見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

庶民の夢と生活とともに/サラ金の歴史(小島庸平)

2021-04-30 20:17:36 | 読んだもの(書籍)

〇小島庸平『サラ金の歴史:消費者金融と日本社会』(中公新書) 中央公論新社 2021.2

 面白い、という感想がやたらSNSに流れてくるので、読んでみたらなるほど面白かった。本書は、無担保で小口融資を行う消費者金融の歴史を、特に1960年代に誕生した「サラ金」に焦点を当て、前後の期間を含めて記述する。

 戦前期の日本では、個人間の資金貸借が活発に行われていた。貧民窟の素人高利貸は「男伊達」であり、男性労働者の憧れだった。第一次大戦後に層として成立するサラリーマンの世界にも、職場の同僚に有利子で金を貸して副収入を得る人々がいた。また、戦前戦後を通じて庶民金融の代表格は質屋だった。サラ金は、個人間金融を源流とし、質屋を代替するかたちで登場する。

 高度成長期、人々は消費水準の上昇と生活様式の変化についていくことを義務のように感じており、とりわけ団地族の専業主婦は、家電製品の導入に積極的だった。彼らの購買意欲を助けたのが割賦販売(月賦)である。代金支払の先延ばし、つまり一種の資金貸付ともいえる月賦の利用には、借金への抵抗感を薄める効果があった。しかし大蔵省や日銀は、銀行が消費者向け金融に参入することに警戒的だったため、1960年以降、銀行を中心とするフォーマルな金融システムとは別に、消費者金融ビジネスが立ち上がる。のちのアコム、プロミス、レイク、武富士につながる企業である。

 この分野に早期に参入した企業は、団地の主婦層への小口融資を展開した。しかし安定的な収入を持たない主婦を相手にする団地金融は、高リスク・高コスト体質を脱却できずに行き詰まる。次いで1960年代半ばから、サラリーマン金融が急成長する。この頃、サラリーマンの人事評価は、意欲や態度を見る「情意考課」で、出世のためには、接待や職場の飲み会に積極的に参加し、気前よく部下におごってみせることが必須だった。サラ金は、男性サラリーマンの飲酒・ギャンブルのための借入を「前向き」と評価して歓迎する一方、主婦は原則的に排除した。

 高度経済成長が終焉した1970年代、銀行は新たな融資先としてサラ金に目をつける。これにより、サラ金各社の資金調達環境は好転するが、肝心のサラリーマンは賃金の低迷に悩み、遊興費ではなく、家計のやりくりのための借入申込が増大していた。サラ金は「前向き」需要の減少分を埋めるため「後ろ向き」需要にも積極的に対応するようになり、借入主体として主婦の取り込みを図った。

 70年代末から80年代初頭にかけて、過剰な債務によって人生に行き詰まり、家出や自殺をする人々が増大したことを受けて、「サラ金被害者の会」や弁護士たちの取組みによって、1983年、貸金業規制法が制定された。弁護士たちは、業界寄りの不十分な内容と受け止めたが、以後、サラ金は「冬の時代」を各種の経営改革によって乗り切り、バブル景気下で再び劇的な成長を遂げる。

 バブル崩壊後は、長引く不況、日本型雇用の解体、家族の戦後体制の動揺を背景に、業界の過当競争が激化した。またも過剰貸付が横行し、多重債務者や自己破産者が増加した。サラ金に対する規制強化を求める世論は日増しに強まり、当時、小泉純一郎の郵政選挙で世論の動向になった自民党の議員たちも、これを支持した。その結果、2006年に改正貸金業法が成立し、長らく金融業界の周縁部にあったサラ金は、これで完全に銀行システムの内部に組み込まれたのである。

 まず戦前の個人間融資については、明治や大正の小説を読んでいると、わりと頻繁に金の貸し借りの場面や「高利貸」という職業が出てくることを思い出した。戦後の団地族については、原武史さんのいくつかの著作を思い出したが、こういう家計面の考察はあまりなかったと思う。団地の入居審査をパスした家族なら、借金を返せなくなる可能性は低いという信用情報の判断が面白いと思った。

 サラ金の創業者たちは、信頼できる信用情報を低コストで収集するため、さまざまな工夫を凝らしている。電話局の番号案内(あったねえ)の利用もその一例。1970年代には複数の業者の信用情報を共有するシステムを構築したが、誤作動の多いコンピュータに見切りをつけ、人海戦術で職員がカードボックスに走る方式で迅速な照会を実現したというのも面白かった(図書館のカードケースっぽい写真あり)。著者はサラ金を一方的に断罪することはせず、個性的な創業者、不断の経営努力を公平で温かい目で記述している。また、金を借りる側の庶民の、生活様式・雇用・ジェンダー意識などを細かく掬い取っていることも興味深かった。

 なお、貸金業規制法・改正貸金業法をめぐっては、弁護士の木村晋介氏(怪しい探検隊の)、宇都宮健児氏、のちに法務大臣をつとめる森雅子氏も登場する。上限金利引き下げの反対派は、規制が強化されればヤミ金(違法な闇金融)被害が拡大すると主張していたが、実際はそうならなかったことを著者は検証している。しかし、全てが解決したわけではなく、規制強化を受けて、ヤミ金業者は特殊詐欺(オレオレ詐欺など)に「転業」した可能性がある。さらにSNSの世界では個人間融資が復活し、ヤミ金融と大差ない違法な取引が行われているという。あるサラ金創業者が掲げた「人間的な顔をして金融システム」の理想は、もはや昔話なのだろうか。

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失われた少年時代/中華ドラマ『非常目撃』

2021-04-29 23:42:58 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『非常目撃』全12集(愛奇藝、2020)

