見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ナショナル・ヒストリーの終わり/ポスト戦後社会(吉見俊哉)

2009-01-29 23:32:32 | 読んだもの(書籍)
○吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書:シリーズ日本近現代史9) 岩波書店 2009.1

 最近、直近の現代史に真正面から取り組んだ本が目につく。それは、いわゆる「近代史」の枠組みでは、もう現在の社会状況を十分に論じ切れなくなっているためではないかと思う。

 本書は、「戦後」を「戦時」との連続性において把握し、1960年代の高度経済成長を「戦時期を通じて強化されてきた総力戦体制の最終局面」であったと考える。それでは「戦後」から「ポスト戦後」への転換は、いつ起きたのか。著者が参照するのは、見田宗介『現代日本の感覚と思想』である。見田は、70年代初めまでの「理想」および「夢」の時代に対して、80年代以降を「虚構」の時代と名づける。私は見田の本は読んでいないが、大澤真幸『不可能性の時代』も、同様に見田の時代区分を採用していた。

 本書の冒頭には「戦後社会」と「ポスト戦後社会」を象徴するアイテム(事件、キーワード)を手際よくまとめた対比表が掲載されている(ix頁)。たとえば、冷戦とポスト冷戦。重化学工業と情報サービス産業。永山則夫と宮崎勤。連合赤軍事件とオウム真理教事件、など。でも、いちばん重要なのは、福祉国家から新自由主義という舵の切り方(その裏面で進行するグローバリゼーション)だったのではないかと思う。

 そして、90年代以降、新しい段階を迎えた日本社会、それはもはや「ポスト・ポスト戦後」と呼ぶべきなのだろうか。グローバリゼーションの結果として、「日本」は、2つの異質な存在に分裂しつつある。片や、アジアを覆うグローバル資本としての「JAPAN」。片や、崩壊する地場産業や限界状況の農村を抱えてもがく「国土」――著者は、もともと政治経済の専門家ではないので「いかにも俄か勉強の域を出ない」と謙虚だが、多数の実例を踏まえ、無定見な開発行政が地域に残していったものを、冷静・詳細に記述しており、読み応えがある。さらに、日本の大衆文化の海外(特にアジア)進出、外国人労働力の流入が相まって、今や「日本」という歴史的主体は崩壊しつつあるのではないか、と著者はいう。

 確かに、私たちは「『日本史』がもはや不可能になる時代を生きている」のかもしれない。小森陽一・高橋哲哉らが『ナショナル・ヒストリーを超えて』というタイトルの本を出したのが1998年。あの本の趣旨は「如何にすれば(主体的に)ナショナル・ヒストリーを超えられるか」だったと思うが、結果的に、現実のほうが容赦なく先に行ってしまったような気がする。

 それでも、この絶望的に閉塞的な状況にもかかわらず「異なる複数の未来」があることを信じ、新しい歴史的主体を立ち上げていくことに希望を託して本書は結ばれている。困難の中でも、心に小さな灯がともるような読後感が嬉しい。学者の書く本はこうでなくちゃ。同じ著者が「戦後」日本社会を論じた『親米と反米』も併せてぜひ。
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『築嶋物語』に再会/日本の民画(日本民藝館)

2009-01-28 23:42:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
○日本民藝館 特別展『日本の民画-大津絵と泥絵-』(2009年1月6日~3月22日)

http://www.mingeikan.or.jp/home.html

 松濤美術館から井の頭線で1駅、展覧会をハシゴ。滋賀県大津の名物「大津絵」と、安価な泥絵の具で描かれた「泥絵」を特集する。どちらも民衆のたのしみとして作られ、消費されたものだ。2階に上がると、大階段を取り巻く展示ケースには、多数の大津絵を展示。私は、素朴な信仰心のうかがえる初期の作品が好きだ。だんだん商品化し、画題が固定化するとつまらなくなる。

 いちばん大きい展示室に入ると雰囲気が一変、ここは泥絵で統一されていた。多くは風景画で、視点を大きく引いたパノラマ風景に、人物は皆無か、極端に小さく配されている。深い青色の空が画面の半分以上を占め、野山の緑か、なまこ壁の白と黒、まれにわずかな赤(神社の鳥居など)が配されるくらいなので、展示室全体に静謐な空気が漂っていた。アメリカ開拓時代のナイーブ・ペインティングに、少し似ていると思う(絵本『ちいさいおうち』とか)。

