内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

過去の「痕跡」とそれ自体は把握不可能な「過去そのもの」との区別

2024-02-29 14:33:24 | 読游摘録

 マルク・ブロックの『歴史のための弁明』第二章「歴史的観察」の要点を二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』に基づいてまとめる。
 過去の人間事象の認識は「それ自体としては把握不可能な過去の事象が、われわれに残した感覚可能な痕跡を手がかりとする認識」である。この「痕跡」は歴史家が史料と呼んでいるものである。この「痕跡」とそれ自体は把握不可能な「過去そのもの」とは明確に区別されなくてはならない。
 痕跡は、多種多様であるが、それらは「意図された証拠」と「意図されざる証拠」の二種類にわけられる。今日では後者のタイプの史料が、歴史学の科学性を保証する証拠として重視される傾向にある。それには正当な理由がある。しかし、意図されざる証拠が必ずしも事実を語っているとはかぎらない。
 「初めに史料がある。歴史家はそれを集め、読み、その真正性と真実性を吟味すべく努める。それを済ませてはじめて、歴史家は史料を活用することが可能となる」(« Au commencement, diraient-ils volontiers, sont les documents. L’historien les rassemble, les lit, s’efforce d’en peser l’authenticité et la véracité. Après quoi et après quoi seulement, il les met en œuvre… »)とよく言われるが、そこには歴史家の営みついての根強い誤解が潜んでいる。そして、この直後に先日2月23日の記事で引用した箇所が来る。
 いかなる史料も「それに問いかけるすべを知らなければ何も語ってはくれないのだ」。「あらゆる歴史研究はその第一歩から、その探究にすでに方向性が含まれている」。「いかなる学問であれ受動的な観察は何ら豊かなものを生み出さない」。
このように引用を重ねた後、二宮氏は次のように「歴史的観察」の章をまとめる。

ブロックのいう歴史的観察とは、このように、過去の人間たちが遺した痕跡を手がかりとするものですが、この痕跡から何ものかを読み取ろうとするならば、まずもって自らの質問表を備えていることが不可欠なのでした。問いかけがあってこそ、史料の表面的な記述以上のことを歴史家は捉えることができるというわけです。(213頁)

 ここでの「痕跡」についての説明を読んでいて、パースの記号学の三分類 symbol(象徴)、icon(図像・類像)、index(痕跡・指標記号)をここに導入すると、さらに史料、歴史的観察、歴史学の諸関係を明確にできるのではないかとふと思いついたのだが、この点についてはまた後日(っていつかわかりませんが)立ち戻りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「不確定なもの、未知のものをまえにしての「こころのおののき」こそが研究者の原動力である」― リュシアン・フェーヴル『歴史のための闘い』より

2024-02-28 20:58:47 | 読游摘録

 昨日の記事で紹介したブロックの歴史学の捉え方は彼固有のものではない。ブロックの盟友であるリュシアン・フェーヴルも従来の歴史学の姿勢に対して批判的であった。過度に短い定義は信用し難いというフェーヴルが試みた新しい歴史学の定義は以下の通りである。

L’histoire que je tiens pour l’étude, scientifiquement conduite, des diverses activités et des diverses créations des hommes d’autrefois, saisis à leur date, dans le cadre des sociétés extrêmement variées et cependant comparables les unes aux autres (c’est le postulat de la sociologie), dont ils ont rempli la surface de la terre et la succession des âges.
                                          Combats pour l’histoire, Armand Colin, 1953, p. 20.

