京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

唇を7針縫うまさかの大怪我(自分なりに)

2018年10月30日 | 健康

私は子供の頃より血の出るような怪我はあまり経験していません。

肋骨は6〜7回折っています。それに右足を1回折った経験はありますが。

昨日(29日)まさかの血の出る大怪我をしてしまいました。(人さまから見たら大したことでは無いかもしれませんが?)

最近(9月に入ってから)隣接する畑を貸してもらったのでニワカ百姓に精を出しています。

外出しない日はほとんど一日中畑仕事と家の冬支度などで動き続けています。

27日の土曜日はインテクス大阪でのモンベルフェアーに車で出かけ、28日は大阪鶴橋にこれも車で出かけて少し疲れが溜まっていたのかもしれません。

本来なら29日から車で長野県木祖村薮原の山小屋の冬終いに出かけるつもりでした。

29日の朝になって疲れが取れてないように感じたので出発を取りやめて小屋の整理を始めました。

お昼は妻が出かけていたので自分でレトルトカレーを温めて畑からサラダ菜をどっさり間引いてドレッシングをかけて食べてすぐにまた小屋の整理に戻りました。

午前中に出しておいたプラスチック製のコンテナー(少し重い)を両手で抱えて小屋に入ろうとした時に何かにけつまずいてコンテナーを抱えたまま前のめりに倒れました。

コンテナーの角に下唇が当たったまま倒れたので歯とコンテナーの角に唇が挟まったまま力がかかったので2カ所が切れて血が噴き出してきました。

家には誰もいないので一瞬「救急車を呼ぼうか」と思いましたがとりあえず洗面所に向かい傷口を確かめました。

血は出ていましたが初めほど強く出ていないので車で病院に行くことにして、さて、何処の病院に行くか?

一番近いのは京北病院(一度も行ったことはありません)が自宅から30分ほどで行けます。

しかし、初めて行く病院には不安がありましたのでためらわず何時もの愛寿会同人病院(京都市内車で1時間)に向かいました。

午後2時が過ぎて診察時間ではなかったが見てもらい、下唇を4針、下唇の内側を3針縫ってもらいました。先生から「口の中の怪我は早く治りますよ」でした。

治療が終わって最初に聞いたのは「食事ができますか?」と「今夜風呂に入っても大丈夫ですか?」

両方とも「出来ますよ」で、ホッとしました。

丸一日、ほとんど違和感なく今日も朝から万歩計のメモリは1万歩を超えるほど畑や柴作りをやりましたが異常はありません。

しかし、鏡を見たら「ヤブレタ辛子明太子」のような唇ですから抜糸(週末の予定)までは外出を控えます。

傷口の写真でも載せようか?と思いましたが我ながら傷口が醜いのでやめます。

これほど血が出たのは生まれて80年、初めての経験でした。

初めに血が出て驚いたのですが何事も無く過ごせているのもまた驚きです。

 


草野球リーグ(mgリーグ)順位決定戦で今季初完投(でも負けました)

2018年10月18日 | 野球

岡崎球場と一乗寺グランドで春から戦ってきた草野球リーグ(mgリーグ)は今日の5位〜6位決定戦で日程を全て終了しました。

今季は昨年のエース級投手二人を欠き私が先発3回投げて次に繋げるという戦力不足の戦いでした。

今日も4番サードが来れずに9人ギリギリで初めから負け戦は確定したようなスタートで先発投手としてマウンドに立ちました。

いつもは3回投げて2度打撃が終わったところでベンチなのですが今日は9人しかいないので途中からベンチへはなくなりました。

最初から監督に今日は完投させてくれるように頼んで7回最終まで完投しました。

さすが傘寿・6回7回は自分では疲れた感じはなかったのですが狙ったところにボールが行かず真ん中に投げてホームラン1本を含み外野に打球が飛ぶのが多くなりました。

初回から味方のエラーも続出で終われば二桁の得点を取られて我が方は無得点(貧打も良いところ)

