資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

しなの鉄道鉄印&穴城の小諸城

2024年05月01日 | 城郭検定&日本百名城

 さて今回(4月25日)は、しなの鉄道の鉄印と野沢温泉、そして戸隠神社の旅である。まず、軽井沢まで新幹線、しなの鉄道に乗り換えて、小諸駅下車、ここでしなの鉄道の鉄印を頂く。

 乗り換えに時間があり、小諸城へ。小諸城は、最初に百名城スタンプを押した場所、この時はまだどうしようかと思っていたが、とにかくスタンプ帳を購入した、思い出の城だ。

 大手門は、お城より高い場所にある。お城の方が低いので「穴城」とも呼ばれている。

 続いて、お城の三の門。今日は何かお祭りがあるようだ。

 二の丸から階段を登ると、浅間山だ。

 お城に入るには橋を渡る。

 山本勘助愛用の鏡石。

 天守台に登る。このお城は、初め武田信玄が築城、関ケ原の後、仙石秀久が改修し三層の天守を作ったそうだ。仙石秀久、九州遠征で長曾我部を戦死させ、自分だけ逃げ帰った悪い奴だ。

 天守台は、かなり古い、石垣の勾配が緩いね。

 水の手曲輪、水が汲めるかと思ったが、水面は遥か下だ。

 最後は、徳川秀忠の憩いの石。秀忠は、ここの真田合戦で、手を焼いて、関ケ原には間に合わなかった武将だ。

 小諸城、初回は、3年以上前に登城した。当時は、石垣なんて全然、関心なかったが、今は変わったね。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~今まで一番不便、逆井城

2024年04月06日 | 城郭検定&日本百名城

 年度初めの本日(4月1日)は、千葉県の逆井城(さかさいじょう)へ。ここ不便そうなので列車とバス便を事前に調べて自宅を出発。JR武蔵野線→つくばエクスプレス→東武アーバンパークライン→バス便を乗り継ぎ→徒歩35分。という道程。まずは、東武アーバンパークライン、昔は東武野田線って言ってたよね。

 野田市駅で下車。駅名に「市」がつくのか、なんでだろ。ここから坂東市岩井へバス。

 35分ほど乗って、岩井局前(郵便局だった)で下車。同じバス停で乗り換えて25分、終点のさしま窓口センターへ。2回目のバスは、何と料金100円だった。

 降りてグーグルで、逆井城までの時間を調べると、何と1時間5分、ええ、そんなに歩くのか、調査不十分だった、しょうがない、田んぼの中そして川沿いをとぼとぼと歩く。

 約1時間歩いて、ようやく目指す逆井城公園に到着。

 この公園は、よく整備されている。帰りのタクシーの運転手さんによると、「ふるさと創生1億円」で作ったそうだ、なるほどね。まずは、冠木門、この門、大きいなあ。

 そして、二層櫓へ。これがこのお城のシンボルだ。

 井楼矢倉、物見櫓だ。

 観音堂、どこかのお寺にあったものを移築した、町指定の文化財。

 鐘掘池、戦で敗れた奥方が入水したと伝えられる。池の水は枯れることがないそうだが、今日は水はなかった。

 空堀は、結構沢山あり、よく残っている。

 お城の外から、外堀と井楼矢倉。

 このお城は、周辺のお城と同じく、北条、上杉や佐竹が領地争いし、最後は秀吉に滅ぼされた。でも模擬とはいえ、綺麗な形で、戦国時代の建物が建てられている。ふるさと創生1億円に感謝!!

