見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

日本橋に降臨/小村雪岱スタイル(三井記念美術館)

2021-02-26 22:12:40 | 行ったもの(美術館・見仏)

三井記念美術館 特別展『小村雪岱スタイル-江戸の粋から東京モダンへ』(2021年2月6日~4月18日)

 2020年に没後80年を迎えた小村雪岱(1887-1940)は、商業美術の世界で時代を先導する足跡を残した「意匠の天才」。装幀や挿絵、舞台装置画、貴重な肉筆画や版画など、江戸の粋を受け止め、東京のモダンを体現した雪岱の作品を総合的に紹介する。

 私が初めて雪岱の作品を見たのは、ブログを遡ってみたら、2009年の暮れ、埼玉県立近代美術館の企画展『小村雪岱とその時代』だったようだ。ブログには、その前に小学館の『全集日本の歴史』14巻『「いのち」と帝国日本』の月報で、雪岱の『青柳』に出会ったことも書き留めてある。その後、2018年の川越市立美術館の大規模な特別展『生誕130年 小村雪岱-「雪岱調」のできるまで-』にも行っているので、本展の展示品は、だいたい見た記憶のあるものだった。

 冒頭には、雪岱が装幀した泉鏡花の『日本橋』が展示されていて、堂々と里帰りを主張しているようで微笑ましかった。これ、27歳の雪岱が鏡花に抜擢された最初期の仕事なのだな。若さと瑞々しさがあふれ、心浮き立つようなデザイン。鏡花と組んだ装幀の仕事はどれも好き。『青柳』や『雪の朝』など、江戸情緒あふれる情景の色やかたちを大胆に単純化した、モダンな木版多色刷も雪岱の独壇場に感じられるが、多くは本来、肉筆画で、雪岱の没後(1941年から1943年頃)、遺された稀少な雪岱の肉筆画が戦災により失われてしまうことを危惧した人々によって版画化計画が推進されたのだそうだ。知らなかった。

 本展には、あまり見たことのなかった雪岱の肉筆画(絹本着色、紙本着色)を数多く見ることができて興味深かった。鳥や虫など小さな生きものに目を向けた作品もあるけれど、やっぱり『月に美人』『こぼれ松葉』などの美人画が好き。鈴木春信の錦絵がさりげなく並べてあると、影響を受けたというより、同タイプの女性が好みなんだなと思う。興味深かったのは、模写習作で、『源氏物語絵巻・宿木』や法隆寺金堂壁画の観音菩薩図を写したり、法華寺の十一面観音菩薩像をスケッチしたりして、完成品の商業美術とは、ずいぶん違った印象を受けた。

 吉川英治『遊戯菩薩』をはじめとする時代小説の挿絵墨画は、主題こそ伝統回帰的だが、白と黒の使い方がものすごくモダン。舞台装置原画も数点あり。展示品は、一部の個人蔵を除き、清水三年坂美術館から来ていた。同館の2010年の雪岱展にも、駆け込みで無理やり見に行ったことを思い出す。あわせて清水三年坂美術館所蔵の蒔絵や七宝焼、現代作家の一木造の新作なども楽しむことができ、お得な展覧会である。

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東博常設展/木挽町狩野家の記録と学習、他

2021-02-24 22:31:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 本館2室(国宝室) 『千手観音像』(2021年1月19日~2月14日)

 先々週のことになるが、あまり見たことのない平安仏画の『千手観音像』が国宝室に出ていると知って、見に行った。円筒形のような白蓮華の上に立つ千手観音像。丸顔で、平板なアイラインと微笑むようなピンクの唇が親しみやすくてかわいい。さまざまな宝物を持つ脇手は、形式に流れず、表情豊か。陰影を意識した彩色なので、生身の人間の腕のように肉感的だ。高精細画像で見ると、截金の精密さにため息が出る。足元には、左右に小さな功徳天と婆藪仙を配する。素晴らしいものを見せてもらった。いま、ネットで調べてみたが、旧蔵者や来歴が全く分からないのが気になる。

■本館 特別1室+特別2室 特集『木挽町狩野家の記録と学習』(2021年2月9日~3月21日)

