内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

世界に感覚・方向・意味を到来させる現在 ― パスカルと西田(4)

2015-09-30 05:53:18 | 哲学

 パスカルにおける無限と西田における無限とがそれぞれまったく異なった世界像と自然観に基づいていることをよく示している箇所を両者から一節ずつ見てみよう。

Pourquoi ma connaissance est-elle bornée, ma taille, ma durée à cent ans plutôt qu’à mille ? Quelle raison a eu la nature de me la donner telle et de choisir ce milieu plutôt qu’un autre dans l’infinité, desquels il n’y a pas plus de raison de choisir l’un que l’autre, rien ne tentant plus que l’autre ?(Pensées, fragment 194 (Lafuma) ; 208 (Brunschvicg) )

どうして私の知識、私の背丈は限られているのか。どうして私の寿命は千年ではなくて百年なのか。自然にはいかなる理由があって、私の寿命をそう定め、無限の中で、他でもなくこの居場所を選んだのか。他の居場所より気を引くものは何もないのだから、あれよりもこれを選ぶ理由はないではないか。(塩川徹也訳)

 未来と過去にどこまでも広がる無限の中で、私は、どうしてあそこではなくここに、どうしてこのような大きさの身体で、どうしてある長さの寿命を生き、どうして過去のあの時でもなく未来の来るべき時もなく、今この時を生きているのか。私はその理由をけっして知り得ない。パスカルにおける人間は、そう煩悶する。無限の只中で、これらの問いの答えを探し求めて、それを得られず、彷徨し続ける。

我々は無限の現在から出て無限の現在に還り行くと考へることができる。そこに真に死することによつて生きるといふ意味があるのである。真に過去未来を包むものは単なる無限大の極限球といふ如きものではなくして、パスカルの所謂周辺なくして到る処が中心となるものでなければならない。合目的的作用に於て無限なる未来の底から我々を限定すると考へられる目的は、人格的行為に於ては現在が現在自身を限定するといふ意味に於て、無限なる現在の果から我々を限定すると考へられねばならない。(「私と世界」『西田幾多郎全集』第六巻、2003年、108頁)

 1933年、『哲学の根本問題』刊行に際して執筆されたこの論文の中で、パスカルの「無限大の球」というメタファーを借用しながら、西田がパスカルとはまったく異なった実存的時間論を展開していることがよくわかる箇所である。
 無限は私たちを一方的に包むものではなく、私たちの生きる現在が現在として自己限定することこそが無限を無限たらしめている。いたるところにある無数の中心とは私たち一人一人のことであり、その無数の現在がそれぞれに現在として自己限定するところにはじめて個々に相異なった人格が生まれ、人格としての行為が成立する。
 西田は、「どうしてここであって、他所ではないのか」とは問わない。ここが〈ここ〉であるかぎりにおいて他所は〈他所〉であり得るのであるから、その意味で、〈ここ〉は〈他所〉を包み込んでいる、無数の他所をその内に含んでいる。
 言い換えれば、私たち各自によって生きられるそれぞれの現在は、それが世界において世界が世界自身を映す配景的一中心であることによって、感覚・方向・意味、つまり三重の意味での « sens » を世界に到来させるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無限大の球から無限大の円への置換の意味するもの ― パスカルと西田(3)

2015-09-29 00:00:01 | 哲学

 昨日の記事で引用した『パンセ』の断章について Le Guern が Les pensées de Pascal, de l’anthropologie à la théologie の中で懇切丁寧に注解している節 « Transition de la connaissance de l’homme à Dieu » の中のある一段落を読んだことが、パスカルと西田を対比させてみようという今回の私の試みのきっかけになっている。
 断章199からの引用箇所がモンテーニュの『エセー』第二巻第十二章におそらくは依拠しているであろうと、『エセー』の当該箇所を引用した後、ルゲルンは次のように述べている。

Mais les images cinétiques de Montaigne traduisent un certain plaisir que prend l’auteur des Essais en constatant le caractère universel du mouvement. Chez Pascal au contraire, cette fuite perpétuelle de l’objet que l’homme s’assigne dans sa recherche correspond à une angoisse et à une véritable impression de vertige. L’homme recherche la stabilité mais il ne la trouve pas (Le Guern, op. cit., p. 162-163).

