見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

印刷と写本の間/アラビアンナイト(西尾哲夫)

2007-04-30 22:35:31 | 読んだもの(書籍)
○西尾哲夫『アラビアンナイト:文明のはざまに生まれた物語』(岩波新書) 岩波書店 2007.4

 著者の名前には見覚えがあった。2004年にみんぱく(国立民族学博物館)で開かれた『アラビアンナイト大博覧会』の監修者(?)のおひとりだったはずだ。もっとも、私はみんぱくの会期は見逃して、2006年、岡崎市美術博物館での巡回展を見に行ったのであるが。

 本書の内容は、上記の展覧会と重なるところが多いので、詳しくは繰り返さないが、私がいちばん惹かれるのは、「アラビアンナイト」の成立と伝承にまつわる”書誌学的”ミステリーである。一体、アラビアンナイトの原典(=最も正統な写本)はどこに、どこかに存在するのだろうか?

 本書によれば、中東では「アラビアンナイトは『書かれたもの』と『語られたもの』の中間を縫うようにして伝えられてきた」という。そのことが、まず「原典」の確定を難しくしている。第二に、アラビアンナイトは、1704年にフランス語版(ガラン版)が「出版」されたあと、ヨーロッパ各国で翻訳と出版が相次ぎ、廉価な貸本を通して、一般庶民にまで広まった。他方、中東は、まだ「写本」の時代だったから、ヨーロッパ人の熱狂を目にした中東出身者によって、あやしげな偽写本が続々と作られることになった。この「印刷・出版」と「写本」の往還を通して成長したという点が、アラビアンナイトの大きな特徴なのではないかと思う。

 そうして、東洋と西洋の、さまざまな「物語への欲望」を取り込んだ結果として、現在のアラビアンナイトはある。まぼろしの原典探しは学問的な興味をそそられるが、あるがままのアラビアンナイトを楽しむことも忘れないでおきたい。著者によれば、日本の子どもたちはシンデレラに感情移入することはできても、アラビアンナイトの登場人物に感情移入することは難しい、という報告があるそうだ。ええ~そうなの?

 私は、「アリババ」に登場する勇敢で賢い女奴隷のマルジャーナが好きだった。壺に隠れた盗賊たちを全て油で焼き殺してしまうんだから、恐ろしい毒婦だけど(アリババは、最後に、よくこんな女性を娶るなあ)。それから「妹をねたんだ二人の姉」で、冒険の末、魔物によって石に変えられた二人の兄を助け出し、三つの宝物を手に入れる末の妹も。アラビアンナイトには、ヨーロッパのおとぎ話には出てこないような、男まさりの行動的な女性がたくさん登場する。コンピュータゲームで凛々しいヒロインを見ているいまの子どもたちには、きっとなじみやすいはずなのに。
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引越し記念

2007-04-29 14:41:01 | 日常生活
4年間暮らした東京のアパートを引き払うことになった。
昨日、荷物の搬出を終えて、今日はお掃除、アンテナの取り外しなど。

荷物がなくなってみると、20㎡ちょっとのワンルームも意外と広い。





明日の午後、新しい住居に荷物が届く。今夜はどちらで寝るか、思案中。
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隠蔽された記憶/親米と反米(吉見俊哉)

2007-04-28 23:14:25 | 読んだもの(書籍)
○吉見俊哉『親米と反米:戦後日本の政治的無意識』(岩波新書) 岩波書店 2007.4

 出会いは幕末にさかのぼる。「自由」と「デモクラシー」の国、アメリカの表象は、幕末の思想家・横井小楠や坂本龍馬、明治の自由民権家・馬場辰猪や植木枝盛らに少なからぬ影響を与えた。大衆レベルに決定的な影響を与えたのは福澤諭吉の『西洋事情』だった。1920年代以降は、アメリカの大衆文化が日常的な消費生活に浸透していく。近代日本の人々にとって、アメリカはモダニティそのものだった。

