彦山光三のライフワーク『橫綱傳』
(昭和二十八年末刊)の記述で“勘違い”
されていると思える箇所を指摘しよう。
228ページの括弧〔 〕内の2行。
太刀もちと露はらいは、横綱力士中
四人目の谷風・五人目の小野川時代
はもちろん、七人目の稲妻のときま
で土俵場にのぼらなかった。のぼり
はじめたのは、八人目の不知火から
であるらしい。
彦山自身が「最高傑作」と云わんばかり
の不知火(諾…)3枚つづき錦絵に描かれた
太刀持の髙根山(→雲生嶽)も、露払の黒雲
も“土俵下”に「蹲踞」の恰好をしてるじゃ
ぁないか…。
不知火の次に横綱を免許された秀の山も
太刀持の天津風や露払の橘冨五郎も土俵下
に位置して描かれている。
「黒船来航」のあと、横綱免許の雲龍久吉
の場合は太刀持・露払ともども土俵上に━。
したがって、上記彦山説は誤謬で、土俵場
へ上り始めたのは雲龍からである。
(昭和二十八年末刊)の記述で“勘違い”
されていると思える箇所を指摘しよう。
228ページの括弧〔 〕内の2行。
太刀もちと露はらいは、横綱力士中
四人目の谷風・五人目の小野川時代
はもちろん、七人目の稲妻のときま
で土俵場にのぼらなかった。のぼり
はじめたのは、八人目の不知火から
であるらしい。
彦山自身が「最高傑作」と云わんばかり
の不知火(諾…)3枚つづき錦絵に描かれた
太刀持の髙根山(→雲生嶽)も、露払の黒雲
も“土俵下”に「蹲踞」の恰好をしてるじゃ
ぁないか…。
不知火の次に横綱を免許された秀の山も
太刀持の天津風や露払の橘冨五郎も土俵下
に位置して描かれている。
「黒船来航」のあと、横綱免許の雲龍久吉
の場合は太刀持・露払ともども土俵上に━。
したがって、上記彦山説は誤謬で、土俵場
へ上り始めたのは雲龍からである。