見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2021年7月@関西:春日大社+奈良博三昧(奈良博)

2021-07-31 13:34:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

 春日大社に参拝し、御朱印帳を新調して国宝殿へ向かう。

春日大社国宝殿 春・夏季特別展『絵解き!春日の美術』(2021年4月10日~8月29日)

 絵巻や曼荼羅など、春日大社にまつわる様々な絵画を絵解きする特別展。大好きな『春日権現験記』は、江戸後期の書写である春日本が多数(10巻くらい)出ていて、春日明神の描かれ方や人々の暮らしぶり、書き添えられた「呪物」や動物の解説が面白かった。巻二の白河院御幸の場面は、ずらり並んだ官人たちが実在の誰にあたるか、全て特定(推定)されていることを初めて知った。実は午前中に『京の国宝』展で、原本の巻二を見た直後だったので、とりわけ関心をもって眺めた。

 『抜頭・相撲衝立』は江戸末期の作だが、神事として行われる相撲の力士の髷が独特であることを教えてもらった。絵画の『春日童子像』とあわせて、小さな彫刻の『春日赤童子像及厨子』(像は江戸時代)があるのも珍しく思った。

 このあと、久しぶりの奈良公園なので、若草山の山麓を歩いて東大寺境内に向かい、二月堂の御朱印もいただいた。コロナの影響もあるだろうけど、これだけ観光客の少ない東大寺はこの季節しかない。

奈良国立博物館 特別展『奈良博三昧』(2021年7月17日~9月12日)

 奈良博コレクションの中から選りすぐった合計245件(展示替えあり)の作品によって、日本仏教美術1400年の歴史をたどる。展覧会のタイトルは、仏教で、熱心にほとけの姿をみることをあらわす「観仏三昧」になぞらえたもの。奈良博は、特別展を目的に訪ねることが多いため、常設館のある仏像(彫刻)はともかく、書画等を見る機会が少ない(そもそもあまり展示されない)のを残念に思っていたので、この企画を聞いたときは、諸手をあげて歓迎した。

 いちおう全体テーマが「仏教美術」なので、ふだん「なら仏像館」に展示されている仏像の名品も、かなりの数が、こちらの特別展に移動していた。奈良~平安時代の如来立像(厚みのある体躯、右の手先と左腕を肩から失っている)、もと興福寺北円堂に伝来したという平安~鎌倉時代の増長天立像と多聞天立像、賢いわんこっぽい平安時代の獅子など。おや、今日はここにおいででしたかと、意外な場所で知り合いを見つけたみたいな気持ちになる。

 力士立像(力士形立像)(奈良、または中国・唐時代)は、初めて見たときの印象が強烈で(東京の展覧会だったと思う)まだ覚えている。あまり展示されないので、奈良博の所蔵であることを忘れていた。記念に写真を撮っていく。

 この展覧会、書画も含め、全ての作品・解説パネル等を撮影可。すごくうれしいのだけど、展示ケースのガラスに天井の照明が映り込むのが残念。伽藍神立像は、蛍光ビームを発してるみたいになってしまった。

 仏画は『普賢菩薩像』(平安時代)『文殊菩薩像』(南北朝時代・騎獅像)『十一面観音像』(平安時代・国宝)などを見せてもらった上で、申し訳ないが、物足りなさが残った。前後期でバランスよく名品を分けているので、あれは後期かあ…という気持ち。ちなみに『地獄草紙』は前期で『辟邪絵』は後期である。作品名は忘れたが、墨画の図像集(儀軌集)は楽しい。こういうのを描いていた人が『鳥獣戯画』みたいな作品を描いたのかなあと想像する。

 工芸では『春日龍珠箱』(南北朝時代)が見られて嬉しかった。これも最初に見たのは東京の展覧会だったと思う。

 あと、こっそり嬉しかったのは、この4匹と1羽に「ざんまいず」という名前がついたこと。2019年夏の『いのりの世界のどうぶつえん』展で初登場し、この1回で終わるのは残念に思っていた。新館地下に記念撮影用のパネルが生き残っているのは知っていたが、このたび、奈良博公式キャラクターに決定したとのこと。よかったねえ。

 常設展「なら仏像館」もひとまわり。目新しいものとして、高福寺(吉野郡野迫川村)の薬師如来坐像が特別公開されていた。金峯山寺の仁王像(金剛力士像)は5月に見たとおりだが、像内納入品の展示は、新たに加わったものではないかと思う。そして京都の宿へ戻る。

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2021年7月@関西:旅の美術(大和文華館)

2021-07-30 19:04:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 『旅の美術』(2021年7月9日~8月22日)

