8月31日(1句)
★八月終わる歯ブラシを新しく/多田有花
終わるときに新しい歯ブラシを用意する。これは、心構えとして、始まりに備えて新しくしたと思える。さっぱりとした句で、さわやかな九月が迎えられそう。(高橋正子)
8月30日(1句)
★店頭に秋果とりどり並び初め/多田有花
実りの秋。店頭にいろいろ秋の果物が並び始める。林檎なら淡い色のつがる、梨、無花果、葡萄、青蜜柑など、色もとりどりに並ぶ。「並び初め」が、いかにも新涼の季節を表し、フレッシュでよい。(高橋正子)
8月29日(1句)
この辺り津波に襲われ蕎麦の花/廣田洋一
東日本大震災のときの津波は、多くの人の命を奪い、船を丘へあげてしまほど、とてつもなく大きな津波だった。その津波が襲ったあたりに、蕎麦の花が咲いている。優しい蕎麦の花に、津波の痕
とは思えなかった。しかし、確かに津波が寄せたのだ。(高橋正子)
8月28日(1句)
★こおろぎや山の冷気の殊更に/小口泰與
秋の虫のこおろぎがよく鳴く。山にいるのだ。まだ秋は深くもないのに、山の冷気はことさらに強く感じられる。そのせいで、こおろぎはよく鳴く。(高橋正子)
8月27日(2句)
★格子戸を開けて秋めく夜へ出る/多田有花
秋めく夜。格子戸を開けて外に出た。この設定に時代劇の場面を想像して愉快になった。格子戸と秋めく夜が物語を作っている。(高橋正子)
★栃の実や青きがままに膨らみぬ/廣田洋一
栃の実は、手に握れば、ちょうど手の中に納まる大きさ。今は実が太っていくときで、青いまま、膨らんでいる。大きく膨らんだ青さが魅力の新涼の季節だ。(高橋正子)
8月26日(2句)
★快晴やいつしか燕の消えし町/多田有花
今日の空は見上げれば快晴。雲一つない。そういえば、何かが消えている。いつの間にか燕が消えたさびしくなった町の空。来年の燕を待とう。(高橋正子)
★海青く浜茄子の実の赤きかな/廣田洋一
浜茄子はバラ科なので、赤い、バラのような実をつける。実の赤さは少しオレンジ色がかり、あいらしい。海の青さと赤い実のコントラストがいい。(高橋正子)
8月25日(1句)
★牧の牛草食む音や秋日澄む/小口泰與
牧場に秋の日が当たり、牧場の空気は澄んでいる。放牧の牛が草を食べる音さえ聞こえる。牧を閉じる日まで、牛たちはしっかりと草を食べる。その音なのだ。(高橋正子)
8月24日(2句)
★天の川流れ込みたる斜張橋/廣田洋一
斜張橋の美しさは言うまでもないが、そこに流れ込む天の川で景色はいっそう豊かみなった。(高橋正子)
★清流のさやかに走り芋水車/桑本栄太郎
芋水車の実物をまだ見たことがないが、水車にころころと洗われる里芋を見てみたいものだ。里芋は、水の豊かな田や畑に植えられ、清らか小川にかけられた小さい水車が収穫した里芋を洗ってくれる。清流と里芋ができる里の人々の知恵が今も生きている。(高橋正子)
8月23日(1句)
★寺の門くぐりて出会ふ秋の風/廣田洋一
寺の門のうちは、広々としている。その広さを吹く風がある。風に出会う。まぎれもなく秋の風。秋風にそういう風に出会いたいものだ。(高橋正子)
8月22日(1句)
★看板は熊に注意や松虫草/小口泰與
山を、高原かもしれないが、歩くと看板が出ている。「熊に注意」と。看板のそばには可憐な松虫草が咲いている。高原にきて出会う松虫草。高原に来て身近に感じる熊の生息。自然のリアルさとうのだろう。(高橋正子)
8月21日(2句)
★爽やかに石庭の風流れけり/廣田洋一
石に吹く秋風はさびしいものだけれど、爽やかなん風となれば、すがすがしい気持ちが主となる。禅の趣のある石庭のさっぱりとした爽やかさが際立っている。(高橋正子)
★きちきちの背ナを追い立て散歩かな/桑本栄太郎
散歩で野道を歩くと、驚いたようにきちきちが飛び立って、また止まる。歩めば飛び立つ。追い立てているようで、相済まないが、きちきちと遊ぶ余裕の気持ちも。(高橋正子)