見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

時代や産地を超えるもの/美の標準(日本民藝館)

2022-01-31 17:02:38 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本民藝館 特別展『美の標準-柳宗悦の眼による創作』(2022年1月10日~3月20日)

 いま東京国立近代美術館では『民藝の100年』展が開催されている(まだ見に行けていない)。ということは、同館の名品は近美に出払っているはずだから、こっちはどうなんだろう?と思ったが、そんな心配は全く無用だった。本展は、柳宗悦が「美の標準」として蒐集した多様な品々を展観する。という企画趣旨を事前に読んでもよく分からなかったが、展示を見た上で読み直すと、「時代や産地、用途などが異なりながら同一の美しさで通底」とか「同じ美の源泉から多種多様な姿で顕れた」という表現が、まさに!と実感できる。

 今回は、玄関を入ってすぐのしつらえがとても気に入ったので、大階段まわりから見ていくことにした。向かって左の展示ケースには拓本、印章、色紙和讃などの文字資料。壁には巨大な拓本『水牛山般若経』(北斉・山東省)。私は日本民藝館で見る拓本コレクションがとても好きで『漢蕩陰令張遷碑』(漢代・山東省)とか『鉄山匡喆刻経頌』(北周・山東省)『爨寶子(さんぽうし)』(東晋・雲南省)とか、難しい名前を必死でメモしてきて、あとでネットで調べている。

 右側の展示ケースには多様な小品。螺鈿の菓子箱や根来の茶入や鉄瓶と、フランスの緑釉皿、ドイツの陶製の乳注などが同居している。壁にはグレゴリオ聖歌の楽譜や西洋の民画、その下に『奈良絵扇面散画帖(扇の草紙)』(室町時代・16世紀)。分厚い折帖の4面だけ開いており、A4くらいの地紙に素朴な人物や動物を描いた扇面が3点ずつ貼られていた。走る馬に乗った貴人、僧侶(仏像?)を寝かせて運ぶ二人など、何の話なのか気になる。鍋のようなものを被った女性二人、扇面の外の文字に「つくまの」だけ読めた。筑摩の鍋かぶり祭だろうか。

 階段を上がると踊り場の展示ケースにも小品多数。大きな輪を転がして遊んでいるような『藍絵天使図タイル』がかわいい。左右の壁には筒描(つつがき)の布。右の絵幟、湖畔か川岸の城郭を描いた図かと思ったら『備中高松城水攻図』だった。手前に瓢箪の馬印が揺れている。

 大展示室へ向かう順路で目に入った展示ケースには、まるで茶室の床の間のように、小さな面具と口まわりの欠けた大きな壺が取り合わせてあった。どちらもモノクロに近い色味。奉納面(室町時代)には『迦楼羅』と名前がついていたが、鳥のくちばしは持たず、高い鼻が三角形にとがっている。

 大展示室は、ちょっと説明不能で、とにかく美しいものに囲まれた幸福感で満たされた。いちおう中程度以上の大きさの品には、時代や産地が簡潔に付記されているのだが、日本の室町時代の漆器の隣りにヨーロッパのガラス器や南米の陶器が並んでいても何の違和感もない。赤・白・緑や、丸・四角・三角という、色やかたちの取り合わせの妙が純粋に楽しい。まさに「時代や産地、用途などが異なりながら同一の美しさで通底」しているのだ。民藝って、日本の伝統回帰のように考えられがちだが、実はグローバルな「美の標準」であることを、あらためて感じた。

 産地等の説明なく「動物文様の工芸品」「山水文様の工芸品」みたいに小物を集めた展示ケースもおもしろかった。展示ケースに収まらない大型品を中心に、露出展示の品も多く、インドの吹きガラス瓶や韓国の煙突(磁器?銅製?)は初めて見たように思う。むかしの石油ストーブ?と思って近寄ったら、新羅時代の厨子だったのには苦笑した。

 その他の展示室は、1室だけ特別展関連で『伊勢参詣曼荼羅』2幅など、宗教・信仰に関するものを多く集めていた。『築島物語絵巻(つきしま)』もあり。高山寺印を持つ『神泉苑図』(鎌倉時代)は地味な文書絵図を切り取って表装したもの。粋人が茶掛けにでもしたのだろうか。いまホームページを見たら「小田原文化財団蔵」の注記がついていた。

 他は、柳宗悦、バーナード・リーチ、浜田庄司、河井寛次郎と棟方志功、芹沢銈介を1室ずつ特集していた。好きな作品もあるけれど、やっぱり時代や場所を超えた民藝の魅力と比べると、しょせん個人の力量は小さいなあと思った。

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染織コレクションを見る/文様のちから(根津美術館)

2022-01-29 23:27:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『文様のちから 技法に託す』(2022年1月8日~2月13日)

 工芸品の文様表現と技法に着目する展覧会。陶磁器・漆器・金工など、多様な工芸品が取り上げられているが、展示室1は着物と裂を中心に扱う。同館が染織品を主要なテーマとした展覧会を開催するのは2010年以来のことだという。いま調べたら、新創記念特別展・第6部『能面の心・装束の華 物語をうつす姿』のことかな? 私は染織品にあまり興味がないので、新創記念特別展・第1~8部のうち、この第6部だけ見ていない(笑)。なので、同館の染織品コレクションを見るのは初めてで、とても面白かった。

