幕末に入幕して明治になって引退━
全19力士を俎上に載せて…。
一番さきに入幕したのは巨漢の白眞弓だ
が、明治元年冬場所前に急逝してしまった。
入幕後203回も土俵へ上ったけれども
明治維新後は皆無━明治元年冬場所の番附
に「浦風」として載っているので、対象外
にするわけにいくまい。
その他、幕末の土俵回数が“三桁”なのは
関脇の鷲ヶ濱(←箕島・→常盤山)が146、
横綱不知火(光…)が162、おなじく横綱の
鬼面山が160、小結の宮城野(←荒馬)が
123─以上、計5力士である。
逆に、幕末の土俵へ上ったのがたったの
3度と最少だったのが、後大関の朝日嶽で
あった。
全19力士を俎上に載せて…。
一番さきに入幕したのは巨漢の白眞弓だ
が、明治元年冬場所前に急逝してしまった。
入幕後203回も土俵へ上ったけれども
明治維新後は皆無━明治元年冬場所の番附
に「浦風」として載っているので、対象外
にするわけにいくまい。
その他、幕末の土俵回数が“三桁”なのは
関脇の鷲ヶ濱(←箕島・→常盤山)が146、
横綱不知火(光…)が162、おなじく横綱の
鬼面山が160、小結の宮城野(←荒馬)が
123─以上、計5力士である。
逆に、幕末の土俵へ上ったのがたったの
3度と最少だったのが、後大関の朝日嶽で
あった。