 稀少な人物画の1例、だぼっとした縞ズボンに帽子・マントの西洋人全身図を描いた『紅毛人図』は(私の好きな)亜欧堂田善の作。いかつい鼻が、やや日本人離れしているが、黒目・直毛で、あまりバタ臭くない。他にも西洋人の肖像画が2点あったが、いずれも写実的で、対象の個性に肉薄しようという画家の真摯な姿勢がうかがえる。錦絵に描かれたステレオタイプな洋人図とは、ずいぶん違うと思った。

 六曲屏風『江戸湾御固メ図』は歴史資料として面白かった。嘉永7年(1854)ペリー2度目の来航を描いたものらしい。ちなみに画中の洋船は8隻。手前の伊豆下田から画面奥の房総半島まで旗指物が並び、「大森、井伊掃部頭」「鮫洲、松平土佐守」などの注釈が添えられている。

 常設展示では、江戸時代の和時計が面白かったり、壬生狂言の木彫の面が愛らしかったり(いちばん小さいのは犬?)、日本の陶器・古丹波の魅力に開眼したりした(大きいのも小さいのも、黒いのも白いのも、いいなあ)。そして、「日本の民画(大津絵)」の部屋で、ふと平ケースを覗き込んで、驚愕。『築嶋物語』ではないか~! ついさっき、松濤美術館『素朴美の系譜』の会場で南伸坊氏が「築嶋物語ってあるでしょ」と話題にされていた、まさにその作品である。うわ~「今、公開中ですよ」と教えて差し上げたかった。私は、2007年の『日本美術が笑う』展で見たのが唯一で、所蔵館である日本民藝館で見るのは初めてのことだ。

 今回は、上下2巻が、それぞれ1メートルくらいずつ開けてある。上巻は評議の場と、人夫たちが山を崩して水辺に築嶋をつくろうとしているところ(多分)。下巻は鳥籠のようなものに囚われた男女が(坊主から姫君まで)数名。そのまわりで悲しむ人々の姿も見える。人柱にされるところだろうか? つぶれたオニギリに頭を載せたような表現なのに、うなだれて悲しむ様子だと分かるのは、この絵師、実は巧いのかもしれない。

 同展は3月まで。前庭の梅が咲く頃に訪ねるのも一興である。

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笑いと信仰/素朴美の系譜(松濤美術館)

2009-01-27 21:58:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○松濤美術館 『素朴美の系譜-江戸から大正・昭和へ』(2008年12月9日~2009年1月25日)

http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/index.html

 ものすごく見どころが多かったので、極力話題を絞ってレポート。冒頭の『熊野縁起絵巻断簡』(室町時代)を見て、あれ?見覚えがあるぞ、と記憶をたどる。昨年秋、東京美術倶楽部で行われた『東美アートフェア』(展示即売会)で見たように思う。ギャラリートークの山下裕二先生が「僕は物語絵をひとつ買いました。暮れから松濤美術館で展示します」とおっしゃっていたのは、これのことではないかしら?(違ったら失礼)。この展覧会は、日本の絵画史の中で、時代を超えて愛されてきた「素朴美」の系譜を紹介する。息を呑んだのは、サントリー美術館蔵の奈良絵本『かるかや』(室町時代)。素朴美の極北みたいな作品である。いや、よくこんなものを購入(?)したなあ…。

 蕪村の飄逸な水墨画の隣りに、やたらと派手な六道絵(額装5幅)が掛けてあった。展覧会の副題が「江戸から大正・昭和へ」であったので、現代作家との異色コラボ演出かな?と思って解説を読んだら、嘉永2年(1849)の年記を持つ「江戸後期の庶民的な宗教画を代表する作品」だという。びっくりした。どぎつい色彩、奔放な構成は、ものすごい破壊力である。

 第1幅は、黒天を背景にベタ塗りの赤い炎が渦巻く地獄。天から下る亡者の列は、垂れ下がった頭髪がゆっくりした動きを暗示させる。怪獣映画のように火を噴く龍。画中に「阿鼻城」の文字が見える。第2幅「焦熱之楼」は、白馬に乗った地蔵菩薩が、救済者どころか、地獄の王者のように威風あたりを払う。第3幅「黒縄所」は閻魔王裁きの図。第4幅「修羅」では、甲冑姿の武士が海辺で死闘を繰り広げる。はるか上空から火球を降らす雷神は、黙示録のよう。極端な遠近法が、奥行きのある画面を演出する。第5幅は「餓鬼・畜生道」。東京・品川区の長徳寺(→個人サイト)に伝わり、区指定文化財の扱いは受けているようだが、この晴れ舞台に引き出してきた企画者の眼力に拍手。

