見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

天神さんの怨み/鎌倉国宝館

2004-09-30 08:30:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
○鎌倉国宝館 特別展『荏柄天神社九百年―鶴岡八幡宮古神宝類とともに―』

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/

 最近、仕事がおもしろくない。「羅生門」で雨止みを待つ下人の気分である。1人2人殺して飛び出したいという誘惑にかられながら、その決断もつかずに拱手している。そんな鬱屈した気分で、この展示に出かけた。

 天神さんには憤怒の像が多い。しかし、明王系の仏像のように、外に向かって爆発する憤怒ではない。きちんとした束帯を身につけ、威儀を正して直立する天神さんの憤怒は、三白眼の目とか唇を噛んだ口元にわずかに表現されているだけだ。注意深く向き合わないと、ほとんど見落としてしまいそうである。

 考えてみると、武士の生き方は単純である。敗北は即ち死だ。本来、怨みも何も溜めている暇はなかろう。

 平将門は怨霊になった。しかし、将門の場合は、生前に始めた戦いを死後も一直線に続けているようなものだと思う。彼は現世の死と同時に、超人的な怨霊パワーを手に入れ、ますます京の貴族たちを震え上がらせる。

 崇徳上皇はいきなり配流先でブチ切れて、「我、日本国の大悪魔とならん」と志し、「舌を噛み切り、流れる血で大乗経の奥に呪詛を書きつけて海底深く沈め、髪も爪も伸ばし放題」というエキセントリックな振舞いに出る。天皇というのは、武士ではないが、文官ともちょっと違う人種であると思う。

 それらと比べたとき、文官(=普通の人間)は惨めなものだ。敗北にも華々しさがない。太宰権帥への左遷なんて、生殺しもいいところである。道真は詩を詠み和歌を詠み、長らく悲嘆にくれた挙句、天拝山で祈りを捧げ、粛々と手続きを踏んで、ようやく、怒れる天神(雷神)への変身を手に入れる。北野天神絵巻の清涼殿落雷の図に描かれた道真は、もはや人間とは似ても似つかない、蓬髪裸体の鬼神である。

 しかし、後世の人々は、この恐ろしい鬼神像ではなく、変身以前、内なる憤怒をじっと掻き立てている体の道真をもって天神さんのイメージとした。おもしろいような、哀しいような。もしかすると最近の私も、ひとりでいると不機嫌きわまって、こんな表情をしているかもしれない。


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外交という仕事/吉田茂の自問

2004-09-29 12:19:13 | 読んだもの(書籍)
○小倉和夫『吉田茂の自問:敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』藤原書店 2003.9

 本書は、1951年、吉田茂首相が外務省の若手官僚に命じて、満州事変以来の日本外交の歩みを検証させた文書「日本外交の過誤」に対して、著者が今日的視点で検証と分析を加えたものである。「日本外交の過誤」は50頁ほどの報告書で、2003年4月、初めて公にされた。

 私は日本に生まれてこの方、国家には「外交」という仕事がある、ということを、最近まで忘れていた。これは、私が特別にうかつなのではなく、いまの日本人として、ごく普通の認識なのではないかと思う。

 だって、この20年とか30年間、日本に「外交」があったと言えるだろうか。アメリカの後に着いていくか、国民の顔色をうかがっているか、のどちらかではなかったか。ガイムショーの役人というのも、(申し訳ないけど)無策な政治家に使われるパシリか、そうでなければ個人の蓄財に励むか、どっちかのイメージしか私にはなかった。

 まして戦前(戦時中)の話になると、外務省が1つの職能集団として自立していたというイメージは薄い。だから、軍部の戦争責任は、天皇は、内閣は、政党は、あるいは国民は...という問いかけをすることはあっても、そもそも「外務省の責任は」という問題提起をすること自体、一般には稀であると思う。

 報告書「日本外交の過誤」は、外務省の官僚自身が、自分たちは、専門職能集団として、他の集団には代替できない特別な役割が「あったはずだ」という自覚に立ち、その役割をどうして果たせなかったか、ということを検証したものだ。作業自体は貴重だと思うし、なかなか示唆に富む記述もある。

 たとえば、大義のない外交、道義に基づかない外交(他国の犠牲の上に自国の利を貪ろうというような)は、結局はダメだ、という点とか。それだけ読むと、理想主義者のたわごとみたいだけど、事実としての敗戦の反省に基づき、こういう指摘がなされたことは記憶すべきだと思う。

