内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(五)

2019-04-30 23:59:59 | 哲学

 宮邸入りを決心した女の所に宮が訪ねてきて、「かしこに率てたてまつりてのち、まろがほかにも行き、法師にもなりなどして、見えたてまつらずは、本意なくやおぼされん」(「あなたを私の邸にお連れ申し挙げた後で、私がよそに移ったり、法師になってしまったりなどしてお逢いしなくなったら、期待はずれで不満にお思いになるだろうか」)などと心細いことを言うのを聞いて、女は動揺する。頼れるのは宮だけなのに、その肝心の宮がいなくなり、自分一人宮邸に取り残されるなど、想像しただけで耐え難い。女は涙を流す。「なにの頼もしきことならねど、つれづれのなぐさめに思ひ立ちつるを、更にいかにせまし」(「お邸にあがるのは、何といって期待出来ることではないけれど、宮様のお側にあがればつれづれの慰めにはなろうと思って決心していたのに、今更どうしたらよいのだろう」)と女は思い乱れる。
 『和泉式部日記』には、「つれづれ」という言葉が、宮の言葉の中や宮の心情をあらわす描写の中にも五回使われている。宮もまたつれづれの慰めを求める人であった。しかし、つれづれの慰めを求め合う宮と女との恋(こひ)は持続的な愛として成就することはない。それはたまたまそうならなかったというのではなく、最初から二人にはありえないことだった。愉しい時間を二人で過ごすことがあっても、その後には必ず、女は孤悲(こひ)に戻らざるを得ない。罪業からの解脱や魂の救済を求めて出家する決心もつかない。「冥きより冥き途」へと世の中を眺め暮らすほかはないのだ。












和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(四)

2019-04-29 15:49:46 | 哲学

 宮から、方違えの物忌で人目を忍んだ所にいるからと、迎えの車が女の家に来る。宮邸に入ることも決意した後であり、今はもう宮の言うとおりにしようと、車に乗って参上する。

 心のどかに御物語、起き臥し聞こえて、つれづれもまぎるれば、参りなまほしきに、御物忌過ぎぬれば、例の所に帰りて、今日はつねよりも名残り恋しう思ひ出でられて、わりなくおぼゆれば、聞こゆ。
  つれづれと今日数ふれば年月の昨日ぞものは思はざりける
御覧じて、あはれとおぼしめして、「ここにも」とて、
  「思ふことなくて過ぎにし一昨日と昨日と今日になるよしもがな
と思へど、かひなくなん。なほおぼしめし立て」とあれど、いとつつましうて、すがすがしうも思ひ立たぬほどは、ただうちながめてのみ明かしくらす。

 宮と二人、寛ぎ、寝ても起きても話していると、つれづれの思いも紛れる。いっそこのまま宮邸にお仕えしたいと思う。ところが、物忌が終われば、宮は邸に、女は自分の家に、別れ別れに帰る。幸福な一日を二人で過ごした後だけに、女は名残惜しく、苦しく思う。文を宮に差し上げる。
 歌の冒頭にあるように、女はまたつれづれに戻ってしまっている。「この年月の間、昨日一日だけが物思いのない日でした」という歌を御覧じて、宮も女を愛おしく思われるが、昨日のような日が続くような未来は二人にはありえない。宮にできることは、女に宮邸仕えを促すことだけだ。
 しかし、女は決心がつかない。宮邸に入るということは、他の女たちとともに宮に仕えるということだ。宮の愛を独占することはできない。またしても、ただぼんやりと、物思いがちに日々を過ごす。
 つれづれは、宮と共にあっても、「まぎれる」だけであって、解消されることはない。むしろ、別れ別れに帰った後は、つれづれがより一層深まってしまう。あるいは、つれづれという存在様態の根源性がさらに露呈されただけとも言える。












和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(三)

2019-04-28 15:55:16 | 読游摘録

 つれづれなる心はなぐさみを必要とする。女のつれづれは、宮からの文や訪れによってなぐさめられる(以下、本文並びにその現代語訳は、角川ソフィア文庫版の近藤みゆき訳注による)。