 ひときわ観客の目を引くのは、堂々とした金屏風。洛中洛外図らしい。ところが、近づいてみると、しりあがり寿みたいな脱力系の絵。これは、2007年、森美術館の『日本美術が笑う』展で見たものではないか?! 記憶に残る"サルの曲芸"を見つけて、やっぱり、と頷く。イソギンチャクみたいに腰くだけの石灯籠とか、長大な柱に支えられた、ありえない木造建築(→ギリシャ神殿かよ!)とか、ツッコミどころの多い絵だ。

 そのとき、学芸員さんらしき男性に案内された、妙にガタイのいい白髪のオジサンが隣にやってきた。オジサンは、ああ、うんうんと熱心に相槌をうちながら説明を聴いている。顔を上げてびっくりした。南伸坊氏ではないか?! 失礼と思いながら、思わず会話に聞き耳を立ててしまった。「あの、築嶋物語ってあるでしょ」と南氏。「あれは意外と線なんか描き慣れた感じなんだよね。でもこの屏風はほんとに下手だねえ」と感に堪えたようにおっしゃる。「山下先生は、この石灯籠がお気に入りなんですよ」と学芸員氏。あ、やっぱり、そこに注目するか~。

 水墨画では、白隠の弟子、東嶺円慈(とうれいえんじ)がよかった。私は、永青文庫の『白隠とその弟子たち』では、遂翁元盧(すいおうげんろ)にハマったのだが、東嶺和尚もなかなかいいね。前日、千葉市美術館で見てきた浦上玉堂もしみじみ味わう。大津絵では虎の真似をする(?)『竹に龍』がツボにはまる。

 横井弘三(1889-1965)の名前は初めて知ったが、大正年間に雑誌『子供之友』に掲載された童画の数々を見ていると、むしょうに懐かしい、既視感がある。ここでも「とにかくユニークな言動の人だった」という学芸員氏の説明を横で聞かせてもらった。関東大震災で被災した子供たちのために、小学校に寄贈した絵画には(小さい声で)「ウンコとか描いちゃうし」。え、これって巻貝じゃないの…。

 最後に、リーズナブルな価格に抑えた図録が嬉しかった。※絵巻『築嶋(つきしま)物語』をめぐる意外な展開は、明日以降、日本民藝館のレポートに続く。
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岡山ゆかりの画人たち/雪舟と水墨画(千葉市美術館)

2009-01-26 09:15:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
○千葉市美術館 岡山県立美術館所蔵『雪舟と水墨画』(2008年12月20日~2009年1月25日)

http://www.ccma-net.jp/

 千葉市美術館のホームページによれば、岡山県立美術館は水墨画の展示を方針の一つとし、中国宋代、日本中世にまで遡る水墨画の名品を収集してきたという。へえ~初めて知った。岡山県立美術館について検索してみても、「郷土ゆかりの芸術家のすぐれた作品を収集・展示するとともに、内外の芸術活動を紹介する展覧会やイベントを開催し、県民の幅広い文化活動の発展に寄与することを目的として設置されました」という、あってもなくてもよさそうな設置目的しか掲載されていない。もっとも、上記の「郷土ゆかりの芸術家」の中に、雪舟(備中赤浜=現・岡山県総社市出身)、宮本武蔵、浦上玉堂ら水墨画の巨匠が含まれるらしいのだが、そんなことは岡山県人でなければ分からないと思う。

 展示室の冒頭に掲げられたのは、玉澗の『廬山図』(自讃入り)。もやもやした毛玉のようなもの(獅子舞の背中みたい)が3つ並んでいて、山の頂のつもりなのだろう。正直、水墨画って、20世紀の抽象絵画と同じくらいよく分からないなあ。そのあとも、夏珪、馬遠など南宋のビッグネームが続く。「伝」とあるので、本当に彼らの作品か分からないが…まあいいや。伝・馬遠筆『高士探梅図』は、小さいながらも端正な佳品。胡粉を点じて表された白梅が爽やか。中空に串の取れた団子のような月が漂う。

 伝・月壺筆『白衣観音図』は、おや!昨年11月、徳川美術館の『室町将軍家の至宝を探る』で見て、いたく気に入った作品。実は、本展随一の呼びもの、牧谿の『老子図』(鼻毛の老子)も、徳川美術館で出会って、なんとコメントすべきか、困ってしまった作品である。

 日本の作品では雪村周継の『瀟湘八景図屏風』が素晴らしかった。濃密な靄か霞の中に、千切れたように浮かぶ山の峰。全てが生焼きのパン生地みたいに不定形で、ぶよぶよしている。丸みを帯びた山のかたちは、中国大陸ではなくて、吉野山あたりを思わせる。雪村は特に岡山と関係なさそうだが、まあいいことにしておこう。