 主に江戸時代・18~19世紀の着物(小袖・法被・直垂など)が20件近く展示されていた。「繰り返し」は織り文様の基本だが、複雑で重厚感のある「唐織」が可能になったのは、16世紀に西陣で「空引機(そらびきばた)」が発明されて以降だという。ネットで画像検索すると、櫓のような織機の上と下に織り手が座っている写真が出てくる。このタイプ、どこかの博物館で実演を見た記憶があるのだが、日本だったか中国だったか…。

 この織機で織り出された『紫浅葱縹朱段秋草模様唐織』は、よく見ると繰り返しらしいが、基本パターンが複雑な上に、どのパターンでも糸の配色を変えているため、全く繰り返しに見えない。ものすごくゴージャスである。次に刺繍は織りよりも手間がかかるが、文様の自由度が上がる。本展のポスターにもなっている『茶地立涌雪持松模様縫箔』は、松の配置、雪の乗せ方に繊細な変化があり、ゆらゆらした躍動感があって愛らしい。

 さらに複雑なデザインを本展では「絵画的な文様」と名づける。感動したのは『紫絽地御簾に猫草花模様単』で、腰から上は平家物語の小督をイメージして秋草・几帳・筝を配し、腰から下は源氏物語の女三の宮をイメージして桜・御簾・猫を配す。裾近くに猫が二匹!三毛猫なんだ!『縮緬地せせらぎあやめ模様友禅小袖』も超ゴージャスだったが、どういう女性が、どういう場面で着たのだろう? 服飾文化に疎いので全くイメージできないのが残念。『薄浅葱地槍梅鶴亀模様直垂』は、水色の地に大きな白梅が描かれ、鶴と亀が仲良く並んでいる。亀も空を飛んでいるみたいで可愛かった。三番叟などで着用された可能性があるとのこと。この柄、ちょっと着てみたい。

 また「描かれた着物」として『誰が袖図屏風』が出ており、実際に衣桁に江戸時代の着物を掛けた展示もあって楽しかった。『草花扇面模様裂』など桃山時代の裂も4件展示。茶・緑・紫など、独特の渋い色合いが好きだ。展示室2は「彫る」「貼る・嵌める」「描く」に分類した陶磁器・漆工・金工など。

 展示室5は『百椿図』とともに初公開の『邸内遊楽図』(江戸時代・17世紀、三十六歌仙短冊貼交屏風と一具)が展示されていた。邸内遊楽図は50件あまりが知られるが、若衆茶屋を描いたものは本作を含め7件だという。しかし描かれている誰が若衆で誰が客なのか、いまいち判別がつかない。若衆髷(前髪を残して中剃りをする)は茶屋の若衆(ホスト)なのかな? 中剃りがないように見えるのは? 坊主は客に違いないのだが、平曲語りらしい琵琶法師もいる。琵琶法師、庭先などでなく、ちゃんと座敷に上がって語るのだな。あと、尼そぎ(おかっぱ)スタイルは女の子だろう。若衆茶屋に使われる女の子もいたのかな。

 展示室6は「茶の湯始-新年を祝う-」で、『朱漆手桶水指』など、一部の目立つ色彩を除いて、シックな道具が多かった。『唐銅三具』(明時代)は、利休旧蔵と伝え、今日庵に伝来したもの。『南蛮海老耳水指』(ベトナム)は、ほんとに海老のかたちの把手(?)が付いている。「海老手」と呼ばれる類例があるようだ。『古染付猫形向付』は、丸くなったネコのかたちをした器。表は、藍と茶でサバトラっぽい猫が描かれており、裏を返すと立体的な白猫になる。おもしろい。

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五月のタイムループ/中華ドラマ『開端』

2022-01-27 20:16:06 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『開端(RESET)』全15集(東陽正午陽光影視有限公司、2022)

 1月11日に配信が始まり、いま大反響を呼んでいるドラマ。いやあ面白かった! 若者好みのSFと見せかけて、ヒューマンドラマであり、犯罪推理劇でもある。しかし【ネタバレ】厳禁ドラマなので、未視聴の方は以下を読まないでほしい。

 2019年5月のある日、中国南方の嘉林市の女子大生である李詩情(趙今麦)は、いつもの路線バスで、うとうと居眠りをしてしまった。誰かの携帯電話の着信音(パッヘルベルのカノン)を聞いて目が覚めたと思った瞬間、乗っていたバスが引火爆発する。不思議なことに、李詩情は再び同じバスの同じ席で目を覚ました。続いてまた同じ着信音が聞こえ、バスが爆発する。三回目、目覚めた李詩情は走行中のバスから下りようとするが成功しない。四回目、五回目も失敗した李詩情は、六回目、隣に座っていた青年を痴漢呼ばわりすることで、なんとか下車に成功する。しかしバスは爆発し、乗客は全員犠牲となる。李詩情は警察の事情聴取を受けるが、タイムループ(循環)を体験したという奇想天外な告白を信用してもらえない。

