見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

のどかなオリエンタリズム/マイセン 西洋磁器の誕生(大倉集古館)

2010-10-30 02:11:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
大倉集古館 『開窯300年 マイセン 西洋磁器の誕生』展(2010年10月2日~12月19日)

 ヨーロッパで最初の磁器を誕生させた「マイセン工房」は、1710年、アウグスト強王によって創設され、後続のヨーロッパ各地の磁器窯の器形、文様、装飾技法を60年間リードした。へえーヨーロッパには、18世紀まで磁器がなかったんだ、というのを知ったのは、2年前に大平雅巳著『西洋陶磁入門』(岩波新書、2008)を読んだときのこと。かなり衝撃的だった。アウグスト強王の名前も、この本で覚えた。ちなみに1710年といえば、中国は清朝康熙帝の盛期。日本は宝永年間(元禄の次)。柿右衛門様式から金襴手への移行期くらいかな。

 マイセン工房創立300年を記念する本展は、名品を最も数多く輩出した18世紀の作品を中心に展示する。最初期(1730年頃)の金彩人物文は、中国風とも日本風ともつかない。美しい自然に囲まれ、精緻な美術工芸品を生み出す、豊かで平和な夢のくにを表しているようだ。牧歌的なオリエンタリズムを感じさせて、頬がゆるむ。パゴダと呼ばれる陶器人形は、中国の布袋像を原型につくられたものだというが、布袋さまにつきものの太鼓腹はさほど目立たない。そのかわり、磊落そうに足を組み、不敵に笑う「耳の大きい禿頭の人物」は、スター・ウォーズのヨーダに似ていた。

 柿右衛門写しは、図様は巧く似せていたが、使われている色が微妙に違うと思った。紫は、柿右衛門では使わないのではないかしら。ヨーロッパ人の好みなのかしら。マイセンの伝統文様として、今日に至るまで愛好されているブルーオニオンは、中国の吉祥文であるザクロが原型というにも面白い。それから、鳳凰が空飛ぶイヌまたはキツネに化けてしまったことにも吹き出す。(ただし、フライング・ドッグやフライング・フォックスは、Google検索によるとコウモリの意味らしい)

 2階に上がると、生き生きとポーズを取る、愛らしい磁器人形が並ぶ。コロンビーナとかアルレッキーノとか、いずれもコンメディア・デッラルテ(仮面を使用する即興劇)の「ストック・キャラクター」であるらしく、この手の演劇の人気ぶりを窺わせる。こうした磁器人形が、宴会のテーブルの飾りに用いられたというのも面白い。これは日本人や中国人の発想にはないように思う。食べものを加工して、蓬莱山をつくるとか鳳凰に見立てるということはするけれど…。

 同じく2階に、磁器の図様のデザインなのだろうか、ペン+淡彩のスケッチ画が展示されていた。10枚あって、1~2枚ずつ画風が異なる。「I Modellidi di Meissen per le chinesene Horoldt, Firenze, 1981」とあったように思う。非常に面白かったが、会場にも図録にも何の説明もなかったので、Googleで探したら、これ(複製品?)のことか?
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雨過天青雲破処/南宋の青磁(根津美術館)

2010-10-26 23:32:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
○根津美術館 『南宋の青磁-宙(そら)をうつすうつわ』(2010年10月9日~11月14日)

 青磁の展覧会といえば、2006年の出光美術館の『青磁の美』や2007年の静嘉堂文庫の『中国・青磁のきらめき』展を思い出す。まだ「やきもの」初心者だった私には、え?これも青磁?と、びっくりするようなバラエティが印象的だった。それと比べると、今回の展覧会タイトルは「南宋の青磁」。ほんとに展覧会が成立するんだろうかと心配になるほど、極限まで絞り込んだテーマであるが、集まった作品は65件(出土陶片を除く)。全て日本国内の美術館や個人の所蔵品で、日本人って、古来ほんとに青磁が好きだったんだなあ、としみじみする。