 宮本武蔵の水墨画も意外といいなあ。『布袋竹雀翡翠古木図』の三幅対は、左右に描かれたカワセミとスズメの剽悍な表情がいい。『遊鴨図』のカモはカモノハシみたいな顔をしている。浦上玉堂は気持ちの悪いヘンな絵を描く画家だと思っていたが、小品『春山染雨図』には惹きつけられた。西洋の表現主義、たとえばムンクのエッチングやリトグラフに通じるものを感じる。浦上春琴は玉堂の長男だが、ぜんぜん画風が違っていて、女性的で親しみやすい花鳥画を描く。父の作品よりよく売れたというのには納得。肝腎の雪舟は『山水図(倣玉澗)』が見どころだろうが、私は『渡唐天神図』が気に入った。神格化された天神のイコンではなくて、かなり生々しい(生臭い)人物画である。どことなく唐太宗・李世民を思わせる。

 水墨画という作品の性質上、展覧会の会期が短めだったのが、ちょっと残念。でも、都道府県や市町村立の美術館・博物館のコレクションの出開帳は、どんどんやってほしいと思う。
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つくられる国民/文明国をめざして(牧原憲夫)

2009-01-25 23:58:39 | 読んだもの(書籍)
○牧原憲夫『文明国をめざして』(全集 日本の歴史 第13巻) 小学館 2008.12

 幕末から明治時代前期を論じる。私がこの時代に興味を持ったのは、つい3、4年前のことだ。それまでは、中学生程度の知識もなかったから、手当たり次第に目につく本を読んで、何を読んでも面白いと思った。最近は、さすがに読む本を選別するようになってきた。

 本書を読もうと決めたのは、口絵のカラー図版が一風変わっていたからだ。体操教育普及のために作られた「新式小学体育双六」、伊万里焼の「染付時計図八角皿」、金ぴかの台紙に貼られた「鹿鳴館のメニュー」等々。常識的に考えて「幕末明治」を語るなら、偉人のイコンとか年表に載る大事件とか、もっと別の選択もあろうものを、本書は、徹底して普通の人々の生活の視座から、この時代を論じようとしていることが、図版からうかがえた。

 当時の庶民にとって、突如降って湧いた「御一新(近代化)」とは何だったかといえば、次の表現に集約されるだろう。「要するに、お上に仁政を求めず、富者に徳義を求めず、神仏に現世利益を祈らず、乞食や障碍者のような弱者は追い払い、祭りがなくともひたすら勤勉に働き、誰の厄介にもならない『独立』した『個人』となること、それが文明開化というものなのだ」。

 為政者・指導者の側には、そういう「独立した個人」をひとりでも多く促成栽培的に輩出しなければ(この考え方が既に自己矛盾なのだけど)、遠からず日本は帝国列強の餌食になってしまう、という強い危機意識があった(そうですよね、福沢先生)。だから、被差別民の解放を含め、四民平等を徹底することで、社会の「客分」意識を葬り去り、教育・徴兵・納税システムの整備はもちろん、裸体や立ち小便の禁止、施餓鬼や念仏踊りの禁止など、身体や習俗のレベルに及ぶ徹底した管理によって、近代の国民=帝国の臣民をつくり出そうとしたのである。

 「客分」の自由か、義務(束縛)の付随する権利か、という問題は、このあと、女性や植民地住民などのマイノリティ・グループについても、繰り返される。基本的には、均質化の方向を否定できないと思うけど、どこかで「客分」(異人)の存在を許容する、ゆるい社会のほうが、息がつまらなくて私は好きだ。実際、明治前期の社会を見ていても、御一新直後の「文明化」の行き過ぎに対しては、かなり揺り戻しが起きている。

 ただし、怖いのは「お祭り騒ぎ大好き」という、日本人の「秩序逸脱的な情性」が堤防を決壊させたときの危険性で、明治20年代のジャーナリストが既に指摘している。この危険性は、幾度かの戦争を経て、今日に至るまで変わっていないなあ、と思う。
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大満足!/K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝

2009-01-24 23:41:55 | 見たもの(Webサイト・TV)
○佐藤嗣麻子監督・脚本『K-20(TWENTY)怪人二十面相・伝』

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD13323/index.html

 昨年末、たまたま本屋でポプラ文庫の江戸川乱歩シリーズを見つけ、この映画のことを知った。公式サイト(※音が出ます)の予告編がなかなかよかったので、公開を楽しみに待っていた。

