見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

宇宙へ、そして地底へ/老神介護(劉慈欣)

2023-03-31 23:12:26 | 読んだもの(書籍)

〇劉慈欣;大森望、古市雅子訳『老神介護』 KADOKAWA 2022.9

 『流浪地球』とセットで刊行された劉慈欣のSF短編集。1998年から2008年に発表された5編を収める。どれも読みごたえがあった。

 「老神介護」は、地球よりずっと古くから存在し、地球の生命世界を設計した「神文明」の人々(神々)が地球に現れ、老後を地球で過ごしたいと訴えたことから始まる。20億柱の神々は人類の家庭に割り当てられ、西岑村の秋生の家にも神がやってきた。しかし、もはや創造力も技術力も失い、ただの耄碌老人でしかない神々は、次第に人類に白眼視されるようになり、再び宇宙へ旅立っていく。去り際の神は静かに秋生に語る。神文明は多くの偉大な奇跡を生んだ。しかしどんな文明も必ず老いる。地球文明も同様だ。生まれた世界から動かずにいるのは死を選ぶのと同じだから、必ず宇宙に飛び立ち、新しい故郷を探せ。この、未来へ、未知の世界へ、という呼びかけには痺れるものがある。

 「扶養人類」は、神文明が去った後の地球が舞台。神の予言のとおり、かつて神文明が創造した地球の兄文明が地球にやってくる。兄文明は、人類の最低限の生活レベルを調査し、それに合わせて全人類を平等に扶養することを宣言する。その頃、人類は極端な格差社会となっていた。富裕階級の人々は、兄文明の調査が始まる前に貧困者に資産を分け与え、少しでも貧富の差をなくそうと苦心していた。しかし貧困者の一部には、どうしても資産を受け取らない者がいる。彼らを始末するため、殺し屋の滑腔が雇われた。密造の滑腔銃を用いるため「滑腔」と呼ばれる殺し屋の青年、その育ての親であり、薄い鋸をベルトにしているギザ兄、ソビエト共産党の警備スタッフだったロシア人ボディガードのKなど、香港ノアール的な血腥いリアリズムと、荒唐無稽な寓話的設定が混然一体化した、魅力的な一篇。

 「白亜紀往事」は、恐竜と蟻が共生によって文明を築き上げた地球の物語。脳の小さい蟻たちは恐竜のように好奇心と想像力を持てなかったが、エンジニアとして精密機械の操作や修理を担ってきた。しかし蟻連邦はついに恐竜たちに反旗を翻すことに決めた。恐竜世界はゴンドワナ帝国とローラシア共和国に分裂し、対立していた。両国は、それぞれ地球を滅亡させることが可能な反鉄(反物質)を有し、互いに牽制し合っていた。しかし蟻連邦の蜂起によって、恐竜世界のネットワークが停止し、カウントダウンの解除が働かなくなる。慌ててカウントダウン解除に奔走する蟻たち。しかし恐竜とはコミュニケーションをとることができない。かなりブラックなコメディである。地球を破滅させる威力を持った「反鉄」には、『陳情令』の「陰鉄」を連想した。

 「彼女の眼を連れて」は、一転してリリックな短編。月や小惑星で働く人々が多数になった未来社会、ふるさとの地球を「体験」できるセンサーグラスが発明された。地球で休暇を過ごせる人々は、他人の眼(センサーグラス)を連れ歩くことが社会貢献とみなされていた。あるとき主人公の「ぼく」は、繊細でロマンチックな女性の眼と休暇を過ごす。数か月後「ぼく」は真相を知る。彼女は地中探査船「落日6号」の最後の乗組員だった。落日6号は、事故を起こして地球のコアに向かって沈み続けていた。生態循環システムは機能しているはずだが、地上との通信はすでに途絶え、彼女は永遠の孤独とともに地球のコアに閉じ込められた。

