見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

中国青銅器の不思議な世界/不変/普遍の造形(泉屋博古館東京)

2023-01-29 22:54:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 リニューアルオープン記念展IV『不変/普遍の造形-住友コレクション中国青銅器名品選』(2023年1月14日~ 2月26日)

 リニューアルオープン展の掉尾を飾る本展では「住友コレクションの象徴」とも言うべき、中国青銅器の名品を一挙公開。中国青銅器の種類、文様、金文、そして鑑賞の歴史まで、丁寧な解説を付してその魅力を紹介する。私は、年に数回は京都の泉屋博古館を訪ねているのだが、常設の青銅器館はパスしてしまうことが多い。せっかく東京に来てくれたので、罪滅ぼしと思って見に行ったら、展示規模(参考資料含め100件弱)がちょうどいいのと、解説が初心者にも分かりやすくて楽しめた。ほぼ全て撮影可なのも嬉しかった。

 はじめに、器の命名ルールを解説。銘文によって殷周時代当時の人々の命名が判明する器(自名器)は、その名前で呼ぶ。鼎(かなえ)や鬲(れき)などだ。一方、自名器がない器種は、後世の古典文献に登場する器の名前を与えることが多い。たとえば、現在「爵(じゃく)」と呼ばれる器をそのように名づけたのは北宋時代のことで、殷周時代当時の名称には不明な点が多く、古典文献中の「爵」は全く別の器を指している可能性も否定できないのだそうだ。

 パネルに「最近では古代中国を舞台にしたドラマやアニメに登場し、認知度はすこし高まってきているようだ」とあって、にやにやしてしまった。2017年の中国ドラマ『軍師聯盟(軍師連盟)』には、この爵に酒を満たし、直接、口をつけて飲むシーンがあって、あの使い方は違う、という指摘があったことを覚えている。展示解説によれば、近代になって、底部に煤が付着したものが出土したことで、爵は温酒器であるという説が一般化したそうだ。日本酒の燗瓶(かんびん)みたいなものかと思う。

 ちなみに「どのような酒を飲んだ?」というパネルによれば、古代の儀礼用の酒は、米、粟、黍などの穀物を醸造したもので清濁にも違いがあり、香草の煮汁を加えることもあった。醴(れい)は甘酒のようにどろっとしていて、ヨーグルトのようにスプーンですくって飲んだ(食べた?)という。これはドラマに取り入れても、あまり絵にならないかもしれない。

 私は、中国青銅器というと、饕餮文をはじめ、やたらゴツゴツして四角張った造形のイメージがあったのだが、中には、なめらかな曲線で構成された器もあることに、あらためて気づいた。

 最後の画像は鴟梟卣(しきょうゆう)のひとつ。鴟梟はフクロウやミミズクの類を指し、獰猛で残忍な悪鳥とされていたが、「毒を以て毒を制す」の発想から、守護の役割を期待されたのではないかという。中国で子供のお守りに五毒の刺繍やアップリケを用いるようなものだろうか。それにしてもこの鴟梟ちゃん、絶対に女子受けする可愛さである。

 後半は銘文を持つ青銅器を集中的に展示。西周前期(紀元前11~10世紀)の文書がきちんと残っているって、すごい。大事な記録を後世に残そうとして金文に刻んだ意図が、十二分に達成されている。紙と墨もすごいが、金文はさらにすごい。それに比べると、電磁記録なんて記録と呼ぶのもおこがましいように思える。

 なお、本展にちなんで「港区内3館をめぐる中国古代青銅器デジタルスタンプラリー」というイベントが行われいる。泉屋博古館東京、根津美術館、松岡美術館をまわると「おでかけしきょうそん(鴟鴞尊)」(3D ARフォトフレーム)をGETできるという企画だ。いずれも個人の美術コレクターに由来する美術館だが、明治期の日本人が、どうして中国青銅器に熱狂したかも、北宋時代のリバイバルから「茶の湯」を通じての受容の歴史を知って、少し理解できたように思った。

