見もの・読みもの日記

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語りと書誌学のアラビアンナイト/岡崎市美術博物館

2006-05-27 22:43:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○岡崎市美術博物館 『アラビアンナイト大博覧会』

http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/ka111.htm

 土曜にしては朝早く目が覚めた。時計を見て、よし、これなら、岡崎まで日帰りで行ってこられると決意し、とび起きて、東京駅に向かった。

 目的は『アラビアンナイト大博覧会』である。この展覧会、最初は2004年秋に大阪のみんぱく(国立民族学博物館)で行われた。みんぱくに勤める知人から、「関西にいらっしゃるようでしたら、ぜひ」と、招待券まで送ってもらったのに、仕事が忙しくて行けなかった。その後、岡山、東京の巡回展も行き逃して、もうダメかと思っていたら、先月から愛知県岡崎市で巡回展が始まったのを知り、これが最後のチャンス、と思っていたのだ。

 いや~面白かった。さらに詳しいことが知りたくなって、さっき、Wikipediaの「千夜一夜物語」の項目を覗いてみたが、これは残念なことに、全然、情報不足である。

 まず会場に入ると、中東の街角で撮影された講釈師や吟遊詩人のビデオが流されている。アラビアンナイトは、中東では、専門の講釈師によって伝えられた「語り物芸」だったと考えられている。そうか、アラビアンナイトって、説教節や浄瑠璃の仲間だったんだ! ただし、19世紀のカイロでは、庶民に最も人気があったのは英雄の武勇伝で、アラビアンナイトは忘れられた語り物だったらしい。

 中東イスラム世界とヨーロッパは、緊張と衝突を繰り返してきたが、18世紀に至ってヨーロッパの優越が確実になると、ヨーロッパで東方趣味(オリエンタリズム)の流行が興る。フランスの東洋学者ガランが、シリア系写本から翻訳したアラビアンナイトは、大ベストセラーとなった。その人気に目をつけて、さまざまな「偽」アラビアンナイトも現れたという。

 かくてアラビアンナイトは「ヨーロッパのフォークロア」となり、廉価なチャップブック(チャップマン chapman と呼ばれた行商人が売り歩いた)に取り入れられて、大衆に広まった。18世紀中葉、イギリスでは中産市民階級の成立とともに、児童文学が発達する。18世紀末には、クリスマスに子供に本を贈る習慣が確立し、プレゼント用の豪華本が数多く作られた。19世紀に入ると、さらに手の込んだ仕掛け絵本や豆本が登場する。

 成人向けには、19世紀初頭、古式ゆかしいレイン版のあと、19世紀半ばに好色本として名高いバートン版が登場する。バートン卿の死後、妻イザベラは、夫の翻訳から猥褻な箇所を削除した改訂版を新たに刊行した。これをバートン夫人版と呼ぶ。ここまでは微笑ましい夫婦愛のエピソードだが、敬虔なカトリック信者であった彼女は、夫の原稿や私信を処分してしまったともいうから、カタブツの妻を持つと怖い。

 アメリカでは、イギリスから伝わった印刷本が読まれたが、道徳的内容を強調したものが好まれたそうだ。ええ~本家イギリスでは好色文学扱いなのに!? 「東洋の道徳家」と題されたアンソロジーはリンカーンの愛読書であったとか。そして中東では、欧米のアラビアンナイト熱を受けるかたちで、19世紀から、ようやく再評価と出版が始まる。

 なお、フランス国立図書館には、ガランが翻訳に使用した写本が伝わっている。しかし、途中でネタ切れになったガランは、別系統の写本や、口頭の聞き書きも利用したらしい。そのため、アラジンとアリババの物語については、アラビア語の原典の存在が確認されていないのだそうだ。

 というわけで、アラビアンナイトは、波乱万丈の書誌学的ストーリーを孕んだ世界文学なのである。展示会場には、上記のストーリーを彩る書物の数々(もちろん本物!)が並んでいた。ほとんどがみんぱく(国立民族学博物館)の蔵書である。すごいなあ~。みんぱくって、比較的歴史の浅い機関なのに、どうやって集めたんだよ、これ。

 それだけではない。後半には、ラッカム、デュラック、レオン・カレなどのロマンチックな挿絵絵本から、懐かしい日本の児童絵本、さらには映画ポスターも並んでいる。雑誌「プレイボーイ」の画家ヴァルガスの描くグラマラスなシェヘラザードのポスターも。中東の王様と侍女に扮したバービーとケンの人形セットもある!!(全て、みんぱくの所蔵品)

 このほか、会場には、ラクダの装飾品、ベリーダンスの衣装、楽器、アラビア語書道など、アラビアンナイトの世界を多角的に伝えるさまざまな資料が展示されていた。楽しかった。
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