 昨年、サスペンスドラマの佳作を次々に生み出した「迷霧劇場」枠の作品である。日本で放映が決まった『隠秘的角落』や『沈黙的真相』ほど評価は高くないが、これも良作という感想を読んで視聴してみた。

 舞台は長江流域の巫江県(重慶市がモデル)。山林で女性の遺体が発見された。女性の名は秦菲。劇団員・李鋭の妻である。市警察から派遣された山峰刑事(宋洋)は、現地の江流刑事(袁文康)らとともに捜査を開始する。山峰をはじめ、多くの人々は、20年前の未解決事件との類似性に気づいていた。

 1998年、小白鴿(白い小バトちゃん)の愛称で呼ばれていた18歳の少女・白歌が、同じように雨の夜、何者かに殺害され、山林で遺体となって発見された。その直前、白歌は野外映画の上映会に出かけたが、仲のよい男友達が来ないことが分かり、ひとりで帰ったのである。少年時代の山峰はその場に居合わせ、憧れの白歌の後を着いていったが、途中で見失っていた。

 今なお小白鴿事件にこだわる人々は他にもいた。白歌の父親である白衛軍老人は、ひとりで犯人を捜し続けていた。アルツハイマーを発症して記憶も不確かな老刑事・葉永年も、長年の考察をノートに書き留めていた。葉永年の娘・葉小禾と恋人の周宇も白歌と同世代だった。葉小禾は、白歌と秦菲が、どちらも李鋭を好きだったことを覚えている。あの日、秦菲は白歌に「李鋭は来ない」と告げ、先に帰った白歌は何者かに殺害された。10年後、秦菲は李鋭と結婚したが、罪の意識に苛まれ、二人の結婚生活はうまくいかなかった。全てを清算するため、李鋭は妻の秦菲を殺害したのである。

 では小白鴿は? 葉小禾の恋人・周宇は、自分が殺したと告白する。周宇を溺愛する兄の周勝は、口封じのため、葉小禾を殺そうとヤクザ者たちを送り込み、乱闘の中で周宇は落命する。怒りに震える周勝は、彼らにつきまとっていた白衛軍老人に真相を告げ、爆殺する。あの晩、周勝と周宇は、ぐったりした白歌を乗せた竹筏が川岸に流れついているのを見た。気の優しい周宇は彼女を助けようとしたが、周勝は、川岸に建設中の観光ホテルにケチがつくことを恐れ、息を吹き返しかけた白歌を絞殺し、遺体を山林に棄てたのだ。

 周勝が小白鴿事件にかかわったと知った殺し屋の石磊は、なぜか執拗に周勝を狙い始める。一方、山峰、江流らの捜査チームも、あの晩、白歌を竹筏に乗せた何者かがいることを突き止め、さらに当時、竹筏に遺体が放置される事件が他にも(男性2人、女性1人)あったことを発見する。そのひとつ、呉翠蘭事件の遺族を訪ねた山峰らは、呉翠蘭の息子である石磊が、今も母親殺しの犯人を追っていることを知る。

 呉翠蘭は、殺害される前に張漢東という運転手と会っていたことが分かっていた。山峰らは張漢東を探し当てるが、彼は事件前に免許証を盗まれたと主張する。犯人は運転手仲間か? そこへ新たな殺人が発生する。山峰が通っていた麺料理屋の店主・謝希偉の養女の遺体が、竹筏に乗せられて発見された。山峰は、謝希偉を慰めようとして、その反応に不可解なものを感じ取る。その後、養女の謝甜甜を殺害したのは、夫の趙傑だと判明するが、謝希偉は娘婿の趙傑を監禁し、半殺しの状態にしていた。かつて張漢東の免許証を盗んだのも謝希偉であることが判明する。

 【本格的ネタバレ】謝希偉は十代の頃に養子に出された。難病に苦しむ末の弟の手術代を工面するためだった。しかし養家が合わずに逃げ出し、ただ1枚の写真、両親、兄、姉、妹、弟、そして自分という家族の記憶だけを支えに孤独に生きてきた。そして、ある時から、写真の中の家族になぞらえて、人を殺し、竹筏に乗せて、長江下流の故郷・巴都に送り出すという儀式を始めた。家族の揃う「全家福」を夢見て。すでに5人を流し終えて、あとは弟1人である。

 捜査チームが邪魔になった謝希偉は、山峰の老母や江流の妻子に近づく。山峰は、謝希偉の実の両親を探し出し、お前の家族はここにいると言って説得に当たるが、聞き入れない。いったん姿を消した謝希偉は、両親たちが暮らす巴都に現れる。折しも祭りの夜。遊園地で、乳母車に寝かされた、実の妹の子供をうっとり眺める謝希偉に向けて銃の引き金を引いたのは石磊だった。

 序盤で、秦菲事件の犯人が判明し、周宇が小白鴿殺害を告白したときは、え?これからどうするんだ?と慌てたが、後半の意外な展開はとても面白かった。謝希偉を演じた焦剛は『摩天大楼』でも極悪な父親・顔永原を演じているが、本作はさらに強烈な役柄である。上記のあらすじでは唐突に感じられるだろうが、実際は序盤から画面に登場している。はじめは流行らない麺屋のぼんやりした店主という感じなのだが、中盤からじわじわと狂気が増し、大写しの笑顔が怖くなっていく。

 本作の評価が高くない理由として、リアリティに欠けるという批評を読んだ。確かにミステリーやサスペンスにリアリティを求める視聴者には、失った家族を取り戻すため、人を殺して竹筏で流すなどという動機は受け入れにくいだろう。しかし私は、こういう「つくりごと」の物語が嫌いじゃない。ちょっと横溝正史に通じる感じがした。