今季公式戦17試合中14試合に先発で登板、13敗中9戦の敗戦投手、全試合3勝13敗1分けでした。

ボロクソに負けましたが80歳にして7回完投出来たことに満足・野球をやっててよかったと。

ここ10年ほど最終戦が終わったあと監督に「来年もやらしてくれるか?」と尋ねるのが恒例になっていました。

今回も良い返事をもらえたので早速ユニフォームを洗濯した後に寺町三条の「京屋スポーツ」に持ってゆき来年の年齢「81」の背番号に変えてもらいます。

お昼前には自宅に帰りましたが今日は畑仕事や庭いじりもせずに完投できた(負けたけれど)余韻に浸りながら野球道具の手入れなどして過ごしました。

手入れ中の野球道具類

スパイクは中までよく洗って乾かします。一年に二度(お盆休み中と最終戦の後)しか洗いません。

野球スパイクも色々使いましたが今使っているナイキの少し深めのスパイクが土が入りにくいので愛用しています。

グローブとバット

左端のグローブは四〇年ほど前から使っているアディダスです。もう古くて柔らかくなりすぎていますがたまにライト(外野)を守るときに使っています。

真ん中は三〇年ほど前に長男から貰ったローリングスです。セカンドを守る時やキャッチボールのときに使っています。

右端は一〇年ほど前に大阪のミズノのショップで買ったものです。投げるときに使っています。

ブルーの金属バットは送りバンドのときに使っています。軽くて太いので成功率は高いと自分では満足しています。

黒いバットはビヨンドマックス、飛距離が伸びるということで買ったのですが歳でパワーが落ちているので芯で捉えても外野フライが良いとこです。

明日から野球はシーズンオフです。来春3月後半から始まる来季目指してトレーニングをと毎年この時期には思うのですが毎年脚力が落ちるのは目に見えます。

何だかんだと言いながらこの歳まで健康を維持できたのは「出来るだけ長く野球を続けたい」という思いがあったからでした。

来春リーグ戦が始まる頃にチームの皆について行けるか?やはり節制しか無いと。それに栄養のあるものを食べることに尽きると思います。

食わなきゃ馬力はでません。最近食が細ってきたことが心配ですが、美味いものならまだ食えるので頑張ります。

何と言っても野球をすることは楽しいですね。


京都北山細野の三社の秋祭り・過疎地のお宮さんの在り方を考えなければ

2018年10月14日 | 信仰(宗教)

今日は私が宮司を務める細野の三社の秋祭りを八時、九時半、十一時と無事終了しました。

山間過疎地の集落でも神社とお寺は必ずあります。そして年に数度お宮さんごとにお祭りをするのです。

しかし、ほとんど同じ日に集中しています。兼務している神主は大忙しです。

私は現在四社の神社の宮司を兼務していますが一社は先日体育の日(今年は十月八日)に済みました。

以前は十月一五日が秋のお祭りと決まっていましたが最近はその頃の前の日曜日にお祭りすることになっています。

時代の流れに逆らわずに融通無碍に実行するのが我が国の神道の流れと私自身は理解しているのですが。

中には絶対にこれまでやってきたことを変更したくない石頭の神主や氏子も居るので厄介です。

祭式の形式も時代によって変わって来ていることを無視して旧来の形式にこだわり対立するのは愚の骨頂と思います。

私の得意な(好きな?)融通無碍(早い話がズボラ?orいい加減さ?)が過疎地の神社信仰が生き延びられる方法の一つだと思っています。

このまま進めばますます過疎地での神主のなり手はなくなり祭りもなくなり過疎化に拍車が掛かるのは目に見えています。

神社信仰の原点にまで戻れば方法はあるはずです。

今日は祭りのあとの直会(なおらい)で社務所の囲炉裏でお供えのタイや餅やスルメを焼きながら氏子さんたちと有意義な議論で盛り上がりました。

餅を食べすぎて胸焼けがして夕食が進まなかった。黒豆の枝豆も毎年だが美味しかった。

良い祭りができた秋の一日でした。が、疲れ切った! やはり年には勝てない。後継者の宮司が早く出てくることを願いながら。

 

 


走りっぱなし280キロの旅・カーナビ使っても間違いだらけ

2018年10月11日 | カントリーライフ

9日に朝8時に家を出て京都市内京都縦貫道路大原野インターから大山崎で名神を経由して堺市高松へ。

今日は奈良市田原のりんご園を見学するつもりでしたが前日に野あそび協会の仲間の田中さんから「発電機をもらってくれるか?」と電話あり。

先日21号台風で7日も停電してひどい目にあったので「発電機が有ればなあー。」と思っていた矢先。

「頂きます!」と家を出て2時間半で直行する予定が、堺についてからカーナビが上手く作動しないのか?