 そして七回目にバスの中で目覚めた李詩情は、隣の席の青年・肖鶴雲(白敬亭)が、ループに入ってきたことを知る。バスの爆発は、飛び出してきたバイクを避けようとして、対向車線のタンクローリーに激突したことが原因らしいと見極めた二人は、運命の十字路で運転手に注意を促し、事故を回避する。バスは長い橋(跨江大橋)を渡り始めるが、その中ほどで、あの着信音が鳴り、爆発が起こる。タンクローリーとの衝突が主原因ではなかったのだ。ループでもとに戻った二人は、乗客の誰かが爆弾を持ち込んでいると判断し、下車して警察に通報するが、爆発は起きてしまい、かえって警察に疑われる身となる。

 深夜の取調室で眠ってしまった二人は、再びバスの中で目を覚ます。今度は自分たちで犯人を見つけ出そうと決意し、怪しい乗客に次々アプローチしていくが、ループの繰り返しの中で、一見怪しげな乗客たちに、それぞれの人生があり、家族がいることが分かっていく。何度もくじけそうになるが、李詩情は「(乗客たちは)もう見知らぬ他人ではないから」と言って爆発阻止をあきらめない。

 【本格的ネタバレ】そして二人は、ついに犯人を見つけ出すのだが、犯人にも人生と家族があった。犯人は、5年前、同じ路線バスで娘を亡くしていた。その娘・萌萌は、バスの中で痴漢に遭い、逃げ出そうとして跨江大橋の途中で無理やりバスを下り、後続車に撥ねられて死亡したのである。バス会社は真相究明をなおざりにして、賠償金でカタをつけた。ネットでは彼女を嘲笑する動画が今も流れ続けていた。犯人の目的は社会への復讐だった。

 李詩情と肖鶴雲は全ての行動を準備して、最後のループに臨む。バスの中から、電話とショートメールで警察に通報し、犯人の動機が、5年前の事件にあることも知らせる。乗客たちと協力して犯人を取り押さえ、抵抗する犯人に、李詩情は自分が5年間の事件の証拠を持っていることを告げる。踏み込んだ警察は、事件の再捜査を確約する。犯人から奪取した爆弾は河に投げ込まれ、間一髪、バス爆破は阻止された。翌日、李詩情と肖鶴雲はループを抜け出し、新しい一日を迎えた。勇気ある乗客たちは表彰され、それぞれの人生を歩み始めた。萌萌を死に至らしめた痴漢は逮捕され、相応の刑に服すことになった。

 結末は、冷静に考えると疑問もないではないのだが、何をやっても新たな困難が立ち現れる「無理ゲー」状態の中で、全員無事で終われたことに大きなカタルシスを感じた。いつの前にか私も「見知らぬ他人ではない」という気持ちでドラマを見ていたのだ。主人公の二人は、いかにも普通の若者だが、よく頑張った。しっかり者の李詩情に比べると、年上の肖鶴雲のほうが自分勝手で、はじめは自分だけ助かろうとするが、次第に李詩情に影響されていく。

 警察の面々、ベテラン刑事の老張(劉奕君)と息子のような部下の小江の関係性もよかった。老張は、李詩情の荒唐無稽なタイムループ話を黙って全部聴いてくれた。警察は真偽が不確かな通報にも対応してくれるのか?と聞かれて「する」と答え、実際に直ちに行動を起こしてくれる。実は最後の1つ前のループでは、バスの乗客は全員助かったものの老張が殉職してしまう。これで終わらないで!と祈るような気持ちだった。劉奕君さん、反派(悪役)のイメージが強かったのだが、こんな紳士役もできるのかと惚れ直した。

 バスの乗客のひとり、盧笛は、ACG(アニメ・コミック・ゲーム)オタクの青年で、ループと聞くと「8月でもないのに?」と反応する。肖鶴雲がめんどくさそうに「アニメでは一般にループは夏に起きるのさ」と李詩情に解説し、日本製アニメ映画のタイトルを次々に挙げる。本作の設定は5月なのだが、南方の厦門(アモイ)でロケがされていて、明るい陽光には夏の雰囲気が感じられた。

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父と息子の絆/中華ドラマ『雪中悍刀行』

2022-01-24 20:34:32 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『雪中悍刀行』全38集(新麗伝媒、企鵝影視、2021)

 架空の王朝・離陽王朝を舞台とする古装ファンタジー。かつて鉄騎軍団を率いて諸国を平定し、いまは上柱国の地位を得た北椋王・徐驍(胡軍)には二人の娘と二人の息子がいた。徐驍は長男の徐鳳年(張若昀)を後継ぎに考えていたが、当の徐鳳年は諸国遊歴から成人式のために戻ったところで、父の後を継ぐ気は全くない。武芸を学ぶことさえ断固拒否している。一方、次男の徐龍象(荣梓杉)は天性、優れた内力を備えており、家臣の中には、徐龍象こそ後継ぎにふさわしいと考える者もいた。徐驍は徐龍象を武当山へ遠ざけるが、徐鳳年は父の仕打ちに怒って、弟を迎えに武当山へ向かう。

 徐鳳年の遊歴中、苦楽を共にした馬夫の老黄は、実は剣九黄と呼ばれる剣客だった。老黄は、東海の武帝城に住む王仙芝に敗れて以来、武芸を棄てていたが、もう一度挑戦すると言い残して武帝城へ向かう。しばらくして徐鳳年のもとに老黄の死の知らせが届いた。徐鳳年は老黄の仇を討つために武芸を学び始め、武当派の掌門から強大な内力を授けられる。また、弟の徐龍象は、龍虎山の老道士が預かることになった。