 副題の「宙(そら)をうつすうつわ」は、後周の世宗柴栄の言葉「雨過天青雲破処、這般顔色做将来」(中華圏サイトではこの表現が多用されているが、後半は現代中国語っぽい)を意訳したものらしいが、美しい訳だと思う。会場には、のっけから「天青」の名にふさわしい、晴れやかで軽やかな空色のうつわが並ぶ。東博の「馬蝗絆」は、いつも鎹(かすがい)の継ぎ目が気になってしまうのだが、本展では継ぎが目立たない置きかたをしていて、よかった。薄くまろやかな椀形に、透明な光が満ちているように見えた。

 和泉市久保惣記念美術館の鳳凰耳瓶「銘・萬聲(万声)」は、完璧な姿形、王者の風格。いくぶん緑がかった色合いの、とろりと滑らかな美肌は、触れば人肌のように温かそうである。陽明文庫の「銘・千聲(千声)」は、ちょっと小ぶり。冴えた空色が氷の冷たさを感じさせる。女王の気品というべきか。もう1点、藤田美術館の槌形瓶(砧形瓶)も好きだ。小さいので、卓上に置いて、ときどき掌にくるんで鍾愛したい。手元近くに置いて愛玩するには「天青」と呼ばれる空色のうつわがいいと思う。けれど、少し離れて展示ケースを眺めると、黄味がかった緑(オリーブグリーン、あるいは青葱色)のほうが、白っぽい背景に調和するように感じられる。

 展示室2は大量の出土陶片を展示。特に、南宋官窯の探索に腐心した杭州領事・米内山庸夫が昭和3年に持ち帰った「米内山陶片」には驚いた。昭和17年、根津美術館で1日だけ「支那青磁展」が開かれて公開されたそうだ。陶片ひとつひとつに番号を付け、採集地等の情報をノートに記録している。愛情を感じるなあ。ほかに博多、京都、鎌倉、東京(東大構内=加賀屋敷跡)で採集された陶片コレクションもあり。

 なお、今回は展示室5がめずらしく中国の画冊・画巻の展示になっている。『回紇進宝図冊』は末尾に「五福五代堂古稀天子宝」「八徴耄念之宝」(たぶん)という乾隆帝の印があるのに、半分しか見せてくれないのは何故? 細字で「臣閻立本謹進」という書き入れも見えた(模写でしょうけど)。

東京大学美術博物館所蔵品展『古瓦・古鏡』…米内山庸夫が持ち帰った瓦と鏡のコレクション。見逃したんだ~このこの展示。

米内山文庫…青森にあるのか。

乾隆帝の印章(台湾故宮博物院)
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奇を好む人々/東文研公開講座「アジアの奇」

2010-10-25 23:50:10 | 行ったもの2(講演・公演)
東京大学東洋文化研究所 第10回公開講座『アジアを知れば世界が見える-アジアの奇』

■菅豊「中国の『奇』の文化誌」

 はじめに、中国・日本をフィールドに民俗学を専門としている菅先生から「奇とは何か」という総論的な講演。「奇」とは「普通とは異なる不思議な物事の状態」である。しかし「普通」から完全に離脱するのではなく、「普通」との間に微妙な距離感を保っている。この「普通とのずれ」が生み出す感覚である。「奇」には正負両方の価値観が存在するが、中国人は一般に、日本人よりも「奇」にポジティブな価値を認めようとする。

 中国人は、日本人ほどに、あるがままの自然を好まない。認知的加工(見立て)や物理的加工(亭を建てたり、岩壁に漢詩を刻んだり)によって、自然景観を人文的景観に変貌させることに満足を見出す。言われてみると、確かに中国では、絵画に描かれた自然が人工的(人文的)であるのと同じくらい、現実の自然も、必ず何かの手が加わっている。

 金魚、盆栽、纏足、中華料理、中国独特の巨大モニュメントなども全て同根。自然を乗り越え、支配したいというベクトルが、多かれ少なかれ働いている。衝撃だったのは「湖羊」という、極端な早熟・多胎に品種改良されたヒツジの話。奇形の発現などが怖くないのかと思ったが、仔羊のうちにコートやジャケットの衿にするため殺してしまうので、問題ないのだという。うわー。この合理精神はすごい。一方、日本人は、手を加えつつも、そのことを恥じて、手つかずの自然を演じたがるように思う。

