見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2020年11月関西旅行:紀三井寺展(和歌山市博)+紀三井寺

2020-11-29 20:58:22 | 行ったもの(美術館・見仏)

和歌山市立博物館 創建1250年・日本遺産認定記念特別展『紀三井寺展』(2020年10月31日~12月13日)

 和歌山市内に1泊し、翌日は朝9時開館の和歌山市立博物館からスタート。こじんまりした施設だが、地域に密着した面白い展示をしてくれる博物館である。宝亀元年(770)に開かれた紀三井寺は今年2020年、開創1250年を迎え、50年に1度の秘仏・本尊の御開帳が行われている。また、2019年に「1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~」が日本遺産に認定されたことを記念し、本展では寺宝約50件を公開している。

 仏像は、紀三井寺の開祖と伝えられる唐僧・為光上人坐像(室町時代)など4件。撫で肩で彫りの浅い、やわやわした感じの十一面観音菩薩立像(平安時代)が印象的だった。右手に水瓶(蓮華のつぼみが刺さっている)を持ち、左手は身体の脇に垂らす。腕が長く、手指も長い。頭部には長い頸を持つ頭上面。ほかに小さめの古風な天部立像と宋風様式の洗練された弥勒菩薩坐像。なお、ほかにもたくさん紀三井寺の仏像の写真パネルが飾ってあって興味深かった。仏像以外では、紀三井寺参詣曼荼羅、熊野歓心十界曼荼羅、五鈷杵・五鈷鈴などの密教法具、本堂棟札、勧進帳や寄進状などの文書類も展示されていた。

 1階の受付に『紀三井寺』と題した図録っぽい冊子があったので買おうとしたら、受付のお姉さんに「これはお寺さんで売っている冊子ですけどいいですか?」と確認された。なるほど奥付に「紀三井寺開創1250年記念図録/紀三井寺/2020年3月」とある。寺宝のカラー写真が豊富で役立ちそうだったので買っていくことにした。「展覧会の図録はつくってないんですか?」とお訊ねしたら、「ほんとは総持寺さんの展覧会を予定していたんですが、コロナで中止になって、急に紀三井寺さんをやることになって」とのこと。えええ、そんなことが。あとでホームページを確認したら、2020年5月9日~6月7日に『総持寺の至宝』が入っていた。この企画展は、2021年に延期になったそうである。

■西国第二番 紀三井山金剛宝寺(紀三井寺)(和歌山県和歌山市)

 博物館のあとは、南海和歌山市駅前からバスで紀三井寺へ。いつも粉河寺とセットでお参りしているので、ここも2012年以来8年ぶりである。バスを下りると、なんとなく見覚えのある景色だったが、紀三井寺正門への道が思い出せない。スマホの地図をたよりに歩いていったら裏門に出てしまった。しかし、そこにも拝観券売り場があったので、車も通れる裏参道のだらだら坂を登っていくことにする。あとで気づいたが、途中の山上駐車場には本堂につながるエレベーターが設置されていた。バリアフリーに向けた努力、大変よい。

 さて、本堂。

 「救世殿」の扁額の下に「南無観」の提灯が下がる。

 御朱印をいただき、秘仏ご本尊の拝観を申し込む。本堂内陣に入り、須弥壇のお厨子を拝したあと、本堂の奥に続いている大光明殿(文化財収蔵庫)に入れていただいた。2012年2008年にも入っているので三度目になる。左右の端には曼荼羅が掛けてある。弧を描くステージのような須弥壇の中央には、左に秘仏本尊十一面観世音菩薩立像、右に秘龕仏・千手観世音菩薩立像。金色の枠にガラス扉(?)のモダンなお厨子の中にいらっしゃった。千手のほうが小顔で洗練された雰囲気なのに対して、十一面はやや武骨な感じがした。それぞれに結縁の紐が結ばれ、参拝者の位置に垂れていた。

 秘仏ご本尊2躯の外側には、左に帝釈天立像、右に梵天立像。どちらも左手に蓮華のつぼみを持ち、古様でおだやか。和歌山市博で購入した冊子に、どちらも観音像であったかもしれない、という解説が記されていた。帝釈天の隣りには、天衣をひるがえし、塔を捧げ持つ毘沙門天立像。目を見開き、口も開いて威嚇する表情。梵天の隣りの空白が気になったので、出口のお坊さんに聞いてみたら、和歌山市博で見た十一面が、ふだんはそこにいらっしゃるのだそうだ。お坊さんに「缶バッジ貰っていってね」と言われたので、御朱印受付で和歌山市博のパンフレットを見せて、参詣曼荼羅をモチーフにした缶バッジをいただいた。