 モンテーニュ以上にと言うべきだろうが、西田は運動の永遠性を象徴するものを眺めることに喜びを感じている。それに対して、パスカルにおいては、安定を追い求めても決してそれを見いだせない人間の「永遠の遁走」状態は、苦悩と眩暈を人間のうちに引き起こさずにはおかないものである。
 1931年に『哲学研究』に発表され、1932年に『無の自覚的限定』に収録された論文「永遠の今の自己限定」の中で、西田は、パスカルの「無限の球体」の箇所を仏語原文で引用している。その前後を含めて読んでみよう。

真に無にして自己自身を限定するものといふのは、自由なる人といふべきものであらう。絶対の無によって限定するものは、自己の中に無限の弁証法的運動を包む円の如きものと考へることができる。自由なる人といふのは自己自身の中に時を包む円環的限定といふことができる。パスカルは神を周辺なくして到る所に中心を有つ無限大の球 une sphère infinie dont le centre est partout, la circonférence nulle part に喩へて居るが、絶対無の自覚的限定といふのは周辺なくして到る所が中心となる無限大の円と考へることができる(パスカルの如く球と考へるのが適当かも知れないが私は今簡単に円と考へて置く)。(『西田幾多郎全集』第五巻、2002年、148頁)

 例によって、西田哲学に相当に慣れ親しんだ人でなければ、一読しただけでは何を言っているのかわかりづらい文章であるし、前後の文脈を考慮しなければなおのこと難解である。「無限大の球」のメタファーを神のそれとしているという誤読もあるが、それはここでは問わない。それでもなお、いくつかの論点を指摘することはできるだろう。
 まず、「自由なる人」そのものが円の中心と考えられていること、次に、その自由人が無限の弁証法的運動を自己の中に「包む」ものとされていること、そして、球が円に置き換えられていることである。
 ところが、パスカルにおける無限大の球のいたるところにある中心の任意の一つは、実は、中心(le centre)ではあり得ない。せいぜい、無数にある中心の一つに過ぎず、己以外の他の中心に対して、何らの優位性を持ち得ない。そのような中心は、包むものではありえず、ただ無限のうちに包まれ、無限のうちに定位なく「閉じ込められている」ものに過ぎない。パスカルにおいては、球のメタファーを円のそれに置き換えることはできない。
 西田においては、無数にあるそれぞれの中心が時の始まりでありうる。それゆえ、その一つ一つの中心から時が生まれる。「時は永遠の今の自己限定として成立する」と上の引用箇所の数行後で述べている。
 では、中心が「包む」とはどういうことか。中心はむしろその周囲によって包まれていると言うべきではないのか。この文脈では出て来ないが、西田は「映す」という動詞を頻用する。中心が「包む」とは、西田において、中心が周辺を「映す」ということである。映すことによって、映されたものを無限に超えていく。この「映し」が意識である。
 この意味での意識が西田においてしばしば鏡に喩えられるのは偶然ではない。それは映す「面」なのである。球から円への置き換えは、だから、西田が言っているように単に話を簡単にするためはでない。西田の哲学的言語空間にパスカルのメタファーを導入するための、いわば必然的な手続きなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


海と哲学、あるいは無窮の動性と永遠の遁走について ― パスカルと西田(2)

2015-09-28 08:12:05 | 哲学

 西田幾多郎がパスカルの「無限の球体」のメタファーに愛着を持っていたことは確かだが、無限への恐怖は、これをパスカルと共有していなかった。この両者の感性の決定的な違いは、どこにあるのか。その違いは、西田の海に対する愛着と『パンセ』における海のイメージとの間によく見て取ることができる。

私は海を愛する、何か無限なものが動いて居る様に思ふのである。

 「鎌倉雑詠」と題された、1928年12月から1929年3月までに詠まれた歌群があるが、その中の詞書の一つとして見られる一言である。
 しかし、西田の海への愛着は、『善の研究』出版以前の金沢時代にまで遡る。