 饕餮文については、2012年に同館の『神秘のデザイン』展で学んだことを思い出した。饕餮文という呼び名も北宋時代に始まるもので、殷周時代の人々がこの文様をどう呼んだか分からないのだそうだ。解説パネルに饕餮(とうてつ)は「窮奇(きゅうき)」「檮杌(とうこつ)」「渾沌(こんとん)」ともに「四凶」として恐れられたとあったので、さっそく中文wikiで調べている。

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中世を感じる/法会への招待(金沢文庫)

2023-01-28 23:00:08 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立金沢文庫 特別展『法会への招待-「称名寺聖教・金沢文庫文書」から読み解く中世寺院の法会-』(2022年12月2日~2023年1月29日)

 人と物が集まり、史料が生成する場としての法会という視点から、「称名寺聖教・金沢文庫文書」を読み解き、中世寺院法会の豊穣な世界を紹介する。文書中心の地味な展示だが、アーカイブズ好きには面白かった。

 第1章「年中行事と形式」では、年中行事として行われていた様々な法会(仏教の行事・集会)を見て行く。1月の修正会は、奈良時代に国分寺等で行われた吉祥悔過に起源を持つらしい。そういえば、奈良の薬師寺や法隆寺の修正会も本尊は吉祥天である。修正会は、称名寺や瀬戸神社でも行われていた記録がある。修二会は、称名寺で開催されたことを示す史料はないそうだが、京都の寺院での法会を様子を、ちゃんと情報収集して記録している。

 2月は涅槃会もあり。『仏涅槃図』(南北朝時代、龍華寺、金沢光徳寺旧蔵品)は、裏彩色の欠損が惜しまれると解説にあったけれど、かえって淡泊な色合いを好ましく感じた。画面の右下、鹿の後ろにいる黒白ぶちの動物が気になったが、ネコ?ウサギ?よく分からなかった。3月は弘法大師の御影供、4月は仏生会、7月は盂蘭盆会がある。『仁治三年盂蘭盆会事』という資料には、仁治3年(1242)鎌倉の永福寺で「大施主殿下」が盂蘭盆会を執り行ったことが記されている。将軍職にあった藤原頼経だろうか。『吾妻鏡』は仁治3年条が現存しないそうで、こういう個別の文書から判明することも、いろいろあるのだな。

 第2章「本尊と荘厳」で目を引いたのは、称名寺伝来の維摩居士坐像(鎌倉~南北朝時代)。脇息にもたれ、足を投げ出してくつろいだポーズなのが宋風。見たことあったかな?と思って調べたら、少なくとも2007年に見ていた。同じく称名寺の古幡残欠(ハンカチみたいな四角い布)は2件出ていて、幔幕の上に群竹と鳳凰を配した絵画的な図案は鎌倉時代、花唐草文は元時代、と注記されていた。どちらも黄茶色と緑色の、単純な配色。

 第3章「生成する文書・聖教」は、法会の開催準備の始まりから、誰がどのような文書を作成するのかを、時系列に沿って解説したもの。施主から寺院へ祈祷の命令・依頼があると、次に僧侶を選んで招請する。祈祷が済むと「巻数(かんじゅ)」という形式で完了報告を行う。これを受け取った施主は「巻数請取状」を返信する。いずれも形式の定まった文書なので、参照用の文例集が作られているのも面白い。

 『後醍醐天皇綸旨案』は、祈祷依頼の綸旨の下書(?)だが「寺名・日付・宛先が不自然に欠損しているのは何らかの意図があったと推測される」という解説が付いていて、プロの見方は違うな~と感心した。『足利義詮御教書』と『足利尊氏御判御教書』は、どちらも文和4年(1355)の4月と6月に相次いで、称名寺に天下静謐の祈祷を求めたもの。南北朝史には詳しくないので、あとで調べてみたら、直前は観応の擾乱だの、武蔵野合戦だの、大激動の時代だったことが分かった。そして当時の有力武将たちから、称名寺の祈祷が頼られていたことも。

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色とかたちの取合せ/柚木沙弥郎展(日本民藝館)

2023-01-27 23:20:05 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本民藝館 特別展『生誕100年 柚木沙弥郎展』(2023年1月13日~4月2日)

 柚木沙弥郎(ゆのきさみろう、1922-)氏は、柳宗悦の「民藝」と芹沢銈介のカレンダーとの出会いから染色の道に進んだとも言われており(柚木沙弥郎公式サイト)、日本民藝館とは関係が深い。2018年にも特別展『柚木沙弥郎の染色 もようと色彩』が開催されており、友人から「ぜひ行くべき」という強いおすすめを貰った。しかし、このときは見逃してしまったので、今回は早めに決断して見に行った。

 館内に入ると、大階段を取りまく壁も左右の展示ケースも、柚木さんのカラフルな染色作品で埋まっていて、なんだか別世界に来たみたいだったが、まずは2階の大展示室へ急ぐ。ここも壁や展示ケースを表情豊かな型染めの布が彩る。おもしろかったのは、布の間に配置された、世界各地の「民藝」の数々。アフリカの壺や仮面、インドの車形の玩具(木製)、ヨーロッパの鳥形の木の実割り(金属製)など、ふだんあまり見る機会のない作品が多くて興奮した。中には、2メートル位あるツノ(?)の生えた巨大な仮面(アフリカ・マリ共和国)もあって、民藝館でなく民博に来ているような感じがした。と思えば、スリップウェアの鳥や、ブタならぬネコ形の蚊遣り(日本・大正時代)などもあった。この取り合わせを考えるのは、楽しかったに違いない。また、船木研児作という陶器皿が複数出ていて、柚木さんの作風とよく合っていた。どこかで見た名前だと思ったら、2021年の『近代工芸の巨匠たち』で覚えた名前だった。

 柚木さんの染色作品は、幾何学的な文様が多かった(民藝館の好みかもしれない)。ただ、冷たい幾何学文様ではなくて、生き生きした温かみを感じる幾何学文様である。そして、まれに具象的な鳥や動物の姿を写した作品もある。今回、展覧会のポスターに使われている『犬』は『猫』と一組で、2階展示室の奥の壁に掛かっている。この、尻尾だか後ろ足だかがぐるぐる内巻きになっている『猫』かわいいなあ。あと、1階の展示室で見た、赤地に白抜きの牛の繰り返し文様も好きで、夏のワンピースにして着たいと思った。印象鮮烈な作品ばかりでなく、日本旅館の量産型の浴衣になりそうな、白地に紺の竹文の布などもデザインしているのは、新しい発見だった。

 併設展では「春を祝う工芸-遊戯具・人形を中心に」が楽しかった。いかにも使い込まれた羽子板や手毬、三春人形、鴻巣人形など。『蹴鞠作法之事』という図巻(桃山時代)には「枝に鞠を付る事」と題して、柳や桜の枝に鞠を一つないし二つ以上、挟む作法が図解されていた。

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中国土産のロバとウサギ

2023-01-23 21:17:04 | 日常生活

 昨年11月に母が亡くなったので、年末年始は弟と二人で遺品を整理していた。物持ちな人で、食器やお茶の道具など、趣味の品がたくさん残された。基本的にはどんどん捨ててしまうつもりだが、目について拾ってきたものいくつか。

 この布製のロバとウサギは、私が中国旅行のお土産に母に買ってきたものである。ウサギの腹には母が細いマジックで「平成10年9月 敦煌」と書き留めていた。翌年の平成11年(1999)の干支が卯だったので、ウサギを買ってきたのだと思う。それから干支が二回りしてしまった。

 ロバは別の地方に行ったときに買ったと思うが、よく覚えていない。今後は私の身近に置いておく予定。

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共生の未来を描く/「移民国家」としての日本(宮島喬)

2023-01-22 23:01:33 | 読んだもの(書籍)

〇宮島喬『「移民国家」としての日本:共生への展望』(岩波新書) 岩波書店 2022.11

 移民に関する本を読むのは、望月優大『ふたつの日本』(講談社現代新書、2019)以来だと思う。望月さんも本書の著者も、外国人労働者を「人」として受入れ、共生社会を目指そうという方向性は同じで、共感できるものだった。

 はじめに、コロナ禍を除く過去5年間(2014-2019年)の日本の新規外国人入国者数(観光などの短期滞在者を除く)は年平均で約43万人に上ることが示される。推計によれば、在留外国人は300万人を超えており、(1998年の資格要件緩和を受けて)「永住者」資格を持つ外国人も百数十万人に達している。ちなみに現在、一般永住者の数は特別永住者(在日コリアン)の倍以上になっているという。日本は、生産人口の減少に伴う労働力不足を大きな要因として、もはや実質上の「移民受入れ国」になっているのだ。

 外国人労働者の受入れは、1989年の改正入管法によって90年代に急激に増大した。しかしこのとき、日本政府の方針は曖昧で「単純労働者は受け入れない」と言いながら、技能実習生を実質的な単純労働者として、法的な保護もきちんとした日本語教育プログラムもなく、斡旋業者を介して受入れるなど、「フェア」と言えない点が目立った。

 「研修」「技能実習」などの在留資格者は家族を呼び寄せることが認められていない(短期滞在を想定した資格だから、という理由である)。その他の在留資格の場合でも、経済能力が証明できないと家族帯同は認められない。呼び寄せた妻子に働いてもらえばよさそうなものだが、「家族滞在」の在留資格だと十分に働くことができない(就労時間に制限がある)のだそうだ。短期の低コスト労働力は欲しいが、外国人の定住はなんとしても阻止したいという(日本政府の?財界の?)鉄の意思を感じる。

 ヨーロッパでは、キリスト教的な背景から、結婚を誓った男女(夫婦)が一体で生きることは神聖な義務かつ権利とされ、家族が一体で生活することは基本的な人権だとする見方があるそうだ。ただしこの「家族」は夫婦と子供が基本単位である。日本の入管行政でも、在留資格の「家族滞在」は配偶者と子供に限られているため、年取った親を呼び寄せたいという希望が、なかなか叶わないという。アジア的な家族観に基づく配慮があってもいいのではないかと思った。

 入管当局(≒日本政府)の基本的な考え方は、日本における外国人の権利は、入管法で定められた在留資格の範囲内で認められるとするものだ。この影響を受けて、入管法に違反した外国人は、どのように扱われても文句をいうべきでない、と考える日本人は多い。私も、心情的には不法滞在や不法就労の外国人に同情しつつも、やっぱり法律違反だし…と考えることはあった。しかし、入管法を最上位に置くことで、労働法、社会保障諸法、地方自治法などを停止させ、基本的人権(たとえば労働の権利、教育を受ける権利、家族で生きる権利)を剥奪することが本当に正しいか?という問い直しが、あってよいということを本書から学んだ。

 難民についても同様である。日本では難民申請者の認定審査は出入国在留管理庁が行うが、難民条約の諸規定を固守し「難民」の定義の狭い解釈になりがちだという。アメリカ、フランス、ドイツなどは、自国の憲法や前文に「自由のために活動し迫害を受けた者に庇護を与える」等の理念をうたっており、条約に狭くとらわれない難民の解釈を示すという。ああ、もし日本国憲法を改正するなら、こういう文言を入れてほしい。あと、「友好国」の国民に対しては、政治的判断から難民認定しにくいというのは、分かるけれどなんとかならないものか。

 2015-16年に、ドイツは100万人を超える大量のシリア難民を受け入れたことで社会的混乱を招き、当時のメルケル首相に対する批判が高まったが、数年後には経済界や地方自治体から、受け入れた難民が欠かせない人材、労働力になっているという声が聞かれるようになったという。もちろん言語教育や職業訓練などの支援あっての賜物だろうけれど、日本もこのくらい大胆な移民受入れと統合の努力をしないと、国力の衰退は回避できないのではないかと思う。

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中国の地方公務員たち/中華ドラマ『県委大院』

2023-01-21 23:37:52 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『県委大院』全24集(正午陽光、2022年)

 大好きな正午陽光の制作だが、今回はちょっと期待外れだった。ドラマは、2015年(中国では、十九大=中国共産党第十九次全国代表大会の前と表現する)から始まる。主人公の梅暁歌(胡歌)は光明県の県長に着任することになった。日本ふうに県長と書いてみたが、中国の地方行政のトップは、その行政単位に置かれた共産党組織のトップ(書記)であるらしい。劇中で主人公は「梅書記」と呼ばれている。一方、主人公の片腕をつとめる女性の副書記・艾鮮枝は艾県長と呼ばれていた(ややこしい)。

 光明県は、北岳省新州市の一部という設定なので、北岳恒山のある山西省をイメージしながら見ていた。県庁のある中心地はそこそこ都会だが、貧しい山間部や農村部も抱えている。隣りの九原県が積極的に投資家を呼び込み、成功しているのに比べると、財政的には豊かといえない。

 このような状況で、梅書記と県庁(県委員会)の人々は、さまざまな問題に直面しながら、それを乗り越えていく。再開発地区で立ち退きを拒否して居座る家族を説得し、先祖の墳墓の移転をしぶる人々に理解を求め、病院の退職金不払い問題を解決し、過去の統計の粉飾を是正し、省の視察団を無理やり足止めして光明県の乳牛飼育基地を見てもらい、予算獲得につなげたり…。その乳牛飼育基地で乳牛の偽装が発覚し、SNSで炎上したときは、誠実な対応で逆に光明県の評判を高めたりする。

 ライバル九原県の曹書記(梅暁歌の学生時代からの友人という設定)が、違法すれすれの「剛腕」で、省の予算や企業家の投資を攫っていくのに比べると、光明県のやりかたは穏やかだが、彼らも必死である。予算獲得のため、礼儀正しく愛嬌をふりまきながら戦う姿を見ていると、あ~公務員の仕事は、どこの国でも変わらないなあとしみじみ思った。

 本作のもうひとりの主人公は、梅書記の着任と同時に県庁に就職した若者・林志為で、次第に仕事を覚え、上司に認められていく。彼の仕事が、基本的に資料を読み、資料を作成する(幹部が話す原稿を幹部に代わって書く→上司に添削されながら書き方を覚える)ことなのも、日本の事務職と同じだと思った。

 ドラマの後半では、この林志為くんが希望して赴任した、鹿泉郷長岭村という農村が主な舞台になる。経験豊かな村主任のおじさん・三宝と組んで、村の行政に携わることになるが、書類仕事から一転し、村民の日常生活のあらゆるサポートが任務になる。まずは注がれた酒を飲まないと相手にされないとか、都会と田舎の習慣の違いに戸惑う林志為くんが面白い。

 その後、長岭村では村民の体調不良が続発する。林志為は、調査の結果、九原県の鉱産企業の汚染排水が原因であることを突き止め、村民を原告とする訴訟を起こす。第一審は根拠不足で敗訴したが、第二審では賠償を勝ち取ることができた。梅書記は、光明県の農業の健全な発展のため、蔬菜大棚(ビニールハウス?)と大規模化農業を成功させた蒋新民に教えを請い、企業家の鄭三に投資を約束させる。そして、役割を終え、任期を全うした梅書記は、静かに光明県を去り、妻の喬麦の待つ家庭に帰っていく。

 中国の地方行政(基層行政)の仕組みについて知るには、なかなかいい教材だと思うが、ドラマとしては、エピソードを盛り込み過ぎで、全て簡単に解決してしまうので深みに欠ける。魅力ある敵キャラもいない。汚染企業が、新州市の馬市長とつながっていると分かったときは、ドロドロした政治闘争になるのかな?と思ったが、馬市長はあっさり消えてしまった。中国では要人が姿を見せなくなると、人々はその失脚を悟るようだ。

 制作元の正午陽光公司は、共産党のプロパガンダドラマでも、必ず面白い作品に仕上げてきたのだが、今回の失敗は気になる。変に制約が厳しくなっていなければいいのだけれど。なお、本作は、中国ドラマ好きにはおなじみの名優さんがあちこちに出演しているので、それを探すのは楽しかった。

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想像で楽しむ茶室/茶道具取合せ展(五島美術館)

2023-01-20 23:07:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 『館蔵・茶道具取合せ展』(2022年12月10日~2023年2月12日)

 まだお正月ののんびりした気分で見に行ったコレクション展。懐石道具・炭道具のほか、小堀遠州を中心とした武将や大名ゆかりの茶道具の取合せを展観する。はじめに豊臣秀吉、千利休、小堀遠州らの仮名書きの消息をきれいに表装した軸がいくつも出ていた。禅僧の墨跡とも平安・鎌倉の古筆とも違って、格段に親しみやすい味わいがある。

 全く忘れていたのだが、同館は2014年の正月にも『茶道具取り合わせ展』を開催している。私は簡単なメモしか残していないが、「古備前の徳利に赤絵金襴手の盃と盃台、祥瑞(染付)の徳利に黄瀬戸の盃」などが出ていた様子。今回は、古赤絵徳利と黄瀬戸盃が私の好みだった。毎回、学芸員さんが楽しんで取り合せていらっしゃるのだろうな。色絵阿蘭陀盃は今回も印象に残った。黄色いお腹の鳥が赤い線で描かれていて、子供のお茶わんみたいで可愛い。「阿蘭陀盃」と呼ばれているけれど、産地は一定しないのだそうだ。おなじみの名品、古伊賀水指「破袋」や鼠志野茶碗「峯紅葉」も出ていた。

 展示ケースの中に、茶室「冨士見亭」「古経楼」「松寿庵」の床の間の模型(原寸大)がしつらえてあったのも珍しくて目を惹いた。同館初めての試みかな?と思ったが、自分のブログで探したら、2013年にも展示されていた。3つの茶室は、いずれも五島慶太が作らせたもので、現在は五島美術館の庭園内にある(松寿庵は古経楼の一部)。「冨士見亭」の床の間は、いちばん伝統的な趣きで、千利休消息「横雲の文」が掛けてあった。「古経楼」は、茶室と思えない幅広の床の間で、無準師範墨蹟「山門疏」が掛かっていた。長文で文字の変化に富む墨蹟である。加賀藩主前田利常が東福寺から金500枚で購入したと伝わるそうだ。取合せは、墨蹟と同じく南宋時代の青磁鳳凰耳花生(砧青磁)。「松寿庵」は少しモダンな雰囲気で、伝・俵屋宗達筆『業平東下り図』に赤絵金襴手角瓢花生(明時代)という、和漢混淆の取合せだった。

 茶入の名品には複数の仕覆(布製の袋)が添えてあったり、名物裂の手鑑が出ているのも面白かったが、第2展示室は「茶の湯と古裂賞玩」がテーマで、かわいい布と布製品をたくさん見ることができて眼福だった。『西湖の茶壺』と呼ばれる陶器壺(明時代)には、口を覆う布製の蓋が付いていて、ドアノブカバーみたいな形状をしていた。赤絵金襴手人物文水注の外箱包み裂は、シンガポールを思い出すようなバティック(インドネシア製)だった。「孔雀イチゴ裂」とか「黒地星珊瑚文」とか、いま、展示品リストの文字面を見返しているだけでも楽しい気持ちになる。

 最後の『桐縫紋緞子貼付幔幕屏風』(江戸時代)は、類例の思い浮かばない珍しいもので、緑・青・赤・黒の四色の地色(×2)の各扇に桐紋をアップリケのように貼り付けた八曲屏風(この説明で合っているだろうか)。古い幔幕をリメイクした祝賀儀式用の屏風と推測されていた。

 展示ケースに全て畳を敷いて茶道具を並べていたのは、2014年と同じ趣向だが、とてもよかった。展示台が低めのせいもあり、茶室に座って、畳の上の茶道具を上から覗き込んでいるような気分になる。いつもこのスタイルがいいと思う。

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華南というフロンティア/越境の中国史(菊池秀明)

2023-01-16 23:17:58 | 読んだもの(書籍)

〇菊池秀明『越境の中国史:南からみた衝突と融合の三〇〇年』(講談社選書メチエ) 講談社 2022.12

 中国と呼ばれる地域は、とにかく広大で多様である。本書は、多くの日本人にとって、あまり馴染みのない地域「華南」(福建省、広東省とその周辺)の17~19世紀について叙述する。華南における中華世界の拡大と、その結果生まれたさまざまな衝突と融合の過程を読み解くことは、いま、中国周辺地域(香港、台湾、国内の少数民族および近隣諸国)が直面している問題を理解するのに役立つと著者が考えるためである。

 中国が多様な民族の衝突と融合によって形成されてきたことは、いろいろな文献を読んで徐々にイメージできるようになった。だが、古い時代については、いわゆる北方騎馬民族と漢民族との衝突・融合が主である。宋代以降、華北と江南がそれぞれ特色ある文化圏として成立するに従い、華南が江南に代わるフロンティアとなっていく。しかし清朝末期の太平天国の乱で否応なく華南に目が向くまで、この地域で何が起きてきたかは、知らないことばかりだった。

 福建には4~6世紀から、広東は10~13世紀から漢人の移住が始まり、閩南人、潮州人、広東人、客家人などの言語集団が形成された。18世紀、爆発的な人口増が起きると、華南の人々は広西と台湾に向かった。広西にやってきた漢人移民は、チワン族やヤオ族などの先住民を雇って開墾を推し進め、広西は広東の内地コロニーの様相を呈した。台湾の漢人は閩南人(福建系)が多かったが、移民の流入の繰り返しによって、現在では複雑な他民族社会となっている。移民たちは、様々な生業に並行して取り組む行動様式(搵食=ワンセック)で危機を回避し、成功のチャンスをつかもうとした。ある程度生活が安定すると、科挙合格者を出したり、官職を購入(公的な売官制度があった)して、移民の中から地域のリーダーとなる有力宗族(客籍)が育っていく。

 一方、先住の土着民(土人)にも、漢人の上昇戦略を学び、科挙エリートを目指したり、公共事業に積極的に取り組む人々が出てくる。そして階層上昇に挫折すると、もともと漢人移民の相互扶助組織であった天地会などの異姓結拝組織に加わる者が増えた。いろいろ省略しているけれど、このへんの混沌とした社会、武器による実力行使(械闘=かいとう)の風潮を背景として、清末には太平天国の動乱が始まるのである。

 ページ数は少ないが、本書は台湾の械闘についても触れている。著者いわく、日本人は現在の台湾について、穏やかで親切な人々が暮らす成熟した市民社会というイメージを持っているが、当時(19世紀前半)の台湾は違った。巨大な資本を有する閩南人の商業移民とその労働力となった下層移民、あるいは閩南人と客家、閩南人と原住民などが、複雑で激烈な衝突を繰り返している。

 結論を急いでしまえば、中国というのは、つねに熾烈な競争をかかえた社会なのだ。人々はふつうに生きるために、不断に移動し、変化し、越境し続けなければならない。国家が膨張を望むというよりは、そういうメカニズムが埋め込まれた社会なのだと思う。日本にとっては全く心やすまらない話であるが。そして18世紀の人口爆発が、移動と越境のプッシュ要因であるとしたら、これから人口減によって中国社会は少し変わるのだろうか。

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唐物多め/国宝雪松図と吉祥づくし(三井記念美術館)

2023-01-12 23:38:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

三井記念美術館 『国宝雪松図と吉祥づくし』(2022年12月1日~1月28日)

 新春恒例、国宝『雪松図屏風』がメインだが、吉祥づくしには、意外と中国美術が多かった。「長寿」「富貴」などの吉祥主題を好む伝統と、日本において唐物が貴重な贅沢品であったことが影響しているのかもしれない。冒頭の工芸品には、堆朱や堆黒の香合、青磁瓶、白磁皿など。あと、これは絶対に唐物だろうと思うと、永楽保全らの「〇〇写し」だったりする。

 和ものの『牡丹蒔絵太鼓胴』は珍しかった。鼓胴は何度か見たことがあるが、太鼓胴(ケーキ型みたいな円筒)にも、こんなに装飾の美しいものがあるのだな。『玳玻天目(鸞天目)』(南宋時代)は、小ぶりで、逆三角形にキュッと締まった愛らしい茶碗。外側は黄茶に濃茶の網目を載せたような鼈甲文様。内側は同じ色調で、二羽の尾長鳥と蝶、梅を表現する。落ち着きのある高級感にうっとりした。

 書画の展示室は、中央正面に応挙の『雪松図屏風』を立て、左右に和漢の絵画と工芸品を並べる。右側に沈南蘋の『松樹双鶏図』『藤花独猫図』2幅があるなと思ったら、左側にも沈南蘋が4幅。全て北三井家旧蔵で、表具も統一されており、一連のシリーズらしかった。ただ、どの作品も画面が簡素で、あまり沈南蘋らしいアクの強さは感じられなかった。真筆かどうか疑わしいと思ったが、野暮なことは言わないほうがいいのかもしれない。

 右側の最奥には、伝・徽宗筆『麝香猫図』という作品があって驚いた(ただし、明時代・16~17世紀と付記)。体は白毛で尻尾は黒、額に黒丸があり、額から尻尾まで黒い線がつながっているのが、スカンクかハクビシンか、別の動物を思わせる。前足で竹の枝(?)を押さえてじゃれているようだが、あまり愛嬌はない。それでも解説に「尻尾のもふもふ感はなかなかのものだ」とあって笑ってしまった。本展、ときどき気になる解説文があった。

 あとは、伝・牧谿筆『蓮燕図』『柘榴図』や、伝・梁楷筆『布袋図』などもあったが、これらもおおらかな気持ちで見るのがよいかと思う。ちょっと変わっていたのは、伝・秋月等観筆『寿老人図』で、なぜか四角い料紙に円を描き、その中を塗りつぶすように寿老人の姿を描いていた。三井家の歴代当主たちも七福神をよく描いているが、みんな巧い。絵画は必須の教養として習ったのだろうか。

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新春は日本画で/日本の風景を描く(山種美術館)

2023-01-11 00:26:50 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展『日本の風景を描く-歌川広重から田渕俊夫まで-』(2022年12月10日~2023年2月26日)

 先月から始まっていた展覧会だが、なんとなく年初めに見たいと思ってお預けにしていた。そして計画どおり正月休みに見てきた。江戸時代から現代までの風景画の優品を紹介する特別展である。

 江戸時代の作品は、広重の『東海道五拾三次』『近江八景』の一部(展示替えあり)のほか、酒井抱一、池大雅、谷文晁などが出ている。椿椿山の『久能山真景図』は、遠くの山の嶺とか木立とか伝統的な山水画の様式と、それを裏切る部分(広すぎる登り坂とそれを進みゆく二人の人物)が同居しているところが、エモくて好き。椿山はむかしから私の推しなので、今春、板橋区立美術館で開催予定の『椿椿山展』をとても楽しみにしている。

 山種美術館といえば「日本画専門美術館」だと思っていたが、正確には、開館当初の理念が「日本画専門美術館」だったというのが正しいのかもしれない。本展には、黒田清輝、安井曽太郎、佐伯祐三など洋画家の油彩や水彩の風景画(同館コレクション)も出品されていた。

 本展の見どころの一つは、石田武の大作『四季奥入瀬』(1985年制作、全て個人蔵)全4点である。春を描いた『春渓』と夏を描いた『瑠璃』の展示は37年ぶりとのこと。美術作品って、制作と同時代に生きていても見る機会があるとは限らないのだな。『春渓』は瀬から淵へ流れ下る水量豊かな渓流を描き、白く波立つ水面が画面いっぱいに広がっている。灰緑色の淵の深さと白い波頭は、同じ作者・石田武の『鳴門海峡』を連想させた。『瑠璃』は空気まで青に染まった深い森の中、視界を遮るのは水辺に枝を広げた大木。鮮やかな瑠璃色のカワセミが水上を横切っていく。『秋韻』は色調が一転し、黄茶色の木立の中を白く泡立つ急流が流れる。『幻冬』は全ての葉が落ち、雪に閉ざされた冬景色に横たわる黒い河。水墨画のようなモノクロの世界。

 このほか印象に残った作品には、速水御舟の『灰燼』がある。関東大震災後の風景を描いた小品で、ピンク色の瓦礫がころがる中に、崩れ残った建物が黄色と白と黒でスケッチふうに表現されている。灰色の静かな空。人の姿はない。未発表のまま画室に残され、没後に発見されたという。御舟はあまり好きではないので、積極的に見てこなかったが、この1枚はとてもいいと思った。安田靫彦の『富嶽』はいいなあ。富士山をこんなに清々しく描ける人は、なかなかいないと思う。小野竹喬『冬樹』と山田申吾『宙』は以前にも見たことがあって、好きな作品。田淵俊夫『輪中の村』は、田園の遠景に巨人のような鉄塔がぼんやりと描かれている。現代の農村の実景なのだろうが、どこか幻想的でもある。

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