 連休3日目、京博のあとは奈良へ向かう。大和文華館では、所蔵品の中から旅にまつわる作品を集めて展示中。同館のコレクションは何度も見ているので、「旅にまつわる作品」といえば、あれかなこれかなという想像が楽しい。中国絵画の『明妃出塞図巻』『文姫帰漢図巻』はやっぱり出ていた。岡田為恭の『伊勢物語八橋図』、あわせて伝・宗達の『伊勢物語図色紙』も妥当なところ。『善財童子絵巻断簡』や『遊行上人縁起絵断簡』も分かる。

 『曾我物語図屏風』(江戸中期)は富士の巻狩を描いたもので、旅と言えるのか、よく分からなかったが、キツネ、シカ、イノシシ、でかいサル、ツキノワグマなど、多くの動物が描かれていて楽しかった。登場人物は目が大きく、表情が分かりやすくてマンガっぽい。名所の絵画では、『京奈名所図扇面冊子』(江戸前期)に惹かれた。一頁に上下2枚の扇面を貼り込む。京都と奈良を一括して扱うのは珍しいのではなかろうか。奈良の大仏は覆屋なしで露天に鎮座した状態が描かれていた。吉野は桜満開。

 江戸絵画は、めずらしくて新鮮な作品が目白押し。宋紫石の『富嶽図』は淡彩がさわやかで、え、あの宋紫石?と思って、作者名を二度見した。小野田直武『江の島図』は本展のチラシ・ポスターに使われているもの。写実なのか夢の光景なのか、よく分からない造形に気持ちがざわつく。司馬江漢『七里ヶ浜図』は、凪の海の穏やかな波が、浜辺で崩れて白い波頭を見せるところの描写がとても好き。江漢『海浜漁夫図』は、海辺でサカナを抱えた漁夫たちをユーモラスなタッチで描く。亜欧堂田善『駿河湾富士遠望図』は、岬(?)の突端に隠れて、ちらりと白い富士が見える構図が面白い。

 富岡鉄斎の『攀嶽全景図』は、実際の登山経験を踏まえた富士山図と言われるが、ちゃんとふもとから頂上まで人の歩ける道が続いているのは、中国の名山っぽい。渡辺南岳『殿様蛙行列図屏風』は、これもまた『鳥獣戯画』の子孫かなあと思って、楽しく眺めた。

 このあと、近鉄奈良に出て、東向商店街のマカロンとケーキのお店「銀杏や」で一服。今年はまだ、東京でかき氷を食べていないので、これが初のかき氷。

 少し元気を取り戻して、春日大社へ向かった。

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2021年7月@関西:京の国宝(京都国立博物館)

2021-07-29 22:17:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 特別展『京(みやこ)の国宝-守り伝える日本のたから-』(2021年7月24日~9月12日)

 連休3日目は「京の国宝」初日からスタート。前日、朝9時の「日時指定鑑賞券」を申し込んでコンビニで発券してもらったが、△(残席わずか)の時間帯がなかったので、あまり人気がないのかな?と余計な心配をした。当日、朝8時半過ぎに行ってみたら、すでに50人くらい並んでおり、9時の開館までにどんどん列が伸びていった。

 検温と手指の消毒の上、入館。数人ずつ区切ってエレベータに案内されるが、3階の最初の展示室は、そこそこ混雑しているだろうと予想された。そこで、ルートを外れて、いきなり1階の彫刻展示室に入ってしまうことにする。広い展示空間は、ほぼ無人(びっくりしたような監視員の方と参観者らしい先客が1名)。入ってすぐ、階段の下には、火炎を背負い、左手に宝塔、右手に宝棒を掲げる多聞天像(浄瑠璃寺・平安時代)。ときどき東博でも拝見した記憶がある。優美な甲冑をまとい、動きは少ないが、堂々とした威厳がある。その斜め向かい、五智如来の右側の壇上には東寺の梵天坐像。四羽のガチョウが支える蓮華座に座る。額が狭く、頬がふっくらして、慈母のような優しいお顔立ち。東寺講堂では諸像に隠れて地味な存在のこの像を、今回、単独で取り上げてくれて嬉しい。

 五智如来の左側の並びには、三十三間堂の二十八部衆から婆藪仙人像と摩睺羅像。なるほど、この2躯を選ぶか!と感心した。特に婆藪仙人像は、華やかさとは無縁の名作。どちらも裸足なのが共通点。これら大きな仏像は、墨を流したような柄の屏風の前に展示されていて、大変趣味がよかった。ライティングにも満足。展示ケースに入っていたのは、醍醐寺の虚空蔵菩薩立像(檀像ふうの小像)と平等院の雲中供養菩薩像から菩薩形2躯と僧形1躯、あわせて復元模造も1躯。

 彫刻に満足し、2階の絵画へ。最初の部屋は、神護寺の『釈迦如来像(赤釈迦)』、東寺の『十二天像』より水天・帝釈天・毘沙門天・地天、清浄華院の『阿弥陀三尊像』(東山御物の南宋絵画)。すごくよい! 次室は平家納経と各種絵巻物で、『病草紙』「風病の男」が印象的だった。風病とは脳卒中(中風)の症状のこと。囲碁を指しているのだが、眼球が左右に振動して固定しない。それを女性たちがくすくす笑っているのが残酷である。隣室では、雪舟の『天橋立図』を久しぶりに見た。

