シュシュといっしょに週末田舎暮らし

ジャックラッセルのシュシュ&ラブラドールのニコルと一緒に週末は房総で田舎暮らし

ひと月前の事ですが

2018-09-30 11:28:55 | 田舎暮らし

 9月1日の房総です。

約一か月前で、何で今更…なんですが。

なんですが、ちょっと記録しておきたいので、書きます。

 

去年まで、生っても1個~2個だったのに、今年はレモンがたくさん生りました。

(これが一番言いたかった!)

まだ青いけど、4個だけ収穫してみました。

国産、完全無農薬のレモン。丸かじりOK!

私の若い頃は、何故かレモンを皮のままかじるのが流行っていたと言うか、カッコイイと思っていたと言うか、他にどう使っていいか分からなかったのか、とにかく、レモンと言えば皮ごとかじってました。

今は、こんな酸っぱいモン、かじれませんわ。

さて、唐揚げにかけるだけじゃもったいない。たくさんのレモンをどう使いましょうか。

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そして、ポポー。

今年はたくさん花が咲いたので、期待してたのに、結局2個だけでした。

これもまだ青いけど、10日ほど追熟させて、ほどよいあんばいになったので食べました。

バナナのような、カスタードクリームのような、やっぱり美味しい~!

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7月21日以降、隔週にしかセカンドハウスに行けてません。

台所のカーテンを開けてびっくり。

クズの蔓がこんなに伸びて、家を覆う勢いです。

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そして毎度おなじみの、草ぼうぼう。

先ずは入るのにも困難だった入口を刈りました。

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それから、花壇。

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草刈りの途中で見つけたタマムシ。

ぱっと手のひらで包むようにしたら、簡単に捕まりました。

こんなに目立つ色して、こんなに鈍(ニブ)ちゃんだったら、生き残るの大変だよ。

昔は、タンスに入れておくと着物が増えると言われてましたが、今や断捨離の時代。

あまりタンスに服が増えても困るので、君の需要は無いのよ。

ブラのコップに入れて写真を撮った後、逃がしました。

もう捕まるなよ~!

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今年も新米が

2018-09-19 10:37:31 | 日記

今年も兵庫のメイちゃんちから、美味しい美味しい有機栽培の新米が届きました。

週末は房総だろうからと、わざわざ10日の配達指定にしてくれたのに、すみません。

鳥取に行っていて受け取りが遅くなってしまいました。

私達が鳥取にいる間、メイパパさんとメイママさんも鳥取に行ってたとか。

まあ、偶然にも近くにいたんですね~。

やっぱり私達何かある?運命?赤い糸?

 

ここ数年、記録的な猛暑や異常気象で、お米を作るのもひと苦労だと思います。

苦労の末の貴重なお米です。

袋を開けると、真っ白なお米が目に飛び込むと同時に、ふわっと新米の香り。

左手でお米をすくって、右手でスマホのカメラボタンを押したら、無器用なもんでピンボケました。

だけど分かってもらえますよね。

白くて透明で、お米って何でこんなに綺麗なんでしょう。

 

最近は、白米に発芽玄米、もち麦、黒米を混ぜたご飯を食べてますが、新米ですもん、そりゃあもちろん混ぜモン無しのピカピカ白米よぉ。

 

