カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

843.チーム同朋 ― 出雲の陸漕ぎ

2017年05月27日 | Weblog

いつだったか、「税金と宿題は貯めてはいけない」と、お話したように思う。 「仕事とストレス」、だったかもしれないが、「脂肪と疲労」だった気もする。 まぁ、どれも貯めない方が良い物ばかりだが、非日常の記録、これも貯めると後が大変だ。 その大変なことを、せっせせっせと片づける今日この頃。 忘れない内に、今日はこんなことを記録しよう。

 

出雲に出かけたのは年に一度一緒に漕ぐ友人たちと、また、年に一度一緒に漕ぐためだった。別に、1年に1回しか漕いではいけない、と言う事ではないのだが、遠くの街の友人たちとは年に一度会うことを楽しみに1年を過ごしている。 この友人たち、年により集まるメンバーが代わっていることもあるが、どの顔も馴染みとなった。

そしてこのメンバー、「漕ぎ」もだが、「観る・食べる・遊ぶ」も大切な活動としている。その点、私とよく似ている、と言うか、そっくりだ。「チーム・同朋」とも言うべき友人たちだ。だから、どこで会う時も心弾む。今度は、どんな事で楽しめるだろうと。

 

「チーム・同朋」、いつも驚きのプランを立てるのだが、 今回はそれに「医」が加わる。何と、手を骨折したメンバーも登場して、それでもカヤックは諦めず、いやはや何とも意欲的な、ある意味、恐ろしいまでの積極性。私の大師匠だ。 

     そっか、骨の1本や2本折れたって、そうやってカヤックを楽しむことができるのか・・
     楽しむ、とは、そう言う事なのか

海だけではない陸の漕ぎにもその技が光る。 そんな陸漕ぎのあれやらこれやらをまとめて記す。

 

朝、風が残る海、慌てて漕ぎに出る必要はない。と今日はみんなで陸漕ぎを楽しむことになる。

湊を望んでこんな公園がある。思わず童謡が口に出る。

 

   夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る
   お手てつないでみな帰ろ カラスと一緒に 帰りましょ

   帰ろ帰ろよ ぐみ原分けて 
   すずめさよなら さよならあした
   海よさよなら さよならあした

 

そんな歌が聞こえて来そうな光景だ。 夕日がきれいな所なのだろう。その夕日を待つだけの時間がなく、朝日の子供たちに手を振ってここを後にした。

次に「チーム・同朋」が向かったのは、細い半島のこんな所。  

  美保神社

 出雲の大社とよく似た造り

 でもこの神社特有の
 造りなのだとか

 私が見ると、
 どれも同じに見えますが

 

 

 

 

しかし拝殿に進むとこれまでの神社とは何かが違う。一種異様とでも言おうか、斬新と言うか。 梁がむき出しで天井がない。だから高く見える。 壁がない建物を見ると、雨の時はどうするのだろう、風が吹いたら太鼓や灯りは大丈夫なのだろうか。台風の時は・・

そう言う世俗的な事を言う人間はたいてい「パワースポット」なんて神がかり的な言葉は鼻であしらう。 ここは神を拝む所でありそれ以上の事は考えないのが作法であり、礼儀、ってものなのだろう。

 

 

後日調べると面白い事がたくさんあったが、それはまた別の人に記してもらうとして、私はこの狛犬に興味があった。

 

 見る角度によって

 おどけたような 
 威嚇するような、
 ヤンチャないたずら小僧のような

 不思議な目をしています
 
 

 

 

 

 

 

 

石だろうか銅だろうか、改めてはめられた眼球が眼を見開く。狛犬、とは言うが、狼であったり虎であったりもする。神社にはあるが寺にもある。角がある物もあればない物もある。あ・ん、という物もあれば、ん・あ、と向かい合う物もある。 狛犬は厳格な決まりで立っているのではないようだ。 目として入れられた石(?)は、もしかすると、作った人の遊び心だったのかもしれない。 近寄りがたい神仏に少しでも近づけるよう、神仏との懸け橋の役目も担っているのかもしれない。

 

神社から程近く、石畳の通りがある。 

江戸の石畳みに明治の建物が並ぶ。今は観光用となった通りだが、門前町として栄え、海運業として栄えた頃の人々の下駄の音が聞こえてきそうな石畳だ。その通りにある建物に目が止まった。 見学できるようだ、入ってみよう。

 文化財となっているその建物は今も使われているとのこと。見学もできる。 

        肘をついた粋な姐さんが、半身(はんみ)で笑いかける
        いなせな兄さんが、胴巻きを自慢げに叩いて見せる
        散切り頭の文人が、「うるさい!」と叫んで障子を開ける
        鹿鳴館帰りのご婦人が、コルセットを緩めて紅茶を飲む
 
        それから・・

そんな光景が、時の流れの中で過ぎて行ったのだろうか。 

最近行った美容院に、「モダンガール」と書かれたポスターがあった。モダンガール、なんと古めかしい言葉なのだろう。半世紀を生きた私でも、そんな昔の言葉は恥ずかしくて言えない。そんなことを話すと美容師の人が ― 今はスタイリスト、と言うようだが ― 「モダン」という言葉は普通に使ってると言う。

ロマン、という言葉も「浪漫」の字と相まって、古臭い言葉と思っていたが、今は若い人にも受け入れられていると言う。 ズボンと言っても通じない若い世代には、モガもモボも新鮮な響きなのかもしれない。

黒いダイヤル電話がインテリアとして売られているのも、頷ける。

 

岬の高台にこんな灯台があった。

 

 美保関灯台

 国の登録有形文化財

 白い石が空に眩しい

 

 

 

 

 

 

 

 

白い壁、赤い屋根。異国の童話のような建物は今はビュッフェになっている。 次に来た時には、モダンレトロな岬の灯台で、コーヒーでも、飲みたいものだ。

 

小腹が空いた頃、こんな店に行く。 ん~、どれもおいしそうだ、どれも食べてみたい。

和菓子の店でお茶と洒落こむ。 茶椀の底に、遠慮がちに沈む抹茶、一口で飲み干せる量を気取って舐めるように飲む。 またある人は ぱくっ、ぐいっと瞬く間に片づける。あれもこれも欲しいとおもいつつ、土産の菓子を買って店を出る。

 

それから・・

まだまだ記し残したことがあるのだが、そろそろ漕ぎの用意をしなくては。 宿の食事も楽しみだ。

今回も大当たりの宿だった。よく食べた。食べ疲れ、海辺の宿で1年ぶりの積もる話を語ることもなく、みんな睡界へまっしぐらだった。

明日には、風も止んでいるだろう・・

 

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842.この人とあの人と ― 縁結びの神の国で

2017年05月25日 | Weblog

先日、出雲の国に行って来た。出雲と言えば縁結びの神様。縁は婚姻の縁とは限らない(だろう)。人と人、郷と郷、水と水。思いがけないご縁で思いがけない出会いがあり、思いがけない所で思いがけない人を知る。縁とはそんな「思いがけない」が枕詞になる出来事を言うのではないだろうか。

 

出雲の国は遠かった。遠かったが意外と早く着いた感があった。あれにこれに、盛りだくさんの事々が待っていたので気持ちが逸り、時計の針より早く心は着いた。

ひょんなことで知り合った出雲の国の友人が勧める出雲そばの店に直行する。

 

 三人前?

 いいえ、
 三段割子蕎麦 一人前

 おろし、とろろ、揚げ玉
 3つの蕎麦が楽しめます

 

 

 

 

昼時とあって、店は満員だったが運よく待たずに席に着くことができた。出雲の蕎麦は食べ方がちょっと変わっていて、テーブルには「食べ方説明書き」がある。さらに店の人が「初めてですか? 食べ方知ってますか? こうやって、次にこうやって・・」と指南してくれる。

           ほぅ、ほぅ、そうやって食べるのですか

出雲の達人?が勧めるだけあって、なるほど旨い。これが為に6時間の道中を、お茶とせんべいだけでやって来た価値がある。食べ終わり店の外に出ると、順番待ちの客が10人ほど立っていた。 待たずに食べられたのは蕎麦との縁が良かったようだ。

 

腹ごしらえの後はこんな浜に出る。

稲佐の浜。神々がお越しになる浜とのこと。神様はどの辺りから浜に上がるのだろうか。この日は風が強く白波が次々と打ち寄せていた。白く細かい砂が飛び、靴跡をじきに風紋で隠す。

岸の小さな島に鳥居と祠がある。年々砂浜が広がって来たとのことだが、陸続きになっているので小さな島と言うより大きな岩と言う方が合っているのだろう。 海に限らずだが、水辺は、岸を守るために何かの造作をすると、付随的に流れや浜の様子が変わることがある。

砂が減って困る浜があれば、砂が増えて悩む浜もある。「古い自然」に手を加えると、「新しい自然」が生まれ、それを受け入れられない時に「自然破壊」と言うのだろう。 ここの浜が広がったのは、これは受け入れられる自然なのか、受け入れられない自然なのか・・。

海辺の岩にはよく鳥居が建つ。人がくぐれるほどの物もあれば、掌に乗るほどの物もある。 そこに神がおはすことを知って建てたもの、岩を神に見立てて建てたもの、神がおいでになる時の目印に建てたもの。鳥居とはそもそも、神のために建てるものなのか、あるいは人のために建てるものなのか。

岩(島?)の窪みに一升瓶が供えられている。これは「置いてある」ではなく「供えてある」だろう。神への捧げ物。下戸の神様はいないのだろうか。私はありがたく頂戴するが。

 

岬への道すがら、こんな岩が目に入った。何やら立て札がある。

 

 「筆投島」

 何々、巨勢金岡?
 (こせのかねおか)

 その名前、
 どこかで聞いたような・・

 

 

 

 

説明書きによれば、平安時代の画人の巨勢金岡がこの島を描こうとしたが描き切れずに筆を投げた。それ以来この島を「筆投げ島」と呼ぶとのこと。

描き切れずに・・ 筆を・・ 
その話も、どこかで聞いたような・・

そうだ! あそこだ!

 ここ、びわ湖の藤ヶ崎神社。何度かお話ししたことがある龍神様・龍王様がおいでになる神社だが、この辺りを筆ヶ崎と言う。その名前の由来が、

画人・歌人として著名な巨勢金岡がここを描こうとしたが、あまりの絶景に描くことができず、筆を折ったことに由来する、とある。

そうだ、びわ湖で聞いた名前だ。 びわ湖の国からはるばる出雲の国に来て、びわ湖で知った人をここでまた知る。 これもまた縁結びの神様のお導きだろうか。

それにしてもだが、金岡さんは、あっちでもこっちでも筆を放棄したようだ。職業人としてのプライドは・・

いやいや、巨匠をもってしても描き切れないほどに、出雲の海とびわ湖の眺めは絶景だという証しなのだろう。

 

この島を後にして岬へと向かうとこんな神社がある。 日御碕神社。

 

日御碕神社。朱色が目にも鮮やかな神社だ。「日御碕」と名のつく神社は他にもあるが、ここは「夜を司る神様」とのこと。伊勢神宮は昼を守る神様であり、ここの神様は夜を守る神様とのこと。そんなことも、「出雲の達人」に教えてもらい、この神社へと来た。

 

岬の神様にご挨拶した後は、出雲大社へと向かう。ここで出雲の達人、ひょんなご縁で知り合った友人と、初めて会う。

 

 神楽殿の大注連縄

 重さ4トンを超えるとか

 

 

 

 

 

 

ずいぶん昔に1度来たことがあるがその時は、この注連縄がある建物が本殿だと思っていた。こんなに立派な注連縄があるのだから。今回、改めてみると、確かに「神楽殿」とある。

「神楽殿の注連縄の下、集合!」 そんな案内に導かれ、この大注連縄の下で、互いに胸にバラの花を挿していた訳ではないが、初めて会うその人と互いにわかった。

初めて会ったのだが、「やぁ、久しぶり! 相変わらず元気そうだね」 そんな話が出てきそうな人だった。その人が大社を案内して下さる。

これが拝殿、あれが本殿、そして神様のお顔を正面に見る所は・・ ぐるっと一回り案内してもらう。 さっさと行くと気が付かない程さりげなく、小さな立て札がある。 本殿におわす神様は、実は本殿正面を向いているのではなく、横を向いているとのこと。神様と正面でお会いできるのはこの方向なのだと、記されている。そんなことも、友人に言われなければ素通りしていただろう。

 

 

たまたまこの日は1年に一度の例祭の日で、ちょうど稚児行列が本殿に入る時に出会う事が出来た。賑やかな笛や太鼓の音と共に進む稚児の足元に、スニーカーが見ええたのが、微笑ましかった。

一行は聖域に入り、私たちはその後ろ姿を追う。大役を果たした神輿がほっと一息ついている。遠目にも立派な神輿と分かる。

 

出雲大社はカヤックに行く「ついでに」、と行ったのだが、出雲の海を見、新しい神様を知り、祭事を見ることができ、友と会うことができ、 ついで、などと言っては申し訳ないほどにご縁を賜った。 もっと見たい・行きたい所がたくさんあったのだが、時間が許さず、心残りを置いて出雲を去った。

          出雲の友人、ありがとうございました
          今度はびわ湖に来て下さいね

 

そうそう、出雲大社でミッキーにも会った。

これも又、良いご縁の良い出会いだった。 どんなミッキーかって? それは出雲の神様にお聞きするのが良いだろう。

 

さて次は、カヤックの御縁で知り合った友人たちと1年ぶりの再会だ。 では会いに行こう。

 

      