 こんな殺伐とした物語だが、画面は美しくて旅情豊かである。急斜面に張り付くように細い小路に面して建つ家、入り組んだ坂と階段、そして悠々と流れる長江。あらすじでは省略したが、山峰も葉小禾も、最終的に20年前の遺恨や葛藤を解消することができてよかった。

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アイスショー"Stars on Ice 2021" 横浜公演千秋楽

2021-04-27 22:24:33 | 行ったもの2(講演・公演)

SOI(スターズ・オン・アイス)Japan Tour 2021 横浜公演(2021年4月25日 13:00~)

 私の手元にある半券には、2020年4月12日(日)の日付が入っている。”STARS on ICE"は老舗のアイスショーのひとつだと思うが、一度も行ったことはなかった。それが、どうしても行きたくて、かなり無理をしてチケットを取ったのは、羽生結弦くんと宇野昌磨くんの共演が発表されたためだ。どちらも好きで、それぞれ、別のアイスショーでは見ていたのだが、久しぶりの共演をなんとしても見たいと思ったのだ。

 チケットを入手したのは、まだ新型コロナが日本で猛威を振るい始める前だったはず。ところが、開催日が近づくにつれて、だんだん雲行きが怪しくなってきて、とうとう中止(延期)が発表されてしまった。そして1年後の2021年2月、4月8~11日に振替公演を行うとの発表があったが、2度目の緊急事態の延長によりまた延期。3月半ば、4月22~25日の再振替公演が決定した。しかし4月25日(日)から3度目の緊急事態宣言が発令され、どうなるかと思ったが、会場が横浜アリーナ(新横浜)だったので、あやうくセーフ。

 羽生くんは4月15~18日の国別対抗戦に出場が決まっていたので、SOI出演はないかなと思っていたが、直前にまさかのIN。これ、振替公演が当初の4月8~11日だったら、出られなかったんじゃないだろうか。禍福はあざなえる縄のごとし。2020年には、パトリック・チャンをはじめ海外スケーターの来日も予定されていたが、振替公演は全て日本人スケーターで行われることになった。これはこれで、気になる若い選手がたくさん見られて面白かった。

 出演者は以下のとおり:羽生結弦、宇野昌磨、鍵山優真、無良崇人、田中刑事、佐藤駿、友野一希、山本草太、三浦佳生、三宅星南、樋口新葉、紀平梨花、坂本花織、三原舞依、横井ゆは菜、山下真瑚、新田谷凜、小松原美里&小松原尊。無良くん以外は全て現役。あと振付の佐藤有香さんも滑ったが、なんだか全日本選手権を見に来たみたいだった。

 この日は、いよいよオープニングというとき、スケーターたちがみんなで気合を入れる大きな掛け声が聞こえて、おお!とテンションが上がったのに、場内に流れたのは、事前情報と違う曲。ざわつく場内…と、音楽が止まって仕切り直し。と思ったら、また違う曲…でさらにざわめきが広がる。もう一回、気合を入れ直す掛け声が聞こえて、拍手でようやくスタート!という貴重な体験をした。まあこういうアクシデントも含めて、生観戦の面白さである。

 前半は、友野一希くんが眼鏡をかけて背広にネクタイ、ビジネスバッグと新聞を小道具に滑る「Bills」が楽しかった。三浦佳生くんの「Rise」は前のめりにガンガン攻めていく感じが好き。山本草太くん「Anthem」は文句なしの美しさ。これでしょ、あなたの本領は!と膝を打つ。前半の最後は、仮装用の髭・鼻・メガネをつけた無良くんが司会で登場し、男子5人(髭つき)によるジャンプ大会。BGMはもちろん髭ダンスの曲。淡々と「まずはアクセル」と言われて全員3Aを成功し、「じゃあ~四回転」と言われてこれも全員成功(草太くんはやり直し成功)するのだから、日本男子すごい。

 後半の最初は、昌磨くん+女性スケーター4人のコラボ。SNSで「ハーレムプロ」と呼ばれていたが、強いお姉さんたちに翻弄される弟の雰囲気で微笑ましかった。どのプログラムも楽しかったが、やはり坂本花織「No Roots」→鍵山優真「宿命」→紀平梨花「Rain」あたりから格の違いを感じた。ラス前は宇野昌磨くんの新プロ「Bolero」。耳慣れたボレロの演奏ではなくて、ちょっと変わったアレンジ。ゆっくり、力強く氷を踏みしめるようなステップは次第に早くなっていく。そして何度も何度もジャンプを飛ぶ。ひたすら跳び続ける鬼プロ。終盤、大きく転倒してしまった昌磨くん、フィニッシュで天を仰いだ姿勢から、ぺたっと背中を氷につけてしまった。苦笑いしていたが楽しそうだった。ランビエール先生もボレロを滑ったことがなかったっけ?と思ったが、2015年のFaOI神戸のフィナーレ曲だった印象が混線しているかもしれない。

 さて羽生くんである。オープニングは「Blinding Lights」(去年流行ったなあ)の群舞を黒衣装でカッコよく決めた。トリは白衣装で「Let's go crazy」、連続ジャンプをちょっとミスりかけるも、ドンマイ!という表情で歓声の中を滑っていく。これがアイスショーの楽しさ。フィナーレ「smile」はサザン桑田さんの曲なのか。男子は白のポロシャツ(かすかにストライプ)に黒のボトムで、これはSOIの定番衣装らしいのだが、羽生くんがこういう素っ気ない衣装姿を見せる機会は少ないので新鮮だった。

