見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

柏原・八幡神社の薬師如来とギャラリートーク(東京長浜観音堂)

2023-11-29 21:39:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『薬師如来立像(高月町柏原・八幡神社蔵)』(2023年11月1日~11月30日)

 令和5年度第3回展示の薬師如来立像を見てきた。たまたま18日に訪問したら「18日は観音様のご縁日ですので」ということで、あま茶のティーバッグをいただいた。今期は観音さまではなくお薬師さんなんだけど、ありがとうございます。

 11月25日は、高月観音の里歴史民俗資料館の学芸員・秀平文忠さんのギャラリートークがあったので、聴きに行った。長浜観音倶楽部会員でない、一般向けのギャラリートークは14時からなので、30分くらい前に行ったら、展示室が人でいっぱいだったので、びっくりした。座れる席は20席程度しかないので、時間ぎりぎりにいらした方は立ち見(立ち聴き)になったのではないかと思う。

 薬師如来像のお話は、高月町柏原がどのあたりか、という紹介から始まった。渡岸寺観音堂と境を接する北側と聞くと、この秋「観音の里ふるさとまつり」で高月を訪ねた記憶がよみがえる。八幡神社は、京都洛北の林丘寺(門跡寺院)とゆかりがあること、「野神」と称されるケヤキの大木があること、境内の奥に阿弥陀堂(柏寿山 来光寺)があり、中央の厨子には阿弥陀如来立像、その隣り(左)に、薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将が安置されている、等のお話を聞いた。今回、東京においでなのは、薬師如来とひとまわり小柄な日光・月光菩薩だが、さらに小さな十二神将像も祀られているそうだ。

 薬師如来立像の特徴は、(1)一木造(内刳りなし)(2)翻波式衣文 (3)量感のある体躯 (4)温和な表情、にあるという。確かに、平安前期から中期の作に特徴的な厚みのある肉体(スライドでは、神護寺や元興寺の薬師如来像と比較)だが、顔立ちはぐっと力が抜けていて、親しみやすい。

 スライドトークの後、展示室に移って、さらにお話を聞いたが、内刳りがないため、正面の中心線付近に長い割れ目が入っているのが印象的だった。また、足首あたりから下側や両肩(片方だったかも)から外側は後世の補修と見られることも教えていただいた。身体の中心線がズレて、なんとなく傾いているのもおもしろい。後頭部の襟足が左右に割れてオメガの小文字(ω)みたいな形をしているのも珍しく「類例を見たら教えてください」と学芸員さんがおっしゃっていた。

 向かって右・日光菩薩と左・月光菩薩は、室町時代の作と見られているが、かなり顔立ちが違う。学芸員の秀平さん、「作者は同じでしょうか違うでしょうか、同じ工房でしょうか、師匠と弟子でしょうか」とお客さんに問いかけながら楽しそうだった。日光だったか月光だったか、台座の裏に「明治四十二年八月 小森竹塘」という墨書があるのをスライドで見せていただいた。小森竹塘(1855−1930)は高月町出身の画人だが、素人ながら、仏像の修復にも携わっていたのではないかとのこと。いろいろ知識が増えて、楽しかった。

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浅はかさといじらしさ/文楽・冥途の飛脚

2023-11-27 21:49:01 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和5年11月文楽公演 第3部(2023年11月8日、17:45~)

・近松門左衛門三〇〇回忌『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)・淡路町の段/封印切の段/道行相合かご』

 今秋の大阪公演は行かれないかな、と思っていたのだが、直前に調整をつけて、見に行くことにした。直前でも席が余っていたので心配したが、まあまあ後ろのほうまで埋まっていたように思う。近松門左衛門(1653-1725)三〇〇回忌の今年、春に『曽根崎心中』、秋に『冥途の飛脚』を見ることができて嬉しい。

 私は、学生時代に『曽根崎心中』で文楽の面白さを知ったが、年齢を重ねるにつれ、一番好きなのは『冥途の飛脚』になってきた。忠兵衛は、救いようもなく浅はかなのに、なぜあんなにいじらしいのだろう。忠兵衛を囲む人々は、みな道理をわきまえた大人である。息子の嘘に騙される母親も、忠兵衛の行く末を案じて遊女たちに言いつけに来る八右衛門も、自由のない身の不幸を嘆きつつ、じっと耐える梅川も。けれども、その予定調和の世界を踏み破って、梅川をさらって破滅に突き進んでいくのが忠兵衛である。