私の考える歴史学とは、過去の人間たちが地球上に時代の変遷に応じてつくりあげてきた、多種多様であるけれども相互比較が可能なさまざまな社会(これは社会学の公準である)、この社会的枠組のうちに過去の人びとを位置づけるとともに、その生きた時代と密接に関連させながら、かれらの多様な活動・多様な創作物を対象として科学的におこなう探究である。
                         長谷川輝夫訳『歴史のための闘い』平凡社ライブラリー、1995年、41頁。

 このいささか複雑な定義によって、フェーヴルは、自分たちの新しい歴史学に対して予想される批判に対して、自分たちの立場を鮮明に表明しようとしている。
 二宮氏は、『マルク・ブロックを読む』のなかで、その立場の特徴を以下の三つの点にまとめている。
 第一に、歴史学が対象にするのは、過去の人間たちの活動や彼らが生みだしたものだが、ここでいう人間とは、万古不易の存在としての単数形の「人間」ではなく、多様な姿をとってあらわれる複数形の「人間たち」であり、しかもその人間たちを、生命を持った存在としてまるごと捉えなくてはいけない。近代歴史学の発展とともに、歴史は、政治史、経済史、思想史、美術史などに専門分化してきたが、根本はすべてが関連しあうまるごとの歴史として捉えなくてはならない。これはブロックの主張でもある。
 第二に、人間は社会的・時間的存在として捉えなくてはならない。しかし、デュルケム学派の社会学者がしばしば主張したような「まず社会ありき」ではなく、人間たちこそが社会をつくりだす。これは『アナール』と『社会学年報』の永遠の論争のテーマで、フェーヴルもブロックも社会と個人の関係についてはデュルケムに批判的だった。
 第三に、歴史学を端的に「科学」と呼ばずに、「科学的におこなう探究」と定義しているのは、以下の理由による。歴史研究は、科学的に、つまり合理的な手続きにもとづいているとはいえ、常に手探りをしつつ進んでいくもので、不確定なもの、未知のものをまえにしての「こころのおののき」こそが研究者の原動力である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「起源崇拝」に囚われることなく、「時間のなかにおける人間たち」に寄り添う歴史学

2024-02-27 18:51:41 | 読游摘録

 今日は二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』から、昨日のジャック・ル=ゴフの序文と呼応する箇所を摘録する。両者ともにブロックの『歴史のための弁明』の勘所を的確に押さえているから、同書に関する説明には重なるところが多い。それでも両者の捉え方にはそれぞれの個性も表れているから、両方を紹介することはまったく無益ではないだろう。
 以下、『マルク・ブロックを読む』の一段落(207‐208頁)を、敬体を常体に変え、若干省略した以外は、そのまま紹介する。括弧内は私の補足である(いや、蛇足、か)。

ブロックは、歴史学の対象とするものが何よりもまず人間たち(人間一般ではなく、さまざまに異なった人間たち)であることを強調する。その上で、「時間のなかにおける人間たち」(« des hommes, dans le temps »)であると念を押す。歴史学は、「時間」を基本的カテゴリーとして対象を捉える。この歴史的時間は、持続するものであると同時に絶えず変化するものである。長期的持続の側からだけ見れば、起源において歴史の原型が決定されてしまうことになる。起源に遡り歴史の古層を掘り起こそうとする歴史学に根強い考え方(ブロックはそれを « l’idole des origines »「起源崇拝」と呼ぶ)は、ここに起因する。他方、変化の側からのみ見れば、歴史は断絶の積み重ねということになる。大きな社会的・文化的変容を経験した二〇世紀以来の現代世界は、過去とは断絶しているとも言える。とすれば、時間を遡ることは意味を失う。現在を理解するためには現在科学だけで十分ということになる。現代社会科学の歴史離れの背景にはこのような時間の捉え方がある。ブロックは、このいずれもが正しくないと言う。歴史学は、この一見矛盾しているかに見える二つの時間観念を交錯させつつ対象を捉えようとするところにその独自性があるということになろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