 ここで、そろそろ10時になるので、次のお客の一団が入ってくる前に3階を見ておくことにする。順路に添った最初の展示室では、近代初頭におこなわれた文化財調査や古社寺・文化財保存の法制化の取組みを行政文書などで紹介する。いま京博の1階に来ている安祥寺の五智如来が、明治時代にも修復のため、京博に預けられていたことは初めて知った(ガラス乾板写真あり)。また、戦後初めての指定(昭和26/1951年)で国宝となった仁和寺の『三十帖冊子』、京博の『山水屏風』(東寺伝来)、陽明文庫の『御堂関白記』などが、それぞれの「国宝指定書」とともに展示されていた。

 再び2階に戻って、続きは書跡・典籍・古文書と考古資料・歴史資料である。典籍のところに、京大附属図書館所蔵の『今昔物語集(鈴鹿本)』巻二十九が出ていた。「羅城門登上層見死人盗人語第十八」つまり、芥川の『羅生門』の原話の箇所が開いていたのはサービスだと思うが、あまり気づいている人はいなかった。

 1階も彫刻以外を見残していたので、続きを参観する。工芸品には、厳島神社の『浅黄綾威鎧』や春日大社・熊野大社の古神宝類が出ていた。次に「皇室の至宝」でまとめた部屋があって、『春日権現験記絵(巻二)』(鎌倉時代)『天子摂関御影(摂関巻)』(南北朝時代)『小栗判官絵巻(巻六上)』(江戸時代)などを展示。時代を超越しているところが面白い。

 最後に、調査と研究、防災と防犯、修理と模造というトピックにちなんだ作品を展示する。滋賀・神照寺の『金銀鍍宝相華唐草文透彫華籠』を16面まとめて見たのは初めてだと思う。東寺食堂の四天王立像(昭和5/1930年に焼損)の、焼ける前の写真と、焼損を免れた腕と手首先(多聞天のものだったと思う)2件が展示されていた。以上、単に客寄せを目的に有名作品を集めただけでない、センスのよい展示内容に大満足。

 このあとは奈良に向かうので別稿で。

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2021年7月@関西:揚州八怪(大阪市美)他

2021-07-28 21:10:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立美術館 特別展『揚州八怪』(2021年6月12日~8月15日)※6月22日より開幕

 連休2日目、臨時バスのおかげで高野山を予定より早く離脱することができ、午後の早い時間に大阪・天王寺に到着した。大阪市美の特別展「揚州八怪」は、18世紀の中国・揚州で個性あふれる創作をおこなった書画家たちの作品など73件を展示する(展示替えあり)。

 「揚州八怪」を知っている日本人は、どのくらいいるのだろう?  私も、今でこそ中国美術史の用語と認識しているが、初めて中国旅行で揚州に行ったときは、土産物屋で「揚州八怪」の名前にちなんだ8種のお菓子詰め合わせを見て、なにこれ?とあやしんだものだ。中国語の「怪」は風変り・目新しい・不可思議などの意味を持つが、日本語ほど、おどろおどろしいイメージは喚起しないみたいである。

 しかも「八怪」というのに8人が確定していないのが面白い。本展では、李鱓・李方膺・高鳳翰・汪士慎・陳撰・辺寿民・華嵒・黄慎・羅聘・楊法・鄭燮・金農の作品を展示し、高翔、閔貞、李葂を加えて計15人を紹介する。ほかに先駆者である傅山や朱耷(八大山人)、後継者である呉昌碩や斉白石の作品も出ていた。

 華嵒の『鵬挙図』や辺寿民の『蘆雁図(江岸芙蓉)』(どちらも泉屋博古館所蔵)は、作品に見覚えがあり、この作者は「揚州八怪」だったのか、と認識をあらたにした。李方膺の『梅花図』(京博所蔵)や汪士慎の『梅花図』(大和文華館所蔵、前期展示)も見たことがありそう。若冲など、江戸絵画の梅の描き方は、こうした中国絵画の影響を強く受けているな、と感じる。

 また刺激的だったのは、中国・上海博物館の所蔵作品が、高精細な写真パネルで展示されていたこと。いま展示図録をめくっていても、やっぱり目が留まるのは上海博物館のコレクションだ。高翔の墨画図冊『山水図』とか汪士慎の『江南租梅図』とか、李方膺の『風竹図』…いいなあ。もっぱら変わった文字を書く書家だと思っていた金農に淡彩の図冊『山水人物画』や墨画『紅緑梅花図』があることを初めて知った。辺寿民の図巻『花卉八頁』もいいし、黄慎『蛟湖読書図』もいい。この図録、印刷の色彩もとてもきれい。