 人形は忠兵衛を勘十郎さん。私は2021年2月にも勘十郎さんの忠兵衛を見ていて「封印切の場面では、切るぞ切るぞという気構えが外に現われ過ぎな感じもする」と感想を書いているが、今回は全くそんな雰囲気はなかった。近年の勘十郎さんは、どんな配役でも、すっかり気配を消してしまうようになられた。ちなみに私は、2017年2月に玉男さんでも見ていて、玉男さんの忠兵衛、また見せてくれないかな、と思っている。

 本公演のプログラム冊子「技芸員にきく」は、吉田玉男さんへのインタビューで、聞き手の坂東亜矢子さんが「近年ますます、初代玉男師匠に似てこられたように感じます」と話を向けている。玉男さんが「これから、師匠が遣われた役はもちろん、なさっていない役にも新たに挑戦したいと思っています」と応じていらっしゃるのが興味深い。初代玉男師匠が遣っていない役って、何があるのだろう。

 床は、淡路町が安定の織太夫と燕三。織太夫さんの語りを聞いていると、あまりにも気持ちよくて、自分も声を出したくなってしまう。封印切が千歳太夫と富助。床の脇に控えていた若手の太夫さんは誰だっけな? むかし千歳太夫さんが床の脇に控えていたのを覚えているので、世代が一回りしたことを感じて、しみじみしてしまった。

 国立文楽劇場、飲食について検索すると「劇場内にレストラン、またお弁当の販売は有りません」という古い記事が上がってきてしまうが、お弁当の販売は復活していた。次回は劇場でいただこう。

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人生の黄昏に/中華ドラマ『漫長的季節』

2023-11-25 22:47:30 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『漫長的季節』全12集(企鵝影視、2023年)

 今年前半、中国で大ヒットを記録したサスペンスドラマ。見たいドラマが途切れた隙をねらって、一気に見てみた。確かに上質なヒューマンドラマだが、豆瓣(視聴者投票)9.5は高すぎではないかと思う。いまWOWOWで『ロング・シーズン 長く遠い殺人』のタイトルで放映中なので、視聴中の方は、以下の【ネタバレ】を避けていただくのが無難である。

 ドラマは、2016年と1997-98年の2つの時間軸を行ったり来たりしながら進む。2016年、東北地方の樺林市に住む初老のタクシー運転手・王響は、まもなく大学受験を迎える息子の王北と二人暮らし。王響の義理の弟・龔彪も、同じタクシー運転手の仕事を始めようとしていた。しかし、龔彪が購入した車と同じナンバーの車が人身事故を起こしたため、車を警察に差し押さえられてしまう。王響と龔彪は独自捜査に乗り出し、偽造ナンバープレートをつけた車を探し出す。王響は、あと一歩で犯人を取り逃がしてしまうが、トウモロコシ畑の中に消えていった犯人の後ろ姿は、王響が1998年の事件以来、ずっと追ってきた姿だった。

 1990年代、王響は樺林鋼鉄工場で蒸気機関車の運転士をしながら、妻と息子の王陽の三人で暮らしていた。王陽は詩人になることを夢見るロマンチスト。地道な就職を望む父親とは意見が合わないが、両親の愛情は理解している。あるとき、王陽は、衛生専門学校の女子学生・沈墨と知り合う。沈墨は街の「娯楽城」(ナイトクラブ)でピアノ演奏のアルバイトを始め、王陽も従業員として潜り込む。二人は次第に親しくなるが、実の両親を失い、養父の虐待を受けて育ってきた沈墨は、王陽の愛情を素直に受け止めることができない。

 ある日、樺林鋼鉄の宿舎街のゴミ箱から、バラバラ殺人の遺体の一部が発見される。指先の特徴から、遺体の主は沈墨であることが確認され、王響は息子の事件との関わりを案じる。黙って家を抜け出した息子を追ってきた王響は、夜の線路上で「犯人」と接触し、息子を返してほしいと頼むが、翌日、王陽は郊外の川で遺体となって発見され、王響の妻も息子の葬儀後に自ら命を絶つことになる。王響は、沈墨の実の弟・傅衛軍を疑う。聾唖者で孤児院育ちの傅衛軍は、姉には優しいが無頼な青年だった。しかし事件を担当した刑事の馬徳勝は、傅衛軍は監獄に入っており、王陽は自殺だと主張して譲らなかった。

 2016年、息子殺しの「犯人」らしき人物を目撃した王響は、今は警察を退職した馬徳勝を通じて、傅衛軍の近況を調べてくれと頼む。傅衛軍は獄中で自殺していた。そして、脳血栓を発症して呂律も回らなくなった馬徳勝は、18年前に見逃していた事件の謎を解き、王響は「犯人」の正体と、王陽がやはり自殺だったことを知るのである。