時間のなかを歩みつつ、その時間を考察対象とし、けっして止まることができない

2024-02-26 11:47:21 | 読游摘録

 ジャック・ル=ゴフの序文には、当然のことながら、ブロックの本文からの引用も多数含まれており、それらをよく理解するにはブロックの本文を引用文の前後を合わせて読まなくてはならない。そのような読解作業を忠実に実行し、それをここに再現するとなると、記述が煩雑になり、錯綜しかねない。
 そこで、以下は示すのは、ル=ゴフの序文に対してもブロックの本文に対しても暴力的な振る舞いであるとは知りながら、私自身がル=ゴフの序文から理解し得たことの要約およびそこからの若干の展開である。
 マルク・ブロックにとって、歴史学は、唯一の普遍性と法則性しか認めないような「実証主義」に与するものであってはならないとしても、一つの「科学」でなければならなかった。それはどのような意味での科学なのか。
 『歴史のための弁明』のなかで特に注目されることの一つは、数学・自然科学・生命科学が頻繁に参照されていることである。しかし、それらの参照は、他の「厳密」諸科学から歴史学にも役立つような技法を借り受けるためではなかった。それは、それぞれの科学が一つの学問領域としてその固有の統一性をもっていることを示すためであった。
 ある画一的なモデルをすべての対象に適用することが科学性を保証するのではなく、それぞれの学問の正当性は、合理的な基準に従って選択された諸現象の間に相互に説明可能な関係性を確立することによって保証されるとブロックは考えた。歴史学が科学であり得るのは、単なる事実の羅列の代わりに、「合理的な分類と漸進的な理解可能性」を提示することによってである。
 ブロックは、歴史学に法則性を求めようとはしなかった。「誤った法則」は、絶えざる偶発事の介入によって無効化されてしまうからである。しかし、それは非合理を容認することではない。歴史学が学として有効であり得るのは、合理性と理解可能性とがそこに浸透しているかぎりにおいてである。歴史学の科学性は、自然の側、対象の側にあるのではなく、合理性と理解可能性を追究する歴史家の方法の側にある。
 歴史学はしたがって二重の状況下に置かれる。一方で、ある発展過程の現に到達している一点に置かれている。しかしながら、この発展過程はつねにいささかギクシャクしている。というのも、唯一の発展過程があるわけではなく、唯一の普遍的な思考の歴史の中のなかのある一点に歴史家は固定されているわけではないからである。
 他方、この漸進的な理解可能性の過程において、歴史学は他の諸学のなかで特異な位置を占めている。それは、つねに推移する時間そのものが本来的な考察対象となっており、かつその時間のなかで進展する科学であることにある。一つの科学であるために、歴史学は「動き、進歩しなければならず、他のいかなる学問以上に、止まることができない」。
 他の諸学も時代とともに変化し進歩もする。しかし、時とともに変化すること自体がそれらの学問の目的ではない。ところが、歴史学は、変化してやまない時間そのものを対象としており、かつその時間のなかでの活動であり、その時間のなかに書き込まれ続けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


転換期には、模索と逡巡はむしろ健全な状態である ― マルク・ブロック『歴史のための弁明』より

2024-02-25 17:36:19 | 読游摘録

 二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』第4講の二「歴史家の仕事(メチエ)―『歴史のための弁明』からの摘録を続ける。
 マルク・ブロックの『歴史のための弁明』の序文には、ブロックが当時の学問的状況をどのように認識にしていたかがよく示されている。
 一九世紀の最後の二、三十年から二〇世紀初頭の世代の歴史家には、科学についてのオーギュスト・コント的概念、つまり、厳密な法則性と普遍性への指向が悪夢のようにつきまとっていたとブロックは言う。それに対して、ブロックによると、歴史家たちには二つの反応が見られた。
 ひとつは、このような自然科学をモデルとした認識方法を歴史にも適用し、普遍的法則に合致しないような偶発的事件や個人の役割を歴史から排除してしまう「科学主義」的態度である。デュルケム派の社会学もこの点では同様な立場を取ったとブロックは批判する。
 他方、この「汎科学的」(panscientifique)な歴史理解に反発し、「歴史のための歴史」という狭い世界に閉じこもってしまう「歴史のための歴史家」(historiens historisants)たち、言い換えれば、歴史至上主義的立場に固執する歴史家たちもいた。彼らの仕事は「一種の美的遊戯か、せいぜい精神の健康によい体操」(« jeu esthétique ou, au mieux, d’exercice d’hygiène favorable à la santé de l’esprit »)に過ぎないとブロックは批判する。
 その上で、自然科学自体がいまや大きく変貌し「科学」概念そのものの再定義が進んでいる今日、この事態をふまえ、新たな知的営みとしての歴史学の創造をブロックは提唱している。ブロックは、歴史学が新たな方法を模索して逡巡しているかに見えるのはむしろ健全な状態だと言う。
 そして、若い世代の歴史家たちに向かって、その模索の試みに進んで参加してほしいと呼びかける。その段落を原文で引こう。