 ふむ。文明開化とは、漠然と「欧化」のことだと思っていた。確かに明治初期、維新政府の中核にいた人々は、イギリスやドイツの政治体制から多くを学んだはずである。しかし、その後の近代日本の歩みを考えると、知識人にとっても、大衆にとっても、最も重要な異文化は「アメリカ」だったのかも知れない、とあらためて考えた。

 戦前のアメリカニズムは、一見、天皇を中心とする家父長制的国家システムと「対抗」するようなかたちで現れる。しかし、天皇制国家もまた、日本にとっては、ひとつの「近代」であった。つまり、片方に伊藤博文や井上馨がヨーロッパの絶対主義国家をモデルに作ろうとしていた「日本の近代」があり、片方に主として大衆に欲望されたアメリカモデルの「日本の近代」があったと言っていいだろうか。

 そして、この2つの近代は、初めから「互いに補完的な関係」を内包していたのではないか。だからこそ、戦後、両者の「抱擁」(もちろん、この表現はダワーの『敗北を抱きしめて』に拠る)が成立し、半世紀以上にわたって、この国を呪縛することになるのである。

 後半は、戦後日本における「アメリカニズム」のエスノグラフィ。1960年生まれの私が驚かされたのは、占領期(1950年代)日本の姿である。英語の看板に埋め尽くされた日比谷交差点。全てアメリカ風に「○○アベニュー」「○○ストリート」という通り名が付けられた銀座の地図。まるで租界だ。また、今日、無国籍で”おしゃれ”なイメージを持つ六本木や原宿が、米軍の駐留する”基地の町”であったことも、私は意識したことがなかった。

 誰がこれを隠していたのだろう。ひとつには、GHQの巧妙な統治戦略であったらしい。マッカーサーは、日本に到着した最初期こそ、天皇と並んだ写真を公表するなど、自分の姿をメディアに露出させたが、その後は、巡幸する「人間天皇」を前面に押し出し、自分はその後ろに隠れることで、日本人に占領軍の存在をなるべく意識させないことを目指した。

 しかし、こんなにも容易に占領期の記憶が消えてしまったのは、やはり日本人自身が、それを「なかったこと」にしたいという、心的規制が働いたためではないかと思う。その理由を考えるとき、興味深いのは、政府公認の占領軍慰安婦と「パンパン」と呼ばれた売春婦たちの存在である。彼女たちは「この国の軸心をなすナショナルな男性性にとって転覆的な脅威」だった。それゆえ、占領期が終結すると、日本の男たちは、「アメリカで認められた高い技術力」によって自信を回復し(=アメリカとの一体化)、そのパートナーに「家庭電化の主体である主婦」を招来したのである。こののち、日本人は、ナショナルな主体と「アメリカ」の間に、ほとんど差異を見出せなくなってしまう。

 同様に、戦前の谷崎潤一郎『痴人の愛』の分析も印象的だった。ナオミは、自らの性を商品化し、欲望の対象となることで、男性的領域に優越する立場を獲得してしまうのだ。本書は、このジェンダーにからむ分析が、非常に興味深い読みどころである。

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また、花を貰う

2007-04-26 23:14:07 | なごみ写真帖


もとの職場の歓送迎会に呼ばれて、また花束を貰ってきた。
今週末に引越しを予定しているので、花瓶もカメラも荷造りしたあとだったのだが...いちおう、記念写真。

それにしても、いろんな花束を貰った。
それぞれ、私のイメージを考慮に入れて選んでくれているのだとしたら、ずいぶんバラエティがあるものだなあ。
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お城と銅像/わたしの城下町(木下直之)

2007-04-24 23:59:52 | 読んだもの(書籍)
○木下直之『わたしの城下町:天守閣からみえる戦後の日本』 筑摩書房 2007.3

 昭和29年(1954)浜松生まれの著者は、昭和33年に復興された浜松城の天守閣を見て育った。石垣に登って忍者ごっこをして遊び、城内の小中学校に通った。城内には動物園や郷土博物館など、さまざまな文化施設があった。たぶん戦後日本の多くの子どもたちが同じような思い出を持っているに違いない。昭和30年代は、全国各地で鉄筋コンクリート造のお城が、雨後のタケノコのように建てられたときだった。

