カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

834.江戸も明治も峠道 ― 始めます、神様 

2017年03月29日 | Weblog

このところ、風の神様に愛され、海の神様にそっぽ向かれている。

今度こそ良い漕ぎ日和になるに違いない、なって欲しい、なれ! と決めた日は、強風注意報が出た。 場所を選べば、漕げないことはなかったのだろうが、そんな日のためにストックしてある陸漕ぎリストの中から、今回はこんな所を選んだ。そんな日の記録。

 

海の神様には疎まれても山の神様には覚えが良い「チーム・古道」?。どこにするか悩みも検討もするまでもなく、以前から下調べをしていた峠道ハイクに決まった。最近は漕げない日は古道ハイクに出るのがお決まりとなった。 

さっそくに歩き始めよう。駐車場では地元の人たちが桜祭りの準備をしていたが、桜は「慌てない、慌てない」、とのんびり構えている。あと1週間、あと十日、桜はいつその気になるのだろう。つぼみの先がほんのり薄紅色となるだけだった。

今回の峠、始神峠。最初は江戸の代に作られた道から行く。緩く上る細道に、こんな橋が架かる。

 この後もいくつか小さな橋があった。かろうじて橋板が渡してある物やロープの手摺の物などだったがどれにも木札が架かり、よく手が入れてある。橋は、どんなに小さな物でも一つ越えるごとに新しい世界に入って行くようで、幾つかの橋を越えた時には神と人との領域の境の意識が薄れる。

緩い上り道も、じきに小石の道、石段の道、そして木の根道。

 

 

 遠い昔、

 脇差挿した士や 
 手甲脚絆の旅人や

 幼子の手を引いた母親や
 老いた親を負ぶった息子や

 伊勢に行く人
 熊野に行く人

 そんな人たちも
 この木の根を踏んで行ったのでしょうか

 

 

上り始めは緩かった道も、峠近くになると、息が切れる道となる。 次第に両の木立から光が入るようになり、やがて道が開け峠となる。

平らに切り開かれた所に「茶屋跡」の石碑がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな茶屋だったのだろう。 

      およねばあさんが捏ねた団子が3つ並んで五文だったとか
      おさよちゃんが姉さん被りでお茶を運んでいたりとか
      お武家様が 蕎麦はまだか、と催促していたりとか     
      清吉さんが へい、ただ今、と言っていたりとか

いろいろな古道でいろいろな「茶屋跡」の碑を見た。石は何も語らないが、遠い昔の物語が溢れ出すようで、どの碑の語りにも耳を傾ける。

 

峠から近くの海、遠くの海が見渡せる。

亀島や、「地球防衛軍」の島や、セミの大合唱や、漕ぎながら船酔いした人や、「水鳥の碑」や、ロウソク岩や、洞門や、風で潮が巻き上がった日や、・・

ナイアードさん、SU-さん、ダンディーさん、師匠、ピアスさん、カメラさん、ペンタさん、・・

いろんな人と漕いだ日の思い出が、広げたテーブルクロスの上に懐かしい料理となって運ばれてくる。今度、目の前の海を、誰と漕ぐだろう。

そんな思い出のある海が広がる。 しばらく思い出にふけってから、重い腰を上げる。さてこの先、あっちの道も、こっちの道もある。

 

 

 今来た道が 江戸道

 江戸の次は?

 次は明治でしょ

 

 

 

 

峠から更に大きく進む道もあるのだが、私たちは(私は)ここから明治道を通って戻ることにする。この峠のすぐ先に石積みがきれいに残っている所がある。そこだけが特別に保存されているのか思ったが、帰り道の所々で、石積みの道が見られた。

散切り頭の男衆が明治の風を吹かせて駆けていた道かもしれない。

そう言えば、途中の江戸道にマウンテンバイクのタイヤの跡があった。あんな落ち葉の道をバイクで走るのだろうか。あんな木の根道を本当に漕ぐのだろうか。あんな階段を、何が嬉しくて担いで行くのだろうか。怪我をしないで帰っただろうか・・

友人は、「何が面白くて、カヤックで富士の氷を割りに行くのか」と言っていたが、まぁ、それと似たようなものなのかも知れない。 自転車もカヤックも「漕ぐ」と言うし・・

余談だが、自転車も「漕ぐ(こぐ)」と言うが、自転車乗りは「漕ぐ」は自転車の専門用語であり、カヤックの分際で「漕ぐ」と言うのはおかしいと言う。 しかし、カヤック・ボートは自転車がこの世に現れる何千、年何万年も前から漕いでいるのだから「自転車の分際で漕ぐなどとは、千年早い」と、言えなくもない・・ 

漕ぐ、は元々水上の乗り物に使う言葉ではないだろうか。その証拠に、「漕ぐ」は「さんずい」だ。 自転車乗りが悔しかったら「あしへん」の漕ぐを世に出して、水上と陸上の差別化を図ったら良い。 などと言ってみるのだが・・    

それはさておいて、こんな道が続く。

明治道は江戸道より(概ね)緩やかで歩きやすい。イノシシが掘り返した跡があちこちにある。土が柔らかくなると植物の芽が発芽しやすい。すると森や林が育つ。そんなに単純な事ではないのだろうか。

ミカン農家の人が、ミカンを作るのに薬や肥料に金がかかる割には、シカ、イノシシ、サルなどの食害がひどく、採算が取れないので、最近はこの辺りではミカン作りをやめる人が多くなった、と嘆いていた。 やはり一概に土を柔らかくしてくれる、と褒めてばかりはいられないようだ。

 

これは土が良いからか、悪いからか。

 

 「板根」

 板のように平たく伸びた根

 

 

 

 

 

 

説明書きがなければセメントで作った花壇かと思うだろう。大きな木を抱き込むように5メートル程はあろうか。 これ程に長くはないが、板根は三重の山で時々見る。以前、西表で見たサキシマスオウの板根は大きかった。 

 

 サキシマスオウの板根

 ヒダの間に入って
 かくれんぼができそうです

 

 

 

 

 

横に伸びる根、縦に伸びる根。それぞれの生き方で自分を主張する。そのマイノリティーが個性なのだろう。人は、どうだろう。

 

明治道は歩きやすい、と言ったが、崩れ落ちた岩も多い。大雨が降ったら怒涛の流れが谷を削るのだろうと思う沢が幾つもある。砕け、割れ、刺々しい切り口の大石がゴロゴロある。大雨の後はさぞかし迫力のある流れとなるのだろう。 前を歩く人が、そんな時に来てみたい、としきりに言っていた。

その気持ち、わかる。私が、天ケ瀬ダムの放水量が800トンになると、居ても立ってもいられなく、見に行くのと同じだろう。

そんなことを思いながら歩いて行くと、突然にこんな物が現れる。

 

 発電所の給水管

 大きな大きなパイプです

 巨大なウォータースライダー

 

 

 

 

 

 

 

 

2年前、やはり風が強く漕げなかった日に、この辺りを徘徊?した。その時に見たこの給水管。

その時は、このパイプの上を歩くことになろうとは夢にも思わなかったが、今、あの時の写真を見返すと、いる、いる、2年後にパイプの上の歩道から顔を出している私がいる。

ここを下った水は海に流れ出ている。その水を眺めながら弁当を食べた日が、つい昨日のように思い出される。

 

ここを過ぎると、峠道もあとわずか。 始神峠、江戸道も明治道も、私には昼飯前の一歩きにちょど良い峠道だった。 昼からは・・・

それは昼飯を食べてからにお話し、しよう。 さ、さ、あの店に行こう。