 「地球大砲」は、その前日&後日譚。沈華北は、白血病の治療が可能になるまで人工冬眠に入ったが、74年後、目覚めたとたん人々に吊し上げられる。沈華北の息子の沈淵は、中国の黒竜江省から南極大陸の西の端に至る地球トンネルの建造を成し遂げたが、その過程で多くの人命を奪い、完成したトンネルは無用の長物だった。沈淵はひとりでトンネルの往復を続けて、最後は心臓発作で死んでしまった。落日6号に乗った彼の娘・沈静に呼びかけていたとも言われる。沈華北は再び冬眠に入り、50年後に目覚めた。すると今度は人々に手厚く迎えられた。地球トンネルは、ヴェルヌの『月世界旅行』よろしく、宇宙への大量輸送を実現する「地球大砲」として役に立っていたのである。これはほっこり心温まる話。二度目の冬眠に入る前の沈華北は、万里の長城もピラミッドも「完全に失敗した巨大プロジェクト」であるけれど、そこに凝縮された精神は人々を永遠に照らし続ける、と吠える。確かに無用か有用かの判断も、糾える縄みたいなものだろう。

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2023門前仲町で花見呑み

2023-03-26 19:52:18 | 食べたもの(銘菓・名産)

桜はほぼ満開になったが、天気のはっきりしない土曜日、門前仲町の居酒屋「まるお」で友人と会食した。

大横川沿いの2階のお店なので、大きな窓から満開の桜を眺めることができる。たぶん1年間でこの週末だけの絶景だろう。お任せのコースは、お刺身・酢の物・カツなど、変化があってどれも美味しかった。

同席のお客さんが、お酒のメニューに「見えざるピンクのユニコーン」という高級日本酒があるのを見つけて「これは激レアの逸品!」と嬉しそうに注文していたので、連れの友人が1杯注文してみた。私もひとくちお相伴させてもらったら、値段に恥じない、やわらかな味わいだった。

秋田の新政酒造がつくっているお酒で「貴醸酒」というカテゴリーに属するそうだ。「見えざるピンクのユニコーン(Invisible Pink Unicorn)」が有神論の風刺に由来するコンセプトだというのは初めて知った。

〆めは炒めごはん(二人前)。ごちそうさまでした。

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伝統と革新の富士山/富士と桜(山種美術館)

2023-03-24 22:30:03 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展・世界遺産登録10周年記念『富士と桜-北斎の富士から土牛の桜まで-』(2023年3月11日~5月14日)

 富士山の世界遺産登録10周年という記念の年に、富士と桜という、日本の美が凝縮された優品の数々を展示する。ポスターになっているのが、北斎『冨嶽三十六景・凱風快晴』と奥村土牛の『醍醐』だし、伝統的な日本の美意識にのっとった作品が主だろうと勝手に思い込んで見に行った。そうしたら、意外と「そうでない」作品にも出会って衝撃を受けてしまった。

 前半は「富士山を描く」セクション。寺崎広業、平福百穂、安田靫彦など、おなじみの画家の名前が並ぶが、作品は「10年ぶり」「16年ぶり」などの注記が付いたものが多かった。特に「10年ぶり」が多かったのは、2014年に特別展・富士山世界文化遺産登録記念『富士と桜と春の花』が開催されているせいかもしれない。私はこの展覧会は見ていない(2014年は札幌に住んでいたときだ)。平福百穂の『富士と筑波』は屏風仕立てで、右隻に純白の大きな富士山、左隻に小柄な筑波山を並べる。筑波山は緑の地に目の細かい白いレースをかぶせたよう(高級なアイスクリームのようで美味しそう)。二つの峯の間が狭くて、私がつくば市住みのときに毎日見ていた山のかたちと違うのは、たぶん見ている方角が違うのだろうなと思った。伊東深水の『富士』は下がり松の枝越しに眺める富士山で、青と白のツートンカラーが鮮やか。深水の描く、ちょっとバタ臭い美人を連想させる。

