〇劉慈欣;大森望、古市雅子訳『老神介護』 KADOKAWA 2022.9
『流浪地球』とセットで刊行された劉慈欣のSF短編集。1998年から2008年に発表された5編を収める。どれも読みごたえがあった。
「老神介護」は、地球よりずっと古くから存在し、地球の生命世界を設計した「神文明」の人々(神々)が地球に現れ、老後を地球で過ごしたいと訴えたことから始まる。20億柱の神々は人類の家庭に割り当てられ、西岑村の秋生の家にも神がやってきた。しかし、もはや創造力も技術力も失い、ただの耄碌老人でしかない神々は、次第に人類に白眼視されるようになり、再び宇宙へ旅立っていく。去り際の神は静かに秋生に語る。神文明は多くの偉大な奇跡を生んだ。しかしどんな文明も必ず老いる。地球文明も同様だ。生まれた世界から動かずにいるのは死を選ぶのと同じだから、必ず宇宙に飛び立ち、新しい故郷を探せ。この、未来へ、未知の世界へ、という呼びかけには痺れるものがある。
「扶養人類」は、神文明が去った後の地球が舞台。神の予言のとおり、かつて神文明が創造した地球の兄文明が地球にやってくる。兄文明は、人類の最低限の生活レベルを調査し、それに合わせて全人類を平等に扶養することを宣言する。その頃、人類は極端な格差社会となっていた。富裕階級の人々は、兄文明の調査が始まる前に貧困者に資産を分け与え、少しでも貧富の差をなくそうと苦心していた。しかし貧困者の一部には、どうしても資産を受け取らない者がいる。彼らを始末するため、殺し屋の滑腔が雇われた。密造の滑腔銃を用いるため「滑腔」と呼ばれる殺し屋の青年、その育ての親であり、薄い鋸をベルトにしているギザ兄、ソビエト共産党の警備スタッフだったロシア人ボディガードのKなど、香港ノアール的な血腥いリアリズムと、荒唐無稽な寓話的設定が混然一体化した、魅力的な一篇。
「白亜紀往事」は、恐竜と蟻が共生によって文明を築き上げた地球の物語。脳の小さい蟻たちは恐竜のように好奇心と想像力を持てなかったが、エンジニアとして精密機械の操作や修理を担ってきた。しかし蟻連邦はついに恐竜たちに反旗を翻すことに決めた。恐竜世界はゴンドワナ帝国とローラシア共和国に分裂し、対立していた。両国は、それぞれ地球を滅亡させることが可能な反鉄(反物質)を有し、互いに牽制し合っていた。しかし蟻連邦の蜂起によって、恐竜世界のネットワークが停止し、カウントダウンの解除が働かなくなる。慌ててカウントダウン解除に奔走する蟻たち。しかし恐竜とはコミュニケーションをとることができない。かなりブラックなコメディである。地球を破滅させる威力を持った「反鉄」には、『陳情令』の「陰鉄」を連想した。
「彼女の眼を連れて」は、一転してリリックな短編。月や小惑星で働く人々が多数になった未来社会、ふるさとの地球を「体験」できるセンサーグラスが発明された。地球で休暇を過ごせる人々は、他人の眼(センサーグラス)を連れ歩くことが社会貢献とみなされていた。あるとき主人公の「ぼく」は、繊細でロマンチックな女性の眼と休暇を過ごす。数か月後「ぼく」は真相を知る。彼女は地中探査船「落日6号」の最後の乗組員だった。落日6号は、事故を起こして地球のコアに向かって沈み続けていた。生態循環システムは機能しているはずだが、地上との通信はすでに途絶え、彼女は永遠の孤独とともに地球のコアに閉じ込められた。
「地球大砲」は、その前日&後日譚。沈華北は、白血病の治療が可能になるまで人工冬眠に入ったが、74年後、目覚めたとたん人々に吊し上げられる。沈華北の息子の沈淵は、中国の黒竜江省から南極大陸の西の端に至る地球トンネルの建造を成し遂げたが、その過程で多くの人命を奪い、完成したトンネルは無用の長物だった。沈淵はひとりでトンネルの往復を続けて、最後は心臓発作で死んでしまった。落日6号に乗った彼の娘・沈静に呼びかけていたとも言われる。沈華北は再び冬眠に入り、50年後に目覚めた。すると今度は人々に手厚く迎えられた。地球トンネルは、ヴェルヌの『月世界旅行』よろしく、宇宙への大量輸送を実現する「地球大砲」として役に立っていたのである。これはほっこり心温まる話。二度目の冬眠に入る前の沈華北は、万里の長城もピラミッドも「完全に失敗した巨大プロジェクト」であるけれど、そこに凝縮された精神は人々を永遠に照らし続ける、と吠える。確かに無用か有用かの判断も、糾える縄みたいなものだろう。