お茶碗いっぱいによそって、モリモリ食べるのもいいけど、まずはちびっとよそって、噛みしめ噛みしめ。

おかずも、焼き鮭と小鉢とお味噌汁と、義母が漬けたラッキョウだけ。

今日はご飯が主役です。

はぁぁぁ、なんて美味しいんでしょう。

日本人に生まれてよかったわぁ。と、しみじみ思います。

メイパパさん、メイママさん、本当にありがとう。

ご馳走さまです。

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9月9日という日

2018-09-17 13:10:02 | 日記

義父は9日に亡くなり、10日通夜。11日に告別式をしました。

義父は次男でサラリーマンでしたので、今までお寺との付き合いも無く、新たに檀家の手続きやら何やら、大変大変。

しかも関東とは、葬儀のやり方も違うので、喪主である夫は、かなりテンパってました。

葬式をして分かったのですが、義父も義母も、この地でかなり広く深い交流があるようで、しかも関東では考えられませんが、一般人も訃報が新聞に載る(というか、載せる)ので、いちいちお知らせしなくても、葬儀場だけでなく、自宅にも引っ切り無しに弔問客が来られて、義母は義父が亡くなった日から自宅に戻って、その応対をし、私は葬儀場に直接運ばれた義父の隣で葬儀まで過ごしたのでした。

昔は…と言ってもついこの前までだと思いますが、線香は絶やさず灯しておくものだと思ってましたが、昨今は火事の心配があるので夜は消すそうです。

何でも合理的というか簡素化というか…。

時代と共にいろいろな“しきたり”が変わってしまうと、親から子へ伝えるモノも無くなるなぁって、ふと思ったりして。

 

さて、バタバタ、すったもんだしながら、一連の儀式は終わりました。

ところで、義父が亡くなった9月9日は私達の結婚記念日でした。

しかも今年は節目の40年!

とーちゃん、なんでやねん。…と、つい突っ込みを入れたくなります。

でも、夫が葬儀の時に「9月9日は私の結婚記念日です。父は、ワシを見習って夫婦仲よう(良く)元気に暮らせよと伝えたかったのでしょう。肝に銘じてこの特別な日を大事に刻んでいきたいと思います」と挨拶しました。

そうね、その通りね。

義父はとっても穏やかで優しい人でした。

私はもちろん、夫も、生まれてから一度も叱られたことがありません。

そんな優しい義父を、40年間“お父さん”と呼べたことは幸せな事でした。

これからは9月9日を、結婚記念日から命日に変えて、義父を偲んで過ごしましょう。

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義父永眠

2018-09-17 11:45:34 | 日記

鳥取の…夫の父が亡くなりました。

夫が「先月帰省した時オヤジだいぶ弱ってたから、連休にまた帰ろうか」と言い、この三連休に帰るつもりでした。

弱ってたと言っても、普通に会話し、足元フラフラであっても自分でトイレに行ってたので、そんなに深刻じゃなかったんです。

ところが8月31日に自力で立てなくなって、急きょ入院。

その時は回復後のリハビリの話までしてました。

それでも、どうせ帰省するなら早い方がいいと思い、7日に飛行機の手配をしたのでした。

義姉も「そんな度々帰ってこんでもええが」って言ってたんですが、容態が急変し、7日の飛行機でも間に合うかどうか…になってしまいました。

 

義姉が「弟が来るまで、なんとか…なんとか」と必死でドクターに頼んでくれたおかげかどうかは分かりませんが、飛行場から病院に直行した時、義父は酸素マスクをして大きく息をしていました。

お義父さん、待っててくれたんだ。

それから二晩、一度も目を開けることも無く、言葉を交わすことも出来なかったけど、個室で義父は、妻と娘、息子と嫁、孫と一緒に過ごしました。

義母と義姉と夫が、「覚えとんさるか?お父さん〇〇しんさったが」「さぁ、あーして、こーしてなぁ」などと懐かしい昔話をすると、ぴくって反応してたから、きっと聞こえてたんでしょう。

義父も「さぁ、さぁ、そんな事もあったなぁ」って。

 

『ふるさと』は鳥取出身の岡野貞一が作曲した歌。

私は義母と義姉がいない時に、そっと義父の枕もとで歌いました。

兎追ひし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷

如何にいます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思ひ出づる 故郷

志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は靑き 故郷
水は淸き 故郷

途中、歌詞を忘れて、つっかえ、つっかえ。

ほろほろと泣けました。

義父は懐かしい昔話と、嫁の音痴な歌を冥土のみやげに、9日の朝、93年の生涯を閉じ、旅立ちました。

コメント (4)
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