 仏殿の大千手十一面観世音を拝して、表参道の長い石段を下り、紀三井寺駅へ向かう。

 次の列車まで30分くらい時間があるが、駅前に喫茶店もなかったなあと思いながら、スマホで検索してみたら、なんだか「庭のパン屋さん」というお店があることが分かった。

 おそるおそる入ってみたら、しっかりしたハード系の手ごねパンのお店で悪くなかったので、ランチ用の総菜パンをテイクアウトしてみた。それと季節もののシュトーレンも。

 いま朝食とおやつに少しずつ食べている。紀三井寺をしのびながら。

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2020年11月関西旅行:国宝粉河寺縁起と粉河寺の歴史(和歌山県博)+粉河寺

2020-11-28 21:44:49 | 行ったもの(美術館・見仏)

和歌山県立博物館 創建1250年記念特別展『国宝粉河寺縁起と粉河寺の歴史』(2020年10月17日~11月23日)

 先週末、行ってきた展覧会。国宝『粉河寺縁起』をはじめ、連綿と制作され続けた粉河寺のさまざまな縁起絵巻や縁起絵の数々を展示するとともに、かつての粉河寺領に伝わる仏像・仏画・古文書もあわせて紹介し、縁起の寺・粉河寺の豊饒な歴史と重厚な宗教文化を紹介する。同館は、特別展の開催されるこの時期に訪ねることが多く、今年も「わかやま県ふるさと誕生日」(11月22日)の入館無料日に当たってしまった。来ても年に1回なのに申し訳ない。

 最初の展示室には仏像が数体。目立つのは、伏し目がちの千手観音立像(平安時代)。衣の襞は目立たず、全体に穏やかな雰囲気。脇手には後補と思われる色付きの持物がにぎやか。この夏、京博の『聖地をたずねて』展にもおいでになっていた、本堂の裏観音である。像高100センチ弱の二十八部衆と風神雷神像(江戸時代)は本堂内陣の須弥壇に安置されているというが、よく覚えていない。洗練された造形で、妙法院(三十三間堂)の二十八部衆と風神雷神像によく似ている。と思ったら、粉河寺は、後白河法皇と浅からぬ縁があることがだんだん分かってきた。粉河寺北東の上丹生谷の庚申堂に伝わる四天王像のうちの二天像は、ずんぐりした体形に力感があふれ、表情も生彩に富む。こういう仏像を見ることができるのは、地方の展覧会ならでは。

 あと絵画資料である『伝聖徳太子旅装像(童男行者像)』(石川県・本誓寺)は、童男行者(粉河寺の千手観音の化身)と聖徳太子のイメージの混淆が見られ、前日に中之島香雪美術館の『聖徳太子』展を見ていたこともあって、興味深かった。

 続く展示室では、はじめに国宝『粉河寺縁起』を展示。後期は後半(長者娘の病を治す霊験譚)の展示だった。それから数々の写本、さらに、もうひとつの縁起である『粉河寺観音霊験記』の諸本も展示されていた。私が面白いと感じたのは、『粉河寺縁起』前半(粉河寺創建譚)で、猟師にもとにふらりと現れた童男行者が一晩泊めてもらったお礼にと、七日七夜、庵にこもって等身の千手観音像を刻み、立ち去る物語。江戸時代の写本では、原本になかった場面、庵の扉を細めに開けて半身だけ見せる童男行者の姿が描かれていており、それがまた次の写本に受け継がれていく。

 参詣曼荼羅(桃山時代、江戸時代)や、絵画の素人っぽい『粉河祭礼渡御図』(江戸時代)も魅力的だった。粉河寺は葛城修験と関係が深く、修験道や密教系のあやしい仏画・仏像も有しているようだ。また、南宋・金大受本を写した美麗な『十六羅漢像』があり、十禅律院に伝わったものと説明がついていた。

 ロビーに飾られていた、千手観音立像と並んで写真が撮れるパネル。実は京博『聖地をたずねて』展のリサイクル。背景、台座には『粉河寺縁起』が使われている。

■西国第三番 風猛山粉河寺(和歌山県紀の川市)