 さて展示室の突き当りの壁に並んでいた4点が素晴らしかった。まず小松均(1902-1989)の2点。『富士山』はモノクロで、富士山のゴツゴツした山肌を執拗に描き込む。その隣りの『赤富士図』は夕焼け空を背景に赤と黒で描かれた富士山。灼熱の溶岩をまとった姿に見えなくもない。小松均は富士山に魅せられた画家のひとりで、富士山の麓の小屋に籠って『赤富士図』を描いたという。

 その隣りは、川崎春彦(1929-2018)の『赤富士』と『霽るる』。『赤富士』は、西洋画ふうの大きな縦長の画面で、青黒い雲海が渦巻く中に赤富士の鋭角な頭頂部が立ち上がっている。この陰鬱で禍々しい赤と青の対比は、中国ドラマ『三体』のビジュアルだ!と思い当たった(正確には、ちょっと色調が違う)。この作品(個人蔵、初公開)を見せてくれて、本当にありがとうございます。『霽(は)るる』は漢字を読めなかったのだが「晴れる」の意味なのかな? 暗い空と波立つ海、渦巻く雲の中に富士の影が浮かび上がる。これもなんとなく暗い情念を感じる作品。いや~(横山大観的な)めでたく神々しい富士山よりも、こっちのほうが断然好き。この展覧会、見に来てよかった。しかし川崎春彦(川崎小虎の息子なのか)をネットで検索してみると、ふわふわしたパステルカラーの富士の絵しか出てこないのも面白い。加藤東一(1916-1996)の『新雪富士』も好きだ。このひとの絵、もっと見たい。

 後半は「桜を描く」で、富士に比べると、おなじみの作品が多かったが、それはそれで良し。奥村土牛『醍醐』は何度見てもいい。毎年、見慣れた桜の木が花をつけるのを見るような安心感と喜びがある。ついでにいうと、展示室をほぼひとまわりしたところでこの作品に出会う、今年の展示位置が一番いいと思う。背中合わせに『吉野』が掛かっていたのも嬉しかった。

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黒社会の群像/中華ドラマ『狂飆』

2023-03-23 23:33:25 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『狂飆(きょうひょう)』全39集(愛奇藝、留白影視、2023)

 中国南方の臨江省京海市(架空の都市)を舞台に、20年にわたる警察と「黒社会」集団の闘いを描いたドラマ。中国では今年の年頭から放映が始まり、大ブームを巻き起こした。「掃黒除悪」(黒社会の一掃)を掲げる中国共産党の「指導」が入ったドラマなのだが、確かに面白かった。

 物語の発端は2000年、旧暦の大晦日。旧廠街の市場で借店舗の位置をめぐって唐小龍、唐小虎兄弟と揉め事を起こした魚売りの高啓強は警察に逮捕される。高啓強を親代わりに育った弟の高啓強と妹の高啓蘭は、兄のために年越しの餃子を差し入れる。情に厚い警官の安欣は、規則を曲げて、そっと高啓強に餃子を食べさせる。これが高啓強と安欣の最初の出会いだった。

 それから高啓強は、いつの間にか唐兄弟の兄貴分となり、殺し屋の老黙に恩を売り、ナイトクラブ「白金瀚」の支配人・徐江を亡き者にし、徐江に殺された白江波の妻・陳書婷と結婚し、京海建工集団の理事長で黒社会にも睨みをきかす陳泰(泰叔)の義理の息子に収まるなど、出世の階段を駆け上がっていく。

 2006年、高啓強は京海建工集団の幹部として、莽村という農村の土地買収を進めていたが、村の党支部書記の李有田は、欲得から高啓強に対抗する。高啓強は老黙を送り込み、莽村で人身事故を起こさせるが、この捜査に当たったのが、安欣とその同僚の李響。李響は黒社会の「保護傘」になっている市政府要人の捜査にも取り組んでいた。一方、高啓強は京海建工集団内の権力闘争で泰叔を追い落とし、李有田の息子の不良青年・李宏偉が安欣の恋人・孟鈺を誘拐する事態になったり、高啓強の弟・啓盛が薬物売買に関与していることが判明したり、次々に事件が起きる。高啓強は老黙に李宏偉とともに爆死することを命じ、弟の潔白を守ろうとするが、警察の策略に嵌ってしまう。啓盛は李響を道連れに飛び降り自殺をして、兄の名誉を守る。弟を失い、妻の陳書婷からも「家に戻りたくない」と告げられる高啓強。相棒の李響を失い、恋人の孟鈺に自ら別れを告げる安欣。孤独な二人の交錯(第26集)が印象的だった。