 揚州八怪ではないが、上海博物館には八大山人の図冊『山水花鳥図』(安晩帖みたい!)や石濤の『細雨虬松図軸』(繊細な淡彩)があることも知った。しかし、いつ行っても見られる作品ではないと思うので、デジタル複製を活用した展覧会は、よい試みだと思う。その一方、この展覧会、現物の出陳を予定していたのに、コロナ禍で予定が狂ったのではないか…という一抹の疑いも抱いた。

 なお、展覧会の開催趣旨を読んだら、大阪市美が揚州八怪を紹介するのは初めてではなく「1969年以来、じつに52年ぶり」とのこと。こういう市立美術館を持っている文化的成熟度を大阪市民は自慢してよいと思う。そして、今回の特別展にも、老若の熱心なお客さんがけっこう入っていた。

 あわせてコレクション展も参観。『秀麗精緻 明清時代の工芸』は名品揃い。コレクション展と言いながら個人蔵が多いのが興味深かった。

中之島香雪美術館 企画展『上方界隈、絵師済々II』(2021年7月3日~8月22日)

 18世紀後半の大阪で活躍し、与謝蕪村に憧れ、呉春に学んだ3人の絵師、上田耕夫(1760-1832)、長山孔寅(1765-1849)、上田公長(1788-1850)を紹介する。やわらかな色彩の風景画が多くて和んだ。呉春の『石譜奇鑒』は28種の石を描いた図譜。中国文人に倣って、奇石を愛でることを趣味としていたことが分かり、面白かった。

 この日は、京都に出て投宿。祇園祭・後祭の宵山を見に行った。

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2021年7月@関西:高野山散歩と宿坊の食事

2021-07-27 22:30:41 | 行ったもの(美術館・見仏)

 四連休初日、高野山霊宝館を満喫したあとは、壇上伽藍をぶらぶらし、2015年に再建された中門の四天王像に挨拶し、大門まで歩いた。途中のコンビニで、念のためお茶と甘いものを仕入れて宿へ戻る。

 今回の宿坊は「清浄心院」。奥の院入口の一の橋の近く。広大な敷地にいくつもの建屋が複雑に連結しており、迷子になることを本気で心配した。昔ながらの広い庫裏と板間が印象的だった。

 背後の山の中腹に赤い鳥居が見える。泊まった部屋(3階)からもよく見えた。

 楽天トラベルで値段と立地だけで決めたのだが、あとで調べたら、マスコミ等で有名な住職で、いろいろ怪しい評判もあるようである。まあしかし、天長年間に弘法大師が建立したという寺伝はともかく、のちに平宗盛に再建されたというのが、平家びいきの私には嬉しい。近世には、上杉家、佐竹家、北海道の松浦家などが檀家となっており、奥の院参道にある上杉謙信霊屋は同院が管理しているのだそうだ。

 この時期、高野山では全国学童軟式野球大会が開かれている。子供たちが戻ってきて騒がしくなる前にと勧められて、早めに風呂をつかって、さっぱりして夕食。1階のお座敷(個室)でいただく。精進料理だがボリュームがある。

 食後は布団に倒れ込んで寝てしまった。冷房のない部屋で、まだ昼間の暑さが残っていたので扇風機をつけていたが、夜が更けると外の風が冷たくなり、扇風機を消して、布団にくるまって寝た。熱帯夜の続いている東京が嘘のよう…。

 翌朝は6時からお勤めに参加。頭を丸めた若いお坊さんと有髪の中年のお坊さんのお二人が、経を読み、真言を唱えるのを聞いた。お二人とも声がよくて、眼福ならぬ耳の幸せ。終わると若いお坊さんが「本日は住職が留守のため、役僧がつとめさせていただきました」と挨拶し、仏像やご位牌の説明をしてくださった。正面には夏目漱石の位牌もあるなど。「文献院古道漱石居士」と「夏目家先祖代々」の位牌2つで、鏡子夫人の奉納だった。どういう縁故なのだろう?

 また、伝・運慶作の阿弥陀如来立像など、古い仏像も拝観させていただいたが、ご本尊の秘仏・弘法大師像(廿日大師)は別のお堂に祀られており、見せていただけなかった。廿日大師の名は、弘法大師空海が、承和2年(835)3月21日の入定の前日、20日に自刻したという伝承による。なお、清浄心院の御朱印は「廿日大師」だった。

 そして朝食。やっぱり、がんもどきは定番なのだな。味噌汁が美味しかった。

 宿に荷物を預けて、奥の院にお参りに行く。歴史上の名家や有名人の墓所・供養塔が立ち並ぶ参道は何度歩いても楽しい。目立つのは戦国大名・武将の墓だが、今回、人形浄瑠璃の三味線弾き・豊澤團平(団平)(初代:1828-1898)(二代目:1858-1921)の墓所を見つけてしまった。