ナカナカ会えず、田中さんと携帯でやり取りしながら周辺をウロウロ1時間、大概くたびれ始めてヤットあえて発電機の保管してあるガレージにたどり着けました。

何しろ二人の年齢が田中さん88歳、私80歳、二人共車で携帯でやり取りしながら、面と向かってでも意思の疎通が難しい年齢?疲れた!

この4点をいただく。

発電機の他にガソリンタンク、延長線と照明電球それに金属も切れるカッター、どれも手入れと保管が良いのか?新品同様。

久しぶりに会ったのでゆっくり話をしたかったのですが迷いたおしてヤットあえて、もう12時。

12時に奈良で昼食を食べる予定だったのでまたお会い出来ることを約束して案内して貰う約束の稲葉さんの待つ奈良へ。

田原のりんご園

奈良の大和高原地方は大台ケ原などの険しい山と違い写真のようななだらかな山々が特徴です。

高度的には私の住む京都北山とあまり変わりませんが深くなく所々に集落と畑が散在しています。

10年前に3年間、この山を南に越えたあたりの福祉施設を手伝いに行っていた懐かしいところです。

管理小屋?

林檎畑や茶畑の上にある管理棟?小高いところに立っているが強風にも強そうな建物でした。

こんなところで月や星を眺めながら過ごせたら!

最近そんな夢に付き合ってくれる日本人は絶滅してしまいましたね。

 


祭りのシーズンが始まった・八日神輿巡行

2018年10月10日 | 信仰(宗教)

台車に神輿を乗せ

10月は京都北山の京北町では氏神様の秋祭りがあちこちで始まります。

集落ごとにあるお宮さんには一人の神主が数社のお宮さんの宮司を兼務しています。

私も4社のお宮さんを兼務していてお祭りが始まるのは京北田貫町の白山神社が最初で10月8日。

住人がどんどん減って神輿の担ぎても今年は10人を割ってしまいました。

こうなってはもう神輿を担ぎ上げることは出来ません。神輿本体を台車に直接くくりつけて皆で押して各集落を回りました。

一昨年までは宮司の私が浄衣を着て巡行の先頭に立って歩きましたが昨年からは太鼓を乗せて巡行する軽トラの助手席に乗せてもらっています。

今年の祭りの日も快晴で高温で浄衣など着たら熱中症になってしまうので烏帽子も着けず白衣と袴だけ、それでも汗がでるほど暑い。

車なら今やクーラーが付いているのが当たり前と思っていましたがいくらフアンを回しての涼しくならず温風が出てくるだけ。

農家仕様の軽トラでクーラーなしということがだいぶあとでわかってその時はもう汗びっしょり。

各集落の広場で飲食が出る

いつもなら5箇所の集落に休んでビールやジュース・コーヒーなど飲み物と果物、お菓子、巻きずし、豚汁などが出ます。

今年は1箇所の集落には21号台風の被害で入れず4箇所です。と言ってもゆっくりした巡行で10分も行けば次の集落ですから止まりっぱなし。

こんな田んぼの中での接待もあり

あまり頻繁に飲み食いが有るので最後には酒が回ってゴテル人まで出る始末・祭りなので陽気な酒なら歓迎ですが愚痴が出て総代さんも大弱り。

来年は台車でさえ引っ張る人数が集まるかどうか神輿自体を軽トラに積んで巡行になるのでは?