 そして2021年。高啓強は、京海建工集団あらため強盛集団を率い、市長の趙立冬の引き立てで市の政協委員を務めているが、黒社会での権勢も失っていない。妻の陳書婷は既に亡く(死の真相は最終話直前に語られる)、陳書婷の連れ子だった暁晨と老黙の遺児の黄瑶と暮らしている。妹の啓蘭は医者となり、縁あって安欣の主治医をしていた。ここに省政府から、京海市の「掃黒除悪」を使命とするチームが派遣されてきた。リーダーの徐忠と補佐の紀澤は、高啓強を深く知る安欣の話を聞き、チームに加わることを要請する。はじめは固辞していた安欣だが、再び高啓強との対決に乗り出す。

 安欣のかつての恋人・孟鈺は、安欣の同僚だった楊健と結婚し、楊健は供電局副局長に転身していた。2014年、楊健が副局長のポストを争った王力は、路上で銃撃事件に遭い、職を辞している。徐忠らは、この一件に高啓強の関与を疑い、捜査を進めていく。実はこの事件は、高啓強の息子の暁晨が、若者の無鉄砲から引き起こしたものだったが、高啓強は息子を守ろうと奔走する。同じ頃、香港から来た黒社会の企業家・蒋天も事件の真相を嗅ぎつけ、高啓強に取り入ろうとしたが、以来、両者は闘争状態にあった。

 高啓強は趙市長に助力を乞うが、そろそろ高啓強に見切りをつけようとする市長はつれない。結局、自ら手を下して蒋天の始末をつけた高啓強だったが、蒋天に忠誠を誓った殺し屋・過山峰の復讐の手が伸びる。最後は安欣に救われ、逮捕された高啓強は、裁きを受け、死刑に処せられた。死すべき悪人は死し、生き残った悪人たちは捕えられて、それぞれ相当の刑罰が言い渡された。

 結末はあっけないが、そこに至るまでのさまざまな人生の錯綜が味わい深かった。黒社会の人々も決して一面的な描き方ではなく、寡黙な殺し屋の老黙も、短気で息子思いの徐江も好きだった。序盤のチョイ役だと思った唐兄弟(特に小虎)が終盤まで高啓強に従う姿もよかった。ダメ弟の啓盛も最後に思わぬ漢気を見せたし。高啓強は、陳書婷への一途な愛情を含め、ひたすら「家族」を守ろうとして、結局、何も得られない人生だったように思う。最後に監獄の面会室で安欣の差入れた餃子を食べながら、違う人生もあり得たかも、とつぶやく姿が寂しげで胸に沁みた。高啓強を演じた張頌文は、2000年の田舎っぽい兄ちゃん→2006年の成金ヤクザルック→2021年の上品な中年紳士の、メリハリある三変化が見事だった。ロケ地は広東省江門市で、ドラマの影響で大変な観光ブームらしい。行ってみたいなあ。

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北野天満宮の神人たち/日本中世の民衆世界(三枝暁子)

2023-03-21 20:36:00 | 読んだもの(書籍)

〇三枝暁子『日本中世の民衆世界:西京神人の千年』(岩波新書) 岩波書店 2022.9

 本書は、西京神人(さいきょうじにん)と呼ばれる共同体を例に取り、中世民衆の姿を浮かび上がらせる。「西京」は、もと平安京の西側(右京)を指したが、10世紀に一条以北に北野天満宮が成立したことにより、11世紀には北野天満宮領域(右京一条・二条)が「西京」と意識されることになる。中世には「京都」の一部ではあるが、市街地の周縁部、すなわち「洛外」とみなされた。