 マイクを握った羽生くんのメッセージは「どうかこの特別な日を忘れないで。僕たちも一生懸命頑張っていきます。そして、最後まで健康でいてください」だったかな。本当に楽しい特別な日をありがとう。いつかまた、もっと楽しい日のために健康で生き抜かなくては、と思った。

 会場はかなり「密」だったけれど、私のまわりは、正しくマスクを着用して、声は出さずに手を振ったり、拍手で応援していたので、あまり感染リスクは感じなかった。これなら、コロナ禍でもアイスショーは開催できると思う。とは言え、もちろん心置きなく声を出せる日が早く戻って来てほしい。

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2021緊急事態宣言と博物館・美術館の休館情報

2021-04-25 23:06:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

 2021年4月25日から5月11日まで、東京都が3度目の緊急事態宣言に入ることが23日(金)夜に公表された。正直、「またかよ」という感想である。1回目(昨年4月7日~5月25日)は、何もかも初めての体験で先が見通せなかった。仕事は原則在宅勤務になり、イベントの中止や延期が続々と決まるのを呆然と眺めていた。

 2回目(今年1月8日~3月21日)は、かなり慣れてしまって、職場では出勤率7割以下を推奨と言われながら、ほぼ毎日ふつうに出勤していたし、街の風景もあまり変わらなかった。博物館・美術館も感染対策をしながら開けていた気がする。

 そして3回目。4月に替わった新しい職場では、週3出勤・週2在宅が認められていたが、緊急事態宣言発令を受けて「より在宅にシフトするように」という指示が来たので、来週からどうするか、悩んでいる。

 それより驚いたのは、博物館・美術館が、昨年並みにバタバタと休館を発表したこと。以下に、連休中に行くつもりだった展覧会を中心に、休館情報を記録しておく。終了日の早いものから並べており、5月11日以前に会期が終わるものは、打ち切りが決定してしまった。府中市美術館の「春の江戸絵画まつり」は2年連続の中断終了である。悔しい。5月16日までの展覧会は、再開を期待したいが、微妙かなあ…。

◇松屋銀座 『アニメージュとジブリ展 一冊の雑誌からジブリは始まった』(2021年4月15日~5月5日)

 完全に見逃しが決定して、地味に残念に思っている展覧会。ジブリ作品はそんなに好きではないのだが、雑誌『アニメージュ』は愛読誌だったので。

◇【参観済】府中市美術館 企画展『与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家』(2021年3月13日~5月9日)

◇【参観済】五島美術館 館蔵・春の優品展『古筆を知る』(2021年4月3日~5月9日)

◇【参観済】根津美術館 開館80周年記念特別展『国宝燕子花図屏風 色彩の誘惑』(2021年4月17日~5月16日)

 23日(金)に緊急事態宣言発出のニュースを聞いたあと、速攻で24日(土)の日時指定入場券を購入して見てきた。24日は、藝大美術館→五島美術館→根津美術館をまわって大忙し。

◇【参観済】東京国立近代美術館 企画展『あやしい絵』(2021年3月23日~5月16日)

◇太田記念美術館 『江戸の敗者たち』(2021年4月15日~5月16日)※有料のオンライン展覧会あり

◇【参観済】東京藝術大学大学美術館 『渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画』(2021年3月27日~5月23日)

◇東京国立博物館 特別展『国宝 鳥獣戯画のすべて』(2021年4月13日~5月30日)

 再開したら即座にオンライン予約する。東洋館の特集陳列『中国の絵画 草虫図の世界』(2021年4月13日~5月16日、個人蔵の出品多し)も、可能なら併せて見たい。

◇静嘉堂文庫美術館 『旅立ちの美術』(2021年4月10日~6月6日)

◇国立科学博物館 特別展『大地のハンター展〜陸の上にも4億年〜』(2021年3月9日~ 6月13日)

 同時開催、ご生誕120年記念企画展『昭和天皇の生物学ご研究』(2021年4月20日~6月20日)も併せて見たい。

◇【参観済】サントリー美術館 開館60周年記念展『ミネアポリス美術館 日本絵画の名品』(2021年4月14日~6月27日)

◇Bunkamura ザ・ミュージアム 『ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展-美しき棺のメッセージ-』(2021年4月16日~6月27日)

※休館情報が出ていないところ:東京ステーションギャラリー(要予約)、出光美術館(要予約)、【参観済】日本民藝館、大倉集古館、三井記念美術館(5/1~)。床面積の関係なのかなあ。

【4/26補記】以下の施設も休館情報が出た。

◇東京ステーションギャラリー 『コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画』(2021年4月24日~6月27日)

◇出光美術館 松平不昧生誕270年『茶の湯の美』(2021年4月13日~5月30日)

◇大倉集古館 企画展『彩られた紙-料紙装飾の世界-』(2021年4月6日~6月6日)【/補記ここまで】

【4/29さらに補記】結局、都内で開いているのは日本民藝館くらいか。去年も頑張っていたな。

◇三井記念美術館 『茶箱と茶籠』(2021年5月1日~6月27日)【/補記ここまで】

 個人的に、いっそう悩みが深いのは、連休中に行こうと思っていた関西方面の休館情報。京都・大阪の以下の展覧会は休止。

◇京都国立博物館 凝然国師没後700年・特別展『鑑真和上と戒律のあゆみ』(2021年3月27日~5月16日)

◇京都文化博物館 特別展『よみがえる承久の乱-後鳥羽上皇 vs 鎌倉北条氏-』(2021年4月6日~5月23日)

◇大阪市立美術館 特別展『豊臣の美術』(2021年4月3日~5月16日)

 しかし、奈良博、大和文華館は開いているのだな。京都も小さい美術館には開いているところがあるので、とても悩ましい。

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日本絵画の多様性/ミネアポリス美術館(サントリー美術館)