 …こうまとめてしまうと全く面白くない。実際は、もっと多様な人物が、ミステリーの主旋律とは全く無関係に喜んだり悲しんだり、惹かれ合ったりぶつかったりする様子が、これぞ人の世という感じで、じんわり面白いのである。主人公の王響は、いかにもこの時代の東北地方の工場技師にいそうな、怒りっぽい頑固おやじ(しかし職場では幹部に気を使っていたりする)で、妻の羅美素はそんな夫に逆らえない、気弱な(息子には優しい)田舎のおばちゃんである。この時代には珍しい大学出の龔彪は、王響の妻の妹・黄麗茹に一目惚れし、龔彪を利用しようとした黄麗茹の打算を承知で結婚するが、家庭生活はうまくいかない。刑事の馬徳勝は、2016年には無事に退職して、ペットの小型犬を可愛がり、趣味(ラテン系ダンス!)を楽しんでいるようである。

 1998年の事件に巻き込まれ、姿を消してしまう人々がいる一方、王響・龔彪・馬徳勝の三人は、2016年まで生き延びるが、すっかり高齢者となり、あちこち身体の不調を抱えている。もうひとり、王響と仲の悪かった保衛科長の邢建春も生き延びるが、老化を免れない点は同様である。そして老年期の彼らにも、容赦なく不幸が襲う。老・病・死の悲哀を笑いとばしながら、さらに深まる乾いた悲哀がこのドラマの魅力ではないかと思う。

 97-98年の服装とか髪型とか、田舎っぽいダサさに手抜きがないのに加えて、2016年の変化の役作りがすごくて、龔彪役の秦昊さん(体重10キロ?20キロ?増)は、はじめ別人だと思った。馬徳勝役の陳明昊さんのはじけたダンサー衣装はズルい。若者世代では、王陽役の劉奕鉄くん、傅衛軍役の蒋奇明さんを覚えた。王北を演じた史彭元くんは『隠秘的角落』の厳良なんだな。気づかなかった。2016年の王響のもとになぜ王北がいるのかは、最終話で明かされる。全体は、救いのない運命に囚われた人々の暗い物語だが、前を向いて進もうとする王響には救いがある。

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2023深川・富岡八幡宮の酉の市

2023-11-24 21:09:01 | なごみ写真帖

今年は勤労感謝の日の11月23日が二の酉だった。昼間出かけていたので、夕食後にもう一度、外に出るのは億劫だったが、あまり寒くないのを幸い、近所の富岡八幡宮まで歩いて出た。

例によって、人出は少ない。熊手を売る店は4~5軒ほど、参道の入口にベビーカステラの屋台が1軒だけで、書きながら、2022年の風景と全く同じであることに気づいた。

「富岡八幡宮の酉の市」と書いているが、正確には、境内社の大鳥神社のお祭りである。離れたところから見ていたら、テントの中で待機する宮司さんは「かきこめ守り」という小さな熊手形のお守りを授与して、お祓いしてくださるらしい。

富岡八幡宮、夏の例大祭や年末年始は大変な賑わいになるけれど、ここの酉の市は、このわびしさが味なのだ。また来年もふらりと立ち寄ることができるといいな。

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看板に偽りなし/秘蔵!重要文化財「長谷雄草紙」全巻公開(永青文庫)

2023-11-24 20:37:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

永青文庫 秋季展『秘蔵!重要文化財「長谷雄草紙」全巻公開-永青文庫の絵巻コレクションー』(2023年10月7日~12月3日)

 私の大好きな『長谷雄草紙』が「全巻公開」って本当?と疑いながら、会期が始まってすぐに見にいったら本当だった。そろそろ終了なので、もう1回見てきたところで感想を書く。冒頭のパネルには「当館では14年ぶり」「初めて全画面を開けて展示します」と書いてあった。14年前の2009年『源氏千年と物語絵』展の記録は、このブログ内に残っているが、なんと『長谷雄草紙』を全画面見るには8回通わなければいけないという、血も涙もない展覧会だった。まあ4階展示室が造られる前だから、施設の制約上、やむを得なかったことは理解する。

 今回、ドキドキしながら4階展示室に入ったら、部屋の一辺を使った展示ケースに『長谷雄草紙』がずず~っと全開になっていて感激した。この絵巻、全体に劇画調である。描線の太さが一定でなく、けっこう変化に富む。人物はだいたい写実的なプロポーションだが、やや顔が小さめだと思う。冒頭は謎の男(実は鬼)が長谷雄の屋敷を訪ねてきて双六の勝負を持ちかけるシーン。門の内側に停まっている牛車に九曜紋が描かれている。肥後熊本藩細川氏と何か関係が?と思ったが、そういうわけではないらしい。九曜紋は「交通安全のお守りの役目の紋様だった」という話が、以下の記事で紹介されている。