 調べたら2012年、2008年、2005年に参詣しており、しばらく時間が空いて8年ぶりになる。和歌山から粉河(和歌山線)は、いちおう日中1時間に2本の列車があった。粉河駅から粉河寺まではシャッターの下りた店が多く、人もあまり歩いていなかったが、粉河寺の境内には、さすがにグループや団体の参拝客を多く見かけた。みんなバスや自家用車で来るのだろうな。

 長屋川を右手に見ながら参道を歩いていくと、左手に童男堂。12月18日の終い観音の日にあわせて童男会(どうなんえ)が開催され、秘仏童男行者の年一回のご開帳がある旨、看板が立っていた。

 ひときわ高い位置にに立つのは、絶対秘仏の本尊を安置する本堂。今回は外陣からお参りするだけ。

 本堂の右手奥にある十禅律院。2008年と2005年に参拝したことがある。和歌山県博で『十六羅漢像』を見た縁で、敷地内に入ってみた。参道の右側に拝観受付があったので、御朱印をいただき、建物にあがらせていただく。

 もとは由緒ある寺院だったのだろうが、きれいな文様の連なる水色の壁紙もところどころ破れていて、維持の苦労がしのばれた。縁側からの眺望がよく、和泉葛城山を借景にした庭園(洗心庭)が見どころだが、案内してくれた奥様の話では、崖下の竹林が伸びすぎて山が見えなくなってしまったとのこと。「どこも若い人がいなくなってしまって」と寂しそうだった。奥様は、15年前にも案内していただいた方ではないかと思う。またお会いしたいので、どうぞお元気で。

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2020年11月関西旅行:天平礼賛(大阪市立美術館)

2020-11-25 22:57:41 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立美術館 特別展『天平礼賛』(2020年10月27日~12月13日)

 連休初日は大阪文楽劇場の正面の東横インに初めて泊まった。翌日は和歌山に直行の予定だったが、実は大阪でもうひとつ行きたい展覧会があり、いろいろ考えた結果、2日目の朝に行ってしまうことにした。9:30開館なので、早めに行って建物の前で開館を待つ。大阪市美は「GoToトラベル」事業者になっていることが分かったので、前日、ホテルで貰った1000円クーポンで入館料1,500円の一部を支払った。

 本展では、天平美術の名品とそれらに刺激を受けた後世の作品をあわせて紹介し、天平美術が日本の美の古典としての評価を得るに至った「天平礼賛」の歴史を解き明かす。なぜいま天平?という意図はよく分からなかったが、古代史・古代美術好きとしては嬉しい企画である。

 とは言え、実は何が出陳されているのか、あまりよく調べずに来てしまった。最初の展示室で目にしたのは、きらびやかな正倉院宝物の模造品の数々。大正から昭和にかけて、吉田包春(1878-1951)が制作したものだ。吉田は奈良女子大学と縁があり、同大は遺族から多数の作品や資料の寄贈を受けているそうだ(※関連記事)。特に『犀文螺鈿円鏡(さいもんらでんえんきょう)』が素晴らしかった。展示図録の写真と現物の印象がずいぶん違った。現物は、ケース内の照明のせいか、赤や緑の石片が目立たず、全体が白金のように輝いていて神々しかった。なお正倉院宝物検索では『円鏡 平螺鈿背 第5号(南倉70)』と呼ばれているものらしい。あれ?もしや?と思ったら、今年の第72回正倉院展に『平螺鈿背円鏡』という名前で出ていたものだった。本物は赤い石(琥珀)が印象的だった。

 最初の展示室、別の列には(模造でなく)本物の唐代の青銅鏡がずらり。大阪市美も充実した古鏡のコレクションを持っているのだが、なんだか見たことある?と思ったら、五島美術館や大和文華館、白鶴美術館などの名品が揃っていて眼福だった。天平礼賛はすなわち唐代礼賛なんだよなあ、と思う。

 仏像は、まず白鳳時代の小さな銅造観音菩薩立像に癒され、奥に進むと、見たことのある菩薩坐像(右足踏み下げの半跏像)。神奈川・龍華寺の土蔵で発見されたもの。そうだ、脱乾漆造による天平仏なのだ。充実した胸の厚み、引き締まった腰、過不足ない肉体の美しさに見惚れる。隣には、ずんぐりした兵庫・金蔵寺の阿弥陀如来坐像。体部は江戸時代だが、頭部は奈良時代の作で、龍華寺の菩薩坐像の作風にきわめて近似する(特に耳のかたち)。体部の補作を「天平礼賛のひとつのあり方」ととらえる視点が興味深いと思った。あと小さいもので、京都・観音寺の菩薩坐像もよかった。シンプルな造形だが、布のひだや折り返しの表現に神経が行き届いている。

