見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

歴史の知恵に学ぶ/感染症の日本史(磯田道史)

2020-12-31 23:26:59 | 読んだもの(書籍)

〇磯田道史『感染症の日本史』(文春新書) 文藝春秋 2020.9

 雑誌『文芸春秋』2020年5~10月号に連載された同名のエッセイに、書き下ろしその他の原稿を加え、再構成したものだという。新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされたこの一年、「歴史学が世の中に何ができるか」という著者の強い危機意識から本書は生まれた。感染症の対策には、医学だけでなく、政策や経済、社会、日々の生活、心のケア、文化など「総合的な知性」からの発想が必要である。こうした問題には、失敗体験も含めて、歴史を振り返ることが威力を発揮する。

 本書が取り上げる事例は、必ずしも時系列ではない。第1章では海を越えて日本にやってきた感染症を取り上げる。幕末のペリー艦隊から感染が広がったコレラ。明治初年の牛疫。大正年間のスペイン風邪。結局、「日本を守る」というとき、「仮想敵」が日本に軍事侵攻してくる確率よりパンデミックで国民の命が奪われる確率のほうがはるかに高いのだから、政治はこの現実を直視し、新しい「国防」を構想する必要があると著者は説く。

 第2章では「実在した可能性がある最初の天皇」崇神天皇の時代に疫病の記録があること、聖武天皇の天平時代が天然痘の大流行期であったことなどの古例や民俗事例を紹介。江戸後期になると、ようやく人々の思考が合理化する。橋本伯寿という医学者は、隔離や消毒・自粛(遠慮)を重視し、免疫獲得の概念も理解していた。江戸医学おそるべし。しかし大正期のスペイン風邪対策は、江戸の医学よりむしろ杜撰だったという指摘も忘れてはならない。

 第3章は江戸の流行性感冒について馬琴の随筆をはじめ、多数の記録を紹介。非常に興味深いのは、岩国藩のように、徹底した隔離(遠慮)政策によって歴代藩主の感染ゼロを達成した藩もあれば、米沢藩の上杉鷹山のように「遠慮に及ばず」と臣下に命じ、行政機能の維持を優先した例もあること。鷹山の国民(藩の領民)支援策の行き届いていること、さすがである。

 第4章は麻疹(はしか)について。今でこそ麻疹のワクチンが普及して感染者が激減しているが、実は麻疹こそ代表的な「横綱級」の感染症なのだという。知らなかった。『栄花物語』や『多聞院日記』にも記録があるのだな。

 第5~8章はスペイン風邪について。京都の女学生の日記、『原敬日記』、皇室の実録、文学者の日記など多様な記録を取り上げる。『大正天皇実録』は『明治天皇紀』や『昭和天皇実録』に比べて病気や健康状態に関する記述が少ないという指摘は興味深い。スペイン風邪を題材にした志賀直哉の小説『流行感冒』はむかし読んだ。直哉と親交のあった野尻抱影氏の随筆で、私は初めて「スペイン風邪」という言葉を覚えたのではなかったかな。宮沢賢治の妹・トシがスペイン風邪に罹患したことは知らなかった。幸い治癒したものの、翌年、結核で永眠する。

 最後の第9章は、ちょっと毛色の変わった一編。古文書や歴史学の研究者である著者が、なぜこれほどまでに感染症の歴史にかかわったかが語られている。岡山の高校生だった著者は、地元の岡山大学の図書館を訪ねる。ところが「高校生の利用は許可していない」と言われ、落胆していると「見学ならいいですよ」と中に入れてもらった。歴史学の書架で、どうにも気になる1冊の本を見つけ、見学だから本に触ってはいけないと葛藤しながら、そっと書架から取って中を開けてみる。それが、のちに恩師となる速水融氏の著書との出会いだったというのだ。

 速水融氏といえば『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』の著者である。この本、4月頃から大型書店の目立つところに飾られていて、読もうかどうしようか、ずっと迷っていたのだが、本書を読んですぐ決心して買ってきた。たぶん新年最初の読書になると思う。やはり歴史研究から学ぶことは、驚くほど多い。

 東京都の新型コロナ新規感染者数が1,337人を記録した大晦日に。来年は安全な日常が少しでも戻りますように。

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未来への可能性/民主主義とは何か(宇野重規)