 第2次世界大戦を回避した日本を想定し、1949年の架空都市「帝都」を舞台に物語は始まる。孤児たちが集まる「のがみ(野上)」って上野のことなんだろうな。サーカスの人気曲芸師、遠藤平吉(金城武)は、謎の紳士の罠にはめられ、怪人二十面相と間違えられてしまう。脱獄はしたものの、帰る場所を失った平吉は、天才からくり師・源治(國村隼)の助力を得て、泥棒修行に励むうち、二十面相が狙っているのが、強力な兵器にもなり得る無線送電システム「テスラ装置」であることを知る。鍵を握るのは羽柴財閥令嬢の葉子(松たか子)。彼女は、明智小五郎(仲村トオル)の婚約者でもあった…。

 面白かった。はじめは、どこかで激しく期待を裏切られるのではないかとドキドキしていた。たとえば、妙に社会派ぶって説教臭くなるとか、壮大な設定のわりにビジュアルがチャチで入り込めないとか、いろいろ心配はあったのだが、全て杞憂に終わった。日本映画も、こんな洒落たエンターテイメントが作れるようになったのか。感心した。

 主演・金城武の、二枚目なのにちょっと間抜けなヒーローぶりは、実にチャーミングだった。アクションは、もちろんワイヤーや吹き替えを使っているんだろうけど、観客にアピールするツボを心得ていて、心からわくわくしてしまう。やっぱりあれは中華映画のキャリアかしら? これまでに見た彼の出演作では、いちばん好きだ。ぶっとんだお嬢様の松たか子もいいし、國村隼をはじめとする渋い脇役陣もいい。平吉と対峙する二十面相は、もうちょっとこわもてであってほしかったなあ。マスク姿はキマっているのだが、正体がバレたあとは、ちょっと線が細すぎる。むしろ変装中の姿を演じた鹿賀丈史にやってほしかった。

 この映画、80~90年代に作ろうとしたら、アニメでしか実現できなかっただろうと思う(鉄冑の陸軍兵士たちが平吉に殺到するところは「カリオストロの城」みたいだった)。でも、今は、超人的なアクションも、SF的な破壊装置も、新旧文化の入り混じる架空都市も、「実写」でビジュアル化できてしまう。その映像技術を、しみじみすごいと思った。実在の建物を使ったロケも行われているものと思われ、最後のクレジットをじっと見ていたら、上海、それから門司地区、九州大学などの名前があがっていた。

 二代目(?)怪人二十面相として生きることを決意して、さわやかな笑顔を残し、帝都の闇に消えていった平吉の活躍をまた見てみたい。ただし、北村想の原作『怪人二十面相・伝』に匹敵する続編が構想できれば、の話である。なお、テスラ装置は全くの荒唐無稽ではないそうで、科学者ニコラ・テスラについてはこちら(→Wikipedia)。
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リズムとスピード/文字の力・書のチカラ(出光美術館)

2009-01-23 23:19:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 『文字の力・書のチカラ-古典と現代の対話-』(2009年1月10日~2月15日)

http://www.idemitsu.co.jp/museum/

 古代から現代まで、多様な書の魅力に迫る展覧会。冒頭は漢字2文字や3文字を大書した禅僧等の扁額が並ぶ。それから、5~7文字の一行書。スピード感があって気持ちいい。畳目が写って見えるような書もあって、榊原悟さんが江戸絵画の特徴として挙げられた「即画(即席画)」のパフォーマンスって、書の伝統とのかかわりもあるんじゃないか、と思った。

 仮名では、忘れてならない古筆手鑑『見努世友(みぬよのとも)』。2005年の『平安の仮名、鎌倉の仮名』展以来だろうか。前回と同じく(?)紀貫之の高野切を貼った丁から開いてあった。すぐ後に「三蹟」こと小野道風・藤原佐理・藤原行成が続くので、ここを外すわけにはいかないのだろう。また「鼠跡心経」(→臨川書店)と呼ばれる般若心経の貼り込みも展示されているが、なんでこれが空海筆と言われるようになったのかなあ。下手すぎ。

 うーん、と唸ったのは『継色紙』(伝・小野道風筆)。粘葉装の冊子本を開いて貼ったもの(→文化遺産オンライン)だが、展示品は、右が青色、左が黄色という対照的な料紙を用いている上に、右(青色)の丁は空白なのだ。あまりにも絵画的すぎてズルイ。パウル・クレーの絵みたい。左(黄色)の料紙には「あめにより た/みのゝしまを/けふみれは」という上の句だけが、現代詩のように投げ出されている(古今918 紀貫之か)。『石山切』(伝・藤原公任筆)は料紙も筆跡も本当にきれいだ。筆跡はリズミカルな肥痩を繰り返しながらも、力強さとみずみずしさを失わず、絶対に掠れないところがすごい。これぞ王朝の美学だと思う。書家・深山龍洞氏が心血をそそいだ昭和の模作を並べて楽しむことができる。