■板倉聖哲「奇想の源流―伊藤若冲が見た東アジア」

 若冲が生前墓(相国寺)に刻ませた銘文には「宋元画を取りて之を学ぶ。臨移すること十百本を累(かさ)ぬ」ずなわち、千枚に及ぶ中国絵画を模写して学んだことが記述されている。では、具体的に、どんな絵を学んでいたか。若冲が宋元画(中国絵画)だと思っていたものには、意外と朝鮮絵画が混じっていたのではないか、というのが指摘の一。ただし、現在、朝鮮絵画とされている正伝寺の「猛虎図」は、18世紀の京都では中国絵画と思われていた。静嘉堂文庫とクリーブランド美術館に分有される「釈迦三尊図」は、一時高麗絵画と目されたが、現在は中国絵画に戻っているとか。ふーむ、絵画の国籍って分からないんだなあ。いまの認識だけで、あまり断定的なことを言うのはやめておこう。

 それから、若冲が宋元画の文学性を捨て、動植物の生き生きした形態、真に迫る技術を徹底して追求したというのが指摘の二。若冲の描いた3枚の鸚鵡図を時系列順に並べると、1枚目と2枚目の間に明らかな技法の差異がある。それは目に漆を塗り重ねる技法で、徽宗の『桃鳩図』も同じ技法を用いているという。

 若冲が最初に学んだ狩野派は、朝鮮絵画を中国絵画と鑑定することが多いが、雲谷派は「高麗画」を認識しているとか、中国絵画には線的な表現しかないが、朝鮮絵画には面的な表現があるとか、質疑応答の中に、ぽろぽろと興味深い発言があって、慌ててメモを取りながら、頭に叩き込んだ。

※参考:奈良県立美術館 特別展『花鳥画-中国・韓国と日本-』

 講師に「奈良、行ってきました」と申し上げたら「後期は全く変わりますよ」と言われた。はい、若冲を見に、もう1回行ってきます。あと「本当にやりたかったのは第1室の展示です」と聞いちゃったのは、ここだけの話。

■辻明日香「奇跡譚に見るエジプトのキリスト教徒・イスラーム教徒像」

 14世紀、コプト(キリスト教)聖人伝を題材に、キリスト教徒とイスラム教徒が隣人として共生していた時代があったことを紹介する。題材は奇跡譚だが、むしろ当時の人々の日常の姿が浮かび上がってくるように思った。
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書物の下に自らを置く/書誌学のすすめ(高橋智)

2010-10-24 23:06:32 | 読んだもの(書籍)
○高橋智『書誌学のすすめ:中国の愛書文化に学ぶ』(東方選書) 東方書店 2010.9

 たとえば静嘉堂文庫や五島美術館が「古籍」を特集する展覧会を開催すると、私は欠かさず見に行く。日本の古書、華やかな料紙に散らされた古筆も美しいが、中国の古籍、四角い漢字が並んだだけの素っ気ない版面にも、「美」というか「迫力」というか、何か独特の、人を惹きつける力が存在することが感得される。

 中国では、こうした魅力に富む古籍を「善本」と呼ぶ。日本語の「貴重書」に相当する単語だが、単に年代が古ければ貴重というわけではない。「真(偽物でなく)・精(精緻で)・新(新品のように保存がよい)」かつ、歴代の蔵書家が、版面に調和した美しい蔵書印を押し、校勘を書き入れ(※「書き込み」は本を汚すものを言う)、著名人の序跋を加えることによって、書物の価値は増す。この奥深い定義を知るだけでも、本書を読む価値があると思う。

 本書には多数の図版があって、文章の理解を助けている。版面の美しさを引き立てる蔵書印とはどんなものか、著者が街の篆刻屋で彫ってもらった蔵書印と、これを中国の文献家(書誌学者)に見せたところ、「全然よくない」と言って、あらためて字を選んでもらった別の蔵書印の写真が並んでおり、素人にも、なるほどと腑に落ちる感じがする。