 そして鶴澤清六(四代目:1889-1960)の墓所も。有吉佐和子『一の糸』のモデルだという。

 納経所で奥の院の御朱印をお願いしたら、おじいちゃんが「開運招福」のハンコを添えてくれて、「今日からオリンピックだからね」(開会式当日)とにこにこしていた。さて何年後かに御朱印を見たとき、覚えているかな。

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2021年7月@関西:高野山の名宝(霊宝館)

2021-07-26 20:38:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

高野山霊宝館 開館100周年記念大宝蔵展『高野山の名宝』(第2期:2021年6月8日~8月1日)

 大正10年(1921)に開館した高野山霊宝館が100周年を迎えることを記念して、同館では今年4月から11月まで、4期にわたる名宝展が開催されている。

 四連休初日の朝早く、空席の多い新幹線で大阪へ。南海線に乗り継いで高野山入りする。宿坊(清浄心院)に荷物を置き、定食屋で昼食を済ませて、霊宝館に入った。受付のあと、床に書かれた矢印に従って展示室に向かいながら、なんとなく違和感。いつもは新館→本館の順なのに、今回だけ(?)逆ルートなのだ。

 いつも最後にたどりつく放光閣に、今回は最初に入る。ここの展示はあまり変えないのかな、と思ったが、前回訪問時の記録(2018年10月)に近代作の狩場明神像があったと書いているから、少し変わっているようだ。正面には釈迦と阿弥陀を脇侍にした大日如来坐像。高室院の小さな薬師如来坐像(重文)は優美さに惹かれる。親王院の兜跋毘沙門天立像はあまり異国風でなく、表情もポーズも穏やかな印象。地天女が静かに足元を支えている。金剛峯寺の四天王像はずんぐりして生気にあふれ、可愛い。特に軽く腰をひねった広目天が好き。

 次の展示室には、見慣れない小型の木製五輪塔が多数、写真パネルも含めて多角的に紹介されていた。2019年4月に高野山圓通寺(円通寺)で見つかったもので、江戸時代後期、全国を遊行した高野聖が死者の供養のために奉納した「八万四千宝塔」と見られている。その数、1万数千基とのこと。木塔の底部には奉納者(?)の人名が墨書されており、チヨ、カメなどの女性名、〇左衛門、〇助などの男性名、さらに明善、知玄など「名乗」らしきものもあり、最近読んだ本『氏名の誕生』を思い出して興味深かった。

※参考:小型の木製五輪塔1万数千基見つかる 高野山圓通寺(産経WEST 2019/7/1)

 次室(回廊)には、霊宝館の開館と歴史に関する資料を展示。霊宝館は、政財界人有志の寄付で建設されたのか。初めて知った!『霊宝館一宇寄進状』には発起人総代8名として、益田孝、根津嘉一郎、馬越恭平、村井吉兵衛、原富太郎、朝吹常吉、野崎広太、高橋義雄が名前を連ねる。百年前の財界人は偉かったんだなあ。折しも東京オリンピックで、日本のハイカルチャーが壊滅寸前であることを思い知らされたので身に沁みる。それから高野山の年表パネルにも見入ってしまった。直近の百年に限っても大小の火災が繰り返し起きており、台風や水害も多い。いま平安時代の仏像や仏画が残されていることが、いかに尊い僥倖かを感じて粛然となった。

※参考:高野山文化財年表(霊宝館)(詳しい!)

 本館最後の紫雲殿には絵画を展示。中央のスペースには、有志八幡講『五大力菩薩像』の金剛吼・竜王吼・無畏十力吼の3幅を展示(2幅は明治21年の火災で焼失)。左右の竜王吼・無畏十力吼は手足を振り上げて威嚇のポーズ。しかし正面に座って、目と口をカッと開いた金剛吼がいちばん怖い。黒い肌と瞼の裏、唇、舌の赤の対比が突き刺さるようだ。優美な花のかたちの瓔珞を胸に下げているのも、かえって怖い(大好きなので褒めている)。

 これで本館を一周し、渡り廊下を伝って新館へ。エントランスでは弘法大師(結縁大師)と写真が撮れるようになっていて和む。

 第1室は、いつもの阿弥陀如来坐像と不動明王立像、その並びの壇上に執金剛神立像と深沙大将立像、これと正対するのが四天王立像、一番奥で参観者を見下ろしているのが孔雀明王像。完全に「快慶ワールド」のコーナーになっている。と思ったら「シン・快慶 霊宝館版:愛」というパネルあり。誰だよ、このコーナータイトル考えたのは。しかし孔雀明王は美しいなあ。やっぱりこの見上げる角度がよい。あと照明のせいか、金色と温かみのある小豆色の映え具合がとてもよい。