 狩野尚信を祖とし、江戸幕府の奥絵師の筆頭を務めた木挽町狩野家。東博が所蔵する、模本や下絵など5,000件近い木挽町狩野家伝来資料の一部を「記録と学習」というキーワードから紹介する。門人教育に用いられた絵手本、唐絵の模写、御用日記、将軍吉宗が筆で修正を加えた鷹図草稿など、面白い資料がいろいろあったが、最も目をひいたのは『長篠合戦図屏風下絵』と『長久手合戦図屏風下絵』。将軍家斉周辺からの注文で、養川院惟信を中心に制作が進められたが、完成に至らず、(ほぼ)墨画の下絵のみが残されている。下絵ならではの躍動する墨線が、見ていて気持ちいい。しかし『長久手合戦図屏風下絵』に「初公開」とあるにもかかわらず、私はこれを見たことがあるような気がしたのだ。何故? わずかに彩色された紅旗の先頭に、赤に黄(金)の井桁の井伊家の旗が見える。その先、馬上の赤備えの武者は井伊直政だ。

 これ『おんな城主直虎』特別展で見ていないだろうか? いや、長篠・長久手合戦図屏風は、いろいろ類例があるらしいから、別物かなあ。

■東洋館8室 特集『清朝書画コレクションの諸相-高島槐安収集品を中心に-』(2021年1月2日~2月28日)

 前回参観時(1月)から大幅に展示替えがあり、清代18~19世紀の作品が中心になった。趙之謙の『花卉図四屏』(2件あり)の大胆な構図はちょっと若冲っぽい。銭維城筆『塞圍四景図巻』、張若澄筆『江村漁浦図巻』どちらも好きだ。特に後者かな。丁寧につくられた絵本のようで、物語を想像しながら眺めてしまう。

おまけ:5室(中国の染織)に出ていた『袍 紅繻子地花卉文様刺繡』が、人気の中国ドラマ『瓔珞(エイラク)』の衣装っぽかった。狙って展示しているとしか思えない。

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江東から多摩まで/水都東京(陣内秀信)

2021-02-23 21:42:27 | 読んだもの(書籍)

〇陣内秀信『水都東京:地形と歴史で読みとく下町・山の手・郊外』(ちくま新書) 筑摩書房 2020.10

 陣内さんの著書は、むかし単行本を読もうとして、最後まで読めなかった記憶がある。これが最初の1冊かもしれない。本書は著者による長年の東京研究の「総集編ともいえるもの」であることが冒頭に示される。各章は東京の東から西へ、「隅田川」「日本橋川」「江東(深川・清澄白河)」に始まり、「ベイエリア(品川・お台場)」「皇居と濠」を経て「山の手」「杉並・成宗」から「武蔵野(井の頭池・神田川・玉川上水)」「多摩(日野・国分寺・国立)」に至る。

 私は、もともと東京東部(江戸川区)の生まれだが、4年前から門前仲町に住んでいることもあって、「隅田川」の詳細はとても興味深かった。世界の代表的な都市の多くは大きな川に面して誕生し、発展したが、パリのセーヌ川やロンドンのテムズ川が重要な都市機能や権力中枢と結びついていたのに対し、隅田川は江戸の外縁にあって、非日常的な開放感、歴史の記憶や聖性を担っていた。その名残りは今でもあると思う。また、隅田川のまわりには漁師町の記憶が潜んでいるというのも面白かった。富岡八幡宮の深川八幡祭で神輿の連合渡御の最後を飾るのは「深濱」(深川濱=1962年に解散した深川浦漁業組合)の神輿だという。2020年は3年に一度の本祭りが中止になってしまったが、今年は見られるかなあ。

 聖性の隅田川に対して、物流と経済を主に担ったのが日本橋川。今は高速道路の影になった日本橋川だが、明治後期、(大河ドラマで話題の)渋沢栄一郎は「東京をヴェネツィアのような国際都市にしようと夢見」て、辰野金吾にヴェネツィア風の自邸を川端に作らせている。ただし水上から直接アプローチするのではなく石の階段をのぼる形式との由。この建物、ドラマで再現されるかしら?