2020-12-29 21:55:47 | 読んだもの(書籍)

〇宇野重規『民主主義とは何か』(講談社現代新書) 講談社 2020.10

 民主主義という言葉には、古代ギリシア以来、2500年以上の歴史があるから、意味する内容が歴史の中で変化したり、矛盾する意味が込められていてもおかしくない。本書は「民主主義とは何か」という問題に歴史的にアプローチし、古代ギリシアにおける「誕生」、近代ヨーロッパへの「継承」、自由主義との「結合」、そして20世紀における「実現」を検討する。

 古代ギリシアについては、橋場弦氏の『民主主義の源流:古代アテネの実験』を思い出す記述が多かった。著者は橋場氏の本から「参加と責任のシステム」という着想を得たと述べている。著者はギリシア人の発明の要諦を「公共的な議論によって意思決定をすること」「公共的な議論によって決定されたことについて、市民はこれに自発的に従うこと」とまとめている。

 ヨーロッパへの「継承」では、イタリア、イギリス、フランスなど諸国の動静を参照する。フランシス・フクヤマは、ヨーロッパの政治史を「集権化する国家とそれに対抗する社会集団の間の対決の物語」と見なしている。国家と社会の平和的な均衡という「狭い回廊」を最初にくぐり抜けたのはイングランドで、議会制によってそれを実現した(一部特権者の議会であったけれど)。英国と異なり、貴族と地主、中産階級と農民が連帯できなかったフランスの政治は不安定で、革命の勃発を招いた。国民の分断は、結局、国を弱くするのだな。

 同じ頃、アメリカ合衆国が誕生する。「建国の父」たちは「純粋な民主政」よりも「共和政」を好んだ。多くの人民の直接的な政治参加は党派争いを産みやすく、選ばれた少数のエリートが公共の利益を目指す共和政のほうが大国にはふさわしいと考えたのだ。この比較はとても興味深かった。日本人は民主の反対は専制だと思いがちだが、この「共和」という概念をもう少し学ぶ必要があると思った。

 アメリカ建国の父たちは民主主義に警戒を抱いていたが、その後、19世紀前半のアメリカを訪れたトクヴィルは、社会のさまざまな側面における平等化の趨勢、人々が自らの地域課題を自らの力で解決しようとする意欲と能力に「デモクラシー」の可能性を見出す。トクヴィルは「デモクラシー」を政治制度だけでなく、人々の思考法や生活様式に求め、平等な個人が対等な立場で協力し、自由な社会を打ち立てることを願った。

 しかし20世紀以降、2つの世界大戦の経験を経て、民主主義は、さまざまな視点からその根拠が問い直される。カール・シュミットの「独裁は決して民主主義の決定的な対立物でなく、民主主義は独裁への決定的な対立物ではない」は重い。以下、フロム、シュンペーター、ロバート・ダール、アーレント、ロールズなどの論が紹介されている。

 読み終えて感じるのは、民主主義という不思議な言葉の曖昧さと実現の困難さ(著者も同様なことを述べている)、にもかかわらず2500年の歴史に耐えたしぶとさである。日本社会においては、かつて「戦後民主主義」という言葉が持っていた無垢の輝きが失われて久しい。だが、失われた輝きを懐かしむことも、民主主義批判にことよせて、違う何かを批判することも虚しい。それよりも今のわれわれに必要なのは、トクヴィルが見たアメリカのように、参加と協力という、デモクラシーの練習問題をひとつずつ解いていくことではないかと思う。

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理想とカリカチュア/KING&QUEEN展(上野の森美術館)

2020-12-27 21:30:50 | 行ったもの(美術館・見仏)

上野の森美術館 ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵『KING&QUEEN展-名画で読み解く英国王室物語-』(2020年10月10日〜2021年1月11日)

 肖像専門美術館ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリーより、テューダー朝から現在のウィンザー朝まで、5つの王朝の貴重な肖像画・肖像写真など約90点が来日。作品の魅力と併せ、肖像画のモデルである王室の面々が辿った運命「英国王室の物語」を紹介する。年末年始も無休の展覧会なのだが、行けるときに行こうと思って見て来た。