余久しく金澤にありし時、唯何となく海を眺めることのすきな余は金澤より一里餘を隔てた金石の海へ出かけた。何等の眺もない殺風景な濱ではあるが唯無限其物を象徴化した〔と〕のみ思はれる波濤の動き(うねり)や大空を行く雲の形や遠く能洲の山々にこめたもやにうつれる幽微なる日の光の無限なる變化を見るのが唯一の樂であつたのである。(「純粹經驗に關する斷章」旧全集第16巻538頁)

 西田は、「無限なもの」、より正確に言えば、無限に動き変化するものに強く惹かれる。それは、西田において、単なる嗜好の対象などではなく、その若き日から精神が希求してやまないものであった。おそらくは、生地宇野気の鈍色の海のうねりを眺めていたであろう幼少期から、西田はそれと自覚することなしに、海に無限を感じ、それに惹きつけられていたことであろう。西田哲学をこの「無限なもの」の探究過程として読むこともできるであろう。
 「唯何となく雲や海を眺めるのは無限に深い意味のあるものである。」「海をながめるのも無限に深い意味のあるものである。」「余は唯無限に遠い海のうねりの眺めるだけにて飽くことを知らない。」海を眺めて、「或時は濱砂の上に積重ねられた材木の上に踞して半日を暮らしたこともあつた。」このように、同じ断章の中で繰り返し海への愛着を書きつけている。
 海の詩を読むことも好きだという。ボードレールの « L’Homme et la mer »(「人と海」)の詩の前半は「最も余の意を得たものである」と共感を示し、自ら訳してさえいる。その訳には一箇所誤訳があり、一部訳し落としてはいるが、その訳自体に西田の感性が表現されているから、それをそのまま引用しよう。

自由なる人よ、汝は常に海を愛するであらう。海は汝の鏡である。海の涙の無限のうねりの中に汝は汝の心をみる。汝の心は海の渦よりも苦い。
汝は好んで汝の面影の底にもぐり眼と腕とにて海を抱く。そして汝の心は時に海のひゞきの爲に己が心の騒ぎを忘れる。(同全集同巻539頁)

 昨日取り上げた『パンセ』の断章(ラフュマ版199、ブランシュヴィック版72)の中に出てくる海のイメージは、西田のそれとまったく異なっている。

Nous voguons sur un milieu vaste, toujours incertains et flottants, poussés d’un bout vers l’autre ; quelque terme où nous pensions nous attacher et nous affermir, il branle, et nous quitte, et si nous le suivons il échappe à nos prises, nous glisse et fuit d’une fuite éternelle, rien ne s’arrête pour nous.

われわれは、広漠たる中間に漕ぎいでているのであって、常に定めなく漂い、一方の端から他方の端へと押しやられている。われわれが、どの極限に自分をつないで安定させようとしても、それは揺らめいて、われわれを離れてしまう。そしてもし、われわれがそれを追って行けば、われわれの把握からのがれ、われわれから滑りだし、永遠の遁走でもって逃げ去ってしまう。何ものもわれわれのためにとどまってはくれない。(前田陽一訳)

私たちは広漠とした中間状態を、つねに定めなく漂い、一方の端から他方の端へ押されながら漕ぎ進む。いかなる標識に身を結び付け固定しようとしても、それはぐらついて、私たちから離れていく。そしてそれを追いかけ、捕まえようとしても逃げていく。それは私たちの手をすり抜け、永遠の逃走を続ける。私たちにとって留まるものは何もない。(塩川徹也訳)