 古経では、各地から集められた『金光明最勝王経』を堪能した。天平18年、聖武天皇の発願による「国分寺経」で、紫色の料紙に金泥が今も輝く。鎌倉時代に後宇多院が同様の紫紙金字経を制作したが、むしろ退色が進んでおり、「国分寺経の古代紫がいかに優秀な染色であったか」という指摘に納得した。中宮寺の『天寿国繡帳』も後世の刺繍のほうが退色が進んでいるのじゃなかったかな。

 大阪ゆかりの出土品が多く出ていたのも見どころのひとつ。難波宮跡から出土したという、重圏文軒丸瓦と重圏文軒平瓦は、蓮華文や唐草文に比べると、ずいぶんシンプルでモダンだと思う。

 さて、明治以降の画家たちが描いた天平の美女たち。藤島武二、青木繁、和田英作、岡田三郎助など、洋画家の作品が集められていて面白かった。どう見ても西洋文化への憧れがミックスされていると思う。本多修平の木造『元明天皇坐像』は、平城宮跡に平城神宮を建立しようという機運が高まったとき、そのご神体として造られたが、計画が頓挫して、今日まで個人宅にとどまっているという。歴史上では早世した草壁皇子の妃で、あまり幸せでなかった女性天皇のイメージだが、木彫りの像は丸顔の気のいいおばちゃんの雰囲気。どこか落ち着き先が見つかるといいのに。

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2020年11月関西旅行:聖徳太子(中之島香雪美術館)

2020-11-24 22:06:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

中之島香雪美術館 聖徳太子像・聖徳太子絵伝 修理完成記念特別展『聖徳太子-時空をつなぐものがたり-』(2020年10月31日~12月13日)

 今月二度目の週末関西旅行。最大の目的は、後述のとおり和歌山にあったのだが、時間があれば見ておきたい展覧会が大阪にも2つあった。まず初日、早めの新幹線に乗れたので、大阪文楽劇場に行く前に、中之島香雪美術館に寄り道できた。

 本展は、同館所蔵の『聖徳太子像』『聖徳太子絵伝』の修理完成を記念する特別展。鎌倉時代の『聖徳太子像』は角髪を結い、赤い有職文様の衣に袈裟をまとい、柄香炉を捧げた孝養像。残念ながら複製展示の期間にあたってしまったが、言われなければ気づかないくらいよくできた複製だった。大阪・弘川寺(南北朝時代)、岐阜・西方寺(室町~桃山時代)など類似作品が並んでいたのも面白かった。特に弘川寺の作品は背景や小道具までそっくりなのだが、赤外線で見ると、背後の屏風に描かれた水墨山水画に違いがある。香雪美術館の作品には、小さなサルが描かれていたり、水牛がいたりして(弘川寺の作品にもいる)動物好きの絵師だったのかと想像した。

 また『聖徳太子絵伝』3幅は火災に遭ったと見られ、損傷の激しい作品だったが、2015年春から3年かけて解体修理が行われた。愛知・本證寺には類似の絵伝9幅が伝わる(ところどころ図様に小さな違いあり)。香雪美術館の3幅は、この第3、第7、第9幅にあたると考えられ、残り5幅のうち4幅はボストン美術館にあることが分かっている。

 このほか、さまざまな聖徳太子絵伝が来ていて楽しかった。私がいちばん気に行ったのは、茨城・上宮寺(那珂市か)が所蔵する絵伝(鎌倉時代、14世紀)。素朴なタッチのずんぐりした登場人物たちが、血を流し、肉体を傷つけ合いながら、激しい戦さを繰り広げる。中世の東国武士の世界そのものだ。ああ、でも聖徳太子って、今日では知識人や文化英雄のイメージが強いけれど、武器をもって戦う皇子だったわけで、東国武士には親しみやすかったかもしれない。

 聖徳太子絵伝は、出産に立ち会う女性たちなど、リアルな生活風俗を描いているシーンもあれば、前世に修行した南岳衡山(湖南省)から法華経を持ち帰らせるという空想的なシーンもあり、振幅の大きさが面白い作品である。