 善本の極みといえば宋版だが、地域によって字様に特色があり、ぼってりした顔真卿の書体を学んだ四川刊本は「字大如銭、墨光似漆」と讃えられる。私はこの字様がいちばん好きだ。杭州刊本は、欧陽詢ふうの秀麗な美しさを持ち、福建刊本の鋭利で整然とした線の細さは柳公権の書風に比べられる。江西刊本にはこれといった特徴がないが、顔真卿・欧陽詢・柳公権の三者を兼ねると評されている。これも写真図版と見比べると、非常に分かりやすい説明だ。

 また、本書には、古籍を求めて東奔西走する著者の、さまざまな(摩訶不思議な)実体験が生き生きと語られており、学術書の域を超えたユーモアと潤いを感じさせてくれる。江南の小さな村で鉄琴銅剣楼という蔵書楼を探していた著者が、橋のたもとで川魚を売っている男性に尋ねると、それが蔵書楼の管理人だったいうのは、まるでお伽噺のようだ。古書の即売会で、勤め先の大学の貴重書庫で、あるいは台北の故宮で、神出鬼没の仙女のように、忽然と著者の前に現れる書物。見たい、会いたいという著者の一念が貴重な書物を呼びよせるのか。いや、著者は謙虚に「書物が人を呼ぶ」と説いている。

 今日に伝わる多くの古籍は、集積と離散を繰り返し経験してきた。海を渡って日本に至り、数百年を経て、また故国に還っていった書物も多い。その痕跡をかすかに伝えているのが蔵書印や跋文である(※湖北省図書館の蔵書に「尾府内庫図書」(尾張徳川家)の印があるとか、広州中山大学の蔵書に松崎慊堂の手跋があることを初めて知った。驚き!)。しかし、図書館で独立したコレクションとして扱われていない書物の由来を突き止めるのは困難を極めるという。そうだろうなあ…。

 けれども朗報があって、中国では今、「古籍普査」が進行中だという。この「空前の大事業」によって、あらゆる古籍に押された印章の情報が集積されれば、古籍全体の流伝の歴史(それも国境を超えた)が明らかになるだろう。そして「善本」に関しては、デジタルデータを取得するばかりでなく、紙質・装丁に至るまで原本に似せた複製を「再造」し、国内の各図書館に善本の分身を配置する「中華再造善本」プロジェクトが立ちあがっているという。Googleブックスを凌駕する独創的な事業だと思う。中国文献学の伝統、畏るべし。

 いま、書物は情報の器に過ぎず、情報は人間に使われるためにある、という考え方が大勢であろうと思う。それは一面では正しい。けれど私は、「書物の下に自らを置く」書誌学という著者の言葉に、内心深く共感するものである。
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本屋カフェ/UCCカフェコンフォート(三省堂本店)

2010-10-22 22:27:12 | 街の本屋さん
忙しい日々。ちゃんと仕事があって1日が過ぎていくのは悪くないが、ちょっとモタモタすると振り落とされる感じがする。

この週末も、実はいろいろと宿題を持ちかえってしまった。でも本も読みたいし、美術館も行きたいし。さて、2日間をどう過ごそう。

気分転換には、迷宮のように大きな書店をうろうろして(※図書館はダメ。本が整然と並び過ぎているから)目についた宝物をわがものにし(もちろんレジに持っていきます)、最後に甘くて美味しいものがあれば、なお可。



三省堂本店2階、UCCカフェコンフォートの「秋の贅沢栗あんみつ」。
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余白と遠近法/円山応挙 空間の創造(三井記念美術館)

2010-10-21 23:09:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『円山応挙 空間の創造』(2010年10月9日~11月28日)