J’aimerais que, parmi les historiens de profession, les jeunes, en particulier, s’habituassent à réfléchir sur ces hésitations, ces perpétuels « repentirs » de notre métier. Ce sera pour eux la plus sûre manière de se préparer, par un choix délibéré, à conduire raisonnablement leur effort. Je souhaiterais surtout les voir venir, de plus en plus nombreux, à cette histoire à la fois élargie et poussée en profondeur, dont nous sommes plusieurs – nous-mêmes, chaque jour moins rares – à concevoir le dessein. Si mon livre peut les y aider, j’aurai le sentiment qu’il n’aura pas été [absolument] inutile. Il y a en lui, je l’avoue, une part de programme.

 ブロックがどのような時代認識とともに『歴史のための弁明』を書いたかについては、ジャック・ル=ゴフも Apologie pour l’histoire(DUNOD Poche, 2024)の序文で詳しく論述している。明日の記事ではそこを読んでみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「われわれの学問から詩的な部分を取り去らないように注意しよう」― マルク・ブロック『歴史のための弁明―歴史家の仕事』より

2024-02-24 17:19:04 | 読游摘録

 昨日の記事でジャック・ル=ゴフについてアナール学派の「第三世代」という表現を使ったが、出典を示すのを忘れた。直接の出典は、マルク・ブロック『比較史の方法』(講談社学術文庫、2017年)の高橋清徳氏による訳者解説である。この本の紙版(私が所有しているのは電子書籍版)、全体で136頁だが、その三分の二近くを訳者解説が占めている。方法論的観点からみたフランス史学史におけるブロックの位置づけ、ブロックのいう比較の方法、特にその論理的性格についての詳細な論述は大変勉強になる。「第三世代」という表現には後注が付いており、出典は Traian Stoianovich, French Historical Method: The Annales Paradigm, with a foreword by Fernand Braudel, Ithaca, Cornel University Press, 1976, p. 46 であることがわかる。
 当のブロックの原文 « Pour une histoire comparée des sociétés européennes », Revue de synthèse historique, décembre 1928, pp. 15-50 はフランス国立図書館の電子図書館 Gallica で読むことができる(こちらのリンクが同論文の最初の頁。後続の頁も本文の左側に縦に示された当該頁をクリックすれば閲覧できるし、ダウンロードもできる)。同論文が収められた紙版の書籍で入手しやすいのは、Marc Bloch, L’Histoire, la Guerre, la Résistance, Gallimard, « Quarto », 2006 である。
 二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』(岩波現代文庫)は、昨日紹介したブロックの『歴史のための弁明―歴史家の仕事』について二十数頁にわたって解説している。以下、そこから摘録する。ただし、本文をそのまま引用するのではなく、内容を要約する。
 『歴史のための弁明』は一九四一年から四三年に書かれたと推測される。四三年にブロックは対独レジスタンスの地下活動に入り、翌年六月ゲシュタポによって銃殺されてしまう。そのような過酷な状況下で本書は書き継がれ、未完に終わる。
 ブロックはこの書物において、歴史学批判に対して申し開きをしようとしたのではなく、歴史学とは本来どういうものであるかについて、自分の考えを積極的に主張している。
 この本の序文は、ある少年が歴史家である父親に対して投げかけた「パパ、歴史はいったいなんの役に立つの、さあ、ぼくに説明してちょうだい」(« Papa, explique moi donc à quoi sert l’histoire. »)という問いで始まる。ブロックは、この「幼い問いかけ」に本書全体で真正面から真剣に立ち向かい、答えようとする。
 しかし、ブロックはこの書物のなかで模範解答を書いてみせたのではない。「むしろ決定的な答えは出せないにもかかわらず、常にそこに立ち戻っていかなければならないところにこそ、このような根源的な問いの意味がある」ことを二宮氏は強調する。
 ブロックは、人間の生き方と歴史はどのような関係を持ちうるかを考えていく。一般の人びとが歴史にひきつけられるのは、学問的な知識欲以前に、そこに物語の面白さ、独特の美的な愉楽を見出すからで、この否定しがたい魅力を大切にしなければならない。「われわれの学問からこうした詩的な部分を取り去らないように注意しよう」(« Gardons-nous de retirer à notre science sa part de poésie. »)とブロックは訴える。
 その上でブロックは、こうした感性に訴える歴史叙述の機能は、知的関心を充足させることと矛盾するものではなく、またその知的関心も単に知識を獲得するというよりは、諸現象のあいだに説明的な関係を見出す「理解可能性」intelligibilité の追究なのだという重要な指摘をする。ブロックにとって歴史叙述とは、「特異なものを知る喜び」(« volupté d’apprendre des choses singulières »)を読者に与えるだけではなく、多様な現象のあいだに相互連関を読み取り、そこにひとつの理解可能な社会的図柄を描出する試みであり、それはまことにスリリングな精神の営みである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「史料は問いかけねば答えてくれない」― マルク・ブロックとアンリ・ポアンカレの交点

