見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2022年9月関西旅行:高麗美術館、松柏美術館

2022-09-29 22:03:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

高麗美術館 『朝鮮王朝の白磁と水墨画』(2022年9月1日~12月11日)

 先週末、台風通過中の関西旅行レポートである。はじめに洛北の高麗美術館に向かった。朝鮮の白磁と水墨画から朝鮮時代の文人の姿に思いを馳せる展覧会を開催中。水墨画は17世紀~19世紀の作品が12件出ており、小品だが金正喜(1786-1856)の『山水図』が、明清の山水画に通じる繊細さで印象に残った。面白かったのは、白磁のかたちと本来の用途について説明があったこと。「果物や干し肉をお供えする」「ご飯をお供えする」「餅を入れる」「野菜を入れる」など、茶の湯の世界で愛でる白磁には、こういう説明はつかないので興味深く感じた。

 2階は朝鮮の伝統的な部屋のしつらえを再現した展示だが、少しずつ展示品を変えているのだろう。今回は観音開きの立派な箪笥(李朝箪笥というのか)が多めで、どれも魅力的だった。また、別室のパネルに「京都・近江(滋賀)の朝鮮通信使遺跡」が紹介されていた。滋賀県の野洲~近江八幡~彦根には朝鮮人街道という街道筋があるのか…これは一度、歩いてみたい(※参考:朝鮮人街道を歩く)。

 このあと、すでにレポート済みの承天閣美術館に寄り、奈良に向かう。

大和文華館 『一笑一顰(いっしょういっぴん)-日本美術に描かれた顔-』(2022年8月19日~10月2日)

 日本美術に描かれた人びとの表情にあらわれた美しさや魅力に迫る展覧会。今回、この展覧会をいちばん楽しみに1泊2日の関西旅行を企画した。途中、大和西大寺駅で腹ごしらえもして、準備万端、訪問したら、道路に面したゲートが閉まっている。え??と慌てた目に入ったのはこの掲示。

 実は、9月17日(土)に発生した展示室の空調設備の不具合により、ずっと休館していたのだ。私の訪問の翌日、24日(土)からは再開の目途が立ったというお知らせである。ええ~。ホームページやツイッターで、当日の開館状況を確認すべきだったんだなあ、と悔やんだけれどもう遅い。そして時刻はすでに15:00過ぎ。今日の宿泊先は京都なので、これからどうすべきかを考える。

松伯美術館 『本画と下絵から知る上村松園・松篁・淳之展』(2022年9月6日~11月27日)

 最終的に私が下した結論は、学園前駅(近鉄奈良線)の北側にある松柏美術館に行ってみる、というものだった。同館は、上村松篁・淳之両画伯からの作品寄贈と近畿日本鉄道株式会社の基金出捐により1994年3月に開館した美術館で、上村松園・松篁・淳之三代にわたる作品・草稿等を収集・保管・展示している。以前から存在は知っていたが、一度も訪ねたことはなかった。

 大和文華館は学園前駅から歩いて10分弱だが、松伯美術館はバスに乗る必要があるらしい。北口バスターミナルの5・6番乗り場(どれでもよい)からバスに乗って5分ほど、大渕橋停留所で下りる。展示棟は1階・2階を使って、ゆったりした展示スペースが設けられていた。本展は、上村松園・松篁・淳之三代の制作の試行錯誤の過程を、下絵や写生によって紹介。上村松園は狂女を描く『花がたみ』を制作するにあたり、京都・岩倉の精神病院に行って、院長先生の了解のもと、患者さんと一緒に過ごしたり、患者さんをスケッチしたりそたそうだ。「狂女の顔は能面に似ている」という発言は、なんとなく納得できるものがある。そして、作品の直接の下絵ではないけれど、女房装束の女性をさまざまなポーズで描いた線描のスケッチが、マンガのようで可愛らしかった。

 『楊貴妃』は初めて見たかもしれない。見る機会の少ない『焔』も出ていて、得をした気分になったが、これは東博の所蔵なのだな。上村淳之の花鳥画も、リアルな写生から、色鮮やかで装飾的な作品ができていくのが面白かった。美術館から望む広大な大渕池は、ちょっと日本離れした風景だった。機会があれば、また来てみたい。

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2022年9月関西旅行:武家政権の軌跡(承天閣美術館)再訪

2022-09-27 21:29:51 | 行ったもの(美術館・見仏)

相国寺承天閣美術館 企画展『武家政権の軌跡-権力者と寺』(I期:2022年8月8日~10月6日)

 9月の最初の三連休は大型台風上陸に当たってしまったので、近場をぶらぶらするにとどめた。下旬の三連休は、台風をすり抜けるようにして1泊2日で京都に行ってきた。どうしてもこの展覧会を、もう一度7見たかったのである。

