見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2017年8-9月@東京近郊展覧会拾遺

2017-09-29 23:50:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
太田記念美術館 特別展『月岡芳年 月百姿』(2017年9月1日~9月24日)

 『妖怪百物語』に続く月岡芳年展の第2部。『月百姿(ひゃくし)』は明治18-25年(1885-92)に刊行された、芳年(1839-1892)最晩年の傑作である。100点全てを一挙に見られる機会はあまりないという。確かに、実はけっこう初めて見る作品があった。歴史絵・物語絵もあれば、風俗画もあって面白かった。「たのしみは夕顔だなの夕涼み」には、久隅守景の『夕顔棚納涼図」によく似た光景が描かれている。「たのしみは」の和歌は橘曙覧ふうだ。歴史上の人物は、ときどき意外な人物がセレクトされている。芳年の好みなのか、当時の一般常識なのか、気になるところだ。中国人もずいぶん採られていて、孔子の弟子の子路が入っていることに驚いた。そういえば、清盛がいなかったなあ。

東京国立博物館・東洋館 イベント『博物館でアジアの旅 マジカル・アジア』(2017年9月5日~9月18日)

 これは大変おもしろい試み。「チベットの仏教と密教の世界」「アジアの祈り」「唐三彩」の3つのテーマで特集展示を行うほか、一般の展示品でも「マジカル・アジア」に関連するものには、特別な解説プレートが添えられて、注目を促している。9月5日~9月18日は、イベント集中期間と名打って、7人の研究員が東洋館を案内する「セブンワンダーツアー」も行われた。私は、9月18日(祝)のツアーに参加するつもりで行ったのだが、あまりの待ち人数の多さに驚いて、逃げ帰ってしまった。

 最も注目を集めている展示品は『呪咀人形(呪いの藁人形)』である。明治10年(1877)、上野公園でイチョウの木に釘で打ち付けられているのを発見されたもの。気になって調べたら、明治10年には第1回内国勧業博覧会が上野公園で開かれている。博覧会閉会後の利用を目的として煉瓦造の美術館が建てられているが、コンドル設計の本館はまだない。当時、いったい誰がどういう判断で、こんなものを「収集」したのか、ぜひ知りたい。なお、8室(中国絵画)は『不思議な聖者たち-仙人と羅漢-』(2017年9月5日~10月15日)の特集ですごくいい。岐阜・永保寺の『千手観音図軸 』(南宋)が出てるし、『寿星図軸』(元)が出てるし、どれもあやしくてうっとりする。

・地下の13室(いちばん奥のどんづまり)にひっそり展示されているのが、またいい。


 本館・15室(歴史の記録)「徳川将軍家の栄華」(2017年8月8日~10月1日)もあわせて。御座船の図が好き。

・上総丸


・天地丸


サントリー美術館 六本木開館10周年記念展『おもしろびじゅつワンダーランド2017』(2017年8月1日~8月31日)

 夏休みにあわせて、親子で楽しめる「ゆるい」展覧会。実際、子どもが多くて、お母さんも気兼ねなくおしゃべりしてて、楽しそうだった。しかし、狩野探幽筆『桐鳳凰図屛風』や久々の『舞踊図』六面(これ大好き!)を見ることができたので満足。『鼠草子絵巻』5巻がどーんと開いていたのもありがたく、ふだんあまり展示されない場面を見ることができた。ちょっと驚いたのは、鼠の権頭(ごんのかみ)の正体に疑いを持った姫が、罠を仕掛けて権頭をはめ、正体を見破ること。そして逃げ去った姫のことを権頭は忘れられないのだが、占ってもらったら、姫はもう他の男と結婚していた。いや爆笑、姫君、強い。

・婚礼の席では可憐な姫君


・罠にかかった夫を見て、冷静に侍女と相談している


国立西洋美術館 アルチンボルド展(2017年6月20日~9月24日)

 まさかアルチンボルド(1526-1593)の作品を日本で見られる日が来ようとは、30年前には考えてもみなかった。クラナッハもブリューゲルの『バベルの塔』も驚きだったけれど、これはまた別種の驚きである。このひとの「人面」見立てシリーズ、草花や野菜を使ったものが有名だけど、魚や獣(!)を使ったものもあることを初めて知った。動物を集めて構成した人面は、かなり国芳を思わせる。

弥生美術館 『命短し恋せよ乙女~マツオヒロミ×大正恋愛事件簿~』(2017年7月1日~9月24日)

 最近、攻めている感じのする美術館のひとつ。大正時代、世の中を賑わせた恋愛事件の主要人物を紹介する。だいたい写真が残っていて、女性たちの美貌に見とれる。平塚らいてうは、若い頃もいいけど年を取ってからの顔もいいなあ。柳原白蓮も美しい。そして、このひとも年取ってからの顔がいいのを見て、好感度があがった。

※『狩野元信展』(前期)と『江戸の琳派展』は、個別の記事を書く機会がまだあると思って、次回とする。(9/30写真追加)
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感情と合理性/競争社会の歩き方(大竹文雄)

2017-09-28 23:58:57 | 読んだもの(書籍)
〇大竹文雄『競争社会の歩き方:自分の「強み」を見つけるには』(中公新書) 中央公論新社 2017.8

 著者の名前を見て、あ、「競争社会」の人だ、と思った。前著『競争と公平感』(中公新書、2010)がとても面白かったのである。かなり評判にもなったはずだ。そこで新刊のタイトルにも「競争社会」というキーワードを入れた中公新書編集部のマーケティング戦略は正しい。ただし実際の内容は、「競争」に限らず、もう少し幅広い経済学の視野から、さまざまな社会問題を扱っている。