 しかし、今日、日本人の多くが、相変わらず「外交」という仕事を理解できていないのは、結局、この自問自答の経験が生かされなったということだろう。報告書には、軍部が宣伝活動による世論の形成に力を注いでいたのに対し、外務省は国民を味方につけることを全く考慮してこなかった、という反省もちゃんとあるのになあ。

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あれもこれも琳派/近代美術館

2004-09-28 01:10:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立近代美術館『琳派 RIMPA』展

http://www.momat.go.jp/Honkan/honkan.html

 琳派はわりと好きだ。早くから好きだったのは宗達である。今回は、墨のにじみを利用した「たらしこみ」技法の名品「牛図」(”ぶも~っ”とか、マンガ的な擬音を入れたくなる)と「狗子図」が見られて嬉しかった。

 私のイメージでは、宗達は好きな絵を好きなように描いて「楽しんでいる天才」である。彼の作品は(たとえば舞楽図屏風は典型的だが)、よく分からないけど、ヘンだけど、眩暈のようにおもしろい、と感じることがある。

 光琳に注目するようになったのは少し後のことだ。光琳には、クリエーターとしての強い自覚を感じる。彼の作品を見ると「どうだ」という声が聞こえ、「やられた!」という、一種すがすがしい気持ちになる。

 この展示会は、特に光琳の作品が充実していた。ボストン美術館の「松島図屏風」は、すごいとしかいいようがない。色彩といい造型といい、国境とか時代を完全に超越したところにあると思う。この名作がふだん国外にあるのは惜しいが、世界の人々に愛でられるのは作品の幸せかもしれない。

 小品だが「紅葉流水図(龍田川図)団扇」もいい。解説に「宗達は扇面図を得意とし、光琳は団扇図を得意とした」みたいなことが書いてあって、おもしろいと思った。緻密な計算によって求心的な画面を構成する光琳には、円形の団扇がいいのかもしれない。

 「風神雷神図屏風」は、私は”宗達作品のほうがいい”という主義を譲りたくないのだが、今回、光琳作も”なかなか、いいかもしれない”と感じた。絵具の発色がきれいである。

 展示会の後半には、日本と西洋の近代絵画で、琳派の系統に連なるものがセレクトされている。菱田春草とか神坂雪佳は分かりやすい。クリムトもよしとしよう。マティスとかアンディ・ウォーホルになると、ちょっとどうかな?と思う。横山大観とか川端龍子にも、なるほど琳派っぽい作品があることは分かるが...

 結局、工芸デザインに傾いた美術品は全て「琳派」なのかなあ。

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援交から亜細亜主義へ

2004-09-27 08:45:47 | 読んだもの(書籍)
○宮台真司『亜細亜主義の顛末に学べ』実践社 2004.9

 宮台真司は、むかし、教育論とか若者論を何冊か読んだが、あまり共感できなかったので、その後はずっと放っていた。最近、イラクや北朝鮮問題など「大文字の政治」に関する発言が目に入るようになり、ちょっと気になる存在になっていた。

 このひとは頭がいい。言いたいことは理路整然としていて、よく分かる。

 近代(アメリカン・グローバライゼーション)の不利益は、過剰な流動性である。自分が自分でなくてもいい、人も場所も入れ替え可能な流動性が、人間存在を危機に曝している。これに対して「反近代」を掲げるのではなく、むしろ近代の徹底、合理性の徹底によって、過剰な流動性の非合理を糾弾し、文化的多様性とローカルな自立的相互扶助を護り抜くべきだ。実はこれこそ「亜細亜主義」の本義なのである。云々。

 巻末で、インタビューアーが「でも宮台さんは援助交際を擁護したり」「要するに流動性を加速させる、あるいは流動性に抗わないといった主張だったような感じがしますが?」と聞いている。

 著者は答える。「援助交際チョーOK」というのは、家父長制のダブルスタンダードを暴く戦略だった。しかし、その後、流動性に耐え切れず、「超越」に帰依する若者によるオウム事件が起き、援交女子校生も次々にメンヘラー(心の病)になっていく。それによって「どうも私の目算に間違いがあったことが、はっきりしてきたわけです」。

 そこで「『既得権益を温存する非流動性をぶち壊せ』という主張よりも、これを『過剰流動性から収益を上げる権益勢力の非流動性』への批判として引き継いだ上、『過剰流動性』自体を批判する方向へと力点を移したほうがいいと思うようになりました」。だから、力点は変わったけど、根本はブレてない、というのが著者の主張である。

 論理的には破綻がない。だけど、私にはついていけないところがある。援交女子高生たちの精神的な危うさを感じ取れず、(性愛の)過剰な流動性の中では生きていけないという、普通の人間の限界を理解できずに、彼らを煽ってきた責任は「目算違い」で済むのだろうか? そこに学者としての、いや、むしろ一個人としての痛みってないの?

