資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

読後感想~黒牢城

2022年09月30日 | 読書感想

 

 直木賞受賞作品の「黒牢城」(こくろうじょう)を読む。お城が出てくるミステリーだ。いつものようにネタバレしないよう、あらすじはちょとだけ。

 戦国時代、織田信長の配下、荒木村重が信長に反旗を翻した。丹波は明智光秀が戦っている最中のため、中国地方に遠征していた秀吉は毛利との間で、孤立してしまう。村重の本拠は有岡城。今の伊丹市あたりに籠城する。

 この城の中で殺人が何件か件起きる、その原因が謎だ。これを主人公荒木村重と、牢屋に入っている黒田官兵衛が解き明かしていくという、戦国時代のミステリー小説だ。

 感想を三つほど。一点目は、史実はどうなんだろう。有岡城に籠城したのは史実で、登場人物も史実らしいが、登場人物の行動はさ作者の創造だろうか、史実と小説の境がよくわからない。

 二つ目は、時は戦国時代、その槍、刀、などでの殺され方や、首実検など、かなり残酷な内容が出て来る。敵将の首は、首実検の際に、化粧をするが、これは女性の仕事。今なら気持ち悪くてとてもできないが、当時は普通だったようだ、はあ。

 もう一つ、黒田官兵衛は、解決のヒントを出すが、牢屋に繋がれている割に、よくこれだけ想像できるもんだと思う。黒田官兵衛の天才ぶりを、ポアロや金田一耕助に例えているんだろうが、ちょっと出来過ぎだ。

 最後に、この有岡城、石垣の一部が今も残っているようで、JR伊丹駅そばに公園になっているそうだ。百名城でもなく続・百名城でもないが、歴史の舞台、一度訪問してみたいな。

 

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目指せ!五百資格~自然観察指導員か温泉観光士か

2022年09月29日 | 登山&自然系資格

(平湯温泉と奥武蔵の森林)

 取得が伸び伸びになっている資格がある。自然観察指導員だ。この試験は全国各地で行われ、実習などもある。そして新型コロナの影響で、開催中止が多く、再開されても申込者が多くて、首都圏の開催は抽選である。私は、今まで2回抽選に落ちている。次は、10月29,30日埼玉県だ、チャンス。

 一方、温泉観光士という資格の案内が来た。受講費用は2日間で1万円。カリキュラムは、初日が、温泉地学、温泉化学、温泉生物学、温泉工学、温泉歴史学。二日目は、温泉医学、温泉経済学、温泉観光学、温泉法学、そして最後は何と、試験がある。こちらも10月29日、30日の開催、2日の講習で1万円はお安い。

 ウ~ム、どっちも魅力的だ。考えた末、温泉観光士を受験することに決めた。自然観察指導員は申し込みが抽選というリスク、温泉観光士は試験に落ちるというリスクがある。自然観察指導員に申し込んで、抽選に漏れたら温泉観光士、とも考えたが、時間的に間に合わない。

 じゃ、自然観察指導員はどうするか、12月に大阪で開催されるし、それがだめでもまた来年もあるし。温泉観光士、ワクワク感があって待ち遠しいね。

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目指せ五百資格~仕事が集中して、森林インストは受験できず・・

2022年09月28日 | 登山&自然系資格

 昨日は、安倍元総理の国葬、ツイッターで見つけた「デジタル献花」をしました。昨日朝6時頃は、デジタル献花は17万人だったとか。

 私のビジネスの一つに、1級土木施工管理技士(セコカン)の受験講師がある。このうち2次試験には、経験記述という7百字程度の小論文がある。ふだん論文なんて書かない受験生にとっては難関である。

 この小論文の添削指導も私のビジネスである。例年、1次試験の合格発表が8月下旬、2次試験は10月初旬だから準備期間は2か月もない。受験生は、大変なんだが、講師である私もこの時期は添削指導にかかりきりになる。添削の依頼は、9月中頃から下旬にかけて集中する。

 今年は一般の受験生からの依頼に加えて、契約している企業さんからの依頼もある。本試験では、テーマが指定される。品質管理、安全管理、工程管理のうち1分野だ。従って、受験生は3分野の経験記述を準備しておくことになる。添削も、一人3分野(品質管理、安全管理、工程管理)である。