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~穴太衆の修復する石垣の洲本城

2024年03月30日 | 城郭検定&日本百名城

 午前は、須磨アルプスを縦走、地下鉄で三宮へ戻り、午後は、高速バスで淡路島洲本へ。時間がないのでタクシーで洲本城に登城。

 洲本城は山城、その展望と石垣だ。まず石垣。本丸大石垣。

 

 虎口だ。

 そして天守閣。この天守は復元で、昭和3年の竣工。天皇陛下のご即位を記念して作ったとか。昭和3年だからか、文化財にもなっている。前回来た時も思ったが、まるで竜宮城だ。

 展望も素晴らしい。洲本が一望だ。

 石垣の修復、この日は工事やっていなかったが、穴太衆の石垣修復だ。

 穴太衆の石積みは、幾つも動画があるため、見てほしいが、穴太衆は、野面積みの石垣。野面積は、外見はゴツゴツしていて弱そうだが、石垣の内側1/3で石と石が接触していて、表面での接触でないため、多少ずれてもこちらの方が強いそうだ。

 また、動画で実験をやっているものがある。野面積とコンクリートに荷重をかけて、壊れるかの実験だ。結果は、野面積みの方が2倍以上の荷重に耐えられたという。

 でも、土木施工管理技士試験講座の講師から言わせてもらうと、コンクリートは圧縮に強いが引張りには弱い、引張りが生ずる箇所は、引張りに強い鉄筋を入れる。鉄筋コンクリートは、鉄筋の引張りと圧縮のコンクリートとが役割分担している。上から荷重をかける、上側は圧縮、下側は引張りの応力が働く。従って、引っ張られた方のコンクリートが弱いのは当然なのだ。ここで、野面積みと比較されてもねえ・・

 さて、夕方、三宮へトンボ帰り、夕食はネットで探して、牛のお安い店を探し、神戸牛ステーキ。100gだが、年寄りの自分には十分なボリューム。ついでに翌朝の新幹線、お弁当が、六甲山縦走弁当でした。こちらもボリュームは女性向きでした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~空堀は深く、曲輪がはっきり、武蔵松山城

2024年03月25日 | 城郭検定&日本百名城

 百名城、続・百名城以外のお城を調査中だ。今日は、武蔵松山城跡、東松山駅から徒歩25分、吉見百穴のそばにある、平山城だ。南側は、河川に守られていて、比較的コンパクトな城だ。(水色は、すべて空堀になっている)

 登城を開始、本曲輪に向けて登る。

 午前中、官ノ倉山に登ったため、この登り、脚が楽には動かない。

 本曲輪に到着。施設は何もない。昔の礎石ではなく、コンクリートの基礎が残ってる。

 菅谷館、杉山城、松山城、小倉城が国指定の「比企城館跡群」となっている。ちなみに、菅谷館、杉山城は続・百名城になっているが、松山城はそうなってはいない。

 空堀を渡って、二の曲輪へ。

 次は三の曲輪へ。

 そして、戻って、兵糧倉。

 曲輪と曲輪の間は、深い空堀だ。

 こっちは、馬出らしいが、よくはわからない。

 武蔵松山城は、戦国時代、ご多分に漏れず、北条、上杉、武田そして太田氏で、争奪戦が行われ、頻繁に支配者が変わった城だ。

 菅谷館などは、礎石や、蔀土塁、銅像などがあるし、杉山城は、その縄張りが凄い、そして手入れもきちんとしている。それに比べたら、松山城、それ以上の特徴はなく、まあ続・百名城に選ぶにはツイね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~ほう、五代将軍を輩出した館林城

2024年03月19日 | 城郭検定&日本百名城

 お次は、群馬県は館林城。別名尾曳城(おびきじょう)。遺構はもうほとんど残っていない。東武線館林駅から徒歩15分で到着。

 出くわしたのは、土橋門。門と石垣は復元だ。

 そして、石垣の間知石が埋まっている。おそらくは元からあった石垣から抜いて来たんだろう。

 そして、第一資料館へ、入場は無料。ここには、館林城の模型と絵図がある。

 資料館から出て、本丸の方向へ歩くが、とにかく広い。沼までは辿り着かないため、堀で休止し、お昼を頂く。このお城は、東と南が城沼で防御されている。この当たりは日本遺産になってる。

 ここは、鯉のぼりが沢山そよいでいる。風があるといい感じだろうね。

 さて、このお城の歴史について。初代館林城主は、徳川四天王の榊原康政、そして榊原家の後は松平家、徳川家と続くが、綱吉が城主の時、五代将軍になる。あの「生類憐みの令」の綱吉だ。