 余白を活かし、絵画という平面に奥行きのある立体的な世界を描き出した応挙の特質に注目する展覧会。前半では、応挙が若き日に描いた眼鏡絵を紹介。眼鏡絵とは、遠近法によって描かれた風景画で、「のぞき眼鏡」を通して見ると、より立体的に見える。応挙は多数の眼鏡絵の習作を通して、空間を描く技術を習得したと考えられる。むかし、新・日曜美術館で、実際に応挙の眼鏡絵を「のぞき眼鏡」を使って体験してみるという企画があった。今回は、そうしたお試しコーナーがなかったのが残念。

 後半は、いよいよ障壁画による大画面が勢ぞろい。見覚えのある、好きな作品が多くて嬉しかった。草堂寺の『雪梅図』は、2006年、奈良県美の『応挙と蘆雪』の前期で見た。『雲龍図屏風』は、同展の後期で見たものだと思う。どちらも、いかにも「よくある日本画」の題材なのに、どうしてこんなに印象に残るんだろう。

 『松に孔雀図襖』を有する大乗寺(兵庫県美方郡香美町)には、一度だけ行ったことがある。応挙の襖を全て外して保存することが決まって話題になっていたときで、まだ客殿には、本物の応挙筆の襖が嵌っていた。お願いしたら、2階の蘆雪と源も見せてもらったのが、いい思い出。現在は「円山派デジタルミュージアム」というサイトが公開されていて、障壁画の構成を立体的に体験することができる。画像の拡大も可で、非常によくできたサイトである。

 とは言え、細部の迫力は、やはり現物がまさる。応挙は、屏風・襖絵などの「遠見の絵」は、離れて眺めたときに効果があるように描かなければならない、ともっともなことを述べているが、私は、つい「遠見の絵」ににじり寄って細部の筆勢や墨の色を確かめたくなってしまう。これって、嫌な鑑賞者だろうか。

 どうやら初見らしかったのは『雨竹風竹図屏風』(円光寺蔵)。これはいいなあ。なんとなく等伯の『松林図屏風』の応挙流”換骨奪胎”版ではないかという気がした。天も地も分かぬ空白の中に、多量の水分を感じさせる墨色の竹が、すっくりと立っている。眺めていると、ああ、確かに日本人って、こういうふうに風景を見ているなあと思えてくる。湿度の高い日本では、だいたい遠景は水蒸気に霞んで定かでないのが「実景」なのだ。よく見ると、背景の空白に、うっすらと何本もの縦線が引いてあって、竹林の奥行きを表している。『竹雀図屏風』はその変奏版みたいな感じで、群れ飛ぶ雀の羽風に細い竹が弄られている。

 アルカンシエール美術財団(原美術館のこと?)から出品の『淀川両岸画巻』は、途中から川の左右の風景を上下逆に(すなわち川の中央から見たままに)描いた、実験的な作品。これはケースを展示室の中央に置いて、上下から見せてほしかった。
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梟雄の死/マンチュリアン・リポート(浅田次郎)

2010-10-20 21:30:01 | 読んだもの(書籍)
○浅田次郎『マンチュリアン・リポート』 講談社 2010.9

 思い起こせば、私が「満洲某重大事件」(張作霖爆殺事件)を初めて知ったのは、小学生時代、愛読していた『学習漫画 日本の歴史』を通してだったと思う。マンガには、坊主頭の張作霖が、明日は奉天だ…とつぶやきながら、すやすや寝入る姿の後、激しい爆発が遠景に描かれていた。報告を聞いて、何だって!と飛び上がっていたのは田中義一首相だったのかもしれない。子どもだった私にも、これが仕組まれた事件だということは分かったが、「彼」が善人(英雄)なのか悪人なのか、分からないので、悲しんでいいのか喜んでいいのか、判断がつかなかった(近代史はめんどくさい)。あれから40年。まさか自分が、”梟雄”張作霖の死に大泣きすることになろうとは思ってもいなかった。

 昭和4年(1929)、「治安維持法改悪二関スル意見書」をばら撒いた罪で、禁固刑に処せられていた陸軍中尉・志津邦陽は、嵐の晩、目隠しをされて刑務所から連れ出され、今上陛下(昭和天皇)にまみえ、前年の張作霖爆殺事件について極秘調査を命じられる。北京から奉天へ、そして再び北京へと往還する志津から発せられる「満洲報告書」。