 著者は、百年の計を立てて国家の舵取りをする「エリート」を重視する。その主張もよく分かるけど、多少の女子高生の「心の病」ぐらい「目算違い」で済ませるようなエリート主義なら、願い下げだと思う。

 「亜細亜主義」の持ち出し方もなあ。分析は細緻なんだけど、何かジャーナリスティックに狙いすぎている感じがして、反感が先立つ。

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晴れやかな祝祭/厨子当官

2004-09-26 00:54:35 | 見たもの(Webサイト・TV)
○連続電視劇《厨子当官》30集

http://www.whtv.com.cn/wlds/dsj/czdg.htm

 久しぶりに中国の「古装劇」にハマった。清末に題材を取った軽喜劇である。

 『中華料理四千年』の項でも書いたが、主人公の「民間神厨」石竹香と、そのライバルである「宮廷御厨」牛不耕の対立の背景には、西太后と光緒帝(および康有為一派)の確執がある。

 描き方によっては、シリアスな歴史ドラマになるところ、これは、重たい史実をさらりと交わし、清末という時代を、優雅な宮廷風俗や古き良き人情が、新しい思想や西洋の文物と交錯する活気ある時代として捕らえている(自分たちの近代史を、いまの中国の人々がこういうふうに受け止めているということが私には興味深い)。

 とにかく、全編に横溢する晴れやかな気分が、私がこのドラマを鍾愛する最大の理由である。

 主人公の石竹香を演じる李保田は「菊豆」「上海ルージュ」、最近では張芸謀の「Keep Cool」にも出演している。私はこのおじさんの喋る中国語が好きだ。だいたい中国語という言語は抑揚があり過ぎて、日本人には聞きにくいものだ。しかし、このおじさんの喋り方は(役柄かも知れないが)、淡々としていて聞きやすい。

 奥さんもいい。グラマラスで目鼻立ちのはっきりした中華美人。王璐瑶という女優さんで、きれいで若々しくて茶目っ気があり、しかも聡明な奥さんを演じている。枯れた老人みたいな亭主と「老頭子」「夫人」と呼び合う様子が、仲むつまじ気でほほえましい。

 脇役もそれぞれいいのだが、私は傅巡検がひいきである。絶対笑顔を見せない生真面目な武官。いざとなればスカッとした立ち回りを見せてくれる。目のくりっとした童顔で口髭の似合わないところが、かわいい。私は清朝の文官の正装も好きだが、傅巡検の着ている武官の制服もカッコいいと思う。あれは正確な時代考証に基づいているのかしら?

 しかし、途中で、傅巡検は石竹香の奥さんの兄であるという設定が分かってびっくりした。そりゃあちょっとムリがないか。どう見ても王璐瑶のほうが年上だろう。中国の時代劇って、ときどき、中年の女優さんに無理な若づくりを強いるところが難である。

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官僚もすなる料理/中華料理四千年

2004-09-25 00:58:29 | 読んだもの(書籍)
○譚璐美『中華料理四千年』(文春新書)文藝春秋社 2004.8

 稿を改めて書くつもりだが、今、『厨子当官』という中国の喜劇ドラマにハマっている。

 時代は清末。西太后は宮廷料理人の牛不耕がお気に入り。彼を香河県の県知事に任命しようと考えた。政治改革の理想に燃える光緒帝はこれに反対し、彼が信頼する料理人の石竹香を、同じ県の県知事に派遣した。結局、両名は1日交代で県知事を勤めることになる。

 ...ということで起こるドタバタ喜劇である。中国の県知事は司法官を兼ねるから、法廷(もちろん当時の)シーンが多く、推理ドラマの趣きもある。主人公の石竹香は、要所要所で料理の腕を披露しながら、次々に難事件を解決していく。

 まあ、日本のなんとかサスペンス劇場でも、探偵が同時に料理人であるとか、バスガイドであるとか、旅館のおかみであるとか、いろんな設定で視聴者を喜ばせようとするものだが、料理人が県知事になるって、そりゃあ無理がありすぎないか、と思っていた。

 しかし、この本を読むと、日本人が感じるほどの違和感はないのかもしれない。そもそも中国人の始祖、黄帝が人々に「かまど」で煮炊きすることを教え、肉を炙って食べる方法を教えたというのだし。商王朝(殷)の宰相であった伊尹は「割烹の聖人」(!)だった。唐の穆宗の時代の丞相、段文昌は「食経」を書いた。