 そして今、江東では、「水都」の遺伝子が再び呼び覚まされつつある。近年の東京では「西側に向かう郊外発展の夢は完全に薄れ」、都心回帰あるいは「東に向けて風が吹き始めている」というの観測には完全に同意。清澄白河だけでなく、深川、木場も住む町として、とても魅力的だ。

 一方、私は20代から30代は住まいや仕事場が東京西部だったので、「山の手」「武蔵野」にも親近感がある。武蔵野台地には豊富な湧き水があり、多くの池や川が存在する。流域には遺跡や神社、名所などが分布し、古代や中世に遡る歴史の記憶を伝えている。つまり東京は、ベイエリアや下町だけでなく、「山の手」「武蔵野」も含めて「水の都市」なのだと著者は考える。本書には、白黒ではあるが、井の頭池や玉川上水、野火止用水など、見覚えのある懐かしい水辺の写真も掲載されている。江戸川橋の関口水神社(神田上水の守護神)は、永青文庫に行くときにいつも横を通っているのだが、今度、ちゃんとお参りしておこう。

 最終章の「多摩」に書かれた日野、国分寺、国立は、何度か訪れたことはあるが、あまり縁のない地域である。しかし、実は4月から立川方面に転職の予定なのだ。日野用水にお鷹の道。落ち着いたら、水辺を求めて歩いてみることにしたい。

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2021パソコン買い換え

2021-02-21 23:10:57 | 日常生活

 1週間前に自宅のパソコンを買い替える羽目になった。朝、ぼんやりテレビを見ながらコーヒーを飲んでいてカップを倒し、キーボードの上にミルクコーヒーをぶちまけてしまったのである。素早く拭き取って、祈るような気持ちでドライヤーで乾かしたが、立ち上がらなくなってしまった。幸い、重要なデータは置いていなかったし、もしかしたらこのPCにしか保存していなかったかも?と焦ったデータも、実はクラウドにバックアップを取っていた。

 このPCを購入した時の紙箱を開けたら、2016年10月17日に、つくばのパソコンショップで買ったときの領収書が出てきた。あのときも、使っていたPCが突然立ち上がらなくなったので、ネットで調べて、近くのパソコンショップに持ち込んだのである。しかし修理はできないと言われたので、買い替えることにした。その前は2台続けてDellを使っていたが、Dellは扱っていないということで勧められたのが、ASUSのノート。知らないメーカーだったが、全く不満なく4年半使えた。この1年、在宅勤務やオンライン会議にも問題なく対応できたし、私の不注意がなかったら、もう1年くらい楽に使えたと思う。廃棄しなければならないのが、なごり惜しい…。

 で、次のPCもASUSにしようと思い、ビックカメラが扱っているらしかったので、新宿西口店(小田急ハルク内)で最新機種を買ってきた。画面は大きいほうがいいので、前と同じ15.6型。前の機種よりさらに薄く、軽いタイプ。

 それはよいのだが、キーボードのキーの配列(大きさ)が微妙に違うので、まだ少し戸惑っている。そのうち慣れるだろう。あと、自宅は無線だと通信が安定しないので、ずっと有線でつないでいたのだが、この機種、LANケーブルの差し込み口がなくて焦った。慌ててアダプターを買ってきて解決。

 これで、しばらくはPCのそばに飲みものを持ち込まないように注意するのだが…また忘れた頃に過ちを繰り返しそうではある。

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博物も民俗も/荒俣宏の妖怪伏魔殿2020(角川武蔵野ミュージアム)

2021-02-19 22:12:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇角川武蔵野ミュージアム 企画展『荒俣宏の妖怪伏魔殿2020』(2020年11月06日〜2021年03月31日)

 武蔵野線の東所沢に、KADOKAWAがプロデュースした「アート・博物・本の複合文化ミュージアム」ができたという。しかも荒俣さんの妖怪資料展をやっていると聞いて行ってみた。特に個性のない(失礼)駅前の住宅街を抜けていくと、元埼玉県民には懐かしいスーパー「ヤオコー」の先に、不思議な空間が広がる。

 左側の千木の乗った三角屋根は、武蔵野坐令和神社(むさしのにます うるわしき やまとのみやしろ)。天照大御神と素戔嗚命を祭るのだそうだ。

 そびえたつ岩山のようなこの建物がミュージアム。

 企画展のチケットをネットで購入していたので、入口でそれを見せたら階下のギャラリーに案内された。同館のアドバイザリー荒俣宏氏や小説家・京極夏彦氏のコレクション、イラスト、写真、古書、博物、民俗資料、オブジェなど、多角的に妖怪を楽しめる。荒俣さんの資料は、京都国際マンガミュージアムのときと同様、段ボール箱に収めて、折り返し部分にマジックで直筆の解説が書かれている。