 その合い間に、昭和3年(1928)、まさに北京から奉天に引き上げようとする張作霖に同行した「あるもの」の独白が挟まれる。それは、鋼鉄の公爵(アイアン・デューク)と呼ばれた英国製の機関車。1902年、西イングランドのスウィンドンの町で生まれ、棟梁(フォアマン)とともに海を渡ってきた。李鴻章が注文した西太后への献上品だった。1903年、たった一度だけ、西太后は光緒帝とともにこの機関車が牽引する御料車に乗って、奉天に赴き、祖宗の墓に詣でた。半世紀ぶりに眠りから覚めた鋼鉄の公爵と、大元帥(グレート・マーシャル)張作霖は、運命のときに向かって歩を進めながら、心を通じ合わせる。その「至福」の瞬間に、切って落とされる悲劇の幕。私は、通勤電車の中で、慌ててページを閉じた。駄目だ、これ以上読んだら、必ず泣いてしまうと思ったので――。

 本書はもちろん小説である。張作霖のつくった国が「世界中の貧しい子どもらの夢」であるというのも、西太后の「中華」が「詩文を作り花を賞で、お茶を淹れおいしい料理をこしらえ、歌い、舞い踊ることが文化だと信じて疑わぬ」大きな華(はな)の国だというのも、著者独特の視点を通したフィクションである。細かいことをいえば、張作霖が西太后の御料列車を使用したことは嘘ではないようだが、西太后の汽車旅について「奉天に至っては行ったこともない」(Wiki)と記述しているサイトもあるので、注意が必要だ。

 それにしてもまあ、なんと美しく壮大で魅力的なフィクションだろう。本書を初めて読む読者が、浅田次郎的「中国観」にどれだけ共感するか分からないが、『蒼穹の昴』『中原の虹』というタフな長編に付き合って来た読者には、極上の食後酒である。”老残”の春児や岡圭之介がチョイ役で登場するだけで、旧友の消息を知ったように懐かしく、嬉しい。食後酒? いや、著者には、さらに書き継いでほしいなあ。「龍玉」のゆくえを。

 しかし、中国人はこういう感傷に満ちた歴史小説をどう読むだろう? 直感では、苦手なんじゃないか、という気がする。感想を聞いてみたい。
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見もの・売りもの/東美特別展(東京美術倶楽部)

2010-10-19 21:57:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京美術倶楽部 『第18回東美特別展』(2010年10月15~17日)

 東京美術商協同組合が主催する特別展示・販売会。毎年、この時期には「東美アートフェア」という3日間の展示即売会が行われている。一昨年、山下裕二氏のギャラリートークにつられて、初めて行ってみたら、驚くことばかりで楽しかった。昨年は行かれなかったので、今年こそは!と楽しみにしていたが、ちょっと趣旨が違っていて「3年に1度の特別展示・販売会」だという。ふぅーん。例年よりパワーアップするってことかな。一般人でもチケットを買えば入場できることは「アートフェア」と変わらないらしいので、行ってみることにした。

 何しろ50万や100万の値札は当たり前、という美術即売会である。前回は、汚いジーンズ姿で行って浮いてしまったので、めったに着ないワンピース+落ち着いたメイク(笑)で、100万円くらいなら即金で買いますわよ、というハイソな奥様の雰囲気を心がけつつ、出かける。今回の出展ブースは、地下1階から4階まで全65店舗。ただし、「アートフェア・秋」が古美術のみ(※「春」は現代美術のみ)だったのに対し、この「東美特別展」は両者が混在している。また、「アートフェア」に比べると、自慢の逸品の顔見せに重点があるのか、値札がついていないものが多かった。