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841.癒しと霊気と根性と ― 小川の清流

2017年05月23日 | Weblog

古座本流を下った日の夜、予報通りに雨が降った。かなり降った。次の日は支流の小川(こがわ)を漕ぐ予定だったので、増水が気になった。しかし雨は、朝にはすっかり上がり、浅過ぎた小川の水位を少し上げ、何とか下れる程にしてくれた。 恵みの雨だった。今年の清流小川はどんな川だろう。

 

小川も4年ぶり。4年前にテトラさんと一緒に漕いだ。滝の拝、柿太郎のまわり、どれも懐かしい。無事に下れますように、とまずは金ぴら様にお参りする。

金ぴら様は4年前と変わらずにおいでになる。4年の風雨は、社の色や石段の苔や木々の枝ぶりに何某かの変化をもたらしているに違いないのだが、記憶の中の金ぴら様は今の姿と同じに蘇る。

 

これは、「河原」と言うのだろうか、水辺に下りる途中の岩場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     親愛なるメル、お元気ですか

     あなたが失くした靴、私が見つけた靴、滝の拝に預けていた靴

     探したけれど、今回は見つけられませんでした

     もうしばらく預かってもらいましょう

 

水辺に下りる道、いや、これは道とは言わないだろう。確かに途中までは階段があるが、その先は「崖」としか言いようがない。イバラをかき分け、岩につかまり、尻をついて水辺に下りる。 万難を排して?水辺に出たいのは、こんな水に浮かびたいから。

 

 滝の拝のゴルジュ

 あと何メートル近づけるかな

 あの白い泡の辺りまで

 

 

 

 

 

あの滝をカヤックで下る人がいるというのだから、ツワモノと言うか、命知らずと言うか、ちょっと憧れる。乗り慣れているシーカヤックとは違い、流れ落ちる水の勢いに、短いカヤックはクルクル回される。あの泡の中で沈したら・・ あともう少し前に行ったら、もう戻ろう。

だいぶ前から、カヤックを上から撮った写真が欲しいと思っていたが、今回こんな写真が手に入った。

一昔前は上空からの撮影と言えばペリコプター位しか思いつかなかったが今はドローンなんて物が、家電店で売られている。しかも小学生のお年玉でも買えるほどの値段だ。それならカヤックを上から撮ることなど簡単だろうと思うのだが実際は・・

この写真は橋の上から撮った一枚。良い具合の所に良い橋があるのもだ。

 

鮎の解禁前とあってか、魚影が濃い。佃煮にちょうどいい大きさ、甘露煮が旨そうな大きさ、塩焼きにしてかぶりつきたい大きさ。私はまとめて「鮎」としか言えないが、実際には他の魚もいるのだろう。 この川を下れるのもあと何日か、解禁となると秋までこの川は下れない。初夏の良い日の良い川下りだ。

前夜の雨で川の濁りを心配したのだが、それは杞憂だった。それより、昨日見た小川は水量が少なく、下れるかどうか、ぎりぎりの水位だったが、昨夜の雨のおかげで少し水位が上がり、これなら下れる程の川になっていた。

 

滝の拝のゴルジュを抜けるとじきに「柿太郎のまわり」に入る。水は更に浅く、さらに澄んでくる。3回目の小川。いつ来ても小川は澄んでいる。浅いから、と言う事もあるが、水質自体が良いのだろう。こんな魚もあちこちに見える。

 

いつも思うのだが、こういう色鯉は食べておいしいのだろうか。鯉の洗い、鯉の甘露煮は美味しいが・・ 味はともかく、大きな金魚を食べているようで、「ゲテモノ食い」の感がするのはなぜだろう。

 

擦りそうで擦らない。かと思えば、水量のある瀬の岩にガンガンぶつかる。人工物は何も見えず、何も聞こえない静寂の中に、じきに瀬音が聞こえてくる。

         シャーシャー  ジャージャー  ザザザァー!

次第に大きくなる音に、どんな瀬が待ち受けているのかと、期待と不安が交錯する。瀬の中に大人の頭位の岩が点々と、いや、ゴロゴロとあり、その岩を右に左に颯爽と漕ぎ分けて進む。 

とイメージするのだが、時にはぶつかり、時には乗り上げる。乗り上げても右に左にカヤックを振ると、脱出できた、ここ以外は。

かなり抵抗してみたが、乗り上げた小岩につかまって傾き、ニッチモサッチモ行かなくなった。下りて引けばいいのだが、下りるにも下りられない、とスッタモンダしている内に、見かねたレスキュー隊員がやってきて剥がしてくれた。

       どうもです、すみません ありがとです・・

こんな瀬とあくびの瀞場が次々繰り返して登場する。 早瀬の中の岩を、さっ、きゅっ、ぱっ、とかわす。見えていた瀬が流れの中で急にカーブして、曲がり終ったとたんに目の前に次の瀬と岩が現れる。

       えーっ、こんな岩、あると聞いてない!
       どっち、どっち、岩の右を行けば良いのか? 左に避ければ良いのか!

流されながら一瞬で自分で決めなくてはならない。そんな時は迷っていてはいけないと、教わった。迷わず、選ばず、ただまっすぐにと。その後の事はその後で考えると。 それでも不意打ちで襲う岩をシュッ、サッと交わして行く。

「お見事! 素晴らしい!!」なんて言葉をかけてもらうと、久しぶりの岩抜けの瀬の感覚が蘇って来た。私の腕も鈍っていないな、と思いつつも、おだての上手い渦巻さんであることも、十分に心得ている。 緊張の後に訪れるこんな流れにこれが小川の良さだとため息をつく。

 

大きな瀬音が近づく。今度はどんな襲撃に遭うのだろう、と思っていると、ジャラジャラと長たらしく続く小石のザラ瀬。浅い! これは下りなくてはならないだろう、と思いつつもそこはポリ艇の良いところ。パドルで押し、流れに手を着き、ヒョコヒョコと体を前後に振り、意地でも下りないぞ、とガリガリと進む。

 

 

五千年を生きた老木であったり、見上げる高さの洞門であったり、地底に伸びる鍾乳洞であったり。ネイチャーが作ったナチュラルな自然。それを人は「癒し」と言ったり「霊気」と言ったりする。柿太郎に映わる木々もまたそうなのだろう。

この緑色の川底は、実はずっと奥深く続いていて、この浅瀬は実は大地の深淵の入口なのかもしれない。そこから湧く癒しの匂いや霊気の吐息、それをまたの名で「柿太郎」と呼んでいるのかもしれない。

 

何度か試されたザラ瀬も、(私は)とうとう一度も下りることなくゴールまで来た。今回、漕いだ距離は4年前より短かった。ザラ瀬で何度もライニングダウンして時間がかかることを予想し、距離は短めだった。しかし昨夜の雨で下りやすくなったことと、我ら「強引隊」の根性で、思いのほか早くに下り終えた。

 

このヘルメットも、久しぶりに活躍した。 それにしても、小川がこんなにテクニカルな川だったとは・・ 癒しだけを求める人は、小川はやめておいた方が良いだろう。

  

 

支流小川、良い川だった。アユ釣りが終わったら、4年前に見たあの水辺のトンネルが幻ではないことを確かめに、また、行こう 。                   

 

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840.ハートは変わらず ― 古座の水辺にて

2017年05月22日 | Weblog

ふと気が付くと、もう2週間前の事となっていた。何だかんだと用が続き、私の段取りが悪いこともあって、やっと、2週間前の記録に取りかかった。 その記録とは・・

 

久しぶりに、4年ぶりに、「うずまきさん」と漕いだ。忙しい毎日の中を何とか都合をつけてもらい、4年ぶりの古座川を一緒に漕いだ。 4年ぶりに会い、お互い、ちょっと「大人になったね」、と心の奥で語りかけた。 まぁ、それはさておき、

 

出艇は一枚岩から。 ここにはいろいろな思い出がある。

ある時は、ちょうど祭りのイベントのリハーサルをしていた。そしてカヤックがゴールする時に突然シンセザイザーがジャジャジャーーン!と鳴り響き、まるで私たちの到着を祝ってくれたようだった。

またある時は、ここを出る時に ホラ貝を吹いてくれる人がいて、私たちの出発を祝ってくれるようだった。

河原への道に桜の花びらが、まるで薄紅色の海原のように広がり、そこを踏むのがもったいないと思いながら歩いた時もあった。

そして、何よりも大切な思い出は、この大岩の前で、初めてのマイカヤック、「KIDUの女王号」の進水式を行った。 中古艇だがオーナーと言う響きが心地良かった。それから夏にも冬にも、海にも川にも、いつもいっしょに出かけた。

女王号との出会いの儀式、もう10年以上前の事となったが、つい先日のように思われる。その女王号、最近は活躍の場がないままだったが、先日、新しいオーナーのもとへ旅立った。出会いの儀式は盛大にやったのに、別れの儀式などなにもなく、車から車に積み替えられただけの女王だったが新しいオーナーときっと楽しい旅を作るに違いない。今度会ったら、これまでのねぎらいとお礼の言葉をかけてあげよう。

 

そんな思い出のある一枚岩から、久しぶりの出艇。前日まで見事に晴れ渡っていたのだが、この日は今にも雨が降りそうな空。多少の雨位でおたおたする私ではない。初夏の雨もまた慈雨、と川面に浮かぶ。

 この大岩の中に閉じ込められた太古からの命を感じたく、岩肌に触れてみる。ザラッとした感触が掌の皺の1本1本に伝わってくる。これが揺るぎない命からの語りかけなのだろうか。

あまりにも大きくて、カヤックからは1枚の写真に納まらない。てっぺんまで見ようとするとカヤックが揺れて、ひっくり返りそうになる。 おっと、危ない!

岩のあちこちに苔のように草が張り付き、白い小さな花が見える。セッコクだろうか。陽がさしていたならさぞかしきれいに見えるだろうに、と残念な日だった。

 

下りだしてじきにこんな岩がある。

この辺りでよく見かける様相の岩だ。熱い地球と遥かな時間が作った作品。「ぼたん岩」や「虫喰岩」などの名前が付いた岩が名所となっている。時々、人が近づける場所の岩にはハチの巣状の穴に硬貨が置いてることがある。岩を神と崇め、賽銭として置いているのだろうか。 

この岩は、カヤックでしか行かれない所にあり、しかもカヤックから手の届く所には穴がない。この岩の大きな穴に、小さな鳥居や仏像があるのを見たら、それはきっと神か仏の成せる技に違いない。いつか、見てみたいものだ。

出艇した辺りではくすんでいた水も下るにつれ次第に清流となる。 川は、上流より下流の方が澄んでいる事がよくある。特にダムがある川ではそうだ。

 

古座本流はゆったりした川だが、時々ちょっとした早瀬がある。それでもよそ見をしながらでも下れる瀬だが、こんな橋をくぐる時は気を引き締める。時には張り付き事故となる。

欄干のない橋を「沈下橋」と言うが、古座川では「潜水橋」と言うとのこと。この橋の流れも、来る度に変わっていて、橋の左端を行ったこともあったし、真ん中を行ったこともあった。川は、大水が出る度にその流れを変え、だから新鮮であり侮れない。

川は、深く澱んだ瀞場もあれば、浅く滑る流れもある。舟の底を擦りそうに浅く見えていて、透明度が高い水は、意外と深い。こんな所は世の中ぐるっと手放しで見放題。

そしてこんな岩が見えてくると旅も終盤。

 

 古座のハート岩

 何年も変わらず古座に
 ハートを捧げています

 私の心も変わりは
 ありませんよ

 

 

 

 

「そう言われれば見えなくもない」、と言う人もいるが、10年も前、初めてこれを見た時に、これはもう「ハート」以外の何物でもない。と、その出会いに心踊った。古座にはハートがある。

5回目となる古座川下り、川の旧友も多くなった。その中のこんな岩。

覚えておいでだろうか「ウマヅラハギの岩」。 スーパーに切り身となっているもの以外、魚の名前など大して知らない私だが、ずいぶん昔にこの岩に「ウマヅラハギ」と名前を付けた。おちょぼ口の横顔がどこかで知ったウマヅラハギにそっくりだったから。 この岩も変わらずにあった。

 

ゆっくり流され、のんびり下った川も、夕方早くにゴールした。 宿への途中でこんな岩に寄った。

見上げる大岩の上部の窪みの模様が 牡丹 に見えるのでその名前が付いたとか。そう言われれば見えなくもない。いや、はっきりと牡丹に見える。 こんな穴あき岩ができる理由を、地質学の研究者は火山と言うが、伝説の語り部は何と言うのだろう。私なら・・

     昔、古座川のほとりの村に「ぼたん」と言う名の娘がおった。     
     生まれた時からあばたの醜い顔をしておったが、心は優しい娘だった。

     ある年の牡丹の花が咲く頃、長雨で川が溢れ、今にも村が押し流されそうになった。
     村人は 人柱 を立てようと話し合ったが、誰も名乗り出る者はいなかった。

     そうこうする内に家が1軒、2軒と流され始めた。それを見た ぼたんは、
     みずから大岩に登り、逆巻く川に飛び込んだ。

     すると、途端に水が引き、村は大惨事から免れた。
     水が引いた後、ぼたんが飛び込んだ大岩には、 
     牡丹の花のような模様が浮かび上がっていた。

     村人は、きっとあれは ぼたんの魂が宿ったに違いない、
     とその岩を「ぼたん岩」と呼び、
     毎年、牡丹の花が咲く頃に、牡丹の花を添えて娘の霊を慰めたと言う。

                        ~ 古座の民話集 第17話より ~

なんて、伝説は、どうだろう。あながち、作り話とは言えないのではないだろうか・・  温泉に浸かりながら、そんな創作民話を作るのも旅の楽しみだ。

今回お宿に2晩お世話になった。前の晩に、「鯨」の話をすると、次の日の夕食にさっそく鯨が出て来た。

定番の刺身と並んで「鯨のさえずり」。初めて食べる物だったが、弾力があり、濃厚な味わい。1つは生姜醤油で、1つは酢味噌で頂く。食べ切れないほどの料理が並び、胃袋が二つ欲しいと、本気で思った。 宿の気さくな女将さんとの話は尽きることがなく、電話がならなければ、一晩中でも古座の話が続いただろう。

           女将さん、ありがとうございました。

 

ハートの岩は変わらずにあった。女王号への慈しみも、時が経っても離れていても、変わらずにある。水辺の「こころ」は時空を越えて記録を記し、記憶を醸し出すのだろう。

 

夜、一晩中風が唸り、雨が降った。朝には上がっているはず、浅いあの川の水位も、もう少し上がっているはず。 明日はあの川を漕ごう・・

 

 

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839.マンボウはどこに? ― 紀伊長島の海と川と池 

2017年04月27日 | Weblog

ふと気が付くと、 えっ? と思う事と時がある。

えっ? そんなに久しぶり? そんなに長い間、していなかった?