 杭州の太守に左遷中だった蘇東坡が「東坡肉」(トンポーロー)を発明したのは有名な話だが、「宮保鶏丁」(鶏肉とカシューナッツ炒め)も、清末の四川省総督だった丁宝という人物が発明したという。この手の逸話は掘り出せばごろごろあるらしい。

 つまり、中華文明において料理というのは、「男もすなる」いや「高級官僚もすなる」たしなみだったらしいのである。

 うれしかったのは、北京の彷膳飯庄を紹介した一段。「もっとも私の目を引いたのは、翡翠色をした羊羹のようなものだった」というのを読んで、10年以上前、たった一度だけ食べた彷膳の点心の味が鮮やかによみがえった。そうそう、あれ(芋ようかんみたいだった)は美味しかった!! でも、著者の書き方からすると、特に名前はないのかしら。あ~「肉沫焼餅」(肉そぼろを挟んだ中華バーガー)も美味しかったなあ...涙が出る。

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古代の文字/サントリー美術館

2004-09-24 09:25:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
○サントリー美術館『湖南省出土古代文物展 古代中国の文字と至宝-初公開《馬王堆と走馬楼》出土品』

http://www.suntory.co.jp/sma/japanese/index.html

 私は長沙の湖南省博物館も行っていないし、実は日本で行われた「馬王堆漢墓」の展覧会にも行っていない。なので、初めて見るものばかりだった(たぶん)。

 展示品は、印章、封泥、木簡、竹簡、帛書など、文字の書かれたものがほとんどだった。竹簡がものすごく細く、書かれている文字がものすごく小さいことにびっくりした。パソコンのディスプレイなら「小」で表示させたくらいの文字である。しかも、パソコンと違って、点画をごまかしたりせず、画数の多い文字も、細い線できちんと書いている。

 木簡、竹簡に書かれているのは、政府の公文書とか歴史記録とか、または人の生活において重要と考えられた占卜や呪術、医術の書で、いずれも贅言のない、簡潔な文体でまとめられていた。

 古代において「文字で書き留められるもの」は、それ相応の実質を要求されたということか。現代のように、文字が私有化されて、誰でも、くだらないことを好き放題に書ける(Blogなんてその最たるもの)時代とは、「文字」の価値って、大きく違っていたんだろうな、と思った。

 でも、そのあとに、色っぽい詩を書いた酒瓶とか、底に「どうぞお召し上がりください」と書かれた食器とかもあって、ホッとした。こういう「生活の彩り」みたいな文字の使用も、やっぱりあったんだ、と思って。

 ちなみに、これは「公」の領域に当たるんだろうけど、性生活の指導書みたいな竹簡が、展示の中にさりげなく混ぜてある。記述はかなり具体的。おいおい、いいのか...って感じでした。

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四川文明/東京都美術館

2004-09-23 19:01:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京都美術館『よみがえる四川文明 三星堆と金沙遺跡の秘宝展』

http://www.tobikan.jp/

 1986年に発掘された三星堆遺跡を中心に、2000年の船棺遺跡(成都市)、2001年の金沙遺跡(成都市の西部)から発見された文物を加えたもの。なんと言っても、三星堆のインパクトが強い。でも四川文明=三星堆と考えてしまっていいのかは疑問が残る。

 三星堆の文物は、本場を見てきたので、もう、あまり驚きがない。本場の博物館には、もっと巨大な仮面がごろごろしていたし、聖なる世界樹の杖も、もっと繊細で華麗なものがあった。そんな記憶を辿ると、二級品しか見られない日本の参観者がかわいそうになる。

 でも、2000年、2001年の発見は初耳であった。まだまだ中国は何が出てくるか分からないのだなあ。特に四川みたいな周辺地域は。おもしろい。

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蛍~藤裏葉/源氏物語(5)

2004-09-22 23:14:39 | 読んだもの(書籍)
○玉上琢彌訳注『源氏物語 第5巻』(角川文庫)1969.5

 玉蔓(葛)をめぐる物語の続き。上京した夕顔の遺児・玉葛は、とりあえず養父気取りの源氏をはじめ、カタブツの夕霧、事情を知らない実弟の柏木、風流人の兵部卿宮、髭黒大将など、次々に男性の心を迷わせ続ける。「源氏物語」の中でも、これだけ多数の男性から言い寄られる女主人公は他にいないのではないか。