 縦線の太さ・横線の細さが極端な「定家流」を説明して「アラビア文字を髣髴とさせる」と書いてあったのは、唐突だけど上手い比喩だと思って苦笑させられた。展示の最後に、甲骨文字・楔形文字など珍しい考古資料に加えて、アラビア文字(クーファ書体)のコーラン片も見ることができるので、検証してみてほしい。光悦を評して「当時の前衛」であるとか、本展は解説の文言がさりげなく面白い。

 それから『開通褒斜道刻(かいつうほうやどうこくせき)』(拓本)とは思わぬ再会。以前、日本民藝館で見た拓本は、得体の知れない妖気みたいなものを感じたが、これはそれほどでもなかった。でも、なるほどゴチック書体に似ていて、変わった石刻文である。
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学者も庶民も/おらんだの楽しみ方(たばこと塩の博物館)

2009-01-22 23:17:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
○たばこと塩の博物館 開館30周年記念特別展『おらんだの楽しみ方-江戸の舶来文物と蔫録(えんろく)』(2008年12月13日~2009年1月25日)

http://www.jti.co.jp/Culture/museum/WelcomeJ.html

 暮れから楽しみにしていた展覧会。江戸時代、オランダ貿易を通じて日本にもたらされたヨーロッパの文物、風習を紹介する。たとえば金唐革(きんからかわ)。なめし革に金泥や彩色で様々の模様を描いたものをいう(→古代の作品)。日本では、これを札入や煙草入れに用いた(→日本の袋物)。特に天使の姿が描かれたものは「人形手」と呼ばれて珍重された。『装剣奇賞』(天明元年=1781)という、根付や印籠について解説した本に載せられた、ある天使の姿は、何種類かの浮世絵に転用されている。東京日々新聞の天使たちみたいだ。

 金糸で文様を織り出した高級毛織物は、金華山織(きんかざんおり)と呼ばれて珍重され、これも煙草入れに使われた。おしゃれだな~。今では特に珍しくもないガラスの瓶や器も当時は貴重だった。付属の木箱に黒々と記された「蘭人持渡キリコ徳利」「長崎ニテ求之」などの墨書が、持ち主の興奮を今に伝えてくれる。

 面白かったのは、異国人の登場する江戸時代の絵入り小説本3点。全頁が写真パネルで詳しく紹介されている。『黄金山福蔵実記(こがねのやまふくぞうじっき)』(安永7年=1778)は、オランダ人の父と遊女の母を持つ福蔵が、透視鏡を用いて医者として成功する物語。『中華手本唐人蔵(からでほんとうじんぐら)』(寛政8年=1796)は、もちろん『仮名手本忠臣蔵』のパロディ。塩治判官の家臣たちが、出て行く城を名残惜しげに望遠鏡で眺めていたり、新しい城代の山名氏がメガホンで罵っていたりするのが秀逸(→早大図書館)。これは草双紙の中でも大人向けの「黄表紙」に分類されている。『和漢蘭雑語(わからんものがたり)』(享和3年=1803)は、オランダ人・中国人・日本人が入り乱れてのシュールな恋の鞘当て騒動。どれも人種差別的な偏見がないとは言えないが、あんまり馬鹿馬鹿しくて、笑ってしまう。

 書籍で忘れてならないのは、山東京伝作『箕間尺参人酩酊(みけんじゃくさんにんなまえい』(寛政6年=1794)。絵入り貼り題簽の四囲をアルファベット文字で飾る(→早大図書館)。アルファベット(らしきもの)を装飾に用いた浮世絵や挿絵は他にもあるが、さすが才人・京伝なのは、このアルファベットをオランダ風に読むと「いおはにほへり」「いやいやそばきりそおめんこ」と、どことなく日本語ふうに読めること。また徹底的に無意味なところがいい。