 絵画の修理について丁寧に解説したコーナーもあって、勉強になった。絵具で描かれた状態を修復するのは作業のほんの一部。重要なのはむしろ素材で、なるべく原素材に近い布で補強するため、肉眼ではほとんど差の分からない布を三種類も織ってみて使用している。その熱意、頭が下がる。

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名作は何度でも/文楽・新版歌祭文、本朝二十四孝、他

2020-11-23 23:08:56 | 行ったもの2(講演・公演)

〇国立文楽劇場 令和2年錦秋文楽公演(2020年11月21日、14:00~、18:00~)

・第2部『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)・野崎村の段』

 好きな作品は何度聴いてもよいものだが、今年2月に東京国立劇場の公演でも聴いていたことを実はすっかり忘れていた。新型コロナが拡大する前の最後の公演で、もう遠い昔のことのように思われる。東京では、睦太夫+勝平→織太夫+清治→咲太夫+燕三+燕二郎のリレーだったが、今回は織太夫の位置に呂勢太夫が入った。どちらにしても豪華な顔ぶれ。床に近い右端区画の席が取れたこともあって、耳の幸せを堪能した。切で登場した咲太夫は、8月の病気休演の後遺症を微塵も感じさせない、凛とした声の艶と品格に聴くほうの背筋が伸びる思いだった。特におみつの老母(病気で死期が迫っている)の、敢えて声を張らない、気力だけで命を保っているようなセリフは、鬼気迫るようだった。

 燕三、燕二郎の三味線のツレ弾きも華やかで楽しく(燕二郎さん頑張った!)、終盤はすっかり床に気をとられて、お染の母役で蓑助さんが登場したのに全く気付かなかった。人形はおみつを清十郎、お染を一輔。私は、かつて吉田和生さんの遣うおみつの初々しさと愛らしさに刮目した記憶があるのだが、今回はその和生が久松の父・久作役で、時の経過を感じてしまった。

・『釣女(つりおんな)』

 独身の大名と太郎冠者が妻を求めて西の宮の恵比須神社に参詣する。大名は美しい上臈を釣り上げるが、太郎冠者は醜女を釣り上げてしまうというドタバタ劇。狂言『釣針』をもとにした舞踊曲の翻案で、狂言独特のセリフまわしや所作が面白い。狂言は久しく見ていないなあ。また見たいなあ。

・第3部『本朝二十四孝(ほんちょうにじゅうしこう)・道行似合の女夫丸/景勝上使の段/鉄砲渡しの段/十種香の段/奥庭狐火の段』

 私は「奥庭狐火の段」が大好きなので、とにかくこの段が舞台に掛かると万難を排して見に来ている(視覚的なケレンが多いので「聴く」ではなく「見る」がふさわしい)。結果的に「十種香」と「狐火」ばかり見ていて、作品全体のストーリーを把握していない。今回初めて「似合いの女夫丸」「景勝上使」「鉄砲渡し」を見ることができた。「景勝上使」では、長尾謙信のもとに嫡子景勝が将軍後室の上使として現れ、景勝の(つまり自分の)首を渡せと迫るとか、「鉄砲渡し」では、将軍暗殺に使われた鉄砲を花守りの関兵衛に托して犯人詮議を命じるとか、ケレン味たっぷりの筋立てであることが分かり、これが最後にどう回収されるのか、とても気になっている。2001年頃には通し上演の記録があるようだが、ぜひまたやってくれないかなあ。

 「狐火」がスペクタクルで楽しいことは異論がない。異変を告げる狐火。宙に浮かぶ諏訪法性の兜。とびまわる四匹の白狐。八重垣姫はもちろん勘十郎さん。床は織太夫+藤蔵+寛太郎。千変万化する三味線の音(しかもツレ弾き)も聴きどころ。しかし派手な舞台につられて、客席から拍手が起こるのが早すぎる。私は第3部も比較的、床に近い席に座っていたのだが、最後の語りと三味線は万雷の拍手にかき消されて全然聞こえなかった。藤蔵さんノリノリだったのに残念。オペラみたいに演奏終了まで拍手を我慢せよとは言わないが、最後まで曲を聞きたかったなあ。

