内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私撰涼文集(七)「夏の月光をしまず照るときは」― 塚本邦雄『新撰小倉百人一首』より

2023-07-31 00:57:01 | 読游摘録

 昨日取り上げた丸谷才一の『新々百人一首』に先立つこと約二十年、塚本邦雄は、小倉百人一首の百人の歌人はそのまま踏襲し、それらの歌人たちのより優れた歌を選び直し、それぞれの歌に評釈を付し、同歌人の類縁歌及び参考となる歌も挙げて評釈した『新撰小倉百人一首』を一九八〇年に文藝春秋社から刊行している。二〇一六年に講談社文芸文庫の一冊として再刊されている。
 藤原興風の秀歌として次の一首を挙げている。夏の歌として、斬新、清冽、流麗。

夏の月光をしまず照るときは流るる水にかげろうふぞたつ

 「光をしまず」なる第二句は、語勢ほとばしるかに、思ひきつた表現で、春月、秋月、あるいは寒月と、おのづから異なる月光を、的確に現してゐる。たぎち流れる川の水面が千千に亂れて月光を返し、水泡も亦白くきらめき、けぶり立ち、春の野の陽炎、夏眞晝の水陽炎を思はせる。水の上に月陽炎立つ夏の夜の歌とは、けだし二十一集中にも、その例は多くあるまい。自然描寫、景色の眺め方が、いはゆる「月次屏風」の繪のやうに固定しつつある時代に、繪筆には恐らく冩し得ぬ光景、作者の目にだけ映ずる幻想的な世界を、簡潔に再現したこの言葉の力は、評價し直されてしかるべきだらう。夜の水の歌については紀貫之の作にも近似した手法が無くもないが、夏の月は珍しからう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私撰涼文集(六)「片帆にかくる風のすずしさ」― 丸谷才一『新々百人一首』より

2023-07-30 06:37:44 | 読游摘録

 『新々百人一首』(新潮社、一九九九年)は、丸谷才一が王朝文学史についての深い学識に基づき独自の鑑識眼によって選りすぐった古代から中世までの名歌人による名歌百首である。
 本書の意図について丸谷は「はしがき」で次のように述べている。「この詞華集にしてかつ注釈と評論集を兼ねる本がわたしの王朝文学史になるやうに仕組みたい、それによつてわたしの文学史の展望を差出したいといふことであつた。」「わたしの本は、古代の帝の、むしろ呪文に近い何かなのかもしれない口ずさみから、中世の連歌師の、俳諧を予感させる侘言までを収め、配列し、解釈し、鑑賞する試みになつた。さふいふ移り変りの姿のなかにわたしは天皇家と藤原家の文藝としての王朝和歌の全史を示したいと願つたのである。」(10頁)
 本書の中から夏の部の藤原信実の一首とそれについての丸谷の注釈の一部を引用する。

むろの海や瀬戸の早舟なみたてて片帆にかくる風のすずしさ

 播磨の室泊は古代から中世にかけて栄えた良港である。[…]ただしどういふわけか、一流歌人による絶唱が詠まれず、歌枕としての位置を確立することができなかつた。 
 この藤原信実の一首は、[…]「船納涼」ないし「舟中納涼」といふ題で詠んだものだが、動きがあつて景色が広く、気がせいせいする。信実が似絵の名手であつたことをここで持ち出すのは批評の常套とはいへ、しかしこのくらゐ見事に絵画的な小品に接したとき、詩中に画のある趣に触れないのもをかしなものだらう。
 […]
 その室の港の海がまづわれわれの眼前にひろがり、そこでは瀬戸(両側から陸地が迫つて海の狭くなつたところ、干潮時、満潮時には潮の流れが早い)をゆく早舟(漕ぎ手の多い速力の早い舟)が波を立てて進む。そのとき片帆(舟が横風を受けて帆走するときの帆の状態、帆を斜めに張る)に受ける風の涼しさよ、といふわけである。
 躍動感と爽快感にみちてゐる。かういふ楽しさを歌つた作は、王朝和歌では珍しい。ひよつとするとこの一首だけか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私撰涼文集(五)老女の昔語りから蘇る懐かしい少女の声 ― 今泉みね『名ごりの夢 蘭医桂川家に生まれて』より