 このお城は、あんまり、遺構は残っていないが、ツツジの名所だそうだ、この時期にもう一度来たいね。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~関東平野の真ん中、関宿城

2024年03月18日 | 城郭検定&日本百名城

 さて、お城現地調査の第一弾、東武線東武動物公園駅から朝日バスで25分、そこから徒歩で15分で関宿城へ。ここは千葉県と茨城県の境界だ。住所は千葉県野田市、昔は関宿町、利根川と江戸川の交わる場所だ。このお城、遠くからもよく見える。昔、ゴルフの帰りに見たような気もする。

 天守は模擬天守、江戸時代、江戸城の富士見櫓をまねて作ったそうだが、改めて近年、模擬天守ができていて、資料館になってる。でも外見はなかなかだよ。

 門をくぐって博物館へ、65歳以上は無料だって、私も恩恵にあずかるようになっている。

 エレベータで登って、天守三層最上階からは、筑波山が遠望できる。

 この資料館は、後で作ったせいか、お城の縄張りから少し外れているね、川の対岸だ。

 現在の博物館は、スーパー堤防の上だ。スーパー堤防、この名称も聞かれなくなったね。

 外に出て、外観を撮影。

 傍には、お土産店と食堂がある。食堂は開いていなかった。平日だが、入館者もちらほら。関宿城は3回合戦に巻き込まれている。第一次は、北条氏と簗田氏、第二次は、これに武田信玄が入った。第三次は、上杉謙信も中に入っている。さて、次は東武線に戻って、舘林城へ、明日に続く。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~さあ、準1級に向けてお城調査開始!!

2024年03月17日 | 城郭検定&日本百名城

 温泉名人検定の受験が終わって、次は6月の日本城郭検定準1級の準備に取り掛かる。(写真は、日本三百名城のデータブック)準1級は、百名城、続・百名城だけではなく、近年は、それ以外のお城が得点源になっている。

 それ以外のお城って、ものすごい数がある。クラツー百名城が100城、日本三百名城のデータブックが100城、それに準1級問題で出題されたお城(前回前々回で約40城)重複もあるが併せて240城。

(クラツー百名城)

 このうち私がすでに登城したことのあるお城をリストアップすると、金石城(対馬)、大津城(滋賀)、屋嶋城(香川)、館山城千葉城(千葉)田中城小島陣屋(静岡)、岩槻城(埼玉)、水口城(滋賀)、高崎城(群馬)、宇都宮城(栃木)信貴山城(奈良)、小田城真壁城(茨城)。

 次に6月の試験まで現地調査したいお城は、関東・東北では、関宿城逆井城武州松山城館林城磐城平城相馬城、中部地方では、久能山城二俣城、関西では見残している長浜城佐和山城、これで合計10城か、来週から廻るにして3ヶ月で廻れるかどうかだね。

 並行して、書面調査で、こちらは100城以上調べられる。ネットで調べてパワポに短くまとめる、これもやろう。3~6月の資格学習は、お城+森林インストラクターで行くよ。

・・・追伸・・・

 飛鳥・藤原まるごと博物館検定初級の合格通知が来ました。501個目です。私の得点は49点/70点。受験生の平均点は54.7点、結構レベル高いなあ。でも合格、わざわざ飛鳥に行き、下調べもして、ずいぶん学習したからね。

 ご褒美は、高松塚壁画館では、この証明を窓口で提示すると、無料入館できるそうです。令和9年3月31日まで。私は、一度観てるんだけどね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~幕末、土方も戦った宇都宮城

2024年03月05日 | 城郭検定&日本百名城

 さて今週は、南東北方面へのお出かけ、いいお天気だ。(2月28日) 宇都宮で降りて、歩いて宇都宮城へ。高い土塁の上に清明台櫓がお堀に映る。

 宇都宮城は、古くは平安時代から、二荒山神社とともにあり、戦国末期は、秀吉が宇都宮城に来て仕置きをし、江戸時代になって本多正純が入り、出羽に流されたとき、吊り天井疑惑を起こし、幕末には土方歳三が攻防戦を戦い、最後は太平洋戦争で空襲に遭い壊滅した城だ。平成に入って、櫓を二つとお堀を復元したものだ。

