京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

わが町では個性的で一番多くに知られていた人ではないか? 前京北猟友会会長が亡くなる。

2021年03月12日 | 狩猟

わが町唯一の葬儀場で

一昨年11月の神宮大麻頒布式の前に彼から電話があり「心臓手術のために頒布式の準備を手伝えない」との電話がありました。

彼はその2年ほど前から私が引き受けている兼務社のお宮さんの一社の総代をやってくれていました。

その兼務社でその年の頒布式をやる事になっていて斎主は宮司の私ですが総代さんが準備などを仕切ってくれる習わしになっています。

頒布式の祝詞を奏上する続きに参列者(美山町、京北町の宮司と総代)に前もって断ってこの神社の総代である彼の病気平癒の祝詞を読みました。

その後の話になりますがその時の心臓手術は成功したのですが脳梗塞を発症してその後は寝たきりの状態で見舞にもいけない面会謝絶とのことでした。

また。不幸なことに続けて奥さんが国道でクルマにはねられ腰骨を複雑骨折するような重症を負われてしまいました。

不幸は重なるとよく言われますがまさにその通りになってしまわれました。今の奥さんは子連れの再婚、彼も再婚ですが子供はいません。

お互い再婚ですがすごく仲がよくウインチ付きの軽トラ(今私が譲り受けて使っているもの)に乗って猟友会の連絡や届け物をしてくれていました。

これだけ書いたら良い個性的とか街一番の人気者のように見えますが再婚するまでは真逆の人だったのです。

親がこの地域でも有数の大山主で一人息子のために使い切れないぐらいの財産を持ってワガママと短気を併せ持って好き放題をしてこられました。

二巡目の国体が京都で開催された時我が家の上流に出来た射撃場で10数年前に管理の悪さから沈殿池の鉛が流失して井戸に流入して射撃場は閉鎖になりました。

もちろん我が家の井戸もそれ以来使用不可能になり水道を引くことになりました。下流域の集落の殆どが射撃場再開禁止の署名が出され未だに再開はされていません。

私は射撃場が出来る前の説明会では頑として反対しました。しかし、集落の会合で賛成が反対を上回り国体が開催されてからは射撃場を積極的に利用していました。

また鉛の撤去がすんだあとは射撃場を再開すべきという考えには変わりなく膨大な国民の税金を使った以上、廃棄するのは税金の無駄遣いと思っています。

それを彼は勘違いして、と言うより以前から街から来た私に対する反発心もあって、イキナリいつものように血が頭に昇ってしまい、私と一緒に猟をするくらいなら狩猟をやめるとまで言い出したので京北猟友会には席を置きながら私がこのあたりの狩猟グループから抜けて美山の友達のグループに入れてもらっていました。

タイトルに書いた「個性的で一番多くに知られた人」と言うの「わがままで、短気で、直ぐにブチ切れて、手に負えない人」と言うので町で有名だったのです。

しかし、先に書いたように再婚されて奥さんとは仲が良く、近年は人当たりも良くなり私の兼務社の総代になって地域に貢献してくれていました。

やはり、家族関係で人の一生は決まるようですね、彼にとって今の奥さんが晩年の安らぎを持って来てくれたように思います。

昨晩のお通夜は宮司として、今日の葬儀は元猟友として参列しました。奥さんが喪主でしたがまだ交通事故のキズからか?歩行に支障があるように見えました。

総代になって以後は私との刺々しい態度も無くなっていました。一昨年病気平癒を祈願して1年余りで亡くなりましたがやはり寿命は決まっていたのですね。

私より10歳ほど年下ですが彼もやりたいことを好きなだけやって人生を終えたのだなあー。周囲に迷惑を掛けっぱなしで、私に近い人種だったのですね。

 


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