2024-02-23 15:10:35 | 読游摘録

 昨日の記事で述べたように、マルク・ブロックに対する私の関心は、そのきっかけからすれば四半世紀余りに及ぶ(と書いて気づいたのだが、最近わりと頻繁に「四半世紀」という表現を使うようになっているのは、自分の過去をそれくらいの時間の幅で振り返るときある「像」を結ぶようになったからかも知れない)。
 他方、直近のきっかけは、二宮宏之氏の『全体を見る眼と歴史家たち』(平凡社ライブラリー、1995年)の電子書籍版(2023年)を読んだことにある。同書には、マルク・ブロックの名がアナール学派の盟友リュシアン・フェーブルの名と共に頻繁に出てくる。両者に言及されている箇所には、彼らそれぞれの著書からの引用も何回か出てくる。そのうちの一冊が、一昨日の記事で言及した Apologie pour l’histoire ou métier d’historien(『歴史のための弁明―歴史家の仕事』)である。
 「史料は問いかけねば答えてくれない」というブロックの言葉は同書からの引用で、出典を示す注のなかで二宮氏は、「この書物は、一九四四年レジスタンスに倒れたブロックが、死後に遺した「覚書」であるが、新しい歴史学の基本的な考え方を提示した、すぐれた歴史論である」と賛辞を記している。引用された一文は他に二箇所『全体を見る眼と歴史家たち』に引かれており、それらの前後の文脈からして二宮氏が歴史家の基本的態度としてこれを重視していたことがわかる。
 アナール学派の「第三世代」の旗手であったジャック・ル=ゴフは上掲のブロックの本(DUNOD Poche, 2024)に三六頁にわたる長い序文を寄せているが、そのなかにも当該の一節が次のように引用されている(p. 29)。

L’essentiel est de bien voir que les documents, les témoignages « ne parlent que lorsqu’on sait les interroger […] ; toute recherche historique suppose, dès ses premiers pas, que l’enquête ait déjà une direction ».

この引用は、間に[…]があることからもわかるように、中間に省略がある。歴史学の方法論として本質的なところだけを抽出している。その上でル=ゴフはこう続けている。

L’opposition ici est nette avec les conceptions des historiens dits « positivistes », mais Marc Bloch rejoint ici un mathématicien célèbre, Henri Poincaré, qui avait réfléchi sur ses pratiques scientifiques et celles de ses confrères et montré que toute découverte scientifique se produit à partir d’une hypothèse préalable. Il avait publié, en 1902, La Science et l’Hypothèse.