2021-04-23 23:53:17 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 開館60周年記念展『ミネアポリス美術館 日本絵画の名品』(2021年4月14日~6月27日)

 ミネソタ州ミネアポリスに設立されたミネアポリス美術館(Minneapolis Institute of Art、通称Mia)の日本美術コレクションは、約2500点の浮世絵をはじめ、質・量ともに国際的にも高い評価を得ているという。その中から全92点を選び、中世から近代にいたる日本絵画の優品を紹介する。アメリカの美術館事情には疎いので、ミネアポリスがどこにあるのかも知らなかったが、展示作品の中には、これは以前、確実に見たことがあると思うものがいくつかあった。展示替えがあるのは浮世絵だけなので、早めに見てきた。会場は全作品、写真撮影OK。

 構成はおおまかに時代順で、はじめは室町~桃山時代の水墨画。自由な小鳥たちがめちゃくちゃ可愛い『花鳥図屏風』があって、これはもしや雪村?と近寄ったら、ほんとに雪村だったので嬉しかった。生きのいい鯉が『琴高仙人図』の鯉と同じ顔をしている。雪村はもう1点『山水図』も来ていて、これは2017年の芸大美術館『雪村』展で見たものらしい。

 ほか、芸愛、海北友松、雲谷等顔も。なかなか国内でも見られない充実ぶりである。山田道安『龍虎図屏風』の虎は、顔はかわいいのに逆三角形のマッチョ体形だった。

 続くセクションは、片側に狩野派、向い側にやまと絵を配した対比の構成がオシャレ。伝・狩野山楽『四季耕作図襖』は、もと大覚寺正寝殿の襖絵であり、狩野山雪『群仙図襖絵』は(妙心寺)天祥院客殿の襖絵であるという説明に唸る。どうして流出したのかなあ…。群仙図は、空と地面の区別もつかない、一面の金の雲か霞の中に、スタンプを押したように仙人たちが浮かんでいる。探幽の『瀟湘八景図屛風』(八曲一隻)は、余白を大胆に使って、空間の広さを演出する。住吉如慶の『きりぎりす絵巻』は、よく見ると登場人物が虫の顔をしている(よく見ないと分からない)。

 琳派。伝・宗達の伊勢物語図色紙『布引の滝』は、狩衣姿の四人の貴公子が瀧を眺めている、ひねりのない構成だが、青・緑・茶の寒色でまとめた色彩が美しい。同じく伝・宗達の墨画『童子図』は、ざんばら髪で座り込んだ童子がちょっと怖かった。

 階段下の第2展示室は「奇想」の画家たち。若冲、熊斐、渡辺崋山などもあったが、度肝を抜かれたのは蕭白の『群鶴図屛風』(六曲一双)、これは見に来てよかった。力でねじふせているように見えて、間違いなく高い芸術性を宿している。ネイサン・チェンのスケートみたいだ、という意外な連想をしてしまった。

 後半は、浮世絵、南画、そして近代へ。浮世絵は、どれも状態がすばらしくよいことに感心した。私は南画がおもしろくて、1点だけ『山水画帖』という作品が出ていた高芙蓉(1722-1784、儒学者・篆刻家)という名前を初めて覚えた。明清の繊細で清新な山水画を思わせる画風である。与謝蕪村の『虎渓三笑図』に「ぎこちなさ」を堪能し、谷文晁の『松島図』は何を描いても巧いので笑ってしまった。浦上春琴の『春秋山水図屛風』(六曲一双)はとても好き。繊細でのびのびした筆の運びは、やはり本物を間近に見ないと味わえないと思う。どこか既視感があったのは、2016年、千葉市美術館の『浦上玉堂と春琴・秋琴』展で見ているらしい。私は、春琴のほうが、玉堂より好きかもしれない。

 最後に青木年雄の『鍾馗鬼共之図』、鈴木松年、池田蕉園など、めずらしい画家の作品も見ることができて大満足。しかしこれだけの、時代も流派もバラエティ豊かな日本絵画コレクション、どのくらいの人数のスタッフが収集・研究・管理にかかわっているのだろう。気になる。

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諸侯の国際機構から「中国」へ/戦争の中国古代史(佐藤信弥)

2021-04-22 20:33:41 | 読んだもの(書籍)

〇佐藤信弥『戦争の中国古代史』(講談社現代新書) 講談社 2021.3

 本書は殷から漢王朝初期まで、様々な勢力間の戦争を見ていくことで「中国」形成の様子を描き出すことを目的とする。ある勢力と別の勢力が、戦争によって覇権を争い、興亡する様子を描くのは、最もスタンダードな歴史記述だと思う。最近は、経済とか生産力とか、新しい切り口の歴史記述が増えているように思うので、「戦争」に着目するのは、わりとオールドスタイルな感じがした。

 はじめに戦争の起源について。黄河の中下流域では、新石器時代後期には集落間の戦争が頻繁に起こるようになっていたと推定されている。河南省偃師市の二里頭遺跡では宮殿址や青銅礼器が発見され、殷に先立つ王権の存在が認められている(中国では夏王朝に比定)。

 「二里頭王朝」に取って代わったのが殷で、複数の都城が発見されているが、偃師商城・鄭州商城が内城外郭を具えるのに対して、安陽市の殷墟には城壁が確認されておらず、中国古代の都市は外郭を具えていないのが常態だったのではないかと考える中国の考古学者もいるという。これには通俗的な理解を覆されてびっくり。なお、殷代には戦車の使用が始まるが、騎兵が存在したかどうかは議論があるそうだ。