 序盤はかなり強く「競争」にフォーカスする。プロバスケットボール船選手のマイケル・ジョーダンは、一度だけメジャーリーガーへの転身を図ったが、夢を果たせず、バスケットボールを極めたことを例に取り、熾烈な競争には、人をそれぞれの得意分野に向かわせると説く。その結果、一人の強者による独占が阻止され、弱者にも活躍の場が生まれる。逆にいうと、競争が少ないと私たちは、自分の本当の長所を見つけることができない。これが競争の利点だという。論理的に間違ってはいないのだが、なんとなく納得できない。私は自分の得意分野を見つけるより、自分の好きなことに従って生きたいのだが、そういう人間は社会の経済効率を阻害する存在なのだろう。

 それから「チケット転売問題」について。私は、ときどき転売サイトの恩恵を受けているので、転売を悪と決めつける風潮には違和感を持つ。しかし著者のように、ファンの熱心度=どのくらいチケットが欲しいか=いくらまでならお金を出せるか、に単純化することにも納得がいかない。経済学とはそういうものだというけれど、チケット代1万円が、年収1000万円の人にとって持つ意味と、年収200万円の人にとって持つ意味を同一視していいのだろうか。まあ著者も、これは乱暴と思ったのか、行動経済学的な解釈を加味して、一部の席をオークションにして、しかもその差額をチャリティにしては?という提案を試みている。これは賛成できる案である。

 また、司馬遼太郎の経済観を論じて、著者は、司馬が1975年に「資本主義である限りは、社会科学的に徹底的な合理主義が確立していなければなりませんでしょう」と述べ、そのような精神が日本から失われている、と嘆いていることを紹介している。まことに資本主義(競争メカニズム)が健全に機能するには、合理主義と一体でなければならないのだ。70年代に司馬が案じた「ぶよぶよの水増しの資本主義」の末路が、現在の日本経済、日本社会なのではないかと思う。

 司馬が指摘している「外部性」の問題も面白かった。ある人が自分勝手な土地の利用をすると、景観が壊れ、土地の価値を下げて周囲に迷惑をかける。迷惑をかけているが、迷惑料を払う必要がないので、迷惑が過剰になる。これを「負の外部性」という。逆に自分の行動で周囲に利得を与えているが、自分に利益がない場合は、その行動が過小になる。これを「正の外部性」という。

 この問題は後半にもう一度出てきて、「外部性の内部化」という解決指針が示される。たとえば教育に税金を投入することを、教育を受ける者の私的利益と考えるなら、それは他の人たちにとって「正の外部性」である。しかし、教育を受ける者が増えることで、企業は従業員の訓練も簡単にできるし、新しい技術開発も起こるし、社会全体の生産性も高まると考える人が多数になれば、より多くの税金を教育に投資することが可能になる。うん、これからは、他人の説得や問題解決を考えるとき、「外部性の内部化」という視点を持つといいかもしれない。

 感情と経済について、費用を伴わない丁寧な謝罪文のほうが、少ない金額でまともな謝罪がない場合よりも許される、という調査(オックスフォード大学)は興味深い。訴訟大国アメリカでも、医療事故が起きた場合「ごめんなさい」と謝罪してもそれが証拠にはならないという法律(アイムソーリー法)が整備されつつあり、この法律が通った州では医療過誤の訴訟件数が減っている。こういう効果を、経済学的には「謝罪は社会的コストを下げる」と表現するのがまた面白い。

 さらに、これは経済学なのか?と驚く研究も紹介されている。「互恵的な考え方や他人に対する信頼の程度が、経済成長や所得水準に影響を与える」というのだ。「一般的に言って人々は信頼できる」と思っている人の割合が高い国の方が、経済成長率が高いとか、「他人に親切にする」という躾を子供の頃から受けて育った人は、そうでない人よりも平均で30万円ほど年収が高い(日本)という調査結果もあるそうだ。私は直感的に納得できると思ったが、詳しくは本書で確かめてもらいたい。

 また「姉をもった男性は競争嫌い」とか「弟をもった女性は、他の女性より競争的報酬を好む」という実験結果もあるそうだ(あくまで「傾向」であるけれど)。継続的にストレスにさらされ、ストレスホルモンが高い状態が続くと、人はリスク回避的になり、技術革新が少なくなるという話もある。社会調査、医学、心理学など、さまざまな研究が活用されており、とにかく面白い話のネタには事欠かない本である。
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門前仲町グルメ散歩:あんみつ食べ比べ

2017-09-26 23:36:12 | 食べたもの(銘菓・名産)
今夜も帰りが遅くなって、長い記事を書いている暇がないので、とりあえず、ご近所グルメ日記。

名店「甘味処いり江」の白玉クリームあんみつ。上品な味わい。むかし、グルメの友人と食べにきたときは「白みつが本格派!」と勧められたのだが、私は黒みつが好み。けっこうメニューが豊富なので、冬のうどんやおしるこも楽しみにしている。



深川伊勢屋」のソフトあんみつ。器からあふれそうな盛りだくさんな感じが嬉しい。普通のアイスが載ったクリームあんみつと、ソフトクリームが載ったソフトあんみつがある。



門前仲町周辺には、ほかにもまだ甘味のお店があるので、いずれ第二弾を報告の予定。

明日は近所で飲み会です。

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美麗仏画を楽しむ/ほとけを支える(根津美術館)

2017-09-25 22:30:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 企画展『ほとけを支える-蓮華・霊獣・天部・邪鬼-』(2017年9月14日~10月22日)