 1階の資料館に模型がある。赤ラインの部分が復元された、この状況がよくわかる。

 土塁の途中にトンネルが複数ある。左(写真には映っていない)が資料館、エレベータで上って上が櫓だ。

 土塀もよく整備されている。向こうは富士見櫓。昔は高い建物がないので、富士山も見えたんだろう。

 清明台櫓は、下の階だけ、上の階は登れない、残念。

 河津桜ももうじきだ。

 このお城は、江戸時代、将軍が日光に参詣する際に宿泊場所になったそうだ。日光参詣は19回、将軍の行列は大人数だから、大いに賑わったそうだ。さて、次は福島へ、鉄印帳の旅だ。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城~雨の中の登城、櫓と門が残ってる高崎城

2024年02月28日 | 城郭検定&日本百名城

 日本城郭検定準1級を目指している。その対策として、百名城、続・百名城以外のお城を巡って歩いている。今日は、群馬県の高崎城

 高崎駅から徒歩10分ほどで到着。縄張りは結構大きいね。旧名は和田城、あの井伊直政が改築した。高崎藩の藩庁になっていた。

 渋沢栄一が若い頃、同士とこの城を襲おうと謀っていた。実行していれば、日本の産業もずいぶん遅れたていた、そして私の勤めていた会社も渋沢栄一の創立、今の自分も影響を受けていただろう。

 この城は、お堀と土塁の一部、それに乾櫓と東門が現存だ。ただし、乾櫓は、払い下げられて、農家の物置になっていたものを買い取った。東門も民間に移設されていたものを買い取った。

 残っているのは、ここだけだからお城巡りも短い。お城の本丸などは、公共の施設になってる。

 最後に三の丸のお堀と土塁だ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~筑波山の裏、真壁城

2024年02月25日 | 城郭検定&日本百名城

 2月19日(月)は、予報では、翌日からしばらく雨が降る。じゃと、連日のお出かけ、今日は筑波山の裏(私から見たら)にある桜川市の真壁城に登城、と言っても平坦な田んぼの中にある平城だ、登る場所はない。

 交通は非常に不便。バスを乗り換える。

 この街の観光案内、古そうだなと思っていたら、なんと筑波山ユースホステル(黄色いまる)だって、もう十数年前に廃止されたものだ。まだそのままにしてる、この街はダメだな、と思わせる典型に出会う。

 そして城跡の石碑、これは立派だ。

 お城の案内板とパンフレットを観る。本丸に二の丸、中城、外曲輪の構成で、堀は十分過ぎるくらい張り巡られている。左は城下町だろう。もっとも今は、本丸の位置に体育館があり、堀はわずかに残ってる。あとは田んぼだ。

 このお城は、真壁氏のお城、関ケ原の後、佐竹氏と秋田に移封された。手這坂合戦という戦いが有名だそうだ、私は知らなかった。真壁氏が、あの小田氏を破った戦いだそうだ。

  二の丸の虎口と筑波山、いつもの筑波山とは山の形が違う。QRコードがあり、タッチするとスマホに動画解説が現れる、これ、便利。

 

 土塁も高い。高いと危険なため、低めの土塁で復元しているそうだ

 中城では、庭園跡が見つかっている。会所、能舞台、茶室などだ。今は発掘が終わり、綺麗に埋め戻されている。

 発掘の事務所には、発掘に関連する新聞記事が。

 中城当たりは、まだ発掘中だ。

 最後は本丸跡に建ってる体育館。

 真壁城、国の史跡に指定されているだけあって、悪くはないが、なんせ土の城だから、西日本の石垣の城とはだいぶ違うな。何というか、どっしりした重みがないというか・・ 天候が崩れる前に退散。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~戦国の梟雄、松永久秀の信貴山城