 見ての通り、この箇所に海という言葉が出てくるわけではない。しかし、諸家がこの箇所に注して、それがモンテーニュの『エセー』第二巻十二章に見られる「人間のもろもろの意見の逆巻き荒れ狂う広大な大海に巻き込まれて、手綱も目的もなしに旋回しては漂う」(« tournoyant et flottant dans cette mer vaste, trouble et ondoyante des opinons humaines, sans bride et sans but »、邦訳は塩川徹也訳『パンセ(上)』、256頁、注15より)を念頭に置いてのことであるとしているから、海のイメージの一つとみなしてよいであろう。
 パスカルにおいて、海は、その上で私たち人間が「つねに定めなく漂い」、当て所なく漕ぎ進まなければならず、そのどこかに確かな拠り所を確保し得ない、永劫の不安を象徴している。
 しかし、もっと決定的な違いだと私に思われるのは、パスカルと西田の海に対する観点の違いである。パスカルにおいては、人はつねに海の上に漂い、翻弄され続ける。ところが、西田においては、無限の運動を象徴する海は安定した陸から眺められるものである。海を眺める者は、その海に漕ぎ出そうとはしない。
 もちろん、この一点のみによって、西田哲学を観想的だと批判するのは、あまりに性急かつ不当である。しかし、西田の最大の後継者田辺元や愛弟子三木清が、西田哲学を観想的だと批判したとき、それらの批判が突いている問題点を、このような西田の海に対する態度がよく象徴しているとは言えるだろう。
 海に対する西田の愛着は、西田哲学全体の理解にとって、けっして瑣末な問題ではない。なぜなら、それは、論文「場所」以後の西田哲学、特に三十年代後半以降の最後期西田哲学をどう読むかという問題と密接に結びついているからである。その問題を西田の用語に即して表現すれば、歴史的生命の世界の歴史的身体における行為的直観と自覚を両軸として展開される最後期西田哲学は、観想的態度を突破し、現実の世界における行為の哲学たりえているかどうか、という形を取るだろう。
 この問いを、メタファーを使って表現すれば、次のようになるだろう。
 それまで海辺で海を飽かず眺めていた観想の哲学者は、自ら舵を取り、無限に広がる大海原へと、寄港地もなく帰路もない航海に漕ぎ出たのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無限なるものへの畏れと憧れ ― パスカルと西田(1)

2015-09-27 17:50:53 | 哲学

 « Disproportion de l’homme »(「人間の不釣合(い)」)という小見出しが付けられた断章(ラフュマ版199,ルゲルン版185,セリエ版230,ブランシュヴィック版72)は、「『パンセ』中最も長く、最も入念に仕上げられた断章 」(Pensées, édition de Michel Le Guern, Paris, Gallimard, « Folio classique », 1995, p. 561; « La Pléiade », 1999, p. 1386)であり、それについての注解・研究も汗牛充棟ただならぬものがある。
 この断章の中に、かの有名なメタファー « sphère infinie dont le centre est partout, la circonférence nulle part »(「中心がどこにもあり、円周がどこにもない無限の球体」(前田陽一訳)、「いたるところが中心であり、どこにも周囲のない無限の球体」(塩川徹也訳))が出て来る。
 このメタファー自体は、パスカルの発明にかかるものではない。それどころか、古代から長い歴史を持っており、紀元前五世紀の哲学者エンペドクレスまで遡るとされている。それ以来二千年を超える時を経て、十七世紀初頭には、哲学・宗教の分野において広く用いられ、宇宙の表象とされるようにもなった。ただ、多くの場合、それは神の表象の一つであった。
 ところが、パスカルは、このメタファーに新しい意味を与えた。この点について、Michel et Marie-Rose Le Guern, Les Pensées de Pascal, de l’anthropologie à la théologie, Larousse, coll. « thèmes et textes », 1972 に依拠して、その新しい意味が何であったかを見てみよう。
 宇宙全体、あるいは自然全体のメタファーとして「中心がどこにもあり、円周がどこにもない無限の球体」として使われたことは、パスカルには限られないし、この「中心」に人間が置かれている点も、パスカル以前にすでに用例がある。ところが、パスカル以前の伝統的な宇宙論では、この〈中心〉(« le centre »)の位置を占めるのは、まさに〈人間〉であったのに対して、パスカルにおいては、〈人間〉は、宇宙に無数にある中心の一つ(« l’un de ces centres infinis en nombre »)に過ぎず、そのいずれの中心も、円周から無限に遠いという点においてはまったく同等であり、たとえ〈人間〉も一つの中心であったとしても、それは他の中心に対してまったく優位性を有するものではないのである(voir Le Guern, op. cit., p. 155)。
 「無限の球体」のメタファーの直後にパスカルはこう書いている。

Enfin c’est le plus grand caractère sensible de la toute-puissance de Dieu que notre imagination se perde dans cette pensée.

