切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紅葉撮り 23 廬山寺 京都市上京区・・・紫式部の邸宅跡 見事な紅葉

2018-12-29 23:10:31 | 撮影


『【沿革】
大本山廬山寺(廬山天台講寺)
 廬山寺は天台圓浄宗の大本山で、正しくは廬山天台講寺という。
天慶年間(九三八)、比叡山第十八世座主元三大師良源(慈恵大師)が京都の北、船岡山南麓に開いた與願金剛院に始まる。
 寛元三年(一二四五)法然上人に帰依した住心房覚瑜上人が出雲路に廬山寺を開き、南北朝時代にこの二ヵ寺を兼務した明導照源上人(一三六八)によって廬山寺が與願佥剛院に統合される。この時以来寺名を廬山寺から廬山天台講寺と改め、円、密、戒、浄の四宗兼学道場となる。
 その後、応仁の兵火に遭い、又元亀二年の信長の比叡山焼き打ちにも遭遇するが、正親町天皇の勅命を受け、天正元年( 一五七三)現在地・紫式部邸宅址に移転する。
 当地は紫式部の曽祖父の中納言藤原兼輔(八七七~九三三)から伯父の為頼、父の為時へと伝えられた広い邸宅であった。
 それは鴨川の酉側の堤防の西に接して営まれていたため「堤邸」と呼ばれ、それに因んで兼輔は、「堤中納言」の名で知られていた。紫式部は百年ほど前に兼輔が建てた「旧い家」で一生の大部分を過ごしたといわれ、この邸宅で藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ・大弐三位)を育て、源氏物語を執筆したのである。
 現在の本堂は、宝水五年( 一七〇八)、天明八年(一七八八)相ついでの焼失後、寛政六年( 一七九四)に光格天皇が仙洞御所の一部を移築し、女院、閑院宮家の御下賜でもって改装されたものである。明治維新までは御黒戸四箇院と云って、宮中の仏事を司る寺院が四ヶ寺(廬山寺、二尊院、般舟院、遣迎院)あり、その中の一つであった。
 明治五年九月、太政官布告を以って紀本山延暦寺に附属する。昭和二十三年(一九四八)圓淨宗として元の四宗兼学(円、密、戒、浄)の道場となり、今日に至る。

【寺宝】
・阿弥陀三尊仏(国指定重要文化財、平安・鎌倉時代)
・元三大師像(鎌倉時代)
・如意輪観音半伽像(国指定重要文化財、鎌倉時代)
・後伏見天皇御願文(国指定重要文化財、鎌倉時代)
・正親町天皇女房奉書(国指定重要文化財、室町時代)
・慈恵大師遺告状(国宝、平安時代)
・慈恵大師二十六ヶ条起請文(国指定重要文化財、平安時代)
・選擇集(国指定重要文化財、鎌倉時代)
・普賢十羅殺女像(国指定重要文化財、平安時代)
・後醍醐天皇像(桃山時代)
・後陽成天皇像(桃山時代)
・降摩面(鎌倉時代)  他多数
  (パンフレットより)

 

『廬山寺
 日本廬山と号する圓浄宗の大本山で、正しくは廬山天台講寺という。天慶元年(九三八)、慈恵大師良源(元三大師)が船岡山南麓に開いた奥願金剛院に始まる。寛元三年(一二四五)、法然上人に帰依した住心房覚瑜が出雲路に廬山寺を開き、この二ヵ寺を兼務した廬山寺第三世明導照源上人(一三三九~一三六八)によって廬山寺を與願金剛院に統合し、円、浄土、戒、密の四宗兼学寺院となった。
 その後、応仁の兵火に遭い、天正元年(一五七三)、当地に移った。現在の堂宇は、一七八八年の「天明の大火」による炎山以後のものである。
 当地は紫式部の邸宅跡で源氏物語執筆の地と伝天られ、本堂前の「源氏の庭」には「紫式部邸宅址」の石碑が立っている。
 本堂には、恵心僧都の作と伝えられる阿弥陀三尊等が安置されている。そのほか、国宝の慈恵大師自筆遺告状、また、重要文化戝として、鎌倉時代の如意輪観音半跏像、後伏見天皇及び正親町天皇の宸翰、法然上人選択集などを蔵し、境内には、光格天皇父の閑院宮典仁親王(慶光天皇)陵などがある。
 良源が修行の邪魔をする悪鬼を退散させたという故事に由来する二月三日の節分会は「鬼の法楽」の名で知られ、悪疫退散を祈願する行事が行われる。
 京都市  (駒札より)

 

 前回紹介した清浄華院の南隣に廬山寺がある。
 去年の7月にこのお寺をブログで紹介している。したがって廬山寺そのものについては、上記の説明書きや駒札の内容を参照してください。

      

 こちらは特に紅葉の名所というわけではないが、色々ネット上で調べたりしていると、思いの外見事な紅葉が広がっていると言うことで、この周辺のお寺や神社とともに一気に撮影して回ることにした。
 境内には車で入ることができる。なるべく邪魔にならないように塀に沿って端っこに駐めた。予想以上に人が来ていた。紅葉が目当てなのか、紫式部の関係なのかはわからないが、いずれにしろかなり知られたお寺で、特に女性に人気があるようだ。境内に広がる紅葉もなかなか見事で、本堂などの横に回ってもずっと紅葉が続く。更に裏側に回っても真っ赤な色が続く。一通り外側を撮った後、堂内に入る。
 部屋からは綺麗に整備された広い庭園が目に入る。こちらにも もみじの木が配置され、 海の島を模した小さな岩山の緑とうまくマッチして、非常に見栄えのする庭園だ。これだけのものを撮影できると非常に満足感が高い。

         

 廬山寺には国宝と国の重要文化財が多数あって、特別公開の時には是非とも見てみたいものだ。しかし東京や京都の国立博物館に寄託されているものもあって、残念ながら見ることができないものがある。
  紫式部については、このお寺以外にも由縁のある所が多々あって、宇治市にもある。何しろ「源氏物語ミュージアム」があるほどだ。そういった意味では京都においては、清少納言や小野小町ゆかりのお寺があちこちにある。この廬山寺は源氏物語を執筆した彼女の邸宅跡ということだ。

  

 非常に由緒のあるお寺でもあり、紅葉以外のシーズンでも十分に見所がある。

コメント
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