かくて、しばしばのたまはする御返りも、時々聞こえさす。つれづれもすこしなぐさむ心地して過ぐす。

ありしよりは、時々おはしましなどすれば、こよなくつれづれもなぐさむ心地す。

 あるいは、つれづれのなぐさめを求めて、女は石山寺に参詣に出かけたりする。

かかるほどに八月にもなりぬれば、つれづれもなぐさめむとて、石山に詣でて、七日ばかりもあらんとて詣でぬ。

 ところが都の宮のことが気になって、参籠どころではない。都から小舎人童によって遥々届けられた宮からの文に女は心を踊らせる。何度かの宮との歌のやり取りの仕舞に、女は「私を迎えに来て」と無理を承知で書き送る。そして、宮の返事も待たずに、参籠を途中でやめ、山を降りる。
 それを知って、「あさましや」(「あきれましたよ」)と歌をよこす宮に対して、

山を出でて冥き途にぞたどりこし今ひとたびのあふことにより
(法の山を出て、この煩悩に満ちた人間の世の中に戻って来ました。もう一度、あなた様とお逢いすることのために)

 「冥途」は本来、死者の霊魂が赴く地下世界をいうものだが、ここでは煩悩に満ちた俗界の意で用いられている。この歌を読んで、式部の代表的名歌、

冥きより冥き途にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月(拾遺集・哀傷・一三四二)

を思い合わせないわけにはいかない。〈つれづれ〉がその根本的な存在様式であるこの冥き俗界から女はついぞ離れることができない。宮からは、しかし、間遠にしか文は来ない。そんなつれずれの折、宮から時宜を得た野分の見舞いの挨拶を受け取る。嬉しく、日頃の無沙汰も許そうという気持ちになって、返歌を送る。

秋風は気色吹くだに悲しきにかき曇る日は言ふ方ぞなき
(秋風はわずかに吹くだけでも悲しいのに、今日のように空が一面に曇り、心まで閉ざされたような日の気持ちは言葉にあらわしようもありません)

 しかし、またいつものように、宮の訪れのないままの日々が過ぎていく。












和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(二)

2019-04-27 12:23:42 | 読游摘録

 『和泉式部日記』には、「つれづれ」という言葉が全部で十六箇所使われている。しかし、そのすべてが「女」(和泉式部)の心情を直接的に表現しているわけではない。最初の用例は、日記のはじめの方に登場する小舎人童の言葉の中である。「宮」(敦道親王)が「女」に送る手紙の中や「女」にかける言葉の中にも出て来る。それらを除いて、女の心事に直接関わる十箇所だけを順に見ていこう。
 最初は、女が宮からの返歌に対して、毎回ではどうかと思い返事しないでいると、宮からまた歌が届いたときに引き起こされた女の気持ちの叙述の中に出て来る。「もともと心深からぬ人にて、ならはぬつれづれのわりなくおぼゆるに、はかなきことも目とどまりて」(「女はもともと思慮深くない人で、まだ経験した事のなかったつれづれの日々が耐えられなく思われていたところだったので、このようにちょっとしたお歌にも目がとまって」近藤みゆき訳、角川ソフィア文庫)、返事の歌を差し上げるというくだりである。
 ここでの「つれづれ」は、恋人であった兄宮を前年に失って以後の、それ以前には経験したことのない無聊の生活を指している。それを耐え難く思っているところに、弟宮の敦道親王からの歌が届き、気を引かれ、「今日のまの 心にかへて 思ひやれ ながめつつのみ 過ぐす心を」(「お心に比べてご想像下さい。兄宮様を失ってから、ずっと孤独と物思いの日々を送っている私の心を」)と返歌する。
 兄宮の喪失は、それまでに経験したことのない深い悲しみと孤独に女を陥れた。その状態がいつ果てるとも知れず続いている状態、それが「つれづれ」である。その「つれづれ」が弟宮とのやりとりで少しは癒やされるかとかすかに期待された。その気持が女に歌を詠ませる。
 ところが、日記に語られる恋物語のその後の顛末が示しているように、二人の関係が深まりゆくにつれ、かえって「つれづれ」も深まってしまう。いかなる慰みによっても、得られるのはつかの間の気晴らしだけ、結果として明らかになるのは、自己存在の「つれづれ」の癒し難さでしかない。












和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(一)

2019-04-26 23:59:59 | 読游摘録

 「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」という『徒然草』のあまりにも有名な序段は、平安期の古典を前提として生まれた表現であり、最後の「ものぐるほしけれ」を除けば、兼好法師のオリジナルとは言えない。
 『宸翰本和泉式部集』の第三四番歌の詞書は次のとおりである。