 本書は、皇居(江戸城)に始まり、東海道・山陽・四国・九州・沖縄まで、お城と「お城のようなもの」を訪ね歩いた記録エッセイである。私は近世史にあまり関心がないので、城郭史には詳しくない。本書を読んで初めて、全国津々浦々に、たくさんのお城があること、しかし、その大半は戦後の復元であることを知った。

 戦後の日本人は、とにかく我が町にお城(天守閣)が欲しかったらしい。名古屋城のように、戦災で失われたものを取り戻したい、という場合もあるが、そもそも天守閣が造られたことのない城址(あるいは城址でさえない土地)に、ムリヤリそれを造ってしまう、ということも行われた。精神分析の対象としては、非常に面白いのではないかと思う。その癖は、近年も治っていなくて、著者のあとがきによれば、全国各地の城下町に足を運ぶたびに「奇妙奇天烈なお城」が待っているという。

 これだけ「奇妙奇天烈なお城」について読んでしまうと、きわめつけのホンモノ、姫路城が焼けずに残ったのは、実に奇跡だと思う(姫路は米軍の激しい空襲を受けた)。やっぱり、富姫さまと魔物たちがお城を守ったのだろうか。そう、姫路城は泉鏡花『天守物語』の舞台である。著者は姫路城について「『天守物語』を読んでいるかいないかで、姫路城の印象はふたつに分かれる」と書いているけれど、あ~私は、姫路城の天守閣には登っていないんだ。周囲の石垣を見ただけで。今度、登ってこなくちゃ~。天守閣の解体修理が行われた昭和31年、宮大工の棟梁は数百の人魂に取り付かれるという異変を体に感じたそうだ。こ、こわい。

 お城に付随するものとして、護国神社と戦没者の遺品、藩主の墓所、郷土の偉人の銅像のゆくえ等々に関する考察も興味深い。皇居のそばにあった山県有朋の騎馬像は、戦後、軍国主義の象徴として嫌われ、上野公園→東京都美術館の裏→井の頭自然文化園を転々とし、郷里の萩市民球場に移設された。山本五十六元帥の巨大な銅像は、土浦海軍航空隊の庭にあったが、占領軍の目から隠すため、上下に分断して(!)霞ヶ浦に沈められた。その後、胸部は引き上げられて長岡の生家に安置されている。

 横浜掃部山公園には、みなとみらい21の遠景を見下ろすように、井伊直弼像が立っている。古めかしい衣冠束帯姿に似合わず、いちはやく開国を唱えた彼にはふさわしい前景かもしれない(著者撮影の写真が、眩暈がするほど印象的!)。銅像の序幕式では、伊藤博文、井上馨らの妨害にもかかわらず、大隈重信が祝辞を述べたという。これら、いずれも見に行きたいなあ。

 「皇居前広場」がある種の隠語だった頃――1964年9月の「朝日ジャーナル」に掲載された報道写真「和田倉橋の恋人たち」についての言及もあり。私は、アンドルー・ゴードンさんの『日本の200年』の扉絵で初めて見たのだが、有名な写真なのね。
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東京ミッドタウンで日本を祝う/サントリー美術館

2007-04-22 23:21:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○サントリー美術館 開館記念展I『日本を祝う』

http://www.suntory.co.jp/sma/

 2年余り、休館していたサントリー美術館が、場所を六本木に移してオープンした。3月末から始まった開館記念展にようやく行ってきたのだが、私は六本木の駅に着くまで、サントリー美術館の所在地が、巷で噂の「東京ミッドタウン」であることに気づいていなかった。えっ、そうなの?!