 博物(?)資料がなかなかの珍品揃い。これは件(くだん)のミイラ。小説家・放送作家の木原浩勝氏所蔵。

 妖怪は大好きなので、日本地図にマッピングされた妖怪の名前と生態を眺めているだけでも幸せになる。東北の村を練り歩く藁人形の神様(道祖神)の映像資料も面白かった。

 しかし、ミュージアムのほかの部屋、見どころと言われている「本棚劇場」とか、松岡正剛氏の監修で、むかしOAZOの丸善にあった松丸本舗を思わせる「エディットタウン」などを見るには、別のチケットが必要と分かって、ちょっと興醒めしてしまった。企画展を含め、ほぼ全部が見られる1DAYチケットは3,000円。うーん…どういう客層を狙っているのだろう。

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光と影の版画/吉田博展(東京都美術館)

2021-02-18 21:53:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京都美術館 特別展『没後70年 吉田博展』(2021年1月26日~3月28日)

 このひとの作品、どこかで会ったことはないかしら?と思って、自分のブログを検索してみたが、一度も出てこなかった。ただ、江戸東京博物館の収蔵品検索をかけると『東京拾二題』という連作版画シリーズが出てくるので、どこかで見ているのではないかと思う。本展にも出品されている「神楽坂通 雨後の夜」は、水たまりのできた雨後の道に、明るい灯火がゆらゆら歪んで映る夜の景色を描いたもので、 ごく最近、見た記憶がある。昨年の企画展『大東京の華』ではないかと思うのだが、確認できない。

 その程度の認識で出かけた展覧会だが、面白かった。吉田博(1876-1950)は福岡県久留米市に生まれ、上京して洋画を学ぶ。黒田清輝の白馬会に対抗し、渡米して絵画修業を続け、仲間と太平洋画会を設立、風景画の巧手として活躍する。大正9年(1920)には木版画も試みる。大正12(1923)年、関東大震災で被災し、画友たちの作品を渡米。しかし油絵はほとんど売れず、好評だったのは木版画だった。そこで帰国した吉田は、彫師と摺師を雇い、自ら版元となって版画作品を刊行する。このエピソードがすごくよかった。志で版画を選んだのではなくて、好評ならやってみようという柔軟性がとても好き。

 グランドキャニオンやナイアガラ瀑布を描いた「米国シリーズ」、マッターホルンやユングフラウ、さらにヴェニス運河やエジプトのスフィンクスを描いた「欧州シリーズ」は、目を見張る面白さ。明治初期の油絵で描かれた日本の風景とか、石版画に書かれた中国・アジアの風景と同様、常識を裏切る、不思議な魅力である。

 その後も吉田は、日本アルプスや瀬戸内など、日本の自然を版画作品にしていく。人の姿のない、山や海そのものを主題にした作品が多い。十数回も摺りを重ねて、微妙な諧調を表現しているが、版画ならではの色と形の単純化(純粋化)によって、夾雑物のない、清潔で静謐な風景が切り取られている。特に、日の出や日の入りの時刻の、明るいばら色やオレンジと、暗いブルーの同居する画面の美しさ。同じ版木で摺り色を変え、一日の風景の変化を表現した『帆船』は、印象派絵画のようでもあり、また、セル画を使ったアニメーションのようでもあると思った。

 そのほか、東京の風景に取材し、提灯屋の職人や八百屋の店先も描いた『東京拾二題』、二月堂(これは欲しい!)や嵐山、弘前城など日本の名所風景、タージマハールやベナレスなどインドの風景、さらに従軍画家として赴いた中国の風景など、多様な題材に取り組み、いずれも完成度の高い作品にしている。その彫りと摺りの技術に驚く一方で、近景の物を大きく描いて、遠景との差を際立たせる構図などが、江戸の遺伝子を受け継いでるなあと感じた。

 にもかかわらず(?)日本ではこれまであまり有名ではなく、むしろ欧米で評価されてきたようである。ダイアナ妃のお気に入りのアーティストだったことは、本展で初めて知った。浮世絵や錦絵の系譜とは異なる近代版画の系譜、これから少し注目していきたい。

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心の闇の美しさ/文楽・菅原伝授手習鑑、冥途の飛脚、他

2021-02-17 22:51:05 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 令和3年2月文楽公演

・第2部『曲輪文章(くるわぶんしょう)・吉田屋の段』『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)・寺入りの段/寺子屋の段』(2月6日、13:50~)