 最後のセクションでは、蘭学者・大槻玄沢(1757-1827)とその著書『蔫録(えんろく)』を紹介する。和漢蘭の文献を渉猟したタバコ博物大全というべきもの。玄沢は大の煙草好きだった。あんまり熱が入り過ぎて、同書は出版不許可となり(蘭学者所蔵の喫煙具を掲載したためとも)、結局、文化6年(1809)私家版として刊行された。調べてみたら、蘭学者ばかりでなく、国学者の本居宣長(1730-1801)も、儒学者の荻生徂徠(1666-1728)も、愛煙家だったそうだ。中国には四庫全書の総纂官・紀(暁嵐)先生(1724-1805)もいるし、学者といえばヘビースモーカーのイメージは、近年まで残存していたが、だんだん過去のものになっていくんだろうなあ。
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茶道具の名品もあり/未来をひらく福澤諭吉展(東博)

2009-01-20 23:31:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 慶應義塾創立150年記念 特別展『未来をひらく福澤諭吉展』 (2009年1月10日~3月8日)

http://www.tnm.go.jp/

 幕末明治の代表的知識人、福沢諭吉(1835-1901)の思想と活動を紹介する展覧会。ただし、最後に驚くべき「おまけ」が付いている。

 私は福沢というオジサンが、けっこう好きだ。まずビジュアルが、なかなかよい。特に若い頃の写真は、目が大きく、鼻筋が通っていて、男前の部類だと思う。そのうえ、身長173センチの大男だったというのは初めて知った。そりゃあ西洋人の前に出ても物怖じしないわけだ。さらに居合の達人で、晩年まで健康のため居合稽古に明け暮れた。慶応義塾の校章に「ペンは剣よりも強し」を掲げた福沢だが、剣も強かったのである。また、散歩党と称して、早朝から塾生を引き連れて散歩したり、米搗きも健康管理のための日課だったという。愛用の居合刀、散歩杖、重たそうな臼と杵などを興味深く眺めた。

 当然ながらこの展覧会には、貴重な書籍が多数展示されている。諭吉の名前の由来になったとされる父・百助旧蔵の漢籍『上諭条例』とか、福沢家旧蔵と伝える『ヅーフ・ハルマ』写本(蘭和辞典)とか。杉田玄白(1733-1817)の『蘭学事始』って、明治になってから福沢諭吉が刊行しているのか~。玄白の没年と福沢の生年って20年ほどの差しかないんだなあ、ということにあらためて驚く。『ピネヲ氏プライマリー文典』『クアッケンボス氏合衆国歴史』など、近代初期の高等教育で広く用いられた洋書教科書もなつかしかった。

 私は『福翁自伝』を読んで、壮年期までの福沢とは馴染みになっていたが、後半生については初めて知ることが多かった。明治14年(1881)の政変以後、伊藤博文・井上馨に送った絶縁状(控)は、黒々とした推敲の跡が目に刺さるようだ。明治24年(1891)、旧幕臣の勝海舟と榎本武揚を批判した『瘠我慢之説』を贈呈された海舟は、やんわりといなすような返書を送っている。このへん、明治維新という激動の後には、何年にも渡って、息の詰まるような後始末の時代が続いたんだなあ、という感じがする。朝鮮の近代化を目指した政治的指導者・金玉均は、躍るような筆跡で「福沢先生我師也」と記す。生々しい歴史の刻印に、うまく言葉にならない感想が胸の中を去来する。

 福沢は、明治31年(1898年)脳出血で倒れ、いったんは回復した。これ以降、揮毫には「明治卅弐季後之福翁」という印章を用いたという。私は、福沢の書は、この印のある晩年の作のほうが味わい深くて好きだ。明治34年(1901年)没。このときの病床記録も慶応大学図書館に保管されているが、患者姓名欄に「福沢先生」とあるのが、可笑しくて泣かせる。

 さて、会場である表慶館をぐるりとまわって、1階→2階→再び1階に下りてきたところで、展示内容がガラリと変わる。ここからは「福沢門下生による美術コレクション」を紹介。この「門下生」が半端な顔ぶれではない。益田鈍翁の次弟、末弟、それに松永耳庵。展示品は、光悦、仁清、長次郎あり。伊賀耳付花入(銘・業平)も最高にいい。ところが、残念なことに福沢諭吉や慶応大学に興味があって、この展示を見に来た人たちは、美術品には関心が薄いらしい。せっかくの名品の前でも立ち止まる人は少ない。このセクションだけで、ひとつの特別展と称してもいいくらいの品揃え(→展示リスト)なのにもったいない! 古美術ファンの皆様、騙されたと思って、福沢諭吉展に来場を請う。なんと常設展の本館2階には、松永耳庵旧蔵の『釈迦金棺出現図』も京博から上京中である。