すなわち、われわれの想像がその思考のなかに自分を見失ってしまうということこそ、神の万能について感知しうる最大のしるしである。(前田訳)

要するに、私たちの想像がこのような考えのうちに自分を見失うことこそ、神の全能の最も明らかなしるしだ。(塩川訳)

 ここでは訳の問題を論うのが主題ではないのだが、一言だけ訳について述べる。
 « sensible » は、やはり前田訳のように、「感知しうる」あるいは「感じられる」、つまり「感覚でわかる」という意味がはっきりわかるように訳すべきであると私は考える。塩川訳のように、単に「明らか」としてしまっては、何によって「明らか」なのかがわからない。
 この違いは、一見瑣末な訳語の選択の問題に見えるかもしれないが、そうではない。なぜなら、それは、パスカルの説得術についての一つの重要なポイントにかかわるからである。パスカルの論述は、ただ理性によって議論の筋道について読者を納得させるだけでなく、そこで問題になっている人間の限界と無力について、感覚的に実感させ、読者の心に動揺を引き起こし、宇宙におけるその本来の立場に謙虚に立ち戻らせることをその狙いとしている。この無限性のメタファーを通じて、読者の知性にではなく、その感性に訴え、読者のうちに眩暈・動揺・恐怖を引き起こすことによって、パスカルは、読者を「説得」しようとしているのである。
 このメタファーが引き起こす無限に対する恐怖は、おそらく、少なくともある時点までは、パスカル自身によって深く実感された感情であったと思われる。ところが、このメタファーを、パスカルに依拠するとその都度明言しながら、繰り返し、まったく違った意味で使った哲学者がいる。それが西田幾多郎である。
 明日の記事から、両哲学者に見られる宇宙の無限性に対する感性の違いを、西田がこよなく愛した海が象徴する無窮の動性をファクターとして導入することでより明確に規定した上で、そこから哲学の情感的基底という問題に立ち入り、私自身がかねてより構想中の「根源的受容性の哲学」の展開の一齣を提示する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一傍観者の杞憂であることを願いつつ

2015-09-26 14:03:43 | 雑感

 一昨日の記事で提示した塩川徹也訳パスカル『パンセ』の訳文に対する私の疑義は、どうやら私個人の思い過ごしどころではないようである。というのも、たまたまその拙記事を読まれた東京で仏語を教えられている先生から昨日メールをいただき、同訳の問題について先月と今月にお書きになった論考三つをご教示くだされ、それを読ませていただいて、その厳密な文献学的手続きを踏まれた論証からして、どう見ても塩川訳には、少なからぬ箇所に重大な問題があると考えざるをえないからである。
 さっそくフランス文学・フランス哲学の分野で仕事をしている友人・知人にメールを送り、日本で何かこの件について身近で話題になっていないかどうか問い合わせたところである。私自身は素人に過ぎないので、これ以上このブログで塩川訳の検証に深入りするつもりはないが、事態の成り行きを注意深く見守っていきたいと思っている。
 というのも、これは単に一翻訳書の問題にとどまらないと考えるからである。単に訳文に疑義があるというだけの話ならば、そんなに大騒ぎすることでもない。まったく問題のない「完璧な」翻訳などあり得ないことは、私自身自分の経験からもよくわかっている。問題はそこにはないのだ。
 日本を遠くから眺めているだけの無責任な傍観者の杞憂であることを願うのだが、日本の学問の場で、問題となる対象について、きちんと学問的手続きを踏んだ上で、自由に討議するという姿勢とそれを実践する場所が必ずしもちゃんと確保されていないのではないかとの憂慮の念を抱かざるを得ないのである。
 しかも、そのような姿勢と場所を最も厳格に守って来られたはずの学問の「殿堂」において、その中でも学問する者の倫理的姿勢にことのほかの重きを置いてこられたはずの超一流の学者のことであるから、私のような無為無能な人間の余計なお世話も、あながち杞憂とばかり言って済ませるわけにはいかないのではないかと思うのである。
 最新の研究成果に基づいた、『パンセ』の新しい邦訳が出版されることそのことは、単に専門家たちにとってだけでなく、日本のパスカル愛読者すべてにとって慶賀すべきことである。しかし、学問的手続きとして疑念をいだかせるような箇所がその訳文から少なからず見つかるような翻訳が、こうして第一級の学者の長年の研鑽の賜物として、「一流の」出版社から出版されてしまったことを目の当たりにして、いささかショックを受けざるを得ないのである。
 ゆくりなくも、ちょうど二十年前の一九九五年十二月に、つまりその死の八ヶ月前に丸山眞男が弟子たちを前にしたスピーチで語っていたことを思い出す。その年の日本の出来事を思いつつ、「何か日本はおかしいところがある」と懸念を示し、「日本中がオウム真理教だったのではないか」と同年の重大事件を引きながら戦時中の日本のことを思い出し、「一歩日本の外に出れば全然通じない理屈が、日本の中でだけ堂々と通用している。それ以外の議論は全然耳にもしないし問題にしない」と当時を振り返り、こう続ける。「最後に理屈を言いますならば、他者感覚のなさ、ということなのです。他者がいないんです。同じ仲間とばかり話していますから。その怖さです。」
 そして、いろいろな分野にいる優秀な方たちのことを思いつつ、彼の最後の願いはこうであった。
 「どうしてこういう人たちが横にもっとつきあい、もっと話する機会をもたないのか。みなさん、どうか横につきあっていただきたい、違った職場の方々と。もったいないですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