 翌年、徐鳳年は再び遊歴に旅立つ。徐驍が従者として選んだのは、癖のある面々ばかり。侍女の姜泥(北椋に滅ぼされた西楚国の公主)、魚幼薇(同じく西楚国の生き残りの美女)、青鳥(護衛の女死士)、魏爺爺(徐驍の腹心)、寧峨眉(北椋鉄騎の勇将)、徐鳳年を狙う刺客と女剣客だった林探花/呂銭塘と舒羞。そして地下牢から呼び出された謎の老人は、剣神・李淳罡だった。

 その頃、離陽皇帝の私生児・趙楷は、天下に大乱を招いて皇位を奪う野望を抱き、各地の野心家をたきつけて、徐鳳年の命を狙っていた。それをひそかに支援するのは、趙楷が師匠と慕う宦官で武功高手の韓貂寺。また、宮廷の黒幕・宰輔の張巨鹿も北椋の勢力を削ぐために暗躍する。しかし徐鳳年は、仲間たちの助けを得て、数々の危機を乗り越え、武芸を磨き、人間的にも成長してゆく。弟王の支持者だった寧峨眉も次第に徐鳳年に心服する。姜泥は徐鳳年に惹かれる気持ちを自覚するが、西楚国の再興を志す曹長卿に出会い、公主の責任を果たすため、旅立っていく。

 さて徐鳳年の母親・北椋王妃は剣の達人だったが、徐鳳年が幼い頃、離陽城で亡くなっていた。徐鳳年は、王妃の剣侍だった女性に会い、母親が何者かに襲撃され殺された可能性があることを知る。武帝城で老黄の形見の剣箱を奪還した徐鳳年は、弟と二人の姉の協力を得て、真犯人を突き止め、ついに母親の仇討ちを遂げる。四人の兄弟姉妹は、再会を期して各々の住処に帰っていった。

 原作はもっと長い小説らしい。そのため、ドラマでは何のために登場したのかよく分からない人物もいるが、ロードムービー的に舞台が切り替わるので、登場人物が多いわりに混乱はなく、結末にも納得できた。特撮技術の進歩は驚くばかりで、達人たちが天空高く飛び上がる(ように見せる)戦闘シーンは爽快だったし、何百本もの剣を宙に浮かべたり、波涛に立ち上がったり、雲中に巨大な龍が出現したり、冒険ファンタジー好きの心が躍る場面が何度もある。伝説の生きもの・虎夔の登場など、ハリー・ポッター映画みたいな楽しさもあった(凶悪なパンダも登場w)。

 演者は、旬の若手とベテランの実力派が勢揃いしており、隙が無い。その中でも胡軍の演じる徐驍のタヌキおやじっぷりが最高にチャーミングだった。いつも息子にガミガミ言われているダメな父親のようで、息子はちゃんと父の偉大さと愛情を分かっており、だからこそ、それを超えていこうと決意している。主役の徐鳳年(張若昀)と二人でわちゃわちゃしている番宣ポスターのシリーズがとても好き。

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伝法灌頂の実態/密教相承(神奈川県立金沢文庫)

2022-01-23 21:47:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立金沢文庫 特別展『密教相承-称名寺長老の法脈-』(2021年12月3日~2022年1月23日)

 称名寺の僧侶達が伝授した密教典籍をもとに、称名寺が執行してきた密教修法の様子を仏像、仏画、仏具を交えて再現し、密教寺院・称名寺の中世の姿を紹介する。と聞いても、展示のイメージがつかめなくて、迷っていたら最終日になってしまった。難しかったが、中世の寺院の運営実態について、いろいろ新しい知識も得た。

 称名寺の開基は、北条氏の一族である金沢(かねさわ)北条氏の祖、北条実時(義時の孫)である。今年は大河ドラマで北条氏が脚光を浴びているので、金沢文庫も集客の好機かもしれない。下野薬師寺の僧だった審海を招いて真言律宗の寺となり、二世長老・釼阿、三世長老・湛睿に受け継がれた。展示には、『両界種子曼荼羅』(鎌倉時代)や『弘法大師像』(室町時代)『十二天像』(12幅・室町時代)など、真言宗らしさを感じる仏画・仏具が出ていた。しかし、色鮮やかな『真言八租図』(南北朝時代)は龍華寺の所蔵で、称名寺には真言八租図は伝わっていないのだそうだ。また、称名寺の不動明王幷二童子像(鎌倉時代)は、長い前髪を額に垂らす髪型で天台宗タイプに思われた。

 密教では、阿闍梨(指導者)の位を授ける際に伝法灌頂という儀式を行う。これは真言宗(東密)にも天台宗(台密)にもあり、さらにそれぞれ多様な流派があった。流派によって十二天図の並べ方が違ったというのも興味深い(だから屏風だと対応できない)。称名寺では、複数の流派の伝法灌頂が行われており、二世釼阿は三世湛睿に複数の阿闍梨位を伝えている。称名寺では、仁和寺御流が特に重要だったと見られるが、仁和寺御流の阿闍梨位を持っていたにもかかわらず、長老(住職)に任ぜられなかった僧侶もいるらしい。詳しい事情は分からないが、本泉坊素叡という名前、ここにメモしておこう。