11/28補記:1階ロビーに飾られた巨大なカシラ。早くマスクが取れますように。

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窓の外・晩秋

2020-11-21 07:08:40 | なごみ写真帖

窓の外のサクラの葉がだいぶ落ちて見通しがよくなった。窓が東南に向いているので、色づいた葉を透かすように朝日が昇って来る時刻がとてもきれい。

先月は、なぜか久しぶりに膝痛が発症して行動能力をせばめられ、

今月は、イベントが多くて持ち帰り仕事に追われ、

施設に入っている母親の体調不良で対応に気をもみ、

新型コロナの第三波到来に呆然としている(分かっていたけど行政の無策ぶりに…)。

今日からの三連休は、予定通り関西旅行へ。観劇と美術館と寺めぐりが目的の地味なひとり旅なので、東京の日常暮らしと比べて、そんなに危険性は高くないと思う。では。

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KING&QUEEN展の予習/王様でたどるイギリス史(池上俊一)

2020-11-17 22:30:34 | 読んだもの(書籍)

〇池上俊一『王様でたどるイギリス史』(岩波ジュニア新書) 岩波書店 2017.2

 上野の森美術館で始まっているロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵『KING&QUEEN展』に行こうと思って、『芸術新潮』10月号「特集・名画は語る!王と女王の英国史」を購入した。その前に君塚直隆先生の『悪党たちの大英帝国』を読んでおくつもりで、さらにその入門編として本書を読んだ。そのくらいイギリス史の知識には自信がなくなっていたので。

 本書は、アングロ・サクソン時代(5-11世紀)に始まり、ノルマン・コンクェスト(1066年、ノルマンディー公ウィリアムによる征服)によるノルマン朝の成立から、諸王朝を経て、今日のウィンザー王朝、エリザベス二世とその家族たちまでを紹介する。アングロ・サクソン時代って「古色蒼然」のイメージだったが、日本なら院政への移行期、中国は北宋までを含むと思うと、そんなに古くはないのだな。

 本書は、統治者である王様(もちろん女王様も)の系譜を全てたどりながら、社会や政治制度の発展、周辺諸国との関係、産業、文化、宗教などに言及し、イギリスの歴史を記述する。多くの逸話に彩られ、歴史に大きな足跡を残した王もいれば、数行程度の記述で消えて行く王もいる。

 印象に残る王様といえば、やはりヘンリ八世。残酷でスキャンダラスな暴君のイメージだったので、テニス、レスリング、アーチェリーなどスポーツ万能で、ラテン語とフランス語も流暢に話し音楽も作曲する、明敏で活発な王だった、という本書の評価に面食らった。「国民はどの階層も王制自体に不信や不満を持つことなく、王がしっかりと国を守り民を助けてくれるなら、自由気儘な所行も許していた」なんて、まるでアジアの皇帝政治みたいではないか。

 エリザベス一世の治世は、文化の面で興味深い。あと、あまり知らなかったのだが、スチュワート朝の祖であるジェームズ一世が悪魔学者だったというのに驚いた。

 17世紀にはクロムウェルの率いる鉄騎兵が国王軍を撃破し、チャールズ一世を裁判にかけて斬首刑に処するというピューリタン革命が成し遂げられた。このへんは高校の世界史の先生が大好きで、かなり詳しく教えてもらったことを思い出す。クロムウェル、面白いなあ。アイルランドに侵攻して、住民60万人を虐殺あるいは餓死させたというのもヨーロッパ人らしくない。アジアの狂暴な将軍みたいだ(褒めている)。そして、この体験を通じて、純粋主義や原理主義はイギリスに合わない、共和制はイギリスの政治体制として根付かないことを認識してしまったというのも、イギリス人って面白い。

 17~19世紀にかけては、いまの私たちがイギリスと聞いて思い浮かべるさまざまな文化、生活習慣が形づくられた。紅茶、ビールとジン、庭園趣味、クラブとパーティが大好きな「個人主義者の社交」、奉仕と慈善活動、パブリック・スクールなど、どれも面白かった。

 イングランド人がノルマン王朝の時代から、アイルランドやウェールズという「他者」を征服・統治することに長けていたという指摘には、若干眉唾ながら納得してしまった。これが近現代において、イギリスが帝国主義的な征服を進めていく原点となったというのである。そうであれば、帝国を解体し、新たなコモンウェルスとして結び直そうとしている、現女王・エリザベス二世の努力には、一層深い意味があると思う。

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性差と性を考える/性差(ジェンダー)の日本史(歴博)