先日まで腰の手術で入院していた総代さんも無理して参加してくださって途中でリタイア・しばらくしてお宮さんの前を通って救急車で運ばれて行かれました。

次は14日に京北細野町の3社のお宮さんのお祭りです。


自衛隊の応援団長・例会は台風25号7日接近の予報で中止

2018年10月07日 | 自衛隊の応援団長

イベントの難しさは中止の決断です。登山に似ているところがありますね。

週の初めの天気予報では7日(日)に近畿地方に最接近との予報が出ていました。

都市部での開催ならなんとか成りますが我が家のような山間部では先日の21号台風のようなこともあります。

大事を取って週の初めに中止をお知らせしました。ところが昨夜のうちに台風は日本海を通って影響なし。

先日新しく会員になった奈良在住のメンバー二人が差し入れを持って朝からやってきてくれました。

お昼ごはんをガレージ前に最近新しく買ったカマドを出して4人でハモ鍋をいただきました。

妻が炊いてくれた庭の栗を入れた赤飯やこれも庭にできた柚子やミョウガや差し入れの新鮮な卵焼きなど。

食事の後菜園に上げたオリの移動などこれまで私一人で出来なかった作業などを二人に手伝ってもらいました。

来月11月4日(日)の例会は台風が来ない限り雨でもやります。多くの参加を待っています。

11月になれば京都北山では寒い日が多くなりますので防寒具の用意もして来てください。

焚き火もこれからはドンドンやりますので上に羽織るものはナイロン地でないものが火の粉で穴が開かないから安心です。

菜園の柵作り作業やお茶の木の剪定や草刈りなどもやってもらいますので作業用手袋なども用意してください。

台風で折れた木や枝、小川会長が運んでくれた樫の木をタキギにする作業などももあります。

来春からの菜園のために今年中に整備しておきたいと思います。

11月例会にはタマネギの苗の植え付けもします。先日植えておいた野菜も一部食べられるかも知れません。

野菜だけでなく山菜コーナー、香草コーナーなども作ります。オリも一つ設置しましたがもう一つか二つ増やそうと思います。

イチゴ作りにもチャレンジして畑で熟れた本当の味を来年には試食できるようにしてみたいと思っています。

木で熟れた果物の本当の味を味わえる菜園にしてゆきたいですね。青いうちに摘まれて移動中に色づくような果物や野菜でなく。

会員の皆さんの提案をお待ちしています。

 


今月24日に猟友会の射撃大会・泥縄の練習

2018年10月01日 | 狩猟

今月24日に猟友会の猟期前の射撃大会があるので泥縄式のトラップ射撃の練習に出かけました。

お昼にまずカモノセキャビンでカレーライスを食べて京北総合射撃場に。

いつも月曜日って射撃訓練に来ている人がいるのですが今日は鉄砲の音は聞こえず。

昨日は日曜日でも台風でだめだったので快晴の今日は!って射場でも期待していたらしいのですが誰も来ず。

昼からの私が初めてか?私が終わってからは二人ほど来ていました。

後に来た人が撃ち始めた

春から来ていないのでトラップを2ラウンド(猟友会の射撃大会では二の矢は無しで一発勝負)

私一人で撃つので移動しながら25発撃つと歳のせいか?息が切れる(慌てることはないのですが)