 金沢北条氏の滅亡後、保護者を失った称名寺は、寺内で決定した住持を対外的に認めてもらうために、安堵状を必要とするようになった。本展には、鎌倉公方であった足利直義による御教書などが展示されていた。

 伝法灌頂は大規模な儀式で、基本的に灌頂を受ける者の負担で行われた。造花600本の経費が絹〇疋とか、赤裸々な会計文書も残っていて面白かった。五宝・五香・五薬・五穀などを揃えるのも大変そうだ(調べたら、現在は仏具店でセット販売されていた)。導師等には謝金が支払われるので、寺の収入源でもあった。また、伝法灌頂というと「儀式」の面に関心が集まるが、受者は師匠である阿闍梨の所持する文献を借り受け、書写し、自分のものとする習いだった。奥書には、いつどこで(有力者の邸宅など)誰の所持本を書写したかが書かれている。現在に伝わる「〇〇抄」という多くの写本は、こうして制作されたことを理解した。

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歴史の否定は犯罪か/歴史修正主義(武井彩佳)

2022-01-22 11:30:36 | 読んだもの(書籍)

〇武井彩佳『歴史修正主義:ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中公新書) 中央公論新社 2021.10

 近年、日本の歴史(特に近現代史)をめぐって、特定の主張が歴史修正主義であるとかないとかの議論を聞くようになった。本書は欧米社会の歴史修正主義を分析したものだが、日本の事例を考える参考になるかもしれないと思って読んでみた。

 はじめに前提として、歴史学の観点から歴史とはどのように記述されるのかを確認する。歴史は選択された事実の解釈であり、歴史を「修正」することは学術的な行為である。しかし、歴史の政治利用と結びついた歴史修正主義は批判の対象とされてきた。ヨーロッパでは、19世紀末~20世紀前半、フランスにおけるドレフェス事件や、ドイツにおける第一次世界大戦の戦争責任論などを通じて、この問題が意識されるようになった。

 第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判は、ドイツが通常の戦争犯罪のみならず、「平和に対する罪」「人道に反する罪」を犯したと認定し、戦後秩序の形成に画期的な役割を果たした。1950年代には、ヒトラー時代の「公的」な解釈が形成されていく。背景には、連邦共和国(西ドイツ)が国際社会に復帰し、西側の安全保障体制に組み込まれるには、ナチズムとの訣別が必要だったという切実な事情がある。一方で、ナチズムの完全否定は上からの歴史像の「押し付け」であるという対抗言説も登場したが、市民の大半がナチズムの復活を望まなかったため、大きな勢力にはならなかった。

 1970年代に入ると、歴史修正主義者は明白にホロコーストの否定もしくは矮小化を行うようになった(欧米ではホロコースト否定論を歴史修正主義とは呼ばず、より悪質な、史実を歪曲する言説とみなしているが、本書では修正主義の範疇で扱う)。この頃、各国で世代交代が進み、新しい政治志向を持つ若者が台頭するとともに、これを好まない人々が過去を矮小化しようとした。当時の状況は今日(若者の保守化)とは全く逆である。また、国際的要因としては、イスラエルの軍事強国化がじわじわと衝撃を与えた。特に長い反ユダヤ主義の伝統があるフランス(そうなのか)では、ドイツよりも早くホロコースト否定論が生まれている。

 80~90年代には、さまざまなホロコースト否定論者が活動し、言論のプラットフォームがつくられ、政治組織も影響力を強めた。著者が、彼らの動機は「信念」であり、「情熱を原動力とする人には、合理性を問うても意味がない。それは政治的な宗教であり(略)これを放棄することは彼らの世界観の崩壊につながる」と分析しているのは、残念だが当たっていると思う。否定論者には、臆面もなく史料の改竄を行う者もいるが、むしろ警戒すべきは、テクストの異なる読み方に誘導し、史実に対して認識の揺らぎを呼び覚ます人々だろう。著者はこれを「文学でのテクスト論を、歴史に持ち込んでいる」と説明している。事実ではないかもしれないと人が疑念を抱いた時点で、否定論者の目的は達成される。それは歴史の不安定化につながるからだ。

 また、80年代以降に何度か起きている、歴史修正主義をめぐる裁判の詳細も初めて知った。これまでのところ、欧米の裁判所はホロコーストを「公知の事実」と認め、ホロコースト否定論は「虚偽ニュースの流布」にあたると認めている。

 こうした司法判断も踏まえ、欧米社会では歴史修正主義の法規制が進んでいる。歴史の否定は、表向きは歴史を問題にしているように見えて、多くの場合、特定の民族・人種・宗教集団に対するヘイトクライムやヘイトスピーチの一種であり、個人や集団の尊厳を傷つけ、公共の平穏を乱すという理解から、法規制の対象とされてきた。もちろん、表現の自由との相克は意識されている。特定の歴史の否定を禁止することの社会的利益と損失について、本書は丁寧に記述しており、最後は我々自身に判断が委ねられている。