2024年02月22日 | 城郭検定&日本百名城

 さて、朝護孫子寺の参道を登って、信貴山城へ。山全体をもう一度。丸のついてる場所が信貴山城。

 朝護孫子寺の境内は、標識があって迷わない。

 結構な登り。杖を突きながら登る。

 雌嶽と雄嶽の尾根まで来た。

 そして山頂だ。この当たりに4層の天守があったとか。とすれば、信長の安土城より、歴史上一番早い天守ということになる。

 ここから一旦下る、かなり下るから帰りが心配になってきた。立入屋敷、松永久秀の武将の屋敷。

 この後は、林の中、かなり迷ったが、なんとか城らしき場所に到着。

 松永屋敷出入り口。

 松永屋敷跡。この信貴山城は、山城で、しかも巨大な城だった。松永は、最後、信長に攻められて自害したが、その際に腹いせに、大事な茶碗を割ったとか、割らないとか。

 下りは、また山頂に登り返すのも大変なため、そのまま下る。道がわからず心配したが、無事朝護孫子寺に到着した。結構な探検の城巡りでした。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~お腹いっぱいになった大阪城

2024年02月20日 | 城郭検定&日本百名城

 関西出張の帰りは、まず大阪城。ここのところ、関西への出張が二回、検定受験が一度、とにかく関西が多い、そして、その前後の観光も多い(笑)、来月も出張があるから、また何か考えないと。

 大阪城は、立派な百名城である。この大阪城は子供の頃から何度か登っている、ただし、百名城巡りの時は、私が仕事で配偶者にスタンプを押してもらった。従って百名城巡りの対象としての大阪城はまだ知らない。

 ということで、じっくりと登城する。JR大阪駅から乗り換えて地下鉄谷町線に乗るのだが、大阪の地下はとにかくわからない、迷うのだ。何とか谷町四丁目で降りて、大阪城へ。

 パンフレットによると、この大阪城、重要文化財は塀も含めて13個もある。全部見ようと意気込む。

 まずは、六番櫓。堀はとにかくデカイ。石垣の屛風折れも見事だ。

 大手門手前の千貫櫓。大阪城を巡る戦いの時、この櫓から武器が飛んできて攻略できない、この櫓、千貫出しても買いたい、ことから名がついたとか。

 そして大手門、これも飛びきりデカイ。隣の多門櫓とその北方塀、大手門の北方塀、南方塀も重要文化財だが、蛸石に気を取られて、撮り忘れた。

 大手門を過ぎて、蛸石、瀬戸内海から運んだそうだ、これも飛び切りデカイ。

 石山本願寺の推定地。大阪城の前は石山本願寺だったか。

 そして桜門を抜けて、いよいよ見えて来た天守閣。この天守は不思議な天守だ。まず、秀吉の代に作った大阪城、大坂夏の陣で燃えてしまった。その隣に徳川が一回り大きな天守を作った。それも間もなく燃えてしまい、明治維新を迎える。昭和の一桁で地元から望む声があり、徳川の城の位置とその大きさで、鉄筋コンクリート製のお城、ただしデザインは秀吉の城を作った。従って、今見ている城は、実在しなかった城になる。

 

 そしてこの建物は登録有形文化財になってる。戦国時代のものではなく、昭和一桁の文化財としての価値だ。

 天守に登るには15分待ちとあるので先に周りを巡る。天守の奥に隠し曲輪。

 そして山里丸に行って、石の刻印集。

 天守の後ろには、山里丸。秀吉の時代、山里の風情を保つ松林や茶室があった場所だ。

 山里丸から天守の眺め。秀頼や淀殿もこれ、見たのだろうか。(いや天守は徳川の時代のもの、ちょっと変わってるな)

 そして見たかった、秀頼と淀君ら自刃の地。

 反対側の入口、極楽橋。

 戻って、天守に登る。5階まではエレベーター、その上は歩いて登る。8階もあるのか。まず天守から。小さく乾櫓と焔煙櫓が見える。

 8階から順次下に降りる。大坂の陣の陣形だ。

 降りて、井戸も重要文化財だ。

 石垣に使われなかった残念石。

 天守のそばで目立たないが、金蔵、飲み屋の名前のようだ。

 秀吉時代の石垣を公開するプロジェクト、秀吉って人気あるんだねえ・・

 一通り見終わって、森ノ宮駅方面へ。石垣が扇の形だ。

 一番櫓と天守が見える。

 天守が平日なのに混んでいて(中国の方が多かった、春節か)全部見終わるまでに2時間近くかかった。たっぷり時間を取ってあったのがよかった大阪城の登城でした。お腹いっぱいです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城~ボランティアでお城めぐりの講演会