■『未来をひらく福澤諭吉展』公式サイト
http://www.fukuzawa2009.jp/

■MSN産経ニュース:福沢諭吉の新たな写真発見、オランダで(2008/10/25)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081025/acd0810251940007-n1.htm
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『長谷雄草紙』お見逃しなく!/源氏千年と物語絵(永青文庫)

2009-01-19 22:11:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
○永青文庫 冬季展『源氏千年と物語絵』(2009年1月10日~3月15日)

http://www.eiseibunko.com/

 どうなんでしょう、この展覧会タイトル。人によって反応は異なると思うが、私は、ああ、また源氏千年紀か、と思って、スルーするところだった。ところが、ふと見たチラシに絵巻『長谷雄草紙』の写真を発見し、たちまち、頭に血がのぼってしまった。平安朝の高名な学者、紀長谷雄(きのはせお)が朱雀門で鬼と双六をして勝ち、絶世の美女を手に入れるが、百日の禁を破って抱こうとしたため、女は水になって消えてしまう――という妖しくエロチックな物語を知ったのは、80年代、澁澤龍彦か荒俣宏か小松和彦あたりの本だと思う(澁澤龍彦がこれを題材とした創作小説「女体消滅」は『唐草物語』所収)。以来、長年、見たい見たいと思い続けていた絵巻なのだ(→大絵巻展)。

 ありがたいことに永青文庫のホームページには、詳しい場面替え表が掲載されている。全場面見るには8回通わなければならないのか…。どうしても見たいのは「4」と「6」だが、何かと忙しい年度末、断れない休日出勤はあるわ、秘仏ご開帳もあるわで、先の予定が読めない。とりあえず初回を見に行ってきた。巻頭は「見知らぬ男、禁裏に出向しようとした長谷雄を訪ね、双六の勝負を挑む」という、平々凡々とした場面。絵師の筆は、お世辞にも巧いとは言い難い。けれど、この下手さが、尋常ならざる物語が進むにつれて、次第にいい味になるんだよな~。

 ほかにも興味深いものがたくさんあった。永青文庫は旧熊本藩主細川家ゆかりの美術館であるが、細川家の始祖・幽斎(藤孝、1534-1540)が、戦国武将の身で、同時に当代随一の源氏学者であったことは、恥ずかしながら初めて知った。そうであれば、永青文庫が「源氏千年」を祝うのは当然すぎる話である。幽斎が筆写した『源氏物語(紅白梅蒔絵箪笥入)』は、本文の横に丹念な注釈が書き込まれている。注釈は本文の10分の1ほどの細字だが、実に読みやすい筆跡である(話題の東大生のノートみたい)。

 江戸前期の『源氏物語(土佐派表紙絵付)』は、なんと表紙に絵が貼ってある! これは珍しい。地の表紙は金を散らしたような深黄色。そこにほぼ方形の2枚の紙を、ややずらして重ね貼りする。下側は金泥の草木文。上側に土佐派らしい人物風景図が描かれている。もとの色合いは分からないが、金・銀と墨線しか残っていないので、まるで蒔絵を見るようだ。昨年秋、熊本大学で初公開されたばかりというから、東京ではこれが初お目見えかな(→熊本大学附属図書館報[PDF])。

 『秋夜長物語絵巻』も初見だろうか。稚児と僧侶の恋物語。天空高く張り出した石山寺の縁先に寝そべった僧侶が、運命の恋人となる稚児・梅若を夢に見るところ、浮世離れした雰囲気が面白い。江戸時代の『絵入平家物語』は実に美麗だった。嫁入り本だろうというが、源氏や伊勢ならともかく、こんな勇ましいものを持って嫁入りすることもあったのか。あと、平家物語に取材した三所物(みところもの。刀剣のアクセサリー。目貫=めぬき、笄=こうがい、小柄=こづか)『源頼政鵺退治図』や、目貫『錣引(しころびき)図』がひそかにカッコよくて、思わず微笑んでしまった。

 もうひとつ、2階でお目にかかった意外な作品を記録しておきたい。『熱国之巻』で知られる今村紫紅の3幅対『三蔵・悟空・八戒』。のほほんとした雰囲気に心なごむ。今後、私のお気に入りとなりそうである。

 なお、永青文庫では昨年11月から、敷地内にある旧細川護貞邸を別館サロンとして公開している。おそるおそる入ってみると、セルフサービスの湯茶も用意されていて、陽だまりの庭を眺めながら、ゆっくりくつろげるスペースになっている。壁際には、細川護熙氏、息子の護光氏の陶芸作品が展示されている。細川護熙さん、いい作品つくるなあ。作業着姿の写真も、総理の頃よりずっといい顔をしていると思った。
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