 英国の歴史には、まあ高校の授業で習う程度の知識しかなかったので、本展の予習と思って、池上俊一あんの『王様でたどるイギリス史』と君塚直隆先生の『悪党たちの大英帝国』を読んできた。おかげで、描かれた人物のキャラクターが大体分かって、楽しめた。

 時代的に古い作品は16世紀半ばから。ただし、モデルと同時代の原作をもとに、後代に描き直されているものもあった(日本の高僧や権力者の肖像と同じだ)。古い西洋絵画を見る機会が少ないので、真珠やレースの描き方を興味深く眺めた(高麗仏画を思い出す)。

 本展には、キングとクイーンだけでなく、王妃とか王の愛人、英国王室に生まれて他国に嫁いだ女性など、思いのほか女性の肖像が多く、女性どうしの熾烈な確執もうかがえた。好きな作品はスチュアート朝のアン女王(1665-1714)の威厳にあふれた肖像(ゴドフリー・ネラー)。しかし解説によれば「美食家・お酒好きで晩年はアルコール摂取で肥満が進んでいた」とのこと。Wikipediaには別人のような肖像画が載っている。ドレスのテイストが似ているのが皮肉っぽい。

 ヘンリ8世(1491-1547)にも、威厳と凄みを感じさせる肖像が一方、だらしなく肥満した肖像(むしろカリカチュアか?)もある。ハノーヴァー朝のジョージ4世(1762-1830)も、お抱え画家の描いた、理想化された肖像画と、印刷メディアに載った風刺版画では天と地の差がある。真実はこの間にあるのか?というより、それなりの時間を生きる現実の人間には、変化も振れ幅もあるので、一枚の肖像画では捉えられないのだろうな。

 ジョージ5世に始まるウィンザー朝では、写真という新たなメディアが登場する。写真は、それまでの儀礼や記念のための肖像画と異なり、王室の日常的で家庭的なスナップショット、より人間的な表情を大衆に伝えるようになる。このへんは、王室の存続に対して民衆の支持を得るためのメディア戦略として読むべきなのだろう。一方で、ヘンリ―王子とメーガン妃の結婚を祝う『バッキンガム宮殿に集う王室の4世代』など、大事なイベントの写真は、集合肖像画の伝統を踏まえているという指摘も興味深かった。現在の王室に対しても、多数の無責任なカリカチュアやコラージュがつくられているものと思うが、それが歴史の資料となるのは、もう少し先の話か。

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2020行かれなかった展覧会+『故事宮寓』

2020-12-26 23:56:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

 異例の年だった2020年がもうすぐ終わる。まだ年内に1つくらい展覧会を見に行けるかもしれないが、行かれなかった展覧会のことを書き留めておく。

MIHOミュージアム  秋季特別展『MIHO MUSEUMコレクションの形成-日本絵画を中心に-』(2020年9月1日~12月13日)

 本来、春に行われるはずだった展覧会。なかなか同館の再開情報が流れないので、しばらく忘れていたら、いつの間にか秋季展に移行していた。秋は9月・10月・11月(2回)と関西方面に出かけたのだが、同館に行く機会を作れず、ヨシ、12月の最終週に行こう!と思っていたのだが、新型コロナ感染者の急激な増加に怯んで諦めてしまった。残念。

敦賀市博物館 「ふつうの系譜」おかえり展『ふつうの美しさ-京の絵画と敦賀コレクション-』(2020年8月8日~11月8日)

 これはコロナの影響というより、仕事が忙しくて行けなくなってしまったもの。夏のうちにサクッと行ってしまえばよかったのだが、見たい作品(府中市美術館で見られなかった土佐光起の『伊勢図』)が後期出品だったので、後期に行こうと思っていたら、10月末から11月第1週が忙しくて、動きがとれなくなってしまった。また機会があるといいなあ。

国立故宮博物院 『她-女性形象與才藝』(2020年10月6日~12月27日)

 2016年5月に久しぶりに台湾に旅行して以来、2017年12月、2018年12月、2019年12月-2020年1月と、このところ毎年、2泊3日や3泊4日の週末旅行ではあるけれど台湾に通っていた。お楽しみは故宮博物院の秋冬の特別展で、今年は「女性」がテーマと知って、とても楽しみにしていたのだ(歴博の『性差の日本史』展と同じくらいに)。故宮博物院は、開館時間をかなり短縮しながら活動中である。しかし観光目的の日本人が台湾に入国できるようになるには、まだかなり長い期間がかかりそうな気がする。

