ウェブ版は註を惜しげもなくつけてあって、随時更新していくのだと言う。つまり今後ずっと改訂版が出つづけることになる。また本文に訂正の必要が出てくれば、それも随時改訂される。」(圀府寺司上掲書)
 この書簡全集、死ぬまで愛読し続けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自らの足で立ち、前に進んでいくためのトレーニングとしての授業(承前)

2021-02-20 10:40:43 | 講義の余白から

 「メディア・リテラシー」の最終学期の課題として、学生たちには記事を書かせる。記事の読者としては、日本のことをよく知らないフランス人を想定し、彼らが抱いている日本についての誤ったイメージあるいは無知からくる誤解・偏見等を取り除くことを記事の目的とする。
 この条件下、まずテーマを自由に選ばせた。テーマを決めかねている学生からは相談が来る。その場合、選択に迷っているテーマそれぞれの意義を説明したうえで、あとは自分で決めさせる。
 一人でやってもいいし、二三人でチームを組んでもよい。文章よりもドキュメンタリーやルポルタージュとしてビデオを作成したければ、それでもよい。複数で取り組む場合は、作業分担を明確に示すことを求めている。これは、最終成績は個別につけなくてはならないからだ。「チーム貢献度」ももちろん評価項目に入っている。
 一月後半から先行して始めたクラスは、三月末が最終提出期限なので、準備期間も短い。だから、その期間に合わせて、取り扱う問題も限定しなくてはならない。この点はこちらかのアドバイスが必要だ。学生たちは与えられた時間に対して大きすぎる問題を取り上げがちだからだ。問題そのものは面白くても、そのままだと腰砕けに終わる。こちらのクラスは参考資料・文献が出揃ったところだ。このクラスは履修者が十三人。三人で取り組むテーマ、ペアで取り組むテーマがそれぞれひとつずつ。あとは各自一人で取り組んでいる。
 二月第一週から開始したクラスは、だいたい主題が出揃ったところだ。こちらは履修者が三十名。うち、三人のチームが一つ、ペアが二組。
 彼らが選んだテーマは、少子高齢化、女性の社会的地位、男女(不)平等、育児制度、婚活、三〇歳超の性的未経験者、犯罪率、環境問題、パリ症候群、シングルマザー、アイドルの社会学、K‐POPの日本での人気、日本社会に生きる「ガイコクジン」、癒しとしての森林浴、アイヌの熊祭等々、ヴァライティに富んでいる。
 それらの中で、私が特に驚きかつ嬉しかったのは、前者のクラスの一チームと後者のクラスの一学生が日本の死刑制度をテーマとして選んだことだ。このテーマは前期の授業で取り上げた。それがきっかけで彼らは関心をもってくれたのだ。堀川惠子の死刑制度に関する一連のノンフィクションを紹介したとき、両クラスとも確かにとても反応がよかった。この難しいテーマに彼らが持続的な関心をもってくれたことが嬉しい。
 もう一つ、これも意外だったのだが、後者のクラスで七三一部隊をテーマとして選択したペアがいたことだ。しかも、彼女たちは記事ではなく、ルポルタージュとしてビデオ作成を選んだ。修士論文で七三一部隊を研究している女子学生が修士二年にいるので、彼女に連絡を取り、相談に乗ってやってほしいと頼んだ。すぐに「喜んで」と返事が来た。今後は直接に連絡を取り合えるようなった。こういう学年を越えた学生同士の繋がりも、今の状況下ではことのほか大切に思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自らの足で立ち、前に進んでいくためのトレーニングとしての授業

2021-02-19 23:59:59 | 講義の余白から

 関心の羽を多方面に伸ばして自由に行動することが難しいこんな状況だからこそ、後々応用が効く基礎学力をしっかり身につける好機としてそれを捉え、焦らずくじけずに勉強を続けてほしいと学生たちに対しては切に思う。それは実際の試合や競技から一時的に離れざるを得ないアスリートたちがいつでもまた実戦に戻れるようにとそのときに備えて基礎トレーニングを毎日積み重ねるのに似ている。
 とはいえ、それを独りで続けるのは誰にとっても容易ではない。お互いに競い合う相手がいたほうがモチベーションも高まるし、それを持続させやすい。トレーニングのメニューを考え、トレーニングに同伴するコーチあるいはトレーナーも必要だ。特に、経験が浅い段階では、自分ひとりではどうしてよいかわからないこともあるし、自分のやっていることが正しい方向に向いているのかどうかも心もとない。大学では、このコーチやトレーナーの役を教師が演じることになる。
 他方、課題を与えられないと何もできないという受動的な姿勢に固着してしまっては、いつまでたっても独り立ちできない。自分が関心をもったテーマに関して、自ら問いを立て、研究計画を練り、それを息長く一歩一歩着実に実行していけるようになるための訓練も必要だ。
 これらの諸条件をできるだけ満たせるようにと、学部三年の最終学期で私が担当している三科目では、それらの内容と課題ができるだけ相補的になるように授業計画を立てた。ただ課題を与えるのではなく、最終的な課題提出までの諸階梯とそれらそれぞれの期日を最初に明示し、それを遵守するように求めた。この三科目のうち金曜日の二科目は、二クラスに分かれており、先行クラスは一月後半から三月末日まで、後発クラスは二月第一週から五月末日まで、ほぼ二週間毎に、主題、計画表、資料・、第一部作成、第二部以降作成、最終版提出などの階梯があり、それらが提出されるとすぐにコメントと次の指示を私の方から出す。場合によっては、修正あるいは再提出を求める。