私は今生きているこの世がすべてであり、前世とか、来世とかは信じていません。
アメリカインディアンの昔からの言い伝えの中に共感できる言葉がたくさんあります。
メモっておいた中で生死観について私の生死観に同じ物があったので紹介します。
>地球を創った創造主は男と女をつくり終わると、動物と人を集めて相談しました。
「さてと、この世をどんな仕組みにしたものか。これからお前たちはどんどん殖えてゆくが、
死んでしまったらどうしたい?死んだままがよいか、それとも生き返りたいか?
男が「生命はこんな風がよい」と、野牛の骨を湖に投げ込んでみせた。
骨はいったん消えてから水面に浮かんできた。「死ぬけれど、また生き返るのがよい」というわけだ。
すると熊が反論した。「そうしてら地球はすぐにいっぱいになってしまって、食べ物がなくなる。
死んだら終わりにした方が、生きている間の喜びや楽しみが増える。
その後は新しい世代に任せるのがよい」と言って、岩を湖に投げ込んだ。岩は沈んだきり戻ってこなかった。
それを見ていた創造主は「それでは生命は岩のようになるべし」と決めた。
グロス、ベントレ族の伝説<
やはり、アメリカ・インディアンも我々と同じ先祖を持つ人たちですね。
前回の①の続きでお読みください。
>相手を認める気持ち
神道は、八百万の神(ヤオヨロズノカミ)をお祭りしています。お釈迦様はインドの神の一柱であり、
イエス・キリストは中近東の神さまの一柱として受け入れてきました。
相手の信ずる神さまを絶対に受け入れないという一神教の考えはありません。
相手の信ずる神さまの良いところを取り入れる大らかな民族、お互いの信ずる神さまが違っても攻撃すること無く受けいれ、
仲良く暮らしてきたのが日本人です。
近年殺伐とした事件が多発するのは自分だけが絶対に正しく、相手は間違っているという偏狭な思想や宗教やはびこって来たからです。
神さまを信ずる人の日頃の心構へは
明浄正直(メイジョウセイチョク)
明るくあれ 清らかであれ
正直であれ 素直であれ
この四文字を心がける事が神道の根源です。
人に好かれる要素であり、神のご加護を受けられる資格でもあります。
神社と神棚とお守り
神社は公衆電話です。多くの人がお詣りする事で神さまに通じやすくなっています。
神棚はホームテレホンです。家族の願いが通じるところです。
お守りは携帯電話(スマホ)です、一人一人が神さまに通じているのです。
神さまのご加護を願って
心だに誠の道に叶いなば
祈らずとても神や守らん
(正直な人間はあれこれ祈らなくても神さまの守りを受けられる)
敬虔に生きるものに、特別な宗教の教えはいらない。<
>日本人は 良心を持った人たちが神さまを祭れば 必ず良いことが起こると信じてきました。<誰かの書かれた好きな言葉。
①②合わせて私の名刺に添えてお渡ししている私の神道観です。①からが順番です。
追信
ご感想などコメント欄にいただけたら有り難いです。次回は私の生死観についてよく似たインデアンの言い伝えを紹介します。
私は日頃から「神道は宗教では無い」と思っています。神道には宗教の必須条件である、三つの条件が有りません。
一、創始者 二、教典 三、決まった信者 だから神道は宗教ではありません。では何か?
信仰です。「信仰」とは?「神または仏の存在を信じ、心身を打ち込んでこれをあがめ尊ぶこと」(広辞林より)です。
他の宗教のように教典に従って説明出来ませんので問われれば感ずるままに神主自身が説明しなければなりません。
説明するのは面倒なので私は自分の思う神道についてA4版一枚に書いて名刺に付けて読んでもらっています。二回に分けて書きます。
>神道(シントウと澄んで読む)とは
日の本に生まれ出でにし益人は 神より出でて神に入るなり
この歌の意味は「日本の国に生まれてきた人は、神に御霊(ミタマ)をもらって生まれ、亡くなればまた神の御霊に戻って行く」
子供たちはすべて、穢のない清らかな神の子として生まれてきます。だから子供たちは誰からも愛されて守り育てられるのです。
そして日本人は一生を終えると、魂は神となって子孫を守ってくださいます。神道では、今のこの世、現世がすべてなのです。
現世を大切に、悔いのないように生き抜く事が一番大切とします。
神道の基本は「敬神崇祖」(ケイシンスウソ)
神を敬い先祖をあがめる(尊いものとして扱う)ことです。神道では人は亡くなれば神さまになります。
近い先祖を仏として祭り 遠い先祖を神として祀る と日本では言われてきました。
神さまが見ておられるよ
日本人はみな神の子として生まれてきます、なぜなら、亡くなったご先祖を神として祀る子孫だからです。
いつも神さまから守られているのです。だから我々子孫も神さまの目を意識して行動しなければなりません。
誰も見ていないところでも、悪いことをしてはいけないと戒めているのです。「神様が見ておられるよ」と。
先祖のタタリなどありません。
神道では亡くなったら神さまになり、子孫たちを見守ってくださいます。あなたの両親やお爺ちゃん、おばあちゃんは、
あなた達かわいい子孫に祟りや呪いがふりかかるようなことは絶対に望みませんよね。
まして、もっと先祖の神さまたちが子孫に祟るなどありえません。<続きは次回のカテゴリー・神主(信仰)に。
追信
感想などをコメント欄にお書きくだされば有り難いです。
前書き(長らく休んだ言い訳?)