つれづれなりし折、よしなしごとにおぼえし事、世の中にあらまほしきこと

 『和泉式部集・和泉式部続集』(岩波文庫新版)の八三五番の詞書は次のとおり。

いとつれづれなる夕暮に、端に臥して、前なる前栽どもを、ただに見るよりは、とて、物に書きつけたれば、いとあやしうこそ見ゆれ、さはれ人やは見る

 確証はないにしても、兼好法師が和泉式部の歌集を読んだ可能性は高く、とすれば、『徒然草』の序段を書くときに、上掲の表現が念頭にあったとしても不思議ではない。それに、類似表現は『堤中納言物語』『藤原長綱集』にも見られる。
 「つれづれ」という語そのものは平安期にしばしば使われており、『伊勢物語』『古今和歌集』『蜻蛉日記』『源氏物語』『枕草子』『大鏡』『栄花物語』など、異なったジャンルの平安期の作品に数百例見られる。
 ここでは、しかし、兼好法師の『徒然草』の序段のオリジナリティーにケチをつけることが目的ではない。それに『徒然草』のオリジナリティーは、言うまでもなく、表現の類似を超えたところにある。今日から数回に渡って私が試みたいのは、来週の修士の演習で読む唐木順三『無常』中の「和泉式部日記」の節の読解の準備として、和泉式部が好んで使った「つれづれ」という言葉によって表されている感情について当たりをつけておくことである。
 『古典基礎語辞典』(角川学芸出版)の「つれづれ」の項の解説には、「これ以上続いてほしくはないと思う状態が単調に続いていて、そこから脱却したい、自分が変化したいと思ってもできず、所在なく、心が晴れないさま」とある。この語義は、和泉式部の作品中の用例にも当てはまる。しかし、このような一般的定義だけでは和泉式部固有の感性に迫りきれない。
 新潮日本古典集成版『和泉式部日記 和泉式部集』の校注者野村精一は、「『つれづれ』は和泉式部の愛用語。単なる退屈ではなく、時の空虚さへの焦燥感を表す」と頭注に記している(九七頁)。この頭注が付された歌の詞書は「つれづれのながめ」、歌そのものは「つれづれと ながめくらせば 冬の日も 春のいく日に おとらざりけり」(「何も手につかず、ぼんやりとあらぬ方をながめて日を送っていると、これでは短い冬の日も春の幾日分にも劣らぬくらいに長く感じられるわけだ」野村精一訳)。この歌が野村の言う「時の空虚さへの焦燥感」を表現しているのかどうか、私にはよくわからない。
 和泉式部の「つれづれ」は、けっして充足されることのない存在の空虚と共振している言葉のように私には思われる。
 そんなことをぼんやりと考えていたら、ふと、二十二歳のカミーユ・クローデルがロダンに送った手紙の中の次の一文が思い浮かんだ(2013年8月5日の記事を参照されたし)。

« Il y a toujours quelque chose d’absent qui me tourmente. »

「いつも欠けている何かが私を苦しめています。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


瀬戸内寂聴訳で読む『源氏物語』

2019-04-25 19:22:51 | 哲学

 今日の演習で読んだ唐木順三『無常』「宇治十帖」の節には、当然とはいえ、『源氏物語』からの引用が多い。同節の発表を担当した三人の学生たちは準備に悪戦苦闘したようだが、無理もない。それでも、それぞれに真面目にテキストと向き合い、源氏の原文もなんとか訳そうとしていた。その努力は評価に値する。
 しかし、昨日の記事で触れたように、唐木は巻名を示すのみで、出典箇所を一切明記しないから、現代語訳や仏訳を参照しようにも、引用箇所を特定できず、彼らにはまったく歯が立たない箇所も少なくなかった。
 そのことは当然予想できたので、昨晩から今日の午前中にかけて、私の方で、昨日の記事で話題にしたジャパンナレッジと電子書籍を駆使して、すべての引用箇所を特定し、それぞれに仏訳を付したスライドを準備して授業に臨んだ。最初の箇所の担当だった学生がぎりぎりまで準備にかかり、家を出るのが遅くなり遅刻すると他の学生が授業のはじめに知らせてくれたので、その学生を待ちながら、用意したスライドを使って源氏その他の古典からの引用箇所とその仏訳を提示した。
 日本人だって、研究者・大学院生や古典愛好家を除けば、源氏の原文を注釈も現代語訳の助けもなしに読むことは容易ではない。いちいち注釈書を参照せずに現代語で小説作品のように味読できるように、明治以降、大作家たちが現代語訳を残してくれているが、それとてもなかなかすらすらとは読めないところもある。
 小学生の頃、離れの祖父の書架に与謝野晶子訳が並んでいたので、興味本位で覗いてみたが、まるで歯が立たず、すぐに書架に戻したのを覚えている。初めて全巻読破したのは大学受験の準備の一環として新潮古典集成版を読んだときであった。今年に入って、岩波文庫で現在刊行中の新版で読破敢行中であるが、遅々として進まない。
 そこで、というわけでもないが、ふと最近の現代語訳を読んでみる気になった。あれこれ見比べて、瀬戸内寂聴訳を電子書籍版で今さっき購入した。紙の版もほしいが、これはまた日本から送ってもらわなければならないので、後日の楽しみとする。
 今日の演習で原文を読んだ箇所を読んでみた。とても良い訳だと思う。例えば、夕顔の様子を記述した有名な箇所はこうなっている。まず原文、そして瀬戸内訳を引く。