週末いきたい!ストーリー展開がすごい絵巻が見られる展覧会 長谷雄草紙(永青文庫)やまと絵展(東博)+22日閉幕まとめ(美術展ナビ 2023/10/19)

 謎の男の誘いに乗った長谷雄は、牛車にも乗らず、従者も連れず、庶民の暮らすエリアを歩いていく。画面の下の方、屋根の上に飛び出ている稲わらの束のようなものが気になって調べているのだが、なんだったか思い出せない。

 朱雀門に到着。はじめに基壇、次に楼閣の窓だけを描いて、門全景がどれだけ大きいかを読者の想像に任せるのも巧い。今回の展示は、絵巻の見どころに簡単な解説が添えられているのだが、「長谷雄の賽を打ち下ろした音が、まるで漫画のように放射状の線で表現される」とあって、ニッコリしてしまった。14年前(かな?)この線を見つけたときは、急に絵師が身近に感じられて嬉しかったので。

 双六勝負に負けた鬼は、約束どおり、長谷雄のもとに絶世の美女を連れてくる。この美女、少し体をひねって簾をくぐる後ろ姿が色っぽい。今回、壁のパネルには翻刻全文が掲示されている。これを読みながら絵巻を楽しむことで、この作品は、絵もいいが、文章もいいことにあらためて気づいた。美女を得た長谷雄が「このよにかかる人ばやあるべき、とあやしきことかぎりなし」という最初の驚きから、日を経るごとに「かた時もたちさるべくもおぼえざりけり」というベタ惚れ状態になり、「かならず百日としもさすべき事かは」という身勝手な解釈で、鬼との約束を破って女に触れてしまう「男性あるある(?)」の心理が、平易な言葉で活写されている。

 その結果、大学者の長谷雄は鬼から「君は信用こそおはせざりけれ」と罵倒され、脅迫されてしまう。一心に北野天神を念じると「びんなきやつかな、たしかにまかりのけ」という(北野天神の)怒りの声が空に響いて、鬼は消え去った。けれども物語の結び「いかばかりか、くやしかりけん」が、せっかくの苦労を台無しにされた鬼に同情しているように読めるのがおもしろい。

 さて、本展には、このほかにも熊本藩や細川家ゆかりの絵巻や奈良絵本が多数展示されていた。熊本藩では福田太華(1796-1854)などが古絵巻の模写の御用を仰せつかった。展示には『蒙古襲来絵詞』『後三年合戦絵巻』『信貴山縁起絵巻』などの模写が出ていた。護立の回想によれば、ある人から『蒙古襲来絵詞』を細川家へという話があったが、先代(細川護久?)も家令も全く関心がなかったのでまとまらず、子供心に「何という分からない事か」と思ったという。護立は、幕末維新期の混乱で所在不明になっていた『長谷雄草紙』を昭和のはじめに入手した人物でもある。ありがたや。こういう、文化芸術の守護者である政治家や財界人、いまの日本には、すっかりいなくなってしまったなあ。

 室町~江戸時代の、御伽草子っぽい荒唐無稽な物語の絵巻や祭礼・風俗絵巻も楽しかった。熊本藩の藩校・時習館の所蔵印を持つ者も見られた。奈良絵本で目を引いたのは『絵入太平記』全83冊。太平記を奈良絵本化した唯一の作品だという。なお、「熊本大学附属図書館寄託」になっているものも多かった。

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門前仲町でごはん屋呑み再訪

2023-11-23 09:18:58 | 食べたもの(銘菓・名産)

 友人二人と、久しぶりに門前仲町の「ごはん屋 おゝ貫」(大貫)に行った。前回(2023年2月)より、コースの値段設定がお高めに変更されていたのは、時節柄、やむをえないところ。味とボリュームは文句なし。

「売り」は羽釜炊きのごはんなんだけど、私は、素人には出せない出汁の味が好き~。

ご飯は、前回の写真を見たら、鯛茶漬けにしていたけど、今回は普通に白いごはんとお味噌汁でいただいた。ごはんのおともには、ほぐし鮭と牛肉のしぐれ煮をチョイス。あ、今回は、おにぎりは持たせてくれなかったな…言えばよかったのかしら。

デザートは、ラフランスの天ぷら。揚げたての天ぷらも美味だった。

「利き酒し放題90分 1,980円」は、冷酒・古酒・どぶろくが少しずつ楽しめてお得。厳選された銘柄が楽しめる。

ご馳走様でした!