 8月のお盆旅行のレポートにも書いたとおり、相国寺と武家政権との交流の軌跡をたどる本展には、書画の名品が多数出品されている。なかでも私の関心を引いたのは『平治物語絵詞』残欠(断簡)である。「騎馬武者の中央にいるのは平清盛」と書いてしまったが、だんだん自信がなくなってきたので、オペラグラスを持って確かめに来たのだ。

 展示室に入り、ぐるっとまわって茶室「夕佳亭」再現コーナーに正対する。遠い床の間に掛かった『平治物語絵詞』残欠は、私が思い描いていたものとはかなり色味が異なって見えた。つまり、いつの間にか自分の記憶を補正していたのである。持参したオペラグラスで眺めると、(ネットで何度か見たことのある)「清盛」を中心にした場面ではないことが確認できた。描かれている武者は三人。手前(画面下)の一人は兜の後頭部を見せている。右寄りの一人は左(進行方向)を向いた横顔を見せる。赤い房飾りをつけた白馬に乗っている様子。画面奥(上方)、左寄りの一人も左を向きながら、後ろに鞭のようなものを振りかざして(?)いる。

 これは、8月の記事に鴨脚さんが寄せてくれた情報によれば、③「萬野美術館→相国寺」の断簡と思われる。「思われる」と曖昧な表現にしたのは、8月にはYoutubeで視聴できた「国宝『平治物語絵詞』の探訪とデジタル復元」の動画が削除されていて、確認できないためだ。まあ著作権侵害動画だったので当然の措置ではあるのだが、残念…。

 思い込みで発言するのは気をつけようと思った。お騒がせしました。

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工芸多め、皇室の収蔵庫から/日本美術をひも解く(芸大美術館)

2022-09-22 22:09:22 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京藝術大学大学美術館 特別展『日本美術をひも解く-皇室、美の玉手箱』(2022年8月6日~9月25日)

 宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する皇室の珠玉の名品に、東京藝術大学のコレクションを加えた多種多様な作品を通じて、日本美術の豊かな世界を展観する。8月にふらっと前期を見に行ったら、あまりの凄さに圧倒されて、後期も行かざるを得なくなった。両方の感想を混ぜながらレポートしたい。

 後期の見ものは、なんといっても伊藤若冲の『動植綵絵』10幅の登場。朝、早めの時間に入館し、順路は3階からなのだが、若冲が展示されていると思われる地下2階から見ることにした。展示室に入ると、右手の壁にずらりと『動植綵絵』が並ぶ。ちょっと考えて、前期は酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』が掛かっていたことを思い出した。展示は「芍薬群蝶図」「老松白鶏図」「向日葵雄鶏図」「紫陽花双鶏図」「池辺群虫図」「蓮池遊魚図」「芦鵞図」「芦雁図」「桃花小禽図」「梅花小禽図」。記憶に従って会場の配列を再現してみたつもりだが、違っているかもしれない。この中だと私は、いちばん好きなのは「蓮池遊魚図」かな。ついついみんな饒舌になるので(分かる)係員の方が「感染予防のため、会話はお控えください」と何度も声をかけていた。

 3階の入口に戻ろう。「序章」冒頭には『菊蒔絵螺鈿棚』。なぜこれが?とよく分からなかったが、図録を読むと、明治天皇の許可のもと、東京美術学校と宮内省によって制作された記念碑的作品であるそうだ。たいへん優美。それから芸大所蔵の法隆寺金堂模型、岡倉天心の講義ノートなど。

 「1章 文字からはじまる日本の美」は圧巻だった。全体の点数は少ないが、全てメインディッシュ。伝・行成筆『粘葉本和漢朗詠集』と伝・公任筆『巻子本和漢朗詠集』は料紙も美しい。前期は大好きな藤原佐理の『恩命帖』に釘付けになり、後期は小野道風の『屏風土代』に圧倒された。

 「2章 人と物語の共演」は絵巻大集合! 『絵師草紙』『蒙古襲来絵詞』『春日権現記絵』(前期:巻4、後期:巻5)『北野天神縁起絵巻』(三巻本、室町時代、かなりゆるい)『西行物語絵巻』(尾形光琳が俵屋宗達の作品を写したもの)『酒伝童子絵巻』(17世紀、土佐派と狩野派の両者の影響)そして『小栗判官絵巻』(前期:巻1、後期:巻2)。『小栗』後期は、深泥池の大蛇が姿を現した図を見ることができて大満足。

 「平治物語絵」「保元物語絵」などを貼り込んだ宗達の『扇面散屏風』は、どんな場面なのかを想像しながら、1画面1画面をじっくり見てしまった。ちょっと奇怪な風貌の『小野道風像』(伝・頼寿筆、鎌倉時代)も面白かった。古代風俗に題材をとった明治の工芸、山崎朝雲『賀茂競馬置物』もよかったなあ。