 いちばん衝撃的だったのは、万葉洞のブースで見た『扇面京名所図』6枚(狩野宗秀筆、天正年間)。金地の扇面に京洛の四季を描いたもの。神戸市立博物館の『都の南蛮寺図』の一具である。もとは全61枚あったそうだが、現在は、神戸市博のほか、藝大に1枚、東博に1枚、出光に2枚(※『屏風の世界』に出ていた『洛中名所図扇面貼付屏風』のこと)などが伝わるのみ。それが6枚も揃うのは奇跡みたいなものだ。

 図柄は、北野天満宮(梅が咲いてる?)、五条橋(中の島を挟んで二股に流れる紺青の川、水浴する人々)、紅葉の高雄(だったかな?それとも嵐山?橋を渡って石段を登ると山寺らしき門)、雪景色の社殿(上賀茂?社頭に一対の狛犬)、それと商家の並んだ街中の図が2件。展示場には、きちんと地名が表示されていたのだが、メモを取ってくるのを忘れてしまい、いま、カタログの写真を見ながら書いている。さらにこの特別展の素晴らしいところは、展示ケースのガラスなしで、本物に対面できることだ。

 桃山ものでは、石黒ギャラリーの『大原御幸図』屏風もよかった。水戸幸商会の『三十六歌仙図屏風』(慶長年間の金屏風、狩野孝信筆か)は大きさに圧倒された。もちろん、これらも展示ケースなんて無粋なものはなし。茶道具では、谷庄の道入黒茶碗(銘・金毛)は、勇気を出して手に取って拝見させていただいた。遠目に見ていた店員さんの手前、玄人らしく平静を装ったんだけど、ドキドキしていたのがバレたかなあ…。宝満堂の明治の七宝焼コレクションは眼福だった。小品だが優品揃い。「輸出用につくられたものが多いので、国内にはあまり残っていないんです」と店員さん。並河靖之の『龍文瓢形花瓶』はめずらしい図柄だと思う。うわ~欲しい…。

 このほか、銅鏡、青磁、根来、絵唐津、蒔絵、朝鮮陶磁器など、工芸品に目を引くものが多かった。あと、刀剣もケースなしでむき出しに展示されているのにはびっくりした。離れたところに、警備員さんがいるにはいたけど。また、店員さんの話を立ち聞きするのも楽しみのひとつ。さすが作品(商品)に関する知識豊富で、下手な学芸員のギャラリートークより面白い。「これは模本だからそんなにしないよ、300万円くらい」とか「これは1千万はいくねえ」なんて声がぼそっと聞こえることもある。
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自由と解放、そして幻滅/ポピュリズムへの反撃(山口二郎)

2010-10-17 22:27:07 | 読んだもの(書籍)
○山口二郎『ポピュリズムへの反撃:現代民主主義復活の条件』(角川Oneテーマ21) 角川書店 2010.10

 私は、もともと政治に関心があるほうではない。90年ごろまで日本の政治状況は、素人があれこれ論ずる必要を感じなかった。小さなトラブルや対立はあっても、最後は落ち着くべきところに落ち着くと思っていた。ところが、最近は、政治家も有権者も、それから有権者予備軍である若者も、肝の冷えるような暴走と迷走を繰り返している。「危険な政治家、自殺的な政策」に対する、あの無責任な熱狂は何なのか。

 本書は、ポピュリズムという切り口から、この10年間の日本の政治について考えたものである。ただし、小泉構造改革以来の10年間の分析はあまり詳しくない。この1年間が多事多端すぎて(鳩山内閣誕生から退陣、菅内閣誕生、民主党代表選)、その同時進行の分析だけで紙面を使いはたしてしまった感がある。

 ポピュリズムとは「大衆のエネルギーを動員しながら一定の政治目標を実現する手法」をいう。いや、むしろ、政治学者バーナード・クリックによる「ポピュリズムとは、多数派を決起させること」「多数派とは、自分たちは今、政治的統合体の外部に追いやられており、教養ある支配層から蔑視され見くびられている(略)と考えているような人々である」という説明のほうが、分かりやすいかもしれない。この不満をバネに「多数派」の人々は、富の再分配、「われわれ」と「奴ら」の線の引き直しを求める。このとき、大きな威力を発揮するのが、メディアによってつくられた「ステレオタイプ」である。