 そのわりに玉蔓に人気がないのは、あまり「ロマンチック」でないからだと思う。

 このあたり、世代も個性も異なるさまざまな登場人物を、作者は巧みに(=現実的に)書き分けている。もはや絶世の美女も、神のような貴公子も登場しない。そして彼らの恋愛も、あまり純粋とは言えない。

 若い源氏の恋は純粋だった。たとえそれが不道徳であろうが、世のそしりを受けようが、愛する女性を我がものにするためなら、何もかも振り捨てるような一途さがあった。夕顔を五条の廃院に誘って2人きりの時間を過ごしたり、幼い紫の上を誘拐同然に奪い去ったり、父帝の中宮である藤壷のもとに忍び入ったり...

 しかし、中年の源氏は、玉蔓に思いを寄せながら、弟の兵部卿宮に、わざと玉葛の姿を見せて、恋に煩悶する姿を楽しんでいたりする。兵部卿宮もイマイチ煮え切らないし。みんな「恋心」に対して不真面目なのだ。

 な~んか、愛されているんだか、いないんだか、よく分からない、こんな愛され方じゃ嬉しくないなあ、というのが、一般的な玉蔓不人気の理由だと思う。女性の夢は、やっぱり、数より質。

 でも、恋愛巧者には、こういう駆け引きがたまらなくおもしろいのかもしれない。「玉蔓十帖」って、そのまま舞台を現代に移したら、月9ドラマでもいけそうな気がする。私は最近の恋愛ドラマも見ないし、「近代小説」を読まないので、ちょっとしんどかったけど。

 私は玉蔓は嫌いではないよ。なんとなく大柄な女性のイメージがある。はじめは髭黒大将との結婚を悔しく思っているけど、たぶん(少し鈍感で)適応性のある女性だから、起こってしまったことを受け入れて、最後にはきっと幸せを見つけたと思う。

 さて、まだ続く。
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驢馬にのる芥川/江南游記

2004-09-21 23:10:53 | 読んだもの(書籍)
○芥川龍之介『上海游記・江南游記』(講談社文芸文庫) 2001.10

 芥川龍之介といえば、「杜子春」「芋粥」「トロッコ」などは子供の頃、けっこう熱愛していたものだ。それが、大学生くらいになって、あらためて大人向けの作品を読んでみたときは、才気とペダントリーが鼻について、好きになれなかった。不思議なもので、最近また、好んで芥川を読むようになった。

 本書は、大正10年、大阪毎日新聞の依頼を受けて、およそ4ヶ月にわたって、上海・南京・蘇州・杭州など中国各地を遍歴した芥川龍之介の紀行文「上海游記」「江南游記」「長江游記」「北京日記抄」「雑信一束」をまとめたものである。

 昨今、書店に並ぶ外国の印象記といえば、だいたい、その国が好きで好きでしかたのない作者が書いたものと決まっている。初めはそれほどでなくても、次第にその国の魅力に目覚めていくとか。少なくとも「紀行文」のジャンルで正面切った悪口は書かれない。

 それがまあ、芥川の紀行文は「支那」に対する悪態だらけだ。不潔、俗悪、卑屈、無愛想。あばたもえくぼ式の甘口紀行文に慣れた現代読者は、芥川の大胆不敵さにハラハラしつつ(こんなこと書いちゃっていいの?クレームこないの?)、同時に、自分の偽善性を暴かれるようで赤面する。

 こういう居直ったようなふてぶてしさと、可憐なまでの繊細さ・鋭敏さの同居が、芥川の魅力である。芥川は、驢馬を使って蘇州城を見てまわったらしいが、病弱な身体をだましながら、驢馬の背に傲然とまたがる図は、なんだか、芥川に似合いのイメージだと思った。

 もちろん、芥川は「支那」の理解者である。愛好者でもある。文中に散りばめられた古今の漢詩。「わが李太白」と呼ぶ口調にこめられた愛情。

 蘇州の玄妙観で、打ちものの試合をしている男たちを見ながら、「水滸伝」について書き及んだ一段がある。「水滸伝」の思想、すなわち、豪傑の心は善悪を超えたところにあるという一種の超道徳思想は「古往今来支那人の胸には、少くとも日本人に比べると、遥に深い根を張った、等閑に出来ない心である」。これは、紀行文の一挿話として読み捨てるには惜しい、非凡な文学論、文化論だと思った。

 芥川の指摘を待つまでもなく、「水滸伝」に着想を得て、忠義の化け物「八犬伝」を書いてしまった馬琴は、「支那」の理解者としては二流なのだろう。

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