 地下2階「3章 生きものわくわく」は楽しい展示室で、左右の展示ケースに動植物を描いた絵画を掛け、中央の空間には工芸品を並べる。前期は、酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』や狩野永徳・常信の『唐獅子図屏風』を従えるように、突き当りの壁面に高橋由一の『鮭』と葛飾北斎の『西瓜図』があるのが、なんだか可笑しくて笑ってしまった。まあ「生きもの」には違いない。後期に登場した谷文晁『虎図』は、どこか人間を思わせる体型。図録の解説に「ユーモラス」とあるけど、人虎伝説を思わせて私は怖かった。

 この展示室の見どころは、ふだんあまり見る機会のない明治の工芸品である。彫金の『鼬』の愛らしさ。高村光雲の木彫『矮鶏置物』の尾羽の超絶技巧。白銅鋳造『兎』の洗練されたアールデコ造形。ブロンズ『軍鶏置物』は逞しい両足で堂々と歩む姿が、カオカオ様を思わせる。こういう多彩な「生きもの」たちの背景に若冲の『動植綵絵』を眺めるのもオツな体験だった。

 最後の「4章 風景に心を寄せる」。前期はずいぶんモダンな屏風が出ているなあと思ったら、桃山時代・海北友松の『浜松図屏風』と『網干図屏風』でびっくりした。後期は一転して、小坂芝田『秋爽』と池上秀畝『秋晴』(どちらも大正時代)。初めて聞く画家の作品だが、とても気に入った。五姓田義松『ナイアガラ景図』は、どこかで見ているかもしれないが、初めて認識した。変化する水の色が美しい。高橋由一『栗子山隧道』、中村不折『淡煙』、和田英作『黄昏』など、大好きな明治の洋画をたくさん見ることができて嬉しかった。

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エキセントリック前九年の役/文楽・奥州安達原

2022-09-21 20:07:30 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 令和4年9月文楽公演(2022年9月19日、17:15~)

・第3部『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)・朱雀堤の段/敷妙使者の段/矢の根の段/袖萩祭文の段/貞任物語の段/道行千里の岩田帯』

 国立劇場が改修のため長期休館に入るというニュースは聞いていたので、「初代国立劇場さよなら公演」の冠付きと聞いて、これは行っておかなければと思い、慌ててチケットを取って、大型台風が日本列島を縦断中の9月19日に見に行った。そうしたら、小劇場を使う文楽公演は、12月も国立劇場で行われるみたいで拍子抜けした。ちょっと詐欺にかかった気分だが、まあいいことにしよう。

 『奥州安達原』は近松半二作。プログラムの解説によれば「奥州に独立国家樹立をめざす安倍氏の策略が、源義家によって挫折に追い込まれてゆくまでを描く」物語である。史実を核に、空想のコロモでくるんで味付けする手際が実にダイナミック。ただ、登場人物が多く、人間関係が複雑なので、筋書を手元に置かないと最初はかなり混乱する。

 はじめに盲目の物乞い女・袖萩と、その娘の幼子・お君が登場。平傔仗(けんじょう、実は袖萩の父親)と八重幡姫(源義家の妹)が通りかかり、さらに人目を忍んで駆け落ちに急ぐ生駒之助と傾城・恋絹がやってくる。八重幡姫は生駒之助に思いを寄せながら身を引いた過去があり、恋絹は、恩のある八重幡姫と生駒之助のために「来世の祝言」を執り行う。そこに追手が現れるが、袖萩は二人を小屋に匿い、逃がしてやる。追手の侍・瓜割四郎と平傔仗の会話から、袖萩は、さきほどの老侍が自分の父親であることを知る。

 平傔仗は、帝の弟・環の宮の傅役(もりやく)だが、環の宮は三種の神器の一つである十束の剣とともに行方知れずになっていた。傔仗の娘二人のうち、袖萩は素性の知れない浪人侍と深い仲になって出奔し、敷妙は源義家に嫁いでいた。その敷妙が使者として現れ、宮の捜索の猶予も今日限りという義家の意思を伝える。内心では傔仗に同情している義家は、奥州から連行した鶴殺しの罪人・外が浜南兵衛の詮議に望みを託す。

 衣冠束帯姿の桂中納言則氏が登場。則氏と義家は、南兵衛の正体が安倍宗任であることを見抜き、奥の間に引き立てる。則氏は傔仗に、宮の失踪の責任をとって、いさぎよく切腹することをほのめかす。

 御殿の裏木戸にたどりついた袖萩とお君。袖萩は三味線をつまびき、祭文に託して親不孝を詫びるが、母の浜夕は厳しい言葉を浴びせるばかり。お君の父親である侍の素性を記した手紙を見せるが、そこには安倍貞任の名前があった。進退窮まった傔仗は切腹、絶望した袖萩も懐剣で自害。それを見届けた則氏が去ろうとすると、義家が登場。南兵衛こそ安倍宗任、則氏こそ安倍貞任であることを喝破し、戦場での勝負を誓って別れる。