 第2室は「シン・運慶 霊宝館版:命」と名付けて、八大童子立像を展示。第1室からすでに見えていたのだが、びっくりするような大胆な演出を施している。部屋全体が青い照明と緑色にまたたく星明りで覆われ、深い海の底、あるいは宇宙空間に迷い込んだようなイメージ。正面の低い壇上には不動明王坐像の左右に阿耨達童子(龍に乗る)と指徳童子。背景の効果で、虚空に浮かんでいるような阿耨達童子がとても魅力的。残りの六童子は、それぞれ単独のケースに収まり、壁を背に、ぐるりと展示室を囲む。不動明王の正面の壁の上方には、白い円光に梵字が浮かび、音響効果として微かに声明と法螺貝の音が流れる。

 やがて夜明けを迎えるように、青い照明が展示室の下のほうから少しずつ消えていき、高い天井に残った星明りもついには消えてしまった(梵字だけは残る)。この瞬間に展示室に入ってきた人たちは、普通の展示だと思ってひとまわりして出ていく。私は、もう一回星空が見たくて粘っていたが、なかなか始まらない。10分くらい待って、ようやく二度目を見ることができた。これは4期までずっと行われているのであれば、ぜひ見逃さないでほしいパフォーマンス。

 第3室は『聾瞽指帰』(上巻は原本、下巻は複製)など。弘法大師が霊地選定のため、唐から投げた金銅三鈷杵(飛行三鈷杵)がそれらしくて面白かった。

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2021祇園祭・後祭

2021-07-25 22:27:12 | 行ったもの(美術館・見仏)

 東京オリンピックの余波で生まれた四連休。高野山・大阪・奈良・京都の展覧会・文化財巡りをしてきた。ちょうど祇園祭の後祭(あとまつり)に重なっていたが、昨年に続き、今年も巡行は中止とのこと。ただ、一部の保存会は「山鉾建て」をすると聞いたので、宵山にあたる23日、様子を見に行ってみた。

 堀川三条のホテルに泊まったので、まず三条通りをふらふら歩いていくと、にぎやかなお囃子が聞こえてくる。鷹山保存会のみなさん。

 鷹山って知らないなと思ったら、保存会が結成されたのが2015年で、約200年ぶりの復帰を目指して準備中なのだそうだ(京都新聞記事 2021/5/27)。応援の気持ちも込めて、可愛いおみくじを購入。末吉だった。

祇園祭の鷹山、来年に復帰へ 6月19日にシンポ
祇園祭の鷹山、来年に復帰へ 6月19日にシンポ

 しばらくお囃子を聞いていたが、2時間くらいぶっ通しで演奏するみたいだったので、次へ移動。山鉾連合会のホームページに掲載されていた「山鉾建て位置予想図」を見ながら歩く。役行者山は、路上に大きな山(山車)が組み立てられて、駒形提灯にも灯が入り、すっかりいつもの祇園祭の雰囲気。

 役行者山の会所は近代的なビルの一角で、細い通路の壁が懸装品などの展示ケースになっている。今年新築されたものだそうだ。奥まった中庭にご神体の安置場所がある。役行者(神変大菩薩)は一言主神と葛城神を従えている。

 黒主山は、山は建てていなかったが、会所は開いていて、ちまきや記念品の授与はしており、ご神体の黒主さんも拝むことができた。

 逆に鯉山は、山は建てていたが、会所は閉まっていて、トロイア戦争モチーフのタペストリーなど有名な文化財の公開は中止していた。鈴鹿山、浄妙山、橋弁慶山など、山も建てず、会所もひっそりして人影がないところもあった。

 新町通には、北から、八幡山、北観音山、南観音山、大船鉾が並ぶ。ほどほどの人出(大津祭りくらい?)で、交通整理の声もうるさくなく(ハンドマイクは使わず)、お囃子がよく響くのが嬉しい。北観音山のお囃子はテンポが速くて、南観音山のほうがゆっくり、掛け声もはんなり、など、聞き比べを楽しんだ。

 今年は見ることができないと思っていた屏風祭りも!

 祇園祭の宵山は、10年くらい前(前祭・後祭が分かれる前)にも来たことがあるのだが、とにかく猛暑と人混みにウンザリして、もう一度来ようという意欲を失っていた。今回のように露店もなく、コンパクトな宵山のほうが、京都らしい情趣が感じられていいと思う。「厄除けのちまきどうですか」の子供の売り声がないのは、ちょっと寂しいが。

 蛇足:休み山の布袋山保存会。自分のブログを検索していたら、2008年にマンションの一角に飾られた布袋山の提灯の写真を見つけた。ずいぶん風景が違うと思ったら、その後、ご神体の所有権をめぐってトラブルになっているらしい。まあいろいろあるものだ。

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明日から連休・深川伊勢屋のパフェ

2021-07-21 21:08:50 | 食べたもの(銘菓・名産)