 仏教の多種多様なほとけを、蓮華、霊獣、邪鬼など「支えるもの」という視点から見てみようという趣向の展覧会。なんとなく彫刻の仏像をイメージしていたが、絵画資料が中心である。はじめは『仏涅槃図』(南北朝時代)で、え、どこに「ほとけを支える」ものが?と思ったが、釈迦が横たわる台を「宝床」という。次の『釈迦三尊像』(南北朝時代)では、中尊の釈迦は岩の上のカーペットのような蓮華座に座り、文殊と普賢を乗せた獅子と白象は、ともにくつろいでいる。このあと、文殊像、普賢像が続くが、和装の『稚児文殊像』(室町時代)が面白いと思った。

 立体造形も多少あって、鎌倉時代の毘沙門天像は、顔は怖いが全体の雰囲気は端正。足元に邪鬼を踏みつけている。大日如来・不動明王・愛染明王を板面に描いた厨子(三面鏡みたいに折りたたむ)は珍しかった。中尊は、全身金色で赤い唇の目立つ大日如来。密教の儀軌にのっとり、台座に獅子を配しているが、これがガマガエルみたいなファニーフェイスでかわいい。

 『金剛界八十一尊曼荼羅』は、私が根津美術館所蔵の仏教絵画の中で特に好きな作品。四角と丸を何重にも入れ子に組み合わせて複雑に区切った中に、八十一のほとけが描かれている。解説パネルを読んで、諸尊の蓮華座の下に動物(霊獣)がいることに初めて気づいた。解説によれば、大日如来グループの諸尊は獅子、無量寿如来グループは孔雀、阿閦如来グループは有翼の象、宝生如来グループは有翼の馬、不空成就如来グループは迦楼羅(かるら)というように、グループ(エリア)ごとに整然と描き分けられている。孔雀と迦楼羅は見分けが難しいが、嘴のかたちや首の長さが違っている。また、曼荼羅の中心部に描かれた如来たちの台座は、たくさんの霊獣が集まって支えているが、曼荼羅の周縁部に描かれた菩薩や天部を支えるのは一匹のみで、諸尊のランクに対応していた。

 展示室2も仏画が続く。『七星如意輪観音像』(室町時代)、『魚籃観音像』(江戸時代、ナマズみたいな鯉に乗っている)などの変わり種もあり。本展の白眉は、平安時代・12世紀の絹本着色『大日如来像』である。暖色より寒色が多く、退色のせいか、院政期の仏画としては少し地味だが、台座の小花模様や腕飾りのデザインなど、細部の繊細さが際立つ。確か、中尊寺の仏像の胎内から発見されたという解説がついていたと思う。

 また、伝来や尊容から「〇〇寺の〇〇像」と特定できる図像が特集されていた。たとえば、南円堂の不空羂索観音像や壬生寺の地蔵菩薩像など。赤と緑の対比が、禍々しいほどの迫力を感じさせる愛染明王像(鎌倉時代)は、法勝寺八角堂の像を描いたもの。蓮の茎を束ねて立ち上げたような蓮台に特徴がある。めぐる血管のような火焔光背。逆立つ髪の毛の中に浮かぶような獅子の面。「文化遺産オンライン」の解説を借りると「本画像のような台座や光背の特異な形式、および左第三手に三足烏の日輪を載せる図像と近似するものはわずかに醍醐寺や仁和寺所蔵の白描図像中に知られるのみで、醍醐寺本には『法勝寺図様』とした註書がある」のだそうだ。

 水瓶を持ち、たなびく雲に乗る十一面観音像(室町時代)は、東大寺二月堂の秘仏本尊を描いたものだという。招きに応じて観音浄土から来臨したという縁起を表している。頭上面が高く盛り上がったところが、確かに二月堂の本尊っぽい。『善光寺縁起絵』3幅(鎌倉時代)は、中央に大きく善光寺式阿弥陀三尊を描く。最後に、銅造鍍金の勢至菩薩像(鎌倉時代)は、神奈川県立歴史博物館の観音菩薩像と一対であった可能性が高いという。神奈川歴博のツイッターによれば、善光寺式阿弥陀三尊の脇侍だったと見られ、中尊は所在不明であるそうだ。

 展示室5は「水瓶」と題し、考古出土品の『紅陶水注』から、磁器、銅器、三島や絵唐津の「片口」も並ぶ。ドイツの「髭徳利」やオランダの「藍絵急須」もあって面白かった。展示室6は「菊月の茶会」。
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南蘋派もいろいろ/江戸の花鳥画(板橋区立美術館)

2017-09-24 22:41:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
板橋区立美術館 館蔵品展『江戸の花鳥画-狩野派から民間画壇まで-』(2017年9月2日~10月9日)

 このところ、行きっぱなしでレポートを書いていない展覧会がかなりある。なかなか時間が取れないためだが、頑張って書く。この展覧会は先週、東日本を台風が取り過ぎようとする直前に行った。不穏な天候のせいか、お客さんが極端に少なかったが、いい展覧会なので、行かないなんてもったいない。なんと無料だし!