2023-07-29 00:43:27 | 読游摘録

 幕末の将軍家御典医であった七代目桂川甫周(国興、1826‐1881)の娘みねが齢八十になってから息子の求めに応じて語り遺した聞き書き『名ごりの夢 蘭医桂川家に生まれて』(平凡社ライブラリー、2021年。原本、私家版、1940。初版、長崎書店、1941年。平凡社東洋文庫、1968年、解説・金子光晴)は、昔語りの名作として名高い。その全編が涼やかな文集になっているが、その中からみね自身が「涼しいお話」として語った「氷」と題された一文を引く。

 何か涼しいお話をと思って、心にうかんだのは氷のことでございますが、私の子どもの自分は氷をいただくなどということは、ほんとに一夏にたった一度だったようにおぼえます。それも普通では手にはいらないのでございますから、氷もとても尊いもののように考えられました。なんでもその氷はお城から諸大名や旗本等へ下りたのでございまして、一般の人たちへ氷がゆきわたるようになりましたのは明治になってからではないでしょうか。
 お氷の日は父は常より早く登城いたしまして頂戴いたしました。それをお待ちうけする邸では大さわぎ。いよいよいただける段になりましても、私などは重ねた両手もしびれるほどにお待ちしていただきました。うすらおぼえではございますが、一寸角ぐらいなのをかさねた手に浅黄のおふきんを布いておしいただきました。もううれしくてうれしくて、お廊下をかけて自分の部屋までまいりました時には大方半分くらいになってしまったことも忘れられません。ある時は雪のようなのを、そのころ西洋から来たという銀の大匙に一ぱいいただいたこともありましたが、それはすぐ消えるように融けてしまって、オイオイ泣き出したことも思い出します。(170-171頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私撰涼文集(四)「それは奇跡のような素晴らしい夜だった」― ドストエフスキー『白夜』より

2023-07-28 00:43:09 | 読游摘録

 堀田善衛の『ミッシェル 城館の人』(上中下三巻、集英社文庫、2004年。初版、集英社、1994年)をこの五月に開催された「マイ・モンテーニュ月間」中に読んでいたら、他の堀田作品も読みたくなり、遠い若き日に読んだ『若き日の詩人たちの肖像』(上下二巻、集英社文庫、1977年。初版、1968年、新潮社)を読み直そうと上巻を開いた。すると、エピグラフとしてドストエフスキーの『白夜』の冒頭が掲げられていた。上巻の本文にも、ドストエフスキー二十七歳のときの作品からとして同一箇所が引用されている。最初に読んだときには特に印象に残らなかったようで、すっかり忘れていた。ところが、今回読み直して、ひどく心に染みた。堀田が引用しているのとは別の、同作品の最新訳で同箇所を掲げる。

 それは奇跡のような素晴らしい夜だった。親愛なる読者よ、僕たちが若いときにのみあり得るような、そんな夜だった。満天の星で、あまりにも明るいので、見上げていると、こんな空の下に、怒りっぽい人間だの、気まぐれな人間だの、そうした雑多な人間が本当に存在し得るだろうかと、どうしても自分に問いかけずにはいられない。これもまた、若者らしい質問だが、どうか神様があなたの心にもなるべく頻繁に、こういう質問を送ってくださいますように!
                     『白夜/おかしな人間の夢』(安岡治子訳、光文社古典新訳文庫、2015年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私撰涼文集(三)「水の活動的で生き生きとした本質」― メルロ=ポンティ『眼と精神』より