白き袷、薄色のなよよかなるを重ねて、はなやかならぬ姿いとらうたげにあえかなる心地して、そこととりたててすぐれたることもなけれど、細やかにたをたをとして、ものうち言ひたるけはひあな心苦しと、ただいとらうたく見ゆ。心ばみたる方を少し添へたらばと見たまひながら、なほうちとけて見まほしく思さるれば(日本古典文学全集版)。

女は白い袷の上に、薄紫の着慣れた柔らかな表着を重ねていて、あまり目立たないその姿が、たいそう可愛らしくきゃしゃな感じです。どこと取り立ててすぐれたところもないのですが、身体つきがほっそりとしてたおやかに、何か言う表情など、とてもいじらしくて、ただひたすら可愛らしく感じられます。もう少し心の表情を見せたなら、いっそうよくなるだろうとお思いになりながら、やはりもっと身も心もとけあわせて女と逢いたいとお思いになるのでした。

 この箇所は原文でもさほど難しいところではないが、「心ばみたる方を少し添へたらば」について、玉上琢弥訳は「気どる点を少し加えたら」、全集版訳は「もう少し気どりがあってほしい」、岩波文庫新版では「気取っている方面をもう少し加えているならば(よいのに)」と、みなわりとあっさりしている。
 玉上版の原文の当該箇所の脚注には「心ばみ」について「源氏物語中、これ一例のみ。語義不明」となっているが、実はもう一箇所ある(これもジャパンナレッジのおかげで数秒で特定できた)。それは、「末摘花」の中の「くはや、昨日の返り事。あやしく心ばみ過ぐさるる」という光源氏の言葉の中である。「心ばむ」とは「心遣いをする」「気取る」等の意と説明されることが多い。
 瀬戸内訳は、明らかに岩波古語辞典に依拠している。同辞典の語義には、「気のある風情を示す。心の表情を見せる」とある。この語義が巧みに組み込まれていて、この一節、すらりと読める。最後の一文の「なほうちとけて見まほしく」を「やはりもっと身も心もとけあわせて女と逢いたい」と官能性を織り込んで丁寧に訳しているのも心憎い。
 その他の箇所についても、第三者的な記述文と光源氏の思いの叙述とがなだらかに繋げられており、全体としてとても読みやすくかつ原文に忠実な良訳だと思う。和歌についてはすべて原歌を引いた後で訳を分かち書きで示しているのも親切な配慮だと思う。