 エレベーターがなかなか来なかったので、1~3階のショッピングアーケードを通り抜けることになり、結果、あふれ返るモノと人の山に辟易した。長年通った、赤坂見附のサントリー美術館がなつかしい。私は、出光美術館とか三井記念美術館とか、都心のオフィスビルにある美術館がわりと好きだ。地下鉄の駅を出て、簡素な(あまり愛想のない)入口を入り、長いエレベーターで美術館のある階に、直行で運ばれていくのが好きなのだ。ここのように、延々と続くショッピングアーケードを通り抜けていくのは、どうも気が散る。でも、これから、都心の美術館に行くというのは、こういう体験が主流になるのかなあ。

 さて、展覧会は、開館記念にふさわしく、華やかな名品が勢揃いしているので、あまり余計なことを考えず、それらを”愛でて”眺めたい。コレクションの基本コンセプト「生活の中の美」にふさわしく、屏風、装束、漆器、陶磁器、和ガラスなど、さまざまな作品が並んでいる。時代は、桃山~江戸初期が中心。

 個人的な好みでは、やはり絵画作品が気になる。本展のポスターにもなっている『舞踊図』は、全6面を3面ずつ展示。扇を手に、静かに舞う女性の全身像を描いた、けれんのない小品だが、その小袖のデザインがすばらしく面白い。

 『正月風俗図屏風』で、輪になって一心に踊る少女たちも可愛い。『歌舞遊宴図屏風』は、以前にも見た覚えがあるが、なんとなく猥雑な遊宴図である。どの部屋を覗いても、妓女(?)と戯れて遊んでいるのは坊主なんだよなー。そうでなくとも、近世初期の女性像は、ひとつは髪形(結髪でない)、ひとつは姿勢(立て膝とか寝そべった姿が多い)のせいで、実際以上に自堕落な感じがするのだ。そこが魅力なんだけど。

 『三十三間堂通し矢図屏風』は初見。稚拙だが、一生懸命に描いた子どもの絵のようだ。妙に細部が詳しいので、当時(17世紀)の風俗が見てとれて興味深い。まず、観客席のあちこちで、茶を立てて飲んでいる姿が目立つ。屋台を担いでいるのもいる(茶釜と、串に刺した田楽も見える)。屋台の主人は穴あきらしい銭を並べている。別に、銭を握り合っている男たちもいる。へえー貨幣経済が、こんなに露骨に描かれた絵画資料って、めずらしいんじゃないかしら。チアガールのポンポンみたいなものを振って、射手を応援する人々の熱狂ぶりも面白い。気になるのは、妙に髭男が多いこと。そういえば、戦国武将の肖像も、みんな髭をたくわえているが、子どもが書き添えた悪戯描きじゃないよなあ。

 階段ホールには、吉岡幸雄の『祝の縷(る)』と題した作品が特別出品されている。6色の糸を縒りあげて1本の綱(注連縄みたい)にしたもの。壁際には、縒り上げる前の細い糸がカーテンのように垂れ下がり、ホール中央には太い綱の先が下がっている。一目見たとき、秘仏ご開帳時に飾られる「結縁」の糸みたいだと思ったので、警備員さんの目を盗み、「作品に触らないでください」という注意書きを破って、そっと壁際の糸に触れてみた。これで私は新しいサントリー美術館と結縁したつもり。
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愛しの”文華”皇帝/乾隆帝(中野美代子)

2007-04-20 23:54:28 | 読んだもの(書籍)
○中野美代子『乾隆帝:その政治の図像学』(文春新書) 文藝春秋社 2007.4

 あっ、中野美代子センセイの新刊! しかも乾隆(チェンロン)皇帝だ~!!と、本書を見つけたときは、二重三重に心が躍った。中国人は乾隆帝が大好きだ。共産党の公式イデオロギーは、過去の皇帝を「人民の敵」とみなしてきたが、最近は、小説でもドラマでも「乾隆」の名を冠したものが大流行だという。私も、そうした娯楽作品の影響を受けて、乾隆帝のファンになってしまった。

 しかし、このひと、なかなか一筋縄ではいかない皇帝である。狩猟遊牧民族である満州族のアイディンティティを保ちつつ、漢字・儒教文化圏の粋を体現し、チベット仏教を尊崇し、宣教師たちを使役して西洋式の庭園を構築する。それなりに侵略戦争は繰り返したけれど、苛烈な征服者のイメージはない。しかし、彼の残した「図像」の数々を読み解いていくと、独特の世界観に基づく帝王学、底知れぬ支配欲が見えてくる。そこが本書の眼目である。

