見もの・読みもの日記

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天台の国宝・東京編/東京国立博物館

2006-05-01 09:04:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『最澄と天台の国宝』

http://www.tnm.jp/

 なぜ「東京編」を名乗るかというと、昨年の秋、京都まで遠征して、同じ展示会を見て来たからである。さて、東京編はどうなっているのか。連休初日の土曜日に出かけた。

 会場である平成館は、エスカレーターで2階に上がると、左右に展示スペースがある。係員の男性が、「第1会場はかなり混雑しております。順序を気になさらない方は、左手の第2会場から御覧ください」と誘導している。いや、やっぱり、順序どおり見たいよな、と思って、私は右手の入口を入った。そうしたら、びっくり。いきなり、広い空間にたくさんの仏像が立ち並んでいる。

 最初から仏像か。京都では、まず、祖師像や文献類があって、中ほどで仏像に出会う構成だったのに、といぶかる。実は、あとで気づいたのだが、私は第1会場の出口から入ってしまったのだ。しかし、そのおかげで、比較的、場内がすいているうちに、仏像のセクションを見ることができたのは怪我の功名だった。(諸仏に誘っていただいたのかもしれない。合掌)

 いちばん入口(出口)近くにいらっしゃったのは、愛知県・滝山寺の梵天・帝釈天像。遠くに鞍馬寺の毘沙門天像も見えたが、懐かしく思って吸い寄せられたのは、善水寺の薬師如来像である。滋賀県・湖南三山の1つ、善水寺には、これまで2回訪ねている。昨年、京都で見たときは、あまりいいと思わなかった薬師如来だが、胴長な体躯、頭部に比して華奢な肩、短い指、小さな手など、慈父のような懐かしさを感じさせる。

 ぐるりと見渡して、延暦寺・横川中堂の聖観音(ポスターやチラシに使われている像)の姿がないことを確認する。ということは、仕切りの裏側、次のセクションにいらっしゃるに違いない。ドキドキしながら歩を進めると、果たして、観音は、そこにいらっしゃった。ようこそ、おいでなさいました。私は、特別な感慨をもって、この像を眺めた。なぜなら昨年の秋、私はまるでひとりの信徒のように、死にゆく人のことを思って、この像を見上げたからである。

 さて、京博では、仏像の展示に個別ブースを使っていたことは、前に述べた。東博は、最近よくある大ホール式(立食パーティ式)だった。ただし、展示室は2つに分かれていて、手前の小さい部屋は、横川中堂の聖観音を中心とした比叡山の世界、次の大ホールは、東国から九州まで、各地の地方仏によって、天台宗の全国的な広がりを表していたのではないかと思う。また、京博は、展示ブースの背景に、青だったか(赤だったか?)、深みのある色を使って、照明の効果を際立たせていたと記憶するが、東博は、明るい薄緑が背景色だった。印象は弱いが、東国仏の木目の美しさが引き立つ色だと思う。

 あらためて第1会場の入口に立つと、伝教大師最澄の坐像が迎えてくれるが、癇癖の強い表情は、こんな、物見高い群集の中に引き出されたことを嫌がっているようで、くすりと笑ってしまった。まあ、大師様、もう少しで、静かなお住まいにお帰りになれますから。

 絵画では、兵庫県・一乗寺の天台高僧像が、やはりいい。東博には、最澄とともに、善無畏像が出ていた。細密な文様が剥離して、べたりと色を置いただけみたいになっているところが、却っていい。袈裟を縁取る黒い線が、ルオーの宗教画を思い出させる。脱いだ靴が乱雑に投げ出された様子にも、リアルな対象に迫ろうとする、画家の敬虔な思いを感じさせる。
コメント (1)
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