電子版データベースの活用が可能にする時間の節約 ― ジャパンナレッジの場合

2019-04-24 23:59:59 | 講義の余白から

 紙の辞書は、調べ物のために引くのも、ただ愉しみのために読むのも好きだが、嵩張る辞書が多いから、何冊も同時に広げると机の上がそれだけでいっぱいになってしまう。それに求めている情報を見つけるのにそれなりに時間もかかるし、それをノートしたり、コンピュータに入力したりする手間もある。授業の準備や研究発表のために複数の辞書を同時に使わなければならないとき、特に時間が限られているときは、この作業は煩わしい。時間を節約したい。
 そこで、少し躊躇った後、三週間ほど前に、ジャパンナレッジに入会した。すべてのコンテンツが利用できる年間契約を選んだ。以来、毎日利用しているが、思っていた以上に重宝で、満足している。複数の辞書類の見出しだけではなく、すべてのコンテンツの全文に検索をかけることができ、たちどころに探している情報やデータが複数のソースから網羅的に引き出せる。
 古典文学の授業の準備で特に便利なのは、 『日本古典文学全集』全巻全文に検索をかけることができることだ。例えば、修士の演習で読んでいる唐木順三の『無常』には、古典文学からの引用がいたるところに出てくるが、出典箇所が明記されていない。原典でその箇所を確認したいとき、短い作品や有名な一節なら、記憶を頼りに原典に直接あたって調べてもそう時間はかからないが、それにしてもいちいち当該の文献を紐解くか、その電子版で検索しなくてはならない。ところが、ジャパンナレッジを使えば、引用されている文の一部を検索エンジンに入力するだけでたちどころに特定できる。
 今回の準備でこんなことがあった。「宇治十帖」の節に『かげろうの日記』からの引用として、「はかなきたはぶれごとも言ふ人あまたありしかば、あやしきさまにぞ言ふべかめる」という一文が出てくる。「はかなきたはぶれごと」と検索エンジンに入力してヒットした箇所は、『かげろうの日記』ではなく『和泉式部日記』にあった。つまり、唐木が間違えているのである。この検索のおかげで、『蜻蛉日記』のテキストの中を無駄に探し回らずにすんだ。ちなみに『蜻蛉日記』には、「はかなきたはぶれごと」という表現はない。
 これは、ほんの一例に過ぎない。これからも大いにこのデータベースを活用していくだろう。












戦後日本の平和主義の行方と憲法第九条について

2019-04-23 17:47:43 | 講義の余白から

 今日は、「近代日本の歴史と社会」と題された学部最終学年の必修科目の一つの最終回であった。復活祭のヴァカンス明けの最初の授業でもあった。ヴァカンス前の最後の授業で、ようやく戦後日本の復興について一回話すことができた。さて、最終回には何を話すか。高度成長期の日本経済とそれに伴う日本社会の構造的変化については仏語でもいくつか良書が出ているから、その話はするまでもない。
 実は、前々から何を話すか決めてあった。それは戦後日本の平和主義と憲法第九条についてである。このテーマについては、前任校でも毎年必ず話した。だから、ストラスブールに赴任する前、つまり二〇一四年以前の関連資料はフォローしてあったのだが、ストラスブールに来てからこのテーマについて話せる授業を担当する機会が昨年度までなく、二〇一五年の安保法制以降については資料の準備もできていなかった。
 結果として、二〇一五年の安保法制以降現在に至る状況説明がちょっと手薄になってしまったが、憲法第九条そのものついては、その条文が起草される経緯・背景、それに関わった主要人物、施行時から現在に至るまでの主要な解釈とそれぞれの支持者・支持層などについては詳しく述べ、自衛隊・個別的自衛権の合憲性についての争点はどこにあり、二〇一五年の安保法制の際に問題となった集団的自衛権の違憲性をめぐる議論などについて話した。
 これらの問題について説明したのは、それが現代日本の置かれた国際的立場を理解する上で不可欠だからというのが第一の理由だが、国際平和の維持というより根本的かつ普遍的な問題を、現代日本の抱える地政学的問題の複雑性を理解した上で考えてほしいという願いもそこには込められていた。
 このように大きくて複雑なテーマには、それこそ一年かけてしかるべきであり、たった一回二時間の授業ではほんの上辺を図式的に提示することしかできないが、それでもなお、私自身このテーマについての勉強を続けつつ、これからも毎年、何らかの仕方で取り上げていきたいと思っている。