 中華とその周辺地域はもちろん、いずれは西欧世界もその手中に収めようと狙っていたに違いない乾隆帝(日本は、幸いに彼の興味の外にあった)。しかし、その「底知れぬ支配欲」は、同時に、わが王朝の終末――透視遠近法の用語を使えば「消失点」を明らかに意識していた、と著者はいう。

 この点は、昨秋、東京から奈良まで遠征して聴きに行った、大和文華館の日曜美術講座『東アジア最後の文人皇帝・乾隆帝の文化帝国建設計画』で、講師の塚本麿充さんが、乾隆帝は、いずれ自分のコレクションが崩壊する運命にあることを自覚していた(だからこそ、お気に入りの名品に何度も跋を加えたのではないか)とおっしゃっていたことと重なると思う。ちなみに、大和文華館の”文華”という言葉も乾隆帝に由来するのじゃなかったかしら。

 さて、それにしても面白いのは「仮装する皇帝」の図像。巻頭のカラー図版は熱河の外八廟のひとつ普寧寺に残るタンカ(チベット仏画)だが、中央に文殊菩薩に扮した乾隆帝が描かれている。いや、この絵は知っていたのだが、乾隆帝の顔は「郎世寧すなわちジュゼッペ・カスティリオーネが描いたにちがいない」という著者の指摘には、へえ、と思った。それから、「文殊」と明記されているにもかかわらず、台座の脇には、獅子ではなくて2頭の白象が描かれている。著者は「たんなる描きまちがいではあるまい」としながらも、「後考を俟つ」と答えを避けている。謎めいていて、興味深い。

 もっと面白いのは、乾隆帝の父の雍正帝が描かせた『雍正行楽図冊』。これも一部は知ってはいたけど、こんなに(13点!)図像を見たのは初めてである。謹厳・質実・陰険なイメージのある雍正帝が、こんなハジけたコスプレ図集をものしていようとは! 原本は台湾故宮ではなく、北京故宮博物院が所蔵している。日中戦争当時、こんな馬鹿馬鹿しい図冊は、疎開の対象にならなかったのかしら。

 また、英仏連合軍の北京入城後、同軍に従軍していた写真家のフェアトリーチェ・ベアトは、破壊直後の円明園を撮影しているはずだが、まだその作品は発表されていない、というのも初耳。ベアトは、幕末の日本を撮影した写真家としてしか知らなかったので、驚きだった。

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イエスの親族たち/処女懐胎(岡田温司)

2007-04-19 23:04:32 | 読んだもの(書籍)
○岡田温司『処女懐胎:描かれた「奇跡」と「聖家族」』(中公新書) 中央公論新社 2007.1

 『もうひとつのルネサンス』(平凡社ライブラリー 2007.3)が面白かったので、同じ著者の本、2冊目。東博で始まっている、ダ・ヴィンチの『受胎告知』公開に合わせたような出版だが、それと切り離して読んでも、非常に面白い論考である。図版多数。特に、巻頭のカラー図版は、新書では滅多にないほど贅沢。また、セレクションがすばらしくいい!

 タイトル・ページを兼ねているのが、ロレンツォ・ロットの『受胎告知』(16世紀)。部分を切り取っているのかもしれないが、近代絵画のような斬新な構図である。右端には、露わな二の腕を振り上げ、神の言葉を告げる大天使ガブリエル。しかし、床に落ちたその影は悪魔のようにも見える。怯える猫。マリアも助けを求めるように、画面前方に両手を差し出している。この1枚の存在を知っただけでも、本書を買い求めた価値はある。

 コズメ・トゥーラの『受胎告知』(15世紀)では、うつむき加減のマリアの耳元に寄り添う小さな鳩(カワセミみたいにホバリングしている)。マリアが神の御言葉によって「耳から」妊娠したことを示すのだそうだ。このほか、マリアの腹部に射し入る光線とか、天上から送り届けられる赤子とか、処女懐胎という奇跡を視覚化するために、さまざまな苦心が凝らされたこと、さらに、それを教会関係者たちが「望ましい」とか「望ましくない」とか、熱心に議論していたというのも、面白いと思った。