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銀座でドラマ『大奥』衣装展を見る

2023-11-20 20:54:31 | 行ったもの(美術館・見仏)

 このブログでは、日本のドラマのことを書かなくなって久しいが、全く見ていないわけではない。いまはNHKドラマ10『大奥』を、けっこう熱心に見ている。原作は読んだことがなかったが、森下佳子さん脚本のドラマは、だいたい私の好みに合う。先週末、銀座蔦屋書店イベントスペースGINZA ATRIUMで 『大奥衣装展』(2023年11月17日~11月19日)をやっているというので見てきた。

 第8代将軍・吉宗の衣裳。先日、和歌山に行ったときも思ったけど、もう吉宗と聞くと、真っ先に冨永愛さんの凛とした姿が思い浮かぶようになってしまった。

 瀧山の流水紋の裃。ドラマの序盤、吉宗に仕えた水野祐之進の裃と同じかと思ったら、違うデザインなのだな。幕末史に疎い私は、大奥最後の御年寄・瀧山というのが実在の人物であると、最近知ったところ。

 これは第13代将軍・家定の衣裳。と言われても、あまり印象がなかったのだが、原作コミック第15巻の表紙が、まさにこの文様・この色合いの打ち掛けを着ていた。再現力がすごい。淡いオレンジ色の丸いものは吉祥文様の橘かな? かわいい。

 この展覧会、横浜・水戸などへの巡回も予定されており、展示衣装は会場によって異なるようだ。

 私は、銀座蔦屋という書店に来たのが初めてで、およそ書店らしくない(しかし、いまどきはこれがスタンダードなのかもしれない)雰囲気に圧倒されてしまった。書架の間で、さまざまな展示やイベントが行われているのは面白かった。これは、彫刻家・三好桃加の作品展『仁王像たちのオフの日.2』(2023年11月11日~12月1日)。この作品、ネットで見て気に入っていたので、驚きつつ、嬉しかった。

このドーナツ、ミスドのストロベリーリングかな。私の好きなやつ。

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強がりと気苦労/王朝貴族と外交(渡邊誠)

2023-11-19 18:14:06 | 読んだもの(書籍)

〇渡邊誠『王朝貴族と外交:国際社会のなかの平安日本』(歴史文化ライブラリー) 吉川弘文館 2023.3

 中国史に関する本を読んでいると、当時、日本の状況はどうだったんだけ?というのが気になる。たまたまSNSに情報が流れてきた本書が面白そうだったので読んでみた。冒頭には「北宋期の日本と東アジア」の地図が掲げられていて、朝鮮半島には高麗、その北方には女真、さらに契丹(遼)、西夏、吐蕃、大理、大越が、ぐるりと宋を取り巻いている。

 本書は、いくつかのトピックを取り上げながら進むが、最初は「刀伊の入寇」(1019年)である。博多に上陸した賊船は、武士の活躍によって撃退された後、朝鮮半島東岸方面に逃れ、高麗の船兵に拿捕された。高麗は日本人の拉致被害者を保護して、対馬へ送還した。この知らせを受けた中央政府(道長・頼道・実資・公任・源俊賢ら)は対応を協議するが、異賊の正体が刀伊(女真)と知れたあとも、高麗を「敵国」扱いして疑いの目を向け、冷たくあしらっている。

 高麗に対する強い警戒心は何に由来するのか。神功皇后の三韓征伐伝説であるという。新羅の後身である高麗は、虎視眈々と日本の隙をうかがう「敵国」と考えられていた。その一方、平安貴族は自分の祖国を、天皇の威勢も衰え、国家的な軍備にも乏しい(平安初期に律令軍団制が解体され、武士身分が武力を占有するようになる)「末代」と認識している。いつ高麗に侵略されてもおかしくないが、そうならないのは、日本が神に守られた「神国」であるためだという。自慢なのか卑下なのか、非常にまわりくどい対外認識を彼らは持っていたようだ。

 「刀伊の入寇」に先立つ10世紀、唐の滅亡(907年)によって、朝鮮半島の情勢も動揺する。新羅の力が衰え、甄萱が後百済、王建が高麗を建国する。百済王・甄萱は日本に使者を派遣し「朝貢」の意志を示してきたが、日本は通交を拒否する。936年に半島を統一した高麗は、その翌年から日本に使者を派遣したが、やはり日本は「朝貢」を拒絶した。どうしてなのかなあ…と言っても仕方ないのだが、平安時代の日本は国際的な政治外交の場から完全に離脱することを選ぶ。大陸・朝鮮半島から海を隔てた島国であることが、この選択を可能にした。