 つまり、「あらゆる科学的発見はそれに先立つ一つの仮説から生まれる」というポアンカレのテーゼとブロックの歴史的思考の原則とは一致するということである。言い換えれば、史料への問いかけそのものが一つの仮説であるということである。
 このブロックのテーゼについて二宮氏はつぎのように説明を加えている。

ブロックは、史料は問いかけねば答えてくれないと言ったが、問いかけるためにはまずもって相手の素性を十分見極めておかねばならないし、答えを抽き出すためにはそれに応わしい技法を心得ていなければならない。史料は、その生かし方を識っている者にのみ、その生命を明かすのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今はもう存在しないマルク・ブロック大学

2024-02-22 23:59:59 | 雑感

 私がストラスブール大学哲学部の博士課程に登録したのは1996年のことだが、当時、ストラスブール大学という一つの大学はなく、三つの大学に分かれていた。理系はルイ・パスツール大学、社会科学系がロベール・シューマン大学〔欧州連合の父の一人とされる Robert Schuman(1886‐1963)にちなむ〕、人文系がストラスブール人文科学大学(Université des Sciences Humaines de Strasbourg=USHS)と名づけられていた。便宜上、上から順に、ストラスブール第一・第三、第二大学と呼ばれてもいた。哲学部はUSHSに属していたが、どうして第二大学だけ大学にゆかりのある人名ではなく「人文科学」という殺風景な名称なのか、当時疑問に思っていた。
 後になってわかったことだが、第二大学にも人名を冠そうという案はあったのだが、意見が割れてなかなか決まらなかったのだそうだ。候補として、ストラスブール大学神学部出身で医学部でも学んだアルベルト・シュヴァイツァーと文学部で十七年にわたって教鞭をとった歴史学者のマルク・ブロックとが挙がっていたそうだ。ところが、前者は大学の教壇に立った期間が短く、結局ストラスブールを去った人だという反対意見があり、後者についてはユダヤ人だという理由を振りかざす強硬な反対派がいて、議論が紛糾してしまったという話を聞いたことがあるが、真偽の程はわからない。
 それはともかく、私が在学している間にマルク・ブロック大学という名称に変更された。私の博士号の証書にはそう記されている。ところが、2009年に上記の三大学が統合されて現在のストラスブール大学となった。つまり、もう「マルク・ブロック大学」という名称の大学はフランスに存在しないのである。三大学に分かれる以前は長年「ストラスブール大学」という名称だったのだから、元に戻ったとも言うことができる。
 マルク・ブロックの名前は留学以前から『封建社会』の著者として知ってはいたが、みすず書房版の邦訳をちょっと読んだだけで、本人についてはほとんど何も知らないに等しかった。ところが、自分の在学している大学の名前になったことがきっかけで、その学問と生涯に関心を持つようになった。そして、彼が創始者の一人である「アナール学派」へと興味は広がっていった。
 昨日の記事で言及した二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』(岩波現代文庫、2016年)とマルク・ブロック自身の著作を参照しながら、明日からマルク・ブロックについて少し書いてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あれこれ考えたいことを好きなだけ考えていられる時間を恵まれているありがたさ