 

まさか、と思って調べてみると、やっぱりそうだった。何と、海を漕ぐのは3か月ぶりだった。 今年は古道歩きが多く、カヤックを漕ぐ回数が少なかった。それでも砕氷漕ぎ、川漕ぎ、びわ湖漕ぎと何度か漕いだが、海は今年に入ってまだ1回しか漕いでいなかったとは・・

と、慌ててKWの続きを漕いだ日の記録。

 

前日に川を漕ぎ、夜はいつものお宿で過ごした。岸の桜はすっかり散ったと思ったが、今は八重桜が静かな水面に映える。

思いがけずにペンタさん御一行に会い、夜はお誘いに甘えてちょいと一杯頂いた。 朝、コーヒーの差し入れまで頂いて、それぞれの岸へと向かった。

今回の漕ぎはKWシリーズの続き。去年12月にゴールした浜からスタートする。 広い海水浴場はまだ誰もいない。夏になるとカヤックの出入りが禁止になる浜がある。けっこう多くある。 我が物顔で出艇できるのも今の内だろう。 ありがたい、と漕ぎ出す。

 風はなく、穏やかな暖かい日。 穏やかではあったが、スカッと晴れ渡る空ではなかったので、木々の色は冴えない。 まぁ、スカッと晴れ渡る日は風が強いものだから、風のないと言うこと以上の贅沢は言わないでおこう。

熊野灘に開く湾は荒々しい崖もあれば、長閑な浜もある。動と静の取り合わせが面白い。この海の沖にはマンボウが泳ぐと言う。ここまで来てくれないだろうか。

穏やか、と言ったばかりだが、そこはそれ、熊野灘。小さな洞窟の奥で大砲のような音を轟かせる。 遠くから見ていた時には、あの洞窟、入ろう。と思っていたのだが、洞窟から響く唸り声を聞けば、これ以上は近づかない、とセーフティーラインを下げる。

 

岬を回ると大きな浜が広がり、その先にこんな鳥居が。

上がってみると仏様のお堂と神様のお社。今はまだひっそりとをした浜、不意に現れたカヤックたちに、神も仏も驚いたことだろう。うたた寝の邪魔をしたことを詫び、そっとこの岸を出る。 

海は、はっきり「どこ」と特定できるモニュメントを持つ海もあるが、たいていは似たり寄ったりの姿をしている。浜は緩く弧を成し岸の波は白いテープを流したようになびく。磯は無愛想な岩を転がして波の隠れ家を作る。 そのテープの大きさを楽しみ、隠れ家の覗き見して楽しむ。 どれも同じようだが、しかし、どの一つも同じではない。流れ着いた浮標、錆びた廃船、入り江の形、堤防の上の木、洞門の形、地籍の石杭、・・ そしてこんな小さな洞窟もこれまでに撮った数え切れないほどの写真の中で、この海のあの洞窟と、特定できる。 海は、似ているようでもどの岸にもそれぞれのIDを持ち、それは海の指紋とも言うのだろう。

            この岸、確認! 

 穏やかな海、迷路のような岩場を彷徨っていると急に釣り糸が現れる。 向こうも突然現れたカヤックに驚いたように、見つめる。  彼がどう思ったのか。

           おいおい、糸を引っかけるなよ
           そこを通ると魚が逃げるだろ           
                            
           いいなぁ、あんな舟があったら渡船代いらないし
           狙い場に自由に行けるし、あんなの欲しいな

今は釣り用のカヤックも多く出ている。カヤックで海を旅する人は、釣り人のカヤックはあれは別物でカヤックとは言わない、と言う人もいる。ママチャリとロードバイクの違い程なのだろうか。私にとってはタイヤが2つの乗り物であり、パドルで動く乗り物以上の違いはないのだが。


入り江に入ると対岸に町の動きが見えてくる。 そんな所で岸辺のランチ。 

花見は終わったがこれからいろいろな花々が咲き出す。海辺の荒れ地にもこんな花が咲く。               

植物は「似て非なる物」が多い。「〇〇草」に似た大きい花の「オニ〇〇草」、よく似た小さい花の「ヒメ〇〇草」、「マルバ〇〇草」、「ホソバ〇〇草」、「一重〇〇草」があれば「八重〇〇草」もある。 そんなに詳細に分類しなくても、「〇〇草とその仲間たち」でいいかと思うのだが、それでは植物学者が失業するのだろうか。

とりあえずこの花は マルバアオダモ らしい。 岸をじっくり見ると、植物学にも精通してくる?

 

海辺のランチはのんびりと過ぎ、ではそろそろ、と言ってまた漕ぎ出す。 漁船、土砂運搬船、釣り船、活気のある港をそろりそろりと通り抜ける。

 

このまま今日のゴールに向かうのはもったいない。この先の川に行ってみよう。 ちょっと、行ってみよう。あの橋まで行ってみよう。 川上りをする時は次の橋までと言うよりは、これ以上は流れが速く逆らえない、これ以上は浅くてパドルが使えない。と言う辺りまで、と言うのが最終目的地。

この川もそんな所が折り返し点になる。

 

 

 清い流れの川

 浅いけれど、
 まだまだ漕ぎ上れます

 あの橋の向こうまで
 行けるかな

 

 

 

川を上り、川を下り、また海漕ぎをしたかと思う間もなく、今度は水路漕ぎ。とどめは池漕ぎ。海に繋がる池。陸からは何度となく見てきたが、カヤックから見るのは初めての事。干物を買い、寿司を買い、ミカンを買い、そしてマンボウを買った店。

 この池はどのようにして成り立ったのだろう。海に続く水路はいつ開いたのだろう。気になることが次々出る。

池を回っていると崩れた岸にこんな物があった。

 あれは鍋。ここを安住の地として住みついたのか、流れ着いたのか、誰かが置いたのか。どんなことがあって土に埋もれたのか。どれ程の時間があの鍋に土の布団をかけて眠らせたのか。その眠りを、いつ起こされたのか。

           ここは「鍋の岸」と名付けよう

鍋がこの池で暮らした長い時間と見て来た事を、聞いてみたいものだ。どんな語り部となるだろう。

           水郷の「ぞうりの木」、を思い出した。どうしているだろう・・

 

帰りがけ、もう一度この池を見てみた。何度も来て、何度も見た池だったがこんな遊歩道が巡っていた事に、初めて気が付いた。初めての土地に来たようで、なんだか得したような気がした。

海と川と池を漕いだ日だった。家に着いてから、しまった、と気が付いた。 空を泳ぐマンボウに会うことを、忘れていた。マンボウは今頃、どの空を泳いでいるだろう。

 

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838.町の中の秘境 ― 序破急の秡川

2017年04月25日 | Weblog

先日、かねてより計画していた? 願っていた? 川下りに行った。 小さな川だが秘境ムード漂う町中の川。「日本の小川の原風景」を思い起こさせる川だった。それでいてヤンチャな堰堤越えもあり、緩急取り混ぜた川だった。そんな川の記録。

 

初めてこの川を知ったのは1年ほど前の事。海漕ぎの予定がなぜか陸漕ぎとなり、どれがどれやら、何が何やら、どこがどこやら・・と言うほどたくさんの発見の中で見た川。 

     この川、良いな    

     音乗のスリルはないけど、   
     滝の拝の透明さはないけど、
     ユーコンの雄大さはないけど、
      
     どこか懐かしい、故郷の川みだいだな
     いつか、漕ぎたいな

 

と見た川だった。 その川を、やっと漕ぐ日が来た。

 

その日は海では風があった。しかしこの川にはそよ、とした風が吹くだけで、うす曇りの空は暖かい空気に満ちていた。

今回は、どこからどこまで、とはっきりと決まっていた訳ではなく、とりあえずこの区間、その先はその後で考えましょう、と言う緩い出発。 良く言えば「現場でのプランニング能力を高める」とも言うが、まぁ、「行き当たりばったり」とも言う。そんな偶発的・創造的・開拓的な行動が、好きだ。それができる今日のメンバー。

「春の小川」の長閑さとはちょっと違うが、こんな所から出艇する。

 こんな所はパドルは使えない、だからヨシを掴んで引き寄せ、かき分け、くぐり抜ける。 去年の冬に見た時も、「清水」ではなかったが、今は特に田植えの時季でもあり、田んぼからの水が入って川は一層くすんでいる。 びわ湖の水郷・西ノ湖と同じだ。

 

漕ぎ出せばもうそこは別世界。どこの遠くの川だろうと錯覚する。このまま下ったのではもったいない、ちょっと漕ぎ上がってみよう。 最近降った雨や田への給水のせいもあるのだろうか、川は何もしなくてもちょうどいい具合に流される。 その流れに逆らっての「川上り」は1キロも上がると腕が痛くなる。そろそろ「川下り」に切り替えよう。

流されて、ふと気が付くと何やら水の音。そうか、この先は堰があったんだ。

久しぶりの堰堤越え。ここは『私には』このままは下れないのでポーテイジする。 私の僅かな堰堤越えの経験では、堰堤の地点では川幅は広くなるが、それを過ぎると狭くなる。 私の思い違いだろうか。 

とりあえず、この堰堤では前後の光景はがらりと変わった。

速く流れる小川はいっちょ前に小さなボイルを作る。リバーカヤックは何度か乗ったことがあるが、この種の艇は初めて。小さな流れの小さなボイルにも「おっと」と言う場面が何度かあった。 一度は、倒れ掛かった竹のストレーナに突っ込んでヒヤッとしたりもして・・

木々が迫り寄る岸もあれば、土手を歩く人と会話をする岸もある。釧路湿原かと思う所もあれば、里の小川となる所もある。小さな川ではあるが、短い距離の間に緩急取り混ぜて楽しめる川だ。

当初の区切りはじきに下り終え、まだ時間はたっぷりあるので、とさらに下る段取りを練る。

そして第2楽章。

町工場を横に見、子供会の花壇を過ぎ、頭上のトラックに手を振り、そしてこんな鉄橋をくぐる。

いつからこの川を見下ろしているのだろう。錆びた鉄橋がその年月を、遠い昔だと語っている。 電車に乗る人は川に浮かぶカヤックを見ただろうか、かつて見たことがあるだろうか。 この電車に、いつか乗っているであろう私の写真を撮って、手を振る。

           今度、この電車から、あの日、この川から写真を撮っていたあなたに
           手を振りますよー!

と言う声が聞こえたような・・・

電車の音が消え、何度もアケビの花の下をくぐり、鳴き慣れない鶯の発声練習の相手をし、キイチゴの白い花を眺め、暫く行くと、また水音。堰堤のようだ。 二つ目の堰堤もポーテイジ。 ここも無事通過、やれやれ。堰を過ぎればまた湿地。

時々草むらから水鳥が驚いて飛び出す。その羽音に私も驚く。 時々大きな魚が跳ねる。その水音に私も驚く。バシャッ、ワァッ、そんな物音だけが川面に響く。 ここは本当に町中の川なのだろうか。

その静けさの向こうからまた水音が聞こえる。瀬だろうか、堰だろうか。 

この川には瀬音を立てる瀬はなかった。しかし短い区間にいくつもの堰堤がある。これまでにいろいろな川のいろいろな堰堤を越えた。川の中を歩いたこともあったし、岸の藪を歩いたこともあったし、護岸のコンクリート上を行ったこともあるが、今日3つ目の堰堤は乗ったままで滑り降りる。

          ズズズー ガガガ― 
            ジャバン ドボン
              バシャン グルッ 

ちょうど良い具合の水量でウォータースライダーのごとく滑り降りる。 一瞬ヒヤッとしたが、沈もせず、グルっと一回りして落ち着いた。

そしてまた、静寂。 田んぼの柔らかい泥は川を灰色にしていたが、これも又田植え時の風物詩。 びわ湖で、産卵のため遡上した鮎が力尽きて岸に白い腹を出して打ち寄せられる光景を、汚いとか可哀そうとか言う声も聞くが、あれはびわ湖の秋の風物詩。鮎が次の世代に命を託したことを記す、神聖な行事の表れだ。 それと同じように今のこの川の色は、田植えと言う神聖な行事が行われていることを示す色なのだろう。 

 次第に周りが開けて来て、また水音がする。そしてここが今日の終点。ここを越えてさらに行くことはできたのだが、春の小川を流される風情を堪能したので、この辺りで上がる。

 

町中の、小さな川だったが、序・破・急 の演出が見事な川だった。 アケビはいつ頃熟すだろう・・

 