 著者は、ポピュリズムやステレオタイプを全否定しているわけではない。19世紀~20世紀半ばまでのポピュリズム(大衆動員)は、圧倒的に実質上の平等を求める運動だった。また、人間はステレオタイプなしに生きていくことはできない。しかし、20世紀半ば以降のポピュリスト的リーダーは、根拠のない(客観的な経済格差や不平等構造と対応しない)「われわれと奴ら」の線引きを描き出すことで、「奴ら」に対する多数派の不信と憎悪を掻き立て、自滅的な「改革」を成功させてしまった。ここに問題がある。

 では、どうすればよいか。著者は、もう一度、みんなが理性的になって、意味のある対立軸にしたがって政治的選択をしていく「古典的な民主主義」に戻ることはもうないだろう、とはっきり述べている。え~身も蓋もない…と思ったけど、ムダな期待は抱かせないのが、学者の良心というものか。でも、詳しく読んでいくと、著者が具体的に政治家に求めることは「現実認識に立った政策決定」だったり「各党間の徹底的な政策論議」だったりして、これは、やっぱり理性的で古典的な民主主義に戻れってことじゃないのかな、と首をひねった。

 われわれ有権者へのクスリとして、著者は、自由と解放の後に幻滅は不可避である、という堀田善衛氏のことば(『天上大風』)を引用している。嬉しいな。私も堀田善衛さんのこの本、大好きなので。戦後生まれの日本人は、この度の政権交代によって「自由と解放」そして「幻滅」という政治的経験を、ようやく一周したに過ぎない。いまの政治家と有権者に必要なのは、次の選択肢にすばやく乗り換える消費者マインドではなく、幻滅を乗り越え、しつこく、しぶとく政治の変化を追求していく覚悟だと思う。

 「民主主義とは優れたリーダーがてきぱきと仕事をこなしてくれる仕組みではありません」というのも、いい言葉だと思った。優れたリーダーを待望する言説には気をつけよう。民主主義は、いつも弱さや幻滅とともにある、本質的にカッコ悪いものなのだ。
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川越祭り2010

2010-10-17 02:48:53 | なごみ写真帖
埼玉に3年間住んでいて、あまりいいことはなかったが、川越祭りだけは楽しかった。誰に教えられたわけでもないが、通っているうちに、だんだん見どころが分かってきた。

川越まつり」公式サイトを見ると、29台の山車が掲載されている。毎年、全ての山車が登場するわけではなく、今年の参加は17台。

山車には囃子連が乗り込む。笛1、大太鼓1、締太鼓2、鉦1の五人囃子で、リズムとメロディーは流派や囃子連によって異なる。はじめ、舞い手は山車によって異なる扮装をするのかと思っていたら、そうではなくて、どの山車にも、数人=数種類(天狐、オカメなど)の舞い手が乗り込み、交替に踊るらしい。私は、なんと言ってもキツネたちが大好きだ。川越まつりの主役は彼らだと言ってもいいような気がする。

↓野田五町、八幡太郎の山車。緋の袴に金襴の衣装。


↓今成町、鈿女(うずめ)の山車。白の行者服が黄の幔幕に映え、激しく舞う。


↓連雀町、道灌の山車。白の行者服、肉色の面がちょっと怖い。


↓幸町、小狐丸の山車。細面で耳の長い変わった面。山羊みたいな顔だ。


↓松江町二丁目、浦島の山車。上下赤の行者服。


↓宮下町、日本武尊の山車。川越市役所のさらに奥の住宅街を本拠とし、ちょうど「曳っかわせ」に出立するところを目撃した。金襴のちゃんちゃんこを着けたキツネが舞台から大きく身を乗り出し、出陣の指揮を執る総大将のように舞う。


みんな、カッコいい!!!

むかしは江戸の「音」といえば三味線だと思っていたが、絃の入らないお囃子もいいなあと思うようになった。笛と鉦・太鼓って単純だが、十分に聴ける。飽きない。
コメント
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