 周は兵農一致の常備軍を持ち、前線には諸侯を封じ、軍事力によって様々な勢力を服属させ、膨張していった。しかし後継者をめぐる政治的混乱に加え、西戎の侵攻によって東遷を余儀なくされ、以後、群雄割拠の時代(春秋、戦国時代)が始まる。東周時代の諸侯国の関係は、「国際政治」の観点から語られることが多いというのは面白い指摘だ。覇者を中心とする多国間の同盟関係は、現代の「国際機構」のような役割を果たし、同盟内の平和維持や内紛の調停、同盟外に対する共同防衛などが協議された。台北故宮博物院の「散氏盤」には、紛争解決の約定が記録されているという。ただし蛮夷戎狄は会盟の場から排除され、周王朝を奉じる諸侯国が「中国」の範囲と考えられるようになる。

 「尊王攘夷」が『春秋九羊伝』に出典を持つことは初めて知った。斉の桓公が、東周の襄王を保護し(尊王)、戎夷に侵攻された諸国を援け、自ら南方の楚国と戦ったり(攘夷)したことを評した言葉である。また『左伝』には、楚の荘王が「戈を止めるを武と為す」と語ったと記録されている。『義経千本桜』の渡海屋銀平、実は平知盛のセリフじゃないか! 日本の伝統と思って疑ったことのなかったもののルーツが、こんなところにあるなんて面白い。

 戦国時代には諸侯国の滅亡が進行し、生き残った諸国は競って「帝国」化を進め、最終的に秦が「中国」を統一する。この時代の兵法書『孫子』は「兵は詭道なり」で知られている。近年、中国古代の兵法や軍事思想に関する文献がいくつか発見されており、そのひとつ『曹沫之陳(そうばつのじん)』は、奇襲戦法を説かず、奇襲に対する用心も説かない。これは、同書の想定する戦争が、戦車中心の堂々たる会戦で、「軍礼」に基づくものだったからだ。宋の襄公は春秋時代の人物で、敵軍が川を渡り切る間、攻撃を控えたため、かえって敗北を喫し、「宋襄の仁」のいわれとなった。しかし、研究によれば、当時の人々には、戦争にまつわるルールと、スポーツマンシップ的な規範意識「軍礼」が共有されていたという。春秋から戦国にかけて、戦争が車兵中心から歩兵中心に変化し、戦争の大規模化と長期化が進行すると、詭計や陰謀が普通に受け入れられるようになった。そのほか、鉄製の武器や大型の弓「弩」が用いられるようになったこと、戦車でなく騎兵が導入されたのもこの時代の変化である。

 秦の始皇帝により統一された中国は、たちまち瓦解に瀕する。著者は「中央集権的な統一への忌避感が秦への反抗を促した」と述べる。そして、よりゆるやかな結合である郡国制を選択した漢は、「草原帝国」匈奴と共存共栄を図る。しかし武帝の時代には、国内の体制は中央集権的な郡県制に変質し、対外的には積極攻勢によって匈奴との共存を清算する。以後、漢の衰退は、長い「古代の終わり」である。

 中国史の概説書は、どうも長いタイムスパンを1冊に詰め込みすぎるきらいがあるが、次は春秋戦国時代に焦点をしぼった本を読んでみたい。あと、この時代を題材にした中国ドラマの情報がさりげなく盛り込まれていたのも、いずれ活用したいと思う。

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真相探しと自分探し/中華ドラマ『侠探簡不知』

2021-04-21 17:07:15 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『侠探簡不知』全24集(優酷他、2020年)

 武侠ファンタジー世界を舞台にした古装犯罪推理ドラマ。いま、CSで『侠客探偵簡不知』のタイトルで放映中らしいが、視聴者は、以下の【ネタバレ】を読まないことをお勧めする。最終話に驚きの仕掛けが隠されているので。

 かつて江湖の人々は鬼面の殺人鬼・王画に苦しめられていた。神機谷の谷主・簡尽歓は、仲間たちとともに王画に決戦を挑み、相討ちになって果てた。ただし王画の遺体は見つかっていない(ここまでは第1話の冒頭、アニメで語られる)。簡尽歓の息子・簡不知は激戦の場に居合わせ、生き延びたが記憶を失くしていた。八年後、若き探事人(探偵)として成長した簡不知(于済瑋)は、神機谷の戦いの真相を求めて、四人の生き残り、寒月山荘の李二爺、燕州の白大侠、常楽賭坊の巧手唐、三通鏢局の王老大を訪ねる旅に出る。

 寒月山荘の李二爺のもとには、武芸比べのために腕自慢の侠客たちが集まっていた。そこで起きる連続殺人事件。混乱の中で、簡不知は灼心蠱という蠱毒を飲まされてしまう。丐幇の胡長老は寒氷掌によって、簡不知に寒毒を打ち込む。これによって、簡不知は寒さに苦しまなければならないが、蠱毒の孵化を抑えることができる。蠱毒を解くことができるのは黒霧峰に住む黒霧娘々だけだという。連続殺人の犯人を解き明かした簡不知だったが、一瞬の隙をついて、李二爺は何者かに殺害されてしまい、神機谷の話を聞くことはできなかった。

 次に簡不知は、巧手唐の足跡を求めて傀儡島を訪ねるが、巧手唐はすでに死んでいることが判明する。傀儡島で、また帰途に立ち寄った杜鵑湾の宿屋で、簡不知は次々に難事件を解決するが、神機谷の真相に達することはできない。この頃までに簡不知のまわりには、頭脳は単純だが武闘派の趙我還(王燕陽)、殺人組織「十殺門」から逃亡した女殺し屋の展十七(王若珊)、神医・葉笑笑など、個性的な仲間たちが揃う。