 〇〇実は△△、の目まぐるしい交錯。敵と味方のダイナミックな対峙。いかにも「つくりもの」だけど面白い。いま好きで見ている金庸先生の武侠ドラマに似通ったところもあるように思う。

 私は『奥州安達原』を初見と思って見に行ったのだが、途中でおや?と思った。実は2017年に「環の宮明御殿の段」(=袖萩祭文の段?)だけ見ていたのだ。素人には、今回のほうが物語の設定が分かりやすくて、ありがたかった。

 しかし最後の「道行千里の岩田帯」(生駒之助と八重幡姫の道行)は、何のために上演されたのかよく分からなかった。プログラムの解説を読むと、傾城・恋絹、実は安倍頼時の娘で貞任・宗任の妹なんだな。さらに道行の先に二人を待ち受ける運命は、久しく上演をみない「一つ家の段」に描かれているのだそうだ。一つ家!そういうことなのか…南無阿弥陀仏。

 人形は袖萩を桐竹勘十郎さん。冒頭の「朱雀堤の段」は全員黒子姿だったのに袖萩の表現が群を抜いていて、出遣いになって、ああやっぱりと思った。桂中納言則氏=実は安倍貞任は吉田玉男さん。久しぶりに大きな立役で見たが、やっぱり見栄えがする。

 あと、久しぶりに(?)購入した国立劇場の文楽公演のプログラム、値段は上がったが、吉田和生さんのインタビュー(カラーページ)など読み応えがあってよくなったと思う。

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COVIDワクチン物語/変異ウイルスとの闘い(黒木登志夫)

2022-09-20 20:23:08 | 読んだもの(書籍)

〇黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い:コロナ治療楽とワクチン』(中公新書) 中央公論新社 2022.5

 2020年にコロナ禍が始まって以降、さまざまな医者や学者がメディアに登場し、彼らの著作もずいぶん出版された。だが、どこまで信用できるか分からない本を読むことを私は意識的に避けてきた。ふと目についた本書を手に取ったのは、著者が『研究不正』や『落下傘学長奮闘記』『科学者のための英文手紙の書き方』で古なじみの名前だったためである。

 著者は「感染症に伝統のある研究所で長年研究をしてきたが、専門はがん細胞の研究である」と自己紹介している。このため、COVIDの本を書くに当たっては、多くの人に教えを請い、原稿を読んでもらったり、メール討論してもらったりした。この、対象との程よい距離感が、素人にも分かりやすい本書を生み出したのではないかと思う。

 はじめに、ウイルスと変異の基礎知識が示される。感染が波状攻撃を繰り返すのは、ウイルスが変異するためだ。第1波~第6波の中心となった変異株にはそれぞれの特徴がある。次にワクチンと治療薬の歴史と現状について語り、医療逼迫が起きる理由(日本の医療制度の根本的な問題点)を論じ、最後に今後のシナリオを提示する。

 最も興味深かったのはワクチン開発物語で、著者は「病原体ワクチン」「遺伝子産物ワクチン」「遺伝子情報ワクチン」という新しい分類を提唱する。三番目の遺伝子情報ワクチン(DNAワクチンとmRNAワクチン)はコロナ以前には使われていなかったが、COVIDワクチン開発の中で一気に実用化した。ハンガリー生まれで米国に渡った女性研究者カリコーは、mRNAワクチンの研究を根気強く続け、免疫学者のワイスマンとの共同研究によって、2008年、ついに安定化に成功する。

 カリコーの発見を受け継いでmRNAワクチンを実現したのが、二つのベンチャー企業、米国モデルナ社とドイツのビオンテック社である。ビオンテック社は、シャヒンとテュレジ夫妻(ともにトルコ移民二世)によって2008年に創設された。2020年1月、中国武漢で新しい感染症が発生したというニュースを聞いたシャヒンは、これはパンデミックになると直感し、直ちに社内に「光速プロジェクト」を立ち上げ、9か月でmRNAワクチンの設計図を完成させた。

 シャヒンはファイザー社のワクチン開発責任者ジャンセン(東ドイツ出身、ファーストネームから見て女性)にCOVIDワクチンの開発を提案する。大企業ファイザー社のCEOブーラ(本書にはギリシャ移民と記載、Wikiでは市民権はギリシャ)はシャヒンを知らなかったが、電話会談で信頼関係を築き、開発スピードを最優先して、50:50の契約に合意した。

 モデルナ社は2010年にアフェヤン(アルメニア人、ベイルート生まれ)によって創設された。2020年1月、CEOのパンセルから緊急連絡を受けたアフェヤンはCov-2に対するmRNAワクチンの開発を開始し、2日間で設計を終え、41日後には最初のワクチンをNIH(アメリカ国立衛生研究所)に送ったという。