 むしろ私が初めて認識し、難しいと思ったのは、欧米社会においてホロコーストが、比較不能の「悲劇中の悲劇」と位置づけられているという点だ。第二次世界大戦におけるホロコーストの犠牲を記憶することは、「ヨーロッパ人」という新たなアイデンティティの基礎の一つと考えられている。それゆえ、ホロコースト以外の虐殺、ナチスによるロマ民族虐殺や、第一次世界大戦中のオスマントルコにおけるアルメニア人虐殺への対応はずっと遅れた。東欧の旧共産主義国のスターリニズムによる犯罪をどう扱うのかもこれからの課題だという。

 著者は「歴史の政治利用の何がいけないのか」という最も根本的に問いに対して、明確な回答はないと断定する。ただ、国民の帰属意識を強化する歴史は(自画自賛にしろ犠牲の強調にしろ)、対外的な対立を長期化させ、将来に取り得る選択肢を狭める危険性をはらむという指摘は、覚えておきたい。

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関西のしめ飾り

2022-01-19 21:19:19 | なごみ写真帖

新春関西旅行の写真から。奈良・東大寺三月堂(法華堂)のしめ飾り。縄の上に串柿が載っている。

京都・四条通りの鍵善良房のしめ飾り。「蘇民将来子孫家門」と書いた木札を飾る。これは伊勢発祥のスタイルらしいが、むしろ八坂神社との関係かもしれない。

私は東京育ちなので、正月のしめ飾りといえば、全体に縦長で、紅白の紙垂(しで)や金銀の水引、つくりものの海老・扇・橙などを賑やかに盛ったものだと思ってきた。関西風の、横に伸びる太い縄が主役のしめ飾りは、いまだに珍しい。なお、大阪文化圏は縄の右端が太いが、伊勢は逆で、左側が太いのだそうだ(※三重県総合博物館)。

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武則天のユートピア/檻獄都市(大室幹雄)

2022-01-17 17:17:46 | 読んだもの(書籍)

〇大室幹雄『檻獄都市:中世中国の世界芝居と革命』 三省堂 1994.7

 年末に中国ドラマ『風起洛陽』を見ていたら、むかし、則天武后のイメージについて、大きな影響を受けた大室幹雄の本を読み返したくなった。大室幹雄さん、Wikipediaでは「歴史人類学者」と紹介されている。1981年の『劇場都市』に始まり、漢~唐末を扱った中国古代都市文明論シリーズを計7冊出しており、私は90年代に耽読した。さて武則天が登場するのはどの1冊だったか、思い出せず、公共図書館をハシゴして確認し、ようやく本書を見つけ出した。

 本書前半の主人公は、唐太宗・李世民。「最初は鷹、つぎは杜鵑(ホトトギス)、第三は鸚鵡、そして終わりは阿呆鳥」として描かれる。唐を建国した父の李淵(唐高祖)に従う、颯爽たる青年将校としての「鷹」の時代。兄の皇太子・李健成と弟の李元吉を殺害し、父を幽閉して皇位に就いた「杜鵑」の時代(ホトトギスは他の鳥に自分の卵を育てさせる「托卵」という習性があることから、親兄弟を蹴落とし、野心を遂げたことをいう)。即位後の太宗が、諫臣・魏徴をはじめとする廷臣たちと繰り広げた言語ゲームを著者は「鸚鵡」の時代と呼ぶ。私は『貞観政要』の抄訳本しか読んだことがないが、全体を読むと、劇場的な言語ゲームの間に、ふと太宗の本音が漏れている箇所もあるようで、著者の解読がおもしろかった。そして老いては「阿呆鳥」となり、凡庸な李治(高宗)を皇太子に立てて没する。

 後半の主人公は、高宗の後宮で美貌と多産と政治的才覚(狡知、果断)を武器に勝ち上がり、ついに皇后の座に就く武則天である。高宗の死後は、唐皇帝家の宗室をほとんど粛清し、周王朝を樹立し、皇帝と号する。著者は、唐王朝に「遊牧草原文化に起源する女たちの明るく暢びやかな活動性」があったことを認めつつも、「むしろ性別を超越した、一個の卓抜な政治的人物、少なくとも宮廷政治の天才が彼女だった」と絶賛する。高宗もなかなか健闘したけれど、やはり天才にはかなわない。中国の伝統的な史論家が高宗をことさら暗愚に描くのは、強い卓れた妻を持った男はろくでなしという儒教的偏見によるのではないか、という指摘もおもしろい。

 李世民と武則天を「主人公」と仮に呼んだが、著者にとって、歴史の主人公は都市そのものである。本書には、隋の文帝によって建設された長安の都市計画と、それを「居抜き」で奪い取った李淵・李世民によって加えられた変更が、実に詳細に具体的に記述されている。中国の考古学雑誌などから転載された興味深い図版も多数。かつて(ウェブなどの情報源がない時代に)私がこのシリーズにハマった理由のひとつはこれだ。ちなみに書名の「檻獄都市」とは、高い土塀に囲まれ、一種の「檻」である坊が整然と並ぶ長安の平面プランに由来する。

