切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

北野天満宮御旅所・御輿岡神社・・・成願寺との関わり   京都市中京区 2023.2.23 訪問

2023-03-03 23:25:55 | 撮影


『御輿岡神社
祭神 大巳貴命
神徳 土地の守り神
祭神 少彦名命
神徳 医薬・病気平癒の神
祭神 菅原大神(菅原道真公)
神徳 学徳成就の神
 太古この近辺は神楽岡と称する大きな森林であり、大巳貴命・少彦名命の二神は鎮守の神として祭られてきた。天暦元(九四七)年北野に天満宮が創建されて、初めて神輿がこの場所に渡御したことにより御旅所と定められ、地名も御輿岡に改称された。さらに、菅神を合祀して北野天満宮の境内外末社となる。
 慶長十二(一六〇七)年天満宮本社造営の際、西ノ京氏子の人々がこれを祝って新鮮な農作物で神輿を造り、九月四日神前に奉納したのが今に受け継がれるずいき祭の発祥である。
 毎年ずいき祭期間中の十月一日より三日まで、当所には三基の鳳輦(ほうれん)とずいき神輿が駐輦し八乙女田舞や献茶祭などの祭典・行事でにぎわう。』
  (駒札より)

  

 西大路妙心寺通りの交差点から、西へ100m余りのところにある。御旅所の敷地内に神社も同居する形となっている。由緒については上記駒札の内容の通りだが、平安時代からの古い歴史を持つ。北野天満宮が創建される以前から、この地域一帯の森の鎮守社としての祠がこの地にあった。当初は「大巳貴命・少彦名命」が祭神として祀られていたが、後年、北野天満宮の神輿がこの地に渡御されたことによって、ここが御旅所となる。同時に菅原道真の神徳をともに祀り、神社としての性格も持ち合わせることになる。こうして北野天満宮の境内外末社という位置付けになった。

   

 この地は今現在も御輿岡町となっているが、この時につけられた地名だ。北野天満宮のご利益は当時から多くの人々に厚く敬われ、常に参拝する人が絶えなかった。同時に御旅所においても参拝する人は多くいたと思われる。江戸時代初期、北野天満宮の増築の際に、氏子の人たちがこれを祝って、地域で収穫された新鮮な農産物を組み合わせて神輿を作り、それを奉納することを始めた。今現在では「ずいき祭」として、各地にこのような神輿が中心となった地域の祭りが続けられているが、ここがその発祥の地となる。

 

 明治になり神仏分離令が出され、成願寺にあった七保天満宮は廃止となり、お寺だけが残されることになる。七保天満宮の本殿や拝殿などはこちらの御旅所の方に移され、廃仏毀釈の中で、お寺の方も大きな打撃を受けることになった。しかし後に再興され、成願寺の方は今現在も存続している。そしてその境内の中に、わずかな遺構のような形になるが、七保天満宮跡として小さな祠が赤い鳥居と共に祀られている。御旅所の方はさすがに北野天満宮と言う大きな神社の関係もあって、かなり広い土地に社殿が建っており、御輿岡神社も神社として比較的広い境内を有する、中規模神社として地域の人々の信仰を集めている。


コメント
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