 素人にも親しみやすい名作狂言が多い2月文楽公演。緊急事態宣言の発令もあって、本当に公演が行われるのか半信半疑だったが、無事に開催されて何よりである。座席は、最前列など一部を空席にしていたが、1つ置きは止めて、びっしりお客を入れていた。もちろんマスクは必須、ロビーでの飲食は不可、会話はお控えくださいというアナウンスが繰り返されていたが、このくらいの対策なら許容できる。

 『曲輪文章』は伊左衛門が咲太夫、夕霧が織太夫、端役の男が咲寿太夫で、師弟勢ぞろいが豪華だった。咲太夫さん、声の高さ(細さ)が耳について、低音の聴きどころがなかったように思う。曲のせいだろうか。物語は、伊左衛門の魅力が全然分からないのであまり好きではない。

 『菅原』は久しぶりに聴いた。いつ以来だろうと思ったら、2014年4月の住太夫引退公演以来だった。寺入りに続き、寺子屋の段は、前を呂太夫と清介、後を藤太夫と清友。私は小学生のとき、家にあった「少年少女世界の名作文学全集」の日本編でこの物語を読んだ記憶がある。主君の嫡男を救うため、我が子を身代わりに差し出すというストーリーは、子供ながらに衝撃だった。身代わりになる小太郎が、黙って自分の運命を受け入れた(と語られる)こと、松王丸と女房が「見事じゃ」と我が子の覚悟を称賛しながら悲しみにくれるという、人情の複雑さが強く印象に残っている。その後、大学生の頃に小松左京の短編『闇の中の子供』を読んだときも、「寺子屋」という物語の不気味さと、人間の業の深さを感じた。

 そんなあれこれを思い出していたので、義理と人情の板挟みになる松王丸に同情して、ほろりと貰い泣きしながら、こういう不気味な物語をいつまでもエンタメとして消費していいものか、ちょっと居心地の悪い気持ちになった。

・第3部『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)・淡路町の段/封印切の段/道行相合かご』(2月11日、17:30~)

 本公演でいちばん見たかったのは第3部。この演目は何度見てもよいのだ。淡路町の奥を安定の織太夫と宗助。封印切を千歳太夫と富助。千歳さんは、あまり声を張らない世話物を語るときが好き。勘十郎の忠兵衛は、ふわふわと落ち着かない感じがよい。しかし、自分が物語を知っているせいかもしれないが、封印切の場面では、切るぞ切るぞという気構えが外に現われ過ぎな感じもする。むかし、先代の玉男さんの舞台を見たときは、人形の忠兵衛も、人形を遣っている玉男さんも無表情なのに、その懐から、いきなり小判がチャリンチャリンとこぼれ落ちたことに息を呑んだのである。

 考えなしで軽はずみな恋人の巻き添えになった梅川こそ、いい面の皮であるが、救われない二人の道行は美しくて大好物だ。近松の狂言は残酷だなあと思いながら堪能した。

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門前仲町でプチ贅沢呑み

2021-02-15 21:25:21 | 食べたもの(銘菓・名産)

 金曜の朝、ノートパソコンのキーボードにコーヒーを大量にぶちまけてしまった。1日おいて乾かしてみたが、システムが立ち上がらないので、土曜はあきらめて新しいマシンを買いに行った。今日は新しいパソコンで書く1回目の投稿である。日曜は夕方から友人と飲みに出かけた。お店はずっと気になっていた酒亭・沿露目(ぞろめ)。料理にこだわりのある居酒屋だ。

 黙って座ると、お通しが二品。

 あとは何を頼んでも美味しく、目にも美しい。ワカサギの南蛮漬。

 空豆のずんだ餡とホタテ(だったかな?)

 タラの芽とふきのとうの天ぷら。

 いつになく、大人の休日を過ごした気分。満足。

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古代と中世の信仰/横浜の仏像(横浜市歴史博物館)

2021-02-10 22:22:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

横浜市歴史博物館 特別展『横浜の仏像-しられざるみほとけたち-』(2021年1月23日~3月21日)

 横浜には、意外と古いお寺や仏像が残っていることは、かつてお隣り(?)の逗子市に住んでいた頃に認識した。本展は、横浜市域に伝わる仏像を総合的・体系的に紹介するはじめての展覧会である。展示替えと参考資料も含め、40件余りを展示。