2023-07-27 02:58:19 | 読游摘録

 今回の集中講義で読むメルロ=ポンティの『眼と精神』のなかで、もっとも美しい文章としてかねてから嘆賞している一節がある。この一節は二〇二〇年一月十三日の記事にすでに引用しているのだが、もし『私撰涼文集』をほんとうに私が編むとしたら必ず撰ぶ文章なので、ここにあらためて仏語原文と日本語訳を引用する。そこに描写されている真夏の南仏の瑞々しい光景を想像しながら、どうぞとくとご賞味ください。

Quand je vois à travers l’épaisseur de l’eau le carrelage au fond de la piscine, je ne le vois pas malgré l’eau, les reflets, je le vois justement à travers eux, par eux. S’il n’y avait pas ces distorsions, ces zébrures de soleil, si je voyais sans cette chair la géométrie du carrelage, c’est alors que je cesserais de le voir comme il est, où il est, à savoir : plus loin que tout lieu identique. L’eau elle-même, la puissance aqueuse, l’élément sirupeux et miroitant, je ne peux pas dire qu’elle soit dans l’espace : elle n’est pas ailleurs, mais elle n’est pas dans la piscine. Elle l’habite, elle s’y matérialise, elle n’y est pas contenue, et si je lève les yeux vers l’écran des cyprès où joue le réseau des reflets, je ne puis contester que l’eau le visite aussi, ou du moins y envoie son essence active et vivante. (L’Œil et l’Esprit, Gallimard, 1964, p. 70-71)

水の厚みを通してプールの底のタイル床を見るとき、私は水や水面の反射にもかかわらずそのタイル床を見るのではなく、まさに水や反射を通して、水や反射によって見るのである。もしもそうした歪みやまだら模様の照り返しがないならば、もしも私がそうした肉なしにタイル床の幾何模様を見るならば、そのときにはタイル床をあるがままに、あるがままのところに、すなわち、どんな同一的な場所よりも遠いところに見ることをやめてしまうだろう。水そのもの、水というあり方をした力、とろりとして煌めく元素、それが空間のなかにあると言うことは私にはできない。というのも、それは別の場所にあるわけではないが、プールのなかにあるわけでもないからである。それはプールに住んでいて、そこで物質化しているのであって、それはプールに含まれているのではなく、もしも糸杉の遮蔽林の方に眼を上げて、そこに水面からの反射の網の目をつくっているのを見るならば、水がその遮蔽林のところにも訪れに行っていること、あるいは少なくとも、そこに水の活動的で生き生きとした本質を送り届けていることを私は疑うことができないだろう。(『メルロ=ポンティ『眼と精神』を読む』富松保文訳・注 武蔵野美術大学出版局、2015年、159‐160頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私撰涼文集(二)「生と死とまたふたつながらに美し」― 入矢義高「生と死 ― 水と氷の喩えをめぐって」より

2023-07-26 02:18:03 | 読游摘録

 入矢義高のこの美しい文章を知ることができたのは、保苅瑞穂の『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』(講談社学術文庫、2015年)のなかに引用されていたからだ。この文章は、『求道と悦楽 ― 中国の禅と詩』(岩波現代文庫、2012年)に収められている。その冒頭に寒山子の詩が引かれている。

欲識生死譬  生と死の譬えを識(し)らんと欲せば
且将氷水比  且(しば)らく氷と水を将(も)って比(たと)えん
水結即成氷  水結ぼるれば即ち氷となり
氷消返成水  氷消(と)くれば返って水と成る
已死必応生  已に死すれば必ず応(まさ)に生まるべく
出生還復死  出で生まるれば還(は)た復(ま)た死す
氷水不相傷  氷と水とは相傷(そこな)わず
生死還双美  生と死と還(ま)た双(ふた)つながら美(よ)し