 展示室は2室あって、どちらから見てもいいのだが、順路のとおり第1室「狩野派の花鳥画」から見るのがおすすめである。はじめは狩野宗信の『花鳥図押絵貼屏風』。宗信(?-1545、祐雪とも)は狩野元信の長男である。六曲一双屏風で、室町水墨画ふうの花鳥画が12枚、貼り付けられている。どれも可愛いが、竹にミミズク、牡丹にジャコウネコ(たぶん)が私のお気に入り。常信の『四季花鳥図屏風』は、墨画に金砂子散らしの大画面。木々の微かな緑と鳥にだけ彩色が施されていて、幻想的でオシャレ度が高い。

 少し時代が下って、狩野惟信(養川院)の『四季花鳥図屏風』は、右隻の春景も、左隻の秋景も、童画のようにちんまりまとまっている。明るく上品で、高級和菓子の包装紙みたいだが、嫌いじゃない。右隻の主役は、桜の木の下のキジだが、隅の梅の木に鳩がいて、徽宗の『桃鳩図』を思い出していた。描かれた鳥の種類の解説が添えられていたが、ヤマガラとかオオルリとか見たことないなあ。シロガシラは名前も知らなかった。

 第2室は「民間画壇の花鳥画」で、やっぱりこっちのほうが格段に面白い。いきなり諸葛監(1717-1790)の『白梅ニ鳥図』『罌粟ニ鶏図』に魅了されて動けなくなる。南蘋派というか、少し若冲を思わせる画風である(※どこかで聞いた名前だと思ったら、5年前の展覧会『我ら明清親衛隊』でもチェックしていた)。本名は清水又四郎、日本人である。

※『罌粟ニ鶏図』(部分):写真は撮り放題。


 黒川亀玉(二代)の『松ニ唐鳥図』は、嘴や首筋の羽毛が赤い、エキゾチックなインコを描く。宋紫山の『鯉図』は目つきが悪く、ぬらぬらしたウロコの輝きも怪しげで化けて出そう。北山寒厳の『花鳥図』は明清の新しい墨画を思わせる。墨の濃淡がリズミカルで、鳥の表情やポーズにも生命感がある。このひと、本名は馬孟煕と云い、明人の末で、父の馬道良は「浅草橋明神の宮司」だったと私はメモしてきたのだが、調べても「浅草橋明神」が分からない。書き取るときに間違ったのか、気になっている。それにしてもヴァン・ダイクにかけて凡泥亀と号したとか、田能村竹田が「長生きしたなら谷文晁と名声を二分したであろう」と評したとか、いろいろ気になる画家である。

 椿椿山の『君子長命図』は、竹と蝶と猫を描いて「君子」「長」「命」を表したというのだが、「猫(ミョウ)」が「命(ミョウ)」というのがよく分からない。椿山の独創か、中国にもある見立てなのだろうか。ほかにも酒井抱一、鈴木其一、長谷川雪旦、柴田是真などの花鳥画が出ていた。同館のファンにはおなじみの工夫だが、公式の作品名とは別に、親しみやすいタイトルが添えられているのが楽しい。岡田閑林『花鳥図押絵貼屏風』の「鳥のフレンズが大集合」には笑ってしまった。展覧会ごとに考えるのかなあ。

 そういえば最近、「永遠の穴場」という自虐ネタPRが秀逸ということで評判になっていた。長年のファンとしては、このまま「永遠の穴場」であり続けてほしいと本気で思っている。でも近所にコンビニ(2軒も)ができたときは、正直、嬉しかった。


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ニッポンの郷土銘菓/地元パン手帖(甲斐みのり)

2017-09-23 23:04:23 | 読んだもの(書籍)
〇甲斐みのり『地元パン手帖』 グラフィック社 2016.2

 食べ物や食べ物屋さんの写真を集めた本は、ときどき、手元に置いて眺めたくなる。これまでも、蕎麦とか餃子とかスイーツとかの本を取り上げてきた。本書は、食パン、メロンパン、菓子パン、総菜パンなど、その土地で長年愛される「地元パン」を200個超集めたものである。

 著者によれば、日本人が朝や昼に食事としてパンを食べるようになったのは戦後からで、地域色の強いパンを扱うパン屋の多くが、昭和20~30年代に創業し、学校給食を手がけてきた歴史があるという。私は昭和30年代の生まれだが、小学校の給食はずっとパンだった。小学生の頃、近所のパン屋さんでは、ガラスケースの中のパンを指さすと、店員さんがトングで取って、白い紙袋に入れて(ちょっと端を折って)くれたのを覚えている。店内のパンを自分でトレイに乗せる方式のパン屋さんができたのは、もう少しあとのことだった。

 本書に紹介されているパンには、たぶんセルフサービス方式のパン屋で売られているものと、個別包装式のものが混じっており、後者のほうがやや多い気がする。ちなみに私が経験した、小学校の給食のパンは無包装だった。個別包装式のパンに親しむようになったのは、コンビニでパンを買うようになった1970年代以降である。

 と、パンにまつわる自分の記憶を確かめたくなるような、懐かしい写真が本書には満載である。私は旅行好きで、いろいろと引っ越しを重ねていることもあり、けっこう知っている「地元パン」が目についた。まず北海道といえば、チョコレートと見せかけて羊羹でコーティングした羊羹パン。ビタミンカステラも覚えがある。小樽・正福屋のぱんじゅう。ベビーカステラもこの紙袋(福助マーク)だった。高知の帽子パンは、高知駅ナカのパン屋で買った覚えがある。京都・志津屋のカルネももちろん知っている。鳥取・境港の鬼太郎パンは、持ち歩きが心配で買えなかったのが心残り。長野の食パンピーナツとか青森のイギリストーストのように、なぜか既視感があって、どこかで見ているのか、類似品を見たのか、謎の解けないものもあった。

 パンも美味しそうだが、それ以上に楽しいのは、包装袋のデザインである。透明な袋は中身のパンを見せるものだがら、その邪魔にならない程度に、しかしお店の棚で目立つよう、明るく素朴なデザインが、1~2色の色づかいで印刷されている。品名は日本語表記が主。「カステラ」「かすてら」のさまざまな字体を眺めるだけで面白く、飽きない。裏表紙には、パンを抜き取った包装紙だけの集合写真もあり、巻末に「パンや店のロゴ」集もついている。たぶん昭和30~40年頃のテイストが濃厚で、とてもなつかしい。