参考:故宮原創劇集《故事宮寓》!集結徐若瑄、張鈞甯、李國毅等夢幻卡司,2020台劇強檔壓軸(中文)

 ついでに最近、気になったニュースをメモ。故宮博物院は、同館が収蔵する文物を擬人化したミニドラマ『故事宮寓』を制作・公開することになった。1話約5分で、女優5人と男優5人が1話ずつ登場する。12月20日から順次公開とのことだが、私はまだ予告編しか見つけられていない。『軍師聯盟』や『如懿伝』で覚えた女優の張鈞甯さんが汝窯の水仙盆を演じるのは、雰囲気が合っていて納得できる。しかし王羲之の『快雪時晴帖』の役とか『皇帝奏摺』の役って、どう役づくりをするんだろ?と興味津々である。上記サイトの写真を見ると『龍冠鳳紋玉飾』や『蟠龍紋盤』は雰囲気が出ている。

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一千年の友情/中華ドラマ『棋魂』

2020-12-24 23:55:05 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『棋魂』全36集(愛奇藝、2020)

 10月27日にネットで配信が開始されてすぐ、中国でも日本の原作ファンの間でも大好評の噂が流れてきたので見てみた。そうしたら本当に素晴らしい作品で、ちょっとまだ語る言葉に困っている。

 原作は1999年から2003年まで「少年ジャンプ」に連載されたマンガ『ヒカルの碁』で、2001年にはテレビアニメにもなった。マンガは香港・台湾・中国でも出版され、アニメ版も広くアジア圏で人気になったようである。しかし私は、これまで原作にもアニメにも触れたことがなく、囲碁の面白さもよく分からないので、大丈夫かな?と心配したが、あっという間にドラマの魅力に巻き込まれた。

 1997年、9歳の時光は、おじいちゃんの家で古い碁盤を見つける。このとき、格澤曜日(超新星爆発)の閃光がきらめき、時光の前に白い衣をまとった貴人が現れる。彼は南梁の囲棋(囲碁)の第一人・褚嬴と名乗る。梁武帝の碁の指南役であったが陰謀に嵌められ、命を断とうとして異空間に迷い込んだのである。清の康熙帝の時代に一度この世に現れ、天才棋士・白子虬を指導したが、白子虬の死後は、再び異空間をさまよっていたのだ。褚嬴の姿は時光にしか見えず、褚嬴はこの世の物体に触ったり、動かしたりすることができない。

 やんちゃだが、気のやさしい時光は、囲碁が打ちたいという褚嬴を囲碁教室に連れて行き、同じ年頃の少年・俞亮に相手を頼む。褚嬴の指示のとおりに石を置いた時光は、当然、勝ちをおさめるが、プロ棋士を父に持ち、天才少年を自負していた俞亮は愕然とする。その後も褚嬴は、なんとか時光に囲碁を学ばせようと画策するが、褚嬴の求める「神の一手」が、一生かけても見つからないものだと聞いて、時光は断然囲碁を止める決意をする。時光に「お前なんか嫌いだ!」と言われて姿を消した褚嬴。

 6年後、15歳(中学三年生)になった時光は、幼なじみの友人を助けるため、将棋部の部長と囲碁で勝負することになる。その勝負の最中に時光のもとに降臨する褚嬴。ここから時光は次第に囲碁の面白さに目覚めていく。翌年、高校に進学し、仲間たちと囲碁部(囲棋社)「四剣客」を設立。本物の囲碁が打てない褚嬴のため、対戦型のネット囲碁に「褚嬴」の名で登録し、連戦連勝して囲碁ファンを騒然とさせる。腕を磨きたい時光は囲碁教室の夏期合宿に参加。さらに高校を中退して、プロ棋士の育成道場に入学する。

 時光が少しずつステップアップするたび、個性的で魅力的な友人が次々に現れる。派手なルックスの何嘉嘉(のちに美容師になる)、ちょっと斜に構えた谷雨。ともにプロ棋士を目指す洪河と沈一朗。ある者は自分の囲碁の実力をわきまえて、囲碁を止めて大学受験に臨む。ある者は高い能力を持ちながら、父親の介護のためプロ棋士をあきらめる。現実味のあるエピソードばかりで胸に応えた。若者たちを見守る囲碁道場の教師たち(板老師と大老師)、時光のお母さんとか白潇潇など、数少ない女性の描き方もよい。憎まれ役の岳智も憎めなかった。

