このブログを終わりにしようと思います。
『ノエルのしっぽ ほたるの瞳』の主がいなくなり、表札がそのままで違う住人が住んでいるような、ちょっと心地悪い感じがするので。
ほたるがいなくなって、1ヵ月が経とうとしています。
このブログをはじめて4年が過ぎました。
ブログのおかげで、普段なかなか会えない知人友人に近況を知らせる事が出来た事、写真や記録が残った事、たくさんの想い出を残せて本当によかったと思います。
ノエルとほたるはずっと心の中に生きています。
だけどこれから先の私の未来を一緒に歩く事はもうできません。
ノエルとほたるは、このブログと共に、私の大切な想い出の箱に仕舞います。
今までたくさん楽しかったように、これからはシュシュとかけがえのない想い出を作っていきます。
今度はシュシュの表札を掛けたブログに引っ越します。
それは明日なのか、ひと月後か、一年先なのか分かりませんが、その時はまた覗いてください。
このブログはこのままにしておきます。
時々ノエルとほたるを思いだしたら、会いに来てやってください。
(最後にひと言でもコメントをいただければ幸いです)
今まで読んでいただき、ありがとうございました。
家の中で、しかも新築の家で犬を飼うなんて、もってのほかだと反対する夫を説得して、何年も前からずっとずっと欲しかった憧れのラブラドールを手に入れました。
家の中で、野生のノエル(笑)を飼うのは思っていたより1万倍大変だったけど、ノエルとほたるとの生活は思っていたより100万倍楽しいものでした。
ムックにざんげした通り、どんなに仕事が徹夜続きでも公園で散歩して、運動して、遊んで、一日の終わりに「今日も楽しかったねぇ」と言いました。
それは、ほたるが患っている時も何かほたるが喜びそうな事を見つけて、欠かさず言い続けました。
山や、海や、野原や、花や木…全然興味が無かった私の、価値観や人生観をまったく塗り替えてしまった犬達。
生きる事、死ぬという事を教えてくれました。
産まれて生きて死ぬという自然の営みを、ただ素直に受け入れて静かに去っていく。
私もそれをただ素直に受け入れるのみ。
犬を飼う前、私は都心に勤めるサラリーマンでした。
朝早く起きて息子と自分の分のお弁当を作り、スーツを着てハイヒールを履き、7時過ぎに家を出て帰りは9時、10時はザラで、終電という事も珍しくありませんでした。
そんな時、犬が欲しくて欲しくてたまらなくなりました。
団地住まいだったので、まだ建築中の建売り住宅を、他も見ないでその日に即決しました。
特別気に入ったわけじゃないのに、ただ『犬が欲しいから一軒家』という理由だけでの衝動買いでした。
それから会社を説得して、自宅勤務にしてもらいました。
自宅勤務なんて異例だったし、今じゃ当たり前だけどその頃は社会的にもあまり“前例が無い”事でした。
パソコンも旧式だったし、メールだって今みたいにボタンひとつで、ハイ送信って時代じゃ無く、FDを宅急便で送ったりもしてました。
そんな時代によく許してもらえたなぁって、今更ながら感謝しちゃいます。
小学生の頃、隣の家の軒下で産まれた雑種の犬を、親にねだって飼いました。
毛がフワフワだったのでムックと名付けました。
ムックが2、3才の頃、庭で離していたら門から出てしまい、「そのうち帰って来るだろう」と思っていたらどこかで殺鼠剤を食べて死んでしまいました。
今思えぱ、世話だってちゃんとしてやらず、いなくなってもちゃんと捜してもやらず、ひどいひどい飼い主でした。
この時は自責の念と後悔とで、1ヵ月…2ヵ月…3ヵ月…、ずっとずっと泣き続け、ご飯も食べられずに痩せこけてしまいました。「いっそ私なんか餓死して死んでしまえ!」と自分を責め続けました。
そして一生犬は飼わないと心に決めていました。
それから25年、犬を飼いたいっていう思いをずっと封印してきました。
それでも、どうしてもどうしても欲しくなり、「ムックにしてやれなかった事、ムックの分までしてあげるから、どうか許して」と懺悔して、飼う事にしました。(長くなったので、つづく)
(右から エマ、ジョディ、まる、ゴン、ほたる、ノエル)
一番若いほたるを最後に、もうみんな天国の住犬です。
この頃の公園にはゴールデンとラブだけでも、この写真の5倍6倍の頭数がいました。
大型犬だけで何十頭いただろう。小型犬が主流の今とは、公園の景色が全然違います。
17年前。初めてみんなで行った旅行。浜名湖のクッチェッタ。
1月3日。真冬に泳いだ幕張の海。
初めての猪苗代湖。この後何回か行きました。
初めての軽井沢。ほたるがうちに来て2ヵ月だったから、ちょうど15年前だね。
この頃は、自分の犬もよそんちの子も無く、みんなひっくるめて一緒に楽しんでました。
写真には残って無い、いっぱい、いっぱい、いっぱいの犬達。 みんなみんなありがとう。みんなみんな宝物。