 日曜(2/7)に訪ねたら、入口でチケットを買う前に係員のおねえさんから、チラシの写真を指して「こちらとこちらは2/9からなので、現在は展示されていませんが、よろしいですか?」と確認を求められた。ちらっと見たら、弘明寺の十一面観音菩薩立像と慶珊寺の十一面観音菩薩坐像である。もともと、どこの何が出ているのか、全くチェックしていなかったし、どちらも何度か見たことのある仏像なので、素直に「はい」とお答えしてチケットを購入した。ずいぶん丁寧な対応だなあ、クレームでもあったのかしら?と思ったが、あとでチラシを見たら、通期展示でない旨の注記がなかった。なるほど、そういうことかと納得。

 最も古いのは鶴見区・松蔭寺の如来坐像(伝・阿弥陀如来坐像)(飛鳥時代・7~8世紀)のずんぐりした銅造仏(東博寄託)。銅造鍍金というが、金色はほぼ見えない。直線的な目鼻、ゆったりと幅広に刻まれた衣の襞におおらかな魅力を感じる。その隣りの龍華寺の菩薩坐像(奈良時代・8世紀)は、さほど時代が隔たっていないのに、理想の人体を思わせる完成された美しさである。

 平安仏は20件ほど。いちばん好きなのは、青葉区・真福寺の菩薩立像(伝・千手観音菩薩立像)。十一面八臂だが、図録の解説によれば、頭上面は全て後補、背面から左右下方に突き出された二手も後補らしく、当初は一面六臂の異体の像だったと考えられる。丸顔で目鼻が中央に寄っており、二手の肘を曲げ、肩のあたりで両手のてのひらを上に向けて開いているのも珍しい。不思議な魅力のある仏像。

 港北区・西方寺の十一面観音立像は平明で穏やかで平安仏らしい木造仏。子歳開帳の秘仏であるそうだ。都筑区・清林寺の菩薩立像(伝・聖観音菩薩像)は三角形の垂髷を結う。棒立ちのような体躯は素朴だが、きれいな曲線を描く眉山など、顔立ちには神経を使っているようだ。

 鎌倉時代の仏像は15件ほど。運慶周辺の仏師の作、あるいは保守派の仏師が運慶らの刺激を受けて制作したと思われるものもある。金沢区・龍華寺の大日如来坐像は、全体の醸し出す凛とした緊張感が慶派。アップでよく見ると、顔立ちは優しげで慶派的でないのだけれど。南区・寶生寺の大日如来坐像は鎌倉地方仏師の作であろうとのこと。肉体のボリューム感、衣の襞の生々しい表現など、嫌いじゃない。

 本展のポスター等に使われているのは、青葉区・真福寺の釈迦如来立像。いわゆる清凉寺式釈迦如来である。鎌倉の極楽寺や金沢文庫(称名寺)にもあったはずで、この一帯で好まれた様式なのだな。本像は鎌倉二階堂から運ばれたという伝説もあるとのころ。写実というより一種のデザインとして、平面的な肉体に繰り返される衣の襞は、鉈彫りの記憶を思い出しているようだ。戸塚区・永勝寺の阿弥陀如来立像は装着面が付随して伝わっているのが面白かった。

 南北朝~室町の作が5件ほど。旭区・長源寺の十一面観音菩薩立像は木肌に目口と頭上面だけ彩色されている。肉体があまりにも力の抜けた雰囲気なのも、どこか不安で妖しげな雰囲気。

 なお図録は、細かい文字でびっしり解説が施されていて、読みごたえがある。加えて、本展に出品されていない「横浜市内所在文化財指定彫刻作品」が白黒写真付きで網羅されているのも大変ありがたい! これからゆっくり読ませていただく。

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血塗られた維新/暗殺の幕末維新史(一坂太郎)

2021-02-08 19:44:05 | 読んだもの(書籍)

〇一坂太郎『暗殺の幕末維新史:桜田門外の変から大久保利通暗殺まで』(中公新書) 中央公論新社 2020.11

 私は高校で日本史を習わなかったこともあって、幕末維新に関する知識が、長く中学生(というより、ほぼ小学生)のレベルで止まっていた。そのため、明治維新は、大局的には平和のうちに成し遂げられたものと思っていた。幕末に日本各地で大規模な戦闘があったことを認識したのは、かなり大人になってからである。そして、旧幕府軍と新政府軍の組織的な戦闘とは別に、個人を狙った暗殺事件が頻発していたことも徐々に知るようになった。