 西京には様々な階層の人々が居住していたが、住人の多様性や流動性は市街地ほどではなく、基本的に北野天満宮に地子(地代)・年貢・公事(雑税)を納める人々だった。そして商工業者の中核となったのは麹業を営む西京神人たちだった。

 麹業は、酒造業とともに発達した。室町時代、権力者たちは酒宴を好み「酔狂の世紀」と呼ばれる時代を出現させたという。いや、鎌倉時代の武将も平安時代の貴族も、けっこう酒は飲んでいた気がするが、室町時代の京都で、産業としての麹業が成立したのは間違いない。なお、西京神人の後裔の川井家には、秋に収穫して貯蔵した米が、毎年のように紙屋川の氾濫に遇い、濡れた稲から黄黴が発生して麹ができた、という麹の由来が伝わっているそうだ。裏付ける史料はないものの、ありそうな話でおもしろい。

 室町時代、西京神人たちは、西京以外で酒屋(麹室を構え、しばしば金融業を兼ねた)を営むことの禁止を幕府(将軍義持)に訴え出て、認められた。義持は強烈な北野信仰の持ち主で(へえ!)、西京神人に麴業の独占を認めるとともに、彼らが怠りなく北野祭に奉仕することを求めたという。北野祭は10世紀に始まる古い祭礼だが、南北朝時代には、朝廷の財政危機により執行が難しくなっていた。そこで朝廷に代わって、新たな様式の祭礼を再編したのが室町幕府である。現在の瑞饋(ずいき)祭は、この再編に由来するらしい。

 嘉吉・文安期には、酒麹業の独占をめぐって相論が置き、西京神人が北野天満宮に閉籠し、管領軍と合戦となる事態(文安の麹騒動)も起きた。中世とは、武士だけでなく、僧侶や神職者、商工業者、農民など全ての人々が、紛争解決手段として武力を行使する時代だったことを著者は注記している。結局、この騒動によって西京神人は麹業の独占権を失い、幕府政所の伊勢氏の被官となって(武士の役割も担い)生き延びていく。近世に入ると、麹業は衰退するが、北野天満宮の祭礼に奉仕する「神人」としての結束は続く。

 近代には、神仏分離による北野天満宮の変質(比叡山延暦寺や曼殊院門跡との関係断絶)、「神人」身分の消滅、瑞饋祭の中絶など、大きな変化が起きた。それでも西京神人家の人々は中世からの共同体を守り、瑞饋祭の復興(明治23/1890年)を果たし、今日に至る。明治40年(1907)から100年にわたる日誌を書き続けているというのも素晴らしい。

 共同体でも家系でも祭礼でも「古くから続いている」と聞くと、我々は、ずっと変わらない姿で続いているように誤解しがちな気がする。実は、本書に描かれた西京神人のように、さまざまなアップデートを繰り返しながら続いてきたもののほうが多いのではないかと思った。北野天満宮のずいき祭(10月初旬)は、まだ行ったことがない(たぶん)ので、なんとか一度は見てみたい。「古式」のままではなく、明治初年に中断したものを、神人たちが執念で復活させたと思って眺めるのも、味わい深いと思う。

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2023桜咲く

2023-03-20 13:37:59 | なごみ写真帖

窓の外の桜の木に白い花を見つけたのは3月17日(金)。今年は例年より少し早い。この日の夜はむかしの職場の同僚たちと呑み。

3月18日(土)は冷たい雨であまり開花は進まなかった。この日も友人二人と近所で昼呑みを楽しんだ。

3月19日(日)は、もはや四月のぽかぽか陽気。対岸の桜が一気に濃くなった。この日の午前中は、YouTubeライブで吉見俊哉先生の最終講義「東大紛争-1968-69」を聴講。別に東大関係者でなくてもこうした講義を聴講できるのは、いい時代になったものだ。午後は、トークイベント「いとうせいこう氏と語る長浜のホトケの魅力」を聴きに上野の東博へ出かけた。