 ルネサンス時代には、マリアの妊娠や出産は、多産や安産の願いと結びつき、人々の生活に密着した図像が多く作られた。ところが、16世紀後半になると、「対抗宗教改革の嵐が吹き荒れ」(このへんのヨーロッパの精神史って、私は認知不足)神秘的、超越的な傾向が強まる。同様に、「無原罪の御宿り」と称えられるマリア像も、さまざまな寓意を描き加えたものから、マリアの若く美しい姿そのものに焦点をあわせた17世紀型(バロック型)に移行するのである。

 ところで、「無原罪の御宿り」というのは、マリアの母アンナと父ヨアキムが、罪なくして(性交渉なしで)マリアを得たという、聖書外典の伝説に基づくのだそうだ。アンナは「母にして聖女」ということから、既婚女性や寡婦に信仰され、いくぶん異教的な(大地母神的な)性格も持つ。フィレンツェの守護聖人でもあり、人文主義者のエラスムスやマルティン・ルターが、若い頃は聖女アンナに帰依していたというのも興味深い。

 忘れてならないのは、マリアの夫ヨセフ。やはり、聖書外典によれば、ヨセフはマリアの妊娠に困惑し、その不貞を疑い、婚約破棄を考えたという。初期キリスト教美術では、神々しい聖母子の傍らに、なんとも複雑な表情を浮かべたヨセフが描かれている。あまりに人間的な表現で、笑ってしまうほどだ。しかし、14~15世紀、父親を中心とした核家族の成立にともない、ヨセフは慈悲と威厳に満ちた父親像に変貌していく。

 本書を読むと、キリスト教の家族観・父性観・母性観が、意外に柔軟で幅広い可能性を含んだものであったことが実感できる。にもかかわらず、その柔軟性が失われていったのが、現実の歴史であることも事実なのだが。
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パリの殺人鬼/ハンニバル・ライジング(T・ハリス)

2007-04-16 23:54:46 | 読んだもの(書籍)
○トマス・ハリス著、高見浩訳『ハンニバル・ライジング』上・下(新潮文庫) 新潮社 2007.4

 ”人喰い”ハンニバル・レクター博士シリーズの最新作。私は80年代に『羊たちの沈黙』と『レッド・ドラゴン』は読んだが、2000年(邦訳)の『ハンニバル』は読んでいない。前二作が、ひそかな口コミで「おもしろいよ」と伝えられたのに比べると、最初から商業主義が露骨すぎて、気に入らなかったためだ。

 さて、7年ぶりの最新作である本作は、既に映画化されており、この週末4/21に日本公開となる。あまり映画に興味のない私は、たまたま、映画関係のサイトを見ていて、知ったのであるが。

 その映画評(J-CASTニュース:日本一!365日映画コラム)によれば、第二次大戦中のリトアニア、両親と妹と幸せに暮らしていたハンニバル少年が、ナチスの侵攻により、森の中の別荘に逃れるところから、悲劇は始まる。戦後、孤児となったハンニバルを引き取ったパリの叔父のもとには、美しい日本人妻ムラサキがいた。「彼女は武術にたけハンニバルに剣道を叩き込む。戦国時代の戦闘絵巻を見せ、敵を討ったら生首を晒すことを教える」とある。

 ただし、これは映画の演出だろう。小説では、紫夫人はもっと優雅で女性的に描かれている。彼女は(ヒロシマ出身である)和歌と俳句を詠み、琵琶と琴を弾き、書道と生け花をたしなむ。ちょっと恥ずかしいほどの、日本文化のオールラウンド・プレイヤーだ。彼女の部屋には、能装束や浄瑠璃人形とともに、先祖から伝わる甲冑と日本刀が飾られていて、その前に、武将が従臣を謁見する様を描いた絵巻物が捧げられていた。ハンニバルが続きを開くと、同じ武将が首実検をしている図が現れるが、紫夫人はそっとたしなめて、絵巻をもとの場面に戻させる。