2020-11-14 16:33:52 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立歴史民俗博物館 企画展示『性差(ジェンダー)の日本史』(2020年10月6日~12月6日)

 オンライン事前予約を忘れて現地に行ってしまったのだが、幸い空きがあって、すぐ入場することができた。本展は、ジェンダーが日本社会の歴史のなかでどんな意味をもち、どう変化してきたのかを問う。

 第1会場(展示室A)では、まず古代の政治(まつりごと)の行われる空間に着目して区分の始まりを考え、次に仕事とくらしのなかの男女にも光を当て、古代から中世・近世まで、男の職業、女の職業という私たちのイメージが、どのように生まれてきたかを考える。

 弥生時代後期から古墳時代前期には、女性首長と考えられる人物が一般的に存在した。しかし古墳時代中期になると、おそらく韓半島をめぐる軍事的緊張の高まりを背景に、女性首長は急速に減少する(古墳から見つかる女性人骨の割合で分かる)。しかし小首長や世帯の長と見られる女性が引き続き存在した。

 面白かったのは、古代のサトの直会(なおらい)の復元模型(島根県の青木遺跡で出土した木簡をもとに復元)で、地面に茣蓙(?)を敷き、人々が飲み食いしているのだが、けっこう序列の高いグループでも男女が混じっている。中国の古装ドラマなどを見ていて、古代の男女が平気で顔を合わせて喋っているのは「お話」だろうと感じていたのだが、私の前提のほうが(もっと新しい時代の常識にとらわれすぎて)間違っていたかもしれない。

 平安時代の女性は御簾の後ろに隠れてしまう。しかし中世前期の女院が大きな財力と影響力を有していたことは、残された古文書からもうかがえる。『高山寺旧蔵聖教紙背文書屏風』に見られる文書(八条院暲子の女院庁に提出されたもの)については、イラストつきの解説が分かりやすかった。

 歴博甲本『洛中洛外図屏風』は複製の展示だったが、逆に安心して顔を近づけて細部を楽しむことができた。絵画史料としての屏風はほんとに面白いなあ~。情報量が半端ないので、いつまでも楽しむことができる。東博所蔵の『月次風俗図屏風』(八曲一双、16世紀後期)が展示されていて、おや!と思った(これも複製)。ブログ内で調べたら、私が原本を初めて見たのは2008年の正月だが、今でも強く印象に残っている。今回解説を読んで、さらに興味が増した。男性の多い競馬見物と女性の多い呉服屋の店内を1枚の画面の上下に描いていたり、ジェンダー意識がうかがわれて面白い。

 第2会場(展示室B)は、性の売買の歴史を考える。中心は近世から近代。高橋由一の『花魁』が来ていた。かなり衝撃だったのは、三井家などの大商人(大店)が、新吉原の特定の茶屋と提携を結び、奉公人の遊び方を管理していたこと。大店では客の相手をする手代(独身男性)が300人を超え、男性のみの集団生活で数十年を過ごしたという。そうか、歌舞伎や文楽で見ていると、この規模感は分からないな。男性の性が管理されていたのは軍隊だけではないことを初めて知ったが、ある種、軍隊に近いかもしれない。

 明治5年(1872)の芸娼妓解放令以後、売春は娼妓が「自由意思」で行うものになったが、これが建て前しかなかったことは、横山百合子氏の『江戸東京の明治維新』(岩波新書、2018)でも論じられていたとおり。というか、実は本展「性差の日本史」プロジェクト代表は、この横山先生なのである。横山先生の著者に出てきた遊女かしくの歎願書(東京府文書)が展示されていたのには感激した。「遊女いやだ申候」の文字がちゃんと読めた。

 本展は、文書だけでなくモノの展示品も豊富で、娼妓が使用していた洗浄機や箱膳(大阪人権博物館所蔵か)や「特殊料理屋営業」の看板、明治末期につくられた月経帯などもあった。初めて客を取る娼妓は、肌襦袢と腰巻を剥ぎ取られ、土間に蹴落とされて、木椀の中のネコメシを手を使わずに食べた。人間界から畜生界に堕ちたことをあらわす儀式だったという説明書きがあり、言葉がなかった。

 最後は女性の活躍や復権を示す資料で終わるが、途中、かなり苦しいものを見せられる展覧会である。しかし、だからこそ多くの人に見てほしい。歴博、この数年、ほんとに他の博物館ではできないような、いい展覧会をやってくれるなあと思って感謝している。