 この一段は、人類にとっての「画期」がどのように起きるかを追体験できて、本当に面白かった。登場人物が移民ばかりであることに感銘を受けながら読んできたら、著者も「ここまでに登場した人物のほとんどは移民である」という総括を挟んでいた。ワクチン開発に関わった人たちの国籍は60ヵ国、男女は同数で、まさに「移民の高いモチベーション、多様性が生み出すエネルギーが、この画期的なワクチンの背後にあったのだ」という。そのあとに付け加えられた「日本が、ワクチンだけでなく、あらゆる分野で先端を切り開けないでいる理由が分かったような気がする」という一文が苦い。

 本書には「日本がワクチンを開発できなかった理由」が5つに整理されている。(1)スピードがあまりにも遅かった (2)予算があまりにも少なすぎた (3)政府もワクチン開発から逃げていた (4)感染者の少ない日本では臨床試験は困難 (5)実社会の効果と安全性検討にはデジタル化が必須 (6)長い目で見た基礎研究をおろそかにした。なんともはや…である。東大医科研の石井健教授は、mRNAワクチンの開発に取り組み、2015年時点で世界のトップレベルにあった。しかし第1相試験の段階で、予算が獲得できずに挫折した。AMEDは「日本で流行していない病気に予算はつけられない」と断ったという。単なる傍観者の私がこれを読んで歯噛みする思いなのだから、当事者の悔しさはどれほどだったろう。

 医療逼迫について、日本の国民皆保険は非常に優れた制度であるが、超高齢化社会による医療費の上昇と経済の停滞による財政の圧迫のもと、医療制度の基盤は脆弱になりつつあり、加えて、医療資源に余裕がなく、かろうじて危ういバランスを保っているという指摘に身が凍りつくような感じがした。パンデミックへの備えを含めて、医療体制を基本から考え直す必要があるという。

 コロナ対応「ベスト・プラクティス7」「ワースト・プラクティス7」には、おおむね同意できた。ワースト(1)はGO TOキャンペーン、(3)はPCR検査(の軽視)、(7)には政府と官僚の縦割り行政と無謬性神話が入ってる。

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明清絵画そのほか/古美術逍遥(泉屋博古館東京)

2022-09-18 23:48:31 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 リニューアルオープン記念展III『古美術逍遥-東洋へのまなざし』(2022年9月10日~10月23日)

 リニューアルオープン展パート3では、京都・東山の泉屋博古館から当館を代表する中国絵画・日本絵画に加え、東京館の収蔵品からも茶道具や香道具など、数寄者の心を伝える作品を紹介する。待ってました!という感じである。

 第1展示室(入って右手)は全て中国絵画で、徐渭『花卉雑画巻』に迎えられ(花の間にメザシみたいな小魚がいる)、すぐその次が八大山人の『安晩帖』だった。前期(9/10-10/1)が「叭々鳥図」と知って、飛んできたのである。にじむ薄墨で描かれたふわっふわの叭々鳥。足元の岩か何かも、やわかい斑猫の毛皮のようにも見える。私は2010年に京都の泉屋博古館で、2017年に東博で見て以来、三度目の鑑賞になる。いちばん好きなページを久しぶりに見ることができて嬉しかったけど、私の宿願は『安晩帖』22面を全部見ることだ。「2.瓶花図」「4.山水図」「6.魚図」「7.叭々鳥図」「10.蓮翡翠図」「12.冬瓜鼠図」の計6図制覇から、なかなか増えない。

 次に石濤の『黄山八勝図冊』『黄山図巻』『廬山観瀑図』と、繊細な淡彩の作品が続く。私はこれらを京都の泉屋博古館で何度か見ているのだが、京都の明るい展示室で見た記憶と、東京の暗い(作品のみ照明で浮き立たせる)展示室だと、ちょっと色合いの印象が異なる気がした。華嵒『鵬挙図』は、最近見た中国ドラマの影響で「神鵰侠!」と叫びそうになって、にやにやした。

 ホールの裏側を通る第2展示室には、高麗仏画の『水月観音像』が来ていた。全体に茶色に褪色してるけれど、ベールの透け感が美しく、左下の童子の愛らしさも見どころ。唐代の金銅舎利槨・棺や雲南大理国の銅造観音菩薩立像など、京都でおなじみの名品が多数来ており、宇宙人みたいな弥勒仏立像(北魏時代)に「56億7千万の微笑み」というキャプションがついていたのに笑ってしまった。