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837.びわ湖で花見 ― 亀たちの花見

2017年04月19日 | Weblog

先日、まだまだ見応えある名残の桜を追って、花見カヤックをした日。何度も漕いだ岸で、懐かしい物に会い、初めての事に気が付き、やっぱりびわ湖は「うみ」だと思った日の記録。

 

久しぶりの「チーム・気まま」。食べ歩きに行くことが度重なったこのチームだったが、久しぶりに本業?のびわ湖漕ぎに出る。

朝、濃い霧に覆われていたびわ湖。せっかくの花見なのだから、霧が晴れると良いね。でも、霧の中の桜も幻想的で、これも良いね。 そんなことを言っていたのだが、要するに、晴れても降っても霧であろうとも、それが一番よく似合っているその水辺なのだと納得する。それを、負け惜しみ、と思わないのが良い性分だ。

なのだが、漕ぎ出すころにはきれいに晴れた。晴れは晴れで申し分ない漕ぎ日和。晴れて良かったね、と言う自分の、何とまあ、ご都合主義かと感心する。

そんなこんなで、風のない、暖かく穏やかなびわ湖に漕ぎ出す。

4,5日前に満開を迎え、その後雨や風に見舞われたので、桜花は大して残っていないだろうと思っていたのだが、びわ湖の桜は律儀にも私たちを待っていてくれた。霧は晴れたが春霞みのとろけるような空。桜の淡い紅色はミルキーホワイトの空にほんのりと滲む。

 

 あるじ なしとて

 春を 忘れじ

 

 

 

 

 

 

漕ぎ出してじきにこんな所に来る。 昔のキャンプ場の跡。使われなくなって年月が経ち、今は草木に覆われてその影もない。それでも桜は今年も春を忘れず花を付ける。 ここは木々に囲こまれた静かな所。キャンプ場としては良い所だと思うのだが。 「自転車でビワイチ」を声高に叫ぶ昨今、「カヤックでビワイチ」の中継所として活用できるとキャンプツーリングのカヤックには大変ありがたい所だ。 口先ばかりで行動しないのが、私の悪いところだ。

岸から沖に目を転じればそこは うみ 。

 

 びわ湖に浮かぶ沖島

 二つに見えますが
 一つの続いた島です

 遠くからでも港の桜並木が
 よく見えます

 

 

 

 

覚えておいでだろうか。島の佃煮屋さんの大釜。何年か前までは「チーム・気まま」でカヤック漕いであの島まで佃煮を買いに行っていた。給食センターのような大釜で鮎やもろこやごりや、いろいろな佃煮を作っていた。近くのスーパーにも売っている佃煮だが、島の佃煮屋さんが、わざわざ島まで来てくれたから、とおまけにたくさん入れてくれた。それが嬉しくて、わざわざ30分漕いで買いに行った。 その店も何年か前に島から移り、もう沖島に行く楽しみがなくなった。と言って、長い間行かなかった。

しかし先月用があって定期船で久しぶりに行った島には新しく喫茶店ができていた。 今度ゆっくりコーヒーでも飲んで来よう。

 

岸に沿って行くといろいろな物と出会う。 これも久しぶりに会った物。

地籍を記すための図根点のようだ。以前見た時には620らしき数字が微かに読めた。「山」と言う文字は今もはっきりと見える。 山? ここは湖なのだが・・

海でも川でもびわ湖でも、そっと水辺を覗いて行くと人知れず日本の国土を示す標識が立っている。 猛り狂う大海原も暴れ逆巻くホワイトウォーターの川も、どれも日本の国土の一部ではあるが、それを目に見えて示すこんな小さな石杭は、穏やかな水辺でしか会うことができない。 日本国を表す小さな巨人なのだろう。

 

岸をかすめて行く時もあれば遠目に眺める岸もある。

びわ湖の隠れた花見所。 隠れた、とは言わないだろうか。テラスで寛ぐ客だけでなく、桜もだが夏の日の夕日も、冬の日の飛沫氷もカメラマンで賑わう所だ。 カヤックに乗り始めた頃は、ここは 「 私だけの秘密の名所 」 と言っていた。「 みんなの名所 」 であることを知らなかった頃の話だ。

 

花見をするのは人やカヤックだけではない。

 

 ビワガメさん

 お久しぶりですね
 お元気でしたか

 水は冷たくありませんか
 
 今年の桜もきれいですね

 

 

 

私の「ビワガメ」。今は水位が少し上がり、頭と背中を少し出す程度に沈んでいる。 今は最後の桜を楽しみ、来月にはシャガの花見を楽しむのだろう。 ビワガメは何も語らないが、私のびわ湖の歴史を大いに語る友人だ。 その友人に手を振って、先へと進む。

その先にも別の友人の亀。「カメジマ」さん。

「島」ではないのだが、湖面に浮かぶ島のように見えるので私が カメジマ と呼ぶ山。 今日はあそこでお昼にしよう。ではもう少し漕ごう。

車で通った時、この辺りの道には一面に花びらが降り敷いていたのだが、その割には枝にもたくさん残っていて、花見には申し分ない見応えだ。 この辺り、湖岸に下りやすいので、思わぬ所に釣り人がいる。桜ばかり見ていると危うく糸に引っかかる。ここはちょっと岸を離れよう。

 

ここを過ぎればじきに金比羅様。ちょっと上がってお参りして行こう。

 

 景勝地 松ヶ崎

 金比羅さまのおいでになる岸

 

 おや、カメジマさんも
 お花見ですか

 

 

 

 

金比羅さまの桜はその根元を桜色の絨毯にしていた。花びらは、枝にあっても地にあっても、それはそれで桜時(さくらどき)なのだろう。 

岸を行くと防波・消波の土手がある。ここに入ると静かなびわ湖が一段と静まり返り、内湖の佇まいだ。

人工的に木杭で作った所もあるが、干拓前の湖岸の自然の堤防もある。 この辺り、戦後の(戦後、などと言う言葉も死語となりつつあるが)食糧難の頃びわ湖を干拓して田畑を作ったと言う。あのカメジマの辺りも、その頃には湿地で本当に島になっていたとのこと。船で渡ったと古老に聞いた。

進むにつれ、遠くに見えていたカメジマは、もう島ではなくなる。島ではなくなったが、亀の背中一面が何やら白っぽい。何だろう。もしや・・

 

 遠くの桜を見ていた
 カメジマさん

 自分の背中を見たこと
 ありますか

 あなたの背中は
 桜が満開ですよ

 お花見をありがとう

 

 

やっぱり、桜だった。この時季にここを漕いだことは何度かあったのに、この山に、こんなに桜があったとは、気が付かなかった。 それとも、すっかり忘れているのだろうか。忘れたならそれはそれで良い事だ。見るたびに新鮮な感動があり、「初めて見た」と喜べるのだから。 それが進むと、ちょっと困りものだが・・

カメジマの桜を背に昼食とする。びわ湖に限らずだろうが、近年水辺のマナーが悪くなり遊んだ後のゴミの始末、岸辺のルールが目に余る事がある。そのせいで閉鎖された公園がある。 海で、入り江の奥に打ち寄せられている異国のペットボトルなど、かわいいものだと思えるのが残念だ。

 

日焼けを気にしながら太陽を楽しみ、さて、とまたパドルを握る。 じきにこんな所。

 

 龍神様、龍王様

 今日も穏やかなびわ湖を
 ありがとうございます

 玉子は持っていませんが
 気持だけ捧げます

 

 

 

 

龍神様と龍王さまのお社。民話・伝説は各地にあるが、歴史の古い近江の国にもいろいろな話がある。「俵の藤太」のムカデ退治は有名だが(と、湖南の人間はいうのだが)、ここ、筆ヶ崎の龍神様もその話につながっている。 大ムカデから平将門の乱まで、一晩では語りつくせない伝説と史実があるのがびわ湖だ。 いつ来てもきれいに掃除されているがこの日も落ち葉を焼く煙が立っていた。大事にお守りされている神様だ。人がいたので上がらなかったが私も湖上から手を合わせる。

 

川がびわ湖に注ぐ河口では沖に伸びる突堤を見ることがある。びわ湖の水位変化により突堤はすっかり姿を現す時もあれば、びわ湖に沈む時もある。そういう所にはたいてい何本かの木が生え、その生え方でそこがどこの何という川なのか、わかる。

今傾いている木も、何年か前にはっすっくと立ちあがりこの川の名詞として活躍していた。今は傾いても、やはりこの川、日野川の広報係だろう。 あの木とあの木の間が通れるはず。

こんな突堤をいくつか越えて、あと一漕ぎでゴールと言う辺りで一服する。

今漕いで来たのはあの山の向こうから。沖島も霞んで見える。こう見るとここは海と言っても間違いはないだろう。びわ湖の「湖」を「うみ」と言うのも頷ける。 

この岸に紫式部の歌碑がある。沖島を詠んだ歌と言うが実際に詠んだ場所は、ここだとか、いや別の所だとか、いろいろな説がある。 沖島はこの岸からも、隣町の岸からもみえるのだから、どこで詠んだ句かの論争は、この広いびわ湖では些細なことではないだろうか。

さて、と言って最後の漕ぎに出る。 じきに賑やかな岸となり、こんな橋が現れる。

 

 こんな橋を見ると 
 ゴッホを思い出すのです

 アルルの川を思い出します
 

 行ったことないけど・・

 

 

 

 

実際に動くものではないが、異国の風情があり楽しくなる。形骸化しているとは言っても、この形は想像の花を咲かせる。こんな橋が以前はびわ湖で3つあったのだが、今ではここだけになった。 この橋もまたびわ湖の岸のランドマーク。

この先に渡来神伝説の史跡「八ツ崎」がある。 この神様は大亀に乗ってびわ湖を渡っておいでになったとか。 やはりびわ湖は「亀」と縁が深いようだ。

 

15キロをのんびり漕いで無事ゴールした。 今回このコースにしたのはちょっと訳があった。相棒が、例の店に行きたいとの事。その希望にそってこの岸を漕ぎこの店に行く。

 

 びわ湖の鮒ずし

 店により樽により年により
 微妙な味の違いがあります

 

 

 

 

 

臭い物の西の横綱、と言われる鮒ずしだが、食わず嫌いの人が「あれは食べられない」と言っているだけではないだろうか。薔薇の香りとも、イチゴの匂いとも違うが酒飲みにはうける匂いだ。私のお勧めはクラッカーに酒粕のレアチーズケーキ(クリーム状)をぬり鮒ずしを乗せる。ワインに合う事、間違いなしだ。

 

桜が散り始めた日、ビワガメもカメジマも大亀も、そして「チーム・気まま」も、びわ湖で花見をした。 

また来年、このメンバーで花見をしよう。来年は、フナ も仲間に入れようか。

 

 

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836.思い出の岸初めての岸 ― 親子が遊ぶ宮の川 

2017年04月12日 | Weblog

先日、桜は満開を誇るのに天気が悪かった日、かねてより行きたいと思っていた川へ行って来た。1年ぶり、12回目の宮川だが今回は初めて出艇する岸。もう何年も前に、この辺りで出艇できる場所はないかと探して見つけた岸。その頃に比べると、河原に下りる道が荒れていたが、行きたい、来たいと思いながら、何年も経ち、やっとこの岸をスタートする日となった。そんな日の記録。

 

あれは、7年前、師匠と「シンクロナイズド・スイミング」をした日に、ちょっと早めに家を出てこの橋からの出艇場所を下見に来た。「川原に下りる狭い道の曲がり角は脱輪しやすいので気をつけて」、と地元の人が親切に教えてくれた。どうやらそこは脱輪の名所らしい。 なるほど、と確認し、どこに車を置くか、どこからスタートするか、いずれその内、近いうちに漕ぎに来よう。と思ってから、気が付けば7年が経とうとしている。

何と時の経つのが早いのか。何と実行力がなかったのか。何とうっかり忘れていたのか。今日こそ、ここから漕ぎ出そう。 

今回のメンバーに父親と一緒に来た少年がいた。 15キロ程の距離、最後まで漕げるだろうか、と心配したのだが、漕ぎ終わってから、そんな心配をして彼に対して失礼だったと反省した。少年は漕ぎなれないカヤックを見事に乗りこなしたのだった。その話はさておいて、

さて、どこから下ろそうか。水辺までのスロープをエッサホイサと運ぶのが一番良いのだろうが、目の前の斜面を滑らせれば運ぶ労が要らない。斜面は草、ならば、と草スキーよろしく草カヤックを滑らせる。

 

 ズズズズー 

 短いカヤックは川原まで
 ウェイブしながら 
 滑り落ちます

 長いカヤックは途中で一休み 

 

 

 

 

風はなく、今にも降り出しそうな空ではあったが、桜を満開にさせた陽気は暖かい。 天気のせいばかりではなく、ダムや堰の下流は水がくすんでいる。笹濁りとも違う、曇天色。古い寺の凛とした本堂が、その薄暗さで落ち着く様に似ている。これも又いい色だ。

水量はゆっくり下るには少し少ないだろうか。たいした瀬はないのだが、この瀬はちょっと手こずった。

瀬の手前は長いザラ瀬。久しぶりに川の中でカヤックを引いて歩いた。そしてこの瀬。終わってみれば、どうってことのない、どこにでもある、私が経験した中ではチョロイ部類の瀬だったのだが、久しぶりの瀬の波にちょっと緊張した。

あの少年はちゃんと下れるだろうか、と心配したが、私の後ろから来るその子はパドルを上げ、笑いながら下って来る。 

      おや、もしかして、私より上手いかも。お見逸れしました。さすがです。

 