 中国大陸については、10世紀以降、まず呉越国と交流があった。国家としての通交は拒否しつつ、中国商人を介して、大臣による私交というかたちで、仏教の典籍や文物が贈答された。978年には宋が中国を統一する。宋太宗は、983年に入宋した奝然を召見して、日本の風俗等を尋ね、大変厚遇したという。へえ!宋は987年に日本への商人の渡航を解禁。契丹と軍事的緊張を抱える宋にとって、日本産の硫黄の獲得は重要な意味を持っていた。しかし仁宗の頃になると、契丹との緊張緩和によって、日本への関心が低下する。仁宗は『清平楽(孤城閉)』の皇帝だな、などと中国ドラマを思い出しながら読むのも楽しい。11世紀後半、哲宗・徽宗期になると、再び軍事的緊張の高まりとともに、宋から日本へ積極的なアプローチが行われる。

 平安貴族の対外認識を考える上でとても面白かったのは、高麗への医師派遣問題への対応である。1080年、高麗国王文宗の病気(風疾=中風)を治療するため、日本の優れた医師を派遣してほしいという依頼の牒状が太宰府に届いた。第一報を源俊房に知らせたのは藤原通俊。通俊!!『後拾遺和歌集』の撰者じゃないか(私は大学で文学を専攻したので、歌人の名前がこういうところに出ると驚いてしまう)。源俊房・源経信(このひとも歌人だ)ら公卿たちの議論は分かれたが、最終的に関白師実は白河天皇とともに「派遣しない」決定を下し、大江匡房が返牒を作成した。その返牒(『本朝文粋』に収録)は、高麗の牒状の形式上の不備をとがめるなど、けっこう尊大な印象を受ける。しかし俊房や経信の日記によれば、医師の派遣を見送った根本的な理由は、もし治療に失敗し、日本の医師の技術が劣っていることが知られると「日本の恥」になるから、というものであった。うーん、分かりにくい心理だが…外向きの外交文書では強がりつつ、内実は小心翼々というのは、現代の国際関係でもありそうな話だと思った。

 なお「牒」というのは、上下関係がはっきりしない役所間でやり取りされる文書の形式で、東アジアの国どうしでも、これを便利に使っていたという。ちょうど正倉院展で見た文書にも「牒」「故牒(ことさらに牒す)」の文字がたくさん使われていた。

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2023年11月関西旅行:明恵上人伝(和歌山県博)、宗達(久保惣美術館)他

2023-11-18 21:25:03 | 行ったもの(美術館・見仏)

和歌山県立博物館 生誕850年記念特別展『紀州・明恵上人伝』(2023年10月14日~11月26日)

 関西旅行3日目は、行けたら行きたいと思っていた展覧会を行きあたりばったりで回る。朝から南海電鉄で和歌山へ。きれいになった和歌山市駅に下りるのは2回目だが、お店が増えて賑わっていてよかった。

 いつものバス路線で和歌山県立博物館へ。見慣れた吉宗騎馬像に近寄ってみたら、享保年間に吉宗公が西洋より馬を輸入したという史実を踏まえて制作された旨の注記が付いていた。へえ!

 特別展の主人公は明恵さん。明恵は、承安3年(1173)、平重国と紀伊の湯浅党の祖・湯浅宗重四女の子として紀伊国有田(ありだ)で生まれた。9歳で両親を失うが、湯浅の一族は生涯にわたって明恵の活動を経済的に支援し、明恵も湯浅の一族のために何度も祈りを捧げた。トリビアな知識だが、『春日権現験記絵巻』で明恵の天竺渡航を止めるため、春日明神が憑依した「橘氏の女」というのは、明恵の叔父である湯浅宗光の妻なのだな。

 湯浅には、明恵が創建した施無畏寺が今も残るほか、明恵が修行した草庵7か所と生誕地を加えた8か所の遺跡は「明恵上人紀州八所遺跡」として、石造の卒塔婆などが残っているという。私はわりと明恵さんファンなのだが、京都・高山寺とのつながりばかり意識して、故郷の紀州のことはあまり考えたことがなかった。近いうちにゆかりの地めぐりをしてみたい(しかしどこも交通が不便そう)。

和歌山県立近代美術館 第2回和歌山県人会世界大会記念特別事業『トランスボーダー 和歌山とアメリカをめぐる移民と美術』(2023年09月30日~11月30日)