 その長安を打ち捨てて、武則天が、恐怖と祝祭のバロック・ユートピアを打ち建てた舞台は神都・洛陽である。武則天の巨大癖(メガロマニイ)の現れである壮麗な巨大建築、明堂・天堂・万象神宮についても詳しい。ドラマ『風起洛陽』との関係では、密告を受け付ける銅匭(銅製の箱)が朝堂に設置されたことが出てくる。また廷臣の粛清に活躍した秘密警察組織があったことも。武則天の自由闊達な人材登用方針により、海千山千のやくざものたちが洛陽に集まり、よくも悪くも多彩な才能を発揮することができた。

 それから、巨大な食糧備蓄庫である含嘉倉も本書に出てくる(これは忘れていた)。江南産の穀物は、大運河の終点・汴州(開封)から洛陽に搬入され、さらに西の長安に運ばれたが、洛陽と長安の間には三門峡という難所があった。汴州から洛陽周辺に巨大な穀物庫群を作ったのは隋の煬帝で、武則天はこの食糧政策を踏襲した。含嘉倉の考古学調査からは、武周時代の食糧管理行政の卓越した実態が分かるという。

 武則天の詩文愛好と牡丹改良に認められる「華麗なものへの心情の傾き」(江南文化への関心と言ってもよい)は、次の時代(玄宗)の長安に引き継がれ、灰色の檻獄都市だった長安は、遊蕩的で性愛的な園林都市に変身を遂げる。この華北/江南の対立と混淆は、つねに中国史を貫くテーマでもある。

 あと武則天の容姿は「豊碩、方額、広頤」と言われているのだな。『風起洛陽』の聖人役の詠梅さん、ぴったりである。90年代に本書を読んだときは、まだ中国ドラマの視聴経験が全くなかったのだが、今回、隋の煬帝や蕭皇后は『隋唐演義』の配役で想像していた。隋に滅ぼされた陳の王妃で煬帝の皇后となった蕭氏は、隋滅亡後も80歳まで生きのびて、唐太宗と会話を交わしていたりする。唐建国の功臣たちの晩年、その後裔たちの運命も味わい深い。

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2022年1月関西旅行:東大寺、四天王寺、萬福寺など

2022-01-15 17:30:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

華厳宗大本山 東大寺(奈良市雑司町):二月堂~三月堂~大仏殿~戒壇院千手堂~東大寺ミュージアム

 新春旅行で訪ねたお寺などを書いておく。初日は奈良博のあと、久しぶりに東大寺の諸堂を巡った。コロナ対策の換気のため窓や扉を開放しているお堂が多く、三月堂も大仏殿も、外光がよく入って、以前と違った雰囲気に感じられた。

 大仏殿の入口に「戒壇院千手堂特別公開」の案内札が出ていた。戒壇堂が保存修理と耐震化工事のため、2020年7月1日から約3年間、拝観を中止しているのに代えて、同年7月4日から千手堂を特別公開中だという。全然気づいていなかった。

 簡素なお堂の須弥壇には大きな厨子が据えられ、中に金色に輝く千手観音菩薩立像と、小さめの四天王立像が収められている。厨子は三方の扉が開け放たれており、正面の両扉には、風神雷神と二十八部衆が描かれている。向かって右側面には、不動明王二童子と剣(倶利伽羅龍王)、左側面には、不動明王以外の四明王。本尊の後ろの壁画は海の中に聳え立つ補陀落浄土の図だった。あまりに色鮮やかで美しいので「いつのものですか?」と聞いてみたら、もとは鎌倉後期の作だが、平成10年(1998)に火災に遭ってしまい、忠実に復元された新補だという。調べてみたら、平成10年の火災については、いくつかの記事があった。

※文化庁:文化財の防火の徹底について (平成10年6月17日 庁保伝第102号)

 焼け残った、もとの扉絵は、修復処理を施されて保存されているようである。

和宗総本山 四天王寺(大阪市天王寺区)

 2日目の朝は、四天王寺を参拝。毎月第2日曜日は「四天王寺蚤の市」に当たるので、骨董のほか、食べもの系の露店も出ていて、朝からにぎやかだった。定番の「大悲殿」のご朱印をいただいたが、次回は「聖徳太子」を書いてもらおうかな。少し境内を外れて、庚申堂(庚申信仰発祥の地と言われる)や超願寺(竹本義太夫の墓所がある)も訪ねてみた。十日戎の今宮戎神社を参拝することも楽しみにしていたが、コロナ感染が急拡大中なので、人混みに近づくのはやめた。

■黄檗宗大本山 萬福寺(宇治市五ケ庄)

 黄檗宗が大好きなので、九州で展覧会があれば見に行き、東京で声明公演があれば聞きに行っていたが、宇治の萬福寺(万福寺)には久しく来ていなかった。ブログの記録だと、2009年の夏以来かもしれない。京阪電車の黄檗駅で下りて、住宅街の奥に大きな山門の屋根が見えるのでに、どこからアクセスしたらよいか分からなくて、迷ってしまった。むかしは、薄暗い、短いアーケード街を抜けていくのが近道だったと、ふと思い出したが、どこにもそんな面影はない。いまGoogleストリートビューを見てみたら、2014年3月までは「黄檗新生市場」と書かれた入口が映っている。そうそう、これ(※参考:個人ブログ)。

 少し遠回りをして、門前に到着。「第一義」を掲げる総門は一番外側の門。これをくぐると、中国ふうの伽藍が広がる。

天王殿の後ろを守る韋駄天像。見よ、このカッコよさ!

