*家康はプロテスタント派キリスト教徒ウィリアムス・アダムスより血にまみれたイエズス会の歴史(西インド諸島原住民皆殺し、スペインにおける異端審問など)を知り、イエズス会を追放し、プロテスタント派に日本との貿易独占権を与えた。
*明治6年キリスト教(イエズス会)禁止令が撤廃され、天皇は長年の国教であった仏教を保護することをやめた。
明治天皇はイエズス会の将棋の駒であった。
*イエズス会は天皇の軍隊をもって、イエズス会の旧敵、中国(1895年)、ロシア(1905年)に対する戦争を起こさせた。(両国はともにイエズス会を追放している。)
*ユダヤ・イルミナティ・イエズス会の売国奴・手先である伊藤博史、岩倉具視、大久保利通らが孝明天皇(睦仁親王)を弑逆(しいぎゃく)し、ニセ明治天皇の大室寅之祐にすり替える。
*明治天皇は、ほっそりとした16歳の少年であったはずなのに、明治改元とともに東京に遷都された明治天皇は体重24貫の大兵、相撲、軍事訓練に精通しておられた。
*ご立派な明治神宮と比べて、孝明天皇をご祭神とする玉鉾神社は無各社(名もないほこら)である。
*300人委員会の前身である英国東インド会社は私的営利企業であり、株式会社である。私的営利企業株式会社がインドを植民地として支配していた。
*西郷隆盛は、明治維新第一の功臣であるのみならず、当時の日本にただ一人の「陸軍大将」だ。
その西郷が、「腐臣のたむろする皇室に反逆の剣を差し向ける」「わが忠誠は[日本]にこそあり」と、すでに明治6年、意を決していたという。これは、どうでもよいような歴史上の些事(さじ)ではあり得ない。
西郷は、日本と天皇はもはや一体ではない、「天皇=日本」ではなくなってしまった、天皇は腐臣どもに取り込まれたと見た。その「腐臣」は誰を指しているのか。
「腐臣」の元凶は、岩倉、三条と大久保利通そして木戸、山県、伊藤、井上らの長州閥である。何がゆえに、彼らは「腐臣」と呼ばれねばならないのか。
彼らは、西洋式「文明開化」に毒された官僚になってしまったからである。
そして、天皇もまた、これら西洋かぶれ、西洋に毒された腐臣の道具、その手駒、その傀儡と化してしまったのではないか。
天皇は日本と縁が切れた。天皇は日本にあらず。ゆえに、西郷は天皇に対し、皇居に対して刃を向けざるを得ない。これが明治6年、西郷の本心だという草森説は正しいと私は思う。
*昭和天皇は、明治天皇、大正天皇に続き、1929年(昭和4年)、英国王(ジョージ5世)からガーター騎士団(ガーター結社)の一員に任命された。れっきとした大英帝国の構成員、以外の何者でもない。
西郷隆盛的陸軍の影響力が残存している限り、大英帝国ガーター騎士団員としての昭和天皇の性質は、常に陸軍との間に葛藤を生じさせた。
しかし、今や日本陸軍は敗れ、敵(ユダヤ・イルミナティ世界権力)が日本全土を占領し、そこに大英帝国ガーター騎士団員としての昭和天皇が出現した。つまり、昭和天皇は、英国王の臣下の一人なのである。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
◎ 大戦後、米好戦派はソ連/ロシア 中国に対する先制核攻撃を計画し続け、日本はその道具
アメリカ軍が日本を守るという話はメディアが広げた幻想にすぎない。
例えば、1947年5月7日付けのAP電は、ダグラス・マッカーサーが天皇に対してアメリカが日本の防衛を引き受けることを保証したと伝えたが、マッカーサー本人は報道の内容を否定している。
アメリカ軍による占領を正当化するための情報操作だった可能性が高いだろう。
米英(アングロ・サクソン)の支配層が何を考えているかを知るには歴史を振り返る必要がある。さかのぼり始めると限りがなくなるが、とりあえず第2次世界大戦の勃発から始めることにしよう。
ナチス体制を危険だと感じたソ連は1938年にイギリスやフランスに同盟を呼びかけるが拒否され、次善の策として39年8月にドイツと不可侵条約を結んだ。
この後、ドイツ軍は1941年6月に「バルバロッサ作戦」を開始、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫る。
11月からソ連軍が反撃に転じ、ドイツ軍25万人は包囲された。生き残ったドイツ軍9万1000名は1943年1月31日に降伏、2月2日に戦闘は終結した。
この間、ルーズベルト大統領はソ連を支援しようとするが、反対が強く、実現していない。
米英のライバル、ドイツとソ連を共倒れにさせようというわけだが、ドイツの敗北を見てアメリカ軍は活発に動き始める。