 本書は、はじめに日本の暗殺史(蘇我入鹿、源実朝、織田信長!)を概観し、幕末の攘夷家による外国人暗殺および未遂事件を紹介する。その行きつく果てに、日米修好通商条約に調印し「国体を辱しめ」た大老井伊直弼が水戸浪士たちに襲撃された桜田門外の変が起きる。

 ここから延々と暗殺事件の紹介が続く。老中安藤信正の襲撃(坂下門外の変)、関白九条尚忠の家士島田左近暗殺(天誅第一号)、土佐の吉田東洋暗殺、本間精一郎暗殺(攘夷派の仲間割れ)、目明し文吉暗殺(島田左近の手下)、御殿山イギリス公使館焼討ち、足利三代将軍木像梟首事件、西洋砲術家の中島名左衛門暗殺、天誅組による五條代官所襲撃、将軍家茂暗殺計画、姉小路公知暗殺(初めての公家暗殺)、新選組の清河八郎暗殺、芹沢鴨暗殺、佐久間象山暗殺、井上聞多暗殺未遂(蘭医の処置によって一命をとりとめた)…以上は事例のごく一部に過ぎない。

 政治的な需要人物が狙われた事件もあるが、仲間割れが原因だったり、殺人そのものが目的に感じられるものもある。物見高い市井の人々も、一緒になって殺人ショーを楽しんでいたかのようで、さらされた首や死体のスケッチが多数残されていることを本書の図版で初めて知った。残酷絵とか血みどろ絵と呼ばれる明治の錦絵も、この延長線上にあるのだな。

 新政府誕生後も、イギリス公使パークスが京都で襲撃されたり、大学南校のイギリス人教師が神田で襲撃されたり、外国人殺傷事件が続いていることにちょっとショックを受ける。新政府高官では、横井小楠、大村益次郎、広沢真臣らが襲われ、明治6年(1873)には初代内務卿大久保利通が石川県の不平士族らに暗殺される。

 本書は、暗殺事件の犯人についても詳しく追及している。事件直後に判明した犯人もあれば、半世紀近く後になって「自分がやった」「犯人は誰々だ」という証言が得られたケースもあるようだ。幕末のテロ事件には、のちに新政府高官となる人々もかかわっており、伊藤博文は塙次郎(塙保己一の息子、国学者)を斬ったとされるが、後年、伊藤痴遊が糺すと「そんな古い事は、どうでもよいではないか」ととぼけたという。

 いまさらながら驚くのは、尊攘派テロリストの一部が靖国神社に合祀されていること。たとえば桜田門外の変で井伊直弼を襲った浪士たちだ。また、イギリス公使オールコックが滞在する東禅寺を襲撃し、斬られたり自決したりした12名の刺客たちも靖国に合祀され、顕彰のため贈位も行われている。なぜ?! ちなみに刺客と戦い、命を落とした警護の武士たちには何も贈られていない。あと、意外なことに清河八郎は靖国に合祀されているのだな。このあたりは「国家に顕彰される死」とそうでない死について、いろいろ居心地の悪い気持ちを掻き立てられる。

 そのシンボリックな対立が、井伊直弼と大久保利通だろう。井伊家の旧臣たちは、大久保が顕彰されるなら井伊も顕彰されるべきと申し出るが、もちろん太政官は聞き入れなかった。それでも徐々に高まる井伊顕彰ムードに対抗するように、浪士たちの靖国合祀が定められ、「桜田烈士五十年祭」が盛大に挙行された。すごいなあ。高崎正風は浪士たちを評して、全く国家のための行動で「一身の栄達を願ふとか、自己の利益を図るとか云ふ念慮は毫も無い」と述べているが、筆者が冷ややかに書いているように、無私無欲だから正しいというのは、テロ顕彰の常套句である。

 しかし国を挙げて半世紀前のテロリストを顕彰しているところに起きたのが大逆事件だった。明治44年、吉川弘文館から出版された『桜田義挙録』では、井伊直弼と幸徳秋水が、国体に逆らった者として同類視されているという。ここまで屁理屈が言えるものか。さすがに今の日本では、暗殺事件の心配は小さいけれど、権力に都合のよい暴力(言論を含む)が正当化され、そうでない暴力が非難される仕組みはあまり変わっていない。こういう屁理屈は、結局、社会の安全を脅かす害毒であると思う。

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