健康を害したからではなく、いたって元気です。武漢肺炎(今や旧型コロナウイルス)騒ぎの延長で何だか虚しくなりました。
以前からFBはやっていましたが発信はあまりせずにコメントを入れたり”良いね”を押したりするだけのものでした。
コロナ騒ぎで身内や友だちに会う機会が少なくなりましたのでFBで毎日発信してまだ元気に生きている(遊んでいる)のを確認してもらっています。
コロナ騒ぎが起こってから1年半になりますが日本の国は(世界もですが)進化が止まりましたね。特に政治の退化とマスゴミのゴミ化がヒドイ。
暴力革命による世界の共産主義化が失敗し、本来の世界のグローバル化による共産主義化が勢いを増してきました。
日本国民としてイカに老いぼれたと言えども黙っている訳には行かなくなってきたと判断して以前にも増してグニモツカナイ独断と偏見のブログを再開します。
「御用とお急ぎでない方」は時々見てやってください。未だ引退もできずに神主を続けていますがもう仙人の歳になってしまいました。(神通力はありませんが)
これからは「京都北山細野の神主」改め「京都北山の仙人」とでもタイトルを変えたいと思っていますが変え方がわからないので副タイトルで誤魔化します。
今でもこの辺り(京北町細野)の三社のお宮さんの宮司を引き受けていますのでカテゴリー「神主(信仰)」から再開します。
何べんも言いますが「神道は宗教ではありません」が私の基本姿勢です。これについてはオイオイ書いてゆきます。
まず最初に次の詩を読んで下さい。昔から私の好きだったものです。
>ニューヨーク市立大学のリハビリセンターの壁にある患者の書いた詩<から引用
>大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと、神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことが出来るようにと、健康を求めたのに、より良いことが出来るようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を享楽しようとし、あらゆるものを求めたのに、あらゆるものを喜べるようにと、生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた、神の意にそぐわぬ者であるにかかわらず。
心のなかで言い表せないものは、すべて叶えられた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。<引用終わり
宗教ではなく信仰に気付くのはこの詩ではないでしょうか?まず、じっくり、ジックリ、味わってください。
続きは次回のカテゴリー「神主(信仰)」に。
何時もは正月三が日にお参りしてお札を受けていましたが今年は4日にゆっくりお参りしました。
お昼少し前にまったく道路に雪が無い周山街道を走って嵯峨野にでてケンタッキーフライドチキンで妻とランチセットを食べて松尾大社へ。
何時もはこの時期駐車場も一杯、参道の両脇には屋台と人がギッシリでしたが、コロナ騒ぎで屋台は無し、人もまばらでガラガラでした。
困った時の神頼み、疫病退散を祈願して始まった祇園祭も昨年は中止でした。
何のための神社信仰?日本人は神を祭り、神に願って幾多の国難を乗り切ってきた民族なのに、どうなってしまったのでしょう?
信仰心を失った日本民族に対する神の啓示ではないのかと私は思います。
これは信者よりも観光客に浮かれた神社界に対する神様からの警告でもあります。
以前読んだ、何処かの神職が書かれた文章を私は大切に思っています。
「日本人は 良心を持った人たちが 神さまを祭れば 必ず良いことが起こると信じてきました」私はこの文言を名刺に書いて見てもらっています。
神祭りの主催者神主がビビッてどうするのだ。頑張ろうよ、神主ども!