 そして時光のそばにはいつも褚嬴がいて、俞亮がいた。俞亮は「神童」の面影を失った時光に失望しながら、諦めずに彼を追いかけてくる時光の存在を気にし続ける。時光が褚嬴に見守られ(視線が母性的なのだ)仲間たちともみくちゃになりながら才能を伸ばしていくのに対して、俞亮は孤独に戦い続ける。唯一の癒しは、師兄の方緒。

 プロ棋士となった時光は、ついに俞亮の父・俞暁陽名人と対戦の機会を得る。果敢に戦った時光の実力を認めた俞暁陽は「僕の友人と対局してほしい」という願いを聞き入れ、ネットで褚嬴と対局する。褚嬴の勝利。しかし「神の一手」は見つからなかったという褚嬴に、時光は俞暁陽が勝っていたかもしれない一手を指摘する。勝負を離れた者だからこそ見出すことのできる「一手」に褚嬴は満足する。このドラマでは、少年たちだけでなく褚嬴も成長し変化していく存在である。時光との交流を通して、人生には囲碁以上に大切なものがあることに気づくのだ。

 2005年の端午節、再び超新星爆発の到来が予測されていた。褚嬴は最後の一日を自分の誕生日と偽って、時光と思い出の地をめぐり、楽しく遊び暮らす。そして疲れた時光が眠りについたあと、褚嬴は静かに姿を消す。このときの独白が素晴らしくいいのだが、あれを時光に聞かせてあげないのはズルいと思う。これが第32回。

 そのあと、時光は碁を打てなくなってしまう。この絶大な喪失感の描写もよい。洪河が、谷雨が、沈一朗が、時光を立ち直らせようとするのだが全く効き目がない。結局、時光は自分で碁盤に向かって、そこに褚嬴がいることを実感し、深い谷底から戻ってくる。その手を引いて走り始めるのが俞亮。最終話は、時光と俞亮のイチャイチャにニヤニヤしながら幸せな気分で終わる。遠い空の上から二人を見守っているであろう褚嬴の存在も感じながら。

 このドラマ、知っていた俳優さんは時光役の胡先煦くんと谷雨役の紀李くんだけだが、みんな大好きになった(特に若手男優陣!)。俞亮役の郝富申くんは、三枚目の役もできる子で、ちょっと高橋一生に似ていると思っている。褚嬴役の張超氏は絵に描いたような、いや名画から生まれたような美形なのに、素はボンヤリしたところが可愛い。低音砲と言われる声も好き。ぜひ古装劇に出てほしい。

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年末の東博常設展と特集いくつか

2020-12-22 22:33:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館・平成館企画展示室 特集『世界と出会った江戸美術』(2020年11月25日~2021年1月11日)

 東博は12月26日(土)から休館なので、たぶん年内最後になるだろうと思いながら、常設展示といくつかの特集展示を見に行った。本展は、海外への自由な往来が禁止されていた江戸時代、厳しい制約のなかで日本とヨーロッパの間を多くの交易品、遠い国々の技術や表現に学んだ美術工芸品を紹介する、企画趣旨に「世界的な鎖国状態の最中にある現在、改めて江戸時代の人びとに思いを馳せ」というのが、今年らしい。

 だいたい見たことのある有名な品が多く、栃木・龍江院のエラスムス立像や長崎奉行所旧蔵の『悲しみの聖母(親指のマリア) 』、『IHS七宝繋蒔絵螺鈿書見台』など。亜欧堂田善の『浅間山図屏風』を久しぶりに見ることができて嬉しかった。青の濃淡だけで洋風の草花を描いた(イギリスのファブリックみたい)『草花図扇面』は安田雷州筆。郎世寧の『準回両部平定得勝図』は東博も所蔵しているのだな(岡田三郎助旧蔵)。シーボルト(1796-1866)が使った携帯用の医療器具一式(外科道具差)は生々しくて怖かった。

■ 東洋館8室 特集『中国近代の上海-海上派の書・画・印-』(2020年11月17日~12月23日)