澄んだ秋空の下、自転車で街中を疾駆する

2015-09-25 16:05:01 | 雑感

 先々週のことであるが、ストラスブールに引っ越してきて一年二ヶ月たったところで、ようやく自転車を買った。買うまでには、ネットでさまざまなサイトを見て、価格と品質について十分比較検討した。と言っても、特に高価な買い物をしたわけではないが。購入したのは、オランダ製のタウンユース(そんなに必要ないと思うのだが、十八段変速)。
 その自転車が届いたのが先週の月曜日だったのだが、部分的に自分で組み立てなければならない状態で梱包してあった。ところが、組み立てるのに必要な工具を持っていない。仕方がないので、翌日ホームセンターのようなところに行って、工具を購入した。組み立てそのものは複雑ではないのだが、安全のためにブレーキの調整は入念にした。
 組み立て終わってすぐに、郵便局に届いていた荷物を自転車で取りに行った。今まで歩いて十五分かかっていたところが五分とかからない。重い荷物を背中に背負う必要もない。それだけのことがとても嬉しい。
 自転車を使えば、街中のどこに移動するのにも時間が短縮できるし、交通費もかからない。それにエコロジカル。ストラスブールはほぼ平坦な街で、自転車専用レーンも街中に整備されているから、車の脇を恐る恐る走ることもほとんどない。ときどき石畳の上を走らなくてはならないのだけが、不快である。雨の日は傘を差しながら走ろうとは思わないし、真冬の氷点下の寒さの中で自転車に乗るのには少し勇気がいる。しかし、一年を通じて、これからの街中の移動手段は自転車を基本とすることに変りはない。
 ただ、長時間同じ場所に停めっぱなしするのは極力避けたい。盗難の危険があるからだ。ワイヤー製のロープ状の鍵と鋼鉄製のU字型の鍵を買い、それらでロックしているが、万全という訳にはいかない。
 今日も大学への行き帰りは自転車。青空が広がる気持ちのよい秋の日に美しい街並みを楽しみながら風を切って走るのは気持ちがいい。自宅から大学まで十五分ほどだが、少し汗ばむくらい。午後にも街の中心部にある本屋に届いていた本を自転車で取りに行ってきた。距離は大学までとほとんど変わらない。総計で二十キロくらい走ったことになる。いい運動にもなる。月末までの十日間、最寄りのプールが定期点検のために閉鎖されているので、その間はせいぜい自転車で走り回ることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