 ザッと数えてみると、3週間で、120枚ほど添削した。一人一人現場が違い、その状況も違う、図示などないから、文字だけで現場を想像する。そして、適切な書き方かどうか、添削し、採点する。1枚でも結構な時間がかかる。終わったのは9月25日の日曜日。

 この9月25日とは、実は森林インストラクターの試験日だった。従って受験はあきらめていた。もったいないとは思ったが、しょうがない。この間、裏銀座黒部五郎岳にも登ったが、こちらも時期が限定される。9月は暑くもなく、登山者も少なく、登山に適した時期で、あらかじめ計算済みの登山だった。

 来年から、日程を調整しようとは思うが、合格発表と本試験の日程は変わらないだろう、すると、毎年この時期は添削に集中しないといけない。この森林インストラクター、登山を辞めるか、仕事辞めるまでは受験できそうもないね。

(使わなかった受験票)

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ほっこり百名湯~黒部五郎岳登山の後は平湯でまったり

2022年09月27日 | 温泉&健康資格

 黒部五郎岳の後は、後泊で平湯温泉だ。先月笠ヶ岳の時も同じ平湯だが、宿は変えた。バスターミナルから宿まではちょっと距離がある。温泉街を散歩しながら探す(靴底は相変わらず、痛いんだが)

 まずは街中にある公園、平湯らしく、足湯がある。

 コインランドリー、ここで山で使った洗濯物を一気に洗濯、乾燥機があるから嬉しいね。

 コンビニ代わりのお店、温泉で卵を茹でている。次の茹で上がりまでちょっと時間があり、今回はパス。

 当然、源泉もある。

 そして、今日の宿に到着。誰でも入っていないので、露天風呂でリラックスして一枚。

 平湯温泉の泉質は、以前も紹介したため、簡単に。特徴は、高温だ、何と98℃もある。ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉だ。ただ、熱いため加水しており、薄くなって単純泉のかけ流しと貼ってある、正直だね。

 翌朝、平湯バスターミナルから松本経由で帰宅。ターミナルで赤い人形を一枚、「さるぼぼ」という飛騨のお守りだそうだ。

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ゆっくり&失敗百名山~双六からワサビ平へ

2022年09月26日 | 登山&自然系資格

 黒部五郎岳最終日は、双六小屋から小池新道でワサビ平へ。この道はもう4回目、もう大丈夫だ。小さな池に映る双六岳。

 そして、鷲羽岳ももう最後。この位置からの写真、好きなんだよね。昨年撮ったこの位置の写真、スマホの表紙に使っていた。

 弓折岳までの稜線は、槍穂高を左に見て歩く、いいなあ。

 でも、意外に高度観がある、そういえばこの道、今まで3回は全部ガスがかかってた。左の切れ落ちてるのは見れなかったから、怖さがなかった。今日のように見えると、ちょっと怖い。弓折乗越に到着。

 ここからは、下り。まず鏡平へ。鏡平小屋の前はにぎやかだ。この雰囲気いいなあ。かき氷も売っていたが、まだ朝早いため、パス。

 鏡池にも槍ヶ岳が映ってる。こんなにきれいなのも、初めてだ

 さて、先月熊の出たという、熊の踊り場にさしかかる。鈴はつけてるんだが、ちょっと緊張する。

 シシドウケ原から秩父沢を経て、11時過ぎにワサビ平着。小屋で昼食。下界の食事、何にするか、油っ濃い高山ラーメンを注文、美味い。ビールは平湯で。

 ここでヒヤリハット。最後は、ワサビから1時間ほど歩いて新穂高のバス停に下るが、靴の裏が痛くなってきた。私は、靴を二足持っていて、一足は日帰りから一泊の登山、もう一足は、岩のような場所を歩く2,3泊用の靴だ。

 今回は岩用の靴、この靴、岩は歩きやすく滑らないんだが、疲れてきて平地を歩くと、靴底が痛くなる、前回笠ヶ岳の時も同じだった。足を引きずるようにして新穂高に到着。これで、今回の折立~新穂高の山旅をは終わりです。今夜は平湯温泉でまったり。