 明日から変則カレンダーの四連休。東京オリンピックには、もともと興味がなかったので、この連休は東京を抜け出そうと思って、早くから関西旅行の計画を立てていた。

 東京における新型コロナの感染拡大は予想の範囲だが、大阪・京都も危なくなってきたのは想定外。しかし一人旅だし、文化財と展覧会めぐり(あまり混んでなさそうな)が目的なので、予定どおり決行することにした。

 しばらくブログの更新がないので、ご近所・深川伊勢屋のチョコレートパフェの写真を掲げておく。

 お食事処(甘味処)は、今年の春にちょっとリニューアルして、以前よりメニューが少なくなったのは残念だが、パフェが残ってくれてよかった。昨年の写真と比べると、微妙に盛り付けが変わっている。あと、17時で閉店になってしまったので、遅い時間に立ち寄れないのは残念。でもお年を召した店員さんが多かったから、無理のない範囲で営業を続けてくれればうれしい。

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欲しいものたくさん/名品展II 近代工芸の巨匠たち(日本民藝館)

2021-07-20 21:22:19 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本民藝館 特別展『日本民藝館改修記念 名品展II-近代工芸の巨匠たち』(2021年7月6日~9月23日)

 大展示室のリニューアルを記念する名品展第2部は、同館創設者の柳宗悦と親しく交流した近代工芸作家の代表作を展示する。通常のテーマ展だと、併設の1部屋か2部屋が近代工芸にあてられているが、全館挙げて近代工芸を特集するのは、かなり稀なことだと思う。玄関ホール、正面の壁には棟方志功の『鐘渓頌』。六曲屏風で、各扇に4枚の版画が貼られており、赤色ベース・青色ベースの神の図が交互に、茶と青の市松模様の屏風に仕立てられている。きれいだなあ、と思っただけで、それ以上何も知らなかったが、調べたら「鐘渓」とは河井寛次郎の窯の名で、河井を称えて作った作品であること、市松模様の屏風に仕立てたのは柳宗悦の発案であったことが分かった。同館の展示は、余計な解説を付けないところがよいのだが、あとで調べて、へえ~と納得することもある。屏風の下には、緑釉に黒で井桁模様を描いたような大皿が飾られていた。濱田庄司の作品である。

 大階段下の展示ケースは、向かって左にバーナード・リーチ、右に河井寛次郎の作品を展示していた。ひとくちに「民藝」の作家たちというけれど、それぞれ個性がある。私は、河井の作品は1点だけ見ると、強い個性に惹かれるのだが、たくさん並ぶとちょっと胃もたれがする。リーチの作品はどれも飄々とした味わいが好き。手元に置いて毎日眺めたり、実際に使うならリーチの皿を選びたい。

 2階の大展示室は、陶芸を中心に、さまざまな作家の作品を取り合わせて展示している。展示台として使われているのが、朝鮮時代の箪笥だったり、19世紀イギリスの食器棚だったりするのが面白かった。イギリスの食器棚は、観音開きの収納棚の上に大皿を立てかけて「飾る」ための薄い棚がついている。むかし絵本や児童文学の挿絵で見たタイプだ。使いたいときはすぐ取り出せて、実用的かもしれない。この部屋でいちばん欲しいと思ったのは、富本憲吉の『楽焼彫絵柳文ペン立』。日本のやきものには珍しいブルーが美しかった。

 大展示室の一番奥には朱塗りの鏡台が鎮座しており、神棚(というか、お社)みたいで存在感があった。黒田辰秋の作品である。実際に使用はされていないのか、ピカピカで傷もなかった。展示室の中央には、やはり黒田の作品で朱塗りの円卓(脚の部分は八角形)も出ていたが、こちらは使われた形跡があるように感じた。それから、展示ケースの中に素っ気ない無地(緑色だったかな)の直方体の箱があり、何かと思ったら「くずきり用器箱」という札がついていた。開けると円筒形の容器が出てくるのかしら?と想像した。

 他の展示室では「書物と装幀」の特集が面白かった。芹沢銈介の『絵本どんきほうて』はセルバンテスの原作を日本の武士に置き換え、美しくユーモラスな型染めで表現したもの。川上澄生の『ゑげれすいろは』(ゑげれすいろは静物)は小さな折本形式でアルファベットに単語を添えたもの。単語の選び方と木版の挿絵が独特で楽しい。

 また1階には「次代の陶芸家たち」と「次代の染織家」の展示室が設けられており、陶芸では舩木研兒(=船木研児、1927-2015)が印象的だった。鳥やウサギやカタツムリなど、横向きの生きものの、まんまるおめめがかわいい。「布志名焼(ふじなやき)船木窯」は松江の宍道湖畔にあるのだな。染織では、やっぱり柚木沙耶郎(1922-)が素敵。真剣に欲しくなるものがたくさんある展覧会だった。

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いつか大人になる彼ら/映画・少年の君

2021-07-19 20:43:04 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇デレク・ツァン監督『少年の君』(2019年)