塩川徹也訳『パンセ』についての大きな懸念

2015-09-24 18:04:48 | 読游摘録

 先月の岩波文庫の新刊の一冊として、日本における現在のパスカル研究第一人者である塩川徹也氏による『パンセ』の邦訳の上巻(後続刊の中下巻と合せ全部で三巻)が刊行された。最新のパスカル研究に基づき、未だ本国フランスで刊行されていないジャン・メナール版『パンセ』の編集基本方針も考慮に入れ、いわばその「露払いをつとめること」がその目的とされている(上巻「解説一」、480頁)。その学問的業績と学者としての己に厳しい態度にかねてより畏敬の念を覚えていただけに、同氏が十五年の歳月を掛けて世に送り出したという『パンセ』の新訳に大いに期待を寄せていた。
 ところがである。今朝、再来月のシンポジウムの発表要旨の仕上げをしていて、その中にパスカルからの引用があるので、その箇所の塩川訳を仏原文と引き比べながら読もうしているときのことであった。同訳の評判はどうだろうかと、アマゾンの「カスタマーレビュー」をちょっと覗いて見て、一驚した。訳し落としの指摘や訳文への疑問が一つや二つではないのである。それらの指摘をなさっている読者の方々はもちろん仏語をよく解し、中には塩川訳が底本としている「第一写本」まで確認のためにご覧になった方もいらした(因みに、塩川氏自身が「凡例」に明記しているように、同写本はフランス国立図書館の電子図書館「ガリカ Gallica」で複製版が無料で公開されている。興味のある方はこちらから御覧ください)。
 それらがすべて訳し落としなのか、底本とされた版本の違いによるものなのかは、今時間がなくて私自身は確認できていないが、ちょっと自分で最初の方を数頁見てみただけで、やはり訳し落としと思われる箇所を発見した。
 それは、ラフュマ版の断章番号で13番(ブランシュヴィック版では133番)の断章である。まず原文を掲げよう。よく知られた短い一文である。

Deux visages semblables, dont aucun ne fait rire en particulier font rire ensemble par leur ressemblance.

 中公文庫の前田訳では次のように正確に訳されている。

個別的にはどれも笑わせない似ている二つの顔も、いっしょになると、その相似によって笑わせる。

 塩川訳はこうである。

似かよった二つの顔。別々に見ればおかしくもなんともないが、並べて見ると笑ってしまう。

 何が抜けているか、もうおわかりであろう。原文の « par leur ressemblance » が訳されていない。手元にある La Pochothèque のセリエ版、La Pléiade のルゲルン版いずれにもヴァリアントの注記はない。したがって、写本の段階から原文はこの通りであったとみなしてよいとすれば、この訳し落としは、この文の訳としては、致命的である。なぜなら、二つの似かよった顔が同時に見られるときに私たちが笑ってしまう理由、「それらの相似によって」が、塩川訳ではまったく示されていないからである。
 「カスタマーレビュー」で指摘されている訳し落としを考え合わせると、まだまだ同様な訳し落としが見つかるのではないかと懸念される。そんな「あら探し」に時間を費やしている暇はないが、もう安心して同訳が読めなくなったことだけは確かである。
 もし、これらの訳し落としと思われる箇所が版本の違いによるものでなく、訳者の誤りあるいは不注意によるものであるのならば、訳者ならびに出版社は、直ちに同書を絶版にし、改訂版を刊行すべきである。それが学問的誠実さであり、出版社としての良心であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


去る人来る人、とどまる者

2015-09-23 08:01:05 | 雑感

 毎年夏の終わりから秋口にかけての季節の変わり目は、これから一年あるいはそれ以上フランスで留学生として過ごそうという人たちと留学を終えて本国に帰っていく人たちとが入れ替わる時期でもある。私の職場や身近でも、その入れ替わりが毎年繰り返される。
 これから一年を過ごす留学生たちには、その一年が楽しく充実したものであれと願い、そのために自分に手助けできることがあれば、喜んで力になる。留学を終えて帰国する人たちには、フランスで過ごした一年の経験が学問的にも人間的にもこれからの人生の良き糧となっていくことを心から願い、その遼遠なる前途にエールを送る。
 彼らの留学中にこちらで知り合い、それがきっかけで帰国後も付き合いが続くこともある。その中から、今でも消息のやりとりがあり、機会に恵まれればフランスあるいは日本での再会を喜び合えるような、私にとって大切な関係も生まれた。
 それらの人たちの留学後の活躍を知るのは嬉しい。幸いなことに、私がこちらでいくらかでも親しく付き合うことができた人たちは、ほぼ全員、帰国後にしかるべきポストを得ている。もちろんそれはそれらの人たちにそれだけの実力があるからにほかならない。
 しかし、楽しいことばかりではない。悲しく痛ましい結末の記憶を消すこともできない。自分の無力を深く恥じざるを得ないこともあった。何年振りかに再会して、その心の醜いまでの変貌振りを目の当たりにし、人はここまで堕落できるのかと愕然としたこともある。
 今日、また一人、フランスを立ち去る人がいる。充実した良き一年の留学生活であったろうと思う。帰国後さらなる研鑽を積み、日本に拠点を置きつつ、国際的に活躍できる研究者になってほしい。それだけの素質を持っているのだから、きっとそうなるだろう。
 私は、これからも、来る人たちを迎え、去る人たちを見送る者として、「ここ」にとどまり続けるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鈍色の空から秋雨が降り、心が沈む一日