 つまり、氷が融けて水に還るという天然自然の循環サイクルをもって生と死を説明しているわけである。生と死がそのようなものであり、「一来一往」(『列子』天瑞篇)する連環運動である以上、生を喜び好み、死を悪(にく)み畏れるという俗情は、全くナンセンスそのものだということになる。この詩の末句の「生死還双美」とは、まさにそのような俗情を向こうにまわして、「生も死もどちらもめでたきものなのだ ― ちょうど水と氷が相敵対するものではないように」と教えているわけである。(173‐174頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私撰涼文集(一)山川菊栄『武家の女性』(岩波文庫)

2023-07-25 03:49:02 | 読游摘録

 酷暑をその只中にあって涼やかに過ごす手立てはないか。それを読むと心身ともにすっとするような、涼風のごとき文章を毎日少しずつ味わうのもその手立ての一つではなかろうか。
 もっぱら私の好みのみによる、しかもいきあたりばったりの選択に過ぎないが、そんな文章を今日からしばらく摘録していく。題して「私撰涼文集」。読んでくださる皆様にも涼風が届くことを願いつつ。
 初日の今日は、山川菊栄『武家の女性』(岩波文庫、一九八三年)の「お塾の朝夕」の冒頭二段落。

 トントン、トントンと小さな拳で表門を叩く音が次第に高く、続けざまに聞こえてきます。門番の彦八爺さんが、門脇の長屋から起き出して草履をつっかけながら出ていったのでしょう、ギーと門の扉があく音がします。まだ前髪つきの、短い小倉袴に脇差一つ(武士の子でも十三、四までは脇差だけです)、キリッとした格好の小さなお侍の子供たちが二人、三人、次々にわれがちにはいって来ます。
 まだしらじら明けの、霧の深い夏の朝です。手習い子たちの「トン、トン」と門を叩くのを合図に、奥の方の女も子供も一せいに起き出して、雨戸をくくります。庭の草にはまだ夜露がしっとりと、時には明けきらぬ空に名残の月が仄白く残っていることさえあります。井戸にはつるべの音、勇ましい水の音。そして台所にはチョロチョロ、パチパチ、大きなかまどの下に火が燃え始めて、白い煙が連子窓から外へ流れ出します。部屋部屋には、ハタキや箒の音。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


発見的読書の楽しみを分かち合う会読として演習

2023-07-24 23:59:59 | 講義の余白から

 一週間後、来週の月曜日から集中講義が始まる。その準備も本格化している。で、今日から集中講義が終了する八月四日まで、このブログの記事はいつもより短くなる。
 テキストであるメルロ=ポンティの『眼と精神』は、三十数年前にはじめて精読してから、折に触れて読み返してきた。2006年の春から夏にかけて、私が指南役となって数名の日本人留学生たちと読書会を開き、その仕上げとして、ブルターニュの小さな村で合宿までした。懐かしい。
 ここ数年、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の一部を陰翳の現象学的記述として読むための視座を与えるテキストして、授業、講演、研究発表等で繰り返し取り上げても来た。私にとって、いわばもっとも手に馴染んだ哲学書である。
 とはいえ、全文掌を指すが如くという境地にはほど遠い。読むたびごとに発見がある。だからこそ読み直すのが楽しくもある。そんな楽しさを学生たちと分かち合いたい。それが今回の集中講義の目的だと言ってもよいくらいである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哲学の脱中心化から、多中心的で地方色豊かな哲学の起動へ