今日3月20日(月)はさらに気温が上昇。昼時に見に行ったら、水面に近い枝はもう八~九分咲き。

朝から花見の遊覧船が、窓の下を行き交っている。

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2023年3月関西旅行:近鉄「ならしかトレイン」

2023-03-19 08:49:58 | なごみ写真帖

先週、奈良から京都に移動する際、新大宮→大和西大寺の1区間だけ乗車した車両。外観もおしゃれなラッピングトレインだったが、乗ったら、さらにびっくり。

全ての吊り革がシカ仕様。

朝早めだったこともあり、私以外は沿線住民で乗り慣れているのか、騒いでいる乗客はいなかった。調べたら、2022年12月5日から運行されている「ならしかトレイン」だそうだ。また乗りたい。

※鉄道ホビダス:何頭いるのよ! 近鉄奈良線「ならしかトレイン」圧巻のビジュアル!(2022/12/3)

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2023年3月関西旅行:甲斐荘楠音の全貌(京都近美)

2023-03-18 09:59:21 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立近代美術館 開館60周年記念『甲斐荘楠音の全貌-絵画、演劇、映画を越境する個性』(2023年2月11日~4月9日)

 大正から昭和にかけて京都で活躍した日本画家、甲斐荘(または甲斐庄)楠音(かいのしょうただおと、1894-1978)を取り上げ、映画人・演劇人としての側面を含めた彼の全体像を紹介する。私がこの画家の存在を知ったのは、わずか5年前のことだ。2018年に千葉市美術館で『岡本神草の時代展』を見たついでにミュージアムショップで買った松嶋雅人さんの『あやしい美人画』(東京美術、2017)で、初めて甲斐庄楠音の名前を知り、その後、東近美『あやしい絵』や東京ステーションギャラリー『福富太郎の眼』展で作品に出会っている。

 私の最初の出会いは「あやしい」系だったが、楠音は、正調の美人画も描いている。本展には、明らかに怖くてあやしい『幻覚(踊る女)』『春宵』、きれいだけどあやしい『横櫛』『舞ふ』、ひたすら美しい『秋心』など、多様な作品が集結して楽しかった。花魁や着物姿の女性を描いた画家のイメージだったが、肉付きのよい裸婦を描いた作品も多く残していることを知った。裸婦に黒い紗のドレス(着物?)を羽織らせた『籐椅子に凭れる女』も好き。『桂川の場へ』など歌舞伎や文楽に取材した作品が多いのは納得できるところ。『櫓のお七』に描かれたお七を遣う太夫さんはどなたかなあ。

 本展は、絵画作品以外でいろいろ驚きがあった。同館は、楠音の写真やスクラップブックなどアーカイブ資料を多数所蔵しているらしく、そこから構成された画家の「全貌」がとても興味深かった。まず写真。若い頃はかなり美形で、しばしば女装を楽しみ、裸体写真も残している。ちょっと澁澤龍彦を思い出してしまった。なお、晩年の枯れたおじいちゃんの風貌も私は好きだ。

 楠音は、昭和10年代(1940頃)から映画制作にかかわり、以後は映画の時代考証や衣装考証を主な活躍の場としていく。映画のスチール写真やポスターが多数展示されていたが、昭和20年代(戦後)は映画のポスターに「衣装考証」の名前も載っていたのだな。

 さらに驚いたのは、『旗本退屈男』など昭和20~30年代に楠音が手掛けた衣装の現物40点近くがずらりと掛け並べて展示されていたこと。楠音の衣裳スケッチが残っているものもある。所蔵は「東映京都撮影所」になっていた。あらためて京近美のサイトにアクセスして、本展の開催趣旨を読んだら「彼が手がけた時代劇衣裳が太秦で近年再発見されたことを受け、映画人・演劇人としての側面を含めた彼の全体像をご覧いただきます」とあった。なるほどなあ。