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ゆっくり&失敗百名山~黒部小舎から双六へ

2022年09月25日 | 登山&自然系資格

 さて、第3日は、黒部五郎小舎から、双六小屋へ、前日がロングコースだったので、この日の計画は短く。小舎の裏から急登、約五百m登る。

 高度を上るにつれて、雲一つない黒部五郎岳の全貌が見えて来た。そして、電波が通じる地点へ。スマホ、一人が使っていると、他の登山客も使い出す。みんなで一斉に黙々とスマホを見てる風景、新しい風景だ。

 三俣蓮華岳の登り、白いのはチングルマの綿毛だ。7月頃はさぞすごいお花畑だったろう。

 どんどん百名山が見えて来る。三角のピラミッドは、笠ヶ岳。先月ソロで苦労して登った。

 右から鷲羽岳に、ワリモ岳、そして黒いのが水晶岳。いずれも、昨年雨の中、登った。

 三俣蓮華岳に到着。広い山頂で、360度の展望だ。ここが裏銀座の中心だな。

 そして、三俣に連なる双六岳へ。登り降りを繰り返し、山頂へ。双六の山頂からは、槍が見える。双六台地から真っすぐ先に槍ヶ岳、よく写真になっている場所だ。ここから雲のない槍を見るのが夢だったんだよ。

 そして、台地地に降りて、槍を眺める。ちょっとガスが湧いてきた。

 台地をゆっくり歩いて、二度も寝転んで、槍を眺める。

 双六に下る。急な下りを降りて、眼下は双六小屋だ。

 ゆっくり歩いたが、13時ころ双六小屋に到着。個室を予約しておいたから、荷物をぶん投げておく。小屋のベンチで、そして鷲羽岳を眺めながら、ケーキとコーヒーを頂く。双六小屋は4回目の泊まりだけど、今まで3回はすべて雨、これも夢だったんだよ。

 本日のヒヤリハット、休憩の時、眼鏡をはずしていて、誤ってフレームを脚で踏んでしまった。フレームが曲がってしまって、このままじゃ、掛けれない。曲がった金属は、折り返すとすぐ折れる、どうしようか、慎重に戻す、何とか戻った。よかった。眼鏡なしじゃ、展望が利かない。眼鏡は予備を持ってくるべきか、また荷物になるな。

 夕刻、食事を終えて、夕陽を見る。大勢の人が小屋の外に出て見ている。写真はないが、星空もすごかった。明日は下山、ゆっくりして寝る。

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ゆっくり&失敗百名山~太郎平から黒部五郎岳へ

2022年09月24日 | 登山&自然系資格

 前夜、小屋でヘッドランプをチェックしたら、点灯しない。電池は入れ替えたばかりだからランプがダメになったかと、いろいろいじる。ボタンを二度押しすると点灯した。おや、久しぶりに使うので忘れてた。もう夜明け出発はダメか、遅れるな、と思っていたから、こちらもヒヤリハットでした。

 そのランプを使って、夜明けに太郎平を出発、今日は一番時間がかかる太郎平小屋から黒部五郎岳を経由して黒部五郎小舎だ。コースタイム7時間だが、我々は10時間を見込んで、早めに出発。

 という訳で4時半に出発。登山道は木道で整備されていて、暗くても安心して歩ける。ヘッドランプで、笹が光る。

 このあたり、池塘が点々としている。周囲が明るくなってきた。

 配偶者が、朝日で、影が映ってると言うので、二人の影を一枚、これ、なかなかいいね。このあたりで朝食、小屋で作ってもらった中華ちまきと、早めに食べたい重いソーセージ、ポットに入れて来たお茶。

 この辺りは大きな起伏はなく、快晴で、天空の散歩道というところ。7時過ぎ、北の俣岳に到着。バックは薬師岳。昨年登った時は雨で何も見えなかった。こんな山容の山だったんだね。

 さらに、赤木岳、中俣乗越を通過。赤木岳では、誤って岩を登る、道迷いに気が付いて再び元の道へ。時間を無駄にした。そして、これから登る黒部五郎岳が近づいて来た。遠くに槍が見渡せる。素晴らしい展望だ。

 9時半頃、黒部五郎岳への急登に差し掛かる。この山旅最大の難所だ。雲が出始める。

 黒部五郎の肩で、ザックをデポして、山頂へ。日本百名山、黒部五郎岳に登頂。これで裏銀座の百名山は三峰とも登頂だ。残念だが、ガスで展望がなくなってしまった。

 12時、肩に降りて、昼食。有名な黒部五郎のカールがよく見渡せる。

 急な下りを降りていくと、石がゴロゴロ、実に歩きにくい。石がゴロゴロで、黒部五郎と名がついたそうな。この後2時間以上、悪路を歩いて、黒部五郎小舎へ、この下りが辛い。