観光客が戻らないうちに信仰者のための神社信仰に戻そうよ。
神祭りは何も神社へ毎日出かけなくても神宮大麻(伊勢神宮のお札、地域の氏神様で受けられます)と住んでいるところの氏神様のお札を神棚に祭り、毎朝お参りすることも立派な神祭りなのです。
祭りは観光客を集めるイベントではないということを再確認する良いチャンスです。
先にも書いた「困った時の神頼み」。日本人の信仰はこれから始まりこれで終わる、で良いのです。
「感謝」「お礼参り」は聞いてもらってからでも間に合います。
不幸や災難は神さまにも分担してもらい切り抜けてきたのが日本人の習慣でした。
京都北山山中の細野地区の三社のお宮さんの歳旦祭を午前中にご奉仕してきました。
朝7時の我が家の気温
この地に引き越してきて40数年、元旦の最低温度です。この時期何時もなら寒くてもマイナス5度止まり、こんな寒さは初めて。
5時に起床したころはマイナス8度、7時に家を出る時はもっと下がる。
幸いに年末の天気予報が外れて良かった、寒かったこの気温で野外ですから寒いこと、タイツ2枚、シャツ2枚重ね着、祝詞持つ手が固まってる。
神主の装束は夏暑く、冬涼しいから堪えます。最初は8時から、次のお宮さんは9時半から、最後は我が家のある集落のお宮さんが11時から。
始めの二社は水道もトイレも有るのですが私の本務社の集落の氏神さんにはトイレも水道もありません。もよおしたら向かいの300メートル先の公民館のトイレへ駈け込まなくては。
来た当初、宮司を引き受ける前から私も出すから寄付を募ってトイレを作ろうと提案してきたのですが聞き入れてもらえませんでした。
今になって氏子も10軒ほどになり金銭的な負担は難しくなって、私も歳を取って近くなるし、寒い今年のような冬には堪えます。
何しろこのあたりの人たちは私のような外来種の言うことは何かにつけて反対するという習性があるので諦めています。
今朝の本殿と雪
天気予報に反して年末年始の雪はご覧の通り平年並みです。右に見える大きな絵馬を見てください。
年末に新調し奉納しました
以前6年前に寄進した絵馬は古くなって見難くなったので同じ大きさ(コンパネ1枚分)で文言を改めて作ってもらいました。
4月からは「自衛隊の応援団長の集い」の前に「自衛官の武運長久を祈る」月次祭を行って自衛隊員の無事を祈りたいと思っています。
「今年こそコロナ騒ぎを克服して良い年になりますように」と祈願するのを忘れていました。ドジですね。相変わらず。
ドジのついでに年末のドジを白状しますが、30日に西八条の親戚の仕出し屋に長男がプレゼントしてくれるおせち料理を取りに行きました。
何時ものように昼飯もここで食べるつもりでしたが年末はおせち料理に専念して食わせるものが無いというので讃岐うどん屋に行って食べました。
入れ歯が緩んでいるので歯に食ったものが挟まり、入れ歯を外してトレイに置いて忘れてそのまま返してしまいました。
おせち料理を取りに行ったついでに出してくれたコーヒーを飲みながら入れ歯の無いのに気が付き讃岐うどん屋に直行したらデッカイビニール袋に入った私の入れ歯を出してきてくれました。「良かった」。去年の初めにも入れ歯をどこかに置き忘れて急いで作ってもらったのです。
もし、そのまま洗い場から流されていたら年末年始の歯医者も休みですから入れ歯なしで祝詞を読んだり、おせち料理を食う羽目になってたでしょう。
ドジなのは昔からですが最近はボケとドジが重なってドジの頻度が高まっています。ボケは他人にも迷惑をかけまうがドジは自分だけだからと言い訳してます。
コロナ騒ぎ以来信仰の対象として静けさを取り戻した松尾大社、今日もお昼過ぎは参拝者のみ、以前のような観光客は姿を見せず。
なぜか心が落ち着く産土の神様、やはり時々お参りに来なくては、神棚に祀って毎朝お参りはしているけれど。
先祖も代々松尾大社に社家として奉職し、父も國學院大學を卒業して支那事変で出征するまでは奉職していました。
松尾大社
今日は高槻に毎月の月次祭のお祭りに行きました。終わっていつものように岩田重義さんとレストランでごちそうになりました。
最近は尊敬する私より年配の方は岩田さんだけになってなってしまった。殆どの方が亡くなってしまったからです。