2023-07-23 16:38:30 | 哲学

 今朝、思いがけず、カナダ・ケベック州にあるラヴァル大学からシンポジウムへの招待メールが届いた。講演者の一人として参加してほしいという。シンポジウムは10月5日から7日まで、講演者は私を含めて8名、それに16名の発表者が一般公募される予定である。
 シンポジウムのタイトルは « Provincialiser la philosophie » となっている。直訳すれば、「哲学を地方化する」あるいは「哲学を地方色豊かなものにする」となるが、これだけでは何が主題なのかよくわからない。添付されたポスターの趣旨説明によると、これまでヨーロッパに独占され、そこを中心として構築されてきた哲学を、脱中心化するための多様な視点を〈非ヨーロッパ〉から提示することがその眼目のようである。〈非ヨーロッパ〉のなかには、東洋にかぎらず、アフリカ、建国初期の北アメリカ諸国も含まれている。
 「西洋」と「東洋」とを対比・対立・対決させるという、それ自体がヨーロッパ中心主義な枠組みの脱構築は言うまでもなく、ポスト・コロニアリズムというすでに常套化したパースペクティヴの相対化をも視野に入れ、哲学を単に脱中心化するのではなく、多中心的でトランスナショナルな動態としての哲学の起動を目指そうという野心的な企画である。
 「世界哲学」などという、この上なく大風呂敷で、実のところはセカイの哲学のコクサイ見本市に過ぎず、とどのつまりは非ヨーロッパ在住の「名誉白人」たち(本人たちは無自覚かも知れないが)による欧米哲学主導的なお祭り騒ぎとは明らかに一線を画している。
 私にお声が掛かったのは、招待メールによると、現象学と日本の哲学という私の「ハイブリッド」な研究領域(メールには double spécialisation という表現が使われていた)がシンポジウムの趣旨に相応しいということのようである。光栄なことである。喜んで参加するとの返事を送った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「無意識」の抑圧の構造に対置された、「ひとりの人間の潜在的な可能性の総体」としての錯綜体

2023-07-22 18:30:20 | 哲学

 ヴァレリーの〈錯綜体〉概念に戻ろう。
 伊藤亜紗著『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』第III部「身体」第二章「生理学」の「能力としての錯綜体」と題された節は、ヴァレリーがなぜ錯綜体という概念を強調するに至ったかを説明するのに、一九二〇‐一九三〇年代のフランスの知的風土を喚起している。この箇所はヴァレリーの錯綜体を理解するためにとても重要なので、要所をほぼテキストそのままに摘録する。
 その時代の知的風土を席巻していたのはフロイトの精神分析である。ヴァレリー自身、フロイトの「無意識」と自身の「錯綜体」との見かけの近似性は意識していた。しかし、「錯綜体という概念は、最初からフロイトを批判する意図をもって構想されたものであるというほうが正しい」と伊藤氏は言う(255頁)。「なぜなら「錯綜体(Implexe)という命名は、明らかに「コンプレックス(Complexe)」を意識しているからである」(同頁)。「錯綜体は、ヴァレリーが無意識や下意識についての考えを修正する目的で提出した概念なのである」(同頁)。
 「ヴァレリーの理解によれば、「無意識」や「下意識」とは「壁越し」や「地下室」、つまり意識のおよばないところで働いているひとつの「活動」である。それはさまざまな謎、私たちの行為や失調についての謎を説明してくれるものであり、それというのも、無意識や下意識の活動は「隠されたバネ」として、私たちの目に見える活動の背後にあってそれに推進力を与えているからである」(257頁)。
 「ヴァレリーにとって、無意識や下意識に関して批判すべきは、現れている活動の背後に、より深いところに、それを操る別の潜在的な活動を設定するという、この二段構えの構造、すなわち「抑圧」の構造である。ヴァレリーにとっての活動は、意識のおよばないところと意識のおよぶところに二つあるのではない。潜在的なものは、構造化されることによって、感じたり、反応したり、作ったり、理解したりする私たちの行為のために使用可能になるのである。ヴァレリーが錯綜体を「活動」ではなく「能力」であるというのは、それが行為を「操る」からではなく、構造化されることによって行為のために「使用可能」となるからである。この現動化には、「抑圧」の契機はまったくない。ヴァレリーの錯綜体が、間接的で偽りの仕方でしか知覚されず、そのものとしてその総体を認識できないのは、無意識や下意識のように、それが意識のおよばないところにあるからではない。それはたんに、錯綜体が「ひとりの人間の潜在的な可能性の総体」という超(非)時間的な概念だからである。」(258頁)
 このような錯綜体に私たちはどのように接近していくことができるのだろうか。