 第3展示室は主に日本の古美術。上畳本三十六歌仙絵切「藤原兼輔」や佐竹本三十六歌仙絵切「源信明」に加え、伊藤若冲『海棠目白図』や呉春『蔬菜図巻』も大好きな作品。あまり京都で見た記憶のない蒔絵の工芸品が出ていたのは、東京館のコレクションなのだろうか。桃山時代の能面「白色尉」を収めた『畦道蒔絵平文面箱』のデザインがモダンで素敵だった。

 第4展示室は、1つの展示ケースに文房四宝を取り合わせたり、書画と香炉・酒杯を取り合わせたり、工夫があって面白かった。

 なお、第3展示室の『二条城行幸図屏風』(江戸時代、17世紀)は複製が玄関ホールに展示されている。こちらは、かなり近づいて鑑賞できるし、撮影も可。描かれた人々のファッションが気になる。同じ着物は二人といないのではないか(仕事中の武士のユニフォームは別)と思うくらい千差万別。大柄の文様は着ている人間の身体を意識しているが、スクリーントーンを貼るみたいな感覚で文様を描いているものもあって面白い。

 モブシーン(大群衆)にケンカはつきもの。

 入口横のパネルから『安晩帖』の叭々鳥ちゃん。私が明清絵画の深みにハマったのは、第一に泉屋博古館の住友春翠コレクションの影響である。このたび東京で展観してくれて、感謝しかない。

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情と理想主義/映画・キングメーカー 大統領を作った男

2022-09-17 23:18:19 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇ビョン・ソンヒョン監督『キングメーカー 大統領を作った男』(シネマート新宿)

 韓国の近現代史(政治史)を素材にした映画って、どうしてこんなに面白いんだろう。本作の主人公は、第15代韓国大統領となった金大中(キム・デジュン)の選挙参謀だった厳昌録(オム・チャンノク)をモデルにしている。

 キム・ウンボム(モデルは金大中)は民主政治の実現を目指して、野党・新民党から国政選挙に立候補しては何度も落選していた。1961年、木浦の補欠選挙でも、与党・共和党の圧倒的な物量作戦の前に苦戦していたが、ある日、選挙事務所に一人の男が訪ねてくる。北朝鮮出身のソ・チャンデ(モデルは厳昌録)は、キム・ウンボムの理想に共鳴し、必ず先生を国政の場に送り出したいと申し出る。そして、公式には組織に所属しない「影」の選挙参謀として、奇想天外な戦略で民心を掴み、キム・ウンボムを議員に押し上げる。

 1970年、大統領選を控えて、野党・新民党では大統領候補を指名する選挙が行われることになった。与党・共和党は、戦いやすい相手である新民党総裁カン・インサンをひそかに支援する。しかし新民党内部では、次代を担う若手議員、キム・ウンボム、キム・ヨンホ(モデルは金泳三)、イ・ハンサン(モデルは李哲承)の三人が立候補を表明する。下馬評ではキム・ヨンホ有利と考えられていたが、焦るイ・ハンサンを手玉にとったソ・チャンデの心理作戦で、キム・ウンボムが大統領候補の座を獲得する。

 翌年の大統領選に向けて脅威を感じた与党・共和党は、ソ・チャンデの抱き込みにかかる。一方、「影」の存在であることに不満を感じ始めていたソ・チャンデ、ソ・チャンデの手段を選ばない(民衆を信頼しない)やりかたに違和感を抱くキム・ウンボムの間には、徐々に亀裂が生じていた。そしてソ・チャンデはキム・ウンボムのもとを去り、大統領選では与党のために奮戦することになる。現職のパク大統領とキム・ウンボムの戦いを「慶尚道と全羅道の戦い」と称して、国民の愛郷心を煽った作戦があたり、慶尚道(人口が多い)の出身であるパク大統領が勝利を収める。しかしソ・チャンデは、それ以上、与党のために働くことを拒否して姿を消す。

 そして年月が流れ、初老のソ・チャンデは、場末の安酒場でキム・ウンボムと対面し、まだ理想を追いかける彼の姿を眩しそうに見つめる。そんな終わり方だったと思うのだが、このラストがいつ(金大中が大統領になった後か否か)の設定だったか、把握できなかった。でも全編を通して、とても面白かった。

 1960~70年代の韓国の選挙の実態がひどかったことは初めて知った。しかし、木浦の補欠選挙では、ソ・チャンデの無茶苦茶な票固め戦略が描かれるけれど、それを対立候補に指弾され、形勢が悪くなりかかったところで、民心をつかみ直すのは、キム・ウンボムの演説の力なのだ。そもそもソ・チャンデ自身が、キム・ウンボムの演説に惹かれてやってくるので、「言論」や「主義」の力を根底では信じている映画だと思う。

 あと、政治の世界に身を置く男たちの「情」の深さ。それをイケメン(年代問わず)が演じるのが、韓国政治映画のおもしろさである。日本の戦後政治を描いても、残念だが、こういう魅力的な映画にはならないだろう。ソ・チャンデを演じたイ・ソンギュンさん、いい声だなーと思ってぼんやり見ていたが、『パラサイト』の社長さんか。キム・ウンボムを演じたソル・ギョングさんは、理想主義の政治家らしい雰囲気で、演説にも迫力があった。