食べ物の好き嫌いについての他愛もない話

2019-04-22 23:59:59 | 雑感

 小さい頃から食事についてはかなり厳しく躾けられた。おかげでいわゆる好き嫌いはない。というか、大抵のものは美味しく、少なくともなんでも嫌がらずに食べる。積極的にゲテモノ料理を好むわけではない。そういう趣味はない。
 自分に出されたものはまず残さない。かなり量が多くても、とにかく全部食べる。苦しくても食べる。若い頃は、一緒に食べている人が残すのも我慢がならず、それまで食べていた。今はそこまではしないが、人が食べ残すのを見ると、もったいないような申し訳ないような気にはなる。
 食べ物の好みは年齢によって変わることがある。私の場合、子供の頃は、野菜は全般にそれほど好きではなかった。でも、毎食出るから、食べないわけにはいかなかった。それがいつ頃からだろうか、二十歳を過ぎてからだったと思うが、何も調理していないただの生野菜が美味しいと感じられるようになった。以後、今日まで野菜は全般に好きである。それ以外の食材についても、普段から偏らないように注意している。
 ところが、ここ二三年、なぜかヨーグルトがあまり食べたくなくなってしまった。嫌いになったわけではない。フランスの乳製品は全般に美味しいし、アルザス地方産の乳製品は特に美味しく感じられる。今でも食べれば美味しいと思うのだが、以前のように毎日欠かさずという気になれなくなってしまった。
 自分では理由がよくわからない。どんな感じかというと、食べる前から食感を想像してしまい、なんとなくあの腹に少し貯まる感じが鬱陶しく、「まっ、今日はいいか」と、各社製品がずらりと並んだヨーグルト売り場の前を素通りしてしまうことが多くなった。たまに買っても、何日も冷蔵庫に残ったまま。かつては24個セットを規則的に買っていたが、今そんなことをしたら一月以上、半分は残ったままになってしまうだろう。体にいいということはわかっているが、無理して食べることもないかと自分で自分に言い訳している。
 そのかわりというか、牛乳はよく飲むようになった。一日 400~800cc 飲む。そのまま飲むこともあるが、ココアを混ぜて飲むことが圧倒的に多い。ここ数ヶ月、牛乳タップリのホットココアを就寝前に飲んでいるのだが、これがなんかとてもいい感じなのである。
 もともと寝付きの良さは尋常ではないほどで、布団に入ると五分と目を開けていられない。不眠に悩まされたことはもちろんない。目覚めもよい。それが、ミルクホットココアを飲むようになってから、目覚めがさらによくなった。もともと快調な腸もさらに快調である。
 考え出すと暗くなるばかりの話題に公私ともに事欠かない日々だが、こうして恵まれた健康が精神の最低限の安定性の基礎になっていると思う。












ウィリアム・ブレイク「無垢の予兆」の最初の四行の訳について

2019-04-21 23:59:59 | 詩歌逍遥

 映画『博士の愛した数式』についてあと一言。映画の終わりに、ウィリアム・ブレイクの「無垢の予兆」(Auguries of Innocence)という一三二行の長い詩の最初の四行が大写しになる。

一つぶの砂に 一つの世界を見
一輪の野の花に 一つの天国を見 
てのひらに無限を乗せ
一時(ひととき)のうちに永遠を感じる

 この和訳は、小泉堯史監督自身によるものであることがエンドロールの最後のほうでわかる。原詩は次の通り。

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour

 この四行でひとまとまりを成していて、それが詩全体のキーノートになっている。
 ネット上で見つけた仏訳は次のようになっている。

Voir le monde en un grain de sable,
Un ciel en une fleur des champs,
Retenir l’infini dans la paume des mains
Et l’éternité dans une heure.

 ネットでちょっと探しただけだが、邦訳もいくつもあるようだ。原詩はいたって平明な言葉遣いだが、« To see » をどう取るかでかなり意味の異なった訳になってしまう。仏訳のように、単純に不定法ととって、see と hold 間に特に文法的な差異を認めず、二行ずつ並置されているとみなしている訳がある一方、to see は「見るために」と目的を示し、 « Hold » を命令形ととっている訳もある。
 この後者の解釈は多分無理だと思う。前二行と後二行の間には、そのような目的・手段の関係はないだろう。前二行は、世界や天国という広大なもの或いは目に見えないものを身近な小さなものである「一粒の砂」「一輪の野の花」の中に見るということ、後二行は、無限や永遠という果てしのないもの或いはやはり目に見えないものを「手のひら」「ひととき」という有限なものおいて捉えるということであり、両者は無関係ではないにしても、後者によって前者が可能になるというような関係にはない。岩波文庫版の松下正一訳は次の通り。

一粒の砂にも世界を
一輪の野の花にも天国を見、
君の掌のうちに無限を
一時(ひととき)のうちに永遠を握る

 「見る」と「握る」をそれぞれの二行の最後に持ってきている。原詩が脚韻を踏んでいるのも「を」の繰り返しで再現しようとしている。「見る」にしたほうが脚韻の再現という点ではより忠実になるが、四行の凝集性という点ではやや劣るから「見、」にしたのだろうか。