 15時前に、小舎に到着。10時間半だ。まあ、沢山写真も撮ったし、休憩も何度もした、私の脚ならこんなもんかな。小舎も蚕棚の下段を二人で使わせてもらって、準個室、今日も山小屋ライフは快適だ。

 今日は、午後からはガスが出てきたが、半日快晴の登山、素晴らしい尾根歩きだった。一生忘れないだろう。

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ゆっくり&失敗百名山~初日、折立から太郎平へ

2022年09月23日 | 登山&自然系資格

 8月に計画していた裏銀座黒羽五郎岳、雨で延び延びになっていた、9月になって、山小屋を予約、お天気の予想はずっと雨、直前まで迷っていたが、そのお天気が変わって晴れそう、よし決行!

 パートナーは配偶者、前泊は富山駅そばのビジネスホテル。ツアー登山ならバスで折立までさっと行けるんだが、個人ではそうもいかない。そして、折立行きの定期バスは土日だけ、平日はもう終わっている。しようがない、タクシーを奮発。

 そして9時に折立に到着。ここが薬師岳登山口だ。標高は1,350m、太郎平は2,350mほど、ちょうど1,000mの登りだ。天候は曇り、前日の予想は晴れだったのに、また変わった、全国的には富山県だけが曇り、ああ。

 出だしは滑りやすい急登。三角点ベンチを目指す。2時間半ほどで三角点へ。ここで展望が開けて来る、はずが空は、やっぱり曇りだ。むむ・・

 遠い展望はないが、周囲が見渡せるだけいいか、五光岩ベンチ手前、標高2,000あたりで、昼食。ヒンヤリして気持ちがいい。そして、五光岩へ、太郎平小屋までもう少しだ。

 ようやく、雲が切れてきた。ここで、山の後ろに隠れている、この山旅唯一観られた「剣岳」を発見。かっこいいなあ・・

 まだ、チングルマが残ってる。

 太郎平小屋手前で一枚。薬師岳が顔をのぞかせている。

 この辺で、失敗、というか、その手前のヒヤリハット。脚が疲れて、横木を脚で跨いだと思ったが、ついていかず、ばったり前に倒れた。この倒れ方も結構経験してるが、前に倒れるのは危険だ。

 倒れた顔の目の前に、鉄筋がむき出しになって、10cmほどニョキと出ている。倒れた場所が10cmずれていたら、顔面に鉄筋が突き刺しただろう、どんなケガになったか、恐ろしい。まあ、無事でよかった。

 そして14時に太郎平小屋に到着、コースタイム5時間のところ、6時間かかった、まあまあかな。このあたりの地名は「太郎兵衛平」という。実は私のひいおじいさんが太郎平、正月に買った掃除機のルンバも同じ名を付けた。ちょっと親しみを感じる場所だ。

 小屋は空いていて、我々二人だけで一部屋くれた。実質の個室だ。個室は、荷物をぶん投げておけるし、朝、ゴソゴソやってても周りに迷惑がかからない。気分は楽だ。出だしは好調、ラッキー。初日の夕食は17時、19時には寝る。

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ゆっくり&失敗百名山~三年振りに開催、巾着田の彼岸花

2022年09月22日 | 登山&自然系資格

 裏銀座から帰ってきて、すぐ台風、仕事も溜まっていたのでちょうどいいわい、と、仕事に専念、2日ほどして、リハビリにどっかの山へ、あんまり高いのはきついしな、と思い浮かんだのは、日和田山、西武線高麗駅から歩けるし、三年ぶりに彼岸花も咲いてるそうだ。(裏銀座の記事はおいおいアップしていきます)

 西武線で飯能まで行き、乗り換えて、高麗駅で、8時下車、駅前にでっかいポールが建ってる、高麗のシンボルだ。歩いて巾着田へ、まだ時間が早いせいか、人はまばらだ。三年振りの彼岸花と書いたのは、コロナのせいで、人が集まらないように、2年間、百万本の花を切ってしまったそうだ。ちょっと残酷だねえ。

 この花は野生、でもいつの間にか群生地は有料、それも五百円になってる。群生地の公園に入ると、咲いてる咲いてる、もの凄い数の彼岸花、別名曼殊沙華。会場全部が真っ赤になってる。朝早く、まだ人が少ないので十分に撮影できる。以下、彼岸花を満喫してください。

 1時間弱ほど、いたかな、会場を出て日和田山へ。岩のトレーニングに向かう。

 男坂と女坂、登りは男坂、下りは女坂を選択する。

 男坂は20分ほど、岩が続く。三点確保をフルに使う。少し疲れてきたところで、神社の二の鳥居、岩場のゴールだ。

 ここで一服して、巾着田を眺める。野球グラウンドのような形の広さがあるのが巾着田。

 いつもは日和田山の山頂から物見山に向かうが、今回は、一旦下って、巾着田から高麗峠経由で、ムーミンパークの温泉に向かう。巾着田のドレミファ橋は通行止め、う回路で高麗峠に向かう。

 これからゴルフ場を周回だ。この道がまた、長い長い。高麗峠から1時間も歩いたろうか、宮沢湖温泉に到着、きらりに入る。温泉と言ってもアルカリ性単純泉だ。泉温も低く沸かしている。まあ、温泉の感想は省略。風呂から出て、宮沢湖を眺め、バスを待つ。

 この日は、三年ぶりの彼岸花、岩のトレーニングに、温泉入浴と、バラエティに富んだ山旅でした。

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目指せ!五百資格~には逆行するけど、AFPを返上

2022年09月21日 | ファイナンシャルプランナー

 ブログのタイトルには逆行するが、AFP資格を返上した。FP協会に退会届を出し、協会を退会したら、AFPを名乗ってはいけない、AFPは私の公認資格ではなくなった。

 退会したら原因は、年会費がかかる上に、2年に1回、継続教育を受けないといけない。協会の機関紙に誌上講座もあるが、使うニーズがだんだん減ってきて、面倒になってきたからだ。

 この誌上講座は、税制など、結構知識の補充になってきた。機関紙はよくできていて仕事の参考にもなった。今までのこと、協会に感謝している。

 AFPの資格は、退職時に、独立開業したら、いくら収入がないと食っていけないかなどの目安にもなり、独立を後押ししてくれた資格である。エクセルで簡単にシミュレーションできた。

 記録を見ると、17年前に取得した資格だ。もっとも、AFPは、顧客から報酬を頂いて、ファイナンシャルプランのお手伝いをする資格だが、とうとう一度も他人様のお手伝いはしなかった。自分自分のファイナンシャルプランをサポートしただけだった。

 でもこのAFPと言う資格、人生これから、と言う方には、有用な資格ですよ。私の場合は、資格の減少、ちょっと寂しいけどね。私の資格一覧では、正確に書くと「元AFP」という扱いになった資格である。

 

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読後感想~小牧長久手仁義

2022年09月20日 | 読書感想

 

 小牧長久手の戦いにハマっている。今度は、角度を超えて、中間管理職から見た、小牧長久手の戦いである。主人公は、鉄砲大将、部下を数十人ほど持つ、企業で言えば、家康軍の中間管理職、部課長クラスかな。

 主人公に、頼りない部下がいる。上司から預かるようにと、押し付けられたようだ。主人公は取り扱いに困っている。これも私、企業で経験済みだ。主人公は、片腕と言っていい、部下に頼み、OJTで戦い方を教えている。そして時々、チェックもしている。

 真田昌幸も登場する、くせ者としてだ。相手は中堅企業だが、企業のトップ、こちから中間管理職、話のやり取りも当然、緊張する。

 最後は、小牧長久手の戦いで、鬼武蔵と言われた、森長可が戦死する、その戦いの現場のことが詳細に書かれている。もちろん小説だから、どこまで正確に描写しているかわからないが。鉄砲隊の見せ所だった。

 最後のシーンは、主人公が家康に意見を聞かれるところで終わる、小牧長久手の戦いでは織田信雄が、独断で秀吉と和議を結び、家康の立場は、微妙。戦いは、家康が有利に進んだ、それでも秀吉に臣下の礼を取るのか、と聞かれた時だ。中間管理職が社長から直接、意見を聞かれたときは緊張する。それがラストシーンだ。

 視点を変えて、戦国時代を読むのもいいですね。

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ときめき百名城~戦国の舞台、明智光秀も登場する黒井城

2022年09月19日 | 城郭検定&日本百名城

 兵庫の続・百名城巡り、最後は黒井城だ。バスが黒井に近づくと山の上が平坦だ。あそこに城があったという。

 そして城の麓、興禅寺、ここは明智光秀の家臣斎藤利三(利光は誤り)の娘、福(のちの春日の局)が生まれた所だそうだ。黒井城の下館の姿だ。

 そして、登山口へ。明智光秀と萩野直正(萩野悪右衛門と名乗る、別名丹波の赤鬼)、の看板がある。この城は戦国時代に、実際に戦いの舞台になっている。明智光秀も、丹波攻略で、一度負けている。そして攻略後、統治に入ったのが、斎藤利三、その娘が春日局だ。

 ガイドさんと一緒に登山開始。午前の有子山城ほどではないが、山道だ。2百m、1時間ほど登る。再び汗が噴き出てくる。

 縦堀がある。敵が攻め上るとき、横移動できなくするように掘られている。

 そして、展望が開けて来た。まずは、東曲輪跡、当時の石垣が残っている。

 次は三の丸跡。

 二の丸へは、鉄製の階段だ。

 そして二の丸跡。本丸までもう少し。

 山頂、本丸跡に到着。360度の展望だ。

 月がよく見えることから、別名「保月城」とも言った。

 石垣横からの展望、山城らしい。

 黒井の街並み。

 

 今回の兵庫の城巡り、淡路島の海の展望抜群の洲本城、山城で登るのが大変だった出石城・有子山城、そして同じく山城で、明智光秀も登場する黒井城、と、個性溢れる城群でした。

 帰りの新幹線でも、まだ衣服の汗が乾かず、困りました。終わり。

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ときめき百名城~続・百名城じゃ一番きつい急登、有子山城・出石城

2022年09月18日 | 城郭検定&日本百名城

 兵庫の続・百名城巡り、二日目の午前は、出石城・有子山城だ。姫路の宿を出発し、高速で出石へ。出石のシンボル、太鼓櫓?が見える。

 出石城の山の上には、石垣らしきものが見える。あれが有子山城だ。

 出石城は通過し、いよいよ有子山城へ。ガイドさんが、遊歩道って書いてあるけど信用するな、登山道だって。

 昨日からさんざん脅かされていた急登。確かに急登だ。月山や湯殿山じゃ、出て来ない急登だ。滑り防止のロープ場もあるし、岩場もある。

 所々に屋敷跡がある。お城巡りのメンバーは、登山は得意じゃない、と思っていたが、そうでもない。年配の方も多いが、脱落はわずか、歩みは遅いが、ほとんどの方がついてくる。やっぱり、山城に登るくらいだから、鍛えてるんだな。

 1時間ほども登っただろうか、ようやく山頂の本丸に到着。汗びっしょりだ。出石の街が眼下に一望だ。

 一休みして、下山。山城の定番、土橋に堀切もある。

 下りは速い、出石城を眺めて、昼食の出石そばを頂く。午後に続く。

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ときめき百名城~日本最古のコンクリート模擬天守、竜宮城のような洲本城

2022年09月17日 | 城郭検定&日本百名城

 月山から帰ってきて、お次はクラブツーリズムの続・百名城巡りに参加。今回は兵庫県の百名城だ、一泊二日の旅。都合によりソロ参加。東京駅から新幹線で新神戸駅へ。昼食は、高速のバスの淡路島で。

 そして洲本城に到着。このお城は、山麓の下の城と三熊山の山上にある上の城からなる。まずは、下の城へ、と言っても御殿はお寺と資料館になってる。資料館でスタンプをゲット。ついでに中に入る、珍しいものとしては、複製だが「古事記」。国生みの日本神話で、しずくを落としたら淡路島になったというところから、古事記が展示されている。

(バックは資料館)

(乞食じゃない古事記)

 そして再びバスに乗って上の城へ。このお城、建物こそなく、天守も模擬天守だが、総石垣つくりの立派な城だ。続・百名城ではもったいない、百名城でも十分通用する城だ。

 古い案内図がある。東登り石垣、西登り石垣に注意。下の城と上の城を石垣で繋いでいるのだ。もちろん、かなりの勾配だ。

 入口の大手門はもう存在しない。入って、まずは、馬屋(月見台)、和歌山との海峡(紀淡海峡)を見下ろす。

 入って行くと、結構古い石垣が並んでいる。この雰囲気、好きだな。

 そして、本丸大石段に、本丸虎口。石段は広いな。普通は守りのため、狭いもんだが。

 そして本丸の天守。この天守は、昭和3年鉄筋コンクリートで製作された模擬天守、もちろん日本で一番古い。もう90年以上だ。建物は、まるで、竜宮城のよう。

 阪神大震災以降、ガタが来たのか、展望台への登城はできなくなっている。下から見上げる。

 石垣の角は普通は90度。しかし、この石垣は角が鈍角になっていて、これって、作るのが結構難しいそうだ。

 さらに、東の丸二段曲輪、海を見下ろす。大阪湾か、素晴らしい眺めだ。

 そして、全国的に珍しい、登り石垣、危険なため傍までは寄れないので、遠くから。

 最後は、日月の井戸、今も水を湛える。

 このお城は、安宅氏→仙石氏→脇坂氏→池田氏→蜂須賀氏→稲田氏と城主が代わった。このうち、脇坂保治が一番かかわっているようだ。脇坂保治、秀吉と柴田勝家の戦い、賤ケ岳の七本槍の一人だ。

 洲本城、登城してみて、その凄さが理解できた。山の上で、総石垣造りだ。繰り返すが、続・百名城じゃもったいない。でも地域性では、兵庫県の百名城は、姫路城に竹田城、篠山城、明石城、赤穂城と、強敵が多い。しようがないのかな。続く。

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読後感想~ひとりも死なせへん2から、逃げろ!って安全配慮義務だ

2022年09月16日 | 読書感想

 

 三度(みたび)、「ひとりも死なせへん2」から。2022年3月28日のブログタイトルは、「逃げる」だった。在宅殺人事件というのがあった。在宅では、医者と患者が密室になるケースがある。このときに、感情の爆発で危険な状態になる場合があるそうだ。事件はその際に起こったようだ。著者の経験では、うまくいかない時、「逃げるに限る」そうだ。少しでも命に危険を感じたなら無理しないで逃げなさいと。著者は、医師や看護師にいつもそういってるそうだ。フムフム。

 さて、今度は自分の経験だ。私は、サラリーマン時代、ある工事現場を持つ職場にマネージャーとして赴任した。そのとき部下の主任から相談を受けた。現場の協力会社の人は、工事をしているとき、やくざやチンピラなどから絡まれる時がある。場合によっては身の危険な状態にまでなることがあるそうだ、どうしたらいいのか教えてほしいと、協力会社から言われた、その答えを私に相談してきたのである。

 私は、しばらく考えた。私はビジネス実務法務2級を取得したばかりだったかな。民法上、上司には、部下の安全配慮義務がある。危険な状態になった時に危険を回避し、安全な状態にもっていく義務がある。そこで、私は「逃げろ!」と言った。部下の主任はなるほど、感心していた。この後、実際に、この状態になったことがあるとは聞いていないが、まあ、タイムリーな回答だったと思う。

 話は変わるが、11年前、東日本大震災の時、福島原発1Fの吉田所長は、悩んでいたと思う。安全配慮義務があるため、部下を生死の境になるような、危険な状態にするわけにはいかない。しかし、このままでは、福島県はおろか、関東地方全体に原発の被害が及ぶ。どうしたらいいか。

 ちょうどそのとき、官邸から菅直人総理がヘリで1Fに来た。総理は何とかしろ!と。吉田所長は、決死隊を作ってやります!と答えていた。(これ、私、覚えている)つまり、現職の総理が言うからには、安全配慮義務違反になっても、あとは面倒見てくれる。生死の境になっても、最悪、あとのことは面倒見てくれると。菅総理はそんなつもりで言ったのではないかもしれない(これは私の想像だが、たぶんその通りだろう)そして、無事作業を終えた、1Fでは、幸い誰も作業による直接死はなかった。その後避難による関連死はかなりあったが。

 「逃げろ!」ってふだんは使わない言葉だ。でも重い言葉だよね。

 

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