 ただ、ちょうど私が映画を見た直後に、政治学者の木村幹さんがつぶやいていたところでは、本作は史実そのままでなく、かなりフィクションが混じっているようだ。

 金大中の選挙参謀・厳昌録について、いちばん参考になったのは以下の記事。ネットでこういう記事が拾えるのはありがたい。

※一松書院のブログ:キングメーカー 厳昌録-東亜日報「南山の部長たち」より(2022/8/1)

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日本酒「而今」飲み比べ

2022-09-15 23:44:05 | 食べたもの(銘菓・名産)

ごひいきの角打ちで、今月はちょっと贅沢して「而今」5種類を呑み比べ。どれも美味しかった。

酒米「雄町」を使ったお酒は「ベリー系の風味」と言われるそうである。

さらに美味しかったのが「八反錦」を使ったもので「パイナップル味」だという。そう言われれば、そんな気がする。「フルーティな日本酒」というカテゴリーは、あまり好きではないのだが、これは別格。また飲みたい。

「而今」をつくっている酒蔵・木屋正酒造は三重県名張市にある。近鉄・名張駅から歩けそうなので、次に長谷寺・室生寺に行くときにでも寄ってみたいと思ったが、ホームページにはつれなく「小売販売、酒蔵見学、試飲などの店頭業務は行っておりません」の注意書き。

それでも、機会があったら店の前まで行ってみたい。

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初訪問/宗教美術の世界(平櫛田中彫刻美術館)

2022-09-12 21:59:08 | 行ったもの(美術館・見仏)

小平市平櫛田中彫刻美術館 企画展『宗教美術の世界~平櫛田中コレクションより~』(2022年5月18日~9月11日)

 ずっと気になっていた展覧会だが、行ったことのない美術館なので躊躇していた。結局、会期末の週末に思い立って出かけた。JR国分寺駅で西武多摩湖線に乗り換え、1駅先の一橋学園駅から住宅街の中を少し歩く。国分寺駅で下りたのは10数年ぶりで、再開発による変貌ぶりにびっくりした。

 平櫛田中彫刻美術館は、1984年に平櫛田中(1872-1979)の旧宅(現・記念館)を公開するかたちで開館し、その後、隣に展示館が新築されている。展示館は地上2階地下1階の広々した空間で、展示も充実していた。受付のあるホールに、いきなり見覚えのある『転生』(巨大な鬼が人間を口から吐き出している図)や『天心先生記念像』(芸大キャンパスに設置されている岡倉天心像の縮小版)があって、毒気を抜かれてしまう。平櫛田中、そんなに好きな作家として意識したことはなかったが、基本的に写実彫刻は好きなのだ。

 1階には『尋牛』『張果仙人』など中国の古典に取材した作品が多く並んでいた。太公望を表現した『釣隠』は、彩色で華やかな唐錦の着物を着せているが、皺のより方に全く不自然さがないのが見事。快活な表情の『気楽坊』2躯にも惹かれたが、解説を読んだら、後水尾天皇が、徳川秀忠の娘と政略結婚させられたことに不満で「世の中は気楽に暮らせ何ごとも 思えば思う思わねばこそ」という歌をつくり、気楽坊と名づけた指人形を作らせて日々のやるせない気持ちを慰めたことに由来する、とあって、しみじみしてしまった。

 2階は今回の企画展示。まず平櫛田中の書画。白隠みたいな達磨図があって、筆者は「妙心寺大航」と書かれていた。調べたら、古川大航といって臨済宗妙心寺派管長をつとめた僧侶で、静岡県興津の清見寺住職でもあった。清見寺といえば、白隠ゆかりのお寺のひとつでもある。なるほど。

 法隆寺五重塔の塔本塑像だという可憐な仕女坐像もあった。円空作だという厨子仏は、小さくて簡素な厨子の姿に惹かれた。あと中国製らしい小さな金銅仏が複数あり、そのうちのひとつは「後周武成2年(6世紀)、王宗一」という年代と作者が判明しているようだった。

 申し訳ないが笑ってしまったのは、奥の部屋にあった『ウォーナー博士像』(アメリカの東洋美術史研究家)と『岡倉天心胸像』で、どちらも金箔でピカピカに覆われている。中国の観光寺院の仏像みたいで、少しお腹のふくらんだ天心先生は、特にご利益がありそうだった。

 最後に地下展示室へ。横綱をモデルにした『玉錦』、伊勢の「赤福」の女主人をモデルにした『五十鈴老母』、そして下着だけの六代目尾上菊五郎をモデルにした『試作鏡獅子』と、写実人物彫刻の名品が並ぶ。『法堂二笑』もよかった。解説を読んだら、臨済と麻谷の二人だという。私は、興福寺の無著・世親像を思い出しながら、眺めていた。