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橋と水路の町/江戸の土木(太田記念美術館)

2020-11-09 23:56:03 | 行ったもの(美術館・見仏)

太田記念美術館 『江戸の土木』(2020年10月10日~11月8日)

 絶対面白いだろうと思っていた展覧会、最終日に滑り込みで見てきた。本展のテーマは「浮世絵から読み解く、江戸の土木」である。土木とは、道路や河川、橋梁、港湾などを造る建設工事のこと。東京のルーツである江戸は、幕府による天下普請を始めとした、さまざまな土木工事によって発展した都市だった。

 同館は2019年にも『江戸の凹凸-高低差を歩く』という面白い展覧会を開催している。このガイドブックになったのが、雑誌『東京人』2019年7月号「特集・浮世絵で歩く東京の凸凹(でこぼこ)」で、「東京スリバチ学会」の皆川典久氏の解説が、いちいち新鮮で面白かった。浮世絵を美術史で「ない」専門家の目で見ると、こんな面白い世界が開けるのかと、目が覚める気分を味わった。

 本展は、その第2弾と言っていいだろう。やっぱり面白かった。展示は「橋」「水路」「埋立地」「大建築」「再開発エリア」「土木に関わる人々」「災害と普請」の順で進行する。橋を描いた作品が圧倒的に多く、江戸が橋の(したがって川と運河の)町だったことを実感する。東京の東側に住み始めて4年目になるので、吾妻橋、両国橋、永代橋、深川万年橋など、なじみの名前が多かった。

 水面から高い位置に掛けられた橋が多いのは(絵画的な誇張があるにせよ)下を行き来する荷船の運航を妨げないためだということを理解した。橋脚のかたちはだいたいどれも同じに見える。こういう架橋技術を記した書物があるのだろうか。職人の口伝なのだろうか。千手大橋を架けた土木の名手・伊奈忠次の名前は覚えておきたい。明治になると、短い橋は石造アーチ橋に架け替えられた。江戸時代にも数少ない石造アーチ橋が目黒の行人坂下にあったとのこと。広重が「名所江戸百景」に描いている。永代橋が今よりかなり北にあったこと、江戸初期の海岸線がほぼ小名木川の位置だった(南側は湿地帯)というのにはびっくりした。思えば江東区、埋立てでずいぶん面積が増えたのだなあ。

 「再開発エリア」の展示には、隅田川沿いの中洲新地を描いた歌川豊春の『浮絵和国景夕中洲新地納涼之図』が出ていた。わずか20年で取り潰された幻の歓楽地で、前述の雑誌『東京人』にも載っていたし、その後、渡辺浩一氏の『江戸水没:寛政改革の水害対策』にも出て来て、興味深く思ったものだ。

 「災害と普請」では、安政の大地震で浅草寺の五重塔の九輪がねじ曲がったことを初めて知った。その曲がった九輪を描いた図(瓦版的なもの?)もあり、広重の『名所江戸八景 浅草金龍山』は九輪の修理が完成した五重塔を遠景に描いている。

 あと気になるのは、本展のポスターにも使われている北斎の『富嶽三十六景 遠江山中』で、巨大な角柱を斜めに渡して、その上に登って鋸を引く職人が描かれている。よく見ると角柱の下にも職人がいて、二人で協力しながら角柱を板に剥いでいく様子らしいのだが、上側の職人は、やがて足場がなくなってしまうのではないかと、余計な心配をしてしまった。

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蓬左文庫旧書庫を見る

2020-11-08 20:37:25 | 行ったもの(美術館・見仏)

 名古屋市蓬左文庫と徳川美術館は建物が連結しているので、美術館を参観すると、自動的に蓬左文庫の展示室がルートに組み込まれている。それは知っていたのだが、美術館の右手にある建物、蓬左文庫自体を訪ねたことはなかった。先立って、美術館の帰りがけにふと見たら「古書市」の看板が出ていたので、おそるおそる入ってみた。

 古書市には、あまり興味深いものはなかったが、隣りのエントランスホールが面白かった。1983年まで利用されていた旧書庫で、2階部分に再現された和装本の収蔵の様子を見ることができる。写真撮影も可。遠目に見た感じでは、秩入りのものは少なく、数冊ずつ積み重ねている。左右、それから棚板との間も広く空けているのは、風通しに配慮したためだろう。

 以前見た正倉院の内部を思い出した。

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