2015-09-22 16:27:03 | 雑感

 今日のストラスブールは、鈍色の空からときどき秋雨が降って来る、心が沈むような一日。気温は17度止まり。
 昨晩、パリ発最終のTGVに乗り、自宅に帰り着いたのは、午後11時23分。荷物の整理や洗濯など済ませて就寝したのは午前1時頃。
 今日の修士の演習の準備は、昨日日中パリのホテルで途中まで済ませておいたが、今朝早めに起きて仕上げる。
 午前11時から正午まで、オフィスアワー。修士三年目の女学生二人が登録のために指導教官としての私のサインを貰いに来る。二人のもともとの指導教授が病気療養で一年間休暇を取ることになり、その間のピンチヒッターに過ぎないが、論文の進捗状況の報告については、これから受けていく。そのうちの一人とは、先週もシンポジウムの席で会っているし、学科図書館の司書アルバイトもしているから、新学年に入ってからもときどき顔を合せていた。古代日本における「穢れ」「祓え」「禊ぎ」が修論のテーマ。古文書を読みこなし、五行思想の中国文献も参照している。参考にしている日本語の注釈書を見せてくれと先週頼んでおいたので、それを持ってきてくれた。もう一人は、明治の「明六社」の教育思想、特に森有礼のそれがテーマ。彼女はルクセンブルグ出身で、高校までの教育はドイツで受ける。この六月からドイツで仕事をしながら修士論文作成を続けている。夏休み前に会ったときは、なんとなく元気がなく、暗い顔をしていたが、今日数カ月ぶりに会ったら、別人のように明るく、しかも綺麗になっている。きっと「いいこと」があったのだろう。
 修士二年の演習は、丸山眞男「超国家主義の論理と心理」の読解三回目。構文的、語彙的な難しさに学生たちは苦労しているが、段々丸山眞男のスタイルと同論文の論点がわかってきたという手応えをこちらも感じる。
 先週からの疲労が溜まっているせいか、体がだるく、重い。今晩は早めに就寝し、十分に睡眠を取りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


穏やかな秋の陽射しを浴びながら、リュクサンブール公園で

2015-09-21 13:40:35 | 雑感

 今、リュクサンブール公園のリセ・モンテーニュ寄りの樹々に取り囲まれた芝生の広場に面して並べられた鉄製の椅子の一つに腰掛けながら、この記事を書いている。
 今回の土曜日からのパリ滞在は天気に恵まれた。土日は年一回の文化遺産公開日だったこともあり、カルティエ・ラタンも何かやたらに人が多くて騒々しく落ち着かなかったが、今日月曜日は打って変わって静かだ。もちろんノートルダム寺院付近は観光客が絶えることはないが、リュクサンブール公園内は、ゆっくりと散策する人や椅子に腰掛け日光浴する人たちがまばらに見える程度。
 こうして日当たりの良い場所に座っていると、陽射しで体が暖められていく。蒼々と茂る樹々を先程まで揺らせていた少し冷たい風は収まり、花壇のアネモネの桃色の花咲く細い茎だけが僅かに揺れている。
 ここかしこの梢からの鳥達の囀り、公園内のテニスコートからの球音がよく晴れた秋空に響いている。公園の周りの道路を走る車の音もその背景音以上には公園内に侵入して来ない。どの教会からかわからないが、違った方角から異なった鐘の音が輪唱のように響いて来る。
 こんな穏やかな秋の陽射しを浴びながら、しかし、また何かが自分の中で終りを告げたのを感じないわけにはいかない。束の間の喜びが通り過ぎる度に、自分の貧しい魂が裸形に近づいていく。