正月(旧正月?)を祝って、山門と主なお堂には、こうした四文字の吉祥句を書いた幡が飾られていた。これは、布袋様(弥勒菩薩)を祀る天王殿の正面。どっちから読むのか?

萬福寺といえば、この巡照板。

そして、開梛(かいぱん・魚梆)。

法堂の前の広い庭には、赤いちょうちん(紅燈)の飾りつけ。

 長崎の唐寺を思い出し、さらに中国や韓国のお寺を思い出した。早く気兼ねなくどこへでも旅行できるようになってほしいなあ。

京都御所 屏風『墨画龍虎』特別公開(2022年1月1日~1月10日)

 今年の干支にちなんだ屏風、鶴沢探鯨筆『墨画龍虎』が公開されているというので見てきた。明治天皇のお気に入りで、天皇が日常生活を送る御常御殿の寝室で使われていたという。展示は、休憩所近くの新しい建物で、ガラス越しに外から眺める形式だった。

 そのあと、見学巡路に従って一周したが、紫宸殿前の右近の橘が、すっぽり覆い屋に隠されていたのが気になった。老木なので、毎年、この時期は寒さを避けるために処置をするようだ。京都御所の屋根瓦(軒丸瓦)は全て菊文で、角の飾り瓦も菊の意匠だった。

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2022年1月関西旅行:寅づくし(京都国立博物館)ほか

2022-01-14 17:20:35 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 新春特集展示『寅づくし-干支を愛でる-』(2022年1月2日~2月13日);特集展示『新収品展』(2022年1月2日~22月6日);特集展示『後期古墳の実像-播磨の首長墓・西宮山古墳-』(2022年1月2日~2月13日)

 特集展示を冠していたのは、2階の『寅づくし』と1階の『新収品展』『後期古墳の実像』だけだが、その他の展示室も、それぞれユニークなテーマ設定で面白かった。京博の平常展を見たのは久しぶりである。いろいろ制約はあるのだろうが、特別展ばかりやっていないで、もう少し平常展に力を入れてほしい。

 2階『寅づくし』の冒頭には、おめでたい赤色を背景に、京博の公式キャラ・トラりんのモデル、光琳の『竹虎図』が掛っていた。京博が干支にちなんだ新春特集陳列を始めたのは、2015年の『さるづくし』からなので、トラりんが正月の主役になるのは初めてのことだ。よかったね。12年後も現役でいてほしい。雪村の『鍾馗図』は、鍾馗様の虎退治のように見えて、実はじゃれついているところ。妙心寺所蔵の『達磨・豊干・布袋図』3幅対(南宋時代)は、豊干禅師と一緒に虎が描かれているが、肩を怒らせた豊干と、背後で身構える虎の性格が似ていそう、という解説が面白かった。正伝寺の伝・李公麟筆『猛虎図』は、若冲の模写の原図として知られるもの。黄色というよりオレンジに近い虎の毛色が鮮やかで美しい。中国・秦~前漢の青銅虎符も出ていた。

 2階には『平清盛没後840年 盛者必衰-「平家物語」と源平の合戦-』(2022年1月2日~2月13日)も。京博の所蔵で『平家物語』の絵画化としては最古例と見られる『平家物語絵巻』(室町時代)が展示されていた。「小絵」のサイズで、色絵具は使わず、墨画のみ(しかし巧い)。将軍家や公家の子女の愛玩物であったと推定されているそうだが、贅沢品ではなく、「平家物語」が好きでたまらない人物が、自分か自分の親しい人の楽しみのために制作したように思えた。

 1階の『新収品展』の注目は、伊藤若冲の『百犬図』。これまで京博の寄託品であったと思うが、正式に京博の所蔵に帰したようだ。円山応挙筆『七難七福図巻画稿(福寿巻)』と『人物正写惣本補図』もあり。その場ではあまり意識しなかったが、リストを見ると、これらは全て「購入」なのだな。下世話な関心が起きたので、京博の「購入文化財情報」で公開されている購入価格を確認してしまった。なるほどなあ。

 一方、府中市美術館の江戸絵画まつりなどでおなじみ、徳川家光のゆるふわ『梟図』は寄贈で京博入り。寄贈者の稲葉正輝氏は、山城国淀稲葉家の末裔である。染織・陶磁・刀剣など、さまざまな新収資料が並ぶ中に、近代ものらしい、幼児用の『朝顔文様着物』『檜垣に菊花文様袖無羽織』それに『ボンネット帽子』があり、特に珍しくもないのに何だろう?と思ったら、昭和天皇が使用したものだった。

 大展示室(彫刻)の『四天王と毘沙門天』特集では、八瀬・妙傳寺の毘沙門天像(2躯あり)が好み。京都・国分寺(宮津市の丹後国分寺のことか)の『行道面:毘沙門天』(平安時代)は、よいものを見せてもらった。あと3階の陶磁室は、日本・中国・朝鮮の名品揃いで、一日眺めてても飽きないと思った。繰り返すけど、京博は、こういう充実した平常展をもっと見せてほしい。

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