大して下っていないが、なぜかお昼時。久しぶりに川原でのラーメン。

 小雨が降り始めたが、タープの下は暖かい。 「清流宮川」とは言うが、この日の、この辺りの川は、これを調理に使うのは遠慮したい。 

桜は満開の時季ではあったがこの辺りの川沿いに見える桜木はあまりない。その代わりにユキヤナギの白とスミレの紫と菜の花の黄色が沈みがちな色の水辺の彩係として役目を務めていた。

おっと、川の彩係に、こんな方々もおいでになった。

 

川で鯉を見ることはよくあることだが、色鯉を見るのは珍しい。 体長30~40センチほど、5匹はいた。いつも思うのだが、こういう色鯉は、大きくなって、水槽で飼いきれないからと川に放されたのか、稚魚のうちに川に来て、ここで大きく育ったのか。

色鯉はその色をきれいに出すためにエサに色素や薬品を入れていると言う。この川の(他の川でもそうだが)色鯉たちはいったい何を食べてこの色を維持しているのだろう。

もしかして、公園の鹿のように、毎日誰かが、プォ~とラッパを鳴らすとエサ場に来て、「色揚げ飼料」をもらっているのだろうか。

川人を楽しませてくれる魚に礼を言って、また流される。 しばらくしてこんな所。

 

 あの木立のなかに
 恵比寿様はおいでです

 水辺から鳥居に向かって
 手を合わせます

 

 

 

 

 

ちょっと前、峠道を歩いてこの川原に来た。 何度も通ったこの岸に、ずっと前からおいでになった恵比須様に、初めてお目にかかった日だった。次にこの川を通る時、川からお参りしようと思っていた社だった。今回、上陸してのお参りはしなかったが、岸から、「約束通り、来ましたよ」と挨拶する。

他にもこの岸には上がってゆっくりしたい所もあり、それはまた次回のお楽しみとして手を振るだけにした。

カワセミ、セグロセキレイ、サル、イノシシ、カラスにトンビに、どこの川でもお馴染みの生き物たちだが、カワセミを見るとその日1日幸せな気分になるのは、私だけではないだろう。

 

下るにつれ水は澄み、流れ去る小石がその数を数えられるほどになり、時々カヤックの底を擦る浅瀬となる。海で牡蠣殻がボトムを擦る音は背中がゾクッとし、心臓にグサッと刺さる。しかし川のザラ瀬の石がボトムを擦る音は、幼児のほっぺたが寒風にザラザラになった時の音のようで、なぜか微笑ましい。 WWW号がそんな音を立てるのも久しぶり。

それから程なくして見えてくるこんな岩。

 

 「親子岩」

 私が命名した大小2つの岩

 遠くから見ると1つに見え
 近くに来ると2つとわかります

 

 

 

 

 

水辺に立つ大きな岩。古座川の一枚岩には及ばないが、強情そうな、逞しそうな、それでいて暖かそうな岩。子どもを守る母親の優しい眼差しと、父親の威厳がある。

以前、この岩に登ったことがある。その時は砂が良い具合にスロープを作り、簡単に登ることができた。

 

 7年前のある日
 親子岩の上からの眺め

 

 

 

 

 

 

今はささくれたような鋭い岩が、崩れ落ちそうに重なって、足を踏み外すと痛い目に遭いそうで、上がるのはやめた。この岩、下から見ると上は平らでテーブルマウンテンのように見える。石舞台のようにも見える。

しかし上は意外と起伏があり、節理と剥離が混在した荒れ地となっている。この上でフラダンスは、踊れそうにない。  

 

この岩にもいろいろな思い出がある。まだカヤックで川のツーリングに出始めた頃、私をこの川に連れて来てくれた人が親子岩の下で「水菜のパスタ」を作ってくれた。

 

 陽に焼けた手が
 手際よくパスタを茹で
 ベーコンを炒め

 「春だから、水菜にしました」

 と言って作ってくれました 

 

 

 

 

 瞬く間にこんなランチが出来上がった。 「アウトドア」、なんて言葉を使い始めた頃の私には、カヤックに鍋やフライパンを積んで川原でランチを作るなんて、とても驚異的に思われた。

 これぞアウトドア! と、いたく感激した事を思い出す。その感動を与えてくれたのがこの宮川だった。

         そう言えばあの時の「長命箸」、どこへ行っただろう・・

 

ほかにも宮川にはまだまだ思い出がたくさんある。

目を瞑っていても沈などするはずのない人が風沈した。師匠とシンクロスイミングをした。誘ってくれた人のファルトの進水式でお神酒を注いだ。直角激突沈の岩に突っ込んだ。決着のつかないババヌキもした。夜桜キャンプもした。 飛び込みもたくさんした。

 

 最後はトトロさんに引っ張り上げてもらい
 上った岩

 ここに立つと、けっこう高かったなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

この川にはいくつかの飛び込み岩があった。しかし、大水が出た後は川床の地形が変わるので、以前深かった所も、今も深いとは限らない。この淵は今も深く水を称えているだろうか。

そうそう、こんな写真もこの川だった。撮ったのはBBHさんだったか、トトロさんだったか、もしかしたらサッチモさんだったかもしれない。みんなでワイワイニギニギと下った日だった。

撮った人はこれを狙って撮った訳ではなかったようだが、私にとって、こんな、まるで「神の光」の中にいるような光景は、それまでも、それからも、他には1枚もない。

 

いろいろな事を思い出しながら漕げば、もうゴールの岸が目の前になる。 今回のゴールは「ブロッコリーの木の岸」 小雨が降り、低く垂れこめた雲がブロッコリーの木を暗く包む。 この岸でキャンプをし、放物線の花火をしたのはいつだっただろう。 カメラさんに夜のブロッコリーの木の撮り方を教わった日だった。 カメラさん、どうしているだろう・・

あの少年は、意外にも?、漕ぎ上手だった。親子で下る姿が微笑ましくあり、羨ましくもあった。私も子供の頃に親とこんなカヤック遊びをしていたら、人生が変わっていたかもしれない。と、ふと、思ったりもした。

次第に雨足が強くなってきたが今回の川下りも無事終了した。下っている間には桜はあまり見えなかったが、ゴールの岸の道に雨に打たれて散り始めた桜が並んでいた。

久しぶりに活躍したWWW号は、特等席でたそがれ時の花見を楽しんで、桜艇となった。

 

春の宮川、人も岩も、親子で川にその姿を映した川だった。  

 

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835.トウロクユウケイブンカザイ ― 隧道も敷石も

2017年03月30日 | Weblog

発電所の峠道を歩いた日の続き。

久しぶりの店で昼食をし、午後は以前から気になっていたトンネルを探検しに行く。

紀伊長島、この辺りに来ることはめったにないが、来たとしても高速か海沿いの道を使うので、国道を通ることは、とんとご無沙汰していた。

久しぶりに走った道は、標識が変わっていたり、新しい店ができたり、前はあった店が閉まっていたり、時が流れて行ったことを感じる。 その道の傍らに、例の気になるトンネルがある。

トンネルの入口に、何やら、あまりマジマジとは見たくない生き物の気配がする。

見たくない、と言ったがなぜが気になり、マジマジと、見てしまうと、

なぁんだ、ヤシャブシだろうか。 しかし、不意に目の前に出されたら98%の人が、ギャ! と言ってのけ反るだろう。 植物と分かっていてもこれが足元に広がっている中に立つのは落ち着かない。

 

その「虫」を踏んでいく先に旧隧道がある。 入口がレンガ造りの素朴なトンネルだが、中は照明が施され、意外と明るい。今も歩道として使われているからだろうか。

 

 海野隧道

 (古里歩道トンネル)

 

 

 

 

 

 

レンガ造りとは言うものの、内部は殆ど手掘りを吹き付け処理した状態だった。大きく小さく波打つ壁面は砂漠の砂山のようで、不自然な形が、それも又面白い。

入口近くにこんな物がある。

「登録有形文化財」の銘板。入口の積まれたレンガと「 隧道 」の文字が、自分が生きた時代ではないのに、なぜが懐かしい。 

隧道の脇に古道の上り道がある。この道は、正真正銘に懐かしい。熊野古道のルート上の道だが、すぐ先に思い出の展望所がある。ちょっと行ってみよう。少し上ると、こんな光景と再会する。

この場所に来たのは2回目、と言っていたのだが、あとでよく考えるとこれで3回目だった。1回目は11年前にナイアードさんと、2回目はその2年後に家族と、そして今回。

 

 11年前のある日

 風が海を走りまくっていました

 途中で漕ぎを断念し
 古道を歩いて戻った日です

 

 

 

 

 

 先日の海

 やっぱり風が走っています

 最初から漕ぎを諦めて
 古道歩きに出かけた日です

 

 

 

 

展望台の東屋は少し変わっていたが、海は、島も風も変わらずにあった。変わらずにあることを確認して、今回はこの道を戻る。この日、行くべきは道は他にあったからだ。

 

では本道に入ろう。これも旧隧道

 

 道瀬隧道

 (道瀬歩道トンネル)

 

 

 

 

 

 

こちらの隧道は内部にもレンガの壁面がある。これは、一部レンガが「残っている」と言うのか、「造ってある」と言うのか。 

 

 ここはレンガの部分

 これは何積みと言うのでしょう

 

 

 

 

 

 

中は上には照明、横には防犯ブザー。世俗的な設備だが、これは「土木遺産」と言うより、「生活道路」だからなのだろう。ここに立ち、トンネル全体がレンガだったらその価値は更に上がっただろうにと思うが、それはそれで他の問題が出て、自由に出入りができなくなったかもしれない。 ちょうど良い残り具合なのかもしれない。

こんな物もある

 

 まるで

 マントルピース

 もしかして収納庫?

 

 

 

 

 

それにしても洒落た作りだ。 明治、大正の頃のレンガ建造物は、単に実用性だけでなく、装飾性にもたけている。偉そうに言えるほどの知識も眼力もないが、見て美しいと思える物が多い。 煙突や橋脚や堰堤や蔵や倉庫や。 私が美しいと思うそれらの多くが土木遺産になっている。 やはり私の 「 目 」 は良いのだろうか・・

近江の国に、ホフマン窯がある。今は使われていないがかつてはレンガ製造に活躍していたとのこと。煙突は今も高くそびえて往時を偲ばせる。いつだったか、八幡堀を漕いで、カヤックからこのホフマン窯を見上げた日があった。

 

 ホフマン窯

 これも国の 登録有形文化財

 あ、カヤックは違います

 

 

 

 

 

 

 

そう言えば、 デ・レーケ なんて名前を知ったのも、レンガからだった。 煉瓦、この文字にもどこかしら懐かしさが湧く。日本人の(私の?)郷愁センサーが古い漢字に反応するのかもしれない。

 

何だかんだと時間が経ち、今日の古道巡りの旅はお開きとなった。 帰り道、道の駅でめはり寿司を買い、久しぶりの温泉に入り、敢えて遠回りをしてマンボウたちに会いに行く。

 

 

 マンボウたちは今日も元気に
 空を泳いでいました

 遠くに見える海を泳ぐのは
 いつの日でしょう

 

 

 

 

あとでわかったのだが、この日行った二つの隧道の近くに、もう一つあったのだった。今回は急に思い立って行った隧道だったので、下調べができていなかった。失敗した。 次にこの海を漕いだ日に、もう一つの隧道も行ってみよう。 その日にまたマンボウに会いに来よう。

 

高速の馴染みのパーキングで、いつもの行動。ご当地牛乳プリンを買う事と、この石を見る事。

ここを作った人が、意識してハートの石を埋めたのか、たまたまこんな形の石がここにはまったのか。誰言うともなくここが「恋人の聖地」だとか。 しゃらくせぇ、と思いながらも、この道を通る時はいつもこのパーキングに入り、この石を見る。

この石は私にとって、「登録有形文化財」なのかもしれない。

 

さて、土産も買ったし、あとはまっしぐら、家に帰ろう。

 

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834.江戸も明治も峠道 ― 始めます、神様 

2017年03月29日 | Weblog

このところ、風の神様に愛され、海の神様にそっぽ向かれている。

今度こそ良い漕ぎ日和になるに違いない、なって欲しい、なれ! と決めた日は、強風注意報が出た。 場所を選べば、漕げないことはなかったのだろうが、そんな日のためにストックしてある陸漕ぎリストの中から、今回はこんな所を選んだ。そんな日の記録。

 

海の神様には疎まれても山の神様には覚えが良い「チーム・古道」?。どこにするか悩みも検討もするまでもなく、以前から下調べをしていた峠道ハイクに決まった。最近は漕げない日は古道ハイクに出るのがお決まりとなった。 

さっそくに歩き始めよう。駐車場では地元の人たちが桜祭りの準備をしていたが、桜は「慌てない、慌てない」、とのんびり構えている。あと1週間、あと十日、桜はいつその気になるのだろう。つぼみの先がほんのり薄紅色となるだけだった。

今回の峠、始神峠。最初は江戸の代に作られた道から行く。緩く上る細道に、こんな橋が架かる。

 この後もいくつか小さな橋があった。かろうじて橋板が渡してある物やロープの手摺の物などだったがどれにも木札が架かり、よく手が入れてある。橋は、どんなに小さな物でも一つ越えるごとに新しい世界に入って行くようで、幾つかの橋を越えた時には神と人との領域の境の意識が薄れる。

緩い上り道も、じきに小石の道、石段の道、そして木の根道。

 

 

 遠い昔、

 脇差挿した士や 
 手甲脚絆の旅人や

 幼子の手を引いた母親や
 老いた親を負ぶった息子や

 伊勢に行く人
 熊野に行く人

 そんな人たちも
 この木の根を踏んで行ったのでしょうか

 

 

上り始めは緩かった道も、峠近くになると、息が切れる道となる。 次第に両の木立から光が入るようになり、やがて道が開け峠となる。

平らに切り開かれた所に「茶屋跡」の石碑がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな茶屋だったのだろう。 

      およねばあさんが捏ねた団子が3つ並んで五文だったとか
      おさよちゃんが姉さん被りでお茶を運んでいたりとか
      お武家様が 蕎麦はまだか、と催促していたりとか     
      清吉さんが へい、ただ今、と言っていたりとか

いろいろな古道でいろいろな「茶屋跡」の碑を見た。石は何も語らないが、遠い昔の物語が溢れ出すようで、どの碑の語りにも耳を傾ける。

 

峠から近くの海、遠くの海が見渡せる。

亀島や、「地球防衛軍」の島や、セミの大合唱や、漕ぎながら船酔いした人や、「水鳥の碑」や、ロウソク岩や、洞門や、風で潮が巻き上がった日や、・・

ナイアードさん、SU-さん、ダンディーさん、師匠、ピアスさん、カメラさん、ペンタさん、・・

いろんな人と漕いだ日の思い出が、広げたテーブルクロスの上に懐かしい料理となって運ばれてくる。今度、目の前の海を、誰と漕ぐだろう。

そんな思い出のある海が広がる。 しばらく思い出にふけってから、重い腰を上げる。さてこの先、あっちの道も、こっちの道もある。

 

 

 今来た道が 江戸道

 江戸の次は?