2024年02月11日 | 城郭検定&日本百名城

 2月4日(日)は、地元のボランティア団体の主催する講演会で、講演した。会場は、三郷文化会館、大ホールには、プロの歌手なども来場する。今日は二回の大階会議室、聴衆は約60名、会議室にいっぱいだ。

 この日講演のテーマは、前半は社会福祉協議会の方の講演、後半が私の「お城巡りの魅力」だ。「お城巡りの魅力」の目次は、①自己紹介、②お城の魅力、③お城の歴史、④お城のタイプ、⑤お城の構成、⑥全国のお城・ユニークなお城、⑦お城巡り、⑧まとめ、お城に行こう である。

 Zoomで、リハーサルを入れてみました、閲覧希望の方は下のパワポをクリックしてください。約40分です。 なお、パスコードを求められたら #202402a です。

 本番も、40分で伝えられた。ただ、風邪気味で、途中、咳が出てしまった。アンケートを取ってるそうだが、結果はどんなだろう。こんなボランティアならいつでも歓迎ですよ。どうぞ声をかけてください、どこでも伺います。次は温泉の話でもしたいね。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~上洛する将軍の宿泊場所、天下普請の水口城

2024年02月06日 | 城郭検定&日本百名城

 城郭検定準1級の学習、今日は滋賀県の水口(みなぐち)城へ。近江鉄道の水口城南駅から、寒い中、歩いて5分ほど。お堀に映る水口城は美しいね。後で知ったが、ここのお城はすべて復元だ。

 木造の橋が傷んでるんだろうか、渡橋は禁止、「急がば廻れ」になってる。

 高校のグラウンドへ廻り、門からお城に入る。

 このお城は、徳川将軍が、上洛の際、宿泊するように作られた。従って天下普請だ。

 ちょっと狭いなあと思っていたら、ここは出丸。本曲輪は、高校のグラウンドになってる。

 天下普請で、瓦は、葵の御紋だ。

 火矢という、ミサイルのような武器も展示されていた。

 水口城は、櫓とお堀は実に美しい。しかし、本丸はグラウンド、出丸だけが復元、と、まあ、こちらも百名城、続百名城には入らないのも仕方ないね。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき百名城巡り~穴太衆積の石垣の街、比叡山坂本

2024年02月04日 | 城郭検定&日本百名城

 今日も滋賀から、JRの比叡山坂本駅に大きな看板がある。穴太衆積の門前町だ。坂本という街は、あの石垣の穴太衆か、直木賞の小説にあったな。戦いの中で、石垣を積む、穴太衆と敵の大砲の戦い。

 その穴太衆は、ここが故郷か、それではまずタクシーで、一番上流の日吉大社から。日吉大社社、ここも広い敷地、荷物を引っ張りながらではとても廻り切れない、ここでギブアップ。

 ここから比叡山ケーブルに乗ろうとも思ったが、時間が合わず、それに上は雪、展望もない。これもパス。穴太積を見て廻ることにした。近くに穴太衆積の石垣の洞窟があるという。さっそく訪ねる。 おお、古びて苔の生えた野面積み、これは穴太積だわい。

 そして、この石垣がずっと続いている。坂本は、比叡山の門前町だが、お寺がずいぶんと多い。道の両側が穴太積だ。

 脇道まで穴太積だ。

 観光案内所で、丁寧に教えてもらって、御殿馬場、それに権現馬場を歩く。

 御殿馬場。

 権現馬場。門前町の坂本って、なんて石垣が多いんだろう。穴太積を堪能したい方向けの街だ。今度は、晴れた日に、比叡山ケーブルとセットで訪問したいな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする