10月31日(1句)
★青空やまさに照葉の照葉峡/小口泰與
照葉峡は、群馬県の紅葉の名所と聞く。みなかみにあり、10月には色づき始めるという。水原秋櫻子も訪ね、渓流の大小の滝に名前を付けたと言われる。その名の通り、照葉が青空に映える美しさは例えようがない。(高橋正子)
10月30日(2句)
★銀杏落葉踏みて行きたる一号館/廣田洋一
銀杏落葉が降り敷いている。一号館とあるから、二号館、三号館もあるような構内であろう。広い敷地に散り敷いた銀杏落葉の量を必然思ってしまう。一号館に特別意味を持たせてはいないだろうが、リアルであって、建物の配置が想像できる。(高橋正子)
★松手入れの音のみ聞こゆ門構え/多田有花
門構えの広い御屋敷の、どかかから聞こえてくる松手入れの音。手入れをする植木屋の姿は奥深くて見えないが、音だけ聞こえてくる。リズミカルな音が快い。(高橋正子)
10月29日(2句)
★自転車の下校の列や秋しぐれ/桑本栄太郎
自転車で下校の生徒たち。つぎつぎに銀輪がつながって走ってゆく。晴れなら輝く銀輪も、今日は秋しぐれに降られて、冷たそうに回るだけ。秋しぐれにぬれつつ帰る下校生を思いやった句。(高橋正子)
★青空やすっと薄の雲に届く/多田有花
山頂の薄であろう。青空にすっと薄がのびて、雲に届くかに。「すっと」がよく効いて、気持ちのよい句となった。(高橋正子)
10月28日(1句)
★飼われおる猪盛んに水浴びを/多田有花
猪が飼われていることを初めて知ったが、猪鍋料理もあるから、飼われても不思議はない。天気がよかったのだろうか、飼われている猪が水浴びを喜んでいる。飼われていながら喜んで水浴びをしている様子だ。こう見ると猪がずいぶんかわいらく見える。(高橋正子)
10月27日(1句)
★鳥どちのしきりに鳴けり実南天/廣田洋一
赤く熟れた実南天は、秋の深まりを強く感じさせてくれる。実南天だけでなく、いろんな実物が熟れて、鳥たちも喜び、しきりに鳴いて、生き生きとしている。(高橋正子)
10月26日(2句)
★午後の陽のやわらか残るコスモスへ多田有花
晩秋となっても咲き続けるコスモス。咲き方も次第にさびしくなってはいるが、午後の陽がさすと、いっそうやわらかな花になる。見ているものの気持ちも、もちろん、優しい。(高橋正子)
★陽を浴びて香り濃くなる金木犀/廣田洋一
金木犀はよく香るときとそうでないときがあるようだ。陽を浴びたときは、特によく香るのだろう。陽を浴び、金色の花となった金木犀が精いっぱいに香っている。(高橋正子)
10月25日(1句)
★地震起こり忽ととまりし虫の声/小口泰與
地震が起こると、それまで鳴いていた虫がぴたりと鳴き止んだ。天変地異をいち早く感じとるのは動物たちであろう。その敏感さには驚くばかりである。(高橋正子)
10月24日(2句)
★歯磨きの水の硬さに冬近し/廣田洋一
「水の硬さ」に実感がある。毎日の生活の中で、一日として同じ日はない。今朝は歯磨きをする水に硬さを感じた。それが、冬の近さを感じさせたのだ。(高橋正子)
★霜降の海が遠くで光りおり/多田有花
霜降の日、海の遠いところが光っていた。ただ、それだけのようだけれど、近くの海でなく、遠くの海が光ること、これ自体が節季の変化を表すことだと言えるでしょう。(高橋正子)
10月23日(1句)
★敗荷に真昼の光明るかり/多田有花
夏の間、葉が重なり合って茂っていた蓮池。敗荷となって、秋の日が存分に射し込むようになった。敗荷田に差す光が枯れていく蓮の有様に対して、あまりのも明るいことに驚いた。(高橋正子)
10月22日(2句)
★張り紙は新蕎麦とあり峠口/小口泰與
峠口の店に新蕎麦と張り紙がしてある。近隣で採れた新蕎麦であろうと思われて、ここで食べて行かねばならないだろうという気にさせてくれる。蕎麦好きには、たまらない張り紙である。(高橋正子)
★夕暮れの灯かりとなりぬ柿の村/桑本栄太郎
夕暮になると色づいた柿の実が灯りのように浮かび出る。日が落ちてしまえば、その柿の実も暗くなってしまうのだが、そのわずかの時間が愛おしく思える。(高橋正子)
10月21日(1句)
★大山の白樺夜露や直哉の忌/桑本栄太郎
志賀直哉は、大正時代の白樺派を代表する作家の一人。大山の白樺に置く夜露を見て直哉を忍んだ。
大山(だいせん)は栄太郎さんの故郷鳥取の山。(高橋正子)