 燕州では、白大侠はすでに何者かに殺害されたと燕山派一門の弟子たちに告げられる。最後の望み、三通鏢局の王老大からは、真相を語る条件として三つの難題を与えられ、簡不知はそれらを全てクリアするが、またも一瞬の隙をついて王老大は殺害されてしまう。しかし簡不知は、寒月山荘の李二爺殺害と王老大殺害の現場に居合わせた丐幇の胡長老こそ犯人であり、その正体は、死亡を装って身を隠していた白大侠であることを見抜く。白大侠は、神機谷の戦いに参加した仲間たちが王画を恐れて簡尽歓を助けなかったこと、それを深く恥じていることを語り、自決する。

 ショックで昏倒した簡不知が目覚めると燕州に運ばれており、小妖女こと宮雀が黒霧娘々(実は男性)を連れてきていた。黒霧娘々の医術で蠱毒と寒毒を除くことができ、燕山派の侠客たちの協力で「十殺門」の刺客を撃退することもできた。そして簡不知と仲間たちの新たな旅が始まる。

 と、さわやかに終わるのかと思ったら、突然、亡き白大侠が画面に出てきて独白を始める。【ネタバレ】神機谷の戦いで、白大侠たちは鬼面の殺人鬼・王画の素顔を見ていた。それはすなわち簡不知だったのだ。寒月山荘で簡不知(王画)に出会った白大侠(胡長老)は、彼を殺そうと思ったが、彼が自分を簡尽歓の息子と心から信じ、探事人のつとめを誠実に果たしているのを見て、彼を生かすために、自分を含め、王画の顔を知っている生存者たちを抹殺することに決めたのだった。

 ええ~!! なんというトリッキーな設定。しかし改めて見直してみると、ところどころに隠されていたヒントに気づく。寒月山荘の李二爺は、神機谷の戦い以後、盲目になっているのだが、簡不知の顔を触らせてもらい、驚いた素振りを見せ、その直後に殺害されてしまう。だいたい、簡不知は武術はからきし駄目という設定なのに、演じている俳優さんのガタイがよすぎると思っていたことも最後に納得。それから白大侠の独白では、本物の簡不知は東瀛(日本)にいるらしいのだが、最後の最後、日本刀を提げた人物がシルエットで登場し「私がこの目でヤツ(簡不知)に会いに行こう」と不敵につぶやくのである。これは!?

 本作は低予算のウェブドラマで、特に人気俳優も出ていないが、個性的なキャラが多くて面白かった。特に女性たちの造形は現代的。展十七は、愛する簡不知を守り抜くための行動が全て男前でよい。目力の強さが印象的な女優さんだった。趙我還が惚れた唖の美少女・明月は、実は「十殺門」の一員で、次第に趙我還に惹かれていくが、最後まで任務との間で葛藤する。江湖の記録を使命とする録院の司馬当、イケメン神医・葉笑笑に成りすまして、その医術まで習得してしまった千面人、LGBTを意識した黒霧娘々なども、お笑い要素と同時に、ちゃんと見せ場がある。これで終わらせるのはもったいない。ぜひ第2季を制作してほしい。

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2021のんびり在宅勤務

2021-04-21 09:00:43 | 日常生活

4月から新しい職場に変わって3週間。通勤距離は長いが、今年度からフルタイムではなく6時間×5日の非常勤職員になったので、負担はない。しかも、現在のところ、週3出勤+週2在宅でいいことになっているので、水金を在宅にしてもらった。

在宅勤務日は、朝起きると、天気がよければ洗濯をし、布団を干し、勤務開始の10時まで、のんびり過ごす。去年の今頃も似たような生活だったけれど、職場での立場が全然違うし、もう年単位で、なるようにしかならないという諦めがついてしまったので、精神的なストレスを感じない。

3月に退職記念で貰ったたくさんの花束、さすがに多くは萎れて、捨ててしまったが、白いカーネーションと緑色のピンポンマム(菊の一種らしい)だけまだ残っている。ちなみに5つ蕾がついていた鉄砲百合は、全部咲かせた。

花のある生活はよいものだな。夏までこんな感じなら、久しぶりに朝顔の鉢でも買おうかしら。

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大展示室リニューアル/名品展I(日本民藝館)

2021-04-19 21:18:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本民藝館 特別展『日本民藝館改修記念 名品展I-朝鮮陶磁・木喰仏・沖縄染織などを一堂に』(2021年4月4日~6月27日)

 同館は、昨年度、通年で展覧会のスケジュールが公開されていたが、春先のコロナ禍でいろいろ変更されたあと、突然「創設80周年記念事業として、大展示室等の改修工事」を行うことが発表され、11月末から休館に入ってしまった。そして4か月ぶりの再開館である。改修と言っても、あの建物が、そんなに大きく変わるはずはないだろうと思っていたら、SNSに改修後の大展示室の写真が流れてきて驚いた。けっこう雰囲気が変わっていたからだ。

 今年度は、改修記念の名品展が2期連続で企画されている。第1期は朝鮮陶磁・木喰仏・沖縄染織など、古作の逸品を一挙公開とのこと。玄関を入る前に、小さな窓口でチケットを購入し、ビニールの靴カバーをいただく方式は昨年度と同じ。玄関ホールも特に変わったところはないが、まずは、2階の大展示室に直行する。すると、おお!板張りだった床が石敷きになっている。建物の中なのに、突然、屋外に出たかのよう。明るい(明るすぎない)白色に黒い斑点が散っている素材は、栃木県産の大谷石とのこと。長方形の石の枠線がつくる網目模様が美しい。向かって右側の壁は、全体が大きな展示ケースになった。入口左にあったスタッフの常駐席がなくなっていたので、あれ?無人にしたのかしら?と思ったが、よく見たら、右側の展示ケースの物陰にスタッフの常駐スペースができていた(居心地よさそう)。