 次は明治でしょ

 

 

 

 

峠から更に大きく進む道もあるのだが、私たちは(私は)ここから明治道を通って戻ることにする。この峠のすぐ先に石積みがきれいに残っている所がある。そこだけが特別に保存されているのか思ったが、帰り道の所々で、石積みの道が見られた。

散切り頭の男衆が明治の風を吹かせて駆けていた道かもしれない。

そう言えば、途中の江戸道にマウンテンバイクのタイヤの跡があった。あんな落ち葉の道をバイクで走るのだろうか。あんな木の根道を本当に漕ぐのだろうか。あんな階段を、何が嬉しくて担いで行くのだろうか。怪我をしないで帰っただろうか・・

友人は、「何が面白くて、カヤックで富士の氷を割りに行くのか」と言っていたが、まぁ、それと似たようなものなのかも知れない。 自転車もカヤックも「漕ぐ」と言うし・・

余談だが、自転車も「漕ぐ(こぐ)」と言うが、自転車乗りは「漕ぐ」は自転車の専門用語であり、カヤックの分際で「漕ぐ」と言うのはおかしいと言う。 しかし、カヤック・ボートは自転車がこの世に現れる何千、年何万年も前から漕いでいるのだから「自転車の分際で漕ぐなどとは、千年早い」と、言えなくもない・・ 

漕ぐ、は元々水上の乗り物に使う言葉ではないだろうか。その証拠に、「漕ぐ」は「さんずい」だ。 自転車乗りが悔しかったら「あしへん」の漕ぐを世に出して、水上と陸上の差別化を図ったら良い。 などと言ってみるのだが・・    

それはさておいて、こんな道が続く。

明治道は江戸道より(概ね)緩やかで歩きやすい。イノシシが掘り返した跡があちこちにある。土が柔らかくなると植物の芽が発芽しやすい。すると森や林が育つ。そんなに単純な事ではないのだろうか。

ミカン農家の人が、ミカンを作るのに薬や肥料に金がかかる割には、シカ、イノシシ、サルなどの食害がひどく、採算が取れないので、最近はこの辺りではミカン作りをやめる人が多くなった、と嘆いていた。 やはり一概に土を柔らかくしてくれる、と褒めてばかりはいられないようだ。

 

これは土が良いからか、悪いからか。

 

 「板根」

 板のように平たく伸びた根

 

 

 

 

 

 

説明書きがなければセメントで作った花壇かと思うだろう。大きな木を抱き込むように5メートル程はあろうか。 これ程に長くはないが、板根は三重の山で時々見る。以前、西表で見たサキシマスオウの板根は大きかった。 

 

 サキシマスオウの板根

 ヒダの間に入って
 かくれんぼができそうです

 

 

 

 

 

横に伸びる根、縦に伸びる根。それぞれの生き方で自分を主張する。そのマイノリティーが個性なのだろう。人は、どうだろう。

 

明治道は歩きやすい、と言ったが、崩れ落ちた岩も多い。大雨が降ったら怒涛の流れが谷を削るのだろうと思う沢が幾つもある。砕け、割れ、刺々しい切り口の大石がゴロゴロある。大雨の後はさぞかし迫力のある流れとなるのだろう。 前を歩く人が、そんな時に来てみたい、としきりに言っていた。

その気持ち、わかる。私が、天ケ瀬ダムの放水量が800トンになると、居ても立ってもいられなく、見に行くのと同じだろう。

そんなことを思いながら歩いて行くと、突然にこんな物が現れる。

 

 発電所の給水管

 大きな大きなパイプです

 巨大なウォータースライダー

 

 

 

 

 

 

 

 

2年前、やはり風が強く漕げなかった日に、この辺りを徘徊?した。その時に見たこの給水管。

その時は、このパイプの上を歩くことになろうとは夢にも思わなかったが、今、あの時の写真を見返すと、いる、いる、2年後にパイプの上の歩道から顔を出している私がいる。

ここを下った水は海に流れ出ている。その水を眺めながら弁当を食べた日が、つい昨日のように思い出される。

 

ここを過ぎると、峠道もあとわずか。 始神峠、江戸道も明治道も、私には昼飯前の一歩きにちょど良い峠道だった。 昼からは・・・

それは昼飯を食べてからにお話し、しよう。 さ、さ、あの店に行こう。

 

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833.冬の終りの雪見漕ぎ ― ただいま、のびわ湖

2017年03月22日 | Weblog

いつだったか、私にとってびわ湖は 『 行く所ではない。帰る所 』 と言った。 そんなびわ湖に、久しぶりにお里帰りした日の記録。

 

先週の事となったが、久しぶりにびわ湖を漕いだ。今回のメンバーは「チーム・クラブ」。 B-Ⅴシリーズ漕ぎはパタッと止まっているが、それでもびわ湖は時々漕いでいる。今回のコースも、これでもう10回以上は漕いでいる所。目を瞑っていてもぶつかることはないだろう(?)か。

今回の漕ぎ、メンバーは5人。一応、私がリーダーと言う名前をもらってはいるが、メンバーは皆「勝手知ったる我がびわ湖」とばかりにリーダーの先を行ったり遅れて来たり、それぞれの漕ぎを楽しんでいる。

一応の予定では、10キロ程のワンウェイだったのだが、いざ回送の段になって、「往復も良いね」となり、時間と距離の頃合いを見て往復コースとなった。 こんな、良く言えば「臨機応変」、悪く言えば「行き当たりばったり」の漕ぎができるのがこのチームの良いところ。

と言うか、私がかかわる時はどれも行き当たりばったりの気がする。「チーム・クラブ」、「チーム・桜」、「チーム・KW」、そして最たるものが「チーム・気まま」、だろうか。 

速さを競うではなく、距離にチャレンジするでもなく、水辺に浮かぶことを楽しむにはやはりこの「私流気ままさ」をおいて他にはない! と自負しているのだが。

 

もうすぐ立春と言う日のびわ湖はどんよりとした天気ながらも穏やかな湖面で迎えてくれる。 対岸の山や沖島がシルエットに浮かぶ。

 

今回の漕ぎのテーマは「雪見ツーリング」。霞んだ空の向こうには雪を頂いた比良、若狭、伊吹の山々。今年は湖北に大雪が降った。そんな日に漕げば最高の「雪中ツーリング」になるのだろうが、そんな日は湖北に行かれない。

何年か前、雪が積もっている時に、急に思い立って一人で「雪だるまの水先案内人と行くびわ湖」カヤックをした。車から水辺まで、ソリのように雪の上を引き、小さな雪だるまを乗せて漕いだ。

またある年は、途中で吹雪になり、松の防風林下を漕いだ。吹雪いたと思ったら突然青空になったり、遠くで時雨雲が渦を巻いていたり。 そうそう、この時も「チーム・クラブ」だった。

これも思い出に残る雪見ツーリングだった。

今回はあの年ほどに雪が無いのは残念だったが、あの年ほどに吹雪かないでほしい、と願いつつのんびりと漕ぎ出す。

 

川があれば遡る。鴨川、岸辺の家々が異国情緒を醸し出し、広い河口はヨーロッパの川を漕いでいるような気分になる。 それもじきに川幅が狭まり、流れ下っている水がはっきりわかるようになる。

 

 橋の下は不思議な風が吹く

 橋をくぐると新しい世界が
 待っている

 今日は冬の終わりの作品展

 

 

 

 

さらさらと流れる川を漕ぎ上がり、まだまだ激流上りもできるのに、と未練がましく言ってから、やれやれと言って下りにする。 覚えておいでだろうか、いつだったか、このもっと先まで漕ぎ上がり、これ以上狭くて浅くて漕がれないと言う辺りで両側のヨシに挟まれて、身動き取れなくなったことがあったことを。雪解けの冷たい水に入ってカヤックを立て直した、そんなことをした川だ。そんなことをした日があった川だ。

その川を下って来ると、これが、さっき上った川かと思う光景に出会う。

別に、川幅を引き延ばしている訳ではないが、実際に目で見た時の川幅より広く写っている。レンズの成せる技だろう。だから、

だから、「写真は真実を語らない」と思うのだ。

この辺り、多くはないが、枝が湖面に枝垂れている所がある。すかさずサッチモさんが、「枝はくぐるためにあるんでしょ」と言う。と~ぜん! 「枝はくぐるためにあり、岩は抜けるためにあり、ヨシはかき分けるためにある」。私の本能が、サッチモさんの期待と相まって、低い枝をくぐり抜ける。

 

陰険な雲が広がったかと思うと瞬く間に青空となる。白、青、茶色、灰色・・ 春にはまだ早い、と言いたげな色使いのびわ湖。それでも小さな水辺に春色があった。

 

 今日のびわ湖の 
 唯一の春色?

 ネコヤナギの赤に
 春が近いと感じます

 

 

 

 

 

松の木内湖へも入る。水門近くで仕事をしていた人の話では、ここにも白鳥が来ているとのこと。びわ湖には多くの白鳥が来るが、内湖の白鳥は知らなかった。近江の国へは毎年オオワシが来るし、最近はコウノトリが来ていると言うし、これでトキが来てくれたら、滋賀は単に「京都の隣りの県」から全国に誇れる野鳥県となるだろうに。 その基地となるのは、やはりびわ湖。マザー・レイク、皆で守っていかなくてはならない財産だ。

 

途中、「留守番の木」の浜に上がる。留守番の木は元気だったのだが、愕然としたのは、

去年の秋に来た時にはまだ ズン、とした顔で立っていた。 いったいどうしたと言うのだろう。 今年の大雪のせいだろうか。この太い幹が折れるほどに雪が積もったのだろうか。 ささくれた幹が恨めしそうに天に開く。

 この木もかつては、初夏の浜でハマヒルガオとまどろんでいた。

春になったら、新しい芽を吹いてくれるだろうか。この木を「ささくれの木」として、その変化を記録して行こう。

留守番の木は、大きな変化はなかったが、一回り小さくなった気がする。

 

 ただいま! 
 留守番の木 さん

 留守中、
 大変なことがあったんですね

 あなたもお体
 大切にしてくださいね

 

 

 

確かに小さくなっている。幹の下の方からまだ何本もの枝が出ていたのだが、来るたびに枝がなくなっていく。「留守番のあの子」の枝がなくなってから久しい。これが木の歴史、水辺の歴史、それを記す私の歴史。

浜の木たちに、また来るね、と手を振ってまた漕ぎ出す。

 

岸に、びわ湖では珍しい物を見る。

 廃船、沈船。三重県の湾では当たり前のように見る物だ。その地では、ある意味、海に貝殻があるように、何の違和感もなく船が水に浸かっている。いや、その海の景色の一つとして存在感さえ持っている。

びわ湖でも、内湖や湿地、川では時々見るが、外湖(海ではないので外海とは言わない。ここでは外湖と言おう)で沈船を見るのは珍しい。

新しくはないが、田舟や水路用にはまだ立派に使える。 どこかから流されてきたのだろうが、このまま朽ちるに任せるのは彼女の本意ではないだろう。 誰か、この舟を、役立たずの沈船から有用な働き者、仲間、として活躍の場を与えてくれる人は、いないだろうか。

 

今回のコースで、私が一番気に入っている場所がここ。

この一画は特に水がきれいだ。以前、ここの水を汲んでランチを作った。コーヒーも沸かした。今回はここでのコーヒータイムはなかったが、次に来る時はここで「本日限定 カフェびわこ」を開店しよう。客は来てくれるだろうか。

 

もうすぐ春と言うこの日、天気は 晴れ、のち曇り、のち晴れ、のち曇り、のち小雨、のち晴れ、のち・・

本当に目まぐるしく変わったが、穏やかな湖水だった。帰りの目印はあの「ドロヤナギ」の木。びわ湖の師匠が、あれがドロヤナギ、と教えてくれた木。 また、師匠と一緒にびわ湖を漕ぎたくなった・・

 

 

変わったびわ湖、変わらないびわ湖、新しい発見、懐かしい思い出。久しぶりに漕いだびわ湖の時間は 『  びわ湖は行く所ではない。帰る所  』 と言っていた自分を思い出させた。

       久しぶりに、

       帰った

 

