カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

881.あれもこれも一つの川へ ― 山の水・滝の水・宮の水 

2018年07月17日 | Weblog

ある日の午後、久しぶりのバルトさんと。ランチはどこにしようかと思っていたら、良い所があるので行きましょうとお誘いがあり、その後は面白い所があるので行きましょうと誘われ、即決した午後の日の記録。   

 

ランチの良い所とは、宮川の上流の鮎の店とか。 鮎、好きなのだが、鮎と言えばびわ湖、わざわざ三重県に来てまで鮎ランチでなくても良いのだが・・   と、言いはしなかったが内心思っていた。そしてその店に行くと。

 

おぉ、これは! これはわざわざ食べに来る値打ちがあると頷く。渓流に大きくせり出した「川床」のような設え。瀬音を聞くだけでもごちそうだ。注文はもちろん鮎。鮎のだし汁のそうめんと小鮎の天ぷら。

 

味は、舌で感じる化学反応と言う。しかし同じペットボトルから注がれた水でも、100均のプラスチックのお椀で飲む水と、切子のガラスのコップで飲む水とでは、全く味が違う。つまり、器の素材の違いという物理的触感も味の一つと言えよう。更に、織機工場の騒音の中で飲む時と、清流のせせらぎの音を聴きながら飲む時でも、味が違う。 また、猛暑のグランドで負け試合にイライラして飲む時と、風呂上りにテレビを見ながら飲む1杯の味も、同じ『〇〇のおいしい水』と銘打っていても味が違う。  

「味」とは、舌だけでなく、耳でも肌でも心でも、五感+αの全てが動員されて起こされる感覚なのだろう。五つ星レストランのメニューではなかったが、季節限定の清流の茶屋での一食は、全ての感覚を満足させる一食だった。

 

腹も膨れたところで次はどこ? 案内してもらった所はこんな所。

 

八重谷湧水。案内の表示板はあったが途中の道を見ると、本当にここで良いのだろうか、心配になること2,3回。しかし、道は間違いなく目的地へと案内してくれ、それとはっきりわかる所に到着する。

湧水から引いた水汲み場の先にこんな道が続く。

 

いつ作られたのだろう。所々朽ちた板が、「ぜひ見に来てほしい、でも、あんまり大勢は来てほしくない」。そんなふうに言っているようだ。

瀬音を立てて水が流れる。

 

緑の苔が、しぶきで光り夏の日差しで輝き、奥入瀬にも似ている。以前、姉川上流のダム湖に注ぐ川に行った時、サッチモさんが「滋賀の奥入瀬」と言っていた。ならばこの川は「三重の奥入瀬」と言おうか。

渓流にはこんな滝もある。

 

夏には(もう夏なのだが)この滝つぼに浸かって遊んでみたい。冷たくて1分と浸かれないだろうが。 水の色が面白い。青とも緑ともつかない色。ターコイズブルーと言おうか。 最近よく聞くのだが、川や池の名を付けて「〇〇ブルー」とか「△△グリーン」とか呼んで、その青、その緑は〇〇川、△△池でしか見られない特別の色であるかのような言い方をして人の関心を呼ぶ。

しかしその色は、多くの川のいろいろな所にあり、特別の存在ではない。 切り取って、額入りの写真にした者勝ちの色となる。名もない小さな流れの中に生まれる色も、いつか飛び立たせてくれる誰かを待っているのかもしれない。

 

ドクドク流れる川を遡ると、突然川が消える。

 

あの川は、いったいどこへ行ったのだろう。川が消えるなんて。

わかった! 川が消えたのではなく、川は、ここから生まれていたのだった。ここが探していた「八重谷湧水地」。どうってことのない小さな岩の下から突然に川が湧きだす。 何年か前、「木津川源流探し」をしたことがある。大阪湾に注ぐ大きな川を遡り、次第に細くなる流れを辿り、最初の一滴を掌に受け、小さな命に感動したものだった。そして今日のこの川。そのダイナミックな生まれ方にまた感動する。 すくって口にする。癖のない柔らかい味だ。私の「天恵水」に堂々の殿堂入り。

 

この辺りは石灰岩が広く分布している。そのため、鍾乳洞が幾つかあるという。その一つ、「風穴」と呼ばれる洞窟がある。

 

 さりげなく立つ表示板の近くにこんな穴がある。穴は下に降りる梯子が付いている。という事は、「どうぞお入り下さい」という事だろう。さっそくに降りてみる。

      

広くはない洞内、ザラザラした砂の先には澄んだ水が流れている。天井にはコウモリ。襲われてはたまらないので恐る恐る見上げる。足を濡らさない所までしか行かなかったが、この先どれ程の大きさがあるのだろう。ちょっと、かなり、気になる風穴だった。今度来る時には水中探検もしてみよう。

束の間の探検を済ませ、「上界」?に戻ると、洞窟内の涼しさが実感された。

 

さて、これから先、今来た道を戻るか、先へ行くか。迷うことなく先へと進む。道は益々林道の風情を増し、落石も所々ある。もちろん対向車が来たらどうするか、と思案しながらの進行はいつもの事。それでも昔は立派に道路として使われていたようで、ガードレールやカーブミラーも残っている。我ら「狭道愛好家」にとっては難易度65%位だろうか。まだ可愛い道だ。「つづら折れ」という洒落た言い方がある。その言葉を楽しむ余裕がある道だ。

箱根の山は「羊腸の小径は苔滑らか」言うが、この小径は落石多し、の道だった。戻るなら今の内、と言いつつ進めばいつの間にか里に下り、県道に出る。出てみれば何度も通った道。なんだ、ここに出るのか。と納得し、林道探検の旅は終わった。 

幾つかの発見をして、そう言えばあそこの確認がまだだった、と性懲りもなく、いや、込み上げる探求心を抑えきれず、また探索に出る。

 

とある集落の道に「不動尊」の表示。どんなお不動様かとご挨拶に行く。獣除けのフェンスを開けて行くとそこに鳥居と二筋の滝。そしてお不動様の社。

 

ここにも水汲み場があるが先ほどの湧水の川沿いになる。あの湧水の水だろうか。これも又、天恵水。この水がやがて宮川になると言う。 一口頂き、宮川でまた会いましょう、と約束してその川を後にした。

 

 

ダム湖のせせらぎも、茶屋の清流も、谷の湧水も、不動の滝も、みな宮川へとつながっている。となると、次は宮川漕ぎに決まりだろうか・・