改修後の大展示室(インターネットミュージアム 2021/4/13)

改修前の大展示室(Hills Club 2016/11)

 大展示室では「陶磁器の美」を特集。ざっくり「日本」「高麗・朝鮮」「中国」という仕分けで、さまざまな陶磁器が並ぶ。初期伊万里の染付山水盤や朝鮮の染付(魚を咥えた鴨?)など、大型の作品は、なんとなく見覚えがあったが、小品は記憶にないものが多かった。饅頭(マントウ)みたいな白磁の水滴(?)は初めてのような気がしたが、印象に残った。あと中国の古染付の蓮池釣人図鉢。完全な素朴絵タッチで、人より大きい蓮が愉快。

 陶磁器の間には、泥絵やポルトガルの聖人板絵、そして大好きな開通褒斜道刻石の拓本も。対幅が離して掛けてあってので、はじめ、片方しか出てないの?と戸惑ったが、ちゃんと両方あった。展示室の中央には椅子とテーブルがしつらえてあり(展示なので座れない)、テーブルの上にはスリップウェアなど西洋の古陶。ここだけ写真撮影OKだった。

 ほか各室は、柳宗悦の著作のタイトルにちなんで「木喰上人の彫刻」「朝鮮とその藝術」「初期大津絵」「美の法門」「琉球の富」などの構成。「木喰上人の彫刻」には木喰仏だけでなく、さまざまな時代と地域の聖なる造形(ヨーロッパやアフリカまで)が集められていて、どれも似たトーン(柳の考える美の基準)で統一されているのが興味深かった。「初期大津絵」の部屋には『つきしま絵巻』と『うらしま絵巻』がちゃんと出ていた。

 2階の階段裏のコーナーでは、日本民藝館の設立経緯を紹介するビデオが流れていて、作品は直下(じきげ)の心で見なければいけないと考える柳が、黒い板に朱書という、独特の展示札を生み出したことが語られていて面白かった。

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知られざる歴史/海の帝国琉球(国立歴史民俗博物館)

2021-04-15 21:30:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立歴史民俗博物館 特集展示『海の帝国琉球-八重山・宮古・奄美からみた中世-』(2021年3月16日~5月9日)

 展覧会のタイトルを聞いて、琉球王国の展示だ!と勝手に思い込んで見に行ったら、沖縄本島ではなく、八重山・宮古・奄美など周辺の島々に重点を置く企画だった。はじめに、これらの島々から出土した白磁や青磁の陶片が多数展示されている。遺跡によって年代に差があるが、13~14世紀、あるいは15~17世紀頃、中国からもたらされた貿易陶磁器と考えられている。初めて見るもので、目を見張った。

 基本的な地理が頭に入っていないので、奄美は沖縄の北側(九州寄り)、八重山・宮古は南側(台湾寄り)であることを地図で確認する。16世紀ヨーロッパで作られた地図には、「Lequeo grande/大琉球」(琉球)と「Lequeo pequeno/小琉球」(台湾)という記載があり、その間に宮古・八重山と思われる島々が描かれていることも初めて知った。

 15世紀末、八重山の「酋長」オヤケアカハチは、貢物を収めなかったため、琉球の支配下にあった宮古島の王府軍に滅ぼされたと伝わっている。北海道のシャクシャイン(こちらは17世紀)を思い出した。しかしシャクシャインが戦いを挑んだのが松前藩(倭人)であるのに対し、オヤケアカハチの敵は琉球王国である。本土から見た琉球は南の辺境だが、琉球のさらに辺境である八重山・宮古から見れば、琉球は強大な「帝国」だったのだ。この、ぐるりと反転する視点は、かなり衝撃的だった。

 奄美諸島の喜界島は、夜光貝や檳榔などの産地として古代日本に知られていた。中世には、南西諸島の島々を資産価値のある所領として、安堵したり譲ったりする文書が残っているのも面白かった。

 さて琉球(沖縄)である。沖縄諸島では、11世紀に人の移動を伴う急速な耕地の開発が進み、階層分化を含む大きな社会構造の変化が生じた。13世紀末から14世紀初にグスクが登場する。文献資料(正史)と遺跡か出土品をあわせて歴史を読みといていく作業が興味深い。グスク時代を経て14世紀後半に、琉球は国家形成に向けて動き出す。同じ頃、中国に成立した明の冊封を受け、朝貢貿易を独占することで、琉球王権は強化されていく。

 琉球国王の肖像画である御後絵(おごえ)(死後に描かれ、円覚寺に納められた。沖縄戦で焼失し、モノクロ写真10点のみ残る)のいくつかが展示されていたのも興味深かった。琉球の黄金時代を築いたと言われる尚真王は八重山のオヤケアカハチを滅ぼした王。尚元王は自ら軍勢を率いて奄美に遠征した。琉球が、中継貿易だけに立脚した平和主義の王権でなかったことがよく理解できた。

 絵画資料では、浦添市美術館所蔵の『琉球交易港図屏風』(19世紀)に、酒宴や将棋や音曲に興じる人々の様子がめちゃくちゃ細かく描き込まれていて楽しかった。歴博所蔵の泥絵『江戸山下御門朝鮮人登城行列』は、よく見ると「中山王府」の赤牌(赤い板)を掲げていたり、虎を描いた虎旗(朝鮮は龍旗)を持っているので、琉球使節を描いたものだろうとのこと。小さい描写を、よく見つけたものだ。

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