1945年2月にはクリミア半島のヤルタでルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、ヨセフ・スターリン露人民委員会議長が集まって会談、大戦後の問題や国際連合創設、またソ連の対日参戦などが話し合われた。
チャーチル英首相はアメリカやドイツと連合してソ連を奇襲攻撃しようと目論む。
一方、ソ連はヤルタ会談での合意に基づいて8月8日に日本へ宣戦。アメリカは8月6日に広島へ、8月9日に長崎へ原子爆弾を投下したが、ソ連参戦を意識してのことだろう。
大戦が終了した後もチャーチルはソ連を破壊する夢を捨てていない。
このチャーチルは貴族階級の出身で、父親のランドルフ・チャーチルは46歳のときに梅毒が原因で死亡している。生前、ナサニエル・ロスチャイルドから多額の借金をしていたことでも知られ、その額は現在の価値に換算すると数百万ポンド、つまり数億円。
息子がロスチャイルドと無縁と言うことはありえない。
実際にソ連を先制核攻撃する準備が始まったのは1957年初頭で、「ドロップショット作戦」が作成されている。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うというもので、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたともいう。(前掲書)
この後もアメリカは先制核攻撃を目論んでいる。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201605030001/
HWの息子は大統領になるとすぐに中国脅威論を主張し始めるが、これはマーシャルに言われたことを言っていただけ。1991年にウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると語っていた。
21世紀に入ってウラジミル・プーチンがロシアを自立した国家に復活させてしまう。
それでもアメリカの支配層は「予定」を変えない。
東アジアでも軍事的な緊張が高まる。その切っ掛けを作ったのは海上保安庁。2010年9月、「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を取り締まったのだ。
2011年3月に福島県沖で大きな地震があり、日中関係悪化の流れは断ち切られた。その流れを復活させたのは石原親子だ。
マスコミも日本と中国との関係が悪化するような雰囲気を作り上げ、アメリカの支配層を喜ばしている。
ライバル同士を戦わせ、疲弊させて漁夫の利を得ようというのはアメリカやイギリスの常套手段。日本と中国も戦わせたいはずだが、その思惑を田中角栄が潰していた。
ここにきてアメリカは盛んにロシアや中国を挑発している。
マスコミはアメリカや日本による挑発には沈黙を守る一方、中国の脅威を誇張、あるは捏造して軍事的な緊張を高めている。
「マラバル」と同じタイミングでNATOはロシアの目と鼻の先で大規模な軍事演習「アナコンダ」を行っている。「第3次世界大戦」の予行演習とも言われている。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606150000/
尖閣詐欺に釣られる前に、日中漁業協定読まなきゃだめでしょう…
CIAが漁船に紛れて工作員を送り込んで日中揉めさせるのを、中国側が監視しているわけです。
これは、紛争予防のまともな手段です。
前に尖閣諸島に上陸した中国人は、チベットデモで中国旗燃やしていたCIA工作員で、米国留学していた台湾系香港人でした。その前に海保が体当たりしてバトルになった漁船も同じようなものでしょう。
「日中漁業協定も読んだことがないような記者が、こういう記事を書いているのでしょうね。
ご承知のように、尖閣については領有権で日中は折り合わず、従って12カイリの領海、その外側12カイリの接続水域、さらに200カイリの排他的経済水域に至るまですべて折り合わない。
しかしそれでは両国の漁民が困るので、97年の日中漁業協定で『暫定措置水域』を設定して、そこでは両国の漁船はお互いに、相手国の許可を得ることなく操業でき、両国の公船は自国の漁船についてのみ取り締まる権限を持つことにした。
今回の事態は、中国側が設定している禁漁期が8月1日までなので、待ちかねた中国漁民がドッと押し寄せたというだけの話です」
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/08/22/8159791
◎ クリルを日本に渡すのは危険極まりないことは、ロシアもよくご存じでしょう。