 話題の中国映画を見てきたので、以下【ネタバレ】込みで紹介する。舞台は現代中国の地方都市。陳念(チェン・ニェン)(周冬雨)は大規模な進学校で大学受験を目指す高校3年生の少女。ただひとりの家族である母親は留守がちで、陳念が北京の大学に合格する日を夢見て、インチキ化粧品販売で娘の学費を稼いでいる。陳念は親しい友だちもつくらず、受験以外のことは考えずに過ごしていた。あるとき同級生の胡(フー)が校内で飛び降り自殺をする。その直前、たまたま胡にいじめの悩みを打ち明けられていた陳念は、胡の遺体に自分の上着をかけてやったが、教師に問いただされても、それ以上のことは話さなかった。しかし、このことがあって以来、陳念はいじめグループの新たな標的にされる。

 学校帰りの陳念は、街角で複数のチンピラ少年が一人の少年をリンチしているのを見る。通りすがりに携帯で通報しようとしたのを見つかり、巻き込まれかけるが、リンチされていた少年・小北(シャオベイ)(易烊千璽)に助けられる。小北は両親に捨てられ、ケンカ三昧で生きてきたストリート・チルドレン。進学を目指す陳念は、そんな小北に軽蔑を抱く。

 しかし、母親が商売のために家を離れ、学校では同級生にいじめられ、身の置きどころがなくなった陳念は、小北のもとに身を寄せる。小北は陳念を守ることを宣言し、二人は孤独な心を通わせていく。陳念は胡をいじめていた少女たちの名前を刑事に告発する。リーダー格の魏莱(ウェイライ)は、停学処分になった恨みから、仲間とともに陳念を襲い、ハサミで髪を切り、服をずたずたにし、その様子を動画に撮影して笑う。事件の後、互いにバリカンで髪を剃り落とす陳念と小北。無言の二人が共有する怒りと絶望の深さが沁みる。

 高考(統一試験)当日、受験会場に向かう陳念を雨傘の下で見送る小北の姿があった。同じ日、魏莱の遺体が工事現場の泥の中から発見され、小北と陳念は容疑者として警察に確保される。小北は自分が暴行目的で魏莱を殺害したもので、陳念は関係ないと主張するが、刑事たちは疑う。

 襲撃事件の後、両親に叱られた魏莱は、陳念に許しを乞いに来ていた。うるさくつきまとう魏莱を陳念が振り払うと、魏莱は階段から足を滑らせて死んでしまった。その死体を小北が工事現場に運んで遺棄したのである。

 やがて陳念が希望の大学に合格したことが明らかになる。合格祝いに訪れた鄭刑事(尹昉)は「小北は死刑に決まった」と告げる。動揺する陳念。鄭刑事は「嘘だ。まだ判決は出ていない」と告げ、このままでよいのか?と詰め寄る。陳念は刑務所の小北に面会し、二人は正しい裁きを受けることに決める。ここもセリフは何もないのに、二人の気持ちがひとつに溶け合っていくのが伝わる。

 字幕とナレーションにより、その後、二人は情状酌量により、比較的早く刑期を終えることができたこと、中国政府が「いじめ」問題に取り組んだことが示される。そして、映画冒頭の場面に戻り、(たぶん大学を卒業した後)英語教師として教壇に立つ陳念と、その仕事帰りを少し離れて見守る小北の優しい笑顔で終わる。

 重たい社会問題に切り込んだ中国映画を久しぶりに見た。日本で公開される中国映画は、娯楽作品が多いせいかもしれない。その一方、本作は、最近の中国ドラマ(社会派の話題作が続々と作られている)のテイストと共通していると感じた。社会の理不尽、格差や金儲け主義の被害者となるのは、しばしば、少年少女たちである。

 また、法の公正な裁きが強調されるのも近年のトレンドではないかと思う。この作品、小北が陳念の罪をかぶって終わってもいいような気がしたのだが、中国当局として、あるいは中国大衆の感覚として、それは許されないのかな。きちんと法の裁きを受けたうえで、主人公の二人には救いのある結末が待っている。

 監督は主演の二人に絶対の信頼を置いているのだろう。抑制的な演出で、最少限のセリフと音楽しかないのに、深く心を揺さぶられる。周冬雨さんは初めて知った。易烊千璽(Jackson Yee)くん、『長安十二時辰』の天才貴公子・李必もよかったが、こういう男っぽい役もできるのだな。ほぼ同じ時期に撮影していることに驚く。少年(中国語では男女を問わない)たちを導く「善き大人」を代表する鄭刑事を演じたのは尹昉。『猟狼者』の秦川とよく似た役どころで嬉しかった。なお作品の舞台は「安橋市」という架空の街だが、撮影は重慶で行われている。坂と階段の多い風景が、現代中国の格差社会の隠喩のようにも見える。この作品を見た人たちが、最近の中国ドラマにも関心を持ってくれると嬉しい。

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