 アヘン戦争後の南京条約(1842年)を機に開港した上海では、近代化と西洋文明の流入が急速に進み、当時の上海で活動した芸術家たちは、海上派(かいじょうは)や海派(かいは)と称され、個性的な作品を生み出した。絵画では、私が知っている名前は趙之謙と呉昌碩くらい。書は、李鴻章があったり翁同龢、鄭孝胥、康有為などがあったりするので、激動の歴史を思いやってしみじみする。

■本館14室 特集『館蔵 珠玉の中国彫刻』(2020年12月1日~2021年2月21日)

 小さい作品や破損・補修が多い作品など、東洋館で展示の機会がないものの一部を本館で公開。そうだなあ、前漢時代の陶俑なんて、あまり東博で見た記憶がない。よい試みだと思う。早崎稉吉が洛陽で入手したという菩薩立像(東魏時代)は神秘的で素敵。山西省・天龍山石窟(行ったなあ!)に由来する仏頭のいくつかは原位置(第〇窟)が判明しており、元来の仏像の写真とともに掲げられているのは痛々しくて、言葉を失った。

■本館15室 特集『表慶館の建築図面』(2020年12月8日~2021年2月14日)

 表慶館は皇太子嘉仁親王殿下(のちの大正天皇)御結婚の御約を記念して奉献された建物で、設計は片山東熊(1853-1917)が担当した。確か、皇太子はあまりお気に召さなかったのではなかったかな、と思って、あとで調べたら、かつて藤森照信先生がそんな話をしていた(2009年の講演会)。別の機会に藤森先生から、建築図面にはチェックした技師が印鑑を押すことがある、という話を聞いたこともあって、展示品を注意深く眺めていたら「東熊」のハンコを見つけた。近くに、もう2つ違うハンコが押してあったが解読できず。

 このほか、本館11室(彫刻)には、伝・源頼朝坐像(鎌倉時代)が来ていたけれど、長谷寺の地蔵菩薩立像、浄瑠璃寺伝来の十二神将立像(未神、巳神、戌神)、子嶋寺の十一面観音菩薩立像、薬師寺の十一面観音菩薩立像と、奈良の雰囲気が濃厚だった。

 本館18室(近代絵画)には小林古径の『異端(踏絵)』が出ており、長崎奉行所旧蔵の板踏絵を見た直後に見ると、甘美なセンチメンタリズムを通り越して、本当に胸の痛む気持ちになった。

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実業家一代/明治のたばこ王 村井吉兵衛(たばこと塩の博物館)

2020-12-20 23:58:01 | 行ったもの(美術館・見仏)

たばこと塩の博物館 特別展『明治のたばこ王 村井吉兵衛』(2020年10月31日~2021年1月24日)

 久しぶりに同館らしい企画だと思って見に行った。村井吉兵衛(1864-1926)京都のたばこ商の家に生まれ、実兄らとともに「村井兄弟商会」を設立し、アメリカの技術を学んでシガレット(紙巻きたばこ)の製造に乗り出し、同じくたばこ業者の岩谷松平や千葉松兵衛と「明治たばこ宣伝合戦」を繰り広げたことで知られている。

 私が村井吉兵衛と岩谷松平の「明治たばこ宣伝合戦」の顛末を知ったのは、たぶん1980~90年代の荒俣宏氏の著作による。そして、2006年、当時、渋谷の公園通りにあった「たばこと塩の博物館」で特別展『広告の親玉 赤天狗参上!~明治のたばこ王 岩谷松平~』を見たことは今でも記憶に新しい。日本の美しい伝統なんぞどこ吹く風。人目を奪ったほうが勝ちというド派手な宣伝グッズの数々(看板、パッケージ、引き札)や当時の写真がたくさん展示されていて楽しかった。この展覧会で、岩谷が「国産」「国益」を売りにしたのに対して、村井はアメリカ産のタバコ葉を取り入れ、商品名も「ヒーロー」「サンライス」など洋風を好んだという両者の志向の違いを知った。

 今回の展示も、村井兄弟商会だけでなく、岩谷商会の写真や宣伝用品も展示もあって、見比べるのが楽しい。明治たばこ合戦の集大成となったのが、明治36(1903)年、大阪・天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会。村井はサーチライトつきの「オールド高塔」を設置した(オールドは商品名)。そうか、上野と京都の勧業博覧会のことはよく聞くのだが、第5回が大阪で開かれたことはあまり意識していなかった。