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意外な名品に出会う/こどもと楽しむ永青文庫(永青文庫)

2022-09-11 22:13:42 | 行ったもの(美術館・見仏)

永青文庫 夏季展『こどもと楽しむ永青文庫』( 2022年7月30日~9月25日)

 たぶん同館としては初めての試みと思われる、小中学生をターゲットにしたコレクション展である。小中学生は無料で(これは通常どおり)、特製ガイドブックのプレゼントも付いてくる。 夏休みには、細川家ゆかりの熊本から、くまモンも来てくれたようだ。

 4階展示室には、11代細川斉樹(なりたつ)使用の『栗色革包紺糸射向紅威丸胴具足』(兜から山鳥の尾羽がピンと立っている)を挟んで、左右に『大馬印』が2件。正方形の旗で、片方は紺地の白字の「有」の字、片方は白丸に紺地の「有」の字。会場には特に説明がなったので、あとで調べたら、南北朝の武将で細川和泉上守護家初代当主の細川頼有(よりあり)に由来するのだそうだ。

 本展では、展示品に肥後細川家の歴代当主などの肖像が添えられ、「私が使っていました」「私が作らせました」とコメントしている。しかし、甲冑や能衣装はともかく、法螺貝は藩主が自ら使うものなのかな?と、ちょっと首を傾げた。

 熊本藩の絵師・矢野吉重筆と伝える『宇治川・一の谷合戦図屏風』(17世紀)は、左隻・右隻とも少ない登場人物を大きく描いている。合戦図屏風としては珍しいんじゃないかと思ったが、ネットで探すと、ほかにも類例はあるようだ。左隻は海に駆け入った平敦盛と、浜辺から呼び戻そうとする熊谷直実を描く。Wiki「一の谷の戦い」に永青文庫所蔵作品の画像があり、文化財オンラインに東京富士美術館所蔵作品の画像があるが、驚くほど似ている。

 3階展示室の冒頭には『細川家守護天童像』。細川頼之の夢に現れ、細川家の繁栄を予言した童子をあらわしたもの。以前にも見たことがあるが、奇っ怪な木像である。さすが南北朝時代だと思う。徳川家康書写と伝える短冊はオレンジ色の料紙で「人しれぬ恋にわが身は沈めども みるめに浮くは涙なりけり」(新古今1091・源有仁)という恋歌が、線の太い一字ずつ切れ切れの書跡(読みやすい)で書かれていた。

 その隣りに、徳川家光筆『葦に翡翠図』を見つけたときは、声が出そうになった。家光の絵画、大好きなのだが、これは初見かも?! 調べたら、永青文庫さんのツイッターが「\やっぱりあった!徳川家光 の絵/ 探してみたら、永青文庫にもありました!」とつぶやいていた。おそらくこれが初公開だろうとのこと。風になびく細い葦の先にちょこんと乗ったカワセミのとぼけた愛らしさ。ちなみに「葦に翡翠」で検索すると、MOA美術館所蔵の伝・牧谿の墨画がヒットするので、両者の落差が味わい深い。いや、どっちも好きだけど。

 細川家の参勤交代ルートを描いた『海陸行程図』は美しい彩色の折本(19世紀)。瀬戸内海らしい海路の場面が開いていて、なかなかどのあたりが分からなかったが「徳山」という地名が見えた。学問(特に自然科学)好きの細川重賢の名前は、永青文庫の展示を通じて覚えたもの。重賢がつくらせた『草木生写』『群禽之図』などの博物図鑑が出ていた。『天球儀(渾天新図)』は、今回の展示では重賢との関係は示されていなかったけれど、私のイメージの中では結びついている。

 また、細川斉茲は、愛娘の肖像を描いた『耇姫像』『融姫像』が玄人はだしに巧くてびっくりした。特にラフなスケッチふうの『融姫像』がよい。実は2010年の東博『細川家の至宝』展でも「絵画史上注目の藩主」と言われていたことを、自分のブログを読んで思い出した。

 それから『武者かるた』と題して、縦10cm×横5cmほどの短冊に「畠山庄司次郎重忠」「和田小太郎義盛」など、まさに『鎌倉殿の13人』の登場人物たちの名前を記した札10枚が出ていた。これは読み札なのか取り札なのか? いったい、何に使ったものなのだろう…。

 2階には近代の細川家で使われた銀食器セットや大礼服など。また細川斉茲がつくらせた『領内名勝図巻』の名場面(滝の図が多い)の写真と、実景の写真がセットで展示されていたのも面白かった。『領内名勝図巻』は素晴らしいのだが、実景もそれに劣らないことが分かった。

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