 こうしたパンは、もはや郷土銘菓の範疇だと思う。とはいえ、収集を始めて10年という著者によれば、本書の制作中に店主が高齢で店を畳んでしまった例もあるというし、私も東京で、地元に愛されながら閉店したパン屋がいくつか頭に浮かぶ。可能な限り長く続いてほしいが、いつまでもあると思うなとも肝に銘じておこう。
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中国の白話小説から日本の怪談へ/お化けの愛し方(荒俣宏)

2017-09-22 22:35:28 | 読んだもの(書籍)
〇荒俣宏『お化けの愛し方:なぜ人は怪談が好きなのか』(ポプラ新書) ポプラ社 2017.7

 表紙のあとに「妖怪お化け映画大会」のポスター図版が掲載されているので、近現代のお化けの話かな、と思っていたら、だいぶ違った。「まえがき」は、著者自身の回想から始まる。小学三年生のとき、祖父が交通事故死し、冷たい遺体となって帰って来た。そのときから、ずっと怖がりだった荒俣少年は、死んでお化けになるのは必然のこと、死後の世界こそが真実だと感得する。そして、お化けと仲良くなる方法を求めて、片っ端からお化けの本を読み始めた。

 日本人は、お化けとの付き合い方をどう考えてきたか。ここからが本題だが、話は中国から始まる。中国では、唐の時代までに各地で見聞された事物・事件を報告する文書が大量に成立した。これが読み物になったものが「志怪小説」で、代表作に『捜神記』がある。その後、志怪小説のシンプルな記録体が発展して、描写が精密になったものが「伝奇小説」で、明代には瞿佑(くゆう)が『剪燈新話』を書く。文体は美文調だが、とんでもない下品な内容ということで禁書にされた。明末には、もはや美文は不要で、ジャーナリスティックな口語体が好まれた。第一人者の馮夢龍(ふうぼうりゅう)は、怖い話も面白い話もエロティックな話も書いた。これら中国の怪談に注目した日本人作家のひとりに江戸川乱歩がいる。乱歩は、馮夢龍の『情史類略』をひもといて、中国の恋愛物語は、その四分の一が怪談や化け物話であることを発見している。

 さて日本では、平安時代以来、お化けは本当に怖いものと刷り込まれていたが、「浮世草子」や「仮名草子」によって、修身・説教よりも娯楽を求める読者層が広がるにつれ、江戸のお化けブームが成立する。この大変化を後押ししたのが「中国新文学からの荒々しい刺激」だった。室町時代には足利政権下で「唐音」と呼ばれる漢字の読み方が学習され、新しい中国文芸の受け入れが始まった。ちょうどこのとき、中国は志怪・伝奇小説の中興期にあたっていた。

 また長崎の通詞(通事)も、中国語の古い知識を、新時代に即した読解方式(白話文への対応)に改革する必要に迫られた。この仕事にあたったのが、岡島冠山(1674-1728)である。この頃、長崎に着く中国船は白話小説の新本をどっさり積んできた。岡島は『水滸伝』を翻訳し、『西遊記』などの解読授業を実施したという。この流れに乗って、関西の文人サークルでも翻案活動が活発化し、都賀庭鐘(1718-1794)などが活躍する。このあと、上田秋成、浅井了意、井原西鶴、林羅山、太田南畝など、キラ星のごとき近世文化人たちと中国文芸の関わりが語られている。いや面白い。こういうダイナミックな影響関係に着目すると、日本文学史の新しい側面が見えてくる。

 なお、ここでは省略しているが、本書には、中国と日本の怪談の実例が豊富に紹介されている。『西鶴諸国ばなし』に収められている、美人の乗った空飛ぶ駕籠が登場する「津の国の池田にありしこと」は面白いなあ。説教にも教訓にもなららず、みんな困惑しつつ、その存在を受け入れている。ちょっと「うつぼ舟(うつろ舟)」を思い出す。中国の怪談といえば、やはり『剪燈新話』の「牡丹燈記」であるが、原典の翻訳を読んでみると、日本での翻案「牡丹灯籠」「浅茅が宿」とは、大きく異なるテイストが感じられて興味深い。原典の後半には、死女による村人への復讐が語られていて、これはけっこう怖い。著者は「死女の復讐」部分を「姑獲鳥/産女」譚に分類している。

 次に著者は「牡丹燈記」型ロマンスを求めて、タイの「プラカノーンのメー・ナーク」を紹介する。プラカノーン村のナークという女性が出征した夫を待ちつづけて亡くなり、悪霊となる物語で「タイで知らぬ人がいない有名な怪談」なのだそうだ。これが19世紀末には、幽霊の純愛ドラマへ変化し、近年は映画化されて、空前のヒットを記録したそうだ。「汎アジア的なモンスーン的湿り気」にほどよく潤んだゴーストストーリー、というのが著者の評だが、確かに、お化けに対する感覚を共有できる文化には、個人的に親近感が湧く。

 そしてちょっとだけ西洋へ。西洋には、ビュルガーというドイツ詩人が書いた『レノーレ』があるという。恋人の帰りを待つ女性のもとに、戦死した恋人の幽霊が現れ、二人で死の世界に赴くという物語詩。これが、明治初期、日本で「新体詩」を生み出すときの手本の一つとされ、武島羽衣により『小夜砧』という題で翻訳(翻案)されているというのも味わい深い。文化や文芸は、いつも世界を循環していくのだと感じた。