 また村井吉兵衛が、たばこ以外にもさまざまな事業にかかわった人物であることは、今回、始めて知った。自社製品のパッケージ印刷のために興した東洋印刷株式会社(京都・東福寺近く)は、その後、大蔵省専売局に引き継がれた(ちなみに岩谷が設立を支援したのが現・凸版印刷)。たばこの専売施行後は、村井銀行を設立して、朝鮮の慶尚南道・進永に農場を開いたり、台湾・嘉義で造林所を経営したりした。この村井銀行の五条支店・七条支店・祇園支店(いずれも吉武長一設計)は現存している。写真を見て、見覚えがある気がした。赤レンガの村井兄弟商会馬町工場は2009年に解体されたとのこと。惜しい。でも一回くらい通りがかっていてもおかしくない。

 明治の実業家らしく、村井は自邸や別邸で園遊会など社交の場を提供し(映像が残っているのにびっくり)、政財界人と広く交流した。さまざまな機関・団体に寄付をおこなっており、中でも目立つのは教育機関への支援であるという。寺院では総持寺(石川県輪島→1911年、神奈川・横浜へ移転)との関係が深かった。大きな木造の蔵王権現立像(平安時代)が展示されていて場違いな感じがしたが、村井が総持寺に寄進したものらしい。自分のブログを検索したら、2011年に神奈川歴博の『曹洞宗大本山總持寺 名宝100選』で見ているかもしれない。あと、村井は最初の妻の没後、公家出身の日野西薫子と再婚する。薫子をモデルにした『山茶花の局(美人弾琴図)』という絵画がある(歌舞伎座所蔵)ことも思い出した。

 1926(大正15)年、村井は事業相続の準備もできないうちに62歳で急死し、翌年の金融恐慌の煽りで、銀行は休業に追い込まれ、遺族は村井の築いた事業・資産をほとんど手放すに至る。村井が日記や自伝を残さなかったこともあって、今では忘れられた存在になっているようだ。むかしのブログのメモによれば、「赤天狗」岩谷松平は、煙草の専売制以後は養豚業に乗り出して「岩谷らしく、それなりに楽しい」晩年を過ごした、と伝えられているという。どちらも楽しい人生だったのではないかしら。

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交流の賜物/美を結ぶ。美をひらく。(サントリー美術館)

2020-12-19 21:26:49 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 リニューアル・オープン記念展III『美を結ぶ。美をひらく。:美の交流が生んだ6つの物語』(2020年12月16日~2021年2月28日)

 開催趣旨によれば、同館は、2007年3月、六本木の東京ミッドタウンに移転開館して以来「美を結ぶ。美をひらく。」をミュージアムメッセージに掲げ活動してきたという。「ひらく」「結ぶ」と言われれもよく分からないが、古いものと新しいもの、東洋と西洋という具合に「異なるものが結び、ひらくことは美術の本質であり、絶えることのない交流の中で今なお魅力的な作品が生み出されて」いるという説明は腑に落ちる。本展は17~19世紀の300年間に、国・時代・素材を越えて結び、ひらいた6つの美の物語を紹介する。

 その1:古伊万里。これはいちばん分かりやすい。長崎からポルトガルやオランダの船が運んだ日本の古伊万里が、ヨーロッパ諸国の王や貴族を魅了したというのが物語の主軸だが、実はもっと複雑で、中国伝統の文様や器のかたち(花型皿)を日本のやきものが学んだ点もあるし、日本の磁器を模倣して西洋で焼かれたもの、逆に西洋の影響を受けた日本のやきものなど、無名の職人たちがしのぎを削った跡をたどるのは本当に面白い。

 その2:鍋島。これはちょっと意外。鍋島のストイックな美しさは「交流」の余地を感じさせない。「白抜き文様」の美しさに注目したところが興味深かった。

 その3:琉球の紅型(びんがた)。型紙と、A4サイズくらいの一律の大きさに切り取られた紅型裂のコレクションの展示だった。誰がどうやって蒐集したのだろう? 私が紅型の美しさを知ったのは、日本民藝館のコレクションで、あちらは仕立てられた着物か反物で所蔵しているものが多い(と思う)。蒐集形態の差なのか、着物のかたちで見ると紅型の大胆な美しさにわくわくするが、今回は、そのデザインの繊細さに魅了されてしまった。色使いも豊か。『染分地桜波連山模様裂地』(19世紀)好きだなあ。