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832.下からも、上からも ― 叶った海・叶えたい海

2017年03月08日 | Weblog

 このところずっと漕ぎの記録がない。出歩かない訳ではないのだが、水よりも土、の方とのご縁が深くなった。

とは言っても、その土も、「水につながる土」、「陸から見た海」。そう言うと、漕がない日々もまた漕ぎの日のプロローグ。そんな日の記録を、この際とばかりに、何日分かまとめて記すことにする。

 

その1.
その日は、鳥羽の海辺にいた。以前一度、「いつか漕ぐ時の下見」と称して走り回った時に来た港町。その小さな町に、以前は気が付かなかったこんな海があった。

 

 鯨崎

 整備された遊歩道から
 白い灯台も見えます

 遠く霞んで見えるのは
 伊良子の岬でしょうか
 

 

 

 

海を一望できる岬の高台にこんな供養塔が立つ。

鯨の供養塔。日本各地にいろいろな生き物の供養塔がある。 食料として人に捧げた命の供養。力を尽くしても助けられなかった命の供養。 天寿を全うして逝った命の供養。 科学の発展と言う名の下で奪われた命の供養。 供養とは、宗教的な定義はわからないが、単に、「感謝」だけでなく、「慰め」だけでもなく、「解放」と言う思いがするのだが。

まだ存在する命が、心のどこかに、人の命、生き物の命、壊れた人形の命、消えた命への罪悪感から解放されるために建てる供養塔、そんな気がするのだが。 

それはまたゆっくり考えることにして、この日は素晴らしく晴れた空と白波の立つ海原とその風を遮る木立の散策路を楽しんだ。

 

その2.
それからこんな所からも海を見た。 

 

 菅崎展望所
 とことわの鐘

 悲しさと優しさの鐘

 ここは去年の夏に
 来ましたね

 今日は別の人と展望です
 
 

 

 

眼下に的矢湾が広がる。対岸の安乗の灯台も呼べば応えるほどに近く見える。奥の深い湾のほんの入口。あの岸漕いだ、向こうの岸も行った。漕ぎ終わった水辺が次々に思い出され、懐かしくも、感傷的になる。天気は良いが風が強い。早々に車に戻る。

 

その3.
それからこんな所へも。 パールロードの展望所からの眺め。 長く続くこの道には見晴らしの良い展望所が何カ所かある。あの島に、上陸したことはないが、近くを通ったことがある。あの島も、ぐるりと回り、ゆっくり岸辺を楽しんできたいものだ。 あの島の、向こうにも島がある。その島も、いつか、漕いで行ってみたい。

 

その4.
別の場所から同じ海の同じ灯台を眺めて楽しんだ日もあった。

 

 ここも的矢湾
 漕いだ海

 良く晴れた海に
 白い灯台が見えています

 風が走る足跡も見えています

 

 

 


この海を何度か漕ぎ、いつかあのお宿に泊まってみたい、と思っていた宿。 下の岸を漕いだ日も、対岸の岸を漕いだ日も、ここを見上げていた私はいつも、ここから見下ろしている私に手を振っていた。 今度はここから下を漕ぐ、漕いだ、私に手を振る。 

 

その5.
またある日は、こんな所からも海を見た。

 

 田曽埼灯台

 ここまでの道はきれいに整備され
 この道を守ってくれる人たちに
 感謝します

 

 灯台の回りも、ピクニックに
 ちょうど良い広場になっています

 背伸びすると草の向こうに海が・・

 

 

 

 

海抜86メートルからの眺め。私の身長があと20センチ高かったなら、20センチの踏み台を持っていたなら、あの草が20センチ短かったなら、御座の半島がすっかり見えただろうに。

それでも英虞湾の奥から御座の白浜も灯台も、その向こうの岬までずいぶん見通せる。 

        あの灯台の下に、八朔の木があった。今年も実が付いているだろうか。 
        
        あの岬の向こうに、海からしか行かれない弁天様がおいでだった。
        今も変わりはないだろうか。
        
        あの入り江の奥の道に、警備・検問の警官がずらりと並んでいた日があった。
        サミットなんて、ずっと昔のような気がする・・

 

その6.
五ケ所湾の展望所には、こんな所もある。

 

 ボラの番小屋

 ボラの大群に沸いていた頃の
 見張り小屋

 

 

 

 

 

細い小道を上って行くと現れる小屋。使われなくなってずいぶん経つと言う小屋。何年か前に有志により整備されたとのこと。この小屋から、ボラの群れが来ると皆に知らせたと言う。

なるほど、ここからは大海原が見渡せる。あの海面にボラが飛び跳ねる様子はどんなだったのだろう。 私が見るボラは河口で近く見る物。時々カヤックのすぐそばで跳ねて驚かされる。あっちでピョン、こっちでピヨン。 バンバン飛び跳ね、たまにカヤックにぶつかって来る。その割に写真に収めることができない。こちらをおちょくっているのかと、腹が立つ魚の代名詞でもある。(私にとっては、だが)

御殿が建つほどに獲れたと言うニシンやサンマやイワシ、そしてボラ。日本の魚は本当に居なくなったのか、それとも必要とされなくなったのか。もしかすると、調理する手間を惜しまない人間が少なくなったのかもしれない。ボラは「臭い魚」の代名詞のように言われるが、水のきれいな沖合のボラは美味しいのだそうだ。しかもボラは「出世魚」でもある。 タイに代わって「ボラの尾頭付き」と言う演出があっても良いと思うのだが。

 

さて今日、この海に、ボラは跳ねるだろうか。

 

その7.
また別の海が見える高台に、こんな人に会いに行ったこともある。 

 

 南海展望台

 どんなお人か
 会いたいと思っていたのです

 

 

 

 

 

なぜだろう。私はずっと、この人を「おんな」だと思っていた。その後ろ姿から、「おばさん」と思っていた。ところがお会いしてみるとそれは「男性」、しかもまだ「若き男性」ではないか。船乗り、と見たのだが。

手をかざし、遥か遠くの海を見る。彼も又、行った海を懐かしんでいるのか、あるいは行きたい海に思いを馳せているのか。 私が言う「福井の少年」、あの子よりもだいぶ年上の人ではあるが、手をかざすそのしぐさに、暫くご無沙汰している日本海を懐かしく思った。

 

 お初にお目にかかります

 お噂はかねがね・・

 ところで、

 健康診断、受けていますか?

 この若さでその腹回りはちょっと・・

 

 

 

 

 

彼は、「大きなお世話」と言ったかもしれない。 しかし海にかかわる人たちの健康と無事を願うのは、海に楽しませてもらう私としては、「年長者の使命」と思っている。福井の少年が、風邪をひかないよう願うのと同じ気持ちだ。

彼がどんな海を見ているかと言うと、こんな海。

あの岸、漕いだ。あの汽水湖も漕いだ。この船乗りの足元の岸も漕いだ。しかしその時には、彼がここに立つことには全く気が付かなかった。この高台を見上げたはずなのに。今度あの岸を漕ぐことがあったら、その時にはこの人に大きく手を振ろう。彼は、私を、覚えていてくれるだろうか。

 

その8.
目を転じれば、こんな海も広がっている。五ケ所湾。 灯台、露天風呂のお宿、ヒオウギガイを焼いた岸、満月のナイトカヤックをした入り江。完結した岸辺の記憶がほどけだす。白い椅子のデッキはどこだろう・・

 

その9.
自分が漕いだ海、漕ぎたい海、かかわった海。この景色を上から見るだけでなく、『 この中を漕ぐ自分を、上から見たい 』 と思っている。 ずいぶん昔からそう思っているのだが、ヘリコプターや飛行機をチャーターできる訳もなく、ただ願い、憧れていただけだった。

しかし最近、ドローン、なんぞという利器が現れて、私の願いも、まんざら夢物語ではないように思えて来た。

「願う事、叶えたい事は、言葉にし、文字にすると叶う」と言う。 今、私が言った事、文字にしたことは、

いつ、叶うだろうか・・

       下からも、そして、上からも

 

 

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831.7年経ってありがとう ― ある人さんと三崎さん 

2017年03月03日 | Weblog

それは、

それを、はじめて意識したのは2009年の11月だった。  

次に意識したのは2014年の2月

それに拍車がかかったのは2016年1月

そしてとうとう、2017年の2月、7年以上かけて、やっと、やっと、納得の答えを得ることができた。

        三崎さん、長かったですね、         
        長かったです・・

先日、長年願っていたことを、とうとう、叶えることができた。そんな日の記録。

 

その日は、快晴。風がないこともなかったが、漕げないような風ではなかった。しかし前の日から、その日はあそこに、あの岬に例の物を確かめに行こう、と決まった。 あそこ、とは田曽崎。例の物とは崖の小屋。

 

地図は何種類か持っていた。イラスト的な物、国土地理院の物、誰かのブログに載っていた物。どれも「帯に短し、たすきに長し」。 地元の人にも聞いてみたが「右に道があるけどそこは行かず、左に道があってもそこは行かず、いくつかの分かれ道があるけどまっすぐ行って、次に右に行って、それから左に行って・・」。 この説明も実際にはあまり役に立たなかった。

それでも動物的な勘の働く人が前を歩いてくれるので、いつもの事ではあるが、私が地図を確かめる必要はなかった。 たぶんこの道、と歩き始めた小道。 なるほど、ハイカーのために整備された様子がはっきりとわかる。 この道に間違いない。

 古くなり埋もれた土止めの杭を補強してある。 石であったり、木であったり、こんな竹であったりもする。 何の得にもならないだろうことに、時間と労力をかけてくれる、どこかの誰かに感謝してこの道を行く。

一人がやっと歩ける狭い道が続く。しかし緩く上り下りする道は歩きやすい。あっちかな? こっちかな? 少し悩み、ちょっと間違え、それでも道しるべに従って行くと小さな祠が次々に見えてくる。

 

あるものは壊れたアルミサッシの扉があり、あるものは鳥居が倒れかけ、あるものは祭壇が荒れ、またあるものは石段が崩れている。 今はお参りをする人もいないようで荒れた祠ばかりだが、それでもどの神様も小さいながらも雨風から守られた石の祠にお祀りされている。

分かれ道がある。幾つも出てくる。そんな所にこんな物がある。

灯台も行くのだが、まずは岬の先端のあの謎の小屋へ行こう。こんな標識のおかげで行くべき道を知る。 次第に道はますます細くなり、もう尾根道となる。

 

 「馬の背」とは
 こんな道でしょうか

 尾根伝いの細い道


 

 

 

 

 

両側を木立に挟まれた細い道。しかし片方は海から切り立った崖に生える木々。どちらの坂にも落ちたくはないが、どうしても選ばなくてはならないなら、絶対に山側の方。海側に落ちたら、痛い、だけでは済まないだろう。こんな所は写真を撮りながら歩いていては、海側に落ちるだろう。ここは止って撮る。

下の方から波音が聞こえてくる。所々、木々が途切れる所があり、どんなかと覗けば断崖絶壁の足元も見えない。これ以上前に行くのは、この世に未練がある内は、やめておいた方が良いだろう。

地図上の距離にしたらたいしたことはないのだろうが、ずいぶん歩いた気がする頃、こんな鳥居が出迎えてくれる。銅板だろうか、緑青を吹いような緑色をしている。木の鳥居が朽ちて倒れているのが幾つもあったが、この鳥居は別格のようだ。

 

 ちょっとここで一休み

 ありがとうございます

 

 

 

 

 

 

そばに、「三崎さん前峰」の小さな案内。 どうやらここが田曽岬の頂上のようだ。 さほど息が切れる登りではなかったが、訪れる者に休憩のベンチが作られている。 作られてずいぶん月日がたったようだが、ここまでわざわざパイプや杭を運んで、どこかの誰かのために、どこかの誰がが作ってくれたのかと、その気持ちの暖かさが伝わる腰掛だった。

この先にも小さな祠。

硬く扉を閉ざしているようでも、「ごめんください」と声をかければ、どの神様も快くお目通り下さる。今日の旅の無事とこれからの海の旅の無事を祈る。 

この岬に、こんぴら様がおいでになるはずなのだが、王道も藪道も歩いたのに、そのこんぴら様がどこにおいでなのか、とうとうわからなかった。 もしかして見過ごしてきたのだろうか。これは次回の課題としよう。

 

道は更に細くなり、もう、道と言うより崖を削って作った「足置き台」の様相となる。そんな辺りに目指す物が見えて来た。あと少し、もう少し。

 

ここまで来て、目指す所は見えているが、あそこまで本当に行かれるのだろうか、と心配になる。山側の崖に身を託し、一歩一歩下りて行く。 あと少し、もう少し。

 

初めてこの「何か」に気が付いたのは、2009年の11月だった。みんなで熊野から伊勢を目指してこの沖を漕いだ時、「ずっと向こうの崖に何か見えるけど、何だろう」と。そんな何かがあることを、誰に聞いてもわからなかった。 何となく気にはなっていたが、時が経ち、いつしか忘れかけていた。  

次に意識したのは2014年の2月。五ケ所湾を漕いで、海がとても穏やかだったので岬を回って外海に出た日だった。あの辺りに在ったはずだが、と見た先に、はっきりとその「何か」を確認した。 間違いない、やはりあそこに「何か」がある。何だろう、気になる、気になる!

 

 ちょうど3年前ここを漕いだ時

 ほら、あそこ、崖の中腹に 
 何か見えるでしょ?