 最後に三遊亭圓朝(円朝)の『怪談牡丹灯籠』について。圓朝は、読みものだった「牡丹灯籠」を聞きものに変えた。その真骨頂は下駄の音である。新三郎とお露の出会いの場面では、お露は「カラコン、カラコン」と軽やかな下駄音を響かせて現れる。さて、お露の正体が判明し、幽霊封じの準備を整えて、新三郎が震えながら待っていると「からーんころーん」という重たい下駄音が近づいてくるのである。この対比には気づいたことがなかった。世界に散らばる「牡丹燈記」の数々のバリエーションの中でも、足音を鳴らす幽霊はいないという。ここからまた、いろいろな連想が湧いて、とても面白い。
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インドネシアとともに/海洋国家日本の戦後史(宮城大蔵)

2017-09-20 23:29:04 | 読んだもの(書籍)
○宮城大蔵『増補 海洋国家日本の戦後史:アジア変貌の軌跡を読み解く』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2017.8増補

 実は、読む前に思い描いていたのとは、ずいぶん異なる内容だった。内容の過半は、インドネシアの戦後政治史、あるいは戦後日本とインドネシアの関係史だったが、私はインドネシアという国に、ほとんど関心を持ったことがない。そのため、本書は非常に難しかったが、全く新しいことを知る面白さもあった。

 「まえがき」に云う。本書のタイトルを「海洋国家日本」としたのは、何よりも戦後日本が「海のアジア」と緊密に結びついていること、今日のアジアを論じる歴史的文脈としては、日本を内に含む「海のアジア」の戦後史が決定的に重要であること、にもかかわらずそのことが十分には認識されていないと考えたからである、と。確かにそのとおりで、私は北東アジアほどには「海のアジア」(=東南アジア)と日本の結びつきについて考えたことがなかった。

 1955年、アジア・アフリカの新興独立国29ヶ国によるバンドン会議(第1回アジア・アフリカ会議)が開かれ、前年、吉田茂から鳩山一郎に首相が交代したばかりの日本も、この会議に招請された。背景には、中国招請をめぐって、中立主義+共産主義陣営(インド、インドネシア)と自由主義陣営(パキスタン、セイロン)に激しい論争があり、パキスタンが、中国招請を受け入れるかわりに「反共最大の大物」である日本の招請を主張した経緯があった。鳩山は、この会議を「アジア復帰」の好機と考えたが、重光葵外相は「対米協調」を貫き「反共」に徹する方針だった。このため会議における日本の存在感はどこか曖昧なもので終わった。

 バンドンで、中国大陸との間の「冷戦の壁」を認識した日本の関心は、東南アジアに向かう。1957年、岸信介首相はインドネシアを訪れ、スカルノ大統領との間で賠償交渉を妥結させる。民族主義者スカルノの下で独立を成し遂げたインドネシアは、反乱による解体の危機にあり、石油資源に関心を有するアメリカは、スカルノの左傾化(共産化)を危惧し、反政府勢力に肩入れしていた。その中での、岸とスカルノの交渉妥結である。岸は「アジアにおける日本の地位をつくり上げる」ことによって「日米関係を対等なものに改めよう」と考えていたという。ううむ、やっぱり昨今の政治家とは、胆力も構想力も比較にならないと感じる。

 東南アジアの脱植民地化が進行する一方、イギリスは自らの影響力を保持するための「マレーシア」構想を押し立てるが、インドネシアやフィリピンの反発を招く。日本の池田首相は、この紛争仲介に乗り出し、アジア諸国を歴訪する。混迷と貧困に沈むアジアの姿を見た池田は、アジアの指標となる日本の役割を自覚したという。池田の仲介は効力を発せず、いたずらにイギリスを苛立たせ、スカルノは中国へ接近する。

 1965年、インドネシア軍部は軍事クーデター(九・三〇事件)によって共産党を排除し、スカルノ失脚の端緒となる。このとき、インドネシア全土で共産党関係者への大規模な殺戮が行われたという。日本政府はスカルノに見切りをつけ、スハルト政権下の開発体制の支援を強力に推進する。日本の対外援助の最大の受取り国(2001年まで累計)がインドネシアだったというのは、同国への親近感が薄い私には意外な事実だった。アジアにおいて「1965年」が持つ意味の考察も興味深いが、ここでは省略。

 1971年は、米中の接近が世界に大きな衝撃を与え、日本では「ニクソン・ショック」という言い回しが多用された。しかし著者によれば、日中国交回復は、逆にアメリカに衝撃を与えたという。また、日中の接近は、アジア太平洋諸国にも衝撃をもたらした。スハルトはインドネシアと関係の深い福田赳夫に期待を寄せ、自民党総裁選にも介入したが、結果は、日中国交正常化を目指す田中角栄の勝利となる。こんな対立軸があったとは知らなかった。

 最後に著者は、1976年に死去した周恩来について語る。毛沢東と周恩来の指導する中国は、戦後日本のような「豊かさ」を手に入れることができなかった。そのことが、晩年の周を苦悩させた。しかし革命中国は、戦後日本が手にできなかった、あるいは手にすることを選ばなかった「独立」を手に入れた。人々の生活を犠牲にしてでも「国際社会で独立した存在でありたい」という強い意志を、彼らは貫いた、と著者は考える。これは興味深い見解である。本書は、もと2008年に新書版で刊行されたものだが、10年経った今日、日本と中国の「豊かさ」と「独立」について考えるのは、さらに興味深い。
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社会派の群像劇/中華ドラマ『人民的名義』、看完了

2017-09-18 23:50:01 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇『人民的名義』全55集(DVD版)(2017年、最高人民検察院影視中心等)