 本展は今年の夏、東京に巡回予定だが、これらの衣裳も全部持ってきてくれるかな。持ってきてほしい。また見に行くので、図録は東京で購入することにした。

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2023年3月関西旅行:春日大社国宝殿、二月堂、奈良博

2023-03-15 22:06:15 | 行ったもの(美術館・見仏)

春日大社国宝殿 特別展・春日若宮式年造替奉祝『杉本博司-春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦』(2022年12月23日〜2023年3月13日)

 夕方4時近くに鉄奈良駅に到着し、急いで春日大社へ。杉本博司氏監修の本展を見たかったのである。1階のほぼ真っ暗な展示室には、春日大社の藤棚の写真を屏風にした作品や春日山風景の映像作品などが展示されていた。鼉太鼓の展示されたホールを通って2階へ(窓側にガラスの五輪塔が並んでいたことには、あとで気づいた)。

 2階左手の大展示室の須弥壇には、見覚えのある木造十一面観音立像。頭部に菩薩面ではなく、大きな黒い塊が点々と付いてるだけの十一面で、2022年に金沢文庫の『春日神霊の旅』で見たものだ。背後の彩色の剥げた鼉太鼓は、昭和50年代まで八百年にわたって使われてきたというから鎌倉時代の作だろうか。龍と鳳凰の木彫が照明に浮かび上がっている。左右の展示ケースには、春日大社所蔵の古美術品と、杉本博司氏または小田原文化財団所蔵の品が取り合わされて並んでいた。後者は古様を伝えるものもあれば、現代美術家の感性で補作・改造されたものもある。ガラスの五輪塔を載せた銅製の神鹿とか、文殊菩薩を描いた円形の彩板を載せた神鹿とか。

 綾藺笠に行縢(むかばき)の騎手が、馬上で弓を掲げる『流鏑馬木像』(春日大社所蔵)は新しいものかと思ったら、平安時代の作だった。『菩薩地蔵立像・神鹿像』(個人蔵、鎌倉時代)は鹿の背中に地蔵菩薩が立っており、飴細工のような金色の光背が美しかったが、どのくらい後世の手が入っているのか、考えてしまった。関連作品(写真2件)が春日若宮の神楽殿にも展示されているというので、足を延ばす。なんとか閉門(16:45)に間に合って見ることができた。

東大寺二月堂

 それから若草山の山麓ルートで二月堂へ。本来なら19時のお松明上堂を待つ人々でいっぱいになる時間だが、今年は堂内や局での聴聞禁止(通期)に加えて、3/11(土)と3/12(日)は、二月堂周辺にも滞在できない措置が取られている。なんとか、人払いされる17:30より前に着いて、お参りすることはできた。「南無観」のご朱印も貰えた。

 あたりは物々しい竹矢来(さすがに先は尖っていない)で囲われている。北側の回廊は立ち入ることができなかった。

 仏餉屋(ぶっしょうや)または御供所(ごくうしょ)と呼ばれる建物に立てかけられたお松明。

奈良国立博物館 特別陳列『お水取り』(2023年2月4日~3月19日)

 今年は修二会を聴聞できないことは分かっていたのだが、この時期に関西にいるのだからと思って、やっぱり奈良を訪ねてしまった。そして物足りない気持ちは奈良博で満たしていくことにした。本展は、毎年この時期に行われる恒例企画で、実際に法会で用いられた法具や装束、絵画、古文書、出土品、写真などを展示する。会場には修二会の声明が低く流れていて、「南無観自在」から「南無観」への流れをうっとりと聴いた。

 展示品はだいたい見覚えのあるものだったが、「三石入」と刻まれた、巨大な陶製の『油甕』(安土桃山~江戸時代、奈文研所蔵)は初めて見た。転害門の北側に位置する油屋・松石源三郎商店に伝わったものだという。なお、現在、修二会の燈明油は、愛知県岡崎市の太田油脂株式会社が寄進しているそうだ。今度、この会社の商品を買ってみようかしら。