私は子供の頃から年長の人たちといさかいをするのを好む生意気な子供でしたが私を理解してくれる目上の人とはよく話をしました。
歳を取った今も好意を持ってくれる人とそうでない人にはっきり別れて付き合っています。
人生には限りがあります。誰とでも付き合っている暇はありません。ますます交際範囲は狭まってゆきますが私はそれで満足しています。
その中でも年上の人たちで私に好意を持って接してくれる人は大切にしてゆきたいと思っていました。
学生時代、山岳部時代、商売をしている頃、先生方や山岳部の先輩方、商売の仲間や問屋、メーカーの人たち。
好意を持ってくださった人たちはどんどん亡くなってゆきました。この年になったら年下の人たちの中にも尊敬する人たちは出てきました。
しかし、好意を持って下さって私が信頼できる年上の方はもはや一人だけになってしまいました。私がそれだけ歳をとってしまったのですね。
昨日、京都府神社庁北桑田支部(旧北桑田郡=京北町+美山町)の神宮大麻暦頒布始奉告祭が美山町の神社でありました。
マスクを付けて参列
北桑田支部に属する神主と総代会理事の方々、京都府神社庁から副庁長が参列して行われました。
コロナ騒ぎの中の開催で参列者は皆マスク姿、この日は天気もよく寒くもなく、暑くもなく良き日でした。
10時半開催の予定でした。会合にはめったに遅れない私でしたがこの日は遅刻、そのために開始を遅らせてしまいました。
皆さん本当にごめんなさい。遅刻の言い訳。我が家からこの神社まで約1時間。ゆっくり間に合うように9時に出発。
ところが途中で重大な忘れ物を思い出し家に取りに帰りましたが10分の遅刻でした。途中から3人の神主に電話しましたが通じず。
どちらにしても私が悪かったのです。再度、ごめんなさい。直会の後千里のお宮さんにむかい知人と近所の喫茶店でお会いして
家へ帰ったら6時、昨日もよく走りました。
今日は昼からキャンプ道具を愛車軽バンに積んで本栖湖キャンプ場へ向かいます。明日朝横浜にすむ次男と合流してキャンプします。
本来はこのあと一人で富士山麓のキャンプ場を巡りながら四方から富士山を眺める予定でしたが10日、11日、12日と連続予定が入り
9日中に帰らなくてはならず残念ですが「山は(富士山は)逃げず」再度チャレンジします。今夜は何処かで車中泊です。
この時期京都北山の私が宮司をしている三社のお宮さんを回ってお祭りをしてきました。
一番遠いお宮さんは8時から始まるので7時過ぎには家を出なければなりません。
いつもは5時には目がさめるので今日も目覚まし時計はセットしなかった。
目を覚ましたのが6時半、大慌てで起きて風呂に入り神棚や祖霊舎に日供を供えて朝飯も食べずに飛び出しました。
こんな経験は初めて、夜中も1回トイレに行ったきりでよく寝たのに、日曜日の朝は道も空いているのでぶっ飛ばして間に合った。
長野の大神宮社8時
続いて宮の辻の春日神社9時
最後は本務社の九頭神社11時
今年はコロナ騒ぎで三密を避けるために氏子の参列は自主的に判断してもらい総代だけはお供えの準備などで参列ということにしていました。
宮司と総代だけで祭りをしてその後個々に参拝してもらうことにしました。
ところが1社の神社では何時もより参列者が多く、いつもの数を用意した玉串が足りませんでした。
何でや? 「困った時の神頼み?」 ワクチンも無し、治療法も確立されず、やはり日本人らしい?
今年の秋祭りもお昼までに無事終えて帰りました。
来年の秋の祭りにはまた「子供神輿を復活して三社の集落を回りたいですね」と総代に声をかけておきました。
返ってきた答えは「子供の数が少ないので」。何しろ、私の云うことはこの辺りの人たちは総て否定するのが常です。
やれば出来る方法はあるものです。軽トラに神輿を積んで回っても良い。もう一台の軽トラには太鼓と鐘とノボリを積んで回りたい。
地域の活性化はそこに住む人が神様のお祭りをすることから始めるのですから。何かに書いてありました。次のことを信じています。
>日本人は、良心を持った人たちが、神様を祭れば、必ず良いことが起こると信じてきました。<
その通り、お昼から猟友会から有害捕獲奨励金の一部が届きました。明日は猟期前の射撃訓練の補助金が出ますので久しぶりに射撃場へ行ってきます。