 今年3月から4月に湖南衛視等で放映され、中国国内で大反響を引き起こしたドラマである。私は、中国ドラマは古装劇ひとすじなので、現代劇は他人事だと思っていた。それが、SNSなどでの評判を聞くうちに、だんだん見たくなってきた。優酷(Youku)というサイトで無料配信されていることが分かったので、試しに1話目を見てみたら、なるほど面白い。現代劇に慣れていないため、字幕の助けを借りても理解できない単語が多かったが、なんとか筋を追うことはできた。

 第1話の舞台は北京。最高人民検察院の反貪総局(腐敗=汚職収賄を摘発する組織)に勤める侯亮平(ホウリャンピン)は、ある高官の捜査の過程で、漢東省(※架空の省)京州市副市長の丁義珍の関与が浮かび、漢東省検察院に協力を要請する。漢東省検察院の反貪局局長・陳海(チェンハイ)は、侯亮平の大学時代の親友でもあった。北京の案件はすぐに解決したが、丁義珍はアメリカに逃亡してしまう。

 同じ頃、漢東省京州市では、大風集団(株式会社)服装工場の工員たちが工場を占拠し、失火により負傷者を出す事件が起きる(一一六事件)。大風集団の社長は、侯亮平の幼馴染みの蔡成功だった。事件を捜査していた陳海は、交通事故に遭い、一命はとりとめたものの意識が戻らなくなってしまう。この事故に謀略の疑いを抱く侯亮平は、陳海の後任として、漢東省検察院の反貪局長に着任する。

 漢東省では、彼の大学時代の恩師・漢東大学教授の高育良が、省委の副書記をつとめており、同窓の先輩・祁同偉は省の公安庁庁長になっていた。このほか、腐敗の横行に厳しい目を向ける新任の省委書記・沙瑞金、大胆な改革で京州の経済発展を推し進める市委書記の李達康、才覚ひとつで巨万の富を築いた山水集団の女経営者・高小琴など、所属する階層も境遇も性格も信条も異なる、個性的な人物が多数登場する。果断で天才的なヒーローばかりでなく、地味だが持ち場をしっかり守る人々がちゃんと描かれていたのが印象的だった。

 そして、役者さんはいずれも役にぴったりで、ドラマに現実味を与えていた。ものすごく狡猾そうな顔、欲深そうな顔、良心的な顔を、よくぞ集めてきたものだ。侯亮平役の陸毅(ルーイー)は明朗快活で自信にあふれ、爽やかな主人公を好演。これはそんなに難しい役ではない。沙瑞金役の張豊毅は、無言で立っているだけで絵になり、内心の深い感情が伝わってくる。逆にあまり表情を読ませないところが難しいと思ったのは、高育良役の張志堅である。

 以下はネタバレになるが、できれば本作は事前情報を仕入れずに、まっさらな気持ちで見るほうが楽しいと思う。え?そうくる?どうなる?と、読めない展開に何度も手に汗を握った。カーチェイスとかヘリコプターの出動とか、アクション場面もたくさんあり、(たぶん本職の)隊員たちの見事に訓練された動作から、緊迫感が伝わってくる。

 最終的に、陳海の殺害を企てたのは祁同偉とその愛人の高小琴だったことが判明する。祁同偉は貧しい農民の生まれで、あらゆる手段を用いて富と権力を手に入れ、それを失うことを恐れていた。高小琴に至っては、靴さえ買えない漁家の娘だったが、悪徳商人に見出され、ハニートラップ要員として教育を受け、それを足掛かりに今日の地位を築いた。いま中国では腐敗撲滅キャンペーンが華々しく行われているが、摘発された人々の中には、こんなふうに自分のため、あるいは家族のため、不法行為に手を染めつつ、極貧から成り上がった人々もいるのだろう。ドラマは、主人公サイドの人々が、身命を賭して「正義」と「公平」を求める、純粋で真剣な態度を迷いなく描く一方で、悪人たちにも同情の余地を残している。

 いや、祁同偉と高小琴が最後にお互いの愛情だけは本物だと信じられたのに対して、祁同偉の妻・梁璐、高育良の妻・呉惠芬の描きかたは残酷である。高育良の愛情が他の女性に移り、離婚したにもかかわらず、世間に対して良妻を演じ続けた呉惠芬は、夫の権力や社会的信用を利用していたわけでもあり、侯亮平は「利己主義者」という言葉で呉老師(彼女も漢東大学の教授)を評する。

 本作には、中国の歴史や古典文学の「故事」がちりばめられているのも面白かった。侯亮平のあだなは「猴子(サル)」だが、これはもちろん「西遊記」の孫悟空を意味している。既成の権力・体制をものとせず、天宮さえも大騒ぎさせるのだ。侯亮平の命が狙われる「鴻門之会」の下りはハラハラした。あと、最後まで巧みに使われるのが京劇「沙家浜」である。高小琴はこの登場人物「阿慶嫂」を唱うのを得意としている。これはぼんやり記憶にあったのだが、途中で調べて、日中戦争に取材した革命京劇というやつか!と驚いた。これ全編見たい。

 中国の連続ドラマは、ブツ切り的な終わり方をするものが多いが、本作は、わりときれいにいろいろなエピソードを回収して終わったように思う。鄭乾と張宝宝の現代っ子カップルは、つらい展開が続くときの癒しだったので、無事に結婚してくれてよかった。植物人間状態だった陳海が、老父・陳岩石の命を受け継ぐように意識を取り戻したのは、思いがけない喜びだったが、陳海に思いを寄せていた陸亦可はどうするんだ? その陸亦可に言い寄っていた硬派な公安局長の趙東来は失恋か?と先行きが気になる。