※参考:「油屋さんの油甕」(奈良文化財研究所紀要、2017)

 特集展示『新たに修理された文化財令和5年』(2023年2月21日~3月19日)と名品展『珠玉の仏教美術』(2023年2月4日~3月19日 )も楽しんだ。奈良博で彫刻以外の名品展が見られる機会は少ないので、貴重なめぐり合わせだったと思う。密教系の仏画が眼福だった。

 夜は新大宮泊。 

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2023年3月関西旅行:絵画で女子会!(逸翁)、大阪の日本画(中之島)他

2023-03-13 21:31:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

 広島出張帰りの週末は、大阪→奈良→京都で遊んできた(もちろん自腹)。金曜の夜は大阪に泊まり、朝イチで池田の逸翁美術館に行って、開館を待った。

逸翁美術館 『絵画で「女子会!」-描かれた女性たち-』(2023年1月21日~3月12日)

 伝説上の存在や歴史上の人物から、遊女や芸妓、町娘など、絵画や絵巻物を中心に描かれた女性たちの姿を楽しむ。少女歌劇団の創設者・小林一三のコレクションだけあって「さすがお目が高い」という印象だった。特に気に入ったのは池田輝方・蕉園の『鳥辺山図』双福。岡本綺堂の歌舞伎『鳥辺山心中』のあらすじを読みながら眺めると、いっそう興が深まる。山口素絢『酔美人図』は豪華な着物で酔い崩れる花魁二人。ご陽気そうでもあり、不幸せそうでもある。源琦『玄宗楊貴妃弄笛図』は、並んだ二人が一管の横笛を演奏する図で、なんとなく鼻の下の伸びた玄宗の表情が可笑しい。南北朝時代の『大江山絵詞』には、野良仕事で筋骨が固かったため、鬼の餌食にならず、二百年生き延びた老女が登場する。酒呑童子が頼光らに討ち取られると、老女の生命も尽きてしまう。いろいろ想像と解釈の広がる物語だ。

大阪中之島美術館 開館1周年記念特別展『大阪の日本画』(2023年1月21日~4月2日)

 同館には初訪問。館外に長い列ができていたので慌てたが、別のイベントやレストランの利用客だった。本展は、明治から昭和に至る近代大阪の日本画に光をあて、60名を超える画家による約150点の作品を展示する。はじめに「北野恒富とその門下」が特集されていて、恒富作品を9件見ることができた。恒富はあやしい絵の印象が強いが、可憐な女性や凛とした女性も描いているんだったな。本展のメインビジュアルも恒富の『宝恵籠(ほえかご)』で、晴れ着姿の娘の初々しさを描く。恒富は大阪画壇のリーダーで、男女共学の画塾「白燿社」を主宰するなど、多くの弟子を育てたそうだ。

 大阪の文化を描いた画家として取り上げられていた菅楯彦もよかった。大作『龍頭鷁首図屏風』は四天王寺が所蔵しているのか。いいなあ。矢野橋村は個性的な山水画を残した。日本の作品とは思えない、大幅が多いことにも驚いた。別のセクションに「船場派」という括りが出て来たが、最も需要があったのは、商家の床の間を飾るにふさわしい、瀟洒で万人向けの絵画だった。最後は女性画家の特集で、恒富門下である島成園や中村貞以も再登場。

 展示作品の所蔵先を見ると、大阪市美、大阪歴博、中之島図書館など、地元が圧倒的に多い。東京ではあまり出会う機会のない作品を見ることができて、楽しかった。

大和文華館 特別企画展『隠逸の山水』(2023年2月24日~4月2日)

 奈良へ移動。本展は、静けさに満ちた情景を描き出した日本の作品を中心に展示する。禅僧の山水、狩野派の山水と見てきて、意外といいと思ったのは、近世後期の墨画淡彩の文人画。岡田半江『秋渓訪友図』とか山本梅逸『高士観瀑図』に癒された。

 奈良市内、続く。

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