 その4:和ガラス。同館の和ガラスコレクション、まとまって展示される機会が少ないので嬉しかった。薩摩切子は島津斉彬が海外交易品として育て上げたが、斉彬の死と、薩英戦争で工場が砲撃を受けたことで急激に衰退してしまったという。私は、ゆるい日用品の和ガラスも好きなのだが、輸出品となると技術の精度を極限まで追求してしまうのは日本人のサガなのか。

 その5:江戸・明治の浮世絵。特に幕末維新期の、洋風の街並み・洋装の男女を描いた横浜浮世絵・開化絵が多数出ていた。小林清親の「光線画」(光と影を効果的に用いた様式)も展示。

 その6:エミール・ガレ。なぜここでガレ?と不思議だったが、パリ万博を通じて、エジプト・イスラム・中国・日本など多くの異国の美術のエッセンスを貪欲に取り入れた作家であるという説明を読んで納得した。

 世界的に見ても、17~19世紀は異なる文化の交流が新しい美を生み出すインパクトを持っていたと思う。しかし20世紀以降、大きな差異が失われることにより、逆に交流が成立しなくなっている気がする。

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本郷菊坂で師走のフレンチ

2020-12-17 21:02:01 | 食べたもの(銘菓・名産)

 先週、職場の友人と二人で久しぶりに会食。本郷菊坂にあるプティット メゾン ド アリー(Petite maison de Harry)という家庭的なフレンチのお店で。

 料理の写真がちょうどクリスマスカラーになった。

 友人の記憶では、むかし、この場所にあった別のレストランに私や他の友人と来たことがあるというのだが、思い出せない。試しにGoogleストリートビューで過去の画像を探してみたら、2009~2016年頃まで別の名前のフレンチレストランがあって、その後、別の名前のカフェになり、最近、今のお店になったことが分かった(でも記憶は戻らなかった)。

 しかし変わりゆく街の姿がネット上にアーカイブされていくのは興味深い。子供の頃に読んだSFみたいだ。

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東アジアの共有財産/東アジア仏教への扉(金沢文庫)

2020-12-16 21:49:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立金沢文庫 開館90周年記念特別展『東アジア仏教への扉』(2020年12月4日~2021年1月31日)

 開館90周年を記念して、同館が調査し公開してきた称名寺の名品の数々をとおして、東アジアで展開した仏教の様子を一望し、金沢文庫の収蔵品が持つ世界に誇れる魅力を紹介する。仏画・仏像・文書の名品が多数揃った展覧会だった。

 仏画では巨大な『仏涅槃図』が目を引いた。358cm×291cmとのこと。展示ケースの中では全体の三分のニ程度しか広げることができず、釈尊の寝台の下に集まった動物は、かろうじてサル?とイヌ?の頭が見えていたくらいだった。『諸尊図像集』は何種類か出ていたが、かつては称名寺本しか知られていなかったのだそうだ。『香象大師像』は、花の舞い散る演出がラブリーで好き。

 仏像は、称名寺光明院所蔵の運慶作・大威徳明王像を忘れてはならないだろう。顔が大きくて押し出しの強い釈迦如来立像と、個性的な十大弟子像も来ていた。特に垂れ目の優波離尊者と釣り目の舎利弗尊者が印象に残るが、どちらも悪相である。尊者らしくない。

 文書(聖経)について、過去の研究・出版を振り返り、「東アジアの共有財産」という意識が十分でなかったと反省している態度が誠実で印象的だった。現在は、さまざまな国際共同研究が積極的に進められているそうだ。上海師範大学敦煌学研究所からは、手書きの経典をAIで活字化するプロジェクトの協力打診が来ているという。そうかー。人手の足りない部分は、AIで効率化されて研究が進むといいな。

 それから、ぼろぼろの『華厳経義鈔』について、2019年に新たに四紙が発見されたという注釈がついていたのにも感心した。地道な調査に携わっている方々の喜びを想像して、そっと拍手を送った。

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