 そうそう、趙東来が陸亦可を誘い出した朗読会の会場は公共図書館だろうか? 画面を通じて、最近の中国の様子がいろいろ見られてよかった。子供も老人もスマホは必携アイテムなのだとよく分かった。漢東省のロケは、主に南京で行われたという。大都会だが緑も多くて、いい街だった。また行きたいなあ。このドラマ、日本での放映を切に望む。
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金色の妖狐再び/文楽・生写朝顔話、玉藻前曦袂

2017-09-16 23:52:57 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 人形浄瑠璃文楽 平成29年9月公演

・第1部『生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)・宇治川蛍狩りの段/明石浦船別れの段/浜松小屋の段/嶋田宿笑い薬の段/宿屋の段/大井川の段』(9月10日、11:00~)

 『生写朝顔話』は初めて見る演目。今期は『玉藻前』を絶対見たかったので、先行予約開始日に速攻でチケットを取り、『朝顔』も比較的いい席が残っていたので行くことにした。大内家の家臣・宮城阿曽次郎と、秋月弓之助の娘、深雪(のち朝顔)のすれ違い悲恋の物語。阿曽次郎は宇治川のほとりで、舟遊びに来ていた深雪と出会うが、国許からの呼び出しで即座に京を離れることになり、阿曽次郎が和歌をしたためた朝顔の扇が、深雪の手元に残る。

 のちに二人は月夜の明石の浦でめぐり合うが、再び分かれ分かれになってしまう。このとき朝顔の扇は、阿曽次郎の手に渡る。さらに年月を経た後、阿曽次郎を追って家を出た深雪は、街道筋で盲目の女乞食となっている。嶋田宿の戎屋に投宿した阿曽次郎(改名して駒沢次郎左衛門)は、座敷の衝立に覚えのある朝顔の和歌があるのを見つける。宿の亭主を問いただし、盲目の朝顔を呼び寄せて琴を弾かせ、身の上話を聞くが、連れの手前、自分が阿曽次郎であると言い出せない。扇と目薬を渡して宿を立つ。駒沢の正体に気づいた朝顔は後を追ったが、大井川で足止めされる。悲しみにくれるところ、戎屋の亭主が、深雪の父親に大恩のある身で、都合よく「甲子の年の生まれ」だと分かる。その血を目薬と一緒に飲むことで、朝顔の目は全快する。

 ストーリーは、何だか他の名作の見どころをごちゃまぜにしたような感があって、あまり感心しなかったが、プログラムの解説に、もとは中国の戯曲『桃花扇』だとあるのが気になった。これが読本『朝顔日記』になり、演劇化されたとのこと。桃花が日本では朝顔になるのかな。劇中の朝顔の扇が「金地に朝顔」と聞いて、鈴木其一の『朝顔図屛風』を思い出していた。

 「嶋田宿笑い薬の段」は、駒沢(阿曽次郎)を毒殺しようとした萩の祐仙が、逆に笑い薬を飲まされるというチャリ場で、萩の祐仙を勘十郎さん。勘十郎さんのチャリ場はほんと楽しくて好き。床は咲太夫さんと燕三さんだった。また、深雪は「浜松小屋」だけ蓑助さんだった。家老のお嬢様が、恋ゆえに全てを捨てて落ちぶれた哀切さと妖艶さ。忠義の乳母・浅香は和生さん。7月に人間国宝になられて、初めて見る舞台である。おめでとうございます。
 
・第2部『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)・清水寺の段/道春館の段/神泉苑の段/廊下の段/訴訟の段/祈りの段/化粧殺生石』(9月16日、16:00~)

 そして、今日は『玉藻前』を見てきた。やっぱり面白いわー。国立劇場での上演は昭和49年(1974)9月以来だというが、私は平成27年(2015)秋の大阪公演を見ているのである。プログラムの勘十郎さんインタビューで聞き手の方が「公演期間中に口コミでチケットの売り上げがぐんぐん伸びたと伺っています」と話している。勘十郎さんも「お陰様でご好評をいただきました。『こんなん見たことないわ』って」とおっしゃっている。

 自分のブログを読み返すと「何度も見たい演目ではない」と書いているが、いや、やっぱり二度目も面白かったし、三度目も見たい(実は、細かい筋はけっこう忘れていた)。2015年の上演記録を確認すると(※文化デジタルライブラリー)、今回、主要な役どころはほとんど変わっていないようだ。人形はもちろん、「道春館」の奥はやっぱり千歳太夫さんの熱演。「神泉苑」の咲甫太夫さん、「祈りの段」の文字久太夫さんも好き。「道春館」中の希太夫さんも細身なのに声量があって聞きやすい。今回は、床のすぐ下の席で、浄瑠璃と三味線を全身に浴びることができ、至福の時間だった。

 最後の「殺生石」(七化け)はほんとに楽しかった。昭和49年の舞台では、先代の玉男師匠が妖狐(現在の人形)を遣ったそうだが、この曇りのない楽しさは勘十郎さんならではである。力のある若手・中堅が並ぶ床も楽しく、特に咲甫太夫さんは声が陽性で、こういう景事向きだと思う。藤蔵さんの三味線ものっていた。最後に岩の上に玉藻前がしずしずと姿を現し、一瞬で妖狐の顔に変わる(実によくできた仕掛け)。淋しいススキの枯野が菊花でいっぱいになり、舞台が明るくなって客席から万雷の拍手。いやいや、妖狐ちゃん(勘十郎師の呼び方)に拍手していいのか、と思ったが、最後の詞章は「稲荷山稲荷山、幸先吉田の末社にて、誓ひ新たな新御霊、祝ひ祭れる朝吉と、守らせ給ふぞめでたけれ」と、御霊も妖狐も寿いで終わるのである。
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