2024-02-21 23:01:02 | 雑感

 一昨日月曜日から、来年度の修士論文の指導依頼や今年度の学部卒業小論文の指導依頼があったり、来年度からの新しいカリキュラムで担当する日本思想史で取り上げるテーマをぼんやり考えたり、やはり来年度の日仏合同ゼミのテーマと課題図書の候補をあれこれ考えたりしていて、それだけで三日間が経ってしまった。そのことを後悔しているのではない。それどころか、指導依頼をむしろ喜んでおり、他のことで煩わされることもなく考えたいことを考えていられることをとても幸いなことだと思っている。
 修士論文指導依頼は、他大学の学部学生からで、日本語の論理を哲学の問題として考えたいというまだ漠然とした話だが、修士でストラスブールに来るのはかまわないけれど、哲学的な刺激をいろいろ受けたいならばパリのほうがいいから、イナルコの先生にも相談しなさいとアドヴァイスする。
 学部小論文の指導依頼は、前期私の二つの授業に出ていた学部三年生からで、三宅一生のデザインに見られる服飾の哲学をテーマにしたいという。何を考えているのか、まだちょっとよくわからないが、まずは研究計画書とさしあたりの文献表を準備するように指示する。具体的な指導計画はそれを見てからにしようと本人に伝える。
 来年度の日仏合同ゼミのテーマを考えるのは、毎年恒例の悩ましいお楽しみ。机の上に積み上げられた数十冊の仏語参考文献を漁りながら、あれもいい、これもいいと選択に苦しむ。でも、きりがないから、一応、三つに絞る。第一候補は「ケアの倫理」。第二候補は「妊娠中絶」。第三候補は「死刑」。第二と第三は、かねてより取り上げたいと思っていたテーマではあるのだが、学生たちが拒否反応を示す恐れもある。その点、第一候補はまあ「無難」であり、まさに「旬」でもあり、日英仏語での参考文献にも事欠かない。
 最終決定は私の一存ではできないので、まだどうなるかわからないけれど、「ケアの倫理」についての共通課題図書はすでに候補を二冊選定済(でも、まだヒミツ)。
 上記の話題とは関係ないが、ストラスブール大学と縁の深い歴史家マルク・ブロックの歴史学の方法も来年度の思想史の授業のどこかで取り上げたい。Apologie pour l’histoire ou métier d’historien (松村剛訳『新版 歴史のための弁明―歴史家の仕事』岩波書店、二〇〇四年)のポケット版の新装版(DUNOD Poche)が今年になって刊行されたのがそう思った一つのきっかけ。二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』(岩波現代文庫、2016年)もその折に紹介したい。そう思うのは、二宮氏がフランス語で書かれた日本近世史 Le Japon pré-moderne 1573-1867, CNRS, 2017 は日本学科の学生たちにとって必読文献だということがある(今年になって同書のポッシュ版が刊行された)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日仏独合同ゼミという夢を見てみようか

2024-02-20 15:38:42 | 雑感

 一口に日本研究といっても、ヨーロッパの中でもその大学内での位置づけと現状は国ごとに異なる。ストラスブールからハイデルベルクまでアウトバーンで一時間半ほどであり、フライブルグには一時間もかからない。実際、この両都市にある由緒ある大学とストラスブール大学との間には、分野によっては活発な交流が学生間でも教員間でもある。
 ところが、こと日本研究に関しては、交流はほぼない、と言わなくてはならない。コロナ禍以前に、フライブルク大学哲学部博士課程に在籍し京都学派に興味がある学生が、大学間協定の枠を利用して私の授業を聴きに二・三度来たことがあったが、彼の方の事情でそれっきりになってしまった。ハイデルベルク大学には歴史ある日本学科がありながら、私の知るかぎり、まったく交流がない。かねがね残念に思っていたが、どうも先方に「気がない」ようである。
 ストラスブール大学の日本学科とドイツ語学科に同時に在籍していて、昨年学部三年次にハイデルベルク大学に半期留学していた女子学生が今年は日本学科の修士一年に登録している。学業において優秀かつ人柄もよく、先日の日仏合同ゼミに参加した日本人の学生たちの多くから好かれていた。来年度は学習院大学への一年間の留学が決まっている。
 先週土曜日の大学公開日には学生代表の一人として彼女も参加してくれた。プログラム終了後、「先生、ちょっと相談があります」と話しかけてきた。せっかく日仏合同ゼミが正式授業としてストラスブールにあるのだから、そこにハイデルベルク大学の学生にも参加してもらったら、もっと活発なプログラムにできるのではないか、という提案だった。
 「それが実現できたら、ほんとうに素晴らしいね。ハイデルベルク大学日本学科の学生たちはとても優秀だから、ストラスブール大学の学生たちにもよい刺激になるだろうしね。ところがねぇ、どうも先方はそういう話に乗り気じゃないんだよ。」「どうしてですか?」「よくわからないのだけれど、先生たちが忙しくてそれどころじゃないのかな。でも、せっかくの提案だから、今度の教員会議で話題にしてみるよ。」「お願いします!」
 ということで、この一件、来週月曜日の日本学科の教員会議に謀ってみることにした。もし前向きな反応が同僚から得られたら、その実現に向けて「最後のご奉公」として微力ながら尽力する所存である。