 この一段を読んだとき、私の脳裡には、岩佐又兵衛の絢爛たる流血絵巻が浮かんだ。そうだ、これは、どうしたって岩佐又兵衛でなければならない! 「大阪夏の陣を描いたもの」と紫夫人も言っているのだから、時代も合う。実際に映画がどんな”小道具”を使っているのかは知らない。でも、稀代の殺人鬼ハンニバル・レクターを目覚めさせる岩佐又兵衛って...かなり、うっとりする妄想ではないかしら。

 このあと、青年ハンニバルの復讐が、パリを舞台に始まる。『羊たちの沈黙』『レッド・ドラゴン』を読んだときは、精神的にすさんだ犯罪者と、それをどこまでも追うタフな捜査官の組み合わせが、いかにもアメリカだなあ、と感じたものだ。それに対して、本作は、どこか陰鬱な旧都パリの闇を、若き殺人鬼ハンニバルが跳梁する。登場人物たちは、いずれも”歴史”と”個人史”という過去(戦争、犯罪、失われた家族、後悔、復讐、貴族という家柄、民族、階級?)に深く捉われている。主人公は同じでも、全く別の小説の趣きがある。私はこっちのほうが好みだ。殺戮の舞台となるパリ、「リュクサンブール公園」「サン・ブノワ通り」「オルフェーヴル河岸」等々、フランス語の地名の響きの美しいことにあらためて驚く。

 邦訳は、残念だが、和歌や俳句の訳が上手くない。出典があるものの場合、原文どおりに戻したもの(与謝野晶子の作)と、現代詩ふうの中途半端な口語訳(源氏物語の中の和歌)が混じっていて、気になる。

 魅力的な紫夫人を映画で演じているのは、コン・リー。うーん。ちょっとイメージ違うなあ。
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白と黒のうつわ・志野と織部/出光美術館

2007-04-15 22:30:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 『志野と織部-風流なるうつわ-』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html

 志野と織部かあ。どうしようかなあ。この展覧会は、2月に始まったのを知っていながら、行こうかどうしようか、ずっと迷っていた。近年、陶磁器の美学に開眼して、青磁がどうの豆彩がどうの、柿右衛門が古九谷が、あるいは楽茶碗が、と語っているが、実はいちばん苦手なのが、志野・織部系統のやきものなのだ。「茶の湯」との結びつきが深いので、伝統格式が確立していて、なんとなく、めったなことは言えない雰囲気がある。

 それでも、せっかくの展覧会なので、まあ、さらりと見てくるか、と思って出かけた。志野と織部は、どちらも桃山時代に生まれた。「志野」は、日本人が初めてに入れた本格的な「白いうつわ」である、というのを読んで、なるほど、と思った。白いうつわに黒や錆色の釉薬で、自由な意匠を描くことを、存分に楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。それにしても上手い。いやー。草花や山水を、どうしてこんなふうに自由闊達に抽象化することができるのか。どんな目をしているのかと呆れ返る。

 それから、「織部黒」「黒織部」の登場。京の黒楽茶碗の影響を受け、美濃で「瀬戸黒」が誕生する。これは焼成中に頃合いを見計らって窯から引き出し、急冷させることで、つややかな黒色を得るのだそうだ。白も黒も、大変な苦労の末に手に入れた色なのだな。これに大胆な歪みを加えたのが「織部黒」、文様を加えると「黒織部」になるのだが、ものすごい縄文力である。岡本太郎みたい。

 だけど、私はむしろ「黄瀬戸」を好む。青磁(青いうつわ)への憧れから生まれたもので、黄緑色の地に、微かに青を点ずる。草花のような優しい図柄が多い。

 後半は志野と織部に見られる文様を「吊し」「橋」「車輪」「籠」「網干し」「傘と笠」などのキーワードで分類し、屏風絵や銅鏡、服飾などと見比べながら、桃山時代の美意識を探る。私は「枝垂れ・揺らぎ」という着眼点が面白いと思った。確かに、志野と織部に描かれた植物は、どれも風になびき、揺らいでいる感じがする。あと、「車輪」について、牛車の車輪は、乾燥を防ぐため、外して川水に浸したというのは初耳。古来、水に浸った車輪の意匠が多いのはそういうことか、と初めて分かった。
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