 隣の近代美術館にも寄る。本展は、同館がこれまで培ってきた戦前の渡米美術家研究をさらに広げ、和歌山県の移民の歴史と重ねて紹介する。私は、2017年に同館の『アメリカへ渡った二人 国吉康雄と石垣栄太郎』を見て、とても興味深かったことを覚えている。本展でこの二人、特に石垣栄太郎の作品に再会することができて嬉しかった。新たに名前を覚えた画家には、有田川町出身の上山鳥城男(うえやま ときお、1889-1954)がいる。明るい陽光に満ちた海と山、端正な人物画などを描いており、後年はその明るいタッチそのままで、日系人収容所の風景を描き残している。ヘンリー杉本(1900-1990)の描いた収容所風景は、童画のような懐かしさと哀しさを感じさせて、これも好き。アメリカには、全米日系人博物館という施設があることを初めて知った。いつか行ってみたいが、ロサンジェルスかあ。

和泉市久保惣美術館 特別展『宗達-物語の風景 源氏・伊勢・西行-』(2023年9月17日~11月12日)

 久保惣美術館は、むかし一度だけ行った記憶があるのだが、ブログを検索しても出てこないので20年以上前になるのだろう。今回のテーマは私の大好きな宗達で、見逃さないほうがいいという直感が働いたので最終日に駆けつけた。南海の泉大津駅から1時間に1本のバスで向かう。むかし来たときは、陶磁器や古代青銅器、帯鉤コレクションなどを見た覚えがあるのだが、今回は、本館・新館のほぼ全てが特別展の会場になっていた。本展は、俵屋宗達と宗達工房による源氏物語、伊勢物語など物語絵を中心に国内博物館施設、個人コレクターから作品を拝借し展観する。

 まず、源氏物語絵の展示から始まる(新館第1展示室)のだが、入口に、なんだか気になる資料の白黒コピーが積まれていた。次第に理解したところでは、かつて実業家の団琢磨氏が所蔵していた『源氏物語図屏風』六曲一双という作品があった(旧団家本屏風)。宗達とその工房による源氏物語全段を絵画化した屏風だったが、現在は断簡として美術館・博物館や諸家に収蔵されている。本展は、うち21面の出陳を得(展示替えあり)、ほか調査や既存の書物によって10面、計31面が確認できたという(図録、河田昌之氏論文から)。また、参考として、旧藤井家本(旧蔵者について正確な情報が得られていない)として知られる源氏物語図屏風の断簡も出陳されている。どれも明快な色彩世界に、団子に目鼻をつけたような男女がちょこんと置かれていて可愛い。

 第2展示室は伊勢物語絵で、宗達とその工房による作品は59図発見されており、益田家本・団家本・岸家本・MOA美術館本・新出本に分類されているとのこと。源氏絵よりも、構図、背景(草木や建物)、衣装の文様など、手が込んでいる感じがする。大和文華館所蔵の「芥川」は前期展示だったのでパネル写真のみ。出光美術館所蔵の「武蔵野」は見ることができた。「雷神」(個人蔵)や「渚の院の桜」(個人蔵)もよかった。これは展示図録を買わないわけにはいかないと思い、2泊3日で計4冊、担いで帰ることになってしまったが後悔はしていない。

 『西行物語絵巻』は、諸本・諸系統があるが、本展に出ていたものは、どれも絵画的に美しかった。ほか、岩佐又兵衛の作品や、相国寺の『蔦の細道図屏風』、醍醐寺の『扇面貼付屏風』も堪能。贅沢な展覧会だった。久保惣美術館、またすぐ行きたい!と思ってホームページを見たら、何とこの特別展が終わった翌日から2024年4月まで施設等改修工事のため長期休館するというお知らせが掲載されていた。あらら、気長に待ちましょう。帰りは和泉府中からJRで新大阪に出て、新幹線で帰京した。

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2023年11月関西旅行:東大寺法華堂、長沢芦雪(中之島)他

2023-11-17 21:32:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

東大寺法華堂(三月堂) 『秘仏 国宝・良弁僧正坐像特別拝観』(2023年10月28日〜11月19日)

 関西旅行2日目は、朝8:00開館の奈良博の正倉院展に飛び込もうと思っていたのだが、前日、十分楽しめたので予定を変更。「東大寺開山良弁僧正1250年御遠忌法要」の一環として、ふだん開山堂にいらっしゃる良弁僧正坐像が三月堂にお出ましと聞いて、朝からこちらを見に行った。仏像の安置されている正堂に入ると、左奥、須弥壇の前のスペースに横向き(中央向き)にお像が安置されていた。