二の矢なしの一発勝負で久しぶりの射撃にしてはマアマアと少し休憩して2ラウンド目にチャレンジ。

途端にあたりが悪くなってガッカリ。どうも緊張が持続できない性分でどうしようもない。

ゴルフが性に合わずにやらないのは18ラウンドも緊張感が持続できないからかもしれません。

射撃場が近いのだから1ラウンドだけの練習を続けるほうが上達するかも知れません。

毎日練習できるほどの金も根気も続かない80歳ですから射撃大会前の泥縄練習だけです。

24日の大会までにもう2度ほどは練習しておきたいと思います。


我が家に向かって倒れかけていたヒノキがまた一本増えた

2018年10月01日 | 自然

24号台風は中心がそれて直接的な被害は出ませんでしたが昨夜の雨と風(大したものではなかったが)でまた1本ヒノキが傾いていました。

新たに傾いたヒノキ

我が家に向かって傾いたヒノキの2本目です。30メートルほどあるので倒れる方向によっては我が家のガレージに直撃。

今週中にも伐採してもらわなくては25号台風が7日に最接近のニュース。

倒れて被害が出なければ対処しない行政と業者(関電とNTT)。災害を未然に防ぐという考えは無さそうですね。


自衛隊の応援団長10月7日の集いは台風25号接近のため中止します。

2018年10月01日 | 自衛隊の応援団長

10月7日の集い・楽しみにしていましたがマタマタ台風25号が21号24号と同じ進路を取って7日に最接近する予報が出ました。

7日(第一日曜日)には例会の野外料理の食材を自給自足する菜園の整備やツリークライミングなど楽しいイベントを企画していましたが残念です。

例会には参加者の食材の購入などの準備が必要なために台風の進路予想が出た段階で中止を決定させていただきました。

次回の例会は11月4日(11月第一日曜日)になります。

万一にも台風の進路がそれた場合はぜひ菜園の整備だけでも個人、ご家族だけでも来てください。

1)害獣からの防禦ネットの取り付けや周辺の草刈りと茶の木の剪定(来春八十八夜の頃に新茶作りを皆で体験して一年分のお茶作りをします)

2)山菜コーナー作り(蕗やオオバのギボシなどの山菜だけを作る畑を作ります)

3)焚き火コーナー(台風21号で倒れた木々の枝を薪にして1年中焚き火を楽しむために薪つくり)

などなど菜園の周辺を整備して憩いの場所作りをする予定です。(作業できる服装を用意してください)

昼食は参加者が未定のために7日は用意できませんので弁当持参でお願いします。味噌汁やお茶は用意できます。

菜園作り(と言うよりも遊び場作り)に会員の皆さんのアイデアと労力をお願いします。

 

京都府自衛隊家族会右京支部の例会は自衛隊員の家族や会員だけでなく会員の友達や自衛隊支援に興味をお持ちの方々も参加してもらえます。

また、他の支部や他府県からも参加してもらえます。他府県にお住まいの方でも右京支部の会員になることも出来ます。

私だけが応援団長ではなくて右京支部では誰でもが自衛隊の応援団長です。まず参加して自分が楽しむことから始めてください。

そしてその中から自衛隊と自衛隊の家族を支援する輪を広げてゆきたいと思っています。

先月平成30年9月から始まった京都府自衛隊家族会右京支部です多くの方々の参加とご支援をお願いします。

興味ある方はこの私のブログのカテゴリー「自衛隊の応援団長」を時々でも見てください。


朝から九頭大明神(地区の氏神さん)にお礼参り

2018年10月01日 | 信仰(宗教)

昨夜の24号台風は直撃を免れて我が家の被害はまったくなく、国道までの3キロも倒木もなく、162号線も通行できました。

気象予報では先週の21号台風と同じコースなので家ごと吹っ飛ぶのも覚悟していました。

出来ることは神様にお願いすることだけ。「困ったときの神頼み」です。「どうぞ、中心だけでも外してください」

直撃を免れて和歌山の田辺市に上陸、風も雨も前線通過時ぐらいの程度で朝を迎えることが出来ました。

九頭神社

早速朝から氏神様にお礼参りに行ってきました。

集落の古老の言い伝えで「ここの氏神様は怖い神さんだが願い事はきいてくださいます。」やはり間違いなかったと私は思っています。

昨日の私のブログの一部

>もうこうなったら本職の神頼みより方法がない?(日頃、神道はご利益祈願ではなく感謝だと言っているのに矛盾していますが)

奇跡が起こらない限り日曜日には24号が直撃して電気、電話線切断。またしばらく停電。ということになります。

「いつまでも有ると思うな親と金 無いと思うな運と災難」(良い諺ですね、運を天に任せて台風24号を待ちます)<

入り口の灯籠の文字

「村の安全所」と書いてあります。長年通っているのですが今日はじめて気が付きました。

東日本大震災の翌年のゴールデンウイーク開けに軽自動車で被災地の神社を1週間ほど「震災復興祈願」に一人で巡った時。

現地の古い神社の境内に「津波避難所」と言う石碑を見たことがありました。古くからの神社は津波被害を受けていませんでした。

海でも山でも神社は住民を守る避難所として自然災害がおよばないところに建てられたのですね。

改めて氏神様を祀ることの大切さを認識しました。合わせて日本人の先祖の知恵も学ばしてもらいました。