 あんな所、
 どうやって行くのでしょう

 

 

 

 

 道が見えません 
 でも誰かが行っているのです

 あそこに行って
 「何か」を作った人がいるのです

 あれは、何だろう・・

 

 

 

 

思いつくいろいろなワードで検索したが、一向にわからないまま、また時が経った。そのことをある人に話すと、思いがけずに、決定的なキーワードを教えて下さった。「三崎さん」、それで調べると、あった、あった。そうか、そうだったのか。行く道は?  1年前のことだった。

 

それからいろいろな事があり1年が経ったが、やっと、とうとう、ついに、念願かなってここに来ることができた。

田曽岬の「何か」が何かと言うと、こんなお方だった。三崎さん。

 

 お不動様

 あなただったのですね

 やっと、やっと、
 お会いすることができました

 

 

 

 

祠の鉄筋は剝き出しになり、注連縄もちぎれていた。ずいぶん長い事、お世話されていないような気配。それでも岬の石仏は海の邪鬼をしっかりと睨みつけている。 誰がお連れしたのだろう、誰が祠を作ったのだろう、だれが手摺を付けたのだろう、誰が、誰が・・

いや本当は、誰がが重要なのではなく、こんなに不便で危険な所にでもお祀りしようと思った人たちの、このお不動様に願った思いが、大切なのだろう。 我が身の福、人の幸、海の無事、全ての災難から遠ざかれますよう、私も小さなお不動様に手を合わせた。

7年前に、下から見た「何か」を、時を経て今、その「何か」から下を見る。 「下からも、上からも」、私のカヤックスタイルの1つのファイルが完結した。

         お不動様、 またいつかお目にかかりましょう

         それまでお元気で

 

さぁて、念願の「何か」、いやいや、田曽岬の不動明王さま・三崎さん にお会いできたし、ではそろそろ戻るとしよう。

お不動さまの前の道は、道と言うより崖は、今はまだかろうじて歩くことができるが、いつまでこの足場が保たれているか。「下から」の人を楽しませるように「上から」の人も喜ばせてもらいたいものだ、いつまでも。

 

その後、まだまだ飛び切りの景色を楽しんだのだが、それはまた、別のページに記録しよう。今は、崖から落ちないよう、歩くことに専念する。 

           ある人さん、
          「三崎さん」と言う重要なキーワードを教えてくれた、ある人さん、

           おかげさまで、念願叶えて来ました。           
           やはり思いは 文字にし、言葉にすると、叶うものなのですね。
           ありがとうございました。

           あの崖道が崩れない内に、あなたも見に行って下さい。

           

              

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830.いつか出会う水 ― 立梅用水

2017年02月26日 | Weblog

ちょっと前の話になったが、これも又カヤックにつながる大切な事、と書き出した記録。

 

その日も漕ぐ気満々だったのだが、例の風が・・ 午後から雪との予報も出ていた。 そんな日でも、「カヤックにつながる何か」を楽しむ材料はたくさんある。 では何があるか、そうそう、「あの用水」も気になっていたことだ。ならば今日は「用水巡りの旅」に出よう。

何が出るかわからない道、偵察兼・ガイド兼・ボディーガード兼・運転手兼 ・・ あれやらこれやらまとめてバルトさんにお世話になる。

まずはとりあえず、と寄った店で情報収集。 今回のミッションはこの用水の取水口を確かめる事。よっしゃ、では、あそこから始めよう。と小道を進む。 ここは普通車が通れるギリギリの幅。 タイヤの跡があるので通る車はあるようだ。 軽トラなら大丈夫だろう。 マロンは?

 勢いよく流れ込む水。しかし川からはずいぶんと高い所にあるし、その川からの水路が無い。 水は低い方から高い方へは流れない、絶対に。  たぶん ・・・・。 ここで用水に組み上げているのだろうか。それとも秘密の水路があるのだろうか。 水路沿いの道を上流に向かって行くと、突然用水が消えた。 

トンネルの先はどこに出ているのだろう。 水路らしき物がない。もしかして、この山の下を通っているのだろうか。 地元の人に、取水口の事を聞くと、「このずっと先にある」とのこと。 実はこの用水巡りを思い立ったのが前日で、ほとんど下調べができていなかった。そのため、地図もなく、ただ上流を目指していただけだったので心許ない事、言い難し。

それでも道は続くのでそれを頼りに進めば、また用水が現れる。 そんなことを何度か繰り返すと、いよいよ道は狭くなる。 そして渓流沿いの道となる。 

澄んだ水は、夏なら、この水に流されて遊び、この水でコーヒーを沸かして寛ぎ、そんな動と静が楽しめそうな川、櫛田川。 

覚えておいでだろうか、何年か前、このずっと上流の激しい流れを下り、沈しなかったことを自慢に思った。その岸の垂直に切り立った崖に作業車が張り付いていて、「私たちが通り過ぎるまで、落ちてきませんように」と祈りながら漕いだことを。 そうそう、あの「チーム・抱腹絶倒の舘」で漕いだ時のことだ。ずいぶん昔のように思い出される。

その川を見下ろす道はかなり長いこと使われていないようだ。 鋭く割れた落石があり、サルの群れが私たちを威嚇する。 こちらも負けてはいない。金剛杖を振り回して「人が優先」と、サルが腰かけていた岩を抜ける。 かつての水路だろうか、荒れた道にこんな物がある。

 

 荒々しく削られたトンネル

 腰をかがめて
 やっと通れる高さ

 

 

 

 

 

通り抜けられる物もあれば、あえなく落石に埋もれている物もある。先が見えない穴は、化け物が棲んでいる訳はないと分かっていても、入るのを躊躇する。何を怖がるのか、と自分の不甲斐なさを笑うのだが、それでも暗闇に向かうのは、怖い。

通り抜けられるトンネルも中は荒れている。 長いトンネルはいつも、中に入る時は期待のドキドキ感に押されて入るが、中ほどまで来ると、得体の知れない怖さのドキドキ感に押されて急いで出る。そのプラスとマイナスの興奮が「幸福ホルモン」を出すのだろう。陸でも、水の上でも、トンネル・洞窟は幸せになれる。

どの位歩いただろう、川の先に何か人工物が見えると言うがそこまでの状況がわからなかったので、「赤い何か」が見える所で引き返した。後でそこに行くことになったのだが。

 

それからあっちにこっちに彷徨って、昼食とした。午後の一番仕事は取水口探しの決着へ。

きっとあそこに違いない、と言う動物的な直観と案内板の助けにより、こんな所に出る。

 

 茶倉橋

 けっこうな高さの吊り橋

 ちょっと揺れます

 眺めは抜群

 

 

 

 

例の「赤い何か」、茶倉橋。 少し下流に先ほど引き返した辺りが見えている。 あと少し先へ行けばこの対岸に着いたのだった。 今はひっそりしているが春にはピクニックの家族連れが楽しんでいそうな公園がある。そして、ついに見つけた取水口堰。

 

 ついに?

 すぐに見つかります

 こんなに大きいのですから

 

 

 

 

 

地図から探せば一目瞭然の堰。ネットで探せばたちまちわかる取水口。 それを流れを遡り、なんとまぁ時間をかけて探し当てた事か。

 

取水口には踊るように水が流れ込んでいく。この水があの用水を下り、暗渠を駆け抜け、また日の当たる水路となり田畑を潤す。今は川の水量が少ないようだが、多い時には魚道から溢れんばかりの水が流れるとのこと。 川中の岩も今は甲羅干しの時季なのだろう。

 

取水口は確かめた。これで今日のミッションは終了・・

ではなかった。 これで立梅用水の始まりは見つけた。途中の姿も確かめた。 しかしまだ確かめていない姿も、これも見てみたい。 ならば、最後まで任務遂行。 とばかりに、今度は下流方向の旅に出る。

まだまだ清流櫛田川の流れが続く。 水の清さに反し空はどんよりとし、紅梅の明るさに反し時折刺すように冷たい風が吹く。雪が降ると言う予報は当たるのだろうか。

集落の近くでは散歩をする人やゲートボールをする人に出会ったが、用水沿いの道の殆どは、ひっそりと、少し薄暗く、何の気配もせず、水は音も立てずにただこう配に促されて進む。 

流れる水は、自分がどんな使命を帯びているのか、なぜ自分が選ばれし水となったのか、この先我が身はどうなるのか・・ そんなことを、微塵も思わないのだろうか。

 

木立の谷を切り開いた所にこんな石積がある。

                                                                                  

 空石積の築堤

 町指定の文化財

 200年近く前の姿とか

 

 

 

 

 

町教育委員会が立てた説明版がある。 泥が被って久しい様子の説明版、いったいどれほどの人がここを通り、これを読むのだろう。ここを通るのは私たち以外いない、と思うのは、思い上がりだろうか。

用水の水は次第に水量が減り、勢いもなくなってきた。それでも用水路は続く。 取水口からもうどの位流れてきただろう、また流れが消える。 そして、道には車止め。

ちょっと先を覗くと、これは確かに車では行かれそうにもない様子。それにしてはタイヤの跡がある。いったいどんな車があの角を曲がれると言うのだろう。 マロンならできるかもしれないが・・ 

消えた用水路の続きを探したのだが、見つけ出せなかった。後日地図で確かめるとここの少し先から、また地表に出るようだった。今回は夕方時間切れと言うこともあり、「立梅用水巡りの旅」は一応の成果を収めたとして終了とした。  

 

暫くの間だったが一緒に旅をした立梅用水、ここの水はまた櫛田本流へと帰り、その水の幾滴かはまた別の新しい川に名前を変えて海に出る。その新しく名前を持った川に、菜の花が揺れる頃、一緒に漕ごうと約束、いや、お願いした人がいる。 その人はその願いを、覚えていてくれるだろうか。

桜が咲く頃、もしかしたら、今日出会った水のどれか一滴に、新しい名前の川で、会えるかもしれない。

桜が咲き、菜の花が揺れる頃、もしかしたら、今日出会った水のどれか一滴に、海で会えるかもしれない。

         きっと会えるに違いない         
         会いたいものだ

 

帰りがけ、寒空から小雪が舞い降りてきた。 こんな寒く、風の強いに日はカヤックは漕がないが、「カヤックにつながる何か」で楽しむことは、いろいろあるものだ。

          これもまた、良い日だった

 

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829.縁が嬉しい円の富士 ― お札の湖

2017年02月22日 | Weblog

精進湖での氷割りを堪能した次の日、風がまだ強かったが、今日は別の湖へと漕ぎに行く。そう、今日はあの「お札の湖」へ。 

食事会場用テントを揺らしていた風は、ほんの一っ走りをするといつの間にか消えている。岸辺は春の陽気。なんとまぁ、穏やかな事か。

見事なまでの晴天。車からソリを引くようにカヤックを引いて岸辺に出た年もあったが、今年は雪が少ないのか、このところの暖かさのせいか、湖岸の雪も胡麻粒ほどに小さい。こんなに暖かい富士見漕ぎはこの5年で始めてだ。この良き日に富士見漕ぎに行こうと言った人は何という先見の明か。 

と言うか、もしかしたら、雪原の岸辺の方が良かったのかもしれないが、真っ青な空と穏やかな湖面の舞台は、これはやはり申し分のない日よりだった。

 

湖岸を歩くと、シャカシャカと音がして、フガフガと足が沈む。 何だろう。

 

 今年は暖かいと言ったけれど

 いえいえ、
 こんなに寒い朝でした

 

 

 

 


 

おっ、霜柱。それも5センチ程もあろうか。 水たまりに張った氷も庇に伸びるツララも珍しい物ではないが、私の家の近くでは、霜柱はめったに見ない。 つい嬉しくなって記念に1枚。

 

出艇準備、と言ってもみんな慣れたもの、気が付けばもう浮かんでる。

透明度の高い湖水、不器用な溶岩が作ったオブジェを密かに隠しているつもりでも、そのありかはカヤックの上からもあからさまになる。

 牡蠣殻はないが、溶岩の岩は牡蠣殻同様鋭い爪を出す。 わぁ、ゴメン! また擦った。 もっと岩から離れて漕げば良いものを、悲しいさが? どうしても岩に近づきたがる。

漕ぎ出しじきに振り返れば富士。一気に対岸まで漕ぎ、振り返ってもまた同じ形の富士。 

千円札の富士山はこの辺りの小高い山から見たものとか。なるほど、角度は違うが雪渓もよく似ている。今さらだが、「下からも」は何度もやったが、「上からも」はまだやっていなかった。「上からも、下からも」で完結とする私のカヤック、私としたことが、とんだミスをしていたことに、気が付いた。 次に来た時には山から、ここを漕いでいた私に手を振ろう。

ただただこの富士山を見て、帰りはこの富士を目指して行く。次第に大きくなるとは言え、巨大な山の前ではカヤックはあまりにも小さい。富士は、その形を留めたまま、裾を上げていく。 微かに吹く風が湖面を震わせる。ほんの一瞬だけ、鏡面となる湖面に、お札のような逆さ富士が現れる。しかし、その一瞬は、なかなか写真に残せない。

 

 

 今日の本栖湖の富士

 

 

 

 

 

 

のんびり漕いで、たっぷり堪能し、今年の富士見カヤックは、も、大成功だった。 名残惜しいみんなと、「また今度、どこぞの岸辺で」と手を振って別れた。 帰りがけ、また精進湖に寄ってみた。前日の砕氷時には薄雲がかかっていた霊峰は、今日は見事なまでな晴れ姿。 あそこに浮かんでいた私に、今、手を振る。

 

 

 今日の精進湖の富士

 どこから見ても富士山です

 

 

 

 

 

今年で4回目の「雪の富士見カヤック」、富士が見えなかった年はなかったが、今年は3年分くらいは見ただろうか、3年分くらいの賑やかさだっただろうか。 ワイワイ、ニギニギの富士三昧のカヤックだった。

 

縁が嬉しい円の富士。 「鳳凰」にも縁があると、これまた嬉しいのだが・・

 

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