 堂内にいらした方の解説に寄れば、開山堂では毎年12月16日に開扉されているが、正面からしか見ることができないので、この機会に横顔や後ろ姿を見てもらおうと思ったとのことである。私は、むかし一度、12月16日に東大寺に来たことがあるはずなのだが、このブログを書き始めるもっと前のことのようだ。良弁僧正の横顔は、姿勢のよさと端正な鼻筋が印象深く、膝の上に如意を横たえていらっしゃった。お寺の方の解説では、講話をするときは如意を立て、話を止めると寝かせるのだという。「いま正倉院展に良弁僧正のお使いになった如意と、その容れ物が展示されています」ともおっしゃっていたが、如意の柄は、くるくると螺旋状になっているのがオシャレで、正倉院御物とは違うデザインだった。

奈良県立美術館 開館50周年記念展・特別展『仮面芸能の系譜 仮面芸能のふるさと奈良』(2023年9月30日~11月12日)

 縄文時代の土面に始まり、伎楽、雅楽、舞楽、散楽、田楽、その淵源が謎に包まれた予祝舞・翁舞、猿楽など、奈良で生まれ育った仮面芸能の魅力を紹介する。伎楽・雅楽くらいまでは想定の範囲内だったが、奈良と能楽の深いかかわりはあまり認識していなかったので、古い翁面の伝来などに驚く。南都舞楽の楽祖・狛光高(こまのみつたか、高麗系なんだろうなあ)を祀る舞光社が氷室神社の境内にあるというのも初めて知ったので、次は詣でてみたい。館長の籔内佐斗司さんの作品も、一部は触れて楽しかった。

元興寺法輪館 『菅原遺跡と大僧正行基・長岡院』(2023年10月21日~11月12日)

 時間に余裕があったので、奈良町の陰陽町を訪ねて、元興寺に寄った。宝物館では、奈良の西郊の高台にある菅原遺跡の発掘成果を紹介する展示が行われていた。行基入寂の後、その供養のために建てられた円形建物(柱穴は十六角形くらい)「長岡院」の遺構が発見されているとのこと。関連で、堺市には、円形の段を持つ土塔があることも初めて知った。小学生男子を連れた大阪のおばちゃんが「土塔行ったな」「行った」とふつうに話していた。

「高僧・行基の供養堂? 類例ない円形建物跡を発見 奈良」(朝日新聞デジタル 2021/5/20)

大阪中之島美術館 特別展・生誕270年『長沢芦雪-奇想の旅、天才絵師の全貌-』(2023年10月7日~12月3日)

 長沢芦雪(長澤蘆雪)の画業を紹介する、大阪で初となる回顧展。芦雪は大好きなので、必ず見に来ようと意気込んでいた。展示は参考作品を含めて約110件。展示替えがあるので、一度に見られるのは半分くらいである。個人蔵や初公開の珍しい作品をかなりたくさん見ることができたが、無量寺の『虎図襖・龍図襖』は見られず。図録には『山姥図』や『方広寺大仏殿炎上図』が載っているのにリストには入っていないので、あれ?と思ったら、九博に巡回予定があるので、そちらで展示されるらしい。逸翁美術館の『降雪狗児図』など、かわいい系のわんこ図が目立って多かった。この春、府中市美術館の『江戸絵画お絵かき教室』で蘆雪のスズメを模写したこともあって、スズメの顔が気になる。マンガみたいなサルも気になる。同時代の天才画家のコーナーに、若冲の『象と鯨図屏風』が来ていたのにはびっくりした。なお、ミュージアムショップでは『虎図襖』のトラのTシャツが、ここでも阪神優勝記念で推されていた。

藤田美術館 『妖』(2023年11月1日~2024年1月31日)『護』(10月1日~12月28日)『江』(9月1日~11月30日)

 まだ1か所くらい回れそうだったので、久しぶりに同館へ。芦雪筆とされる『幽霊・髑髏仔犬・白蔵主図』3幅対を見た。でも、あどけない子犬に髑髏を配する趣向、芦雪本人は好まない気がする。あとは『相撲絵巻模本』や『十二天図屏風』を楽しんだが、やはりリニューアル前の垢抜けない雰囲気のほうが好きだった。しかし東京の美術館に比べると、入館料1,000円は良心的。

 今回、はじめて「あみじま茶屋」でお茶とだんごセット500円をいただいたが、このお値段もリニューアル開館(2022年)から上がっていなくて嬉しかった。おだんごがモチモチで美味。

 まわりの風景が大きく変わっていたのには戸惑った。太閤園(2021年6月30日営業終了)の茶色いレンガの建物が跡形もなく消えていたのだ。むかし、藤田美術館に来ると、(藤田観光系列の)太閤園のカフェの割引券(?)が貰えた記憶があるが、結局、一度も利用せずに終わってしまったなあ。少し残念。

 そしてこの日は、日本橋の国立文楽劇場で第3部『冥途の飛脚』を見て、泉佐野に泊まった。

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