クリルの松輪島にも、旧日本軍基地があり、零戦も配備されていましたし。
かつて大戦時に、隙あらばソ連攻撃を目論んでいたアメポチ日本軍。 松輪島の日本軍基地は、標的がロシアだということはあからさまです。
◎ ポツダム宣言と 領土 本来は ロシア 韓国 尖閣の領土問題など存在しない
1946年1月に出された連合軍最高司令部訓令によって、連合国は日本に帰属する小さな島々を決めた。
その小島は「対馬諸島、北緯三〇度以北の琉球諸島等を含む約一千の島」で、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹等を除く」とされている。国後島と択捉島は千島列島の一部で、本来なら、日本は韓国やロシアとの間に領土問題が存在しない。
尖閣列島について、1895年1月に閣議決定を経て正式に日本の領土として編入されたと日本政府は主張、「1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認」したとしている。
ただ、この閣議決定は官報に掲載されず、つまり外部に公表されていない。公表したくない事情があったと勘ぐられても仕方がない。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201505210000/
◎ 尖閣諸島は中国の領土である
アメリカの幕引き
2013.01.30
ワシントンポストがわざわざ社説で、日中が、アメリカの支援で尖閣問題を棚上げにすべきだ、と書いています。
毎日新聞 2013.01.28↓
アメリカの支援で尖閣問題を棚上げに、と言われても、もともとアメリカが仕掛けた緊張状態ですから、典型的なマッチポンプですが、ともかく、アメリカは尖閣問題を幕引きにしたいようです。
先占の理屈は成立しない
ところで、共産党の志位書記長が「先占」という理屈で、尖閣は日本の領土だと主張しています。
先占とは、①先に見つけて取った ②その事実を世間に公表した、という意味です。
これがあれば、国際的に領有が認められることに一応はなっているようです。
しかし尖閣については、「先に見つけた」というのが、まずウソです。
尖閣は釣魚台として、中国の地図にも日本の地図にも載っていますし、琉球と明国、清国との長い交流の中で、航路の途次の島として認識されてきました。1877年の英国海軍の調査でも明確に中国領として記載されています。
1885年に沖縄県令は日本政府に、「あれは中国の地図にある島かも知れないから要注意」と言っており、日本政府は英国海軍の地図を持っていたわけですから、「先に見つけた」ということはありません。
次に、「領有した」ことを世間に公表していません。逆に、世間には秘匿しました。
魚釣島に国の標識を立てたい、という沖縄県令の希望から10年、ときどき尖閣に軍艦などを派遣したり、上陸調査などはしていたでしょうが、それで分かるのは、何回か行ったけれども、そこには何の標識も無いし、人もいないし、周囲に漁船もいませんでした、ということだけです。
それをもって、釣魚台が誰のものでもなかった、ということにはなりません。
しかし1895年1月14日、日本政府は閣議決定をもって、尖閣領有を強行しました。日清戦争で清国海軍が撃破され、2週間後には講和使節が日本にやってくる、というタイミングです。
しかも日本政府は、尖閣を領有したことを誰にも発表しませんでした。英米露仏独に公表していれば、当然、清国には筒抜けになり、そうなれば講和会議の議題になるか、清国大使が怒って帰国するかの事態になっていたでしょう。だから公表しなかったのです。
こういうわけで、先占の条件の①も②も成立していませんから、志位書記局長の言う「先占」の理屈は成立していません。
日本がやったことは、「落し物を拾って、交番に届けずに、黙って自分の物にした」のと同じことです(むろん、尖閣は落ちていたわけではありませんが)。交番に届けるとは、列強と清国に通告することです。
尖閣は、国際司法裁判所に提訴されたら、日本が負けるでしょう。
http://www.minusionwater.com/senkakushotou3.htm
☆ 日本人は みんな 火病で噓つき?
日本は 異邦人田布施に支配されています。 そして、歴史の嘘は、どうやら、その 田布施の脳 に関係ありそうです。
という 閉じられた社会で 守っていた 血 とはなんなのか、そこから生まれる 特殊な 脳 とは なんなのか。
人間の皮を被った 悪魔、だれよりも 金持ちで 誰よりも 天使扱いされるもの とは 一体 なんなのか。